In the Name of the Father (1993)
★★
ダニエル・デイ=ルイス主演。IRAの爆弾テロ実行犯として誤認逮捕、投獄されたアイルランド人親子を描いた冤罪裁判もの。冤罪事件の話を被害者側の証言だけから再現されてもなあ、としか思えない一方的な告発映画で後味が悪かった。こういう実際の事件をドキュメンタリーでなく「映画」として再現する意義はどこにあるんだろうかと考えてしまう。結局「俺達アイルランド人は英国政府に不当な仕打ちを受けているんだ!」という、鬼の首を取ったような政治的アピールが残っただけのような気がする。
単純に劇映画として見ても、説明的なナレーションが多くて原作を映画的に消化しきれていない感じがするし(映画を観ただけで原作本があることを想像できる典型的な例)、冒頭から弁護士に助けを求めていることが示されるのだから、前半は投獄される結末になるのが見えていて、脚本の構成も単調。「実話」の重みに寄りかかった安易な映画化だと思う。
Grotesque (1995)
★★
原作者のパトリック・マグラアが脚本も担当している映画版。主人公の古生物学者がアラン・ベイツで、歌手のスティングが「怪しい執事」役で出演している(なぜか全裸姿も見せる怪演)。
原作はもともとひねくれた叙述の面白味で読ませる小説で、映像化に向かないタイプの作品。この映画版はその点を補う別の工夫をしているわけでもなく、また「語り手が全身麻痺の植物人間」という趣向が作品の導入部でなく終盤に提示されているので、普通の煮え切らないミステリー映画のような構成に見える。不気味なゴシック的雰囲気を見せるにもセットが安くて嘘臭いなど、あまり良い出来といえる映画ではなかった。
主人公の娘を演じているLena Headeyがちょっと良い感じ。最近の作品では『抱擁』(2002)や『アメリカの友人』(2002)などにも出演しているようだ。
探偵小説研究会編著/原書房
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★★
日本の「新本格ミステリ」15年の作品群を振り返るブックガイド。
すでに散々語られて評価の定まっている作品について、独自の視点から読み直すわけでもなく、当り障りのない一般的な情報を書き連ねている文章が多いので、新たな発見に乏しい。正直なところ、独自の視点を示していて興味深く読めたのは、法月綸太郎作品担当の巽昌章の文章くらいだった(例えば、あの傑作『魍魎の匣』に関して、何でこんなどうでもいいことしか書けないのだろうか?)。どうせならもっと論者の主観的な意見を前面に出したほうが刺激的な内容になったのではないかと思う。たぶん「メフィスト賞」以降のライトノベル系入門者に「新本格」の成立経緯や作品群を改めて紹介するのが主旨なんだろうけど、何だかそんな狭い範囲で囲い込みや権威付けをしなくても、という気がする。
ブックガイド以外のコラムで目新しかったのは、「新本格」以前の本格ミステリ読者の動向を証言した法月綸太郎の「反リアリズムの揺籃期」。でもこれは上の世代の読者には常識の範囲内かもしれない。
打海文三/角川書店(2002.4)
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★★★★
印象は『不夜城』+『白夜行』。近未来の猥雑な架空都市という舞台設定から構築して、映画的な犯罪劇を展開するのは『不夜城』的な発想で、過去の事件を紐解きながら、複数の関係者の視点からある人物の肖像を浮かび上がらせていく構成は『白夜行』に通じる手法。物語の構想と設定がとても凝っていて感心する。特に架空の犯罪年代記を徐々に明かしていく気宇は壮大で、腐敗した警察の内部抗争という題材といい、ジェイムズ・エルロイの「LA四部作」を思い出させる。
ただし、それを語る叙述構成は、過去の事件を複数人物の視点から掘り返していく形式を採っているので、結果としてどの時点で真相を提示するのかが、物語的な出来事によるのではなく作者の恣意的な選択しだいになっている、というのに近い印象を受けた。これはパズラー系のミステリ小説で、明確な探偵役を置かない作品が陥りがちな落とし穴にも通じる。複数視点による群像劇構成と、過去の事件の謎解きをどちらも両立させて進めるのは難しいのではないか、という気もする。例えばエルロイの『ホワイト・ジャズ』は一人称視点の小説で、『白夜行』は複数視点で時系列順に語られる構成だった。これで過去の年代記の絵解きよりも、現在の物語的な進展のほうが前面に出ていればさほど支障はないのかもしれないけれど。このため全体的に文章のリーダビリティが加速せず、また個々の場面で説明的な記述が必要になっている(終盤にも説明的な長話が入る)。優等生の書いた秀作で感心はするけれど、あと一歩で傑作にはなり損ねた作品という感じがする。
とはいえ、高村薫の傑作『リヴィエラを撃て』以来かもしれない、ジョン・ル・カレ的な骨太の和製スリラーの収穫として記憶されても良い出来なのは確かだと思う。
実は『仁義なき戦い』を未見だったりするのはさすがにまずいだろうか。関連掲示板としてm@stervisionのi/o portなど。
銀林みのる/新潮文庫
★★★
送電線の鉄塔の魅力に憑かれた少年の、ある夏の日の冒険。少年の日の忘れられない冒険を回想する、という物語形式は『スタンド・バイ・ミー』に似ているけれど、日常のありふれた風景のなかに過剰な意味を幻視する主人公の視野には、スティーヴン・ミルハウザーの『エドウィン・マルハウス』にも通じる奇怪でエキセントリックな趣きもある。
どんな趣向の話なのかは序盤でだいたい把握できるので、この小説の独特の「鉄塔」ヴィジョンに惹かれるかどうかで評価の分かれる内容だろうと思う。その意味で、個人的にはちょっと乗りきれなかった感じがある。
語り手が少年時代の自分の利己的な言動を隠さず詳細に分析していて、単に少年時代を理想化したノスタルジックな語り口になっていないところが独特で好感を持てる。
マーガレット・ミラー/柿沼瑛子訳/創元推理文庫
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The Murder of Miranda - by Margaret Miller (1979)
★★★
マーガレット・ミラーの後期の作品。『狙った獣』とか『殺す風』のような過去の作品を連想させる要素もありながら、匿名の中傷文をひたすら書き続ける偏屈者、やたら小生意気なお子様など、ほとんど『不思議の国のアリス』にでも出てきそうな戯画的な登場人物たちを配した群像劇になっているのが独特。前半はそのブラック・コメディ的な人物描写が面白いけれど、結末に向けて人物の動かしかたが作為的になって無理が出ている感じがする。ミラー作品は『殺す風』や本書のような、いかにもパズル的な解決を狙って組み上げられたものよりも、『心憑かれて』みたいに偶発的な筋立ての作品のほうがどちらかといえば印象が良い。(『狙った獣』と『まるで天使のような』は、別格)
ミラーの夫、ロス・マクドナルド(ケネス・ミラー)は1976年の『ブルー・ハンマー』を最後に絶筆、1983年に病没するので、この時期はすでにアルツハイマー病に冒されていた頃だろうと思われる。そんな微妙な時期に、夫を亡くしたばかりの未亡人が若い美男に惹かれて追いかけまわす、という筋書きの小説を発表しているのもすごい度胸のような気がするけれど、最終的にその未亡人は、自分の都合で別の夫婦を引き裂こうとしたために罰を下される。つまりこれは、夫婦の契約が一時のよろめき恋愛に勝利する話として読める。ついでにいえば、この作品の「年増の女が悲惨な化物になる」という内容は、ロス・マクドナルドの代表作『さむけ』の裏返しなのかもしれない。
Marathon Man (1976)
★★★
ダスティン・ホフマン主演のスリラー映画。撮影は先頃亡くなったコンラッド・ホール。
序盤から脈絡の見えない複数の挿話が並行して語られて、開始後1時間ほど経過してもほとんど話の全体像を把握できない、という不敵な構成に惹きつけられる。ただし筋書きが明かされてからは単なる安っぽい陰謀劇になってしまい、前半で謎を振りまいたつけが回ってきたのか、展開も説明的になって失速。
コンラッド・ホールの格調高い映像は前半のオペラ劇場あたりでは発揮されているものの、全体としては貧乏臭い場面が多く、彼が撮影監督でなくても良かった映画のような気がする(チェス対局場や法廷など、高級感のある舞台のほうが映える人だと思うので)。映像の端正さでいえば、ネストール・アルメンドロスの『クレイマー、クレイマー』(1979)(同じくダスティン・ホフマン主演でNYが主な舞台)のほうが印象的だった。
古谷利裕氏の偽日記で、このところ舞城王太郎や佐藤友哉の話題が取り上げられている。
2003/01/08に、佐藤友哉『水没ピアノ』に関して、
最初のページからいきなり読者を跳ね返そうとしているとしか思えないような鬱陶しい悪文がうだうだとつづくので、……
と記しているのは同感。『水没ピアノ』は読もうとしたもののその詰まらない文章に辟易して、冒頭2,3ページで挫折してしまった。
ポール・オースター/柴田元幸訳/白水Uブックス
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The Locked Room - by Paul Auster (1986)
★★★
『ガラスの街』、『幽霊たち』、そしてこの本、三つの物語は究極的にはみな同じ物語なのだ。ただそれぞれが、僕が徐々に状況を把握していく段階におけるそれぞれの段階の産物なのだ。(p.182)
いわゆる「ニューヨーク三部作」の最後の一冊。
不在の親友=作家について別の人物が語る形式の小説で、『リヴァイアサン』(1992)はこれの再話だったことがわかる。作家の伝記を書こうとして過去をたどっていくうちに自分を見失ってしまうのは、ナボコフの『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』みたいな趣向。
評論家が作家の内面(「鍵のかかった部屋」?)に迫ろうとする筋書きが、読む者と読まれる者の関係と呼応しているのは興味深いけれども、ちょっと寓意がわかりやすすぎる気もする。似た内容の『リヴァイアサン』のほうが個々のエピソードに面白味があって良かった。それにこの小説の「不在の主人公」ファンショーの過去の経歴は、過去に船で働いていたことがあり、渡仏経験もある、という点で作者ポール・オースターと重なっている。さすがに自己言及の度が過ぎるんじゃないだろうか。
連城三紀彦/集英社文庫
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★★★
短篇集。恋愛もののような衣をまとっているけれど、フレンチ・ミステリ風の技巧で「演技」と「操り」の虚実を幾重にも裏返す作品が揃った一冊。
「操り」の構図を連発するところは山田風太郎のミステリ作品とも通じるけれど、人間を単なる物体とみなす唯物的な冷徹さに行き着く風太郎作品に対して、連城作品の立場はいわば「唯心論」に近い。演じられた人格にも心があり、それはひょっとすると現実よりも確かに「存在」するのかもしれない、という立場。ありもしない人格をもっともらしく捏造してみせるのが小説だと考えると、これはとても小説的な思想だといえるかもしれない。
収録作品の「喜劇女優」などを読むと、小川勝己の『眩暈を愛して夢を見よ』あたりには連城三紀彦の影響があるだろうことをうかがえる(作中でもオマージュ的な言及があったけれど)。
ローレンス・ブロック/田口俊樹訳/二見文庫
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Hit List - by Lawrence Block (2000)
★★★
『殺し屋』の続編。これはたぶんドナルド・E・ウェストレイクの某作を裏返した構想なのではないかと推察する。
『殺し屋』のような短篇集でなく緩いつながりの長篇になっているせいか、作者の他のシリーズ作品と異なる独自性が薄れている。例えば、切手蒐集や絵画の話題は泥棒バーニイものを書くときに集めた情報をもとにしているのだろうし、空虚な殺人動機を抱えた犯人と対決する構図はマット・スカダーものを思わせる。また、主人公ケラーの次に登場頻度の高い、仕事の仲介者ドットのキャラクターにあまり面白味を感じられないのが気になった。前の『殺し屋』のときは、他人の口にする比喩を解さないケラーとの間のずれた会話が、ちょっと他で読んだことのないような良い味を出していたのだけど。
リュミエール兄弟からヌーヴェルバーグ、そして現在までのフランス映画の歴史を概括する。著者の前書きにもあるように「教科書」的な知識を過不足なくまとめた内容で、フランス映画に疎い者にとっては、名前だけ聞いたことのある映画監督だとか、基礎知識の確認という意味で参考になった。反面、それ以上の独自性を期待すると肩透かしかもしれない。歴史の流れを語るのが主眼なので、当然ながら取り上げられるのは歴史的な影響力の大きかった作品になり、その作品が現在の視点で観て面白いのかどうかはあまり検証されない(例えば『勝手にしやがれ』をいまさら観てほんとに面白いのか、とか)。あとは、フィリップ・ド・ブロカのような非「ヌーヴェルバーグ」系の映画監督に関する記述も少し読んでみたかった。
本書でもジャン・ルノワール監督の代表作として最大級の賛辞を贈られている『ゲームの規則』は、映画史に残る名作として各種の人気投票で決まって上位に挙がる作品だけれど(最近でもロバート・アルトマンの『ゴスフォード・パーク』が『ゲームの規則』を下敷きにしていたらしいので話題になった)、日本ではビデオ等が見つからず、いまだに観られないでいる。
それにしても、例えば『小説の解剖学』のような小説解析本と、こういう違う分野の本をひとりで著せてしまう中条省平は、当代でも最強の評論家のひとりかもしれないなあ。
シオドア・スタージョン/山本光伸訳/ハヤカワ文庫NV
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Some of Your Blood - by Theodore Sturgeon (1961)
★★★
前半部でジョージ・スミスなる人物の半生記が提示され、後半には精神科医による書簡・インタビューが入り混じってその文章に突っ込みを入れていくという、多重テキスト形式の小説。どこまでが真実なのか裏づけられないテキスト構造、精神科医、静かな怪奇小説、といった面から、パトリック・マグラアの小説を連想した。漫画的なフィクションの題材をまったく別の文法から描いていくという、『アンブレイカブル』的な手法を実践した小説としても読める(これが〇〇〇を描いた話なのを明かしている帯と解説の文句はネタを割っているので、できれば事前に目を通さないほうが良い)。
この種の多重テキスト形式のホラー小説の常として、作中テキストの読み物としてのリーダビリティが高くないのが難だろうか。