▼ Book Review 2001.5

『ペニス』 津原泰水
『白の闇』 ジョゼ・サラマーゴ
『片想い』 東野圭吾

※(ごく主観的な)評価は★5段階。

『ペニス』 ★★★★★
津原泰水/双葉社(2001)

「なんでちんぽこが立たないかわかるよ。もう死んでるわけだ」(p.41)

■これはホラーとかミステリというより現代文学の収穫。中年の「公園管理人」による奇妙な語りのもと、虚実・時制の境目なしで陰惨な妄想や追憶の挿話が入り混じる。連作集『蘆屋家の崩壊』でもその神経症めいた文章の達者さには感じ入ったものだけど、本作はさらにシナリオ形式や句読点の省略、メタフィクション叙述などさまざまの趣向を自在に織り込んで、さながら実験文体の博覧会みたいな趣きもあり。それにしてもこの作家は、へたれ駄目男の一人称叙述を書かせたら抜群の腕前だ。もう並ぶ者がいないんじゃないかとさえ思う。物語よりも技巧がいくぶん先走っているような気もしなくはないけれど、同時代の国産作家による充実作をタイムリーに読めた喜びも加味して上記の評点。
■たぶん過去の有名作家(太宰治とか)を参照する論評も出るのだろうけれど、いちおう僕なりのことを書いておくと、この長編を読んでいて連想したのは、イアン・マキューアン(『最初の恋、最後の儀式』『セメント・ガーデン』『愛の続き』)、アーヴィン・ウェルシュ(『トレインスポッティング』『フィルス』)、チャック・パラニューク(『ファイト・クラブ』『サバイバー』)といった英米の作家だったりする。過剰な悪趣味描写やひねりのある一人称叙述は通じるものがあるし、筋書きがなく挿話を連ねて長編を構成していく手法も似ている。(それは特にアーヴィン・ウェルシュが近いかな。ついでにいえば、先頃邦訳の出たウェルシュの中編「スマートカント」も公園管理人が語り手。ただし中年じゃなくて若者だけど)
■さらに上で挙げた作家たちにおおむね共通しているのが、世界に自分の居場所を見出せない男性の不安や孤独を積極的に描いているところ。いわば男根主義の敗退・終焉といった構図を物語の底流にすえている、ということになると思うのだけど、そのまま『ペニス』と題されたこの小説の語り手が、男根の機能しない性的不能者として設定されているのは、そのような流れからみてもずいぶん象徴的なことに思える。

(2001.5.16)


『白の闇』 ★★★
ジョゼ・サラマーゴ/雨沢泰訳/NHK出版
Ensaio sobre a Cegueira by Jose Saramago(1995)

■作者はポルトガルの作家で、1998年にノーベル文学賞を贈られているらしい。本書は、突然視覚を失う原因不明の奇病が蔓延する仮想設定のもとで、文明を喪失して原始状況に陥る社会のさまを描いた寓話的な物語。感染を防ぐための隔離収容所で食糧をめぐる醜い争いや権力関係の生じるところなんかは、さすがに迫真の筆致で興味深かったけれど(全体主義下の強制収容所を思いださせる)、全般に宗教色が濃すぎてどうもひっかかった。そもそも黙示録的な世界設定からしてだいぶ宗教がかっているし、何といっても盲者の群れをただひとり眼の見える人物が導いていく構図は、どう考えてもイエス・キリストを連想させる。また、たとえば終盤の教会の場面では、そこで作中人物たちの受ける衝撃の意味あいがさっぱりわからない。どうしてこんなに宗教くさいのかと思ったら、作者サラマーゴはこれまでにも『修道院回想録』(1982)『イエス・キリストによる福音書』(1991)といった、いかにもな題名の書物を著しているようで、まあ無理もないところか。
■作中の人物や場所に固有名詞がまったく与えられないのは、誰がこのなかにいてもおかしくないという匿名ゆえの寓話性を高めたいのと同時に、極限状況におけるモラルの問題を扱っているからだと思う。モラルの問題を扱うときに、エゴイズムや自他の交換可能性といった論題はだいたい避けて通れないところなので。
■形式的には三人称叙述なのだけど、唐突に「われわれは」とかいって読者にむけて語りかけたり、作中人物の行動に価値判断を加えたりと、ずいぶんぶれのある文体になっている。これに何らかのひねりがつくのかと思ったらたいした展開はなかったので、ただ不用意なだけという可能性も捨てきれない。あるいは小説の叙述に関してすごく古風な哲学を持っているとか。(なぜか英語版をもとにしているらしい)訳文は流れの良くない直訳調で、あまり読みやすくなかった。

(2001.5.9)


『片想い』 ★★★
東野圭吾/文藝春秋(2001)

■題名から想起されるふつうの恋愛ものではなく、性同一性障害を軸にしたジェンダーの話題を〈宮部みゆきの『火車』〉のモチーフに絡めてみたような筋書き。それなりに組み立てられてはいるけれど、どうも題材が題材なのであまり下手なことは書けないせいなのか、結局「お勉強」小説に終始してしまった印象を受ける。物語ならではの独自の洞察みたいなものは特に見られなかった。あと東野圭吾といえば「何も考えずにすらすら読める作家」の代表格と思っているのだけど(悪い意味でなく)、この新作は作中人物の心情をやたら地の文で解説しているのが目について、ひっかかる箇所が少なくなかった。
■加えて「謎解き人間ドラマ」指向の良くないところが出てしまっている気もする。どこを読んでも「これは伏線だろ」とか疑ってしまうので(実際あからさまにそう思わせるような書かれかたをしている)、なかなか素直に受けとめるのは難しい。

(2001.5.2)


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