1999年10月

『ハードボイルド・エッグ』荻原浩
『プリズム』貫井徳郎
『青の炎』貴志祐介
『オルガニスト』山之内洋
『最悪』奥田英朗
『盤上の敵』北村薫
『私が彼を殺した』東野圭吾
『アキハバラ』今野敏
『Y』佐藤正午
『透明な一日』北川歩実
『不安な童話』恩田陸
『うつくしい子ども』石田衣良

★は5つで満点。


『ハードボイルド・エッグ』 ★★

荻原浩(1999年10月/双葉社)

「フィリップ・マーロウ。俺と同じ探偵だ」
「へりくつマー坊?」
(p.140)

■題名や装丁からだいたい想像がつくとおり、いささか自虐的な戯画調のハードボイルド探偵パロディ。フィリップ・マーロウのようなかっこよい探偵に憧れるものの、実際にやって来る仕事といえば失せ動物探しばかりの情けない探偵が主人公。小説のなかでしか死体に出会ったことのないその探偵が、ひょんなことから現実の殺し(かもしれない事件)に巻き込まれる羽目になる。
■基本的にメタフィクション風のハードボイルドはわりと好きなのだけど(というか私立探偵小説のダンディズムはもとからパロディ化されざるをえないものだろう)、ただこれは思ったほどには楽しめなかった。ひとつには、主人公のチャンドラー敬愛ぶりがいくらなんでも単純素朴すぎて、ちょっとついていけないせいもある。なんだか唐突に酒場で「タフでなければ……」と例の台詞をつぶやいて、いやこれはハードボイルドの名言ですごいんだよなんて解説されても、何の切実さもなくていまさらパロディにもならないだろう。事件じたいはそこそこまとまっていて「悪くない」とは思ったので、どうもそのあたりが気になった。
(1999.10.31)


『プリズム』 ★★★★

貫井徳郎(1999年10月/実業之日本社)

私にとってそれは、目まぐるしく姿を変える万華鏡か、あるいは様々な色の光を乱舞させるプリズムのようだった。(p.208)

■これはなかなかの意欲作。少なくとも本格好きなら要チェックではないだろうか。なにしろ作品の構造が特殊なのでどこまで明かしてよいものか判断が難しいのだけど、作品全体の仕掛けそのものは、最後にむりやりつなげたみたいなところを除けばおもしろい趣向だった。先入観なしに読めたのも良かったかな。
■物語は小学校の女性教師が殺された(のかもしれない)事件をめぐって展開する。被害者のもとには睡眠薬入りのチョコレートが届けられていた……という設定がそこはかとなくアントニイ・バークリーの『毒入りチョコレート事件』を匂わせるのだけど、まさしくその期待に沿うかたちで話は進んでいく。各章で登場人物が独自に事件の真相を追って、それぞれ異なった結論に至って納得してしまう。どれも素人だから捜査力もなく、恣意的にいわば勝手な妄想を繰り広げるのだけど、生前の女教師とそれぞれ個人的関係を結んでいた(生徒から不倫関係まで)というあたりが、『毒入り〜』の暇人推理クラブとはひと味異なる。立場が違えば事件を見る目や真相の心当たりもがらりと変わる。つまりそれぞれの視点の差に、ある程度ドラマ的必然性があるわけで、そのあたりをおのおのの一人称語りでしっかりと描けていたと思う。どんでん返しなど派手な展開は皆無だけれども、うまくまとまっている。
■あとがきでは作者みずからが所信表明をおこなっている(これを読むと貫井徳郎はまじめな人なんだろうなと思う。たとえば東野圭吾なら絶対にこんなことはしないだろう)。ポオの『マリー・ロジェの謎』の系譜を酌んだ「推論の過程」を楽しむミステリを提示したかった、とか問題提起としてはそれなりに興味深いのだけど、このあたりは実際どんなものだろうか。創作がちょっと理論に縛られてしまっているような印象は措いておくとしても、僕はやっぱり、「推理」の行為そのものは結局どうでもいいような感触を抱いてしまうんだよな。読みながらあんまり推理なんてしないし(そうでない人もいるのだろうけど)。少なくともこの小説で犯人などを素直に検討する気にはあまりなれなかった、というのが正直なところ。
(1999.10.29)


『青の炎』 ★★

貴志祐介(角川書店/1999年10月)

このところ、部屋やガレージにひとりでいても、とりと めもない殺人計画を夢想するだけで、なにひとつ生産的 なことはできないでいた。(p.30)

■というように、高校生の少年が完全犯罪をもくろむさまを克明に描く、少し暗めの青春犯罪小説。主人公が偏差値高めの高校生らしくて、Z会の通信添削とか国語教科書の『山月記』とか、そういった高校生活の小道具も細かく描かれてそれなりに重要な役割を果たす。だいたい同じようなところを通過してきた者としては懐しい気分も味わえた。
■殺人計画を案出していく過程はかなり工夫があって話も細かく、なかなか面白く読めるのだけれど、ナイフの挿話とか鍵の隠し場所とか、あとで効いてくる伏線がどうにも作為的すぎて筋立てにはしらけてしまった。なんか作者のほうも、犯行プランを練りあげるのは面白かったものの、そのあとの持っていきかたにはさほど興味が湧かなかったのじゃないかという気がする。たとえば幕切れの展開にしても、ただの自己陶酔にしか感じられなかったのは僕だけじゃないはず。この人は無理してヒューマン路線とかを狙わないほうがいいんじゃないだろうか。真保裕一の『奇跡の人』にも似たようなことを感じたのだけど。
■これはまったくの余談だけど、主人公が妹に「分数の割り算」の概念を教える場面はたぶんジブリのアニメ映画「おもひでぽろぽろ」(柳葉敏郎と今井美樹が「声の出演」をしてるやつ)から思いついたにちがいない。あの映画では学校の勉強にいや気がさす例として「分数で割るってのはどういうことなの?」という問いが引かれていて、あれはきっとインテリを自負する者ならきちんと説明をつけるべく愚考せずにはいられなかったと思うので。
(1999.10.27)


『オルガニスト』 ★★★

山之口洋(新潮社/1998年12月)

「感動」などという言葉を不用意に使ってはいけない。人間の感動の構造はとても単純なのだから、感動を至上の目的とする者は真の芸術家ではありえない。

■第10回日本ファンタジーノベル大賞の受賞作。
■新人賞の選評めいた言い方をすると、ネタはなかなか面白いけれどもその見せ方の洗練と筆力がついてきていない、そんな印象だった。
■交通事故から挫折を余儀なくされた天才オルガン奏者、ヨーゼフ・エルンストをめぐる物語が本筋で、なんとなくスティーヴン・キングの『刑務所のリタ・ヘイワース』を思い出さないでもなかった(ほんとはだいぶ方向性が違うけど)。どんな状況にあっても、何にも負けない意志の力さえあれば人ははばたくことができる、そんな極限を超えた「壮絶なさわやかさ」みたいなものを感じさせてくれる。ただしクライマックスの場面が映像的にはB級SFみたいで、個人的にはちょっと興醒めだった。
■構成的にはインパクトのある展開を説明口調で流してしまったりなどの見せ方のまずさで損をしている気もした。中途半端な三人称視点の設定をせずに、テオドール・ヴェルナーの一人称で通したほうがすっきりして良かったかもしれない。そのほうが幕切れも美しかったのではないだろうか。
(1999.10.25)


『最悪』 ★★★★

奥田英朗(講談社/1999年2月)

■帯の文句から『シンプル・プラン』みたいに平凡人が悪鬼と化してしまう話なのかなと勝手に想像していたらちょっと方向が違った。トラブルがやたら次々と積み重なって「最悪」に至ったとき、つい終わりのない日常から逃げだしたい気分になる、そんな瞬間を切り取った物語じゃないかと思う。そのトラブルたちがどこにでもありそうなものだけれどどこにも逃げ道がない、といううまい具合に設定されていて、効果的に閉塞感をかもしだしている。
■考えてみると、もっと極端などたばた劇にしても面白かったんじゃないかとか、三人の視点で交互に進めるのなら『私が彼を殺した』みたいに一人称で進めるほうがすっきりしていいかもなとか、いろいろ言いようはあると思うけれど、なんだか「まあいいか」という気にさせてしまう、そんな不思議な大衆性みたいなものがこの小説にはあると思う。描写が軽快かつ展開が流れるようにスピーディで、すらすらと読めるし。終わりかたもなかなかクール。
■しかし巻末の参考文献が一見して安易な本ばかりみたいで、こんなのわざわざ書くなよと思ってしまった。そのあたりの底の浅さみたいなものが気に障る人はいるのかも。
(1999.10.24)


『盤上の敵』 ★★

北村薫 (講談社/1999年9月)

■登場人物をチェスの駒に見立てる物語といって思い出すのは、キャサリン・ネヴィルの『8』。あの話では「ボーン」から「ビショップ」「ルーク」まで、出てくるやつらが主人公もふくめてこれでもかと駒の役割に見立てられるのがゲーム的でなかなか楽しかった。本筋は大した話じゃなかった気もするけど。
■この『盤上の敵』にはキングとクイーンしか出てこないのでそういったゲーム感覚は薄いけれど、この前振りがトリックと密接に絡んでいて、なるほどそうきたかと思わせる。でもこの構図がなかったらまったくしょうもない話かもしれない……。というのも、けっきょくネタが明かされてもあまり美しいと思えないんだよね。後半が作者の言い訳みたいな説明口調になってしまっているのと、殺人犯の闖入が物語を面白く彩っていないためだと思う。はっきり言ってこいつがいてもいなくても事態は何も変わってないわけだし、行動にも無理がありすぎ。読者を欺くためだけに存在するようなものだね。やっぱり北村薫だからそのへんのまとめあげるうまさは期待してしまうところがあるので、これでは不満だなあ。
■わりと「白の女王」の章の不安な語りが評判いいようだけれど、個人的にはただ精神不安定な女がだらだらとしゃべってるだけみたいな感想で、ヒロイン像にも魅力を感じられず正直いって退屈。これいいですかねえ。まあこの人の女性描写は昔から好みのわかれそうなものではあるけど。それにしても交互にはさまれる夫の章もかなり平板だし、普通こういう構成をとったら少なくともどちらかは面白いものなんだけど。
■ちなみにこれも「メフィスト」連載作品。どうもあそこのものとは相性が悪いようで。

(1999.10.21)


『私が彼を殺した』 ★★★

東野圭吾 (講談社ノベルズ1999年2月)

■東野圭吾といえばもうすっかり人気作家の地位を確立してしまった観があるけれども、正直いうと最初に読んだ『放課後』があまりにしょうもない話だったので、個人的にはあんまり印象が良くない。後味の悪い幕切れのほうが格上と信じているみたいなところだとか、どうも書き手としての姿勢にどこか相容れないものを感じてしまう。
■というわけで話題沸騰のこの本もいまさらになって読んだ。筋書きそのものはけっこうありがちなどろどろ愛憎劇という気がする。最後に変な刑事がしゃしゃり出てきてむりやり解決に導いてしまうところなんかも、なんだか『名探偵の掟』で笑いのめしていた2時間サスペンスドラマを思わせるような展開だった。あえてそれを意図したという見方もできないことはないだろうけど。
■でそろそろ本題。こういってしまってはなんだけど、「犯人当て」というのはそんなにミステリの中核なのだろうか。このなかのどれが犯人だろうかというのよりも、たとえば海外の某有名作みたいにどちらが犯人なんだと思っていたらいきなり後ろから殴られる、みたいな意外性が真にミステリ的な展開じゃないかと僕は考えるので、あらかじめ決まったなかからただだれが実行したのかを推理するだけならあまり面白みがないような気がするのだけど。それはミステリ読みの態度としては異端なんだろうかね。どうせ三人とも本気で殺したがっていたのなら、どれが犯人でもいいじゃないかと思ってしまった。
■ちなみに真相のゆくえについてはここ(ネタバレ注意)が関連リンク集もついていて便利。どうやら綿密に考えてしまうとすっきりとは決まらなそう。個人的にはそもそも〈決め手となる「ピルケース」がどういう形状でどの程度個性的なものなのかいまいちわからなかった〉のと、〈推理小説で古い指紋も残ることにしてしまうときりがないんじゃないか〉というのが気にならないでもない。
■しかしこの人の文筆のうまさはさすがだった。謎解きとかの事情からかなりの制約を負うなかで三つの一人称をきちんと使い分ける技術は、なかなかたやすくできるものではないと思う。

(1999.10.16)

『アキハバラ』 ★★★★

今野敏(中央公論新社/1999年4月)

「でも、秋葉原では何が起きても驚きませんね」

■秋葉原の大型パソコン店でひょんなことから熱い銃撃戦が展開される、なかなか変な話だった。
■物語の前半はかなりとぼけたどたばた劇の調子で進む。初めて憧れの秋葉原へやって来た秋田出身の田舎オタク青年が不運にも行く先々で騒動に巻き込まれ、そこになぜかイランの女工作員とモサドのスパイ、そして日本のやくざなんてのが次々とからみ、話をややこしくしていく。出てくる日本人はせこい人間とかばかりで、どの人物にもほとんど感情移入なんてできないのだが、逆にそのことがドライな笑劇をうまく成立させているように思う。このあたりはたとえば『ポップコーン』なんかにちょっと似ているかもしれない。実はこういうテイストはけっこう好きなのだ。
■ただしそうして集まった彼らがロシアン・マフィアの強盗作戦に巻き込まれる後半部になると、ちょっと作者のメッセージみたいなものが強くなってくる。言葉や民族の壁を超えた「共感」が大切なのだ、とか。もちろんそれはそうなんだろうけど、それが「アキハバラ」ならではの世界市民的思想というよりも、ただ日本の立場を誇ることにつながってしまうような気がするせいか、いまいち乗りきれなかった。なんというか『沈黙の艦隊』への違和感と似かよったものがあるだろうか。
■評価は3つ星でもいいのだけど、秋田県出身の主人公におまけして★ひとつ増量してみた。しかしこの人、気のせいかかなり年少の読者の目を意識しているふしがあった。最近こういうスタンスの人が増えてるのかなあ。
(1999.10.13)


『Y』 ★★★★
佐藤正午(角川春樹事務所/1998年11月)

■これは有名な『リプレイ』(ケン・グリムウッド)のひとつの変奏曲といっていいだろう。題名こそ明示されてはいないものの、あきらかに作中でもひんぱんに『リプレイ』の話を引き合いに出していて、物語の下敷きにしていることを作者は隠さない。
■いうまでもなく『リプレイ』は人生をやり直したらどうなるだろうか、という話なのだけれど、本当は誰かひとりが人生をやり直して別のことをしてしまったら、周りにいた人間もその影響を被らずにはいられない。その人たちもとうぜん、また別の人生を歩むことになってしまうのだ。その「前の人生」、本来ならそう生きるはずだった前の人生のことをどうとらえるか、というあたりが本書のいちばんの独自性になると思う。この物語のプロローグには、これは人生のやり直しを願った男の物語だ、というようなことがわざわざ記してあるけれど、だから実はそうではないのだ。
■小説的にはワンアイディアの印象もあって内容は薄めかもしれないけれど、女性の意地悪な描きかたなんかはなかなか曲者そうでいい感じだった。
■しかし誤植がけっこう多かった。
(1999.10.12)


『透明な一日』 ★★★
北川歩実 (角川書店/1999年7月)

■最初に読んだ『猿の証言』が案外と面白かったので、この作家にはそれ以来ひそかに注目している。『猿の証言』は刊行当時ほとんど話題にならなかったのだけど(なぜか「このミス」の挿絵を描いてる人だけは妙に注目してくれたみたいだった)、猿は言語能力を獲得できるのか?という学術的問いを結構真剣に追った、相当に変わったミステリだった。しかもどうせこれから読む人も少ないだろうから書いてしまうと、実はかなり見事なフィニッシング・ストロークものなのだ。いわば「理系本格」ミステリの新境地を拓いた意欲作だったと思う。ただし小説づくりがやたら下手で、例えば人物の行動を描いてもその実在感がほとんど伝わってこなかったりするのが弱点だった。そんなところもあって、いまいち一般受けはしないのもそれなりにわかる気がする。
■新作の『透明な一日』でも、交通事故による脳障害のせいで記憶を保つことができない症状に陥り、何年間も「同じ一日」を送りつづける人物、というサイエンス系のネタがまた話の主軸になる。幕切れの展開はこの設定ならたしかにそうまとめるしかないだろうと思わせるものでうまい手なのだれど、その前に明かされる真相がいくらなんでも強引すぎて、ちょっとこれは驚くどころじゃないだろう。
■そういえばデビュー作の『僕を殺した女』も相当に無理のある話だったのだけど、この人の持ち出すどろどろ愛憎関係や実は同一人物でしたネタとかは、単にトリッキーな真相の辻褄合わせに使われているだけみたいで、どうもミステリ的な面白みに欠ける。要は物語のなかでこれしかないというような必然性(あるいは美しさといってもいい)を欠いているのだと思う。この作品のように、そちらの要素を前面に据えてしまうと少々つらい気がする。
■一人称に統一していることもあって、以前にくらべると人物描写や話運びはたぶんそこそこ上達していると思う(もちろん積極的に評価するほどではないけれど、そこを期待して読むわけではないから)。でも『猿の証言』に見た可能性からすると、なんだか小さくまとまってしまったような気もする。

(1999.10.8)


『不安な童話』 ★★

恩田陸 (祥伝社ノン・ノベル/1994年12月) ※文庫版もあり

■恩田陸は巷でかなり評価を集めつつあるらしい作家だけれど、僕はいまのところ乗りきれない。最近ようやく読んだ『六番目の小夜子』は、昔『りぼん』とかで読んだような学園もの少女漫画の風味が懐しくはあったけれども、全体的な話はずいぶん破綻気味でどうかと思ったものだった。この人にかぎらず少女漫画風味の強い作家の書くものは、こちらが思考基盤を共有してないせいなのか、どうも最初からいまいちなじめないことが多い。まあ女性読者にはきっと逆の現象もあるのだろうから、お互いさまなのだろうか。
■本作では、主人公が物故した女流画家の展覧会でその画家の断末魔を幻視したことにはじまり、もしかして生まれ変わりでは?とこれまたいかにも少女漫画風の方向に展開するのだけれど、これもどうもなじめなかった。そもそもこの主人公は「人の心を幻視する」特殊能力を有している設定なので、何かを幻視したからといってすわ転生か、といきなり話が盛り上がってしまうのはずいぶん無理のある展開といわざるをえない。この方向で延々と話を引っ張るのはどうにもつらかった。結末では案の定「やっぱり違いました」ということになっていたし。まあ、もともと個人的に「転生」の出てくる話はどうも好きになれないんだけど。
■女流画家の遺書にしたがって4枚の絵をそれぞれ指定された人物に届ける(と、何かが起こる)前半のプロットはゲーム性があって面白い趣向なのだけど、結局こちらも尻すぼみの閉じ方に終わってしまう。少女漫画風怪談の風味で味付けした、薄味のサスペンスというところだろうか。

(1999.10.7)


『うつくしい子ども』 ★★★

石田衣良 (文芸春秋/1999年5月)

■現代的青春もの『池袋ウェストゲートパーク』で昨年、鮮烈なデビューを飾った(そんなに話題にはならなかったけど)著者の第二作。『池袋〜』では回を重ねるごとに物語も長くなり、筆も滑らかになっていた気がするので、この初の長編もなかなか期待できるのではないかと思って読んでみた。
■こんどの物語の設定は、例の神戸事件の犯人・少年Aにもし兄弟がいたらどうだろうか、というもの。ひとつ歳長の兄の視点から見た「事件」が語られる。容貌も成績も平凡なのだけれど(あばた面だから「ジャガ」)、事件の渦中にも純粋でしかもしっかりと地に足のついた視点を保っていて、読んでいてほっとさせられる。なかでも文章の末尾にちらりと印象的なひとことを残すのは、かなり意識して書かれているようで心にくい手法。思えば前作『池袋〜』で描かれる青春群像というのも、基本は困っている仲間を助けるとか、まさに下町人情ものみたいな風情だった。「現代の若者」がどうしたなんていちいち気張らない、これもひとつの手かもしれない。
■重い題材をずいぶんさらりと処理したかんじで、あとは主人公の特技(植物マニア)がクライマックスで活きてくれたらなあとか、全体的な整合性の点では疑問符がつかないでもないけど、読みやすくさわやかな佳作だと思う。作者としてはむしろ主人公の同世代くらいに読んでほしいのかもしれない。
■しかしこういう路線でいくと、どうしても重松清と比べられてしまうだろうな。

(1999.10.5)

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