【恋ってね! 武藤編  -04-】
 
 朝、教室に入ると、東雲が真野に数学の宿題を写させてもらっていた。いつもと同じ光景だ。
 普段、俺は呆れるだけで、挨拶だけしてさっさと自分の席に着く。
 だが、今日は違った。
「東雲、宿題ぐらいは自分でやりなよ。他人のやったものを写しても、自分の勉強にはならないよ」
 気紛れ以外の何者でもないが、俺は東雲に自分の宿題は自分でやるように注意した。以前も同じようなことを言ったことがあるけど、あのとき東雲は自分の頭が悪いからと言い訳にもならない言い訳をして、結局、最後まで真野の解答を丸写ししていた。
 どうせ今回も同じことだろうと、俺は半ば諦め気味だった。
「……武藤」
 東雲はプリントから顔を上げ、驚いた顔で俺を見つめた。
「んだよ、武藤。俺が好きで見せてやってるんだからいいだろ? あの先生、宿題忘れたら、忘れた宿題の三倍は課題出すからな。可哀相じゃん」
「先生は無意味に宿題を出しているわけじゃないと思うけど? 自分の力でやらず、結果的に東雲の学力が下がることのほうが可哀相だと俺は思うけどね。月並みな言い方だけど、真野、甘やかすだけが愛情じゃないんだよ?」
 だからといって、甘やかしもしない俺の態度が愛情から来ているのかと聞かれれば、けっしてそうではないのだが。
「真野、俺、自分でやるから!」
「飛鳥……」
「あの、見せてくれてありがとう。でも、俺、自分でやるから!」
 東雲は途中まで写し終えた解答を消しゴムで消し、最初から自分で解き直そうとした。その東雲の行動は、俺にとって意外だった。
「お、おい、飛鳥。先生、来ちまうぜ?」
「ん。……でも、自分でやるから」
 東雲は唇をきゅっと噛み締め、プリントに向き合った。東雲の変化に驚きながら、俺は東雲がプリントを解く姿を見守った。
 最初の一問目から東雲は躓(つまず)いていた。こんな簡単な問題が分からないなんて、授業を真面目に受けていないんだろうか? 俺は呆れた。
 だが、一生懸命に問題に取り組む東雲の姿は好感が持てた。
 俺が問題の解き方を説明する前に、担任の先生が来てしまったので俺は席に着いた。
 東雲は結局、数学の時間までにプリントを終えることは出来なかった。運が悪いと言うべきか、数学の授業は一時限目にあったのだ。
 クラスの中で唯一宿題を忘れた東雲は、数学の教師から叱られ、後で職員室に特別課題を出すから来なさいと言われていた。東雲は神妙な顔で頷いていた。
 俺は間違ったことを言ったわけではないが、少々責任を感じてはいた。いつもどおりに真野のプリントを写して提出していれば、先生に怒られることもなかったのだ。ちょっとだけ可哀相だと思った。
「東雲、今日の放課後、図書室に寄っていかない?」
 昼休み、廊下ですれ違ったときに俺は東雲に声を掛けた。
「え?」
「数学の課題、分からないところがあったら教えてあげるよ。俺、数学得意だから」
「あ。うんっ! ありがとう!」
 俺の言葉に東雲は満面の笑みを浮べた。東雲が俺の前で、こんなふうに曇りの無い笑顔を見せるのは珍しい。俺といるときは東雲は、いつも不安そうな顔をしていた。笑うときもひっそりと微笑むだけだった。俺の心の迷いが、東雲にも伝わってしまっているのだろう……。
「東雲、今日、掃除当番だったよね。待っててあげるから、きちんと掃除しなきゃダメだよ」
「うん」
 簡単に掃除をサボる東雲に釘を刺したのだが、東雲は素直に頷いた。
 以前、東雲は、俺の言うことならなんでも聞くしなんでもすると言っていた。どうやらその言葉はベッドの上以外でも有効らしい。
 東雲の従順さを可愛いと思うと同時に、俺は怖いと思った。俺は誰かの『神』になれるほど、立派な人間ではない。自分がいつでも正しいわけじゃないことを、俺はちゃんと分かっている。東雲が俺の言うことを鵜呑みにするのなら、俺は東雲の前にいるときは、発言に十分気をつけなければいけない。
 ……やっぱり、こんな不健全な関係、良くないよね。
 問題はいつどうやって、この関係の終わりを切り出すかだ。下手をすれば東雲の心を壊してしまいかねない。過去の自分の迂闊な行動を自分で罵倒しながら、俺は悩んだ。
 しかし名案は浮かばず夏休みに入ってからも、俺は東雲を抱き続けた。



「あっ……アンッ……あっ……」
 東雲は俺の体に跨り甘い声を上げながら、速いリズムで腰を動かしている。いわゆる騎乗位というヤツだ。
 俺は頭の後ろで手を組み、東雲の艶やかな表情を鑑賞していた。
 絶景、である。
 東雲の滑らかな頬はピンク色に染まり、目は情欲の涙で潤み、唇からはひっきりなしに艶やかな声が漏れている。この顔を見て煽られない男はほとんどいないに違いない。
 俺のナニもこの淫らな光景に興奮して、カチコチに硬くなっている。そしてソレは東雲の体内に呑み込まれ、キツク締め上げられ、東雲の靡肉(びにく)にたっぷりと愛されている。
 俺は東雲の体の上を、舐めるように視線を這わせた。自分の剛直が出入りしている部分に注目する。東雲が腰を動かすたび、結合部からはくちゃくちゃと濡れたイヤらしい音が聞こえる。
 清らかな東雲の体を汚しているのが自分かと思うと、背徳感と優越感が自分の内部で溶けずに混ざり合う。
「やっ……あアンっ……イイ……」
 ほんの二ヶ月前には男を知らなかったはずの東雲が、今では自分から動いて自ら快感を求めている。東雲は激しく腰を上下させ、髪を振り乱して淫らに動き続ける。
 たまらない快楽だ。
 俺だけの性の奴隷は、今日も忠実に役割を果たす。
 手を伸ばし東雲の前の昂ぶりに触れると、東雲は一際高い嬌声をあげて先端から白い液を吹き上げた。その途端、後ろがきゅっと締め付けられ、俺は堪えきれずにイってしまった。
「はあっ、はあっ、はあっ……」
 脱力した東雲が、俺を内部に収めたまま、俺の胸にもたれ掛かってくる。俺は東雲の体を優しく受け止めた。腕に力を込めて強く抱きしめると、腕の中で東雲は嬉しそうに小さく笑った。その笑顔を見て、俺の胸は罪悪感で押し潰されそうになった。
 夏休みに入って二週間近く経ったが、俺たちは毎日のように会っていた。昼から夕方までセックスして、その合間に夏休みの宿題を一緒にやった。
 東雲の体はますます俺好みになり、俺の自己嫌悪感はますます降り積もっていった。
 素直で可愛い東雲を、俺はもう嫌いだなんて思えなくなっていた。どちらかと言えば好きなのだと思う。ここまで一途に自分を慕ってくれる相手に、悪意を抱き続けることは難しい。それに、俺が東雲の性格で『嫌だ』と思っていたところを指摘すると、東雲は一生懸命にそこを直そうとした。だったら嫌う理由なんて、もうない。
 だが、俺の好きは恋人の『好き』とは違うわけで、そのことに俺は苦悩していた。
「あ、あの、武藤……」
 内部で俺のモノが硬くなるのを感じ、東雲は頬を染めた。俺は東雲と繋がったまま、体位を変えて、東雲を自分の下に組み敷いた。
 ……俺ってヤツは……。
 躾の悪い自分の下半身に落ち込みつつ、こうなるとあとは突っ走るしかない。
「東雲、もう一度、いい?」
「ウン……」
 東雲は可愛らしく頷き、俺の胸に縋り付いてきた。
 ……可愛いんだよね。抱きたいとは思うぐらいに。
 俺にとって東雲の存在は、ケーキのようなものだと思う。
 食べなくても別に生きていける。でも俺はケーキが好きだから、目の前にあって「食べていいよ」と言われれば、ついつい手を伸ばしてしまう。その誘惑に抗うことは難しい。
 ……つまりはその程度の好きなんだよね。
 あってもなくてもいいけど、あったほうがいいかな、ぐらいな。
 その程度の好きで、俺は東雲の体を蹂躙する。
 東雲の純潔はとうに俺が踏み潰してめちゃめちゃにしてしまった。
 俺がしている行為は東雲の心を傷つけるものでしかない。
「あっ……ああっ……」
 俺が腰を動かすたびに、東雲は甘い喘ぎを口から漏らす。東雲を容赦なく犯しながら、これで最後にしようと思った。最後だと思うとなおさら愛撫の手に力が入った。
「ひっ……う……んっ……あっ! ああんっ!」
 俺の体の下で髪を振り乱して喘ぐ東雲は、色っぽくて可愛くて、男の劣情を刺激する。欲望のまま乱暴に突き上げると東雲は甘い悲鳴を上げる。最初は辛そうだったのに、今では俺を全部ぎっちりと咥え込み、東雲の体は悦びで震える。
 イイ体だ。
 ショートケーキのように東雲の体はオイシイ。
 でもね、やっぱり別れたほうがいい。
 東雲に幸せになって欲しいと思う程度には、俺は東雲のことが好きになったから。
 可愛い可愛い東雲。
 ……今度こそ、こんな悪い男に捉まるんじゃないよ?
 東雲は愛するより、愛されるほうが似合っている。
 辛い恋より幸せな恋が似合っている。切ない顔より笑顔のほうが似合っている。
 ちょっと……いや、かなり惜しい気はするけど、俺はこの手を離さないといけない。
 俺に東雲を幸せにすることなど出来ないのだから……。
 セックスが終わり着替えてから、俺は別れ話を切り出そうとした。
 だが、俺が言葉を発するより早く、東雲は泣きながら俺にしがみついて来た。
「お願い、俺を捨てないで……!」
「東雲……」
 東雲は気がついていたのだ。
 俺の心の中にあった揺れに。
 別れを決意した俺の気持ちに。
「武藤が同情で俺のことを抱いてくれているのは知ってるし、こんな関係、迷惑だと思ってるってことも知ってる! でもお願い、傍にいさせて! お願いだから……」
 東雲は俺に抱きつき、しくしくと泣き続けた。俺は東雲の体を抱きしめながら、そっとため息をついた。
 迷惑だなんて思っちゃいない。ただ、自分を嫌いになってしまいそうなだけで。
「あのね、東雲。今の状況ははっきり言って、俺にはけっこうラッキーなんだ。抱きたいって言えば抱かせてくれる。ヤりたい放題、好き放題。面倒なことは言われないし、妊娠の心配もない。お蔭様で俺は、ここ最近はずっと下半身がすっきり。東雲はカワイイから、いくらヤっても飽きないしね」
「だったら! だったら、ずっと傍にいさせてくれる……?」
 東雲は縋るような目で俺を見上げてきた。この視線を振り払うのは難しいが、俺は心を鬼にして、東雲を説得することにした。
「……東雲、でもね。俺が良くても、東雲にとってはこんな関係、良くないだろ? だからこんな関係、終わらせたほうがいいと思うんだ」
「イヤっ! 俺は、武藤とこうしていられるだけで幸せだから! お願い、だから……捨てないで……」
「東雲……」
 俺は困った。どう会話を続けたらいいのか、分からなくなってしまった。
 今日こそ最後にしようと思っていたのに、ここでそれを言うのは東雲に酷なような気がした。
 どう答えれば、一番、誠実な答えになるのだろう。
 さんざん不誠実な真似をしながらこんなことをいまさら思う俺は、愚か者としか言いようがない。
 自分の失点をどう取り返せばいいのかその方法が見つからず、俺は途方に暮れた。
 東雲は俺の胸を軽く押して、俺の腕の中から逃れ、自分の机に駆け寄った。そして引き出しからナイフを取り出し、自分の首に突きつけた。
「俺、死ぬから。武藤が俺と別れるって言うなら、俺、今すぐここで死ぬから!」
「東雲!」
「俺、本気だよ。武藤に捨てられたら、俺、絶対に死ぬから。だって、生きてたってしょうがないじゃん!」
「東雲……」
 東雲の激情に、俺はすっかりのまれていた。東雲は本気だ。俺の答え次第では、本当に自分で自分の喉に刃を立てる気だ。
 興奮しているためか東雲の手はかたかたと奮え、そのせいで刃が動いて喉に傷を作った。
 東雲は喉から血を流し、ぎらぎらと熱情で燃える瞳を俺に向けていた。
 そのとき俺は理解した。俺は今まで、自分が東雲の肉体を支配しているのだと思った。自分が東雲の支配者なのだと自惚れていた。
 だが、違う。支配されていたのは俺だ。
 東雲の炎のように激しい恋情に、俺はいつの間にか引き摺られていた。操られていたのは俺のほうだったのだ。
 ……キレイだ。
 自分の強い想いを隠しもせず、全力で俺にぶつかってくる東雲の姿に俺は感動した。
 東雲にとって俺を失うぐらいなら、体を与えるぐらいはどうと言うこともないことだったのだ。
 なんという激情なのだろう。
 なんて滑稽で醜悪で、美しい『恋』。
 俺は背筋が震えるのを感じた。
 ゆっくりと東雲に近寄り、俺はやんわりと、雲の手からナイフを奪い取った。そして東雲が何かを言う前に、東雲の唇に唇を重ねた。
「別れるなんて、言わないよ。東雲が別れたいって言うまでは」
 唇を離して、俺は東雲の耳元で囁いた。
 決定権は自分にあるのだと思っていた。
 しかしそれは勘違いだった。
 俺にこの関係を終わらせるような資格はない。俺が東雲の誘いに乗ったあのときから、切り札は東雲の手の中に移っていたのだ。
「……ほんと? 俺が別れたいって言わなかったら、武藤と別れなくてすむの?」
「うん。決めるのは東雲だよ」
 俺は東雲のこめかみにキスをしながら囁いた。東雲はうっとりとした表情で息を吐き、俺の首に腕を回してきた。
「嬉しい。……たとえ武藤に好きな人がいても、俺、武藤のこと、絶対に手離さないから。だから、もうずっと一緒にいられる……」
 東雲は嬉しそうに微笑み、俺の唇に唇を近づけてきた。
「好きだよ、武藤」
 幸福そうに笑う東雲を見ながら、俺は哀しい気持ちになった。
 俺の体だけで満足する東雲を、可哀相だと思った。
 ……幸せにしたい。俺が、東雲を、幸せにしてあげたい……。
 これは同情だろうか?
 それとも恋なのだろうか?
 自分の心がゆっくりと変化していくのが分かる。変化の先に何が待っているのか、まだ知ることは出来ないけれど。
 この日から俺は東雲を、『性欲処理の相手』ではなく『恋人』として扱うことを決めたのだった。



……暑い。
 俺は汗だくになった顔を洗面所で洗った。顔を上げて鏡に映った自分の顔が目に入った。大きくパッチリした目にふっくらとした唇。肌は夏だというのにほとんど焼けず、白いままだ。我ながら、見事なまでの美少女面である。女五人で構成されている某アイドルグループの一人と顔が似ているとよく言われるが、テレビを見ながら俺も似ているなと納得してしまった。屈辱的ではあったが。
 まさかこんなに女顔の俺が、抱かれるならともかく男を『抱く』ような人間だとは誰も思わないに違いない。
「渚、今日も出かけるの? 午前中は道場行ってたんでしょ? アンタ、元気ねぇ。若いっていいわね。こーんな暑い中、あっちこっち出掛けて……」
 母さんは感心したような、呆れたような口調で言った。
「まあね。待ち合わせの時間に遅れちゃうからもう行くね」
「毎日出かけて、お小遣い足りてるの?」
 俺の返事も聞かず、母さんは財布から金を取り出し、俺の手に五千円札を押し付けた。
 四月の初めに男の子でも援助交際をしているというニュースを見て以来、母さんは俺が金を目当てに怪しいバイトを始めることを心配しているようだ。「アンタだったら売れっ子になれそうね……」と母さんはぼそりと呟き、テレビの前で不安そうに顔を曇らせていた。
 自分でも、売れっ子になれそうなほどの容姿であることは自覚していたので、母さんの言葉になおさらムカついた。とにかく俺は、この女っぽい『可愛い』という形容詞が良く似合う顔が大っ嫌いだった。すっかり機嫌を損ねた俺は、無言で怒っていることを示し、母を居間において自分の部屋へと戻ってしまった。
 その後も『援助交際』のニュースは延々と流れていたらしく、母はそれをすっかり鵜呑みにしてしまったようだった。あれから母さんは、俺の懐(ふところ)具合を気に掛けてくれるようになった。
 自分の息子が、金のために体を売るような人間に見えますか? と詰め寄りたい気がしないでもない。事情があってどうしてもお金が必要とかだったらともかく、遊ぶ金欲しさに好きでもない男にケツを差し出すなんて、冗談じゃないと思う。
 だがお小遣いに困らないという今の状況はラッキーなので、俺はとくに文句を言わないことにした。くれるというのだから遠慮なく頂くことにする。
「気をつけて行ってらっしゃい」
 母さんに見送られて、俺は家を後にした。
 腕時計で時間を確認する。ちょうど良いぐらいだ。
 待ち合わせの相手はもちろん東雲。
 恋人として接しようと決めてから、俺は東雲とセックス以外のこともすることにした。
 普通の恋人同士というのは、一緒に映画館に行ったり遊園地に行ったりするものなのだろう。ときとして喫茶店に入ってお喋りをするかもしれない。
 そういった一連の手順をすっ飛ばして、俺たちは肉体関係を持ってしまった。だが、体だけの哀しい関係じゃなくて、俺は東雲との間で何かを育(はぐく)めたらと考えていた。
 これから二人で、いろんな話をしていこうと思う。会話は重要だ。相互に理解し合うためには。とことん話し合ってそれでもダメだってことになっても、それはそれで仕方ないと思うけど。
 定期券を使って改札の中に入り、電車に乗る。待ち合わせ場所は東雲の最寄の駅の、改札口の中。今日の目的地、映画館とは逆方向。つまり、俺はわざわざ東雲を迎えに行くところってわけだ。改札の外に出ると交通費が余分にかかるので、さすがに家までは迎えに行かないけど。
 俺のこの行動を、東雲を甘やかしているだけのものとは思って欲しくない。これにも理由がないわけじゃないのだ。
 東雲を抱き始めてから不思議なことに、俺は男から言い寄られることが少なくなった。夏休みに入ってからは皆無である。外見上はあまり変わりはなくても、俺の『オス』の匂いを嗅ぎ分けているのだろうか?
 電車に乗ったら前は8割の確率で痴漢に遭遇していたというのに、このごろは嬉しいことにそれがまったくない。逆に、東雲はこのごろ最高にヤバイ。剥き出しになった鎖骨や首筋に滴るような色気を感じる。それに惑わされる男は多数だ。本人に自覚がないのがなおまずい。
 俺は自分が狙われていれば気付いて用心するが、東雲にはそういった危機感がまったくなくつねに無防備な状態だ。見ていてこっちが気が気じゃない。
 東雲が住んでいるのは高級住宅地なのであのあたりは治安がいい。怪しい人間がうろうろしていれば、即座に近所の住人が連絡してくれる。
 だが、俺の家の周りや電車の中は危ないので、俺は出来る限り送り迎えするようにしていた。これほどの手間をかけるのは、東雲のためというより自分のためだ。
 つまり俺は、他の男に触らせたくないと思うぐらいには、東雲に独占欲を抱いていた。
「武藤!」
 俺の顔を見て、東雲は嬉しそうな顔で駆け寄ってきた。
 ……あ〜あ。そんなに露出の激しい格好をして……。
 デニムのショートパンツにタンクトップ。今日は暑いし高校生の男がする格好としては、変じゃない。
 ……でもねぇ、お前、どうして周りからの危ない視線に気がつかないかね? ほら、あそこのオヤジも、やらしぃ目でお前のこと見ているだろうが……。
 東雲の鈍感さに脱力しながら、俺はさりげなくそのオヤジから東雲を隠すような位置に立った。
 こんなふうに、危機管理のなっていない部分は嫌いかもしれない。苛々する。自分の身を守る最低限の努力ぐらいして欲しい。
「……武藤?」
俺の機嫌の悪さを察してか、東雲は恐る恐る俺の顔を覗き込んだ。俺は一呼吸して気持ちを落ち着けてから、東雲の頭をくしゃりと撫でた。
東雲は安心したように微笑んだ。


 映画館は駅から15分ほど歩いたところにある。
 駅からすぐ近くにも一軒あるが、あそこで上映されている映画はアダルト系のみである上、ハッテン場になっているという噂があるので迷いなくはずした。
 東雲と並んで歩いていると、目の前に目立つ二人組みがいた。見覚えがあるなと思っていたら、萩原先輩と宮城先輩だった。二人は仲睦まじいようすで歩いていた。萩原先輩は俺には絶対に見せないような蕩けそうな笑顔を宮城先輩に向けていた。
 俺は顔を強張らせた。
 ショックだった。
 二人は恋人同士なのだから、夏休み中も会ってデートして当然だ。当たり前のことなのに、俺の胸は痛んだ。
 自分がまだ萩原先輩に失恋したことを、完全にふっきれていなかったことを思い知らされた。
「あ。あれってさ、『天使』と『帝王』じゃん? 街中でも目立つよね」
「…………」
「……武藤?」
「……ああ……そうだね」
 口数が少なくなった俺に合わせて、東雲も無口になっていった。
 せっかくのデートだというのに盛り上げることが出来ず、申し訳ないと思ったけど、口を利くような気分じゃなかった。
 映画館に入ってほっとした。喋らなくても不自然じゃない。
 座席に座って、おれはつらつらと萩原先輩のことを考えていた。
「……武藤〜」
 映画が始まってしばらくしてから、泣きそうな顔で東雲がしがみ付いてきた。
 自分の考えに気を取られていた俺は、すぐに何があったのか気が付かなかった。しかしよく見ると、どこからか伸びてきた手が東雲の太ももの辺りを触っていた。
 腹が立ったので鞄の中からボールペンを取り出し、キャップを外してから力いっぱい相手の手に突き立てた。闇の中で悲鳴が聞こえた。
 ……ざまあみろ。
 痴漢にあって、東雲はショックを受けた顔をしていた。目に涙をため傷ついた表情で軽く俯いている。
 ……可愛そうに。
 俺は東雲に同情した。
「出ようか」
 俺の言葉に東雲は小さく頷いた。
 映画館から出た後も、東雲は悄然(しょうぜん)としていた。
 今度、気を使うのは俺のほうだった。東雲に合わせてゆっくりと街を歩く。
「喫茶店にでも入って休む?」
 東雲は首を横に振った。
「……家に帰りたい」
「そう」
 見知らぬ男に性的な対象にされることの嫌悪と恐怖感は、俺も良く分かっている。人目は気になったが俺は東雲を慰めるように、東雲の手を強く握った。
「ごめん、武藤。今日、せっかく誘ってくれたのに……」
 電車の中で、東雲は泣きそうな声で言った。
 悪いのは痴漢であって東雲じゃないのに、こんなふうにデートが中断されたことを気にする東雲はいじらしくて可愛いと思った。
 いつの間にか、俺の脳裏にあった萩原先輩の顔はどこかへ行ってしまった。
 横着せずに俺は東雲を家まで送り届けた。すっかり怯えてしまった東雲を、一人で家に帰すのは可愛そうだと思った。
 ……やっぱり……俺もけっこう、東雲のこと、甘やかしているのかな?
 俺は心の中だけで苦い笑いを浮べた。
 これじゃあ真野や井ヶ田の過保護を笑えない。
 だが東雲に信用されて全面的に頼られるのは、そう悪くない気分だった。前は東雲の甘ったれたところが嫌いだと思っていたのに、俺の気持ちも随分と変わったものだ。
 たしかに東雲は保護欲をかき立てる存在であることを、今では俺も認めざるを得ない。
「武藤、部屋に寄っていかないの?」
 家の門の中に入らず、東雲を送り届けてすぐに帰ろうとした俺を、東雲は俺のTシャツの裾を掴んで引き止めた。
「今日は帰るよ」
 もしこのまま東雲の部屋に寄って行ったら、俺は東雲を抱いてしまうだろう。見知らぬ男に触れられ、怯えきった東雲を。
 それはさすがにマズイと思った。人として。
 東雲は俺の服を掴んだまま、顔をくしゃりと歪めて涙を零した。
「……抱いてくれないの?」
「…………」
 東雲の切羽詰った様子に驚いた俺は、一瞬反応が遅れた。
「もう、俺のこと、いらないの?」
「え? いや……」
 哀しそうに泣く東雲に、俺は動揺した。東雲の泣き顔なんて何度も見ているのに、切なそうに涙を流す東雲の姿にドキドキした。強く脈打っていたのは心臓だけでなく、下半身の一部もだった。
「……抱いていいの?」
 簡単に壊れてしまいそうなガラズ細工を扱うように、俺は東雲の頬にそっと触れた。
「……抱いて」
 東雲は頬に当てた俺の手に、愛しそうに自分の手を添えてきた。
 俺は東雲にキスしたかったがぐっと堪えた。ここはまだ公道だ。
 いつの間に東雲は、こんな色っぽい顔をするようになったんだろう?
 無意識の媚態。
 たまらなく、そそられる……。
 東雲の部屋に入った途端、俺は東雲の唇にむしゃぶりついた。
 呼吸困難なほどの激しいキス。舌を絡めて唾液をすする。濡れた音になおさら煽られる。
 口付けが終わったあと、東雲は頬を染めて苦しそうに呼吸をした。唾液で濡れた唇が卑猥だ。俺は東雲の口の中に、自分のペニスを突っ込みたくなった。
「舐めて」
 俺は性急にズボンの中から、すでに固くなって透明な液を先端から滲ませているものを取り出した。
 東雲は恥ずかしそうな顔をしたが、それでも文句も言わずに素直に口を開けて俺を頬張った。俺の前に奴隷のように跪き、舌や唇、指を使って丁寧に俺に奉仕する。東雲はちゅぱちゅぱと音を立て、赤子が乳を吸うように俺のモノに吸い付いている。
 ……なんて可愛いんだろう。可愛いから……めちゃめちゃにしたくなる。
 俺は必死の面持ちで俺のモノを弄っている東雲を、うっとりと見下ろした。
 東雲の舌先が、俺の先端の窪みをつつく。
 指で竿を扱きながら、括れの部分を舌でなぞる。
 気持ちよくてすぐにでもイってしまいそうだった。
「もういいよ、東雲」
 俺は東雲の頭をやんわりと引き離した。
「え? でも……」
「東雲の中に入りたい。今日はナマで入れていい?」
「……うん」
 東雲は恥らいながら服を脱ぎ捨てた。俺も忙(せわ)しなく服を脱ぎ、東雲の体を抱きしめた。さきほどまで自分を愛撫していた東雲の唇に、俺はもう一度そっとキスをした。こんなに清潔で可憐な唇が、男のモノを咥えていたなんて信じられない。咥えさせたのは俺だけど。
 腰の辺りに東雲の熱くなったモノが当たっている。俺のモノをしゃぶって興奮したらしい。右手で握りこむと、東雲は可愛い悲鳴を上げた。
 俺は一秒も早く東雲と繋がりたくなった。
「東雲、ベッドの上でうつ伏せになって。お尻は高く上げて」
 俺は東雲に淫らなポーズ取らせた。白いまろやかな尻を掌でなでると、東雲は気持ち良さそうに体を振るわせた。東雲の体は敏感になっていて、ちょっとの刺激にでも反応した。
 オイルで少し後ろを濡らしただけで、俺は東雲の中にいきなり挿入させた。
 東雲は痛がって泣いた。
 俺は一回目はすぐに射精して、東雲の内部を精液で濡らした。萎えたモノを東雲の中に収めたままで、俺は東雲の前を愛撫した。
「あっ……はっ…ああんっ……」
 苦痛の声を上げてすすり泣いていた東雲が、だんだんとイイ声で鳴くようになった。つられて俺のモノも固くなり始める。頃合を見計り、俺は腰を動かし始めた。背後から犯すと東雲の顔がよく見えないので俺は後悔した。
 三回目は前から挿入することにしよう。
「あんっ……イイ…イイ……」
 俺の動きに合わせて東雲が腰を揺らす。俺が腰を打ち付けるたび、肉と肉がぶつかる音が響く。
 出して。入れて。出して。入れて。
 それだけの単調な行為なのに夢中になる。
 二回目も余裕なんてなかった。馬鹿みたいにめちゃくちゃに動いて東雲の中に体液を送り込む。
 東雲は上達したけど、俺はきっとセックスが下手なままだ。だって俺は、東雲を気持ちよくさせるために動いていない。
 自分の快楽のためだけに体を動かす。自分本位なセックス。
 よくも東雲は、こんな男にいつまでも付き従っていてくれるものだ。俺は今までずっと、東雲に酷いことばかりしているのに。
 ……東雲もいつか、俺に愛想を尽かすかな?
 その考えは、あまり愉快なものではなかった。俺は東雲を手放したくないと思っていた。他の男に渡したくなかった。東雲の体は俺だけが知っていればいいと思った。
 本当に俺は自分勝手な人間だ。
 自分が東雲のことを愛しているかどうか分かっていないのに、それでもそばにいて欲しいと思ってしまった。
 俺は東雲の想いに甘えている。
「あっ……!」
 東雲が驚いた声を上げた。俺が東雲のモノを口に咥えたからだ。
 東雲に口でして貰ったことは何度もあったが、俺が東雲のモノを口に含んだのはこれが初めてだった。
「い、いやっ! ヤダ! お願い、やめて……」
 東雲は泣いて首を横に振り、俺の行為を嫌がった。
「気持ちよくない? 俺、下手?」
 フェラチオするのなんてこれが初めてだ。多分、下手だったんだろう。痛い思いをさせたのなら悪かったと思った。
「ち、違う……気持ち、イイけど……」
「だったらいいでしょ?」
「ダメ! だって汚いもん。恥ずかしい……」
「汚くないよ。東雲のココ、可愛い」
 気持ちいいのなら良かった。
 俺は東雲にされたときのことを思い出しながら舌を動かした。東雲は俺に舐められながら、イイ声で喘いだ。東雲の声を聞きながら、俺はますます熱心に舌を動かした。竿だけでなく、根本にある袋もしゃぶった。東雲の股間は俺の唾液でべとべとになった。
「あっ……む、武藤……イキそうだから……離して……」
 東雲の懇願を俺は無視した。
 そのまま咥えていたら、東雲のモノがどくんと脈打った。
 東雲は泣きながら俺の口中で果てた。口の中に溜まった精液は、飲めないこともないがまずかった。東雲は毎回これを綺麗に飲み干していた。東雲の俺への愛情が、どれだけ深いか分かろうというものだ。
「ご、めん、なさい……。俺、俺、武藤の口の中に……」
「泣かないで。謝らないで。……可愛かったよ」
 俺は優しく東雲の頭を撫でながら、東雲の顔中にキスを落とした。
「可愛い……? ほんと?」
「ほんと。東雲、可愛い。だから、ね?」
 興奮した下半身を押し付けると、東雲は頬を染めて頷いた。
 ……本当に可愛い。
 東雲は俺が入れやすいように膝を抱え、できる限り足を開いた。俺は東雲の体を折り曲げ、今度は正面から貫いた。これで東雲の顔を堪能しながら動ける。
 さきほど挿入したときは、自分の欲望のままに動いてしまった。せめて三回目は東雲がヨくなれるように動こうと思った。両手や唇で東雲の体を愛撫しながら小刻みに体を揺らす。
「ひ…ぃっ……あっ…ん……はぁんっ……」
 さんざん東雲を焦らして善がらせてから、俺はようやく果てた。
 東雲はセックスが終わって、俺が情事の後始末が済んでからも、とろんとした目をしてぼんやりと天井を見つめていた。
「大丈夫? 東雲、目がイっちゃってるよ?」
「う、うん……なんか……すごかったから……」
「すごいって?」
「え? あの、だから……」
「セックス? 気持ちよかった?」
「……うん。いつも気持ちイイけど……今日は格別。……びっくりした……」
 東雲はさきほどの交わりを思い出したのか、頬を朱に染め甘い息を吐いた。その艶やかな表情は、誰にも見せたくないと俺は思った。
「東雲、いっぱい感じてたね。すごく可愛かった」
「えへへ。俺、可愛い?」
 嬉しそうに笑って東雲は俺に懐いてきた。男が可愛いなんて冗談じゃないって思ってたけど、東雲のことは可愛いと思うし、その可愛らしさを愛しいとも思う。
「うん。……可愛い」
 耳たぶにキスをしながら囁くと、東雲は嬉しそうに微笑んだ。そして俺の背中に腕を回してしっかりとしがみ付いてきた。
「好きだよ、武藤」
 恍惚とした表情で、東雲が自分の想いを打ち明ける。
 その言葉に答えることが出来なくて、なんだか胸が苦しくなった。
 いつか好きだと言えればいいのに。
 東雲の気持ちに応えられればいいのに。
 そうすればきっと俺は幸せになれるから……。
 俺は東雲と同じ言葉を返せないことに罪悪感を抱きながら、東雲の体を抱きしめた。
 
 
 
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