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▼ 2003.12



2003-12-01

読書メモ
今月公開の映画
12月13日:『息子のまなざし』 Le Fils (2002)
宮台真司の解説:ダルデンヌ兄弟監督『息子のまなざし』
12月13日:『ジョゼと虎と魚たち』(2003)
予告編を見たら、冒頭で道端に乳母車が転がり、その中には池脇千鶴が! 病んでいるとしか思えません。ぜひ観たい。
hirokiazuma.com/blog

はてなダイアリーを休止した東浩紀氏がMovableTypeに移行。>hirokiazuma.com/blog

来年には有料のメールマガジン「hirokiazuma.com::magazine 波状言論」を発行、その創刊準備号を12月15日に公開予定とのこと。西尾維新とか『ファウスト』には興味がないのだけど、文芸批評(?)の本格的なメールマガジンというのは珍しい気がするので、創刊準備号は読んでみたい。

はてなダイアリーは休止します

ところで、はてなダイアリー - ok.memoには10月以降書き込んでいませんが、このまま更新を止めて今後書き込むのはこちらだけにする予定です。更新される箇所が複数あっても読む側にはメリットがないことにいまさら気がついたので……。ウェブ上から更新できる日記ツールをいちど試しに使ってみたくて、だいたい感じは掴めたのでいいかなと思っています。

はてなダイアリー自体は良くできた日記サービスで、特に初めてウェブサイトを開設する人には向いていると思います。何よりキーワードリンク機能があるので、例えば「東浩紀」という単語を書いておけば東浩紀に興味のある人が勝手にキーワードを辿って見に来てくれる、ということがあるのが大きい。ウェブサイトをゼロから始めた場合、趣味や関心の範囲が合う人に対してその存在を知らしめるのはそんなに易しいことではないので。

2003-12-06

『狩人の夜』と『裸の町』

藤原編集室の「topics/注目の新刊」で知ったのだけど、『狩人の夜』(チャールズ・ロートン監督)[amazon]、『裸の町』(ジュールス・ダッシン監督)のDVD版が来年1月下旬に発売予定とのこと。どちらも定評のある犯罪映画の古典ですね。

『このミステリーがすごい!』と『本格ミステリ・ベスト10』

『このミステリーがすごい!』(宝島社)[amazon] [bk1]と『本格ミステリ・ベスト10』(原書房)[amazon] [bk1]の本年度版が書店に並んでいたので拾い読み。

国内編では歌野晶午『葉桜の季節に君を想うということ』(文芸春秋)[amazon] [bk1]がともに1位と大好評。本格畑の弾不足が『このミス』にも波及して票が集中したということなのだろうか。『葉桜〜』はテキスト上の仕掛けが物語上の謎解きと噛み合っていないので、「必読の失敗作」としては興味深いかもしれないけれど、こぞって褒め讃えるような作品ではないと思う。以前の『世界の終わり、あるいは始まり』のほうが成功していた。

『このミス』海外編1位のサラ・ウォーターズ『半身』(創元推理文庫)[amazon] [bk1]は、以前『ジャーロ』誌の新刊レビューで、波長が合って物語に没入できた読者以外には案外底が見えてしまう、というような指摘がなされていて同感だった。

『このミス』の記事では、矢口誠の「ノワール」作品回顧のコラムが面白かった。「ノワール」は元からあったジャンルではなく後から作られた呼び方で、そのきっかけは1980年代以降のパルプ・ノワール再評価(映画『パルプ・フィクション』に象徴される)、日本では『ミステリマガジン』の「パルプ・ノワール特集」以降だ、という観点で歴史を整理したうえで作品を論じている。(この矢口誠氏は『ジャーロ』の新刊レビュー座談会でも参考になる発言をしていることが多くて、他のところでも文章を読んでみたかった書き手)

個人的には『このミス』は匿名とかではなく、きちんと作品を掘り下げる座談会をやってくれたら読みたいんだけどな……そのための人材がいないわけでもないだろうと思うし。

『チャンピオンズリーグパーフェクトBOOK』

サッカー批評責任編集『チャンピオンズリーグパーフェクトBOOK』(双葉社)[amazon] [bk1]。コンビニの雑誌棚を眺めていたらたまたま目に止まって購入。サッカーライターの中で良心的な記事の書き手として評価されている(と僕が認識している)、大住良之、後藤健生、湯浅健二、西部謙司といった面々が執筆陣なので安心して読める。とりわけ、一般向けにわかりやすい文章を書けるという点で個人的にいちばん支持している西部謙司の執筆記事が多くて参考になった。

やはり話題の中心はベッカムの加入した「銀河系」レアル・マドリーと、大富豪ロマン・アブラモヴィッチの率いる「チェルスキー」ことチェルシー。決勝トーナメントではぜひ直接対決してもらいたい。今季のレアル・マドリーに対する評価や期待は論者によって見解が割れているようで面白い。

と書いていて改めて気がついたけれど、現時点では「スカパー」に加入していないのでチャンピオンズリーグの放送をほとんど見られないのだった。いまさら遅いけど、WOWOWでチャンピオンズリーグ、スカパーで各国リーグ、という体制を維持してほしかったなあ。

2003-12-07

阿部和重『シンセミア』(朝日新聞社)

上巻:[amazon] [bk1]
下巻:[amazon] [bk1]
★★★★

前の『ニッポニアニッポン』がいまひとつだったので危ぶんでいたけれど、これは面白く読めた。

ひとりの主人公に寄り添う視点の『ニッポニアニッポン』では単なる言わずもがなの「突っ込み」に終始していた三人称叙述が、映画のように複数の視点を切り換える『シンセミア』の群像劇構成では無理のないものになっている。群像劇ではそれぞれの登場人物は物語世界で起きる出来事の一部しか知らないことになる(また、場面をどこで切り換えるかを操る語り手の存在がはじめから想定される)ので、全知の語り手が作中人物たちを揶揄するという語り口でもしっくりくる、ということだろうか。

多数の登場人物がそれぞれ限られた情報と個人的な動機にもとづいてばらばらの行動を取り、それらがゲーム的に連鎖していく。いかにも「群像劇」な感じが再現されていて良い。

登場人物のなかでおそらく読者ともっとも近い位置にいるのが、パン屋の息子で盗撮好きの田宮博徳と、真性ロリコン警官の中山正。このふたりは「女を振り向かせようとしている」という意味でもある程度読者の共感を得やすい存在だろう。田宮博徳は夫婦仲の冷えきっていた妻とよりを戻そうとし、中山正は道端で見かけた美少女に何とかして近づこうとする。この先に何か別の段階へたどり着くことがあるのだろうかと予想していたのだけれど、どちらの行動も最終的に他の登場人物と同じく群像劇を動かす「部品」のひとつとして回収されてしまうのがいくぶん拍子抜けだった。物語がミステリ的に解決されすぎたことに物足りなさを感じるということかもしれない。

田舎町で起きた殺人事件をきっかけに、事件そのものよりも人間関係のねじれや地域共同体の崩壊していく過程に焦点を当てる趣向は、スティーヴン・ドビンズの『死せる少女たちの家』などを思い浮かべる(全部通して観ていないのだけれどTVドラマ『ツイン・ピークス』もその部類に入るだろうか)。

ポール・トーマス・アンダーソンの『マグノリア』とか、最近のアメリカの若手映画作家のあいだにはロバート・アルトマン的な群像劇の手法を流用する動きがあるようで、そのあたりとの近似性も感じた。

2003-12-08

伊坂幸太郎『アヒルと鴨のコインロッカー』(東京創元社)

[amazon] [bk1]
★★★

東京創元社の新シリーズ「ミステリ・フロンティア」第1回配本。伊坂幸太郎は『このミス』で2作ベストテン入り、第一作『オーデュボンの祈り』[amazon] [bk1]文庫化、そしてこの新作と、何か図ったように売り出されている。

この新作は『重力ピエロ』と似た路線。テンポの良い語り口で「現在」と「過去」の物語が交互に提示され、ふたつの時間が交わるところに一定の驚きがある。ある物語の主人公は別の物語では脇役かもしれない、という視点の転換はちょっと映画『パルプ・フィクション』を思わせる。

先を読ませる魅力はあるけれど、以前から指摘されていたように悪人の造形が平板で乗り切れなかった。弱者をいたぶる同情の余地のない悪人が、罪のない善人に危害をおよぼすとなると、物語に乗せられてその悪人を憎むより前にどうしても作り事だと思えてしまう。(ちなみに、いまや「国民作家」に近いだろう宮部みゆきの小説にも似たような物足りなさを感じることが多い)

2003-12-09

柳下毅一郎『シー・ユー・ネクスト・サタデイ』(ぴあ)

[amazon] [bk1]
★★★

『Weekly ぴあ』連載の映画コラムを単行本化。「その週に映画館で観られる映画」という縛りで、しかもどこでも観られる新作映画でなく、ミニシアターの特集などで上映される旧作を中心に取り上げている(『マトリックス』や『ファイト・クラブ』のようなヒット作は二番館にかかっている時に取り上げられたりする)。コラムは分量も短く、正直それほど突っ込んだ内容とも思えないのだけど、ゴダールからラス・メイヤー、エド・ウッドまで、硬軟とりまぜて広い分野に言及しているので基礎知識の確認にはなる。作品のセレクションから、ああこんな特集上映もあったのねと回顧できて何となく得した気分になった。

コミック作家ロバート・クラムを取り上げたドキュメンタリー映画『クラム』と、トッド・ヘインズ監督の『SAFE』(ジュリアン・ムーア主演で「化学物質過敏症」の主婦を描いた作品らしい)、あとカトリーヌ・スパーク主演のアイドル映画『太陽の下の18歳』は観たくなった。

ジョン・セイルズ監督の日本での不人気を嘆いた記事があるので、まとまった論考を読んでみたい。「青臭いほどの社会正義を正当派アクション映画の枠に落とし込む」のがセイルズの魅力というのは、『メイトワン』とか『希望の街』あたりを念頭に置いているんだろうか。(でもセイルズはどちらかといえばアクションというより群像劇の人じゃないかとも思うけれど)

2003-12-11

佐藤哲也の『アヒルと鴨のコインロッカー』書評

cake@小説」で知ったのだけど、今週号の『週刊現代』に、佐藤哲也による伊坂幸太郎『アヒルと鴨のコインロッカー』の書評が掲載されている。映画の手法を引き合いに出したりと、佐藤哲也らしい文章(というか佐藤哲也の映画感想でなく書評を読んだのははじめての気がする)。ちなみに伊坂氏は佐藤哲也の小説の大ファンらしい。

2003-12-12

『このミス』の矢口原稿

以前言及した『このミステリーがすごい!』掲載の矢口誠氏による海外ノワールの記事、「杉江松恋は反省しる!」の12月12日でも褒められている。もう流れてしまったけれど藤原編集室の「業務日誌」でも好意的に言及されていたりと、反響を呼んでいるみたいだ。

2003-12-14

『息子のまなざし』

Le Fils (2002)
監督:ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ
★★★

全篇手持ちカメラ撮影、音楽なし、セットなし(たぶん)の「ドグマ95」みたいな手法の映画。こういう趣向の作品を映画館で観るのははじめてではないのだけど、今回は前の方の座席に陣取ったせいか少し「手ぶれ酔い」してしまった(ちなみに僕は乗り物酔いしやすい体質)。

観客にとって不自由な、世界を俯瞰できない視点のもとで、登場人物たちのある重要な関係が中盤まで伏せられたままになる。それが明かされて物語全体の意味を読み替える構成には一種のミステリ的な魅力があるのだけれど、そこは例えば『シックス・センス』ほど作為的ではなく、さりげないものになっている。

こういう「現実的な日常」の範囲から逸脱しない地味なリアリズム演出の映画にはあまり興味がないのだけれど、『息子の部屋』みたいに過去を振り返る心情が中心ではなく、あくまで「現時点で何が起こるか」に焦点を当てているので退屈せずに観られた。というか僕は最後のほうまで「静かなスリラー映画」として見守っていたのだけれど。

Blog of the Yeah!2003 結果発表

Blog of the Yeah!2003」の選考結果が、INTERNET Watch の記事ウェブログ@ことのは:Blog of the Yeah!2003Event速報で公表されていた。

最近愛読している面白ニュース翻訳の「X51.ORG」がニュース部門1位、および Best Blog に選出ということでとりあえずめでたい。ここは内容・レイアウトともに完成度が高く、誰にでもお薦めできる(特定のジャンルに興味がなくても面白く読める)ウェブサイトなので素晴らしいと思う。

『スコルピオンの恋まじない』

The Curse of the Jade Scorpion (2001)
監督:ウディ・アレン
★★★

ウディ・アレンのクラシック映画ごっこ。主人公が保険会社の調査員なのは『深夜の告白』、会社の中の描写や、ヒロインがいけすかない上司とできているのは『アパートの鍵貸します』と、ビリー・ワイルダー色が強いか。基本は性格の強い男女が反発しながら近づいていくという、いわゆる「スクリューボール・コメディ」の類型を踏襲したもの。懐かしい佳作なのだろうけど、クラシック映画の枠組みをいま語りなおすことによる異化効果みたいなものは少ない(ウディ・アレンが画面に登場すること自体が「異化効果」なのかもしれないけど)。シャリーズ・セロンは『LAコンフィデンシャル』のキム・ベイシンガーみたいなヴェロニカ・レイク風の髪型で登場。

2003-12-15

「波状言論」創刊準備号

東浩紀のメールマガジン 「波状言論」の創刊準備号(00号)が公開

「西尾維新ロング・インタビュー」によると、新作『きみとぼくの壊れた世界』は、いつも自分たちの小説が「君と僕」「壊れた世界」と言われるので、開き直ってそのサンプルになるようなものを書いた入門編らしい。それなら試しに読んでみようかと思った。「君と僕」の命名者はたぶん二階堂黎人(2002年9月16日)なのかな。

若島正の『青白い炎』評(毎日新聞)

2003-12-18

『東京ゴッドファーザーズ』

東京ゴッドファーザーズ (2003)
監督:今敏
★★★★

フランク・キャプラ作品のような、ウェルメイドな人情ものにしてクリスマス・年の瀬映画の佳作。クライマックスになるビルの屋上の場面では、ダスティン・ホフマン主演の『ヒーロー/靴をなくした天使』(1992)を思い出した(これもフランク・キャプラ監督の『群衆』(1941)を語り直した映画)。

東京の街を舞台にして、実写に近い光景が映される。ではアニメでやる意味はどこにあるのか、と考えることになるけれど、それは例えば実写でホームレスを主人公にした映画を撮っても、気持ちよく観られないか綺麗事で白々しいか、どちらにしても現実との照合が気になって素直に観られないものになってしまいそうだ、ということになるだろう。アニメなら「ホームレスを主人公にしたファンタジー」を抵抗なく展開することができる。「偶然のめぐりあい」を多用した脚本も、アニメの画面ならそれほど気にならない。

2003-12-19

『ヘヴン』

Heaven (2002)
監督:トム・ティクヴァ
★★

ポーランドの映画作家、クシシュトフ・キェシロフスキの遺稿脚本をドイツ出身のトム・ティクヴァ監督(『ラン・ローラ・ラン』)が映画化したもの。キューブリックとスピルバーグの『A.I.』みたいな感じだろうか。

ちなみに『ラン・ローラ・ラン』の「些細な偶然によって運命が変転する」可能世界バリエーションは、キェシロフスキの『偶然』をもとにしていると思われる。

ケイト・ブランシェットが「誤爆」行為で警察に捕まって尋問される前半部は、世界をコントロールしようとする者は「偶然」の配剤によってそれを阻まれる、というようなモチーフが貫かれていてそれなりに退屈しない。映像も端正で、あまり見たことのない綺麗な画面のスリラー映画のようでもある。ただし警察から脱走した後の展開は、『地獄の逃避行』みたいな「犯罪者の逃避行」ものの筋書きをありきたりになぞっているだけのようで新味に欠ける(というか主人公たちが何をやりたいのか動機がわからない)。

2003-12-21

『本の雑誌』1月号と『シンセミア』

『本の雑誌』最新号を拾い読みしてみたら、池上冬樹・豊崎由美の両氏がそれぞれ阿部和重の『シンセミア』を娯楽小説として褒めて、「田舎ノワール」というような表現で形容していた。豊崎由美の書評が戸梶圭太の『なぎら☆ツイスター』を引き合いに出しているのは、僕も読んでいて連想した題名なので納得。ど田舎を舞台にした映画的な群像劇で、登場人物がみんな「激安」なのが共通する。ちなみにもうひとつ『シンセミア』を読んでいて僕が連想した作品は、アーヴィン・ウェルシュの『トレインスポッティング ポルノ』。これも地方を舞台にした群像劇で、登場人物たちがポルノ映画を製作しはじめるところなんかも『シンセミア』の盗撮サークルの雰囲気と結構似ている。

『SIGHT』18号

2003年総括特集。読書の分野では、「エンターテイメント」が北上次郎と大森望、「文芸」が高橋源一郎と斎藤美奈子、「ビジネス・科学」が稲葉振一郎と山形浩生、など。

北上×大森の対談は、以前は二人の世代・嗜好の違いがもっと際立っていた気がするのだけれど、さらに若い作家も出てきているせいか、いま読むとそれほど意見の差異を感じなかったりする。大森望によると、今年の翻訳SFの収穫は『しあわせの理由』『あなたの人生の物語』『海を失った男』『ヨットクラブ』の短篇集4点らしい。森絵都『永遠の出口』は知らなかったので読んでみようかと思った。

高橋×斎藤の対談では、今年評判になった長篇小説『シンセミア』『ららら科學の子』『カンバセーション・ピース』はどれも2000年を舞台にしている、でも2001年の「9.11」を境にメディアと社会の状況は大きく変わってしまったのではないか、という指摘が出ていて興味深かった。

『死ぬまでにしたい10のこと』

My Life without Me (2003)
監督:イザベル・コヘット
★★

製作総指揮にペドロ・アルモドバルの名前が入っているのでもっとけばけばしい世界の話なのかと思っていたら、『8 Mile』ばりの(あるいはケン・ローチ作品みたいな)貧乏トレイラー生活が描かれていて意外。親父は刑務所だし。それに合わせたのか映像も手持ちカメラ風の粗い感じだった。

筋書きにはここで触れないけれど、物語のために「死」を勝手に捏造してメロドラマを演出しているような気がして違和感をおぼえる(アルモドバルの映画にも似たような抵抗を感じる)。ロマンスをしたくなったら偶然ちょうど良い相手と出会い、子供の世話を頼みたくなったら都合良く素敵な隣人が引っ越してくる、といった安易な展開にもがっかり。

主演は『スウィート・ヒアアフター』のサラ・ポーリー。かつてはユマ・サーマン2世として期待されていた気もするけれど、すっかり「薄幸のヒロイン」として定着してきたような。

2003-12-22

「柴田くんの質問箱」講演録

12月21日に青山ブックセンター本店で行われた講演のメモ(青月にじむさん作成)。古川日出男の『サウンドトラック』を、村上龍やスティーヴ・エリクソンに通じる系統の後継者として絶賛しているみたい。

勲位辞退者

J・G・バラードの「ありもしない『帝国』の名で与えられる勲章など馬鹿げている」という発言は格好いい。

2003-12-27

クリント・イーストウッド監督の新作

新作『ミスティック・リバー』は来年1月10日公開。アカデミー賞有力候補とも言われていて相当評判が良いらしい。

『ミスティック・リバー』公式サイトによると「もうひとつの『スタンド・バイ・ミー』」が売り文句になっているようだけれど、原作者デニス・レヘインの第二作『闇よ、我が手を取りたまえ』はスティーヴン・キングの『IT』を下敷きにした私立探偵小説だったので、あながち外れではないのかもしれない。(『ミスティック・リバー』は未読)

ところで、クリント・イーストウッドと同じくらい長期にわたる俳優・監督としてのキャリアを誇り、ハリウッドの商業主義から一歩退いたところでいまも着実に作品を発表しつづけ、映画界の長老として後進からの敬愛を集めている人物というと、該当するのはウディ・アレンしか思いつかない。イーストウッドとウディ・アレンといえば「強い男」と「弱い男」の象徴、偉丈夫のタフガイと貧弱なインテリ、トレードマークはマグナム銃と眼鏡、出身地は西海岸(サンフランシスコ)と東海岸(ニューヨーク)。すべてが対極に見えるけれどそれゆえにバランスが取れている気もして、実際には結構お互いを意識しているんじゃないだろうか。

ここ数年、クリント・イーストウッドが監督をして自身は出演していない映画といえば、『真夜中のサバナ』(1997)と今回の『ミスティック・リバー』(2003)。『真夜中のサバナ』のジョン・キューザックは『ブロードウェイと銃弾』(1994)、『ミスティック・リバー』のショーン・ペンは『ギター弾きの恋』(1999)と、どちらもその数年前にウディ・アレン監督作品で主演を張っている俳優を選んでいることになる。

『ジョゼと虎と魚たち』

ジョゼと虎と魚たち (2003)
監督:犬童一心
★★★

予告編で目にした「乳母車の中に池脇千鶴」の導入部に勝るインパクトを与える場面はなかった。

池脇千鶴の演じる「ジョゼ」は足の不自由な美少女、しかも料理上手で好色なわけで、きわめて男に都合の良い(搾取されやすい)存在ということになる。そこを突き抜けて何かのひねりがあるのかと期待していたのだけれど、そういう洞察は感じられなかった。

たまたま出会った相手が美男・美女だったから良いものの、そうでなかったらどうなるのだろうか、と心配してしまうような恋愛映画は、どうやって愉しめば良いのかよくわからない。

監督の犬童一心は『大阪物語』(脚本)、『金髪の草原』と来てこの作品と、いわば「池脇千鶴ひと筋」で来ている人。ということは当然ロリコンの気があるに違いなく、この映画では近所の少女たちを必要以上にじっくりと撮っていて、これは「目移り」しているんじゃないだろうかとはらはらした。

柳下毅一郎『興行師たちの映画史』

青土社 [amazon] [bk1]
★★★★

副題は「エクスプロイテーション・フィルム全史」。映画はもともと芸術ではなく「見世物」として始まったという観点で、魔術師フーディーニ(脱出芸)、トッド・ブラニング(フリークショー)、ヤコペッティ(モンド映画)、ラス・メイヤー(ポルノの帝王)、ウィリアム・キャッスル(ギミック映画)などの見世物師・興行師的な映画人の経歴と業績(?)を振り返る。

映画の基礎知識に乏しいので、情報として参考になる部分が多かった。「見世物」という側面に注目して映画の歴史を語り直す視点は刺激的だけれど、現代の作品に結びつけるところをもっと明確にしても良かった気がする。

フリークス映画、ドラッグ映画、セックス映画などには、昔からどれも取って付けたような道徳的お題目が用意されていて(「障害者への差別をなくそう」とか「正しい性教育」とか)、その実は観客の好奇心や欲望を満たす見世物として機能していた、という指摘が面白い。いまもそれほどあからさまではないにせよ似たようなことはあるのじゃないかと思う。

本書中でたぶん一番熱く語られている映画『フリークス』はいま見てもいろいろと考えさせられる傑作なので、未見の人がいたら一見の価値はあると思う。

『興行師たちの映画史』サポートページ

ひとりblog of the year

という記事を書いているかたがいたので興味深く読む。「ARTIFACT −人工事実−」と「X51.ORG」は同感。どちらも「Blog of the Yeah!2003」にも選出されているウェブサイトだけれど。

今年印象に残ったウェブサイト

今年の小説や映画を振り返るのと同じような意味で、今年印象に残ったウェブサイトを挙げてみてもいいだろうと思い至る。なにしろ今年は下手すると読書の時間よりもウェブを眺めている時間のほうが長かったかもしれないので……。

  • 対象は広義のウェブログ(ないしウェブ日記)とする。→1.個人が運営している、2.毎日に近い頻度で更新される、3.文章主体のウェブサイト。
  • 当然ながら僕の読んでいる範囲に限られるので、内容は小説・映画などの分野に偏る。(参考:はてなアンテナ
  • 以前から読んでいたところよりも、今年になってから知った/読むようになったウェブサイトを優先して挙げる。
  • 年間を通して継続的に更新されていたところを対象とする。

以上の方針で6つのウェブサイトを挙げさせてもらった。どこも一度は言及していると思うので、ここを継続的に読んでくれている人には新味がないと思うけれど。

小説や映画を論じる文科系のウェブサイトでは、今年一番活発で目立ったところじゃないだろうか。ミステリ小説なども取り上げられるようになって題材が身近になったせいか、改めてその分析の鋭さに感心することが多かった。

以前予告されていたグレッグ・イーガン評を楽しみにしているのだけれど、展覧会で忙しそうなので難しいかも(追記:その後12月29日にアップされた)。あと、そのうちnDiaryなどの日記ツールを導入してくれるとありがたいです。(と、要望を書いてもしょうがないか)

今年一年間、新作映画のレビューをほとんど欠かさず、面白い語り口で続けていたのはたぶんここだけ。どうでもいいような映画へのレビューでも面白い読み物に仕立て上げてしまう腕前がすごい。自分ではそういうの書けないので。

読んだ本、観た映画の作品評をそのまま書くのではなく、こういうスタイルで切り取る文章もありなんだなという発見。以前「アフォリズム的な短文」と書いたことがあるけれど、だんだん当時よりも文章が長くなっているような。シンプルなデザインも好み。

いつのまにか人文系の巣窟になった観のある「はてなダイアリー」の代表格として。Blogツールが普及するとウェブサイトの開設が簡単になり、もっといろんな人が参加できて面白くなるのではないかという議論があるけれど、それをもっとも実感できたのが「はてなダイアリー」の展開だった。

「陸這記」は若干、評論が自己目的化しがちに思えるところもあるけれど、刺激を受けることが多かった。

ウェブ上の主な話題はだいたいここで捕捉できたと思う。そつのないまとめ方に感心。ここみたいにあえて価値判断を留保する書き方も必要なんだろうと最近考えるようになってきた。

  • X51.ORG[世界の変なニュース]

毎日よくおかしな記事を拾ってくるものだなと感心する。世界のサッカーニュースにバイアスをかけて翻訳する「0-0 empate」(旧「352」)を愛読してきた者としては、翻訳ニュースサイトというのは単純に好きな趣向。誰にでもお薦めできる間口の広い面白さがあって、画面レイアウトも完成度が高い。

2003-12-28

『ブルース・オールマイティ』

Bruce Almighty (2003)
監督:トム・シャドヤック
★★

ジム・キャリーの演じる主人公ブルースの役柄は、アンカーマンを目指しているのにお笑いレポーターとしてしか認めてもらえないTVキャスター。これはシリアス俳優を目指してもアカデミー賞からは無視されるというジム・キャリー自身の芸歴を反映した自己パロディだろう。相手役のジェニファー・アニストンが「写真を『PLAYBOY』に送ろうか」と言われるおふざけがあったりと(アニストンは盗撮トップレス写真を『PLAYBOY』誌に掲載されて訴訟を起こしたことでも知られる)、アメリカ国内向けの目配せが多い。というあたりからも察せられるように、手を抜いた感じのぬるいコメディ。

劇中のTVで『素晴らしき哉、人生!』の一場面が挿入される。『マジェスティック』(2001)もフランク・キャプラを意識した作品だったらしいし、ジム・キャリーはジェイムズ・スチュアートを目指していたりするんだろうか。

「全能の神」になったジム・キャリーが勝手なことをやった結果、日本で災害が発生したり、地元バッファローで暴動が起こったりする。つまり、アメリカ大統領がいいかげんな政策を取ると、遠い国々でも大迷惑、しまいにはお膝元にも火が付きますよ、という遠回しな政治風刺を込めているに違いない。……と、適当な勘繰りをするくらいしか面白味のない脚本だった。神の能力を手に入れるという着想も、自分勝手な主人公が身の回りを見つめ直して改心する過程も、表面だけなぞったようで物足りない。

いかにアメリカが映画大国といっても、さすがにこの程度の映画まで輸入する必要があるんだろうかと考え込んでしまう。

2003-12-29

今年観た映画

今年観た新作映画で面白かったもの。どれも年間ベストというには弱いのだけれど。

  • 『ボーン・アイデンティティ』
  • 『シティ・オブ・ゴッド』
  • 『エデンより彼方に』
  • 『東京ゴッドファーザーズ』

『ボーン・アイデンティティ』はあまり評判にならなかった気がするけれど、CGによる誇張とは無縁のストイックな娯楽アクションを久しぶりに堪能させてくれたので満足。筋立ての説得力だとかは正直どうでもいい。『シティ・オブ・ゴッド』は物語内容が素晴らしいのに、作為的でせわしないカメラワークと編集が邪魔になっていて惜しい。『アモーレス・ペロス』のアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥとともに、スコセッシ、タランティーノらの米国の犯罪映画を吸収した作り手がラテンアメリカから出現しているようで、今後も要注目だと思う。『エデンより彼方に』は「1950年代のサバービア」の風景を精巧に再現しようとする無謀さが素敵。『東京ゴッドファーザーズ』は年末に観て良かったので。

以下の4本も上に挙げた作品と変わらないくらいに面白かった。

  • 『戦場のピアニスト』
  • 『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』
  • 『アバウト・シュミット』
  • 『ほえる犬は噛まない』

『アバウト・シュミット』のアレクサンダー・ペイン監督は、オフビートな学園もので注目を集め、次の作品ではベテラン大物俳優を迎えて人生の機微や冠婚葬祭を描いて幅を見せる、というと、『天才マックスの世界』『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』のウェス・アンダーソンと似ている。アメリカの若手監督のあいだではこういう路線が流行っているのかもしれない。これまでの作品が「ホップ、ステップ」だとすると、次の段階はどんなものになるのだろうか。

劇場へ観に行ったなかでつまらなかったのは『シカゴ』と『座頭市』で、どちらも面白い箇所を見つけることさえできなかった記憶がある。『シカゴ』は『ダンサー・イン・ザ・ダーク』が公開された後にそれよりも中途半端なかたちでミュージカルを相対化してどうするのかと思うし、『座頭市』はTVの隠し芸大会にしか見えなかった。

旧作で観たなかでは、『チャンス』と『泳ぐひと』がたいへん面白かった。どちらも小説が原作なのだけど、映画の脚本としても筋が通っていて最後まで興味が途切れない。

2003-12-30

今年読んだ小説

今年読んだ新刊の小説で面白かったもの。

  • グレッグ・イーガン『しあわせの理由』
  • ドナルド・E・ウェストレイク『鉤』
  • ジェフ・ニコルスン『美しい足に踏まれて』
  • パーシヴァル・ワイルド『探偵術教えます』
  • ジム・トンプスン『取るに足りない殺人』
  • アーヴィン・ウェルシュ『トレインスポッティング ポルノ』
  • 阿部和重『シンセミア』

読んだ冊数が相当減っているので、来年はもうちょっと何とかしたい。

『しあわせの理由』は徐々に読者層を広げているようで嬉しい。ただ表題作以外は正直なところジャンル外の読者に訴える魅力が少ないと思うので、初めて読む人は先に出た短篇集の『祈りの海』(冒頭の「貸金庫」が傑作)のほうが読みやすいかもしれない。

今年読んだ旧作では、何といっても大西巨人『神聖喜劇』(全五巻)が素晴らしかった。一人称叙述の文章を書くということは、そのまま語り手の人格を作り上げること。すると普通に考えて、尋常でない個性と智力をそなえた語り手を説得力をもって描くのがいちばん難しいということになる。『神聖喜劇』は、それに正面から挑んで成功している希有な作品。ワトソン役を持たない「名探偵」が猛烈にハードな語りを繰り広げる実験小説としても読めるので、ミステリ小説の見地からも興味深い。部落差別などの非論理的な慣習や偏見を近代的知性が徹底的に解明していくという意味でも、ミステリ小説に通じる面白さと痛快さがあるように思う。

読書ガイドでは、『サロン・ドット・コム 現代英語作家ガイド』と若島正『乱視読者の英米短篇講義』は今後も読書の指針として参照することになりそう。仲俣暁生『ポスト・ムラカミの日本文学』も参考になった。

2003-12-31

オムニバス映画『10ミニッツ・オールダー』の各作品評。とりあえず「人生のメビウス」だけ覗いておけば良いか?(もともとビクトル・エリセ作品を収録しているこちらのほうが人気ありそうだけれど)

『イン・アメリカ 三つの小さな願いごと』

In America (2002)
監督:ジム・シェリダン
★★★

ジム・シェリダンは『父の祈りを』で実話の冤罪事件を映画化していた人。今度の作品は自分の家族の実体験をもとにしたものだそうで、よくやるなあと思ってしまう。

導入部の場面から、この映画が大人ではなく姉妹の姉(サラ・ボルジャー)を視点人物にして語られることがわかる。少女の視点で語られる映画といえば、幼い妹、まだ現実と物語の区別がつかない年下の少女のほうを視点人物にしたものでは『アラバマ物語』や『ミツバチのささやき』といった名作があるけれど、もっと社会の現実が見えるようになった年頃の姉の視点で語られるものはあっただろうか。などと考えてみると、『となりのトトロ』がそうだったはずだと思い出す。モンスターのように見えた隣人(黒人男性)が聖なる存在だとわかるという展開も似ている。

というより、この映画は『E.T.』を下敷きにしていることが明示されているので、『トトロ』が『E.T.』を元にしているということなのかもしれないけれど。『となりのトトロ』と、これも『E.T.』の系列に入るだろう『ミリイ/少年は空を飛んだ』なんかにも共通するのだけれど、この映画でも、聖なる隣人の「奇跡」に接することで、誰かの不在による欠落感を抱えていた家族に前を向く明るさがもたらされることになる。

子役にけなげな役柄を演じさせるといういかにもな「感動作」ではあるけれど、サラ・ボルジャーの演じる主人公の人物造形に(「理想的な子供」すぎると思いながらも)独自性があって愉しめた。

ほしおさなえ『ヘビイチゴ・サナトリウム』

東京創元社 [amazon] [bk1]
★★

題名から、『ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹』(映画『ヴァージン・スーサイズ』の原作)と、ブルーノ・シュルツの小説『砂時計サナトリウム』を連想させる、と書こうとしたら、作中でもすでに言及がなされていた。

ポール・オースターの『鍵のかかった部屋』を持ち出したところは期待させてくれたのだけれど、謎解きの展開がほとんど「説明」になっていて読み物としては物足りない。前半部で時系列や語り手を変えた場面が挿入されるのも、説明のためにとった構成に見える。

少女の不安定な自我が描かれるのは近藤史恵の『ガーデン』あたりにも共通するだろうか。

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