【悪魔と愛犬 -10-】
 
「よお、父さん。久しぶり」
「ああ、久しぶりだな」
平坦な口調で匡と会話を交わしつつ、誠司は顔になんの表情も浮かべぬまま、屍の山を作っていく。その手並みは鮮やかだと言うしかない。娘の紗那も見事なものだが、それ以上の腕前だ。紗那の太刀筋すら「遅い」と思えてきてしまう。
……まさに「目にも止まらず」ってヤツだな。
匡は槍を杖代わりに体を支え、のんびりと見学していた。いや、見学しているしかなかった。手を出せばかえって足を引っ張ってしまいそうだ。
……出番がない。
楽なのはそれはそれでいいのだが、少しばかり物足りないと、匡は勝手なことを考えた。いささかプライドが傷つかないこともないし。
剣の腕では自分は誠司の足元にも及ばない。
誠司が製造した屍の数はそろそろ100を超えそうな勢いだ。だが、いまだ息一つ乱していない。恐ろしい男だ。
……こうしてみると……どっちが『悪魔』だか分からないよな。
「俺は平和主義なのだが。できれば話し合いで解決したいのだが……」
淡々と敵を倒しながら、誠司はのうのうと言い放った。『平和主義』という言葉に、匡は思わず笑ってしまった。これほど物騒な平和主義がいてたまるものか。
しかも、本気で言っているのだから、この男の思考回路は匡ですら得たいが知れない。だからこそ面白いとも思うが。
……そろそろ……終わりのようだな。
片手一振りでやすやすと敵の体を二つに切り裂き、ジ・エンド。
凄いとしか言いようがない。
「匡、怪我はなかったか?」
『父』は息子の身を心配し、刃に血を滴らせながら振り返った。
恐ろしいことに、誠司は返り血一つ浴びていなかった。
……化け物。
圧倒的な実力を知りつつも、父の剣技を見るのは久々で改めて驚きつつ、匡はにっこり笑って礼を言った。
「お蔭様で、かすり傷一つないよ。ありがとう、父さん。助かったよ」
「今回の敵は、ずいぶんと大雑把だな。遠くからでも感じ取れた」
剣技は凄いが、気を察する能力は自分のほうが遥かに上だ。にもかかわらず、遠方に居た誠司でも気がつけたのだから、つくづくお粗末な結界だ。
誠司は海を渡った他国……米国で『仕事』をしていたのだが、異変を察して駆けつけたのだという。
「父さん、仕事の邪魔しちまったみたいでごめん」
「いや、ちょうどキリが良かったところだ」
「ならいんだけど」
誠司と匡が平和に親子の会話を繰り広げている最中、自分の有利を疑わなかった女は、愕然とした表情で立ち尽くしていた。
自分の兵隊が一瞬にして全滅したのだ。無理もない。
気を取り直し、自身の力で立ち向かおうと術を放出しようとするが、遅い。誠司が戦っている間、自分もただ見学していたわけではない。罠はすでに仕掛けている。
女が張ったはずの結界は、匡が手を加えたことで変化している。ここの空間を支配しているのは、今は、匡だ。
力は女自身に跳ね返り、女は悲鳴をあげて倒れた。
自業自得。
「お父さん、お願いがあるんだけど。和己のこと、連れて帰ってくれないかなぁ。万が一ってことがあったら、俺、悲しくて泣いちゃうしぃ」
「それは構わないが……」
口には出さなかったが、誠司の目はこれからどうするつもりだと問いただしていた。
「俺は、彼女と平和的にお話でもしてみちゃおうかなって思って。お父さんと一緒で、俺、平和主義だし。彼女、俺の熱狂的ファンらしいんだよね〜。愛情表現は過激だけど、説得すれば、ご理解いただけるかな、なんて」
もちろん、平和的な話し合いなど嘘っぱちである。女のほうも、すでにその気はないだろう。ようするに、強制的に自分が知りたいことを吐いてもらおう……というわけだ。そしてそんな自分の姿を、一応は術で眠らせているとはいえ、和己には絶対に見られたくないので、誠司に安全なところに連れて行って欲しいと頼んだ。
「分かった」
誠司は、女がただ匡の敵であるというだけでなく、匡の知りたい情報を握っている存在と知り、頷いた。そして息子の想い人である和己を背負い……「お姫様抱っこ」でないあたり、匡への配慮のようだが……艶やかに姿を消した。
……さて、と。決着つけるとするか。いい加減、ストーカーにつきまとわれるのも……うんざりだしな。
「いいぜ。二人とも、出てきな」
匡が声を掛けると、シアとバルヌスが姿を現した。
……最後の仕上げに掛かるとするか。
カードは揃った。あとは、切り札を使うだけだ。
この煩わしい問題を終わらせるために。
バルヌスは女を見て、戸惑ったような顔をした。
「彼女は、ティス王のご息女……か……?」
ティスは三王の一人で、バルヌスの父ガダンと同じぐらいに魔界では大きな権力を持っている。その息女であるカーシュラとバルヌスは、社交の場で会うことも多かったし、年齢が近いためかカーシュラは妹のスィリナと親しい間柄にあった。家ぐるみの付き合いもあり、一時はカーシュラとバルヌスの婚姻の話もあったぐらいだ。
シアはバルヌスの反応に、ほっとした表情を浮かべた。もし、和己を傷つけようとしたのがバルヌスの妹だったらと想像し、やきもきしていたに違いない。ずいぶんと惚れ込んだものだ。逞しい体躯のバルヌスに、華奢で人形のように美しいシアが寄り添うと、お似合いのカップルと言えないこともない。
傍から見れば間違いなく相思相愛の恋人同士だが、当の本人たちはその自覚はないようだ。匡ももちろん、わざわざ教えてやる気などなかった。それでは面白くないからだ。
「さあてと、カーシュラちゃん。聞きたいことに答えてもらおうか」
匡はにっこりと微笑みながら、『テタニディスの槍』を倒れたままのカーシュラの咽喉元に突きつけた。
カーシュラは怯えた視線を匡に向けたが、もちろん匡が同情するはずもなかった。
和己に殺意を向けた。それだけで十分死に値する。
以前、和己を手にかけようとしたとき、バルヌスの四肢を奪い、魔力を奪ってやった。そして、屈辱を与えた。
カーシュラもそれ相応の罰を受けていただけなければ、不公平になるだろう。
「ここにいるバルヌス君の妹のスィリナちゃんに、キミ、なにかしたでしょ?」
匡の言葉に、バルヌスは息を呑む。
「……存じませんわ」
しらをきるカーシュラの腹を、匡は笑いながら力いっぱい蹴飛ばした。
フェミニストなところのあるバルヌスは、匡の容赦のない態度に、不快な顔をした。しかし妹のことが関わっているかもしれないと知り、止めにはいるのを躊躇った。
強情に口を割らないカーシュラの胸倉を掴み、匡は今度は拳で顔を殴りつけた。表情にはすでに笑みはなく、ただ冷たい瞳で淡々とカーシュラを追い詰めていく。
「ひっ・・・・・・! や、やめて・・・・・・っ!」
「知りたいこと、教えてくれたらね。俺さぁ、短気なんだよね〜。いつまでもそうやって強情はられちゃうとさぁ。イラっとしてうっかり殺しちゃうかも」
さらに二、三発殴り飛ばしたあと、なんの躊躇いもなく槍でカーシュラの腹を突き刺した。急所は外しているので、すぐ手当てをすれば死ぬことはないだろう。
悲惨な光景に、バルヌスは顔を背けた。
カーシュラは悲鳴をあげながら、逃げようとするが髪をつかんで引き戻し、また殴られた。反撃しようにも、術が使えないのではただの非力な女に過ぎず、逆らうすべはない。
シアは驚くこともなく、その様子を見つめている。おそらく慣れているのだろう。
「……あれは、相当怒っていますね。よりによって、和己様に手を出そうだなんて……。愚か過ぎる」
シアはぼそりと呟いた。
妹の紗那は女に甘いから、この場にいれば止めに入ったに違いない。あいにくここに紗那はいないので、匡の容赦のないカーシェラへの拷問は続いた。
効果的な拷問の方法などくさるほど知っているが、あえて使わない。簡単に白状されても、それはそれでつまらないからだ。
「あっそう。まだそうやって意地張るんだ? じゃあ、その顔を二目と見られないようにしてやろうか?」
「ひっ……。ゆ、許して……。や……」
カーシュラは匡の足元にすがりつき、泣きながら許しを乞う。
だが、匡は容赦しなかった。
敵は徹底的に叩きのめす。二度と楯突く気など起きないように。
それが匡のやり方だった。「人」という殻を被り、ひ弱な存在としてこの世界で生きることを余儀されているのだ。わずかも油断などしない。自分の力を過信して、大切な者を失うことになったら、ただのアホ以外の何者でもない。そんなまぬけになるつもりなど、匡にはなかった。
「あのね。俺、謝罪なんて求めてないのよ。聞きたいのは、そんな言葉じゃないんだけど? ……しょーがねぇなあ、面倒だけど、直接覗いてやるよ」
アレは疲れるんだよなと、口の中で小さく文句を言いながら、匡はカーシュラの額に三本の指を突き刺した。
「ひぃっ!!」
カーシュラは逃げようとするが、匡は許さなかった。
脳から直接、情報を読み取るのだ。目的の記憶に辿り着くまで時間はかかるが、自白しないのだから仕方ない。
痛みに耐え切れず、カーシュラは失神してしまったようだ。
「……見ぃつけた。」
匡はカーシュラの脳を探りながら、小さく笑った。そして、自分だけでなくシアとバルヌスも見られるように術を発動させた。
バルヌスに真実を見せるために。





「……これは……」
直接脳に、情報が流れ込んでくる。
他人の記憶の情報を読み取るだけならまだしも、それを第三者に見せるとは……。高度な技を易々とやってのけたリューザ=リカオ=キースダリアの『技術』に驚いた。魔界においても、同じ術を扱える者がいないわけではない。しかし、リューザ=リカオ=キースダリアはほとんど力を封じられている状態でやってのけた。
力任せではない、繊細で複雑な術をやすやすと使いこなしてみせる。これが、魔王の嫡子の実力だ。
バルヌスは己との力量の差を改めて思い知った。一生、追いつける気がしない。認めるのは腹立たしいが。
そして、目の前で展開される映像にさらに驚かされた。
「……!」
カーシュラの記憶を除いているので、当然、視点もカーシュラと同じものになっている。手元の飲み物の入った杯に、なにか薬を入れて混ぜている。そして、視界に入る妹の姿。
カーシュラは薬の入った杯を、スィリナに手渡した。
スィリナは友人を微塵も疑いもせず、笑顔を浮かべて杯を受け取り口をつけた。やめろ、とバルヌスは叫んだが、その声が届くはずがない。これはカーシュラの記憶。過去に起こった出来事なのだから。
杯に口をつけた途端、目の前のスィリナは急に力を失い、糸の切れた操り人形のように床に倒れこんだ。
「ごめんなさいね、スィリナ。あなたが、ガダン王の娘でなかったら良かったのに。私だって本当は、親友のあなたにこんな真似はしたくないのよ?」
身勝手な女は身勝手な言葉を、悲しげな口調でささやいた。
「でも、あの人の妻になるのは私なの……。だからあなたが、どうしても邪魔なの……」
バルヌスは相手の精神に干渉する術には詳しくない。だから、どのような術か詳しい体系は分からなかったが、それでもカーシュラが妹に呪いをかけていることは理解できた。カーシュラは淀みなく、妹の心を壊すための呪文を唱えた。
スィリナも王族の娘だけあって、それなりの力を持っている。常であればやすやすと術をかけられることもなかっただろう。だが、薬によって意識を奪われた無防備な状態では、抗うことは不可能だった。
バルヌスはカーシュラの動機に思いあたった。
当時、魔王の後継者、リューザ=リカオ=キースダリアの隣に立つ『王妃』候補として名が一番に挙がっていたのがスィリナだった。
その美貌、総明さ、控えめな性格、身分……。それら総てをひっくるめて考えたときに、ガダン王の娘、スィリナ姫が最もふさわしいと、民の間でも噂になっていた。カーシュラも候補の一人ではあったが、スィリナほど有力視されていなかった。だからこそカーシュラは、スィリナが目障りだったのだろう。
野心家の父ガダン王も乗り気で、リューザ=リカオ=キースダリアとの婚姻を実現させたいと躍起になっていた。『王妃』の位を得ることができれば、魔界においてはキアセルカに次いで2番目に高貴な女性となる。その王妃の生家ともなれば、恩恵を受けられて当然だと父は考えていた。さらに跡継ぎを産めばその地位は揺るぎのないものとなる。もっとも、リューザ=リカオ=キースダリアの人となりを知った今、それがいかに甘い考えであるか、バルヌスは理解していたが……。
バルヌスは父のように妹を利用してのし上がることより、ただ妹に幸せになって欲しいと願っていたから、スィリナにリューザ=リカオ=キースダリアとの政略結婚を勧めたことはなかった。けれど父の言いなりのまま『王妃』となるべく教育を受けている妹の姿に、妹もリューザ=リカオ=キースダリアの花嫁となることを望んでいるのかもしれないと思った。妹が本気で望むなら、自分も出来る限りのことをしたいと思っていた。
それにしても、まさかカーシュラが妹を陥れた犯人だったとは思いもしなかった。カーシュラは、スィリナが心の病にかかったときも足繁く見舞いに訪れ、眼に涙を浮かべ妹の身を案じてくれた。あれが全て演技だったとは。真実を知った今でも信じられない。
……妹の『狂気』は……リューザ=リカオ=キースダリアが原因ではなかったのか……。
自分が信じていた事実と、現実とが異なっていたという事実に、バルヌスは動揺した。
そして、スィリナが正気を失ったときのことを思い返した。
突如、スィリナは狂気に陥り、甲高い笑い声をあげながら館中に火をつけようとした。召使がすぐに気がつき、消火したため大事にはならなかったが、いつもは穏やかで控えめな令嬢の突然の凶行に、度肝を抜かれた。
妹は取り押さえられてからも、暴れていたらしい。召使に呼ばれて慌ててスィリナの様子を見に行ったときには、疲れ果てたらしく眠っていたため、バルヌスはそのときのようすを直接見てはいない。
怯えた召使たちの姿を目の前にしても聞いた話が信じられず、バルヌスはスィリナが眼を覚ますのを待った。スィリナのベッドの傍らに椅子を寄せて座り、前の日ことを思い出してみる。
夕食後、スィリナは借りていた本を読み終わったと、自分の書斎に返しに来た。そして新しい本が読みたいというから、3冊ほど自分が読んで面白いと思った本を貸してやったのだ。
そのさい、とくに、変わった様子などなかった。少なくとも表面上は。
前兆など自分には何も感じ取れなかった。
「おやすみなさい、お兄様」
新しい本を手にしてはにかんだように微笑み、スィリナは優雅にお辞儀した。その姿は清らかな白い花のようだ。少々世間知らずではあるが、おっとりとした素直な妹が、バルヌスは眼に入れても痛くないほど可愛くて仕方なかった。
だからこそ、スィリナがおかしくなったなどと、認めたくなかった。
早く眼を覚まし、いつもの笑顔を見せて安心させてくれることを望んでいた。
だが、期待は裏切られ、目覚めたあとも妹は焦点の会わない視線を中にさ迷わせるだけだった。
そしてときおり発作のように、怒り、泣き、笑っていた。
スィリナは自分だけの閉じた世界に閉じこもってしまった。兄である自分のことですら、スィリナは理解することが出来なかった。
誰かが世話をしてやらなければ食事すらとれず、まるで、生まれてきたばかりの赤ん坊のようだ。
姿かたちは同じなのに、妹は変わってしまった。
バルヌスがいくら呼びかけても、スィリナからはなんの反応も引き出せなかった。それなのに、どんな言葉にも興味を示さなかった妹が、偶然、誰かが発した『リューザ=リカオ=キースダリア』の名前に顕著に反応した。
悲鳴をあげ激しく怯え、体を震わせていた。バルヌスが宥めるように頭を撫でると、必死の形相で腕にしがみつき、しばらく離れようとしなかった。
戸惑うバルヌスに、スィリナの狂気の原因がリューザ=リカオ=キースダリアだと囁いたのはカーシュラだった。
スィリナがリューザ=リカオ=キースダリアに想いを寄せ、弄ばれて捨てられ心を閉ざしてしまったのだと、カーシュラはもっともらしくバルヌスに告げたのだ。思い返せばあのときすでに、バルヌスはカーシュラの術にはまっていたのだろう。警戒している相手に術をかけることは難しいが、バルヌスはカーシュラを妹と親しい友人であるがゆえに信用していた。悟られずに術をかけるのは容易かったに違いない。もともと自分は、精神へ干渉する術は苦手なのだ。
バルヌスが自分の考えに沈んでいた間、いつのまにか『記憶』の映像は消えていた。そしてリューザ=リカオ=キースダリアと眼が合った。
リューザ=リカオ=キースダリアはにんまりと、良からぬことを企んでいるかのように笑った。バルヌスはぎくりとした。
悪い予感がする。そしてその予感は、おそらく正しい。
「あ〜あ。俺ってば可哀想」
リューザ=リカオ=キースダリアはわざとらしく、深々と溜息をついた。
「某王族のおぼっちゃまには、濡れ衣で命を狙われちゃったりするしぃ」
「…………」
「俺、すっげぇ傷ついちゃったなー」
バルヌスは自分の過去の行動を思い返し、冷や汗をかいた。
カーシュラに陥れられたとはいえ、次代の魔王に手をかけようとしたのだ。しかも卑怯なことに、彼が人間界に落ち、力が制限されているときを狙って。
軽くてバルヌスの処刑。重くて一家断絶。それほどの大罪だ。
妹の狂気の原因がリューザ=リカオ=キースダリアだと信じ込んでいたからこそ、刺し違える覚悟でいた。だが、全てがカーシュラが仕組んだことだと分かった今、頭が一気に冷えた。
自分がした行為は妹のためになるどころか、妹の命さえも危うくするものだった。
バルヌスはがっくりと膝を突き、地に付けるように深々と頭を下げた。
「申し訳、ございませんでした」
妹のことがなければ、バルヌスがリューザ=リカオ=キースダリアに楯突く理由などない。
魔王の嫡子はお世辞にも尊敬できるような性格ではなかった。だが、性格の悪さを差し引いてもその実力は感嘆せざるを得ないものがあり、リューザ=リカオ=キースダリアの才は魔王の跡を継ぐ者としては十分足るものとバルヌスも認めていた。いずれはリューザ=リカオ=キースダリアは、魔界で最も貴い地位に就くことが決まっているのだ。
それゆえに、今、バルヌスが出来ることといえば、ただひたすら頭を下げリューザ=リカオ=キースダリアの裁決を待つばかりだ。
煽ったのはリューザ=リカオ=キースダリアであったが、それは言い訳にはならない。リューザ=リカオ=キースダリアとバルヌスとの身分の違いを思えば、バルヌスの行動は許されざるものだ。
「どぉしようかな〜。俺、とぉってもショックだったしぃ〜」
リューザ=リカオ=キースダリアは楽しそうな口調で言った。完全に、バルヌスの反応を楽しんでいる。
「……どんな処分でも、甘んじて受けます」
「ふぅん……ずいぶんと潔いな。よい覚悟だ」
「……」
「俺も鬼じゃないからな。スィリナがカーシュラにかけられた呪いも解いてやる。その身分も保証しよう。だが、お前には罰を与える」
軽い口調を改め、リューザ=リカオ=キースダリアは厳かに告げた。
バルヌスは覚悟を決めた。妹のことでは憂いがなくなった。あとはリューザ=リカオ=キースダリアに任せておけばよいだろう。
未練はない。
ただ一つを除いては……。
「お待ちください!」
シアはバルヌスとリューザ=リカオ=キースダリアの間に割り込み、膝を突いた。
「……いくらでもこの男の使いみちはあります。ですから……どうか、命までは奪わないでください」
「ふっ……必死だな」
主に意見をしてまで自分を庇おうとするシアに、バルヌスは驚いた。好意を抱いてくれいることは分かっていた。けれど自分が考えている以上に、シアは自分を想ってくれているのかもしれない……。
「それほど、この男が恋しいか? この男が欲しいか?」
「はい。……彼を、愛してます」
シアは堂々と言い切った。そして主とその部下は、しばらく無言で見つめ合う。先に口を開いたのは、リューザ=リカオ=キースダリアだった。
深々と溜息をつき、頭を乱暴に掻いた。
「ったく、これだから生娘は。処女を捧げた相手だから、思い入れが深いってか? お前ねぇ、誘惑しようとした相手に誘惑されて、どーすんの?」
リューザ=リカオ=キースダリアは呆れた口調で言った。
けれど結局、やる気が失せたとつぶやきバルヌスを罰することはしなかった。
扱いこそ雑ではあるが、部下に対してまったくの温情がないわけではないらしい。
「代わりにバルヌス、働いて返してもらうからな? さすがに無罪放免はできないしな」
「……ご厚情に感謝します」
覚悟を決めていたとはいえ、命の危険が去りバルヌスは安堵の溜息をつく。
なにをさせられるかは分からないが、もともと自分はリューザ=リカオ=キースダリアに仕えることになっていたわけだし、実質はお咎めなしといってもよいだろう。なにをさせられるかは、少々……というか、かなり不安ではあるが……。
「じゃ、俺先に帰るから。コレとかアレとかの後始末、頼んだわ」
「御意」
バルヌスが答える間に、リューザ=リカオ=キースダリアの姿は消えていた。
後始末には、足元に転がっているカーシュラのことも含まれるのだろう。
どうするべきかと迷っていたら、シアはさっさとカーシュラから魔力を奪い、封じていた。慣れている。おそらくシアにとってはよくあることなのだろう。
そして、バルヌスの体に魔力が蘇るのを感じた。
『敵』ではなく『下僕』になったため、力を戻されたようだ。
より役に立つように……という思惑が分かるだけに、今一素直に喜べないが、心もとない状態からは脱出できたようだ。
「その、あのだな」
「? なんでしょう?」
「あー……」
「?」
シアは不思議そうな眼でじっとバルヌスを見た。
バルヌスは覚悟を決めて、口を開いた。
「さきほどは庇ってくれて、感謝している。ありがとう。お前のお陰で助かった」
「感謝なんて……。私が、あなたを死なせたくなかっただけです……」
さきほどの自分の『告白』を思い出したのか、シアは頬を染めて恥ずかしそうに俯いた。
……可愛い……。
バルヌスは思わずシアを抱き寄せ、唇に唇を重ねた。シアは甘えるようにバルヌスの首に腕を回し、積極的に応えた。
「私も、シア、お前のことが愛しい」
覚悟を決めたとは言え、こういうセリフは照れくさい。
バルヌスが耳元で囁くと、シアは瞳に涙を溜めて、嬉しいと微笑んだ。
…………ものすごく可愛い……。
今すぐ抱いてしまいたかったが、まずは後始末が先だろう。バルヌスはしぶしぶシアを手放した。最初に出会ったときは敵だった。捕虜同然に扱われていた頃は、生意気な態度に腹を立てたこともあった。けれどシアの『傷』に触れてからは、守ってやりたくなった。
これを惚れたというのだろう。世間一般には。
そしてシアが『敵』でなくなった今、抱きしめることになんの躊躇いもなかった。
「それにしても、良かったですね。おめでとうございます。父君もお喜びになりますよ」
「……え?」
「リューザ=リカオ=キースダリア様の直属ともなれば、大出世と言っても良いのでは? あの方は今まで、私以外には部下を持とうとはしませんでしたし」
「……大出世……??」
「…………気がついていらっしゃらなかったのですか? 主は働いて返せとおっしゃっていたでしょう?」
「……いや、確かに言っていたが……。普通、借りを返すとか……そういう意味にとるだろう……?」
二人の解釈の差に、シアは首をかしげて考え込んだ。
「ええ、まあ、そうですね。ちょっと分かりづらかったかもしれませんね」
……ちょっとどころではない!
早くもバルヌスは、リューザ=リカオ=キースダリアの下で働くことに不安を感じていた。
リューザ=リカオ=キースダリアと長い付き合いのシアがそう判断したのだから、それは正しいのだろう。しかしその思考回路は理解できない。
「どうやら主は、バルヌス様を気に入ったようです」
「……気に入った? あの態度でか……?」
「ええ。あの態度だからこそ」
バルヌスは顔をしかめた。
……どう考えても、莫迦にされているとしか思えない態度だが……。
「気に入らない相手や興味のない相手は、作り笑顔で適当に受け流すか、徹底的に無視かどちらかですから。「嫌味を言って苛め抜く」でしたら、相当気に入られていると言っても良いかもしれません」
「……そうか」
そんな気に入られ方は嫌だとバルヌスは思った。
「主ももうすぐ魔界に帰るようですし、すぐに元気になった妹さんに会うことができますよ」
シアは慰めるように、バルヌスの手を自分の手で包んだ。
「……魔界に?」
「はい。どうやらキアセルカ様に頼まれて、近々、魔界に戻らなければならないそうなのです」
「……もしやキアセルカ様は退位なさるおつもりなのか?」
「今すぐ、というわけではないとは思いますが……。退位の準備を進めるために、主に帰るように命じたのではないかと……」
はっきりとしたことは、シアも分かっていないようだった。それでも主の態度から、察することがあるのだろう。
魔王キアセルカの力の衰えは感じたことはない。地方各所で小競り合いこそあるものの、魔王キアセルカの王としての力量ゆえに国は安定していた。その影響力は、今もなお健在である。
魔王キアセルカは厳しくもあり、そして情の深い王だった。
慕うものは多く、バルヌスもその一人だった。
幼少の頃から至高の王として君臨していたキアセルカが息子にその座を譲渡し、現役から退くことについては一抹の寂しさを感じる。
しかしそれと同時に、あのひねくれた皇子がどのように魔界を治めていくのかを、楽しみにしている自分に気がついてしまった。
……私もまた、あのひねくれ者を気に入っているということか……?
バルヌスは愕然とした。
「バルヌス様?」
「い、いや、なんでもない。……それよりシア、私の名に『様』を付けるのはよせ。お前にはそう呼ばれたくない」
「ですが……」
「だいたいにしてだな。私たちは、その、恋人同士になったわけだし…・・・」
「あ」
今、気が付いたというように、シアは驚いた顔をした。そして顔を赤くし、俯いた。
相思相愛=恋人同士。簡単な図式だ。
お互い愛していると告白し気持ちを確かめ合っているのだから、恋人といってまったく問題はないはずだ。
顔を赤くしたままのシアの頭をなで、もう一度口付けを交わし、バルヌスは今度こそ集中して後始末を始めた。
これから恋人との甘い時間が待っているかと思うと、やる気も自然と涌いてくるのだった。

 
 
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