□ 4/30 【ワンダー・ボーイズ】
■『ワンダー・ボーイズ』(Wonder Boys, 2000)。カーティス・ハンソン監督、マイケル・ダグラス主演。新作の出ないかつての天才作家と、作家志望の変人青年が出会ったことから起きる、どたばたコメディ調の渋いミドルエイジ・ドラマ。文芸小説の映画化なので、たまに作中人物の「語り」が入りすぎのところや、だいぶ話を省いているように思われる箇所も見受けられたものの、安定した脚本で全般によくまとまった映画だった。主人公は基本的に「身勝手な文系男」で、小説家だからフィールド違いだけれど『ハイ・フィデリティ』のさらに歳をとった話みたいなものと強弁できなくもないかな。たいした驚きのある話じゃないけれど、余裕のある演出に俳優がどれも良くて、観ていて心地よい。マイケル・ダグラスは新境地なのかな? 『トラフィック』のまじめな裁判官よりもこういう路線のほうが似合う。エキセントリックな文学青年役のトビー・マグワイアは、下手するとただのステレオタイプになりそうな役柄をかなりの説得力で演じていて、ひそかに大物っぽい。同性愛ネタをさらす編集者のロバート・ダウニーJr.も素敵。
■映像はソダーバーグみたいに洗練されていて、ブラウン系の室内と寒色系の戸外とに色調が統一されている。(★★★★)
□ 4/29 【ソダーバーグ入門編】
■最新作『トラフィック』の予習のつもりでスティーヴン・ソダーバーグ監督の旧作を少し観ていたので、その感想でも。
■『セックスと嘘とビデオテープ』(Sex, Lies, and Videotape, 1989)
ソダーバーグ監督の第一作。カンヌ受賞作らしい。いかにも自主映画みたいなつくりで、話は基本的に男女関係をめぐる室内会話劇を延々と流しているだけ。撮影の構図は手持ちカメラ風。てっきり変態系かあるいはメタ映画の方向に行くのかと思いきやそうたいしたことにはならず、カメラの視線が倦怠期の夫婦の虚実をあぶりだす、というような構想にしても踏ん切りが甘い(というか、この夫婦の関係は外部者の介入がなくてもじゅうぶん破綻していたように思える)。そんなわけで意図なかばのような感想も否めないのだけど、独特の採光で撮られたフローリング床の室内映像はやたら美しく、妙に惹きつけられる。これでまともな話だったらすごいことになりそうな気もする。「郊外生活の倦怠」を活写している点では、『アメリカン・ビューティー』にだいぶさきがけているのかな。(★★★)
■『アウト・オブ・サイト』(Out of Sight, 1998)
ジョージ・クルーニー&ジェニファー・ロペス主演、エルモア・レナード原作。ロマンスを絡めた犯罪サスペンス劇なのだけど、主演のふたりがいかにもTV俳優みたいな底の浅さで(要するに好みじゃないだけかもしれないが)、そのロマンス部分があほらしく思えてしまい、まじめに観られなかった。ソダーバーグ監督らしい室内場面の凝った採光はさすがに冴えていて、加えて陽光まばゆいフロリダと青みがかった北部の町(どこだか忘れた)とで、映像の色調をがらりと変えているのも印象的。この手法は三つの舞台の挿話を交錯させる『トラフィック』でさらに徹底された。(★★)
■あと『KAFKA 迷宮の悪夢』『イギリスから来た男』『エリン・ブロコビッチ』あたりはそのうち観ようかなと思っている。
□ 4/28 【トラフィック】
■『トラフィック』(Traffic, 2000)をさっそく観る。麻薬コネクション摘発捜査を題材にした、群像劇&ドキュメンタリー調のシリアスドラマ。良くも悪くもアート系監督の撮った社会派映画という印象だった。ハリウッド的な大仰さを排除した演出には好感を抱くし基本的に支持するけれども、話の内容のほうは凝った映像と俳優たちの熱演に半ばごまかされたような気もしないではない。
■これに先立ってスティーヴン・ソダーバーグ監督の旧作にいくつか目を通してみたのだけど、この人は映像の撮りかた、とりわけ採光と色調に非常なこだわりを持った映画作家のようだ。この人の描く室内劇の場面でいちばん印象的なのは、人物でも会話でもなく、室内灯の明かりや窓から射す陽光だったりする。この『トラフィック』でもそんな資質は遺憾なく発揮されていて、どの場面でも採光があざやかなのはもちろん、おもな舞台となるメキシコ/カリフォルニア/シンシナティのそれぞれをまったく違う色調の映像で撮る、という手法も貫いている。手持ちカメラ風の撮影が多くて音楽もほとんど入らないので、いわゆる「ドグマ95」の路線に近いかも。
■どうせ多くの人が褒める映画なのであえてけちをつけておくと、紹介されるそれぞれの挿話じたいはいささか紋切り型でぬるいように思えた。もうちょっと意外な逆説なりを盛り込んで、何か考えさせるような展開にもできたのではないか。特にマイケル・ダグラス父娘をめぐる挿話は、似たような人物配置の『アメリカン・ビューティー』を思えばやはり「保守的」という感想を禁じえない(というか、本物のドラッグ野郎からすればおそらく噴飯ものの描写じゃないだろうか)。また、アンチ・クライマックス的な構成で写実主義を目指す実験という意味では、『シン・レッド・ライン』ほどの先鋭さは感じなかった。
■とはいえ、二時間半の長丁場を退屈させない充実の良作なのはまちがいない。問題を全然解決させないままの筋書きを通しながら、報われない闘いにささやかな安らぎを提示する締めかたもさすが。(★★★★)
□ 4/21 【評価結果】
■今月からなんとなく読み物系ランキングのRead Me! Japanに登録していたのだけど、その結果ついてくるヘイ・ブルドッグのサイトレビューで「おすすめ」に選んでいただいたようです。どうも。でも過去の一覧(ReadMe! おすすめサイトありったけレビュー)にざっと目を通したかぎりの印象では、普通に更新されている読書系サイトならたいがい「おすすめ」がついているようなので、まあ当然といえば当然の気もしないではない。
■ちなみに翌日のアクセス数は普段の1.5倍くらいに伸びていたけれど、もとがたいした数じゃないので、思ったよりも影響は少ないのかなという印象。
□ 4/20 【これから観たい映画】
■先月は新作映画を結構観に行ったわりに収穫が乏しかったのだけど、いちおう今月観ておきたいと思っている新作劇場公開の映画は以下の二作品。
- 『ベーゼ・モア』(公開中)
- 『トラフィック』(4/28公開)
前者は昨年訳されて一部の熱狂的な支持を集めた破滅青春犯罪小説、ヴィルジニ・デパント『バカなヤツらは皆殺し』の原作者自身による映画化。本国ではすごい騒ぎになったらしいけど、日本ではひっそりと単館公開。後者はアカデミー監督賞その他受賞の有名作。シリアスな社会派ドラマでなおかつ群像劇風の凝った構成みたいなので、結構期待している。映画ライターの小西未来氏(『ガール・クレイジー』翻訳者)が以下のところで絶賛特集記事を書いているのを見つけた。
▽「トラフィック」が凄い3つの理由
■あと、ラース・フォン・トリアー監督の『イディオッツ』はどうも傑作だったらしいのだけど、単館レイトショー公開のため時間的に劇場へ行けなくて、結局見逃してしまった。
□ 4/18 【12人の優しい日本人】
■『12人の優しい日本人』(1991)。中原俊監督、三谷幸喜脚本。もし日本に陪審制度が導入されたら、という仮想設定の密室討論劇。もっと邪念のないコメディを予想していたのだけど、ずいぶん底意地の悪い作風でいささか辟易した。もとは舞台の脚本らしくて、舞台劇の共時性をそのまま映画に持ちこもうとして、差を埋めきれなかったということなのかもしれない。戯画化された登場人物たちの描写は、笑うどころではなくほとんど悪意しか感じられないし、『十二人の怒れる男』のような一貫した主役を登場させないまま「誰が議論を解決するのか」をひっくりかえしていく趣向も、意外でおもしろいというよりは、観客を決して居心地良くさせまいとするようなあざとさが鼻についた。(★★)
□ 4/17 【2 days】
■『トゥー・デイズ』(2 Days in the Valley, 1996)。ジョン・ハーツフェルド脚本・監督の犯罪映画。多数の登場人物の行動が交錯して話が転がっていく群像劇風の筋書きで、この系統としてはかなりよく練られた脚本だと思う。暴力描写はややタランティーノ風。脚本も俳優も全般的に好印象だったけれど、映像はだいぶ安っぽいかな。たぶん脚本重視の人なんだろう。ちなみに、体当たり演技で話題になったらしい派手ブロンドのシャリーズ・セロンよりも、東洋系風俗店の娘のほうが個人的には気になった。(★★★)
□ 4/16 【スリーピー・ホロウ】
■『スリーピー・ホロウ』(Sleepy Hollow, 1999)。ティム・バートン監督の昨年のヒット作。よくいわれたように横溝正史風の田舎村が舞台のジャンルミックス的なゴシック・サスペンスで、超自然的な伝説と近代的な探偵物語が平気で共存している世界観は、確信犯なのか何も考えていないのかよくわからないけど独特の興趣があった。ただビデオで観たせいか、CG映像の濫発でだいぶ興を削がれる。首なし騎士が一生懸命暴れても「どうせCGだし」とか思えてしまうのはきついね。(★★★)
□ 4/15 【エドtv】
■『エドtv』(Ed TV, 1998)。ロン・ハワード監督。公開当時はさんざん『トゥルーマン・ショー』と比較されたらしくてそれもしょうがない設定なのだけど、こちらはかなり地に足のついた人情コメディで方向性はだいぶ異なる。どちらかといえばファンタジー指向の『トゥルーマン・ショー』のほうが好みだけど、こちらは隙のない脚本で悪くない出来だった。『トゥルーマン・ショー』がいわば「なかったこと」にしていたセックスや家族の問題に鋭く切り込んで、また「作中TV番組」の人気にそれなりの説得力を持たせることに成功している(逆にいえば『トゥルーマン・ショー』のその点には全然説得力がなかった)。途中「売名のため主人公を誘惑するセクシー・モデル」の役で登場するエリザベス・ハーレイがやけに完璧。(★★★)
▽wad's 映画メモの批評
□ 4/13 【Uターン】
■オリヴァー・ストーン監督『Uターン』(U Turn, 1997)。ジョン・リドリーの『ネヴァダの犬たち』の映画化で、原作者リドリーも製作総指揮・脚本で参加している。映画としてはだいぶ平板な出来で、原作のほうが愉しめた。もともとこの話はジム・トンプスンとかの古典パルプ・ノワールを踏まえた漫画的なパロディといった微妙な趣向なので、それをこの映画みたいにただ漫然としたスリラーみたいに撮ってしまうのはだいぶ苦しい。やけに豪華な顔ぶれの俳優陣もミスキャスト気味で、だいたい(ファム・ファタル役をふられている)ジェニファー・ロペスみたいな小娘を相手に、ショーン・ペン演じる主人公が鼻面をひきまわされるようにはとても見えなかった。(★★)
□ 4/12 【パルプ・フィクション】
■『パルプ・フィクション』(Pulp Fiction, 1994)。いわずと知れたクェンティン・タランティーノ監督の第二作。さすがに初見ではなくて、前作『レザボア・ドッグス』が愉しめたから改めて観なおしてみたのだけど、どこが良いのかわからない冗漫で退屈な映画という感想は変わらず。『レザボア・ドッグス』の躍動感はどこへやら、筋書きはその場かぎりの挿話にだらだらと淫しているばかりで、ジョン・トラボルタやブルース・ウィリスといった有名俳優を揃えて遊んでいるだけのように思える。
■『レザボア』と『パルプ』のあいだでどうしてこれだけ決定的な違いが出てくるのか、というのはいまひとつ釈然としないのだけど、少なくとも『レザボア』における強盗犯罪劇のような話の中軸になるものが『パルプ』には全く見当たらなかったのは間違いない。だから『レザボア』には時系列の錯綜や無駄な会話であえて核心を語るのを避ける(肝心の襲撃場面は遂に一度も描写されない)絶妙の「肩透かし」の魅力があったのだけど、もとから中軸も核心も持つ気のない『パルプ』は、題名のとおりパルプ的な断片をただ漫然とまきちらすだけに終わってしまった。逆にいえば『レザボア・ドッグス』が奇跡的なバランス感覚に支えられていたのかな。
■あとこれは個人的な好みだろうけど、登場人物がヒステリックな言動を延々と繰り返す映画は観ていてうんざりする。たとえば思いつくものでは『マグノリア』とか『もののけ姫』とか。(★★)
■『レザボア・ドッグス』を褒めて『パルプ・フィクション』をけなした批評がないものかなと探してみたら、以下のような文章を見つけた。
▽背景も他者との境界も欠いた現代を象徴する世界
この評者はガイ・リッチーの新作
『スナッチ』も似たような論点から難じていて、こちらもだいたい同感。
▽背景を欠いたタランティーノ的な世界
■ただしガイ・リッチーの前作『ロック、ストック〜』と『スナッチ』の差は、タランティーノの場合と似ていてやはり話の中軸があるかないかの違いが大きいと思う。『ロック、ストック〜』では登場人物たちの勘違いが巧いことかみ合わさって話を動かしていく、という脚本技巧の冴えが物語全体の流れをつくっていたのだけど、『スナッチ』にはそのような構想はなく、『パルプ・フィクション』的な断片がただ漫然と放置されているだけだ。
□ 4/11 【ジプシーのとき】
■『ジプシーのとき』(Dom Za Vesanje, 1989)。エミール・クストリッツァ監督の旧作。思春期の初恋やいんちきな親世代、欺瞞のうえに築かれた虚栄など、『黒猫・白猫』、『アンダーグラウンド』の原型といってよさそうな挿話が随所で見られる。ただし結局物語が「取り戻せない純真さ」みたいな図式に回収されてしまいがちな窮屈さがあって、先の両作品ほどの過剰な物語の躍動はなかったのがいささか残念。純真な幻想と残酷な現実とが交錯するマジック・リアリズム的な世界は、この人らしい独特の作風でさすがに興味深かったけれども。(★★★)
□ 4/10 【サブウェイ】
■リュック・ベッソン監督の『サブウェイ』(Subway, 1984)。この人の作風にはどうもあまり感心しないのだけど、この旧作はこれまで観たなかでいちばん良かった。都市の地下に奇妙な人々が共同体を形成している設定がまずなかなか独特だし(ロブ・ライアンの『アンダードッグス』は本作を参照したのかも)、なんといっても流麗な映像が秀逸。冒頭のカーチェイスからはじまり、駅へすべりこむ地下鉄、ローラースケートの怪盗といった動きにのせて、迅速かつ滑らかに移動するカメラは観ていてとても心地よい。あいかわらずメルヘン調の稚拙なお話がそうした映像の快感をスポイルしてしまいがちなのは残念だけど、まあおおむね許容範囲(この人の感覚って少女漫画に近いと思うので、比較的女性の観客に人気があるみたいなのは納得の行くところ)。主演のクール系青年クリストファー・ランバートは単純に格好いい。もうひとりの主人公イザベル・アジャーニは彼女にしてはそれほど綺麗に見えないし、物語上アジャーニの役柄に主導権が渡る箇所では映画のテンションが明らかに落ちる。
■やはりこの映像はいまでもなかなか新鮮で、当時観た人は結構本気で驚いたんじゃなかろうかと推察します。(★★★)
□ 4/9 【セブン】
■『セブン』(Se7en, 1995)をいまさらTV視聴。デヴィッド・フィンチャー監督、ブラッド・ピット主演のサイコスリラー。都市の汚濁と雨を基調にした映像がフィルム・ノワール風(もしくは『ブレードランナー』風?)の陰鬱さで格好良かったものの、お話はいささか尻つぼみ。衝撃的な結末という声が多いようだけど、このくらいはまあ普通じゃないのかな。全体に脚本のつくりが甘くて、ブラッド・ピットの人物像は「血の気の多い若造」のまま何のひねりもないし、モーガン・フリーマン演じる退職間近の老刑事も全然それらしい深みを感じさせない。捜査の手順も話にならない稚拙さだった。
■この監督の『ファイト・クラブ』(Fight Club, 1999)はかなり良くできていたと思うのだけど、あれは要するに原作が良くて相性も合っていたからということみたいだ。(★★★)
□ 4/8 【シンプル・プラン】
■『シンプル・プラン』(A Simple Plan, 1998)。サム・ライミ監督。日本でも評判になった犯罪小説の映画化で、原作者スコット・B・スミスが脚本を担当しているせいかなかなかの出来だった。サム・ライミは盟友コーエン兄弟の『ファーゴ』を意識してこの「雪国の犯罪劇」を選んだのではないかと批評されていて、そのためではないだろうけどこの映画はかなり「兄弟」の関係に焦点を当てている。大金のため冷徹な犯罪に手を染めていく主人公に対して、「情けない兄」は失われた少年時代や青春の日々を取り戻そうと、後ろ向きな態度で足をひっぱるような存在なのだけど、これは同時に主人公の失いつつある純真さを反映した「分身」の意味づけもされているように思う。そのあたりの葛藤が物語に一本の筋を通していた。たしか原作ではもっと血まみれの殺戮がくりひろげられていた気がするけれど、だから(兄貴との決着に焦点を当てた)本作のクライマックスはこれでいいんだろう。ただし映像的に特筆すべき点がないせいか、よくできたTVの二時間サスペンス、というような印象に終わってしまうのも否めない。(★★★)
□ 4/6 【ラン・ローラ・ラン】
■『ラン・ローラ・ラン』(Lola Rennt, 1998)。トム・ティクヴァ監督。『トレインスポッティング』あたりの影響を受けたとおぼしき、テクノポップの疾駆するMTV風ドイツ映画。『七回死んだ男』みたいな時間リセット設定に興味を惹かれたのだけれど、これはいくらなんでも筋書きに能がなさすぎて退屈だった。少なくともこういう設定なら、
- シミュレーション的な試行錯誤の興趣
- 「風が吹けば桶屋が儲かる」的な因果関係の妙
のどちらかは期待するものだろうと思うけれど、主人公の赤髪ローラは何の学習も試行錯誤もしないまま、毎度馬鹿のひとつおぼえみたいに父親から金をせびろうとするばかりだし、脚本は道中のアクシデントといえば車をぶつけることしか思いつかないらしい無策ぶり。主人公とすれちがう通行人の「将来の姿」を映した画像が時折挿入される趣向になっているのだけど、その中身が映画内の出来事と特に因果関係もなく、どうもただ思いつきで流しているだけらしい、というのがこの作品のつまらなさを象徴していると思う。(★★)
□ 4/5 【黒猫・白猫】
■『黒猫・白猫』(Chat Noir, Chat Blanc, 1998)。『アンダーグラウンド』(傑作!)のエミール・クストリッツア監督による陽気で猥雑なジプシー・ラブコメディ。これも文句なく良かった。全編が宴のような喧騒と活力に満ちていて、雰囲気はほとんどインド映画。前作『アンダーグラウンド』が全員の死によって大団円を迎える映画だったとすれば、これは徹底して「生」についての物語といえる。筋書きはいかにも乱雑なようでいて、最終的には登場人物がそれぞれ二人組(=黒猫・白猫)の構図にきちんとおさまる知的さもあり。独特の性交描写も特筆すべきだろう。この映画における人間たちのまぐわいは、明らかにそこらの猫や豚の交尾と等価に扱われている。けれどもそれは下品でも淫靡でもなく、「生」の躍動にあふれている。
■この人の映画はとりあえず全作観ておきたい。(★★★★)
□ 4/4 【キング・イズ・アライヴ】
■『キング・イズ・アライヴ』(The King is Alive, 2000)を観る。クリスチャン・レヴリング監督。全編手持ちカメラの「ドグマ95」作品らしい。砂漠サバイバルものだし案外拾いものなのかもと思って観に行ったのだけど、どうということもなく普通にたるい話だった。少なくとも極限状況であらわになる人間の醜い本性、みたいな方向の人物描写としては明らかに手ぬるい。このぬるさがリアルなのだ、ということかもしれないけど。劇中劇になりかける『リア王』の扱いが、判る人には多少面白いのかもしれないけれど、あまり感心するところのない映画だった。(★★)
□ 4/3 【再読しようかな】
■せっかく移転も果たしたので、内容はさておき更新の頻度をそれなりに高めてみようかと思います。
■注目新刊速報の情報によると、アゴタ・クリストフの『悪童日記』(早川書房)が遂に文庫化するみたい。いわゆる『アルジャーノン』化は避けられたのだろうか。新創刊の「ハヤカワepi文庫」の最初の目玉にするようで(他のラインナップもちょっと気になる)いちおう注目しておこうかな。
■『悪童日記』は、ハードボイルドの極北ともいえる実験的な文体に、既成のモラルをあっさりと飛び越えた世界観、さらにそれらがある種感動的な幕切れへと結びつく、という掛け値なしの傑作。まだ読んでいない人はこれを機にぜひ、ということで。
□ 4/1 【移転報告】
■ようやく新しい場所を確保できたので、さっそく移転を実施。ちなみにGeocitiesの旧ファイルはできるかぎりそのまま放置しておくつもりです。
■これでとりあえず、
といった不都合は解消できたのかなと思います。めんどうなのでサイトの構成やデザインは未修正ですが。