▼ Book Review 2000.9

『UNKNOWN』 古処誠二
『この町の誰かが』 ヒラリー・ウォー
『バッド・チリ』 ジョー・R・ランズデール
『脳男』 首藤瓜於
『慟哭』 貫井徳郎
『ガール・クレイジー』 ジェン・バンブリィ
『殺人交叉点』 フレッド・カサック
『火蛾』 古泉迦十
『フェンス』 マグナス・ミルズ
『鏡の中のブラッディ・マリー』 ジャン・ヴォートラン
『二人の妻を持つ男』 パトリック・クェンティン
『水の棺の少年』 スティーヴン・ドビンズ

※(ごく主観的な)評価は★5段階。

『UNKNOWN』   ★★★
古処誠二(講談社ノベルス/2000)

■自衛隊の基地内で起きた盗聴事件の顛末を描く。業界内幕ものみたいでそこそこ良い出来の佳作だった。事件じたいは明らかに小粒なのだけれども、古典的なホームズ&ワトソン役の定型にのっとって過不足なく筋書きを組み立てている。自衛隊を舞台に選んだ必然性もそなえているし、わりと地味な事件への興味を、きちんと終わりまでつないでいる手腕はたしかに評価されていい。気負いのないとぼけた語り口は読みやすくて、たまに示唆される男色ネタがその一人称叙述に妙な緊張感をもたらしている、ような気がしないでもない(しかし、あんまりその点を言いたてるのもどうかと思うけど)。ちなみに一人称はさすがに「自分」ではなく「俺」になっていた。
■この作者は宮部みゆきのファンということで有名な人なのだそうで、まあそれもうなずける無難な作風。良くいえば嫌味がなくてとっつきやすく、悪くいえば「ぬるい」。とりあえず、この事件から自衛隊全体の意義を語るような展開に結びつけようとするのは、いささか話を広げすぎで浮いていたように思える。そのあたりの論点はもうちょっとさりげないかたちで提示してほしかったところ。主人公の個性を反映して、せっかくこまやかで生活感のある筋運びだったのだから。
■総じて中庸を行きながらも、作中人物がコーヒーを口にする頻度はなぜか圧倒的。やっぱり、こちらもついコーヒーを飲みたくなってしまった。

(2000.9.30)


『この町の誰かが』   ★★★
ヒラリー・ウォー(法村里絵訳/創元推理文庫)
A Death in a Town/Hillary Waugh(1990)

「悪魔というものが存在するなら、それはわたしたちの心のなかに存在するのだと思います。いいえ、わたしはサリーの死が悪魔の仕業とは思いません」(p.173)

■ヒラリー・ウォーのわりと最近の作品で、邦訳が出たのは昨年。ずいぶん息の長い作家だ。
■米国の田舎町で起きた少女強姦殺人。それをきっかけに、平和だったはずの町が疑惑と中傷と偏見にじわじわと覆いつくされていく過程を、全編インタビューや議事録で構成されたドキュメンタリー風の実験的な書法で活写する。エラリイ・クイーンが『九尾の猫』で、連続殺人犯を怖れてパニックに陥るNYの群衆を描いたことがあるけれど、あそこでやりかけたことを丁寧に追究してみると、こんなふうになるのかもしれない。手法としては、作中に名前も挙げられるのだけど、トルーマン・カポーティの『冷血』を意識しているのかな。
■原題はこの作家の志向を象徴している。どこにでもある町の、どこにでもある死。誰もが被害者でも犯人でも、疑惑にかられる住人でも、白眼視される無実の住民でもありうる。ウォーはそういった意味でのリアリズムにこだわる作家で、動機が徹底してセックスがらみなのもそういう思想にもとづいているように思える。これはもしかすると松本清張あたりの作風に近いのかもしれない。
■ちなみに、スティーヴン・ドビンズの傑作『死せる少女たちの家』(1997)はだいたい似たような趣向の話で、たぶん本作を着想の下敷きにしていたんじゃないかと推測する。ドビンズはひねくれた作家だからエキセントリックな趣向も織りまぜているけれど、ウォーの作風はあくまでまじめな直球勝負。でもそれだけに「叙述の主体」の扱いはひねりが足りなくて、アガサ・クリスティの某作なみに古典的で格好悪く思えてしまうのだけど。
■というわけで、物語の経過は興味深いのだけど結末や読後感はいまひとつでした。

(2000.9.30)


『バッド・チリ』   ★★★★
ジョー・R・ランズデール(鎌田三平訳/角川文庫)
Bad Chili/Joe R. Lansdale(1997)

■ハップ&レナード・シリーズの四作めになるらしい。冒頭でアンドリュー・ヴァクスに献辞をささげているだけあるということか、意外なほどストレートかつハードな展開でちょっと驚いた。相棒レナードが殺人の容疑で追われる発端からはじまって、主人公たちが元レスラーのならず者に襲撃されたりと、あざといくらいにサスペンス的で疾走感みなぎる。おかげで一気読み。身近に迫る邪悪と対決していく筋書きは、デニス・レヘイン(こちらもヴァクスの影響がうかがえる)の『闇よ、我が手を取りたまえ』(1996)あたりに近い。ついでに、虐待ビデオの話は『マンチェスター・フラッシュバック』(1995)と似ていたりもする。こういう路線がはやっているのかな。
■ただし、デニス・レヘインが最終的にいわば「主人公に撃たせる」ための作劇を緻密に計算しているのに対して、この作品のランズデールは、よくみるとあの手この手を用いてできるだけ主人公の手を汚すのを避けさせている。そのあたりはいかにも確信犯的で、もちろん主人公像や作風の差でもあるんだろう。
■このシリーズでは相棒のレナードが強烈な性格のうえ「黒人で同性愛者」という穏やかでない設定のため(しかも舞台は米国南部)、ほぼ必然的にいろんなところで軋轢を生んでいかざるをえないのだけど、そのあたりを声高に糾弾するのではなく、あくまでさりげない態度で扱っているのも好ましい。ストレートの白人ハップを視点人物に据えて、ふたりの精神的な絆を基本線にしているさわやかさが効いている。
■凄惨な過去を持つセクシーな看護婦、銃撃戦を待ちきれない私立探偵(この人はノンシリーズ作品『凍てついた七月』からのゲスト出演らしい)など、愉快だけど物騒な脇役たちも個性的で良い。ちなみにクライマックスでは、前作(だったと思う)の『罪深き誘惑のマンボ』に続いて、またも「天変地異」的な現象が待っているのだった。好きですねえ。

(2000.9.30)


『脳男』   ★★
首藤瓜於(講談社/2000)

■「感情のない」特異な存在との接触を描いた個性的な物語、なのだろうな一応。筋書きは『羊たちの沈黙』のようでも『グリーンマイル』のようでもあり、などと考えていたら、どちらとも少し違っていたというかんじ。ほとんど理解の及ばない人物を出してきながらも、恐怖をあおったり憐憫をさそったりするための小道具として用いようとする、ありがちな邪念が感じられないところに好感を持てる。普通の意味でミステリの構造にはあまりなっていないのだけど、謎めいた人物の行動原理がだんだん腑に落ちてくる過程には、たしかにミステリ的な昂奮があるかもしれない。
■ただもうちょっと巧く書いてほしいものだなあ、という感想は否めなかった。漫画的な設定の登場人物たちは薄っぺらいだけで活かしきれていないし、会話、特に主要人物の女性精神科医と刑事の会話なんて何かを狙っているんだろうけど不自然すぎて、読んでいて苦しい。あと、精神科医の「過去の事件」はどうも事実関係の説明が怪しくて釈然としなかった。(それもあって、ほかの医学的記述もひどく怪しく思える)
■いやまあ、そこそこおもしろく読めはしたんですけど。

(2000.9.30)


『慟哭』   ★★★
貫井徳郎(創元推理文庫/1993)

■これはたぶんジャンル的な錯誤を逆手にとった作品だったのだろうな。それを抜きにすれば、途中で趣向が読めてしまうためにだいぶ興を削がれるのは否めない。さすがに〈地の文で人物の名を伏せて〉書いてあれば何かあるなと疑ってみるのが普通じゃないだろうか。最後にわざわざ伏線を解説しているのも格好悪くて蛇足。ミステリ的転回とともに人物の心理を浮きぼりにする、という方向性に挑んでいるのには好感を持てるし、救いのない終わりかたもなかなかいいんだけど(作者の最近の作品『プリズム』(1999)にもそういった傾向を感じられた)。ついでに、少女連続誘拐と新興宗教とを結びつけた発想は『魍魎の匣』(1995)にさきがけている。
■リアリズム系の舞台設定なので、警察内部におけるキャリア/ノンキャリアの対立や新興宗教の内情など、社会的な事象もそれなりに描かれるのだけど、どうも一面的な記述が多くて深みに欠ける。しかたないので斜め読みせざるをえなかった。たとえば、この作品と似たような構成をとっている殊能将之の『ハサミ男』(1999)は、少なくともそういった点で反感を抱かせないように、ずいぶん注意を払って書かれているのがよくわかる。

(2000.9.22)


『ガール・クレイジー』   ★★★
ジェン・バンブリィ(小西未来訳/河出書房新社)
Like a Hole in the Head/Jen Banbury(1998)

■LAで古本屋の店員をしていた今風の女の子が、ひょんなことから『幻の特装本』的な稀覯本の争奪戦に巻き込まれて……という筋書きを、いきのいいポップな語り口でつづる。若い主人公は母親の死で心に傷を負ってもいて、ちょっと女版ニール・ケアリーみたいな趣きもあり。
■なにしろ発端からして「こびと」が店を訪ねてくる、という不条理コメディ風の場面なので、これがまともに展開していくはずもなく、常軌を逸した登場人物が次々と立ちふさがっては話を錯綜させていく。しまいには本なんてどうでもよくなってきちゃうし。そんなわけで主人公の行動のほうも、破れかぶれかつ行きあたりばったり。たしかにオフビートで愉しめるんだけど、ちょっと無理押しの感もなきにしもあらずのように感じた。
■技法として興味深かったのは、会話の描写におけるリアリズム志向とでもいうべきもの。主人公は本を探索するためいろんな人物に話を聞かなければならないのだけど、相手はだいたいそんなことにつきあう義理はないわけなので、はじめは話をそらしたり、構わずに延々と自分の話を続けるだけだったりする。主人公は会話をそう都合良くは運べない、というか会話じたいがなかなか成立してくれない。そんなずれたパフォーマンスが、スラップスティック映画めいた風味をかもしだすのと同時に、「探索/訊き込み」を繰り返す従来の私立探偵小説的パターンにとらわれない爽快さを感じさせてくれる。
■「サディスティックな馬鹿息子」が暴走する展開は『ミス・ブランディッシの蘭』みたいだなと思っていたら、本家ジェイムズ・ハドリー・チェイスにも、"Like a Hole in the Head"という同じ題の長篇があるらしい(邦訳は『射撃の報酬5万ドル』(創元推理文庫)。未読)。この符合が偶然でなかったら面白いけれど、どうなんだろう。
■ちなみに、弁護士アリー・マクビールでおなじみのキャリスタ・フロックハート主演で映画化される予定があるらしい。明るくていささか精神不安定気味なキャラはなるほど合ってるんだけど、若さと胸が足りてないかも。

(2000.9.18)


『殺人交叉点』   ★★★★
フレッド・カサック(平岡敦訳/創元推理文庫)
Nocturne Pour Assasin/Fred Kassak(1957,1972)

■近年の創元推理文庫における「瀬戸川猛資フェア」的な動きの一環なのか、『夜明けの睡魔』で「将来、(トリックがわかってしまう)まずい部分を訳し直して刊行する予定とのこと」と注記されている本作の新訳が、遂に(ようやく)刊行。カップリングに同じ作者の「連鎖反応」(Carambolages)も収録。
■どちらも初読だったのだけど、「殺人交叉点」はさすがによくできている。ただ多少の予備知識があったせいか、フィニッシュのまえにほぼ想像がついてしまったのが残念。もっと平板な展開なのかと危惧していたんだけど、筋立てにひねりがあって退屈させなかった。どこか病的な母親とか、やたら食えない恐喝者(これは新版で加筆されているらしい)とかも、フランスらしい変な登場人物で愉しめる。本当は原文で読まないと(読めないけど)真価はわかりにくいのかもしれない。とはいえ、未読ならぜひ読んでおくべき。
■「連鎖反応」はゲーム的な遊び心のある佳作で、犯罪マニュアルを参考にして試行錯誤する過程がユーモラス。「殺人交叉点」もそうなんだけど、細かいところも含めて、あざとく読み手をひっかけるのが大好きな作家みたいですね。

(2000.9.15)


『火蛾』   ★★
古泉迦十(講談社ノベルス/2000)

■中世の中近東あたりを舞台にしたイスラム教ミステリ。登場人物の少なさや神話めいた雰囲気に、エラリイ・クイーンの『第八の日』(ハヤカワ文庫)を思い出した。
■ミステリにおける謎解きやメタフィクション性を、こういう路線で処理してみた作品は多分めずらしいんじゃないかと思う。けれども、とくに感銘は受けない。以前に『ハサミ男』への違和感で「作者がこんなことをやってました」的な種明かしにとどまっている、というような意味のことを書いたことがあるけれど、これもそんなかんじ。それに、宗派同士の相克みたいな展開を持ち込んでくるのなら、その対立の意味をちゃんと物語に還元できていてほしい。
■まあなんというか、僕にとっては興味のない方向でいろいろ頑張っている(らしい)作品、という感想でしょうか。あまり言葉が浮かんでこない。

(2000.9.13)


『フェンス』   ★★★★
マグナス・ミルズ(たいらかずひと訳/DHC)
The Restraint of Beasts/Magnus Mills(1998)

■英国産のユニークな小説。トマス・ピンチョン激賞らしい。あえて言うなら、ポップな「奇妙な味」系か。スコットランドのフェンス職人三人組が主人公、というわけのわからなさに惹かれて読んでみた。会社に雇われて牧場のフェンスを建てる三人組の生活はひたすら、フェンス建てる/パブでビール呑む/帰って寝る、の単調な繰り返し。ときどき周りで「うっかり人が死んだ」りするけれども、あっさり埋めてしまうとまた何事もなかったかのように作業へ戻る。このあたりの日常/非日常がただのっぺりと続く世界観を描きたいんだろう。いつもの作業を繰り返しているうちに、いつのまにかブラックでおかしな世界に迷いこんでいる、といったかんじ。独特のとぼけた語り口がユーモラスで好ましい。
■結末は「奇妙な味」のいわば典型に思えるから、これでブッカー賞を争ったらしいのはちょっと意外(ちなみにそのときの受賞作は、イアン・マキューアンの『アムステルダム』(新潮社)なのだそうです)。労働者階級というのが評価に加味されたりしたのかな。といっても快調に読めて充分に愉しめたし、こういう文芸/娯楽系のはざまにあるような作品がちゃんと訳されてくるのは喜ばしいと思う。

(2000.9.11)


『鏡の中のブラッディ・マリー』   ★★★
ジャン・ヴォートラン(高野優訳/草思社)
Bloody Mary/Jean Vautrin(1978)

「見栄っ張りなんだな。そうやって、いつも空想しているんだろう」
「そうよ」彼女は認めた。「退屈な人生を飾るの」
なにかの雑誌で――「マリ・クレール」で読んだ言葉だ。
(p.130-131)

■作者は映画業界出身のフランス人作家。もうひとつ邦訳の出ている長篇『パパはビリー・ズ・キックを捕まえられない』(同社)と、これもやっていることはだいたい同じ。パリ郊外の低家賃団地を舞台に、退屈な日常生活に倦んだ奇妙な住民たちの群像、そしてひょんなことから生じる逸脱行為や暴力衝動がシュール気味の筆致で描かれる。1970年代の作にもかかわらず、今年書かれたといっても不思議でないくらい現代的な風味を感じさせる。
■閉塞した暮らしのなかで異世界を夢想する登場人物たちの姿は、どこか常軌を逸していながらも妙にリアルで印象的。その住民たちの生態をカメラ的視点で活写したうえで、それぞれの無関係なはずの生活が、闖入者をきっかけに意味のあるようなないようなずれたかんじで偶然交錯して……という展開のさせかたは、映画的な演出を連想させる。ひとときのカタストロフのあとも、やっぱりまた日常は続いていく。おもしろく読めたけれど、どちらかといえば先の『ビリー・ズ・キック』のほうがミステリ色が強くて読みやすかっただろうか。

(2000.9.11)


『二人の妻を持つ男』   ★★★
パトリック・クェンティン(大久保康夫訳/創元推理文庫)
The Man with Two Wives/Patric Quentin(1955)

■作者の代表作で、主人公の心理や人間関係のもつれにわりと重きをおいた路線のゆったりしたサスペンス。確かになかなか読ませるし発表当時は意義深かったんだろうけど、いまあえて読まれるべきほどの出来でもないかなあ。
■題名からも想像されるとおりの優柔不断な主人公、ビル・ハーディングの一人称描写は結構おもしろい。この人の語りはだいたい言い訳に終始するばかりで、よく見ると結局ほとんど何も決断しないまま流されるように話は進んでいく。ここまで主体的な行動をとらない主人公像も実はなかなか珍しいかもしれない。「安定」した「良き家庭」を営んでいるはずなのに、どこか満たされない……そんな主人公の心情は、強大な米国の庇護のもとでひとまず物質的な繁栄や安定を手にしたものの、ほんとにこれで良かったのだろうか?との一抹の不安や違和感を拭い去れない1950年代の気分を反映したものでもあるんだろう。(そういう意味では法月綸太郎の指摘するように、レイモンド・チャンドラーの精神と通じるものがなくもない)
■謎解きとともにこれまで見えなかった身近な人物の意外な素顔が明かされ、それによって主人公のこれまでの人生や築いてきた居場所もひっくりかえされる、という展開は、僕がスコット・トゥローの作品群に共通して感じる手法(この古い文章を参照)によく似ている。さすがにトゥローのほうが現代的だし洗練されているけれど。ちなみに、本作でこの展開が思ったほどの効果を挙げていない理由のひとつは、誰が怪しいのか作者の手つきでだいたい想像がついてしまうせいだと思う。主人公の当然感じるだろう驚きや衝撃を、読者のほうはすなおに共有しにくい。まあ難しいところか。

(2000.9.9)


『水の棺の少年』   ★★★★
スティーヴン・ドビンズ(高津幸枝訳/ハヤカワ文庫NV上下)
Boy in the Water/Stephen Dobyns(1999)

「つまりな、××××は悪だったが、生まれついての悪だ。あの教師やら弁護士やらは自分で悪になった感じだ。あれかこれか選べたはずなのに、悪党になろうと決めたみたいだ」(p.351/Vol.2)

■昨年訳された『死せる少女たちの家』(同文庫上下)で認知を広めつつあった作者の新作。この作家は『奇妙な人生』(扶桑社ミステリー文庫)と『死せる少女たちの家』を読んだかぎりでは、何らかの犯罪や事件を描くというよりも、その展開を通じて、誰の心にもひそむ小市民的な醜さや嫌らしさをじわじわとあぶり出していくのが身上の作風らしい。要するに底意地の悪い作家(パトリシア・ハイスミスと似たような意味で)なんだろうけど、それでいて娯楽性もきちんと備えているのは好ましい。
■そんなわけで、場末のへぼ学園を再建するため新任の校長が乗り込んでくる、というような筋書きの本作も、当然ながらさわやか感動路線へ展開していくはずもなく、新校長ジム・ホーソンを冷ややかに出迎える陰湿なゴシップや悪意や嫌がらせの数々をひたすらねちねちと描いて物語は進む。先に挙げた二作では一人称の語りがたいへん効果的に使われていて、あくまで小市民的な性格の語り手が、超然たる観察者としてふるまいながら不意にその地位を突き崩される、という瞬間には、読者をも巻き込んでいく迫力があった。それにくらべて今回の語りはごくまともな三人称で、主人公格のホーソンはほとんどの場面で毅然とした行動をとる、正義派の人物として描かれる。あえてこういう書法を採った狙いのひとつは、読者にホーソンの「正しさ」から一定の距離を置かせるためだろう。まっとうな正論のまえに慌てふためく醜くて卑怯な(そして没個性的な)教師たちの姿は、決して他人事とはいいきれない。そんなことを読者は感じざるをえない構造になっている。あいからわず巧妙に読者を巻き込んだ小説づくりをする作家だと思う。
■衝動的に暴力をふるうサイコキラーが校内に潜伏しているため話がややこしくなるのだけれども、殺人者そのものよりもそれを利用しようとする小悪人たちの酷薄さのほうがよほどおそろしい、と心底思わせる場面がいくつかあって秀逸。吹雪のなかで展開するクライマックスは良くも悪くもサスペンス映画的で、読ませるけれどもうちょい伏線を張ってくれても良かったかな。悪人の描写がちょっとわかりやすめだし、登場人物に少々解説をさせすぎていたりと、ドビンズにしてはいささか奥行きが足りないように思えるところもあるけれども、全体的にはさすが充分に感心させてくれた。
■ちなみに、この作家ではこれまでのところ『奇妙な人生』がいちばん好き。ひさびさに集った学生時代の旧友たちが、それぞれの人生の秘密を執拗に暴露しあう(そのさなか、外ではなぜか革命騒ぎが勃発している)、というやたら変な話なのだけど。淡々とした文体のわりに異様なほどハイテンションな展開といい、愛も友情もかけらもない荒涼とした人間関係といい、冗談とも本気ともつかない筋運びといい、実にすばらしい。変な小説を愛好する人はぜひ読んでみてください。(一応まじめに褒めています)

(2000.9.9)


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