▼ Book Review 2000.11

『殺人四重奏』 ミッシェル・ルブラン
『私が愛したリボルバー』 ジャネット・イヴァノヴィッチ
『オンリー・チャイルド』 ジャック・ケッチャム
『わが子は殺人者』 パトリック・クェンティン
『共鳴』 イアン・バンクス
『彼らは廃馬を撃つ』 ホレス・マッコイ
『第八の地獄』 スタンリイ・エリン
『ジグザグ・ガール』 マーティン・ベッドフォード
『倒錯の舞踏』 ローレンス・ブロック
『殺す風』 マーガレット・ミラー
『壺中の天国』 倉知淳
『ALONE TOGETHER』 本多孝好
『オフシーズン』 ジャック・ケッチャム
『失踪当時の服装は』 ヒラリー・ウォー

※(ごく主観的な)評価は★5段階。

『殺人四重奏』 ★★★
ミッシェル・ルブラン/鈴木豊訳/創元推理文庫
Pleins Feux Sur Sylvie/Michel Lebrun(1956)

■フレンチ・ミステリの古典的作品。複数の人物が同一人物をそれぞれ別の手段で殺したと言いだす、という謎の発想はたしかに魅力的なのだけど、その構想だけに終わってしまったようなかんじ。結局のところ伏線がきれいに決まるというより、ただつじつま合わせに終始している印象で、あまり美しくない。登場人物それぞれの主観叙述も、事件を多面的に説明したり有機的に絡み合ったりすることはなく、ほとんど被害者の人生紹介くらいにしかならなかった。どの人物も自分勝手でろくなやつが出てこない展開は、フランスらしいひねくれた筆致で悪くなかったけれども。
■フレッド・カサックの「殺人交差点」「連鎖反応」が、やたらゲーム的な趣向のサスペンスでさして古びた感じがしなかったのとくらべると、ちょっといま読むにはきついかなという感想でした。

(2000.11.30)


『私が愛したリボルバー』 ★★★
ジャネット・イヴァノヴィッチ/細美遥子訳/扶桑社文庫
One for the Money/Janet Evanovich(1994)

■素人の女がバウンティ・ハンター(保釈破りの逃亡人を捕まえる賞金稼ぎ)の仕事に挑む、さわやか系ユーモア・ハードボイルド。アメリカ的な『女には向かない職業』ということになるだろうか。主人公像はいささかわざとらしい印象が抜けなかったけれども、なかなか愉しく読めた。ただし事件のほうはもうちょいひねりがあってもいいんではないか。あとこれにかぎった話ではないけれど、とりあえず犯罪の源として〈麻薬〉を出してくるのはどうにも安易で好きになれない。
■主人公の属するイタリア系/東欧系の下町の気さくで家庭的な雰囲気がとても良かった(名前からして作者もそちら系の人なんでしょう)。特に母親や祖母とのとぼけた会話は印象的。実は仕事をくびになってもう半年ほどになる、と告げた主人公にむかって、

「六か月も! そして、あたしゃそれを知らなかった! おまえの実の母親だってのに、おまえが通りに立ってるのを知らなかったんだね?」
「通りに立ったりしてないわよ。当座しのぎの仕事をいろいろとやってたのよ」
(p.21)

なんてあけっぴろげな日常会話がくりひろげられたりする。
■メアリ・ヒギンズ・クラークやパトリシア・コーンウェル、フェイ・ケラーマンといった作家のロマンス色の強いミステリ/サスペンス小説では、主人公格の女性がしつこく性犯罪者につけ狙われる、というプロット展開がひんぱんに用いられる。これはもちろんサスペンスの危機感をあおる常套手段なのだけど、それだけでなく(平たくいえば)「もてる女って困るわ」的な裏返しの優越感をそこはかとなく読者に分け与えるための物語装置にもなっていて、そのあたりがいやらしいといえばいやらしい。本作の展開も明らかにこの公式にのっとっているのだけれど、不思議とあまり嫌味になっていないのはやっぱり作者の巧妙さによるんだろうか。
■バツイチでさばさばした性格の女主人公や、はじめからシリーズ化を意図したような題名は、スー・グラフトンのキンジー・ミルホーン連作を意識しているのかな。
(2000.11.30)


『オンリー・チャイルド』 ★★★
ジャック・ケッチャム/有沢善樹訳/扶桑社ミステリー文庫
Stranglehold/Jack Kechum(1995)

■真性邪悪作家ジャック・ケッチャムによる児童虐待リーガル/サイコ・スリラー。筋書きは少々むりやりなのだけど、よくもまあここまであざとく不愉快な裁判劇を描けるものだと感心してしまう。とことん不快な話なのになぜかやたらリーダビリティが高いケッチャム節。ある意味では『隣の家の少女』以上に救いのないダークな結末で、ひとつの邪悪をようやく片づけたとしても、その行為がさらなる悲惨な循環を招かざるをえない、といういずれにしても好転しようのない始末の悪い構造になっている。登場人物を思いきりひどい目にあわせることでは定評のある作家だけど、ほんとに底意地が悪い。
■『オフシーズン』や『隣の家の少女』のような、おなじみの直接的な残虐描写はそれほど多くない。というより意図的にいくつかの重要な場面を「描かない」まま進めることで、それらを読者の陰惨な想像のなかでふくらますに任せるような書法を採っている。これはやはりケッチャム流の洗練というべきなんだろうか。
■しかしこの作家は「ルース」という名の女になんか特別な恨みでもあるのかしら。

(2000.11.25)


『わが子は殺人者』 ★★
パトリック・クェンティン/大久保康雄訳/創元推理文庫
My Son, The Murderer/Patrick Quentin(1954)

■どうにも期待外れだった。探偵小説の枠組みを、事件の当事者として巻き込まれる人物に語らせて物語性を高めようとする態度は好ましいのだけど、いかんせん謎/解決の構築が弱すぎる。妻の自殺をめぐる真相ははじめから見えすいていてどうにもならないし、殺人事件の解明のほうもぎこちない。被害者の扱いは『トレント最後の事件』を思い出させたのだけど(さすが英国出身の作家というか)、『トレント』みたいな解決の軽やかさがあるわけでもないから、一方的な指弾に違和感が残らないでもない。
■有名な『二人の妻を持つ男』も多少そうだったけれども、主人公の感じるだろう驚きや衝撃を読者は共有できない、ということになるだろうか。とりわけこの作品では、当初語られたそれぞれの人物像をひっくりかえそうという意図がほとんど見られないため、登場人物の扱いも厚みを欠いた物足りない段階にとどまってしまっている。

(2000.11.23)


『共鳴』 ★★★
イアン・バンクス/広瀬順弘訳/ハヤカワ文庫MP
Complicity/Iain Banks(1993)

■筋書きは一応サイコ・スリラー。新聞記者が主人公なのだけど、こいつが煙草好きのヤク中で、コンピュータ・ゲームおたくのうえ、友人の妻とはSMプレイに興じている……という相当にろくでもない人物。そのやたら俗物めいた不健康生活の露悪的な描写が独特で、それなりに期待させるものがあったのだけれど、結局はありきたりなサイコ物に終わってしまった。どうせならアーヴィン・ウェルシュの傑作『フィルス』みたいな突き抜けっぷりが欲しかったところ。ちなみに、風間賢二の解説(これは参考になりながら責任を避けている巧妙な文章でした)によれば、サイコキラーを描写する章は原文で"You"の二人称叙述になっているのだそうで(ただし翻訳には反映されていない)、これってまさかジム・トンプスンの『内なる殺人者』を意識したものじゃないだろうな。
■作者はスコットランドのノンジャンル流行作家で、結構SFも書いている人らしい。鮮烈な登場ぶりでイアン・マキューアンと比較されているという第一作『蜂工場』には興味が湧いたので、読んでみようかと思った。そういえば本作でも、さりげなく変態的なセックスの扱いかただとか、マキューアンに近いといえば近いものを感じる。
■米国の作家ならヴェトナム戦争を出しそうなところでフォークランド紛争の話が出てきて、なるほどねという感想。

(2000.11.23)


『彼らは廃馬を撃つ』 ★★★★
ホレス・マッコイ/常盤新平訳/王国社
They Shoot Horses, Don't They?/Horace McCoy(1935)

「わたしには奇妙なことなんだけど、誰も彼も生きていくことにあれほど気をつかっているのに、死ぬことには誰も気をつかわない」(p.16)

■力尽きるまで踊りつづける過酷な見世物競技、マラソン・ダンス。ハリウッドに託した夢のわずかな望みを賭けてこの俗悪な催しに参加した男女の姿を通して、アメリカン・ドリームの無残な果てと、そこにある空虚で刹那的な生を描く。冒頭から幕切れまで、物語の全編を貫いているのは「なぜ殺したのか?」という問い。その動機は明示されているようで、どこか断線している印象を与える。ただ、主人公の幕切れの台詞がさりげないようでやたら余韻を残す。「最後の一行」ものといってもいいかもしれない。
■ジェイムズ・M・ケインの有名作『郵便配達夫はいつも二度ベルを鳴らす』に対応する作品なのだろうと思う。どちらも〈死刑囚〉を語り手にすえており、なぜ人を殺したのかを克明に描いた(はずの)小説であり、どちらもほとんど理不尽な偶然から破滅が生じているように見える(それはプロット的な強引さとも受けとれる)。ヘミングウェイ流の簡素な文体も近いのかな。もちろん例によってというか、どちらも本国よりフランス経由で評価が高まったものらしい。

(2000.11.20)


『第八の地獄』 ★★★★
スタンリイ・エリン/小笠原豊樹訳/ハヤカワ文庫
The Eighth Circle/Stanley Ellin(1958)

ここに一人の男がいる。かれは、小説のなかのロマンティックな私立探偵ではなくて、私たちと似たり寄ったりの人間であり、たとえこの職業において大いに成功することがあっても、鏡のなかの自分自身を見つめるときには、答えよりもむしろ質問が湧きあがり、庭をながめるときには、バラよりもむしろ棘を見てしまう。/この小説は、その男の物語である。(p.6[日本語版への序文])

■私立探偵小説における主人公像を、地に足のついた視野から問いなおす誠実で先鋭的な作品。あるいは反レイモンド・チャンドラー的な達成とでもいうべきだろうか。本書の主人公マレイ・カークはニューヨークでも指折りの探偵社の所長ながら、「惚れた女を奪う」ためというきわめて利己的な動機から勝ち目の薄い事件に乗り出していく。この人物像にはたとえば『LAコンフィデンシャル』のエド・エクスリー刑事なんかを思い出した。ただジェイムズ・エルロイの仮借ないクライム・ノヴェルを読み慣れた現代の読者としては、もっと救いのない展開を予想しないでもなかったのだけど、まあこれはこれでいいんだろう。正統派ビルドゥングス・ロマンのおもむき。ほぼ同時代のパトリック・クェンティン『二人の妻を持つ男』なんかにも感じたことだけど「若い理想主義」への好意がやや無邪気にすぎるように思えてしまうのは、要するにカウンター・カルチャー世代以前の物語だからなのかなという気がする。
■スタンリイ・エリンの長編といえばどうもあの倒錯前衛ミステリ『鏡よ、鏡』の印象が強烈だったのだけど、こんな正攻法のミステリも書いてるのね。

(2000.11.19)


『ジグザグ・ガール』 ★★★
マーティン・ベッドフォード/高田恵子/創元推理文庫
The Houdini Girl/Martyn Bedford(1998)

奇術師の技術のなかでもっとも重要なものは何か? それはミス・ディレクションだ。いかに手先の早業に長けていようが、精巧な装置をもってしようが、それなくして”本物の”魔法の効果を作りだすことはできない。逆にいうと、それさえあれば手順がどんなに簡単でも奇跡のように見せかけることができる。(p.125)

■グレアム・グリーン『情事の終り』の奇術師版、といったらそれなりに近いだろうか。舞台奇術を生業とする主人公が、謎めいた死を遂げた恋人の過去を探っていく。ミステリ仕立ての構成で語られる、情感のある恋愛物語。しみじみとしているような未練がましいような、英国の作家らしいひとくせある語り口が良かった。語り手は例によってというべきか、自分に不利な事実をなにくわぬ顔で隠蔽していたりもする。
■奇術とミステリの手法における類似性というのはよく指摘されるところだけれども、この小説では主人公が各章の枕話として奇術に関する蘊蓄や哲学を語り、それが物語の構造に対応するたとえ話にもなっている。いわば北村薫の作品における落語話のような趣向といったところ。
■物語の前半はつかみどころのない導入部から独特の雰囲気があってとても良かったのだけど、アムステルダム行きの後半は、主人公がやや狂言回しの役割をふられすぎるのが露骨に思えるし、事件の展開もずいぶんばたばたしてしまったようで気になった。それにしても話法がきわめて洗練されていて、好感の持てる佳作。

(2000.11.19)


『倒錯の舞踏』 ★★★
ローレンス・ブロック/田口俊樹訳/二見文庫
A Dance at Slaughterhouse/Lawrence Block(1991)

■「元アル中」の無免許探偵マット・スカダー連作のひとつ。意外に仲間が多いな、と読んでいて思った。以前のこのシリーズは大都市ニューヨークの孤独な生と死を描く、といった色合いがもう少し濃かった気がするけれど、本作のスカダーには行く先々でいろんな友人が待ってくれているし、恋人のエレインも登場していて、寂寥感みたいなものはあまりない。
■シリーズ的には『墓場への切符』の次にあたる作品で、スカダーが社会の裁きをのがれる悪人に対して自警団的な行動に出るような性格を強めていった(といわれることの多い)時期にあたる。そんなわけで本作のスカダーが最終的に選択する行動も、なかなかハードな路線。シリーズの読者には衝撃的でずいぶん意味深いだろうけど、このあたりの流れを酌んでいるのだろうデニス・レヘインの作品(『スコッチに涙を託して』『闇よ、我が手を取りたまえ』)を読んだあとだと、ややパンチ力に欠けるのは否めない。悪役はカリスマ的な描かれかたのわりに行動が隙だらけだし、プロット展開も偶然に頼りすぎていて(これは作品内の台詞でも認めてしまっている)いささか弱め。それにやたら官能的な悪女の誘惑をかたくなに拒絶するという筋書きは、さすがに古典的すぎるんじゃなかろうか。
■殺人の場面を撮影したスナッフ・フィルムが事件の鍵になる。この手の話は近頃いろんなハードボイルド系作品で見かけるけれど、発生源はここだったのかな。悪事が目の前で行われているにもかかわらず、時間も場所も被害者もそして内容の真偽も特定できないから、法的な意味での証明は困難。「法の裁けない邪悪」という存在を描くのにはうってつけの小道具ということなんだろう。本書での扱いかたも、そういう意味でなかなか効果的だった。
(2000.11.18)


『殺す風』 ★★★
マーガレット・ミラー/吉野美恵子訳/創元推理文庫
An Air That Killed/Margaret Millar(1957)

「旅立つ?」
「いまから行くところだと言ってましたよ。で、ドロシーが行先を聞いたら、それは言えない、未知の国だ、ですって。ドロシーには詩の引用のように聞こえたそうですけれど」
(p.122)

■物語はおなじみの失踪事件から幕を開け、友人どうしだった二組の夫婦の愛憎劇や破綻していく関係を軸に展開する。普通小説風ともいえる描写なのだけど、最終的にはきちんと逆転劇があって犯人の策謀が暴かれる、かなりまともにミステリ的な解決を迎える。逆にいえば『鉄の門』と同じく、終盤がふつうの種明かし的な展開に終始してしまうのでやや物足りなかった。
■この小説にはそれまでのミラー作品で描かれたような、明らかに精神を病んだ人物はほとんど登場してこない(ロン・ギャラウェイの前妻ドロシーがいちばんそれに近いけれど、話の筋には大して絡まない)。にもかかわらず、何人かの登場人物はやはり充たされない日常から逸脱して、異界から「二度と戻れない」境地に至ってしまった。まあ、そういう話をやりたかったんだろう。
■妻にいつもひけめを感じていた夫、というモチーフは傑作『まるで天使のような』にひきつがれている。

(2000.11.12)


『壺中の天国』 ★★★★
倉知淳/角川書店(2000)

■さわやかな電波系おたくミステリ。いきなり冒頭から迫真の電波告発文が載っていてのけぞる。この作家は『星降り山荘の殺人』でも嬉々としてUFO談義をかましていたけれど、こういうのがかなり好きな人なのかな。他にもオカルト女子高生や模型マニアなど、その手のネタは盛りだくさん。解明部はもったいぶったわりにさしたる切れ味ではないけれど、すさまじいバカ伏線がいくつか仕込んであったので驚いた。
■のどかな田舎町に不穏な連続殺人事件が起きる筋書きは、ヒラリー・ウォーの『この町の誰かが』やスティーヴン・ドビンズの『死せる少女たちの家』あたりにやや近い。日本でこういう話を書く作家が出てくるとは思わなかった。p.246にエラリイ・クイーンの『九尾の猫』への言及と思われる記述があったけれど(『九尾の猫』のネタバレになるので、未読のかたは読み返さないように)、そのあたりを意識しているのかもしれない。いちおうミッシングリンクものだし、被害者それぞれの生活ぶりをかなり意図的に分厚く描き込んでいるところも、ある程度通じるものがなくもない。
■ただし探偵役の展開するおたく擁護論なんかが、いくぶん教条的でぬるく感じられるのは惜しい。この探偵役じたいも作者の意図するところよりだいぶ魅力が薄いし。プロット的な意外性もそんなにないはずなのだけれど(でも「電波ドッジボール」のあたりは妙におもしろかった)、きちんと退屈せず読ませるのはやはり描写の巧みさなんだろう。この人は本格系の作家のなかでは、どうでもいいような日常的場面やドメスティックで生活感のある描写がやけに巧いと思う。

(2000.11.8)

倉知淳の最高傑作(まったりCafe)
生活描写と電波な文章が秀逸(HELIOTROPISM)


『ALONE TOGETHER』 ★★★
本多孝好/双葉社(2000)

■短編集『MISSING』(双葉社)で昨年デビューした作者の長編第一作。『MISSING』では村上春樹の作風に近いという批評がかなり多くて、僕もわりとそう思ったものだけれど、この作品は文体・世界観ともさらにまた村上春樹色が濃くなっている。数奇な星のもとに生まれた主人公(当然ながら一人称は「僕」だ)が出会う現代的な日常たち、という枠組みのなかで、春樹風の「デタッチメント/コミットメント」の問題を扱ってみたようなかんじ。主人公がガールフレンドからあびせられるきつい言葉は、『ノルウェイの森』のある場面を思い出させた。
■どうもこの人は基本的に短編作家的な着想をしている作家のようで、この作品は長編ながらそれぞれの逸話をつなぎ合わせた連作短編みたいな構成になっている(それが悪いというわけではない)。ひとつひとつの話はいわば典型的なもので、良くも悪くも「現代的」な人間像や悩みのカタログ集といったかんじ。たとえば宮台真司の人生相談室なんかを思いおこさせるような。誠実な態度で書かれているし決して悪くはないけれど、ちょっと型にはまりすぎたかんじもある。どちらかといえば前作『MISSING』のほうが、ジャンルにとらわれない自在さで期待を感じさせてくれた。主人公の特殊な設定に関しても、こういう話をあえて使わないでもじゅうぶん書ける人なんじゃないかな。

(2000.11.3)


『オフシーズン』 ★★★
ジャック・ケッチャム/金子浩訳/扶桑社ミステリー文庫
Off Season/Jack Ketchum(1980)

「いわば、リアルタイムな感覚。一度見はじめたら目をそらすことができず、その映画の物語の内部から逃げだすこともできない。目覚めることのできない悪夢、眼前に突きつけられたリアルタイムな恐怖、そういったことを『オフシーズン』でやってやろうと思ったんだ」(p.321/「解説」で紹介されている作者のお言葉)

■『隣の家の少女』(1989)が日本ではやたら有名になってしまったケッチャムのデビュー長編。出版時に物議をかもしていろいろ削られた「幻の作品」で、この邦訳はオリジナルに近づけた修正版を元にしているらしい。たぶんジム・トンプスン作品を熱心に出しているのと同じ編集者がかかわっているんじゃないかと推察するのだけど、むこうの序文や作者の後書きをきちんと拾ってきたりしている丹念な仕事ぶりには頭が下がります。
■筋書きは、季節外れの避暑地に都会からやってきた三組の男女が、当地の森になぜか棲息する「食人族」にいきなり襲撃されるサバイバル系スプラッタ・ホラーといったかんじ。いろいろと元ネタがあるようなんだけど、僕はゲテモノ系ホラーにかぎりなく造詣が薄いので「ふうん」という感想で終わってしまいました。上に掲げた作者の宣言は『隣の家の少女』ならまさにあてはまるんだけど、この作品はまだその域まで達していないと思う。作者が結構こだわっていたらしい「食人族」の独白描写なんかも単なる悪のりみたいな印象で、そもそも「食人族」の内面なんて一切描かないままにしたほうが緊迫感は出るんじゃないか(貴志祐介の『クリムゾンの迷宮』みたいに)。せっかくひとことも喋らせない不気味な設定にしているのだから。やはり『隣の家の少女』のほうが、一人称叙述のせいもあって少なくとももっと小説的な緊張感に充ちていたし、どう考えてもB級的な筋書きをA級の筆力を持つ作家が本気で書くとこうなる、といったかんじの異様な迫力を感じられた。
■登場人物たちに訪れる唐突で不条理な「死」は、パトリシア・ハイスミスの小説に似ていると思った。

(2000.11.3)


『失踪当時の服装は』 ★★★
ヒラリー・ウォー/山本恭子訳/創元推理文庫
Last Seen Wearing/Hirally Waugh(1952)

「おれみたいにじっとすわっていりゃ、きみだって気がつくさ。だがそうなりゃ、警察はおれなしでもやっていけるなんぞと、人が思うようになるからな。だからこのおれは、きみにはもっぱら手がかりのほうを追わせているんだよ」(p.227)

■ヒラリー・ウォーの代表作といわれることの多い作品。いま読んでもなかなか興味深かった『事件当夜は雨』(1961)にくらべると、どうも思ったほどではなかった。かなりたどたどしい訳文だったので、翻訳の好みなんかも加味されてはいるだろうけど。
■警察小説の先駆的作品として紹介されがちのようだけど、例によって捜査を緻密に描くというより、机上の仮説/検証の試行錯誤で謎を絞り込んでいくさまが主眼になる。そのあたりはわりとパズラー系。失踪した女学生の日記の文面をめぐって延々と重箱の隅つつきをしたりもするし。ただし推理役が基本的にひとりだけで、『事件当夜は雨』にみられたディスカッション的な推理のおもむきがまだ確立されていないようなのは残念。
■ちなみに警察捜査の描写は、時代的なものもあるのだろうけど結構いいかげん。被疑者でもなんでもない人物をむりやり警察署へひっぱってきたりするので、ちょっと驚いてしまった。それじゃミランダ条項どころの騒ぎじゃないなあ。

(2000.11.3)


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