……私は一体、何をやっているんだ?
独特のリズムで腰を打ちつけ、体の下の美しい存在を甘く喘がせながら、バルヌスは悩んでいた。 「ああっ……! はぁんっ……!」 白く滑らかな肌を緋色に染め、艶やかな声で快楽を訴えるさまは魅惑的で、バルヌスは自分の中で欲望がますます膨れ上がっていくのを感じた。 自分が奥を突くたび、悲鳴を上げて淫らに腰をくねらせる。この美しい体は今、完全に自分が支配している。その事実に征服欲を満たされる。 だが……。 ……私は何故、コレをこんなふうに抱いているんだ? 体は熱いのに、バルヌスの頭の一部は冷静だった。 バルヌスは魔王に仕える三王の一人であるガダン王の嫡子だった。だが、生まれたときから嫡子であったわけではない。長子であるというだけで、跡継ぎに選ばれるほど甘くはない。 ガダンの子供は13人いた。そのうちバルヌスと母親を同じくするのは、妹のスィリナだけだった。 ガダンはもっとも優秀な子供を跡継ぎに据えると明言した。血の繋がった兄弟は、バルヌスにとって『敵』だった。 例外はスィリナだけだった。 幼少の頃から、すでにバルヌスは競争の中にいた。他者を蹴落とすことを望んだわけではない。 だが、負けたくはなかった。幼くともバルヌスはすでに高い矜持を身に付けていた。 他の兄弟から抜きん出るため、バルヌスは血の滲むような努力をした。苦労している姿を周りには見せず……そんなことはプライドが許さず、だが、影では必死だった。 ……負けたくはない。絶対に。 他者を引き離し、ようやく父であるガダンに後継者だと認められたとき、深い満足感と優越感をバルヌスは得た。 努力が実ったと、単純に嬉しいと思った。 有頂天だった。 だが、自分の高慢とも呼べるほどの自信は、あっさりと打ち砕かれた。 父ガダンとともに訪れた魔王との謁見の間。ガダンは自分を跡継ぎと定めたことを報告するため、魔王の元を訪れたのだ。 そこで、あの男に会った。 魔王の嫡子、リューザ=リカオ=キースダリア。 ヤツは自分が必死で手に入れたものを、あっさりと、当たり前のように手にしていた。 なんの努力もなしに涼しい顔で、ありとあらゆるものを持っていた。 強力な魔力にそれを使いこなせるだけの明晰な頭脳。 リューザ=リカオ=キースダリアは天才だった。その気になれば、魔王キアセルカの実力をも凌ぐことが可能だと言われていた。気まぐれで傲慢な皇子は努力を嫌い、自分が思うがままにしか振舞わなかったが。 それでも、何もせずとも、リューザ=リカオ=キースダリアはバルヌスより強かった。 屈辱だった。 悔しかった。 どれほど努力しても一生届かない相手がいる。 何万年経とうとも、バルヌスはけしてリューザ=リカオ=キースダリアに追いつくことは出来ないだろう。バルヌスはそのことを苦い敗北感とともに認めざるを得なかった。 しかし、自分がいずれリューザ=リカオ=キースダリアに仕えることを考えれば、まだ我慢が出来た。自分よりも弱い相手に仕えなければならないほうがよほど屈辱的だ。そう思って自分を納得させた。 だが、リューザ=リカオ=キースダリアは妹のスィリナを傷つけた。自分が唯一信頼し、慈しんできた妹を。 リューザ=リカオ=キースダリアは娼婦のように妹を抱き、そして、捨てたのだ。 バルヌスはリューザ=リカオ=キースダリアを許すことが出来なかった。 だからリューザ=リカオ=キースダリアが人間界に降りたと聞いたとき、チャンスだと思った。 普段は到底、敵わない相手だ。リューザ=リカオ=キースダリアが弱まった隙を狙うのは卑怯だと思わなくもなかったが、どうしてもヤツに一矢報いてやりたかった。 リューザ=リカオ=キースダリアに捨てられてから、妹は心の安定を欠いてしまった。 大切な者を傷つけられる苦しみを、リューザ=リカオ=キースダリアにも味あわせたかった。 リューザ=リカオ=キースダリアが気に掛けているという『久能和己』という人間を殺そうとした。上手くいくはずだった。人間界では自分のほうが強い。 なのにリューザ=リカオ=キースダリアは自分が予想もしない方法で、自分の行動を阻んだ。 今なら自分がどんな方法で倒されたのか分かる。 リューザ=リカオ=キースダリアは同じく人間界に降りている次代の天主・グレス=ファディルの力を利用したのだ。 あの男が他人の手を借りたことが意外だった。 そして、その技の緻密さと巧妙さに驚愕した。 『闇』と『光』。 まったく逆の属性である力を絶妙のバランスで組み合わせて封じ込め、チャンスを狙って力を解放したのだ。 狂っている。一歩間違えば力は反発し、暴走し、そうなれば危ないのは術者の命だ。他の者は、まずあんな技は使わない。リスクが高すぎるからだ。 それをリューザ=リカオ=キースダリアは易々とやってのけた。 恐ろしい男だ。 また、実力の差を思い知らされた。 『久能和己』の命に手をかけかけた自分に、リューザ=リカオ=キースダリアは容赦がなかった。 魔力を全て奪い、バルヌスを無力な存在に変えた。 バルヌスは死を覚悟した。 だが、後始末を命じられたリューザ=リカオ=キースダリアの部下であるシアは、自分を仔猫の姿にして『ペット』として飼い始めた。 主人が主人なら、部下も部下である。陰険なことこの上ない。 『死より重い罰を』。 確かにバルヌスにとって今の状況は、死よりも辛いものだった。 リューザ=リカオ=キースダリアとシアをバルヌスは憎んでいた。 どちらをより憎んでいるかと問われれても、答えられないほど等しい強さでバルヌスは二人に憎悪を抱いていた。 だが、今自分は、その憎くてたまらない相手を抱いている。 バルヌスを上手に呑み込んだ柔軟な女性器に、さきほどから先端から涙を零し、快楽を主張している男性器。二つの性の証を同時に持つ不思議な存在、リューザ=リカオ=キースダリアの唯一の部下と、バルヌスは身体を重ねていた。 「ああん……や……」 シアを責める腰の動きを早めながら、ことの発端をバルヌスは思い出していた。 いきなり、仔猫の姿から元の姿に戻された。 もっとも魔力はそのままであったが。 「なんのつもりだ?」 不審な眼差しを向けるバルヌスをシアはベッドに誘(いざな)い、にっこりと微笑みながら言い放った。 「練習台になっていただこうと思いまして」 「……練習台?」 「ええ。『色気』を付けるための練習です」 「……」 呆れ果てたバルヌスの視線を笑顔一つで無視して、シアは繊細な指でバルヌスの身体をなぞった。 胸から腹、下腹部と辿っていき、シアはバルヌスの性器にも躊躇いなく指を絡めた。 「私を『美人』であることを保証してくださったのはアナタでしょ? 責任は取ってくださらないと」 「…………責任?」 「『色気』がないのに『色仕掛け』するなと主に叱られてしまいましたからね。その『色気』とやらを身に付けるために協力して下さい」 「……なぜ私が貴様に協力などせねばならんのだ?」 バルヌスは嫌悪に顔を歪めて言った。いくら相手が『美人』であっても、このシチュエーションで抱くことは屈辱以外のなにものでもない。 冗談ではないと思う。 練習相手なら、なにも自分でなくともいいはずだ。責任を取れなどと勝手な言い分を聞く気になどなれない。 バルヌスは自分の上に伸し掛かり、性行為を強要する『美人』を睨み付けた。 「アナタはまだ、ご自分の立場を理解していないようですね」 シアは冷たく笑い、バルヌスの頬を平手で殴った。 「選択権が自分におありだとでも? 勘違いもはなはだしいですね」 そして今度はバルヌスの逆の頬を殴った。 「私を悦ばせなさい。そうすれば、たまには元の姿に戻して差し上げますよ」 「…………っ!!!!」 強烈な殺意がバルヌスの身体を突き抜ける。 シアはバルヌスの憎しみを、笑いながら受け止めた。 「殺したいですか? でも、無駄、ですよ。私はアナタの『主人』ですから」 「……貴様、殺してやる」 「無駄だと言っているでしょう? さあ、私を抱きなさい。これは命令です」 屈辱に唇を噛み締めながらも、バルヌスは体勢を逆転させシアをベッドに押し倒した。 乱暴な手つきでシアの衣服を剥ぐ。 「私を満足させなさい。「下手くそ」などと、最後に罵られたくないでしょう?」 ……いつか、絶対に、殺してやる! どんな手段を使っても、絶対に自分はシアを殺してみせると決意を固めた。 バルヌスはこの世の中でもっとも憎んでいる相手の身体を、これ以上はないというほど丁寧に愛撫をし始めたのだった。 「ふふふ。満足させていただきました」 目を細めて笑い、バルヌスの裸の胸にもたれかかってくるシアを、バルヌスは苦虫を噛み潰したような顔で見下ろした。 身体の相性は悪くなかった。 最初は乗り気ではなかったが、途中からバルヌスは、男でもあり女でもあるこの不思議な身体に夢中になった。前にも後ろにも欲望の杭を打ち込み、何度も精を吐き出した。 元からシアは、口さえ開かなければバルヌスの好みの容姿をしていた。こんな状況でなければもっと楽しめたことだろう。 だが魔力を奪われ首根っこを押さえられた状態で、女王に使える召使のごとく抱くことを要求されたのだから面白いはずがない。欲望の嵐が去った後に残るのは、苦々しい感情だけだ。 「どうです? 私、色っぽくなりましたか?」 情欲の香りを残した肌を惜しげもなくさらし、首を傾げて髪をかき上げる仕草は確かに色っぽかった。いつもの硬質的な隙のない美しさと違い、目に甘えるような色を浮べてしなだれかかってくるシアは、大概の男であればオトせるぐらいの魅力があった。 しかしバルヌスは意地でもそれを認めたくなくて、無言でシアから顔を背けた。 その途端、拳が飛んできた。 「き、貴様!」 殴られた頬を片手で押さえ、バルヌスはシアを睨みつけた。 「情緒のない人ですね。気分、台無しです」 シアは冷ややかな目をして言い捨てた。 情緒がないなどと、お前にだけは言われたくないとバルヌスは思った。情緒と言う言葉の意味を、もっと正確に把握してもらいたいものである。 「気分も何も、貴様とは別に恋人同士でもなんでもあるまい」 「当たり前のことを言わないで下さい」 シアは明らかに機嫌を損ねたようだった。シーツで裸体を隠し、拗ねたような表情をしていた。 「ですが、一応アナタは私の『初めて』を捧げた相手ですからね。少しぐらいは優しくして下さっても、罰は当たらないと思いませんか?」 「……………………」 一瞬、バルヌスの頭の中は真っ白になった。 「……………………初めて?」 「ええ。そうです」 「……………………」 バルヌスは言葉を失った。初めて、とは、まったく予想外である。あれほど大胆に迫ってきたシアが未経験だとは、とうてい信じられない。 「言っておきますけど、モテなかったわけではないんですよ? 私に声を掛けてきた人間は男も女も大勢いましたが、単に、その気になれなかったというだけのことで」 モテると言うシアの言葉はけっして自信過剰ではないのだろう。シアの美しさはバルヌスも認めていた。 「……貴様、何故、私と寝た?」 「言ったでしょう? 『練習台』だと。それ以外の理由があるとでも思っているんですか?」 「……いや」 シアが自分に対して特別な感情を抱いているなどとバルヌスとて思っているわけではない。バルヌスはシアの敵だった。いや、過去形ではなく、自分がリューザ=リカオ=キースダリアに敵意を持っている限り自分たちは敵同士だ。 にもかかわらず、あっさり自分に身体を開いたことから、慣れてはいないことは分かっていたがまさか処女だとは思わなかった。 ……何故、そこまでする? シアは『主』のために、自分相手に『練習』をした。己の身体を道具のように扱った。 ……どうしてもそんなにも、リューザ=リカオ=キースダリアに尽くすのだ? 分からない。 リューザ=リカオ=キースダリアの性格は極悪だ。その力の強さと頭脳の回転の速さはバルヌスは認めている。しかしあらゆる美徳をかき集めたとしても間に合わないほどあの男は根性が歪み過ぎている。 シアがこれほど真摯にリューザ=リカオ=キースダリアに忠誠を誓う理由が分からない。 「貴様、あの男のために、どうしてそこまでする?」 「あの男? リューザ=リカオ=キースダリア様のことですか?」 「ああ、そうだ。そもそも貴様、どんな理由であの男に仕え始めたのだ?」 激しく疑問に思っていたことをバルヌスは尋ねた。いくら考えても分からないので、結局当の本人から答えを得ることにする。 元々はただの人間であったはずなのに、どのような経緯で人間以外の存在となり、リューザ=リカオ=キースダリアに従うことになったのか。想像もつかない。 「リューザ=リカオ=キースダリア様は私の一番の望みを叶えてくださいましたから」 にっこりと笑いながらシアは言った。 「一番の望み? それはなんだ?」 「私の最愛の妹を殺した者たちへの報復です」 シアの口元は笑みの形をしていた。しかし自分の憎むべき相手を思い出しているのか、目には憎悪の炎がともっていた。 「バルヌス、アナタが妹を想う気持ちは、私にもよく分かります。私にもかつて、妹がいました。素直で大人しくて、天使のように優しく清らかだった妹がね……」 「……どうやって殺されたのだ? 貴様の妹は」 バルヌスはシアの持つ闇に興味を持った。人以外のものに成り果ててまで報復を願ったその理由を知りたいと思った。 「陵辱されたんですよ。複数の男たちに。そして、その挙句に殺されました」 シアの口調は冷めたものだった。だが、妹を失ったことによって負った傷が、シアの中でまだ生々しく残っていることがバルヌスには感じ取れた。 気がつけばバルヌスは、シアを自分の腕の中に抱いていた。そうすることが正しいように思えた。 シアは大人しく、バルヌスの肩に顔を埋めた。そして、唯一の肉親であった妹がいかにして殺され、どのように復讐したかを静かに語り始めた。 「別にね、珍しいことではなかったんです。私が住んでいた土地は物騒でしたから」 力のない女子供は狙われる。 それがかつて、自分が暮らしていた場所では当たり前のことだった。 だから、用心していた。 自分はともかく、妹はまだ幼くて弱い存在だったから。 両親は自分たちが生きるために自分と妹を売ろうとしたから、妹と二人で逃げ出してきた。それからはずっと妹と自分は寄り添って生きてきた。子供二人で生き抜いていくには優しい世界ではなかったけど、それでも一人じゃなかったから。妹がいたから自分は強くなれた。 村のはずれに建てた小さな小屋で、貧しいながらもそれなりに自分たちは幸せに暮らしていた。 小さなテーブルに二人がやっと眠れるぐらいの小さなベッド。冬は震えながら二人で抱き合って眠った。 それ以外の家具はなく、贅沢には縁がなかった。いつでもお腹を空かせていてぎりぎりのところで生きていた。 妹の育てた野菜や自分が狩った獣の肉や魚を食べ、余った分は村に売りに行った。 足元を見られて買い叩かれることも多かったけど、買って貰えるだけでありがたいと思っていた。 自分たちは多くのものは望まなかった。 ただ互いのぬくもりだけで満足していた。 「ずっと、続くと思っていたんですよ。自分がいて妹がいて。そんな平和な日常が、ずっと続いていくものだと、自分は愚かにも信じていたんです。それが簡単に奪われてしまうものだとは気付かずに」 シアは昔の自分を嘲るように小さく笑った。 危険はどこにでも転がっているものだと分かっていたつもりで自分は本当には分かっていなかった。 「あんなに、あんなに愛しいと思っていたのに、自分はあの子を守りきれなかった」 あの子がどれだけ弱い存在であるか知っていたのに。 あの子が良い意味でも悪い意味でも、他人の目を惹きつける美しい存在だと知っていたのに。 愛していたのに。 あれほど愛していたのに。 どうして自分はあのときあの子を一人で行かせてしまったのだろう。 幾度も悔やむ。 後悔せずにはいられない。 思えばやつらは狙っていたのだ。妹を、自分たちの意のままに辱める機会を。 妹とともに村へ行くたび、やつらが絡んでくるようになったのはいつごろのことだっただろうか? いつの間にか、村に居ついたごろつきども。三人組の、二十代後半の男たち。 事なかれ主義の村人たちは、疎ましそうに、遠巻きに男たちを眺めつつも、とくに何も言わなかった。くすんだ大地の上で生きる人々は、心までもがくすんでしまっているようだった。 もし、狙われたのが自分たちと親しいものなら、村人たちもなんらかの行動を起こしたかもしれない。だが、妹とシアのためには村人たちは動いてはくれなかった。 いつもは自分があの子の傍にいたから、やつらは手を出しては来なかった。欲望まみれのくだらない屑どもでも、自分の命は惜しかったのだろう。 シアはあの厳しい世界で生きていけるぐらいの腕は十分持ち合わせていた。妹ともども生き残りたかったら、強くなるしかなかったのだ。 「『すぐに帰ってくるから』と、そう言ってあの子は家を出たんです……」 だが、しばらく待っても妹は戻っては来なかった。 悪い予感がしたシアは、草の葉が自分の肌を傷つけるのも構わずに、深い森の中にはいって妹を探し走り回った。 森の奥にある花畑にようやく辿り着いたとき、妹はすでに事切れていた。真っ白い花が妹の血で赤く染まり、まるで悪夢のようだった。 「……ユマ? ユマ! ……ユマ!!」 そこでどんな凶行があったかは明白だった。 乱れた着衣。 だらしなく開かれた足。 昨日までは間違いなく純潔であったそこは乱暴に開かれ、血に混じって獣たちの欲望の証が滴り落ちていた。 ユマの顔は恐怖で怖がり、うつろな目はどんよりとした灰色の空を映していた。 ついさきほどまでくるくると動いていた美しい瞳も、愛らしいばら色の頬も、今はすでに失われてしまっていた。 まるで壊れた人形のような妹の体をシアは抱き起こし自分の腕の中に抱え、その身体を揺さぶった。 「ユマ! ユマ!!」 何度名前を呼んでも妹は答えない。 日が沈む頃にようやくシアは自分の妹が二度と帰ってこないことを受け入れた。 ユマは死んだのだ。 殺されたのだ。 自分はユマを守りきれなかったのだ。 「あの子の魂は、私の手の指の間からすり抜けて行ってしまった。まだ15歳だったのに……」 たった15年間生きただけで、妹は天へといってしまった。ずっと一緒にいようと誓ったはずなのに、たった一人、自分だけをこの狂った世界に残して。 シアは泣きながら妹の身体を清めた。 哀しかった。 深い損失感と絶望。 そして、憎しみ。 あの三人組はすでに村を出て、行方が分からなくなっていた。 だが、そんなことで、シアは復讐を諦める気にはなれなかった。 殺してやる。 絶対に。 命をもって償わせてやる。 許せない。 許せない。 許せない! 自分から妹を奪った存在を、自分が許せるはずがない! 憎しみは哀しみを覆い、シアは憎悪の奴隷となった。 あの子の笑顔はもう見られない。 あの子の優しい声はもう聞こえない。 妹が、何をした? 道端に咲く野花のように、誰かを傷つけることもなく、世界を波立たせることもなく、ひっそりと生きてきただけなのに。 何故自分ではなく妹が殺された? 自分たちの身を守るためとはいえ、シアは人を殺したことがあった。だからいつか自分も殺されるようなことがあっても、それは仕方ないと思っていた。 だが、実際に殺されたのは妹だった。 天使のように清らかだった妹は、地に落とされ穢され殺された。 「許せない」 殺してやる。 殺してやる。 殺してやる。 殺してやる! 殺意と憎しみが嵐のように、シアの体の中で荒れ狂う。 自分からあの子を奪ったあいつらを、この手で引き裂いてやる。 妹と同じ恐怖と絶望を味あわせてやる。 せめて妹が生きてさえいれば、この憎しみを捨てる機会もあっただろう。どんな目に合っても、どれほど傷ついたとしても、生きていればいつか傷の癒えるときが来たかもしれない。 だが、あの子は死んでしまった。 自分はどうなってもいい。 自分が生きたいと思ったのは、あの子がいたからだった。 だから、もういいのだ。やつらに復讐できるのなら自分の命などどうでもいい。 「殺してやる。苦しみながら、死ねばいい」 生きながら焼いてやろうか。 生きながら切り刻んでやろうか。 だめだ。 そんなものでは生ぬるい。 もっと考えなければ。自分の心を安らげるために、生きながら地獄にやつらを落としてやらなければ。 妹を失ったこの世界は、シアにとって地獄だった。 やつらも同じ地獄に引き落とさねば気が済まない。 「手伝ってやろうか? 復讐すんの」 突然話しかけられ、シアは驚いた。 いつの間に人が立っていたのだろう? 旅支度を整え、妹の墓の前で手を合わせていたシアは、声の主を不審な目で見詰めた。 妹の墓は森の中で一番大きな木の根元に作った。もっと花がある場所がよかったが、妹が殺された花畑に埋めるなど論外だった。 悩んだ末、誰にも見つからず、それでいて自分には容易に見分けることが出来る森林の奥に育ったこの大樹を妹の墓石代わりに選んだ。 「……貴様、誰だ?」 こんな森の奥に、用もなく踏み込んでくる人間がいるはずがない。シアは警戒した。 黒く長い着衣を身に付け、整った顔立ちをした男はいかにも尋常ではなく、この場所以外で出会ったとしてもやはり怪しいと思っただろう。 「誰って、悪魔さ。俺を呼んだだろ? たとえ悪魔の手を借りてでも、ってね」 悪魔と名乗った男はにやりと笑った。 「……悪魔?」 妖しげな雰囲気を纏っているものの、男の身体はれっきとした人間のもののように思え、シアは目をしばたかせた。 「そう。ばっくれてやろうかとも思ったが、お前の『声』があまりにも煩かったから来てやった」 天使を失ったシアの前に現れた悪魔は不敵な笑いを浮べ、背中にあった大きな黒い羽を広げて見せた。 「…………」 シアは驚き、無言で男の背から生えているものをじっと見た。さきほどまでは、男の背には、特別なものなどなにもなかったはずだ。 「これ、出し入れ出来んの。便利だろ」 バサリと羽を大きく動かし、悪魔は笑った。 あまり日の差し込まぬ暗い森の中で、今、自分は悪魔と対峙している。 これも悪夢の続きだろうか? 妹を殺されて以来、シアはほとんど眠れなかった。ようやく眠れても、悪夢によってその眠りは引き裂かれた。 夢の中では、男たちに犯されている妹を前になぜか自分は身動き一つ出来なかった。何度も何度も妹の腹を裂かれる場面を見せられた。 そのたびにシアは憎悪を深めた。 空中にふわふわと漂っていた黒い羽毛が、シアの頬を掠めた。 ……そうか。これは現実なのか。 シアの復讐を願う暗い心が悪魔を引き寄せたのだ。 「『妹と同じ苦しみを』か。ずいぶんと遠慮深いんだな。俺だったら100倍の苦しみを願うね」 自分の手で復讐を遂げようと思った。 だが、人間のやることには限界がある。 ならば悪魔の手を借りるのも、いいんじゃないのか? やつらにより深い苦しみを味合わせるために、シアは悪魔の手を取ったのだった。 |