25th Hour (2002)
監督:スパイク・リー
★★★
デイヴィッド・ベニオフの小説を原作者自身が脚色。
スパイク・リーの演出する会話は、台詞がラップのようなリズムを刻んで、日常の風景のなかに非日常性をもたらしていくところが面白いのかもしれないけれど、そこに乗れない者にとってはどうも冗長に感じられる。例えば30秒で伝えられそうなメッセージを3分間かけて語ってしまうようなことが結構ある。タランティーノもそうだけど、会話の演出に自己陶酔してしまうところがあるのではないだろうか。
アクションの時系列を操作して同じ場面を一瞬繰り返す編集も、何の効果があるのかわからなかった。
過去のノスタルジーに逃避するのではなく、「グラウンド・ゼロ」の後の地点を描こうとしているのは、(原作にはないはずの後付けの趣向だとはいえ)好感を持てるのだけれど。
Runaway Jury (2003)
監督:ゲイリー・フレダー
★★★
ジョン・グリシャム原作の法廷もの。
殺人事件の被害者の遺族が銃器製造会社を相手取って訴訟を起こす。そんな損害賠償が認められてしまったら大変なことになる会社は、百戦錬磨の陪審コーディネイター、ジーン・ハックマンを送り込む。対する原告側の弁護士はダスティン・ホフマン。そして陪審員リストの中には謎の男、ジョン・キューザックが潜り込んでいた……。ということで序盤は、陪審裁判を裏で操ろうとする「陪審コーディネイター」という題材が面白そうなのと、ジョン・キューザックの狙いが見えてこないという趣向でそれなりに興味を惹かれる。
ただし原作がベストセラー作家ジョン・グリシャムの書いた話のせいか、だんだん裁判の話でなくてもいいような安手のスリラーになってしまい、裁判で提起される議題自体も何かを考えさせるほどに掘り下げられることはない。結末も「そんなわけないだろ」という絵空事に終わる。冒頭に登場するディラン・マクダーモットは連続ドラマ『ザ・プラクティス』で主役の弁護士を演じている俳優なのだけれど、裁判の展開そのものはその『ザ・プラクティス』の1話でも見たほうが半分の時間ではるかに面白いし考えさせられると思う。
ヒロインのレイチェル・ワイズは綺麗。他の作品でも見たいと思った。
第55回読売文学賞発表。小説賞は小川洋子『博士の愛した数式』[amazon] [bk1]。随筆・紀行賞に若島正『乱視読者の英米短篇講義』[amazon] [bk1]が入っていますね。
木村仁良氏の2004 EDGAR AWARD NOMINEESによると、桐野夏生の『OUT』英訳版がエドガー賞(MWA:アメリカ探偵作家クラブ賞)の最優秀長篇部門にノミネートされているらしい。翻訳本が候補に挙げられるなんて相当評判になっているんだろうか。
映画脚本の部門で気になるのは、アカデミー賞の脚本部門にもノミネートされている"Dirty Pretty Things"(『アメリ』のオドレイ・トトゥ主演)。ドラマ部門では『ザ・プラクティス』からも候補が出ている。
追記:MWAのウェブサイトにも候補作が掲載された。→Edgar Award Nominees
『ミステリマガジン』連載中の日本人作家インタビュー記事をまとめたもの。ぱらぱら読んで面白かったのは(作品への興味もあるけれど)、法月綸太郎、奥田英朗、小川勝己あたり。法月綸太郎は例によって創作の苦悩を語るとともに、アントニイ・バークリーの作品についても言及している。
「『ジャンピング・ジェニイ』と『最上階の殺人』は両方とも面白かったですが、どちらが好きかでその人の傾向が分かるんですよ(笑)。ちなみに僕は『最上階』。自分の喜ぶツボをことごとく突いてくるんです。終わり方が特に好きでしたね」(p.182)
というのは二冊が出たころに僕も考えていた。ちなみに僕は何度か書いているように『ジャンピング・ジェニイ』派。たぶん『ジャンピング・ジェニイ』を支持するのは面白ければミステリの枠組みを破壊してもかまわないと考える読者で、対してあくまでミステリの枠内に着地させることに面白さを見出す読者は『最上階の殺人』を支持するのではないか、と考えている。
奥田英朗は他のところでもインタビューを読んだことがあるけれど、とても小説作法が明晰で、他ジャンルの読者にも面白く読めるのではないかと思う。『最悪』と『邪魔』では登場人物を一切裁かず、作者のメッセージや説教を入り込ませないように書いた、というのが面白い。
小川勝己は先行作品を過剰に意識するおたくっぽい語りが良い。
著者あとがきでも指摘されているけれど、ドナルド・E・ウェストレイク(リチャード・スターク)の名前を挙げる作家が何人もいたのが印象的。いわゆる「ライターズ・ライター」というやつだろうか。
小笠原豊樹・他訳/ハヤカワ・ミステリ文庫 [amazon] [bk1]
Blessington Method and Other Strange Tales
★★★★
『特別料理』が有名なスタンリイ・エリンの短篇集。こちらの収録作の出来もかなり粒揃い。印象に残っているものをいくつか。
「ブレッシントン計画」……社会問題を解決するブラックな妙策。いかにも「異色作家短編集」系の話なのでいささか古く感じる内容だけれど面白い。
「神様の思し召し」……いんちき新興宗教に本物の正直者が入門したらどうなるか。一人称語りの主人公がきわめて善良な人物であるためにかえって裏読みをしなければならない、という趣向が面白く、収録作中で一番好み。
「いつまでもねんねえじゃいられない」……導入部から一気に主人公の不安な心理に引き込まれる構成が抜群。ミステリ的な趣向を用いているけれど、それはただ「意外な結末」を演出するためではなく、物語的な必然にかなったものになっている。
「ロバート」……真性邪悪な生徒にオールドミスの教師が追いつめられる。「銀の仮面」みたいな厭な話。
「不当な疑惑」……原題は"Unreasonable Doubt"で、法律用語の「合理的な疑い」にひっかけたもの。皮肉な法廷の話。
「蚤をたずねて」……蚤のサーカス団を率いていたという老人が思い出話を語る。マーク・トウェインのデビュー作「噂になったキャラベラス郡の跳ぶ蛙」みたいな冗談小説。
「伜の質問」……渋い話。瀬戸川猛資が絶賛していた(『夜明けの睡魔』)のは、フィニッシング・ストロークが好きだからかもしれない。
ほとんど外れなしの好短篇集。作風も「運命の日」のような渋いリアリズム系から、「ブレッシントン計画」のようなブラックな小噺、「蚤をたずねて」のような法螺話までと、幅広い。
三谷幸喜脚本の舞台劇『笑の大学』の映画化が決まっていたんですね。
俳優は役所広司と稲垣吾郎らしい。この元の舞台はTVで放送されているのを見たことがあって、とても面白かった。密室の台詞劇なので映画向きではないと思うけれど。
白須清美訳/晶文社 [amazon] [bk1]
Time Out (1968)
★★★★
「異色作家」系の短篇集。冒頭の「理想の学校」が典型なのだけど、主人公が奇怪な論理に支配された組織と接触し、気がつくとその論理を支持する一員になっている、という構造の話が多い。「ヨットクラブ」や「面接」も似た路線で、このあたりが一番好みだった。(スタンリイ・エリンの『九時から五時までの男』でいえば「ブレッシントン計画」などがこれに近い)
「カウントダウン」の性格の悪い終わらせ方、「タイムアウト」の際限のない法螺話ぶりもなかなか良い。「隣人たち」や「大佐の災難」など、郊外生活の狭間にある不気味な状況を描いている作品がいくつかあるのも印象深い。外れはほとんどないけれど、好みでベストを挙げるなら「面接」かな。
Confidence (2003)
監督:ジェイムズ・フォーリー
★★
監督のジェイムズ・フォーリーは以前ジム・トンプスン原作の『アフター・ダーク』映画版の監督をしていた人で、それは結構良い出来だった。たぶん犯罪映画、フィルム・ノワールに造詣の深い人なのではないかと思う。
この新作もいろんな犯罪映画の作法を踏まえている感じで、冒頭からいきなり主人公が「俺は死んだ」と宣言してそれまでの回想を語りはじめる『サンセット大通り』方式で幕を開け、筋書きは仲間を集めて銀行から金を騙し取る計画を進める(『スティング』的な)コンゲーム、後半になると計画に邪魔が入って複数勢力が互いに入り乱れて衝突する『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』みたいな展開になる。
詐欺のプロセスにあまり面白味がないのと、終盤にどんでん返しを盛り込みすぎて逆に興味を失ってしまう(どうとでもひっくり返せるような気がしてくる)のが難点だろうか。『スティング』も似たようなことをやっているんだけれど、『スティング』の場合は観客に対するミスディレクションの仕掛け(ミステリ小説で言う「叙述トリック」?)が一点に集中しているので、ひっくり返された時に納得できるようになっていると思うのだよね。「フィルム・ノワール風の語り」を単なる懐かしいシンボルではなく、目眩ましとして使う発想は面白いのだけど。
俳優陣のうち、ダスティン・ホフマンとレイチェル・ワイズは『ニューオーリンズ・トライアル』と重なっている。レイチェル・ワイズはこの作品より『ニューオーリンズ〜』のほうが良かったかな?
テリー・ギリアム監督の『フィッシャー・キング』が、NHK衛星第二で2月9日に放送予定。『アメリ』を気に入ってこれを未見だったら見てみると面白いと思います。
以前(1月25日)、芥川賞みたいな新人賞じゃなくて単純にその年で一番優れた小説を選出する賞が注目されてもいいんじゃないかと書いたら、いくつか関連する記事が書かれていて興味深く読んだ。
谷崎賞よりも読売文学賞の小説部門のほうがそれっぽいのでは、という指摘はそうかもしれない。
大森望編/河出書房新社 [amazon] [bk1]
★★★
「でも、どこにでもいるそういう平凡な男に、不思議のひと触れが加わると、ほら、見てごらん。(中略)そしたら、そこから先、彼の人生は死ぬまでずっと本物なんだよ」(p.112)
日本独自選集の短篇集。先に出た若島正編の『海を失った男』(晶文社)と重ならないようにしたせいか、収録作自体の出来はそれほどすごいものではなく、SF的な道具立てが古めかしく感じられるものも少なからずある。ただし、SF的現象そのものよりもそこに巻き込まれて影響を受ける普通人の人生を描く、というようなスタージョンの視点には充分興味が湧いたし、たぶん好みの作風だと思う。
収録作では、怪我をして自宅にいる男が暇つぶしに隣人の生活を覗いてみると……という「裏窓」な発端がとんでもない方向へねじれていく「もうひとりのシーリア」が好み。「不思議のひと触れ」「孤独の円盤」も、たぶんスタージョンの作風を象徴する作品として、短篇集全体の色を決めていると思う。(作者のSF論、小説論のようでもある)
大森望の解説は作者への思い入れが伝わってくる力作。特に、スタージョンはジャンル小説の枠組みを超えた作家としての才能を持ちながら、生涯なぜかジャンル小説(SF小説)を書き続けた作家だと論じているところが面白かった。ミステリでそれに似た立場の作家というと誰になるだろうか。
『海を失った男』も読んでみよう。
id:crossageさん(ホシヒコ氏)の吉田修一『パレード』評。面白い。
平田村殺害事件「葬儀受注のため」 不謹慎だけど、チェスタトン/泡坂妻夫系のすごい殺人動機?
スカーレット・ヨハンソンが『ブラック・ダリア』映画版に出演。というか、いつのまにかブライアン・デ・パルマ監督に決まっていたのね。IMDbにも"The Black Dahlia (2005)"の作品ページあり。
昨年の8月に言及した「セカイ系」という言葉、いずれ消えるかと思ったらその後も着実に市民権を得つつあるようで、hirokiazuma.com/blogや日刊海燕(2月11日)で紹介されている神林長平『天国にそっくりな星』(ハヤカワSF文庫)[amazon] [bk1]では、帯の文句に「神林長平の作品群は、セカイ系の先駆として捉えることができる」とあり、解説(ゲームシナリオライターの元長柾木氏による)でも「セカイ系」作品に関する考察、というより「セカイ系」という揶揄に対する反論がなされている。笠井潔の『イリヤの空 UFOの夏 その4』評とか、その予兆はあったのだけど、ウェブ発の用語がそこまで広まるとは予想していなかった。
元長柾木氏の解説はざっと読んだかぎりではぴんとこなかったのだけれど、『天国にそっくりな星』は主人公が「私立探偵」という設定で、『宇宙消失』みたいなSFハードボイルド法螺話かもしれないと思い購入してみた。新規読者開拓の役には立っているのかも。
High Noon (1952)
監督:フレッド・ジンネマン
★★
ゲイリー・クーパー主演。保安官への報復をたくらむならず者が正午に列車で到着する、という状況で主人公が孤軍奮闘するタイムリミットもの。西部劇とリアルタイム進行のサスペンスを結びつける趣向が珍しかったのだろうけど、タイムリミットがいかにも作為的なうえ、途中にドラマが発生しない(助力を求める→断られる、の繰り返し)ので面白くない。劣勢を挽回するために罠を張って賊を迎撃したりといったゲーム性があるのなら興味を保てるのだけど。(『ジョジョの奇妙な冒険』の読みすぎ?)
公開当時は、一般市民に助力を求める保安官なんて腰抜けだと批判する声もあったらしい。個人的には、逃げろと勧められるのに戦うのだから充分ヒロイズムの話のように思えるけれど。
収録作:ミュージック/ビアンカの手/成熟/シジジイじゃない/三の法則/そして私のおそれはつのる/墓読み/海を失った男
いまさらながら「ビアンカの手」が素晴らしい。倒錯したヴィジョンを文章の力だけで納得させてみせる。これが短篇小説だ、と呟きたくなる名篇。
「成熟」は1947年発表なので「アルジャーノンに花束を」より早い(厳密に言うと方向性は異なるけれど)。「"成熟"とは何か?」という問いを軸にした思考実験で、"maturity"の訳語「成熟」があまり日常的な言葉ではないところが日本語で読むときの弱点ではないかと思う。グレッグ・イーガンなど最近の小説と比べてしまうとさすがに古く感じるものの、真摯で好感を持った。
「墓読み」は「成熟」と似た構造だと思う。エリンの「伜の質問」みたいな渋い話。
「海を失った男」は一種の叙述トリック小説ともいえるだろうか。すごい密度だけれど語りの構造が読みづらいので、一度読み直さないとよくわからなかった。
作品集全体としては、「ビアンカの手」を筆頭に、「墓読み」「海を失った男」と短めの作品が良い。長めの作品(「成熟」も含む)は、作中の会話が設定の「説明」に終始していることが多くて洗練されていないように感じる。短篇作家であって中篇向きではないということなんだろうか。
はてなダイアラー映画百選というリレー企画が開始。いまのところ皆さん気取らずに好きな映画を語っていて面白くなりそう。
小笠原豊樹訳/早川書房
E Pluribus Unicorn (1953)
収録作:一角獣の泉/熊人形/ビアンカの手/孤独の円盤/めぐりあい/ふわふわちゃん/反対側のセックス/死ね、名演奏家、死ね/監房ともだち/考え方
「異色作家短篇集」シリーズの一冊。入手の難しい本らしいけれど近所の図書館に置いてあったので読むことができた。
収録作のうち「ビアンカの手」と「めぐりあい」(「シジジイじゃない」)は『海を失った男』に、「孤独の円盤」は『不思議のひと触れ』に再録されている。
初読の作品で面白かったのは「反対側のセックス」と「死ね、名演奏家、死ね」で、どちらの作品も一種のミステリ的な構成を採っている。
「反対側のセックス」は、怪死事件の謎解きがとんでもないネタで落とされる変格もの。山田風太郎の傑作「蝋人」みたいな感じ。「死ね、名演奏家、死ね」は、殺人犯がみずからの犯行の経緯を語りはじめる……という倒叙形式の犯罪小説なんだけど、主人公の心理がたいへん歪んでいて面白い。どちらも、ミステリ的な構成を採りながらそこにおさまらない何か奇怪な世界観が強烈な印象を残す作品で、このあたりがスタージョンの面白さなのかな。
巻末の「考え方」(A Way of Thnking)という短篇が象徴的で、人と違った「考え方」を描いてみせる作家なのだろう。(この「考え方」という作品自体は、面白い着想なのだけど筋運びが説明的で切れ味に欠けるのが惜しい)
「翻訳作品集成」内のシオドア・スタージョンのページがとても充実している。
id:alpacaさんが「はてなダイアラー映画百選」で選出している(結末に触れているので未見の人は読まないほうがいいかも)のを見て、これは良い映画だったなあと思い返す。カーソン・マッカラーズの小説『心は孤独な狩人』が原作なのだけど、原作があると言われなければわからないくらい良い出来の映画だと思う。
共同体のアウトサイダーと同居人の少女に恋愛感情が芽生えたように見えるけれども、ふたりの間には埋めがたい障壁がある、という点で『シザーハンズ』に似ているかも、と書こうとしたら、主役のアラン・アーキンが『シザーハンズ』にも出演していることに気がついた。なので『シザーハンズ』の作り手もこの作品を何かしら念頭に置いていたのかもしれない。
ちなみに僕が『愛すれど心さびしく』を見ようと思ったきっかけは、wad's 映画メモの「お勧め映画、第3回、80年代アメリカ映画篇」における『ミス・ファイヤクラッカー』の紹介文で、「『愛すれど心さびしく』とか『まぼろしの市街戦』のような淡くてなおかつ深い感動を与える名作。」と題名を挙げられていたためです。
Dogville (2003)
監督:ラース・フォン・トリアー
★★★
前作『ダンサー・イン・ザ・ダーク』が面白かったので期待したのだけど、3時間もあるわりにいまひとつ。
閉鎖的な村に外部から「聖者」が逃げ込んできて、住民たちそれぞれの醜さや嫌らしさがあぶり出される。フラナリー・オコナーに「強制追放者」という短篇小説があって(『善人はなかなかいない』(筑摩書房)などに収録)、ユダヤ系の移民が勤勉であるがために古い住民たちから厄介者扱いされるという、これと似たところのある話。それを思い浮かべていたせいかほとんど筋書きの予想がついてしまい、もうわかったから長いよ……と思ってしまうことがたびたび。徹底して卑小に扱われる人物描写のバリエーションを愉しむという程度の面白味しか見つけられなかった。(「運送屋」のあたりまで行くとさすがにちょっと感心したけれど)
ほとんど何もない舞台で建物や草木があるふりをするという趣向はギャグみたいで悪くないけれど。(「dog」と書いてあるだけの場所を指さして、「ああ、犬がいる」というような会話が平然と行われる)
ちなみに、ラース・フォン・トリアー本人はどうか知らないけれど、「ドグマ95」仲間のハーモニー・コリンは好きな作家としてフラナリー・オコナーの名前を挙げているとのこと。
宮下嶺夫訳/小学館 [amazon] [bk1]
The Last of Philip Banter (1947)
★★★
ある朝、会社へ行ってみたら机の上に自分の未来の行動を記したタイプ原稿が置いてある。これはいったい何だ、ひょっとして俺自身が書いたものなのか……? という、魅力的で謎めいた導入で始まるサスペンス小説。主人公が精神不安をひとりで抱え込み、「日記」の記述に背こうと試行錯誤するあたりまでは面白いけれど、だんだん冒頭の謎を説明するための辻褄合わせのような展開になってきて白ける。主人公以外の第三者の視点による場面が入るものの、どれも効果的な情報を提示できていない(単なる種明かしになって不安感を薄めている)構成の緩さも気になった。いわゆる「前半傑作」とはこういうのを指すのかもしれない。
Master and Commander: The Far Side of the World (2003)
監督:ピーター・ウィアー
★★★
19世紀初頭の英国海軍の一部隊を描いた海戦もの。ピーター・ウィアーらしい抑制された演出や誰にも感情移入をさせない人物描写はそれなりに興味深いものの、戦闘ものとしても群像劇としても焦点が絞られていなくて物足りない。もともと海戦に興味を持っていないこともあり、戦争好きの人たちが海の向こうで勝手に戦っていても、自分には何の関係もない話だな……としか思えなかった。博物学に没頭する変わり者船医のポール・ベタニーのキャラが立っているのに比べると、ラッセル・クロウの艦長のどこが魅力的なのかほとんど描写されていないのも気になる。
アカデミー賞界隈では我々の知らない理由で歴史劇がやたら持ち上げられることがあるけれど(例えば最近では『グラディエーター』とか)、この作品もその典型のように思える。原作小説が読者の多い有名なシリーズものらしいので、映画化すればとりあえず確実にある程度の客入りを見込めるということなのだろうか。
X51.ORG : 『パッション』キリストの磔刑シーンで観客も死亡
公開前からお騒がせだったメル・ギブソン監督の映画『パッション』。いまどき上映中にショック死する観客が出るなんて、「エクスプロイテーション・フィルム」としては相当ポイントが高いんじゃないかと思っていたら、すでに町山智浩氏が日記でその用語を使って書いていた。