▼ Book Review 2001.1
『箱ちがい』 スティーヴンスン&オズボーン 『箱ちがい』 ★★★
■『宝島』『ジキル博士とハイド氏』の文豪スティーヴンスンとその義理の息子(『宝島』の宛先人)による共作。勘違いといたずらのために誤配されつづける死体をめぐって、お間抜けな関係者たちがロンドンの町をうろうろするさまをコミカルな筆致で描く。作者たちの態度も終始悪ふざけ調なら、人物たちの行動もどうみても悪ふざけの連続(無駄な変装にやたら手間をかけたりとか)。ユーモア物としては高踏的なシニカルさというよりはただ単にあほなだけという路線で、まるで酔っぱらいのようなその徹底ぶりはほとんど「モンティ・パイソン」なんかの世界に近い。これで人物配置が見事に効いてきたり伏線が決まったりするとすごい傑作になったのかもしれないけれど、そこまで巧妙なたくらみはなかった。でもまあ英国らしい愉快でチャーミングな佳作。翻訳もなかなか快調で良かった。 (2000.1.29)
『X雨』 ★★★★
■結構おもしろく読めた。いびつなメタフィクション趣向で、思いつくものではたとえば英国の作家ガイ・バートの『体験のあと』(矢野浩三郎訳/集英社)という小説にいくつか類似点を見出せる。そして『体験のあと』がワンアイディア気味でごくシンプルな構造だったのとくらべると、こちらは語り手や叙述レベルを最初から多重化しているのが巧妙。あらかじめそのことを明示したうえで話を進める戦略で、読者を行間読み推理合戦へとなかば巻き込みながら、「しょぼい小説」を読まされる苦痛をそこそこうまくごまかしている。この手のものではなかなか工夫されているといってよさそう。読んでいて不審を感じた点や推測をつけていた点のもやもやがあとでだいたい晴らされるような構成になっているので、ミステリ的な興趣があるといえなくもないだろうか。 (2000.1.27)
『順列都市』 ★★★
■ええと、要するについていけませんでした。さすがにこれは暴走しすぎじゃないかな。だいたい「塵理論」って何よ? (2000.1.27)
『鳥』 ★★★★★
■『レベッカ』で有名な英国作家の短編集。収録作は「恋人」「鳥」「写真家」「モンテ・ヴェリタ」「林檎の木」「番」「裂けた時間」「動機」。初紹介作はないものの一冊での完訳は初めてになるらしい。筋書きはたいがい先が読めてしまうのだけれど、どっぷりと作品世界にひたって愉しむことができた。これが筆力ということなんだろう。とりわけ、ヒッチコック映画で知られる「鳥」の冷酷で凄惨な襲撃場面、「写真家」での異様な情事(フランス映画みたいな雰囲気)、「モンテ・ヴェリタ」の月光に照らされた異界の寺院、「林檎の木」の不吉な林檎の木の姿など、それぞれ独創的な映像が脳裏に刻み込まれる。 「あの連中がどうかしたの?」ぼくは訊ねた。「空軍に何かされたのかい?」 ■「裂けた時間」で、主人公の婦人はみずからの人生をふりかえって穏やかに述懐する。 「すべては過ぎていく」ミセス・エリスは考える。「歓びも哀しみも、幸せも苦しみも。きっとわたしの友人たちは、こんな生活は退屈だ、変化がなさすぎると言うだろう。でもわたしは、この暮らしに感謝しているし、満足している」(p.393) (2000.1.21)
『愛の続き』 ★★★★ この文章でぼくが気に入ったのは、ストーリーを語ることが持っている力と魅惑とによって判断が曇らされているという点だ。いかに楽しいものであろうとも、科学の基準からすればこのストーリーは全くのナンセンスだ。理論は証明されず、用語は定義されず、全く意味のない一片の物語、嗤うべき擬人化の一例にすぎない。(p.54)
■次作『アムステルダム』よりもこちらのほうがブッカー賞にふさわしかった、との批評も出たらしいだけあってさすがに堪能できた。科学ライターとしてそれなりに成功していたインテリ男性の主人公(語り手)が、ひょんなことから年下のサイコ青年につきまとわれて平和な暮らしを脅かされていく。どことなくパトリシア・ハイスミスを思わせるような筋書き。主人公が徐々に平静な心を失っていき、美しい同居人(キーツが専門の文学研究者)との仲もこじれていく……といったあたりの、日常の静かな崩壊を描く繊細な筆致がとても良かった。主人公がまだ理性を保っているのかそれともやっぱりおかしくなりかけているのか、読んでいてもなかなか見極めきれないという高等技術。その主人公側の緊密な描写にくらべると、電波系ストーカー男の扱いのほうは結局サイコ的な「ネタ」の段階にとどまったような気もしないではないのがやや惜しまれるところだろうか。 けれども人間はそんな論理を持ちえない。この午後がそうした幸福のうちにクライマックスを迎えることができなかったのは、直接・間接の理由がある。ストーリーを語るという要約作業、特に映画のストーリーはぼくらをハッピーエンドで欺き、緊張の持続が感情を蝕むことを忘れさせる。恐怖から解放された瞬間に歓喜があふれたりすることは滅多にないのだ。(p.270) ■あと、この作家が母国語圏で評価されているのはその文章の端正さにあずかるところも大きいみたいだ。そのあたりはなかなか翻訳では判断しづらい要素なのでちょっと残念といえば残念。(2000.1.20)
『レディに捧げる殺人物語』 ★★★★ 彼女はもうずっと前から、田舎者のあいだではやっている知的批評なるものの芸術問題に関する厚かましい独断的主張なんかでは頭を悩まさなくなっていた。彼らはたまたま、ある本か絵か音楽が自分の気に入らないと、その本や絵や音楽は悪いに決まっていると思いこんでしまう。そして、それをいいものと考える人びとは、問題なくまちがっていることになる。ひょっとすると自分の知能では理解できない本なのかもしれないというような考えは、どんな女流批評家の頭にも浮かんだためしはなかった(もちろん、男たちのほうは推理小説しか読んでいなかった)。(p.69) ■フランシス・アイルズ名義の第二長編。別題『犯行以前』(Before the Fact)のほうが通りはいいのかな。まず冒頭の、 世の中には殺人者を生む女もあれば、殺人者とベッドをともにする女もある。そしてまた、殺人者と結婚する女もある。リナ・アスガースは、八年近くも夫と暮らしてから、やっと自分が殺人者と結婚したことをさとった。(p.8) という書き出しからして、「妻殺しをたくらむ夫」の視点から描かれた前作『殺意』(Malice Aforethought/1931)の裏返しをあらかじめ宣言しているようで、これは明らかに確信犯の実験作。全編にわたってほとんど嫌味のようないかにも裏のある文章が連ねられ、人物描写も例によって底意地の悪さを感じさせる。■どうやら作者は、およそ深みのない人物たちの織りなす凡庸そうな筋書きをいかに興味深く書けるか、というひねくれた境地にあえて挑んでいるようなふしがあって、そのために本作で試みているのが「客観的な裏付けを行わない」という書法ではないかと思う。この小説はいちおう三人称の叙述形式で語られているのだけど、肝心なところは誰かの主観的心理で語られるだけだったり、あるいは直接描写されないまま終わることが多い。たとえば主人公リナの容貌が結局どんな程度のものなのか、読者は客観的な言葉で知ることができない。また遊び人の夫ジョニーの数々の不品行はあまりにもあからさまなので、誰でも妻のリナよりはるか先に推測できるだろうけれど、これもなかなか明るみには出ない(むしろ、いつどのようにばれるんだろうかという興味で話が進む)。そこで読者は、手がかりから何らかの推理なり想像なりをはたらかせなければならないことになる。 ■結末に関してもその延長にあるようで、個人的な感想をいえば、これはいわゆるリドル・ストーリーと受け取ってかまわないのではないかと思う。〈リナが毒を飲んだ〉ことを明確に裏づける描写は結局なされていないようだし、〈謎の毒物〉とやらの存在もいちども確認されていない。そのように考えたほうが物語の流れとも合致するような気がする。なぜならこの小説の題名は、"Before the Fact"――「事実」の語られるまえの物語なのだから。 ■手厚く描写されている不均衡な夫婦の関係や、主人公の社会的な位置などについては、若島正の批評(風俗小説家としてのバークリー)で詳しく解説されている。ちなみにこれらの点に関してあえていえば、興味を惹かれないわけではないけど、同時代の風潮を念頭に置いたような皮肉が多いみたいなので、時代を隔てて読むといまひとつ実感が湧きにくいかな、という感想も否めなかった。 (2000.1.14)
『騙し絵の檻』 ★★
■解説の法月綸太郎は相当ほめちぎっているけれど、地味なパズラーで特に騒ぐほどではないという感想しか持てなかった。いわれなき罪で投獄されてようやく仮釈放、復讐を誓う「当事者」を探偵役に据えているのは、パトリック・クェンティンあたりの作風に近いかな。作者はややハードボイルドがかった筆致で話を進めようとしているけれど、いささか無理をしているかんじ。エリザベス・フェラーズのとぼけた会話で味を出している中村有希さんの翻訳も少し苦しげな印象だった。だいたい英国らしいユーモアがないし人物描写も薄いんで、読み手の興味をつなぐような魅力が生まれてこない。そのためのロマンスなんだろうけど、「無実を信じてけなげに手を尽くしてくれる善良で有能な元記者の女」なんて、心の汚れてしまった僕には不審すぎて何か裏がありそうにしか思えなかったよ。 (2000.1.13)
『ネヴァダの犬たち』 ★★★★
■『愛はいかがわしく』の作者の第一作。主人公が賭事の借金で追いたてられる発端は「ほかに思いつかんのか」と思わないでもないけれど、砂漠に囲まれた場末の田舎町、行く手をさえぎる曲者の住人たち、淫蕩な妻と金持ちで策謀家の夫、炎暑のもと徐々に高まる乾いた暴力衝動……と、これはもうケイン/トンプスン系の典型的なパルプ・ノワールの世界。といっても古くさいかんじはせず、それぞれキャラの立った脇役たちに、軽妙な会話、それにポップな翻訳も手伝って、現代風の味わいで読める。このあたりはタランティーノ登場以降の潮流ということもあるのか。おそらく『郵便配達夫はいつも二度ベルを鳴らす』『残酷な夜』『ポップ1280』あたりは作者も意識しているはず。次作の『愛はいかがわしく』では(たぶん主人公の職業なんかから)ジム・トンプスンの『グリフターズ』を引き合いに出した批評が出ていたけれど、それもむべなるかなと思わせる(ところで『愛はいかがわしく』に顔を出すラスヴェガスの東洋系娼婦はこちらにも出演していた)。ちなみに、ダン・ゴードンの『死んだふり』はいくつかの点で本作を参考にしていたのではないかと思われる。 (2000.1.13)
『殺戮の天使』 ★★★★ 「その時の気分は、まるで本当に啓示を受けたみたいだった」と彼女は男爵に言った。「殺してかまわないんだ。大馬鹿どもは殺してもかまわないんだと分かったんだよ」(p.120)
■主人公は謎めいた女暗殺者。その非情なヒロインが田舎町に潜入して金持ちたちの愚かな争いに乗じようとする筋書きは、ダシール・ハメットの『赤い収穫』やジム・トンプスンの『残酷な夜』を思わせなくもないけれど、『残酷な夜』がそうだったように、終盤の暴走はほとんど破壊的で、どことなくシュールな絵画を暴力的に描いているような印象さえ与える。ちなみに「ブルジョワ」たちを成敗する構図にはたしかに左翼思想めいた哲学をかぎとれなくもないけれど、主人公が政治にまったく興味を示さないせいもあり、それは物語の遠景くらいにとどまっている。 (2000.1.8)
『愛はいかがわしく』 ★★★★ ■主人公がもと脚本家志望ということもあって、有名映画を下敷きにしたようなネタもいくつか効いている。『リービング・ラスベガス』(原作は読んでないけど)や『マイ・フェア・レディ』とか。ちなみに前者を引いているのは単にアル中破滅ネタの引用というだけでなく、本書の結末が一種のハッピーエンドといえなくもないことを留保しているんではないかと思った。 ■『死んだふり』のダン・ゴードンなんかもそうだけど、映画業界で活躍しながらこういうポップな犯罪小説にも手を染める、といった立場の人は今後も増えてきそうな気がする。 (2000.1.7)
『白の海へ』 ★★★ ■無感動で淡々としながらも強靱な主人公の語りが独特で、ある種のハードボイルド小説のような味わいを感じさせる。とりわけ印象的だったのは、彼にとっては全身を流れる「血」の熱さこそが「生命」そのものらしい、ということ。食糧や水を得て体力が回復したりするたびに、新しく血を入れ換えたような気分だ、といったような言葉で表現される。凍えそうな北国の山中で、獣たちの貴重な「血の熱さ」を捕獲する暮らしをしていると、そんなふうに実感するものなんだろうなと思わせる説得力がある。 ■コーエン兄弟監督+ブラッド・ピット主演で映画化が決まっているらしい。でも「黒髪で背の低いエスキモー」って、どう考えてもブラッド・ピットと合致する点がひとつもないんだけど……。 (2000.1.4)
『悪党パーカー/人狩り』 ★★★ 「すると、本当はあんたは放浪者で、経歴とか、住所、職業を申したてられない、というんだな?」 ■この小説でかなり強調されているのは、主人公の職業犯罪者パーカーが経歴や出自、そして本名もまったく明かされない「透明」な超人的タフガイであること。「パーカー」というのも仮の名前。整形手術も少なからずしているようだから決まった「顔」さえも持たない。そりゃ捕まらないよなと思う。そして、この小説の筋書きは結果的に、みずからの過去を少しでも知る人物をパーカーが容赦なく抹殺していく構図にもなっている。 ■小鷹信光の訳文がそういう調子のせいもあるかもしれないけれど、作者の筆致や登場人物の思考・行動がやたらマッチョ的なので、いま読むにはちょっときつかった。たとえばパーカー初登場のさいの紹介文はこんなかんじになっている; オフィス・ガールたちは、彼を見てゾクゾクッとした。彼が非情な男で、その手は人を殴るためにそなわり、その眼は女を見てもけっして微笑まないことを見抜いているのだ。彼がどんな男か、彼女たちにはよくわかっていたし、平凡な亭主をもらったことに感謝もしながら、やはりからだじゅうがゾクゾクしてくる。夜になると、どんなに勢いよくこの男が女のからだの上にのしかかってくるかも、よく知っていたからだ。巨木が倒れかかってくるような重みが、感じられさえするのだ。(p.8) ううむ、やっぱりこれを読んで「かっこいい」とか「セクシー」とか感じるべきなんだろうかね。ちなみに僕は船戸与一の『山猫の夏』や『猛き箱船』なんかも似たようなくさみを感じて、素直には愉しめなかった。『ポップ1280』のジム・トンプスンがいまでも新鮮に読めるのは、この種のマッチョ臭をまるきり超越した地点で書かれているところもひとつ大きいんではなかろうか。(2000.1.1)
『穢れしものに祝福を』 ★
■『スコッチに涙を託して』、『闇よ、我が手を取りたまえ』でハードボイルド系の新鋭として期待を集めたデニス・レヘインだけど、この続編はぜんぜん駄目。「いんちきセミナーから秘密のフロッピーを盗み出す」「いきなり銀行口座を押さえられている」など、どこをとってもできそこないのハリウッド映画なみの安易さで、出てくる人物も「男なら誰も抵抗できない絶世の美女」「世界市場を牛耳る悪辣な大富豪」をはじめ(悪い意味で)漫画的としかいいようがない。主人公たちの行動も知性なくむやみに事を荒立てているだけ。前二作で見せたような、「社会」にも「個人」にも動機を還元しきれない、善悪の境界の混沌とした世界観は跡形もなくなっていた。軽薄な会話もいちいち鼻につく。どうにも弁護しようのない出来で、落ちるにしてもここまで急激とはさすがに思わなかった。慢心したのだろうか。 (2000.1.1)
『祈りの海』 ★★★★ 大学の専攻は財政金融学だったが、哲学科の講義もひとつ受講した。けれども哲学科というところは、エンドーリ装置、一般にいう〈宝石〉のことにはぴたりと口を閉ざしていた。(中略)/ぼくは哲学に見切りをつけて、一般向けの光学結晶体工学の講座に登録した。(p.77)
■選集は日本独自らしい。なかなか粒揃いの好短編集だった。収録作は「貸金庫」「キューティ」「ぼくになることを」「繭」「百光年ダイアリー」「誘拐」「放浪者の惑星」「ミトコンドリア・イヴ」「無限の暗殺者」「イェユーカ」「祈りの海」。読みやすいし初めての人に薦めるのには適していると思う(おもにそういう趣旨で編まれているのかな)。印象に残っているのは「貸金庫」(これを冒頭に持ってきているのはとてもよくわかる)「ぼくになることを」「誘拐」「無限の暗殺者」あたり。たぶん「無限の暗殺者」は時系列的にみて『宇宙消失』の原型なんだろう。 (2001.1.1)
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