▼ Notes 2001.2

2/24 【銃・病原菌・鉄】
■ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』(倉骨彰訳/草思社上下)を読む。人類の歴史の流れを生態学的な見地から読み解いていく試みで、なかなか刺激的だった。個々の論点がそれほど斬新なわけではないけれど、その断片をつなぎあわせて大きなストーリーを構築していくのに重点を置いている。そういう意味では、上巻の後半あたりがいちばん流れがまとまっていておもしろく読めたかな。題名にも挙げられている「病原菌」の歴史的役割に関する指摘は、これまであまりきちんと考えていなかったので教えられるところが多かった。
■本書の難点については、wad's読書メモで指摘されているところにだいたい同感。世界史での勝敗を地理的・生物学的な環境に還元して検討してみるのは、裏を返せば遺伝的・思想的な優劣といった説明を排除することにもなるわけだけど、そういった方面の啓蒙にかなり文字数を割いているわりに想定レベルがえらく低いため、結果的にやや隙の多い書物になっているような印象を与える。
■ちなみに日本に関する記述としては、以下の二点がわりと印象的だった。

  • 日本の縄文時代は土器の実用化された時期の早さ、農耕をしない定住社会の完成度という点で、世界史的にも特筆すべきものらしい。
  • 江戸時代の銃器技術の衰退が「優れた技術が政治的な事情で廃れる」ことの歴史的な実例のひとつとして引き合いに出されている。


    2/23 【ナイト・シャマラン】
    ■各地をざっと眺めてみたところでは、M・ナイト・シャマランの新作映画『アンブレイカブル』の評判はだいぶ賛否両論、というか一般的には否定的な感想のほうが多いみたいだ。まあ、『シックス・センス』より間口の狭い話なのはまちがいないんである程度予想はしていたけれど、基本的な物語構造はだいたい似たようなものなのにこれだけ反応が違うものかねえ。要するに『シックス・センス』みたいな「感動」系のお話を期待していた人が多かったんだろうけど。この二作を観たかぎりでは、もともとこの人は漫画的な話を徹底して地味に撮るタイプの映画作家のように思える。『シックス・センス』『アンブレイカブル』と、いかにも「特殊な能力」を題名に冠しながら、結局その「能力」の話にはならずそこにかかわる人物たちに焦点が当てられる作風は、「陰気でけれん味のあるスティーヴン・キング」というと結構近いかもしれない。(「気弱そうな少年」を使うのが好きなのもちょっと似ている)
    ■ミステリ読みとして興味深いのは、このシャマランの脚本が徹底して「どんでん返し」にこだわって構成されていることだ。しかもただ意外性を狙うのが好きというのではなく、その結末がこれまでに語られた物語を別の角度から照らしだす、という「物語の読みかえ」を明確に意識したものになっている。ちなみにそのあたりはシャマラン自身も「お手本は『猿の惑星』と『サイコ』」【Cinema Clip】)と語っていて、どんでん返し手法へのこだわりを感じさせる(どちらも有名だけどミステリ的な驚きのある映画で、特に『猿の惑星』は「最後の一撃」ものの傑作だと思う)。ついでにいえば、シャマランの仕掛けるどんでん返しのおもしろさは、物語世界がそもそも誰の視野からなりたっていたものだったか、を反転させるところにあると思う。それは作中の主人公の立場とともに、映画を見つめる観客の「視野」を巻き込んで揺るがしかねないもので、だからきわめて映画的な手法ともいえるのではないか。
    ■こうなったら第一作の『翼のない天使』(Wide Awake/1998)もぜひ観てみたいな。


    2/18 【The Coen Brothers】
    ■ロナルド・バーガン『すべてはブラッドシンプルから始まった』(浅尾忠則訳/アーティストハウス)を読む。映画作家コーエン兄弟の評伝・作品論で、内容的には資料/評論のどちらを目指したいのか中途半端だったり、文章がはしゃぎすぎの箇所もあったりと問題も見られたけれど、さすがに興味深い情報も少なくなかった。以下にいくつかを抜粋。

    ■撮影現場のジョエル&イーサンはほとんど一心同体で、役者はどちらに相談を持ちかけても問題ないらしい(答えはどうせ同じだから)。これはもちろん思想が近いというのもあるだろうけど、たぶん構想の段階で細かな点まで詰めてあるんだろうと思う。じっさい完璧主義のコーエン兄弟は役者にあまり自由な演技を許さないので、相性の合わなかった役者もいるようだ。『赤ちゃん泥棒』のニコラス・ケイジと『ミラーズ・クロッシング』のガブリエル・バーンはその代表格らしい(どちらも映画のなかではいい演技をしているけどね)。ただそんな兄弟の方針も『ビッグ・リボウスキ』あたりではだいぶゆるやかになっているみたいだけど。

    ■『ブラッドシンプル』がジェイムズ・M・ケインの『郵便配達夫はいつも二度ベルを鳴らす』、『ミラーズ・クロッシング』がダシール・ハメットの『赤い収穫』『ガラスの鍵』を下敷きにした変奏曲だというのは、比較的スタンダードな見方のようだ(あまり意識していなかったけど『ブラッドシンプル』の「酒場の経営者」は『郵便配達夫〜』と同じくギリシャ人という設定になっていた)。もちろんどちらも単なる模倣には終わっていない。とりあえずこの二本はクライム・ノヴェル好きなら観て損はないと思う。ちなみに"Blood Simple"という聞き慣れない言葉は、ハメットの『赤い収穫』の一節からとられているらしい。「殺意で頭に血がのぼり、周りが見えなくなっている状態」を言うのだそうだ。イーサン・コーエンはそういった犯罪小説などに関して、次のように語っている。

    「ぼくらの映画について書く連中は比較をするとき、必ず別の映画を引き合いに出すんだ。こういった文学作品が見過ごされているのは、今の時代の視野の狭さが原因になっていることも多いんだよね」(p.67)

    ■『ファーゴ』は兄弟の映画のなかではいちばん元ネタを指摘しにくい作品だけど、強いていえばフランソワ・トリュフォー監督の『ピアニストを撃て』に似ていなくもないらしい。その原作を書いているのは、米国の犯罪小説作家デイヴィッド・グーディス。

    ■『ブラッドシンプル』のヒロイン役は当初ホリー・ハンターが候補になっていたらしい。別の用事があったホリー・ハンターはルームメイトのフランシス・マクドーマンドを紹介して、その縁でマクドーマンドはジョエル・コーエンと結婚することになる。ホリー・ハンターは次の『赤ちゃん泥棒』で抜擢。まあ結果的にそれで良かったような気もする。


    2/17 【アンブレイカブル】
    ■M・ナイト・シャマラン監督『アンブレイカブル』(Unbreakable/2000)。アメリカン・コミックスのパロディ仕立てらしいとは耳にしていたものの、さらに思いきり〈バカミス〉にもなっているとは驚いてしまった。いやあ、これは凄い。アピールする層は前作『シックス・センス』よりも確実に狭まっているだろうけど、当該ジャンルの愛好者は必見。史上最高額の脚本料だとかでこんなぶっとんだ話を書いてしまうとは、やっぱりインド人の能天気さはおそるべしである(偏見)。『マトリックス』あたりへの返歌ともとれるだろう。
    ■ただこの人、たしかに大ネタの不敵さはあなどれないんだけど、細かいところがどうもおおざっぱなのは否めない。演出はこけおどしの効果音にだいぶ頼っていたようだし、「暗い映像」を使いすぎているのもあまり快くなかった。あと、主人公の能力が「怪我をしない」のと「悪事を幻視する」ことのふたつに分裂してしまって整然としないせいか、ヒーローとして覚醒するあたりの筋書きに切れ味が足りないように思える(その点『シックス・センス』のほうがシンプルでしたね)。(★★★★★)
    ■しかしシャマランって「俳優ブルース・ウィリス」で遊びたい放題だよな。『シックス・センス』はそもそも〈「ブルース・ウィリス主演」が一種のミスディレクション〉になっていたし、ついでに〈ブルース・ウィリス → デミ・ムーア → 『ゴースト』〉の連想もきっと意識していたはずだと思う。今回の『アンブレイカブル』も、どうみても『ダイ・ハード』の無敵のヒーロー像を重ねたパロディを狙っているのだろうし、子供に「ブルース・リーとどっちが強いの?」なんて尋ねられる場面まである。まあ売れてるからかまわないのかもしれないけど、ブルース・ウィリスの内心はいかがなものなんでしょ。


    2/14 【回路】
    ■黒沢清監督の新作『回路』(2001)。要するに『リング』のパソコン版なのかと思っていたら、いつのまにか人類補完計画+バトル・ロワイアルみたいな世紀末的大風呂敷になだれこんでいた、というような話。観ているあいだはそれなりに愉しめたけれど、さすがに設定の紹介が不充分にすぎるだろうし、映画の後半は緊張感を維持できていないと思う(特に「ガソリン缶」のくだりはいくらなんでもなあ)。あと登場人物たちのあまりに不自然な台詞まわしは、はなから人と人とのコミュニケーションなんてまともに描くつもりはないぜって意思表示なんだろうか。
    ■でも麻生久美子をこれだけ良く使ってくれるのは単純に嬉しいな。(★★★)


    2/11 【夜の大捜査線】
    ■ノーマン・ジュイソン監督『夜の大捜査線』(In the Heat of Night/1967)。もちろんこれはジョン・ポールの小説『夜の熱気の中で』の映画化(でも未読)。ミステリ的な筋書きにはほとんど何の工夫もなかったけれど(だいたい犯人が登場した時点から怪しすぎるので丸わかりだ)、シドニー・ポワティエとロッド・スタイガーはさすがの存在感を出しているし、南部の田舎町の描写がなかなか雰囲気を伝えているので、それなりに退屈せず観られた。
    ■黒人刑事が人種的な偏見や悪意にさらされながらも捜査を敢行する、という構図で巧みに隠蔽されているけれども、これは北部から来た明晰な進歩的エリートが保守的な南部の田舎町を啓蒙していく、という話の変奏曲になっているのではないかと思う。そして主人公の辣腕刑事ヴァージル・ティップスがそうした「北部の代表」みたいな優等生の役割から逸脱するいくつかの瞬間にこそ、真に興味深い人物造形が垣間見えているのではないかという気がした。(★★★)
    ■ところでノーマン・ジュイソンが黒人ボクサーの有名な冤罪事件を描いた『ザ・ハリケーン』の監督をしているのは、やっぱりこの『夜の大捜査線』の監督だからというのもあるんだろう(ロッド・スタイガーも最後に判事役で出演している)。ちなみに『ザ・ハリケーン』に関しては wad 氏の批評が興味深かった。どうもあの映画で事実関係が不自然に思えた部分はほとんど創作だったらしい(積年の係争事件が新参の素人のはたらきで覆される、とか)。このあたりに全然説得力を持たせられていないため後半は著しく映画の質が落ちてしまっているとの指摘には同感。それは要するに、前半で「忘れかけられた本から運命的に新たな絆が生まれる」という筋書きをかなり熱心に描写したものの(たしかに魅力的な挿話ではあるのだけど)、結局その物語を本筋の冤罪裁判のほうに結びつける段階まで処理しきれなかったということなのかな。


    2/10 【はなればなれに】
    ■ジャン=リュック・ゴダール監督『はなればなれに』(Bande A Part/1964)を観てきました。ゴダールのなかでも評価の高い作品ながら、上映権の関係で日本では長らくお蔵入りになっていた「幻の名作」らしい。いま観るとそんなに騒ぐほどでもないかなと思うけれど、ラブコメ調の洒落たスリラーというかんじでさすがにそこそこ愉しめた。「ビリー・ザ・キッドごっこ」「一分間の沈黙」「カフェでの三人ダンス」「ルーブル早見新記録」などみずみずしい遊び心を感じさせる小粋な場面に満ちていて、当時は抜群にお洒落だったんだろうなと思う。ゴダール自身もうさんくさいナレーションでしつこく登場。そんな悪ふざけの延長で「なんとなく」フィルム・ノワール的な犯罪に足をつっこんであと戻りできなくなる、といったあたりの空虚な雰囲気はたしかに良かった。ただし犯罪の筋書きのほうは他愛なくて誰でも先を読めそうだったけれども(まあ、それはどうでもいいやということなんだろう)。ちなみに原作はいちおう例の「セリ・ノワール」叢書の一篇みたい。(★★★)