▼ Book Review 2000.7
『見えないグリーン』 ジョン・スラデック
『三つの棺』 ジョン・ディクスン・カー
『マンチェスター・フラッシュバック』 ニコラス・ブリンコウ
『ハイ・フィデリティ』 ニック・ホーンビィ
※(ごく主観的な)評価は★5段階。
『見えないグリーン』 ★★★
ジョン・スラデック(真野明裕訳/ハヤカワ文庫)
Invisible Green/John Sladek(1977)
「誰かがわれわれみんなをばらす気でいるわけか、『そして誰もいなくなった』みたいに。きみ、アガサ・クリスティー好きかい?」
「アガサ・クリスティーって誰です?」とフィンは言った。(p.114)
■むかしむかしの素人推理クラブの面々がふたたび集まるとき、なぜか奇妙な密室殺人なんかが次々と起こって……というような筋立てから想像がつくとおり、ジャンル的な自己言及も愉快なユーモア本格推理。こんなかんじの設定にしなければ「本格」のガジェットはもはや機能しないのかもしれないな、なんて思いにかられなくもない。そういえば日本の「新本格」な作品もだいたい学生の推理サークルだとか、そういうのを舞台に選ぶことが多かった。
■いい意味で肩の力が抜けているところが心地よくて、たとえば電波系陰謀史観な元軍人のやたらお馬鹿な熱気なんて最高。ギャグで書いてるとしか思えない記述がある意味伏線になってたりするところは結構すごい。『ABC殺人事件』なみに無理のある連続殺人劇も、なんとか許容範囲か。探偵サッカレイ・フィンのつかみどころのないとぼけた人物像や、事件の発端となるのが結局〈借家人追い出し計画〉みたいな散文的要因だったりする肩すかし感覚なんかを見ると、いまさらながら殊能将之の第二作『美濃牛』はこのスラデックの作風を確信犯的に狙ったものなんだろうな。どっちもSF畑の人らしいし。
■ところで〈"MURDER"をさかさまにしたら"RED RUM"〉の言葉遊びはスティーヴン・キングの『シャイニング』とまるまるかぶってるんだけど、どっちが先なんだろう。
(2000.7.29)
『三つの棺』 ★★
ジョン・ディクスン・カー(三田村裕訳/ハヤカワ文庫)
The Three Coffins/John Dickson Carr(1935)
「さて、いかなる場合においても、推理小説の悪口を言うのに、「ありそうにない」という言葉はもっともふさわしくない言葉だということを指摘するのは、正当なものと思われる。(中略)推理小説が終るまで、どんなありそうにないといったことなど、存在しえないのだよ」(p.223/ポケミス版)
■巨匠カーの代表作として紹介されることの多い作品だけど、これはちょっと過大評価なんじゃあるまいか。少なくとも、カーの古くさい書法がいろんなところで裏目に出てしまっている作品だと思う。たいして魅力のない事件や伏線に、かなり強引くさい解決、そしてエミール・ガボリオを思わせる古風なメロドラマ調も少々うっとおしい。探偵はといえば、見てもいない殺人場面をやたら雄弁かつ詳細に(犯人の心理の流れまで!)解説しはじめる。僕個人がこういう方面に興味を失いつつあるのを加味しても、とても上出来の作品とは思えない。カーと密室殺人の熱烈なファンだけ読めばいいんじゃないかな。
■1935年といえば、本格黄金期もそろそろ下火になりかけてきたころではないかと思うけれど、有名なフェル博士の「密室講義」も純粋な意味でのトリック賛歌というより、ちょっと苦しまぎれの言い訳めいた印象も免れない(翻訳がぎこちないせいもあるかもしれないけど)。ほんの些細な手がかりが決定的な物証になるような「ありえなさ」と、密室殺人に必然性がないといったような意味での「ありえなさ」とは、ずいぶん違うだろう。そういう袋小路的な雰囲気は、探偵フェル博士の最後の叫び〈「わたしはまた、真相を探り当てるという犯罪をおかしてしまった!」〉にも反映されている。このあたりの展開は、もっときれいに処理できれば結構おもしろかったかもしれない。
■ところで、ロンドンで起きた密室殺人の背景として、はるか遠く東欧を舞台にした因縁話が絡んでくる展開は、シャーロック・ホームズ物の長篇のような雰囲気を感じさせる。カー自身はコナン・ドイル作品のなかでもとりわけ長篇『恐怖の谷』を高く評価していたらしいけれども、海を渡った因縁話がめぐりめぐって英国風の殺人に絡んでくるというあの発想を、より洗練された手法で(章立てで分けることなく)表現してみたのが、たとえばこの『三つの棺』の挿話なのではないだろうか。
(2000.7.29)
『マンチェスター・フラッシュバック』 ★★★★
ニコラス・ブリンコウ(玉田亨訳/文春文庫)
Manchester Slingback/Nicholas Blincoe(1995)
■警官たちを除けばノンケの登場人物を探すほうが難しい、というくらい本格的な男色ミステリ……なんて書くといかにも色物みたいだなあ。ひと昔まえのマンチェスターのゲイ社会やダンスクラブなんかの刹那的な都会の風俗(グラム・ロック時代の)を背景にした、ノワール風味の物語。現在/過去のエピソードを交錯させながらだんだんと事件の核心に迫っていく書法は、トマス・H・クックを思わせる(というより『永遠の仔』に近いスタイルか)。で、本筋は『スリーパーズ』(1996)に少し『闇よ、我が手を取りたまえ』(1996)を足したようなかんじ、といえば近いだろうか。
■こういう系統の構成を採るミステリは結局、過去の話のほうに意外な展開が仕掛けてあることのほうが多い。本作でもたしかにその驚きはあるのだけど、実は現在の時制のほうで主人公の行動の動機がずっとぼやけたままになっていて(あくまで三人称だから)、最後のほうで判明するその意図がこれまでの陰惨な物語を一瞬さわやかな光で照らし出す。そんな構成がなかなか興味深かった。ただし視点の処理とか解明の演出なんかは少し粗削りで、いまひとつ洗練されてないような気もしたけれど。
■作者は英国クライム・ノヴェルの新星。ジェイムズ・エルロイやジム・トンプスンを好きで、「生まれ故郷のマンチェスターについて、彼らのようなパワフルな小説を書きたかった」(訳者あとがき)なんて素敵なことをのたまっているらしい。イアン・ランキンなんかもそうだけど、最近の英国にはこういう作家が増えてるんですかね。
(2000.7.17)
『ハイ・フィデリティ』 ★★★★
ニック・ホーンビィ(森田義信訳/新潮文庫)
High Fidelity/Nick Hornby(1995)
無人島に持っていく五枚のレコード、っていう感じで、これまでの別れのトップ・ファイブを年代順にあげるとすれば、次のようになる。
1.アリソン・アッシュワ−ス
2.ペニー・ハードウィック
3.ジャッキー・アレン
4.チャーリー・ニコルソン
5.サラ・ケンドリュー
ほんとうにつらかったのは、この五人だ。ここに君の名前があると思ったのかい、ローラ?(p.9)
■という、不敵なんだか自虐的なんだかよくわからない変な書き出しではじまる英国のポップな小説。昨年訳されてわりと話題になったのをいまさら読んだ。三十すぎてもモラトリアムな音楽おたくのレコード店主が、同棲していた女に出て行かれてうだうだするけれども……というだけの物語を、ふてぶてしくて軽妙な独特の語り口でたいへん心地よく読ませる。とぼけたユーモアは読んでいてつい吹き出しちゃうくらいなのだけど、それは主人公がみずからの失意や焦りを(自分に対しても)ごまかすための情けない韜晦だったりもする。そのあたりのバランス感覚が最後まできちんとしているので、安心して読めるようになっていると思う。
■とにかく語り手ロブのしょうもなさが抜群で、中盤あたりでいきなり明らかになる「人のことを棚にあげっぷり」なんてある意味びっくりした。それから文法で特徴的なのが、噂の「トップファイブ」志向にかぎらず文章中にやたらと「箇条書き」を連発すること。それが小気味よいリズムをかもしだすのにひと役かっている。ここまでしつこく「箇条書き」にこだわっている小説もさすがに珍しいかもしれない。
■内容的にはだいたい、大人になりきれない中年おたくがいままで延ばしまくっててきた人生の清算を迫られる、というような路線なんだけど(やたら赤裸々な語りは、なんとなく「東京大学物語」の中年版みたいなおもむき?)、物語を通じてロブがどれだけ成長しているかといえば、それほど大したことはないような気もしないではない。けれどもそのあたりのある程度地に足のついたような世界観も、個人的には好感を持てた。なにぶん音楽話はほとんどわからなかったけれど、読書に置き換えればだいたい文脈の想像はついたので、それはそれで構わない程度。
■翻訳の森田義信の快調なシンクロぶりも見事で、慧眼なる人選に心から拍手。
(2000.7.10)
Book Review 2000
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