▼ Book Review 2001.2
『生者たちのゲーム』 パトリシア・ハイスミス 『生者たちのゲーム』 ★★★ ■冒頭に殺人事件が起こり、いちおう最終的にはその犯人が判明するという、ハイスミスにはめずらしくまともな謎解き形式の小説。終盤の謎解き的な展開はあまりたいしたことがないけれども、主人公の捜査をしなさかげんとか、ハイスミスが謎解きを書くとこうなるのね、というような変な興味深さがあった。「女ひとり・男ふたり」の関係でなぜか充足していた主人公たちの関係がやたら世間の悪意ある嘲笑を浴びせられるところなんかは、「普通/異常」の境界があいまいになる、いかにもハイスミス的な世界観という気がする。あとはメキシコが舞台になっているのも印象的。 (2001.2.26)
『病める巨犬たちの夜』 ★★★ ■話はまあおもしろいと思うのだけれど、翻訳があまり読みやすくなかった。これにかぎらずセリ・ノワール系の古めの邦訳は、わざとらしい口語調のものが多いので(岡村孝一のべらんめえ調をはじめ)個人的にはどうも苦手。『ライ麦畑でつかまえて』の有名な野崎孝訳みたいなかんじ、といえば通じやすいだろうか。とりあえず本書の訳文に関しては、所有格の代名詞をいちいち逐語訳しているのと、関係代名詞を直訳しているのは勘弁してほしいと思う。 (2001.2.25)
『人魚とビスケット』 ★★★ ■実在した(らしい)新聞紙上の奇妙な個人広告が、やがて第二次大戦中の難破漂流譚へとつながっていく、という構成の小説。解説でも指摘されていたけれどこの趣向はケメルマンの「九マイルは遠すぎる」に通じるところがある。この謎めいた導入部から、個人的には、虚実が入りまじって何が真相なのかよくわからなくなる展開とか、あるいは登場人物が全員ニックネームで呼び合っている設定からある種の仕掛けみたいなものを予期していたのだけど、この作者はそういった方面に凝る人ではなかったらしく、だいたい正統派の書法で進んでいた。終盤に多少ひねろうとしているもののさほど成功しているとは思えない。まあそれでも、たとえば「船の乗務員だった片足で異人種の男」が乗り込んでくる設定は、『宝島』や『十五少年漂流記』みたいな伝統的な冒険小説の風格を感じさせたりもして、懐かしい雰囲気の佳作だった。 (2001.2.25)
『絶海の訪問者』 ★★★★ ■舞台は孤絶した外洋と二艘のヨットだけ、描写される登場人物は五人だけ、というシンプルな限定状況スリラーなんだけど、かなり緻密に練られた筋書きで退屈しなかった。この作家は一人称の巻き込まれ型サスペンスを多く書いているらしいのだけどそれもうなずける。登場人物が何かを「知らない/見えない」ことが物語を緊迫させる、ということを巧妙に利用した作風だと思う。とりわけ序盤の(これは訳者あとがきもふれているけど)「これまでに何が起きたのか/これから何が起こるのか」のどちらもが謎になってサスペンスを生んでいく、というあたりの吸引力は抜群。(たとえばタランティーノの犯罪映画『レザボア・ドッグス』なんかにもそんな魅力があった) (2001.2.17)
『夜の記憶』 ★★★★ なぜなら、それが実際にわが身にふりかかるまでは、それを自分の目で見、その息を嗅ぐはめになるまでは、人は想像できないからである。恐怖がどんなにあっという間にふりかかり、どんなに凄惨な傷痕を残していくかを。たとえ死を免れたとしても、残された犠牲者はどこかが死んでしまうのだ。(p.20) ■この作家のいわゆる「記憶」ものは『死の記憶』『緋色の記憶』と読んでいるけれど、交錯して語られる「過去」と「現在」の挿話を切実に結びつける動機が弱いように思えることが多かった(出来は『死の記憶』のほうが良くて、世評の高い『緋色の記憶』にはあまり感心しなかったおぼえがある)。けれどもこの作品は、「主人公の過去の事件」だけでなくもうひとつ別の「過去の事件」のほうをむしろ話の主軸にすえて、ふたつの「過去」が呼応しながら「現在」の主人公の身のうえで交わる、といった構成を採ることでそのあたりの難点をかなり巧妙に克服している。もしかすると上記のような批評をなにくそと封殺する意図があったのかもしれない。謎解きの形式も、真相を見つけだすのではなく納得できる「物語」を想像するのが目的という、モース警部的な「推論のひとり歩き」を奨励するような変わった筋書きでなかなか興味深かった(その設定を充分に活かしきっているとは思わないけど)。また「過去に逃避する犯罪小説作家」を主人公にすえた三人称叙述は、作家自身が昔の作品の一節を、 ひどくもったいぶった文章だった。大げさで、メロドラマ的で、いかにもまだ青臭い作家の文章だった。(p.237) なんて自嘲する場面があったりもして、みずからの作風をあえて相対化しているふうでもある。(ちなみに、この主人公はスティーヴン・キングの『ミザリー』で監禁される流行作家を思い出させた。「ポール」というファーストネームが同じだし、シリーズキャラクターを生還させるための方策を思いつかない、という状況も似ている)■ただし主人公の相手役となる「女性脚本家」が、これといった性格づけをされていないにもかかわらず物語上の重要な役割を担わされているせいか、結果として「現在」の進展への興味がもうひとつ盛りあがらないのは否めない。この作家は「想い出のなかで美化された女性」を浮かびあがらせるのはたしかに達者なんだけど、そこから離れたときの女性描写にはあんまり関心がないのかな。あと「主人公の過去」の真相はともかくとしても、主軸の「娘の死の謎」のほうも〈ナチス人体実験〉のネタが語られた時点で落としどころの見当がつく。全体の多重的な構想はたしかにこちらのほうがよく考えられていると思うけれど、解決のあたえる衝撃では『死の記憶』のほうがだいぶ上だったかな、というのが感想でした。 ■ところで、あまり指摘されていないようなのでこれは特殊な見解なのかもしれないけれど、クックの一連の「記憶」ものの構想をおおざっぱにいえば、ジャック・ケッチャムの青春虐待小説『隣の家の少女』から残虐描写を抜いて謎解き回想形式で物語る、ということなのじゃないかと考えている。主人公がいつもあこがれの「年上の女性」を救えなかった悔悟の念にさいなまれているのは、だから偶然ではないはずだ。 (2001.2.17)
精神的に疲労する小説(wad's 読書メモ) 『心憑かれて』 ★★★★ 「わたしたちは特別に勇敢だとか力があるとかいうわけじゃないのよ。わたしもあなたもね。でもここまで来たら、戦わずに逃げだすことはできないわ」 ■『見知らぬ者の墓』(1960)『まるで天使のような』(1962)に続く、ミラー/マクドナルド夫妻のいわば黄金期の作品のひとつ(註)。これはさすがに良かった。複数の夫婦の交わりや郊外の日常生活を淡々と描写している点で、本書の筆致は作者の小説のなかでは『殺す風』(1957)に近い。ただし『殺す風』には本書の「チャーリー」のような社会に適応しきれない人物は描かれなかった。加えて『殺す風』の世界がほぼ一貫した策謀によって周到に組みあげられていた(だからパズラー的ともいえる)のとくらべると、こちらはむしろ登場人物たちが偶発的に出会うことで事件が生じてしまう、というような流れになっている。だから終盤に至るまでこの小説ではほとんど何も起こらないまま進むのだけど、それだけに終盤の緊迫感は格別。 (2001.2.11)
『処刑の方程式』 ★★★ ■やたら閉鎖的な田舎の小村で起きた少女の失踪事件を、英国作家らしい重厚な筆致で描く。長い年月を経た「過去」と「現在」とを結びつける発想には、ロバート・ゴダードあたりの作風を思い浮かべるむきもあるだろう。たしかに読ませるしまじめな力作だとは思うけれども、分厚い描写を積み重ねているわりには小説的な感興に乏しかったのも否めない。たとえば『ジグザグ・ガール』のマーティン・ベッドフォ−ドのような、洗練された語り口や印象的な人物造形といった小説的技巧が備わっていればまた違ったろうと思う。終盤で明かされる真相も想像のとおりで(というか、この舞台設定ならこれしかないだろう)、まったく意外な点はなかった。ちなみにこの真相はアガサ・クリスティのいくつかの作品(具体的には〈『ゼロ時間へ』と『オリエント急行の殺人』〉)を想起させる。そういう古典的な話を現代英国風の重層的な物語に組み入れているのが売り、ということになるでしょうか。 (2001.2.11)
『冬の少年』 ★★★ ニコラはこの物語を貪り読んだが、ほんとうに恐ろしいとは思わなかった。自分には関係のない話だった。(p.76) ■いじめられっ子的なネクラ少年の陰気な心理を活写した傑作、なのかと思いきや案外まじめで良心的な話だった。いささか拍子抜けしたもののたしかによく書けているとは思う。主人公の少年ニコラが日常のささいなことから陰惨な空想をふくらませて、その夢想と現実とがほとんど等価のようにさりげなく放置されている筆致が独特でおもしろかった。それでいて、誰にでもこういう面はあるんじゃないだろうかと思わせるような普遍性もある。ただ全体的に作者の意図しているほどの深刻さは(不意に挿入される「未来の場面」なんかにそれは反映されているようだ)結局感じとれず、その点でこの小説は果たして成功しているんだろうかという疑問も残らないではなかった。 (2001.2.11)
『サバイバー』 ★★★★ 自殺と殉教を区別するたったひとつの要素は、マスコミの注目度だ。(中略)睡眠薬の過量摂取でバスルームの床に転がって独り淋しく息絶えたと仮定したら、キリストはいまごろ天国にいただろうか。(p.155) ■『ファイト・クラブ』の作者の第二作。集団自殺したカルト教団の生き残りとして有名人になった男が、ハイジャックした旅客機のボイスレコーダーから語る。またこれもずいぶん変な形式の叙述で、さらにページ数がp.324からはじまって逆にカウントダウンされていく、というある意味革新的な造本になっている。『ファイト・クラブ』もたしかクライマックスの場面をいきなり冒頭に提示していたはずだから、だいたい似たような構成。そして文体はあいかわらず睡眠不足みたいに病んでいる。まるで強迫神経症のように語られる「繰り返し」の波や、無意味なディテイルの洪水が印象的。 (2001.2.4)
『クリムゾン・リバー』 ★★
■フランス産だけどハリウッド風といってもよさそうなジャンルミックス娯楽物。風変わりな田舎町で起きる連続猟奇殺人という横溝正史的な筋書きのもと、正義漢ではない刑事たち(少しだけエルロイ風)、科学捜査の薀蓄、パズラー風の意匠に狂気の陰謀など、いろいろと盛りだくさん。ただしどの要素もどこかから薄く借用してきただけみたいでたいした出来じゃないし、プロットがいかにも大味でそれぞれの断片を結びつけるような物語に欠ける。だいたい主人公のいかにも頭の悪そうな捜査は少しも「伝説の名捜査官」になんて見えない(「ニエマンス警視正、あなたはまったくすごい警察官だ」(p.460)との台詞には吹き出してしまった)。それに女といえば「美女」しか出てこないような娯楽小説はさいきん苦手なのだ。 (2001.2.4)
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