▼ Book Review 2000.4

『クワイヤボーイズ』 ジョゼフ・ウォンボー
『血まみれの月』 ジェイムズ・エルロイ
『マールスドルフ城1945』 多島斗志之
『セメント・ガーデン』 イアン・マキューアン

※(ごく主観的な)評価は★5段階。

『クワイヤボーイズ』   ★★★★
ジョゼフ・ウォンボー(工藤政司訳/ハヤカワ文庫NV)
The Choirboys/Joseph Wambaugh(1975)

「おれは蛆虫を退治しているようなわれわれの仕事に何の幻想も抱いていない。一歩離れて、全体を眺めわたしてみれば、自分だって蛆虫かもしれんからな」(p.253)

■LAの警官物語で一世を風靡した(らしい)作者の代表作で、これも当然警官もの。といっても主役は私服刑事でなく制服組の「巡査」たちで、だから事件らしい事件が物語を貫いているわけでは全然なく、現場の警官たちの人物模様とか生活ぶりを断片的に活写する挿話の積み重ねで話は進む。登場する警官たちが「聖歌練習」と称して夜中の公園で憂さ晴らしのどんちゃん騒ぎをする仲間であることから、「聖歌隊員(choirboys)」と呼ばれるのが題名の由来。
■そのあたりからも多少察しがつくようにかなり皮肉な色合いの小説で、登場する警官はどれもろくなやつではない。現場の警官も幹部も、人種差別発言や下品なジョークを連発し、しじゅう女の尻をおいかけまわし……と、物語の筆致は悪のりしまくった冗談のようだ(で、この書法はジェイムズ・エルロイ等にもかなり影響を与えているのではないか、と思う)。そのなかでわりとまともそうに見える警察官はまた、ひそかに麻薬をやっていたりヴェトナムの後遺症をひきずっていたりするし、最終的にはそちらの警察官のほうが、むしろ救われない結末を迎えてしまう。これは警察機構、そして社会全体への皮肉をある程度意図したものだろう(でも単純に「社会告発」みたいに分類してしまうのは少々ためらわれるけど)。とくに「聖歌隊員」たちが風紀課へと出向させられる章は象徴的。売春の取締まりに実質的な意味なんてなく、ただ市民のためのPRでやっているにすぎない。だからむきになって怪我したりだけはするなよ、と担当の巡査部長は諭すのだ。
■しかし、断片的に興味深い箇所はいろいろとあるのだけど、実をいうと全体を読み通すのはちょっと苦しかった。ストーリーはないといえばほとんどないだけに、翻訳がハイテンションなブラック・ユーモアや言葉遊びの面白味を伝えきれていないように思えるのは、どうにも痛いところ(まあ、難しいとは思うけれど)。東江一紀みたいな翻訳家が訳していれば、また違うのだろうか?

(2000.4.29)


『血まみれの月』 ★★★

ジェイムズ・エルロイ(小林宏明訳/扶桑社ミステリー)
Blood on the Moon/James Elroy(1984)

「だから、やさしいものや優雅なものになんの敬意も払わない連中に出逢うと、やつらを攻撃せずにはいられん。……俺がいま警官であるのもそのためさ」(p.35)

■刑事ロイド・ホプキンズ連作のひとつめをいまさら初読。エルロイといえばすでに「LA4(3?)部作」の達成を目にしているだけに、どうしてもそこから逆算する読みかたになりがちなのは仕方のないところか。プロット的には終盤をまとめきれていない気もして(人物が偶然にかちあいすぎるのも気になる)、のちの作品ほどの豪快な構成力はまだ備わっていないように思えた。
■主人公ロイド・ホプキンズの人物像は、暴動のなかで〈黒人を虐殺する同僚を、決然として撃ち殺す〉冒頭の挿話に象徴されている。純粋に正義を希求しながらも、しかしそれを貫徹するがゆえに世間から逸脱してしまう。その半ば妄執のような情熱が、敵であるはずのサイコキラー「詩人」の歪んだロマンティシズムと接近していってしまうのは、ある意味で皮肉な展開だ。作中人物が「詩人」の境遇を評して「まちがった時代にまちがった場所にいただけのことだ」(p.334)という台詞は、そのままホプキンズにも当てはまりそう。サイコキラーと捜査官が感応する物語といえば、トマス・ハリスの有名な『レッド・ドラゴン』(1981)のほうが先だけれど、このホプキンズの切迫感(と、たぶん純粋さ)が本書に独自の輝きを与えている。
■冒頭に掲げられているケネス・ミラー(=ロス・マクドナルド)への献辞には、敬意と同時にいわゆる「傍観者型」私立探偵小説への訣別を読みとることもできるだろう。作家エルロイのなかでこのころは、私立探偵小説を脱却してLA連作へと至る橋渡し(あるいは試行錯誤)の時期にあたるのかなと思う。
(2000.4.23)


『マールスドルフ城1945』 ★★★

多島斗志之(中公文庫/1993)

「気にするな。総統がときどき変なことを口走るのは、いまに始まったことじゃない」(p.47)

■総統アドルフ・ヒトラーみずからより、謎めいた指令「神話獣」の遂行を仰せつかった親衛隊(SS)の大尉フランツ・シュミットと、連合軍の迫りくるベルリンから疎開することになった日本人の少年・小林昇。ふたりの運命が交錯していくなか、歴史の皮膜の裏側が徐々に明かされていく……という、第三帝国好きにはたまらない(にちがいない)物語。結構ひっぱったすえに明かされる「ヒトラー指令の真意」がたいしたことない(僕的には)ため少々不満もないではないけれど、文筆が達者なので読ませることは読ませる。
■ちなみにこれは『神話獣』(文芸春秋)の改題+文庫化。元の題名のほうが物語の最初と最後にきちんとつながるし良かったと思うのだけれども、まあ別の面を強調したかったということなのかな。
(2000.4.11)


『セメント・ガーデン』  ★★★★

イアン・マキューアン(宮脇孝雄訳/早川書房)
The Cement Garden/Ian McEwan(1978)

「ずっと眠っているみたいなんだ。知らないうちに、何週間もたったような気がする」(p.176)

■英国の作家イアン・マキューアンの第一長編。相当にひねくれた話なのかと思いきや、意外とまっとうな物語だった。
■子供のころ、旅行かなにかで親が家を留守にしたときの解放感。なにをしてもかまわない。でもそんなひとときの自由が、いつまでも終わらなかったらどうなるのだろうか。この小説はそんな、親のいなくなった家に訪れた「解放のあと」のまったりとした奇妙な日々のゆくえを追ってみせる。時間の経過がいつも実感されず、いささか過激な出来事もあくまで淡々とした調子で語られるのは、もう自由が飽和しきってしまっているからだろう。たぶんこれは1970年代後半の気分を反映した構図だったろうし、いまでもそれなりに通用するイメージではないかと思う。そんな楽園の破局を告げるのが〈母親の屍をその場しのぎ的に処理したゆえの腐臭〉だった、というあたりの展開は意味深で好ましい。
■ごく序盤のことなので書いてしまうけれど、主人公「ぼく」が便所で精通の瞬間を迎えていたそのときに、父親がセメントに顔を突っ込んで事故死する、なんて無意味すれすれのずれたユーモアみたいな展開が、僕は妙に好き。こういう各人の意思のずれは、物語のなかで「ぼく」が結局ほとんど他人と心を通わせることができない(また彼は兄弟姉妹のなかでいちばん、自由な時間の過ごしかたに戸惑っているように思える)こととも、それなりに対応しているような気がした。
(2000.4.11)

Book Review 2000
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