【恋ってね! 武藤編  -02-】
 
 萩原先輩は心配だからと、俺を家まで送ってくれた。面倒なヤツだと思われたくなくて、一応は遠慮してみせたが、萩原先輩は「気にするな」と言ってくれた。二人きりで歩けることが嬉しくて、頬が弛んでしまう。
 並んで歩く萩原先輩の端正な横顔を盗み見ながら、家までわざわざ送ってくれるなんて、萩原先輩も俺のことを気に入ってくれているのかもしれないと期待した。
 ……あ! あいつら……。
 家の付近で、この間、俺を輪姦しようとしたやつらが待ち構えていることに気がついた。背筋がぞくりとした。恐怖と嫌悪で足がすくむ。俺は救いを求めるように、萩原先輩の顔を見上げた。
「懲りないやつらだな」
 萩原先輩はぼそりと呟いた。
 仲間を誘ってきたらしく、この間よりもやつらの人数は倍に増えていた。にもかかわらず、萩原先輩に臆したようすは微塵もなかった。それどころか余裕の笑みさえ浮べている。
 俺と違って、萩原先輩は少しも恐れていなかった。
 萩原先輩の凛々しい横顔に、俺は状況も忘れて見惚れてしまった。
「いいぜ。ちょうど今日は暴れたい気分なんでね。遊んでやるよ」
 物騒な笑みを浮かべ、萩原先輩はやつらを挑発した。
 手助けすべきかと思ったが、萩原先輩に下がっていろと言われ、ためらいつつも俺は数歩下がったところで見守ることにした。萩原先輩が劣勢になったらすぐさま助けを呼びに行かなきゃと身構えた。だが、それは杞憂(きゆう)だった。
「このやろぉぉっ!」
 ……あ!
 前回、萩原先輩に軽々のされたのに懲りたらしく、やつらは人数を増やしただけでなく武器を所有していた。相手の卑怯さに俺は怒りを覚える。多勢に無勢だけでも卑怯なのに、素手である萩原先輩に武器で攻撃を仕掛けるなんて!
 ……萩原先輩に怪我をさせたら、俺は絶対にお前たちを許さない!
 俺は胸元の鞄をぎゅっと強く抱き、はらはらしながら萩原先輩の戦いぶりを見ていた。
 三人いっぺんに、木刀で萩原先輩に襲い掛かる。
 ……危ないっ!
 俺は咄嗟に目をつぶってしまった。だが、おそるおそる目を開けると、地面に倒れていたのは萩原先輩ではなく襲い掛かってきた三人のほうだった。
 萩原先輩はやつらから奪い取ったらしき木刀を手にしていた。
 そして、今度は自分から攻撃に出た。
 萩原先輩が片手だけで木刀を振るう。相手の首筋にめり込む。ばきりと音がして、木刀が折れた。萩原先輩はそれを無造作に地面に放り投げる。相手の足元がふらついたところで今度は鳩尾に膝蹴りを食らわせる。
 背後から攻撃を受けるが、萩原先輩は軽々それを素手で受け止める。左手で相手の木刀をぐいっと引き寄せ、相手の体が倒れこんだところで顔面に拳を入れる。
 鮮やかな手並み。危なげなところなどまったくなかった。
 獲物を捕らえる肉食獣のごとく、素早く向きを変えて次の敵に挑みかかる。
 相手の拳を体を低くして避ける。その体勢から強烈な後ろ回し蹴りを繰り出す。相手の横っ面にヒットし、相手の体は5メーターほどぶっ飛ぶ。
 大技を出した後も萩原先輩は体のバランスを崩さず、紙一重で相手の攻撃をかわす。そして回し蹴り。続けざま、手の甲で相手を打つ。
 最後の敵はすでに戦意を喪失していたようだが、萩原先輩は許さなかった。
「三度目がないように、しっかり体に覚えてもらわないとな」
「ひっ……ひぃっ……」
 恐怖でカタカタと震える相手に、容赦なく萩原先輩は拳を叩きつけた。
 最後に萩原先輩は、苦悶の表情を浮べてのたうちまわるやつら一人一人の股間をぐりぐりと足蹴にした。
「ぎぇ〜っ!」
「ひぃぃっ……」
 男だったら、アレはかなり痛い。
 自分を犯そうとしたやつらではあるが、俺は思わず同情してしまう。だが萩原先輩は情に流されることなく、それどころか喧(やかま)しいと、悲鳴を上げた男たちの頭を蹴飛ばした。
「一人一本ずつ、骨でも折っておいたほうがいいか? お礼参りでもされたら面倒だしな。再起不能にしておいたほうがいいよな……」
 冷静な声と表情で、萩原先輩は危険な言葉を口にした。冗談かと思ったが、どうやら萩原先輩は本気のようだった。
「足の骨を折ったほうがいいか……。それとも手の骨か。いや、いっそのこと、だらしない下半身を使い物にならなくしてしまうか……」
 近くに転がっていた男の股間を足でやんわり踏みつけながら言った。
「武藤はどう思う?」
 ……ど、どうって……。
「……もう十分だと思うんですが……」
「……そうか?」
 萩原先輩は不服そうではあったが足をどけた。
「仕方ない。武藤に免じて今日のところは許してやるか。……だが……次もあったら、今度こそ容赦はしない」
 今回だって容赦しているようには見えなかったけど、次があったらそれ以上ってこと? よほどのバカでない限り、三度目はないだろう。少なくとも俺だったら、萩原先輩を敵に回したいと思わない。
 『帝王』のあだ名は伊達(だて)ではないのだ。
「あの、萩原先輩、ありがとうございました……」
 もし今日偶然、萩原先輩と一緒に帰っていなかったら、今度こそ俺はやつらに強姦されていた。萩原先輩以外の男に抱かれなければいけないところだった。そう思うと、心の底から恐怖が湧き上がってきた。
 ……怖い。
 気がつけば俺は涙を流しながら、自分の心のうちにある恐怖を萩原先輩に打ち明けていた。
「俺……昔から、男の人からよく痴漢とかに遭うんです……。合気道習ったりして、なんとかいつも撃退してきたけど……」
 頭の片隅で、男なのにぼろぼろと涙を零す自分をみっともないと思う冷静な自分がいるが、俺は涙を堪えることが出来なかった。
「俺、男なのに……悔しい……」
 そりゃあ俺は、女の子っぽい容姿をしている。だからと言って女扱いされたり、同性から性的な対象にされるのは許せない。気持ち悪い。ものすごく悔しい。
 ……ああ、でも、こんなふうに泣いていたら女々しい以外の何者でもないや……。
 萩原先輩は呆れていないだろうか?
 そう不安に思ったところで、萩原先輩に頬を殴られた。
 痛くはなかったが、俺は突然のことで驚いた。顔を殴られるのは、記憶にある限りは初めてだ。
「男が軽々しく涙を見せるんじゃない!」
「萩原、先輩……」
 やはり、呆れられてしまった。
 俺は何度も萩原先輩の前で涙を見せている。男らしくないヤツだと軽蔑されてもおかしくはなかった。
 俺はショックを受けた。好きな人に嫌われたかと思うと、目の前が真っ暗になった。
 だが、萩原先輩は、俺を見捨てたわけではなかった。
「悔しいという気持ちがあるなら大丈夫だ。お前は負けない。自分を汚そうとする卑劣なやつらに思い知らせてやれ!」
 萩原先輩はその場で俺に、有効な護身術をいくつか教えてくれた。自分で自分の身が守れるように、的確な技を伝授してくれた。実践と知識に基づくそれらの技は十分納得のいくものだった。萩原先輩のように十人もの敵をいっぺんに倒すことは無理でも、一対一だったら、よほどの相手じゃない限りは負けないだろう。
俺を一人前の男とみなし、励ましてくれる萩原先輩に対する好意は、ますます膨れ上がっていったのだった。



 何度も萩原先輩に助けられた俺は、この恋に運命を感じていた。
 不本意ながら俺は自分の容姿が『カワイイ』ことは自覚していたし、自分の想いを告げて萩原先輩に受け入れて貰える自信はそれなりにあった。
 萩原先輩と二人きりでデートしたりキスをしたり、それ以上のことも想像して一人で浮かれていた。萩原先輩の体の下で、俺はどんなふうに乱れてしまうのだろう? そのときのことを思い浮かべ、自慰行為にふけったのは一度や二度のことではない。
 しかし、気になっていたのは萩原先輩の横にいる宮城先輩の存在だ。俺がいくら『カワイイ』と言われる姿をしていても、それは所詮、庶民レベルだ。天使の美貌を誇る宮城先輩には敵わない。まるで月と鼈(すっぽん)である。俺に限ったことではなく、宮城先輩の人間離れした美しさと比較されたら、どんな人間でも霞んでしまうだろう。
 あれほど綺麗な人がずっと傍にいるのだ。萩原先輩が心動かされたとしても無理はない。
 萩原先輩に告白する前に、俺はまず宮城先輩に探りを入れることにした。
「あの、宮城先輩」
「ん? なあに?」
 宮城先輩は優しい笑顔を顔に浮かべ、軽く首を傾げた。何気ない仕草なのに上品で華やかで、俺は少し気圧されてしまう。
 宮城先輩は綺麗だ。
 非現実的なほどに美しい。
「……実は俺……相談したいことがあるんです。今日の放課後、付き合ってもらっていいですか?」
「うん。いいよ。特に用事ないし」
 宮城先輩はあっさりと承知してくれた。姿かたちばかりでなく、宮城先輩は後輩の面倒見もよく穏やかで優しい人だ。『天使』と呼ばれているのはその容姿のせいばかりではない。
 俺はますます不安になる。
 もし、宮城先輩も萩原先輩のことが好きだったら。
 ……絶対に俺は敵わない……。



 宮城先輩と俺は、駅前の『B-ALICE』という喫茶店に入った。お洒落で雰囲気の良さそうなお店だけど、高校生が入るのにはなんだか敷居が高くて一度は入ってみたいと思いつつ、俺はいつも友達と寄り道するときはファーストフードやファミレスを選んでいた。
 その『B-ALICE』を宮城先輩は当たり前のように利用している。……そうだよね。宮城先輩にファーストフードやファミレスは不似合いだ。品のある宮城先輩にはそれなりのお店でないと。
 向かい合って座って、いざ話そうとする段階になって俺は緊張してしまった。話す内容が内容だってこともあるし、目の前の宮城先輩が綺麗過ぎてってこともある。
 美しい瞳にじっと見つめられると、落ち着かない気持ちになる。浮世離れした美しいこの人が、同じ人類だとは信じられない……。
 俺が口籠っていると、宮城先輩は俺の言葉を促すように穏やかな微笑を浮べた。必殺の『エンジェル・スマイル』だ。この笑顔に逆らえる人間なんていないに違いない。
「あの、俺……。ヘンなんです……」
 自分から呼び出しておいていつまでもだんまりってワケにもいかないので、俺はぽつりぽつりと宮城先輩に相談をし始めた。
「? ……ヘンって? 体の調子でも悪いの?」
「い、いえ。そうじゃなくて。多分、精神的な問題で……」
「精神的?」
 宮城先輩は心配そうに眉をひそめ、頬に手をあて首を軽く傾けた。その姿は慈愛たっぷりの聖母マリア様のようだった。
 神々しすぎて後光が差しているかのように見える。
「実は俺、男のヒトを好きになっちゃったみたいなんです!」
「…………え?」
 俺が思い切って告白すると、宮城先輩は驚いた顔をした。目を大きく見開いて、ゆっくりと二・三回瞬きした。
 宮城先輩は驚き方も優雅だ。
「俺、宮城先輩の友達の、萩原先輩のことが好きみたいなんです!!」
「え―――――――――――――っ!!!」
 自分の親友の名前を聞いた途端、宮城先輩にしては珍しいほどの大きなリアクションを見せてくれた。動揺する宮城先輩を見ていたら、かえって俺は落ち着いてしまった。
 ……宮城先輩、その驚きってもしかして、宮城先輩も萩原先輩が好きってこと?
 俺は宮城先輩から本心を引き出すため、「か弱い後輩」の演技をして見せた。天使を平気で欺く俺は、きっと地獄に落ちるだろう。
 けど、例え地獄に落ちても、俺は萩原先輩が欲しかった。
「き、気持ち悪いですよね。ごめんなさい、先輩。変なこと言ってごめんなさい……」
 顔を俯かせ、俺はぼろぼろと涙を流して見せた。嘘泣きなんて簡単だ。萩原先輩に見られたら、「男が軽々しく涙を見せるんじゃない!」ってまた怒られてしまうだろうか?
 ……萩原先輩……。萩原先輩は、宮城先輩のこと、どう思っているんですか?
 ……宮城先輩は……?
「いや! 気持ち悪いなんてことはないよ! 俺も、俺の好きなヒトも男だから!」
「え?」
 聞き捨てならないセリフだ。
宮城先輩も、男のヒトが好きだって? それって、萩原先輩のこと……?
嘘泣きの名残で目元を濡らしたまま、俺は宮城先輩の真意を探るように、じぃっとその目を覗き込んだ。
「え? 宮城先輩も、ですか?」
「うん。だから、武藤の気持ちはよく分かるよ。それに萩原は、男の俺から見てもカッコイイしね。惚れちゃうのも仕方ないかな?」
「そう、ですよね! 萩原先輩、すごくカッコイイですよね!」
 俺は力強く頷いてしまった。
 だって、萩原先輩は本当にカッコイイ。あの人よりカッコイイ人を、俺は今まで見たことがなかった。
 逞しい体に男らしい端正な顔。
 腕っ節が強く、俺は二度もあの人に助けられた。
 俺の……王子様だ。
「宮城先輩が好きな人って誰ですか? 俺の知っている人?」
 ……まさか、萩原先輩じゃないですよね?
 そこに答えが書いてあるかのように、宮城先輩の顔を見つめてしまったが、よく分からない。
……宮城先輩は、誰のことが好きなの……?
「そう。武藤も知っている人。……ごめん、それ以上は言えない」
 残念ながら、宮城先輩は自分が想っている人間の名前を教えてはくれなかった。なんとか聞き出したかったが、あの美しい顔で、心底困ったような表情をするから、それ以上は聞けなくなってしまった。
 でも、牽制だけはしておかないと。
 この様子だと宮城先輩もまだ片想いみたいだし……。
「俺、ずっと悩んでいたんです。最初は男の人なんか好きになるはずないし、たんなる憧れだって思ってて。でも、萩原先輩が傍にいるだけでどきどきして。声をかけられるだけですごく舞い上がっちゃって。最初は見ていられるだけで満足だったんです。でもどんどん欲張りになっちゃって。相手にとって自分は、たんなる友人の後輩かと思うとたまらなくて」
 ……俺、萩原先輩のことがものすごく好きなんです。だから、宮城先輩。俺から萩原先輩を奪わないでくださいね?
「でも告白する勇気もなくて。俺、男だし。気持ち悪がられるかなって思って。諦めるしかないなって思っても諦め切れなくて、ずっと辛かった。けど、宮城先輩に相談して、俺、すっきりしちゃいました。萩原先輩に好きって言います。何もしないで諦めるなんて性(しょう)に合わない。精一杯のことはします」
 俺はにっこり笑って宮城先輩に宣戦布告をした。人を疑うことを知らない宮城先輩は、俺の言葉の真意に気がついてはいないだろうけど……。
 宮城先輩は困ったような、ちょっと悲しそうな顔で微笑んだ。俺は罪悪感で胸が痛むのを感じた。いつもお世話になっている優しい先輩に向かって、俺は何を言っているんだろう? 偽りの涙まで流してみせて。
 何て醜い嫉妬心。
 俺は自分の性格の悪さに自分で呆れた。天使を罠にかけようだなんて……。
 天使を騙すのは、悪魔の仕業(しわざ)?
 ……悪魔にだって、鬼にだってなってやる。
 それであの人が手に入るのなら……。



 宮城先輩に相談してから六日後、俺はとうとう萩原先輩に自分の想いを告げた。
 結果は、失恋。
 きれいさっぱり振られてしまった。
 取り付く島も無かった。
「気持ちは嬉しいが、俺には宮城がいるから付き合えない」
 萩原先輩はまっすぐに俺の目を見て言った。こんなときでも萩原先輩はカッコよくて、このカッコイイ人が自分のものにならないことが悲しくて、俺は泣きたい気持ちになった。
 ……やっぱり、萩原先輩は宮城先輩のことが好きなんだ……。
「武藤、失恋したときは、男でも泣いていいという決まりになっているんだ」
 俺を憐れんでか、萩原先輩は優しい声で囁いた。
 ……こんなときにも……俺の心を救ってくれるから……なおさら諦めきれないんだ……。
 萩原先輩の言葉に、俺は堪(こら)えていた涙を止めることができなかった。
 俺は泣いた。
 苦しくて辛くて、宮城先輩にみっともなく八つ当たりしてしまった。それでも宮城先輩は、俺に優しかった。萩原先輩の想い人である宮城先輩を、いっそのこと憎めたら楽だった。けれど、あまりにも、萩原先輩の隣が相応しいと思える人だったから、諦めたくないのに、諦めるしかなかった。
 完敗だと思った。俺は、もうどんな悪あがきをすることも出来なかった。
俺の告白をきっかけに、萩原先輩と宮城先輩は本格的に付き合うことになった。
 男同士だということがネックになって、二人とも自分の気持ちを相手に打ち明けることが出来なかったのだろう。
 だが、ようやく想いを確かめ合った二人は、晴れて恋人同士になったのだ。
 俺の目の前で寄り添う二人は本当にお似合いで、俺は打ちのめされた。
 認めるしかなかった。
 どうして告白なんてしようと思ったのだろう。
 萩原先輩には宮城先輩がいるって分かっていたのに。
 週末は部屋に篭(こも)り、俺は声を殺して泣き続けた。
 好きだったのに。
 好きだったのに。
 好きだったのに。
 あの人は、俺以外の人が、好きだった。
 仕方ない、とも思う。
 だって宮城先輩は綺麗だ。
 心も、体も。
 大輪の白百合のように美しくて華やかで。
 俺なんかじゃ太刀打ちできない。
 でも、哀しい。
 哀しくて哀しくて死んじゃいたいぐらい哀しくて……。
 胸が、痛い。
 呼吸が、苦しい。
 誰か、俺を、殺してください。
 この悲しみから逃れられるように……。



上履きから靴に履き替え下校しようとした際、俺は下駄箱の中に折りたたまれた紙が入っているのを発見した。紙を開いて中を見ると、体育館裏で待っているから来て欲しいと書かれていた。
 差出人は『東雲飛鳥(しののめあすか)』。俺のクラスメートだ。
「まさか、本当だったとはね……」
 東雲はどうやら俺のことが好きらしいということには、すでに噂話で知っていた。友人から初めてその噂を聞いたときは本気にしていなかったが、俺に対する東雲の反応があまりにも顕著なので、恋愛に関しては鈍い俺でもひょっとしたらとは思っていた。それが今、はっきりと立証されたわけだ。
 俺はため息一つ付き、手の中の紙をビリビリに破いてゴミ箱に捨てた。
 理由は簡単。
 俺は、東雲飛鳥が大っ嫌いだった。
 どこら辺が嫌いかと言うと、まず、あの、甘ったれた態度。
 年の離れた姉や兄に可愛がられて育ったらしいが、仮にも高校生だというのに、東雲の子供っぽくて他力本願な性格には呆れてしまう。
 先日も掃除当番だと言うのに「ごめーん。俺、今日、用事あるんだよね〜」とさっさと帰ってしまった。それがまれなことではなく、しょっちゅうだからまた腹が立つ。
 出された宿題も、いつも自力でやろうとはせず、周囲の人間のノートやプリントを見て写している。「宿題ぐらいは自分でやれば」と一度注意したことがあるが、東雲はきょとんとした顔で「え。だって俺、頭悪いもん」とだけ言って、再び友人の解いた答えを丸写しし始めた。宿題を自分できちんと解かないからますます頭が悪くなると言うことに気がついていないあたり、本当にあいつは頭が悪い。決められた仕事を自分できっちり出来ない人間を、俺は心底軽蔑する。
 東雲のワガママを許す周りも周りだ。確かに東雲は可愛い顔立ちをしているが、同じ男相手にちやほやしてどーするというのだ。バカバカしい。
 自分の女顔に長年コンプレックスを抱き続けてきた俺としては、己の容姿を武器に自分の我侭を通そうとする東雲の行動は、理解できないし不愉快だ。
 クラスは同じだが、東雲と俺とでは属すグループが違う。俺の友人たちは運動部員や学級委員など、活発に学校生活に参加しているものが多い。それにたいして東雲がつるんでいるのは、不良とまではいかないものの、やや不真面目で勉強やスポーツより遊ぶことのほうに関心が強いやつらばかりだった。東雲はそのグループのマスコット的存在だ。
 保護欲をそそられると女子と一部の男子には可愛がられているが、俺はその一部の男子の気持ちが分からない。東雲のあの媚を含んだ口調で話されると、背後からどつきたくなってくる。
 取り柄なのは顔だけで、性格は身勝手で騒々しくて落ち着きがなく、頭は絶望的に悪く、運動神経も悪くはないがいいとも言えない。はっきり言って、俺は東雲にたいしてほんのわずかの魅力も感じていないのだ。それどころか視界に入れるのすら鬱陶しいとすら思っている。俺は負の感情を顔に出すほど迂闊な性格はしていないので、東雲のほうではまさか自分が嫌われているとは思っていないのだろうが。
 第一俺は、萩原先輩に振られた失恋のショックが抜け切っていない。嫌いな人間のためにわざわざ体育館裏まで出向く気になれない。
 さっさと家に帰って一人で休みたかった。
「……帰るか」
 東雲からの手紙は見なかったことにして、俺は帰路に付いたのだった。



「武藤、お前、うちのお姫様のお誘いを袖にしたんだって? おかげで飛鳥姫、朝から超不機嫌だぜ」
 にやにや笑いながら話しかけてきたのは、東雲の取り巻きの一人、真野翔太(まのしょうた)だった。
 ……なにが男相手に『姫』だ。……こいつ、頭おかしーんじゃねぇの?
 と、おれは内心で毒づきつつも、もちろんそんな感情はおくびにも出さない。
「あいにく昨日は用事があってね」
 俺がしれっとした顔で言うと、真野はまだ話したいことがあるらしく、俺の前の席に横向きで座った。
 次の授業が始まる前に、予習のときに分からなかった問題を友人に聞こうと思っていたのだが仕方ない。俺は真野の相手をしてやることにした。
「俺だったら飛鳥姫から誘われれば飛び付くけどな」
「……東雲は男だよ?」
「男でも、あいつぐらい可愛いのは女子ん中でも滅多にいないだろ。あいつに張り合えるっつったら、お前と二年の宮城十夜先輩ぐらいなもんだ」
 俺はともかく、宮城先輩と東雲を比べたら、宮城先輩にたいしてあまりにも失礼だ。
 宮城先輩は東雲と違って、聡明で優しくて優雅で美人だ。唯一、東雲が宮城先輩に勝てるものがあるとしたら、運動神経だけだろう。宮城先輩は恐ろしいぐらいに鈍くさい人なのだ。
 そこもあの人の魅力ではあるのだが……。
「飛鳥姫からの伝言だ。「昼休み、体育館倉庫で待ってる」ってな」
「体育館倉庫? どこの?」
 我が校の体育館は二階建てになっていて、倉庫も一階と二階に二箇所ずつ用意されていた。
「二階の奥にある、人が滅多に行かないほう。第四体育倉庫だな」
 俺は頭の中で、第四体育倉庫の位置を思い浮かべた。
 たしかにあそこだったら滅多に人が来ないけど……。
「閉まってるんじゃない?」
「そうだな。普段は閉まってる」
「だったら……」
 真野は無言でキーホルダーも何も付いていない鍵を俺に見せた。
「……? それは……?」
「合鍵。飛鳥姫にお願いされてね。頑張って手に入れてきたのさ」
「…………」
 具体的な方法を聞く前に休み時間が終わってしまったが、あの鍵を入手するのは並大抵のことではなかったに違いない。それなのに、真野は手に入れてきたのだ。東雲の頼みだったから。
 東雲のどこがそれほど真野を惹きつけるのか、俺にはちっとも分からない。
 昼休み、東雲の呼び出しを無視して購買に行こうとしたところで真野に引き止められた。
「頼むよ、武藤。思いっきり振ってくれれば飛鳥も目が覚めると思うからさ」
「武藤にとっては迷惑以外の何者でもないと思うけど、飛鳥、入学したばかりの頃からお前に片想いしていたんだぜ? 告白ぐらい、聞いてやってくれよ」
 真野だけではない。同じく、東雲の取り巻きである井ヶ田夕貴(いがたゆうき)も俺に向かって頭を下げながら言った。
「こいつらの熱い友情に免じて、話だけでも聞いてやったら?」
 真野と井ヶ田の言葉を聞いて事情を察した、俺のもっとも親しい友人である多賀瑛一(たがえいいち)も言葉を添えた。
 三人に説得され、俺はしぶしぶ飛鳥の呼び出しに応じることを承知した。例え相手が嫌いな人間であろうとも、真剣に告白しようと言うのだから真剣に応えてやるべきだろう。
 その結果がどうであれ。
 俺が好きだった萩原先輩も、俺の告白をしっかりと受け止めてくれた。あのときの萩原先輩は誠実で男らしかった。だからそれを見習おうと、俺は思ったのだった。

 
 
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