「……つまり、証拠はほぼゼロなわけね。いきなり城が霧に包まれ、城内の人間はみーんな眠っちまったと。で、目が覚めたときには、グレス=ファディル様の『器』は盗まれていたと」
「うむ。そのとおり」 紗那の言葉にアルザールは鷹揚(おうよう)に頷いた。 ……この、クソジジイ。空気でも吸うようにさらりと嘘ついてんじゃねーよ……。 紗那は笑顔で応じつつ、心の中で思いっきり毒づいていた。 アルザールが掴んでいる情報が、これだけのはずがないのだ。 『早急な事件の解決』を望んでいないのは明白だった。 ……だが、どうしてだ……? 一番あり得そうなのは、暇つぶし。 誠司の話によると、天主はあまりにも永い時間を生き過ぎているため刺激に飢え、起こったトラブルをさらに大きなトラブルに発展させるのが大好きという、超メイワクな性格をしているんだそうだ。 ……それとも……俺を、試したい……とか……? ……けど……それこそ、なんのために……? 堂々巡りになり、紗那は考えることを放棄した。 所詮、性格が破壊された男の考えることなど、紗那に分かるはずがないのだ。 あちらの世界で兄だった、穂高匡であればアルザールの裏の裏まで読むことが出来るかもしれない。ひねくれ具合は、二人ともいい勝負なので。 ……そーいや、アイツ、今頃どうしているのかな……。 兄である匡は、天界と対になる世界の王の跡継ぎだった。王位を継ぐため匡は魔界へと帰り、それっきりだ。この先、会うこともないだろう。 人をからかうことを趣味にしているような兄だから、何度もイラっとさせられたが、離れてみて案外自分があの兄を好きだったことに気がつく。魔界へと戻る際、葛藤の末、匡は恋人の和己も連れて行った。匡の選んだ道が、けして容易ではないことは紗那も分かっている。だが、これから何が起ころうが、匡の傍に和己がいるのなら大丈夫だろうと、当たり前のように思えた。だから遠く離れた兄のことを、懐かしむことはあっても、心配することはなかった。 ……おっとぉ。今は捻くれもののにーちゃんのことを思い出してる場合じゃねぇぜ。 紗那は軽く頭を振り、現実に立ち戻った。 「……それじゃあ、犯人探しから始めないといけないわけね」 当分人間界に帰れそうもないことを悟り、紗那はため息をつく。 帰れそうもないというより、帰らせてもらえそうもないというべきか。 ……優也……心配するだろうな。 ……オヤジは……心配はしねぇな。絶対。 父である誠司が娘の紗那のことを心配しないのは、愛情が薄いからではない。紗那のことを信頼してくれているからだ。誠司は父であると同時に、紗那の師匠でもあった。戦う術を紗那に叩き込んだのは、誠司だ。 「ところで、これって俺一人でやるわけ? サポート付けてくれんの??」 「もちろんだ。この広大な天界中を、たった一人で探し回れなどと、そんなひどいことを私が言うはずがないだろう?」 美しい微笑を浮べてアルザールは言った。芸術といって良いほど綺麗な笑顔だが、どこかうそ臭い。 ……あり得そうなんだよ、アンタなら! 紗那は内心で叫んだ。 だが、アルザールから自分をサポートしてくれる者の名前を聞いたとき、いっそ一人の方がマシだったと紗那は思った。 ……あー。やっぱこの人、俺、嫌いだわ。あの意地悪なにーちゃんの匡も、ここまで陰険じゃねぇーよ。……多分。 ……ぜってー、分かってて、選んでるし。 アルザールが紗那とともに、グレス=ファディルの『器』を探すように任命したのは三人だ。 「三人とも天界において名高い武人だ。名前ぐらいは聞いたことはあるだろう?」 「そりゃ、名前ぐらい、知ってますけど?」 名前どころか、年に数回行われる武芸大会にて、実際手合わせしたこともあるぐらいで。 三人が三人とも、申し分ないぐらいの実力者だということも知っている。 けど、でも、それでも! 「あいつら、ラザスダグラの側近じゃねぇかーっ!!!!!」 側近になるためには、他より遥かに秀でた力量と強い忠誠心が必要とされる。ようするに彼らは、ラザスダグラが大好きでたまらないやつらなのだ。 次代の天主の座を、天主アルザール自らが指名したグレス=ファディルに継がせるか、それとも正統な血筋であるラザスダグラに継がせるか、天界では意見が真っ二つに別れていた。グレス=ファディルがアルザールの娘であるユリナ姫を妻にしたことにより、グレス=ファディルを次代天主とする勢力が強まったのは確かだ。 だが、いまだ強固にそれに反対するものもいる。ラザスダグラの側近たちも、当然、グレス=ファディルが跡継ぎとなることを快く思っていなかった。 ……やつらが、親身になって探してくれるわけねーだろうがっ!!! このままグレス=ファディルの『器』が見つからなければ、ラザスダグラが天主になる。ラザスダグラに忠誠を誓う側近たちにとっては好都合なはずだ。 『主』がNO.2の座に甘んじなければならないことは、彼らにとって許しがたいことに違いない。 その心理はよく分かる。なぜなら紗那もかつて……デュアン=デュランとしてこの世界にいた頃は、己の主を心から尊敬していて出来る限り傍にいたくて、毎日勉強して剣の稽古をして術の発動方法を覚えて……とにかく、側近の座をゲットできるまで、血の吐くような努力を続けたのだ。 晴れて側近に抜擢され、グレス=ファディルに尽くすことができ、本当に幸せだった。 主を誰よりも愛し、心酔した。名を呼ばれるだけで高揚し、誉められて、慈しむように頭を撫でられたときは、嬉しくて眠れなかった。 恋とは、違う。 口付けたいとも触れたいとも思わなかった。 けれどまるで恋のように、主の一挙一動に心はざわめいた。 もし、跡継ぎに選ばれたのがグレス=ファディルではなく、ラザスダグラだったとしたら。 デュアン=デュランがそのことを、不快に思うであろうことは想像に難くない。 「あのさぁ、本当に、グレス=ファディル様の『器』を見つける気あんの?」 紗那はうんざりしながらも、言わずにはいられなかった。 ……ほんとに、なんちゅーヤル気のなさ……。 「当たり前のことを言うな」 アルザールは完璧な笑顔で言い切った。 厚顔無恥というのはこのことを言うのだろうと、紗那は思った。 「さて、あいにく私は忙しい身で、そろそろ城に戻らねばならん」 「って、ちょっと待て!! ラザスダグラの側近たちと俺を、引き合わせてくれるんじゃないのか?」 紗那は焦った。 人間の体である限り、紗那は『力』を使えない。ということは、ここでアルザールに置いていかれたら、紗那は徒歩で目的地まで行かなくてはいけないのだ。 移動の術を使えば一瞬だというのに、もし自分の足のみを頼りに行かなければいけないとすれば、どれほど時間がかかるのか、考えるのも恐ろしい。 ……そもそも、ここがどこだかマジでわかんねぇーし。 見慣れない風景だ。ということは、自国内ではないということだ。グレス=ファディルの領内のことなら、隅々まで把握している自信があった。 「安心しろ。私の代わりにイーリカがいいように取り計らってくれる」 アルザールの言葉と同時に、見覚えのある美女が現れた。 銀の髪に青い瞳。イーリカはアルザールとよく似た姿をしている。だが、アルザールが性格の悪さが滲み出ているような、そこはかとなくいけすかない雰囲気を醸し出しているのに対し、イーリカは元気で明るく素直で美人だ。 アルザールよりもイーリカのほうがぜんぜんいいので、かえってラッキーだったと紗那は思った。 アルザールは空中に向かって、二回手を鳴らした。 それだけで目の前の空気が揺らぎ、見知った美女が現れた。 イーリカだ。 ……すげっ。呪文も陣も使わずに、簡単に人を呼び寄せやがった……。 アルザールはやはりスゴイ。天主の座も伊達ではない。 もともと持っている力も強いが、それをよりいっそう有効的に活用させるための高度な術にも精通している。 ……これで性格さえよければ……素直に尊敬できるのにな……。 なんというか。 紗那にとって天主は残念な存在だ。 「紗那、久しぶりじゃな」 イーリカは紗那に気づくと、にこっと可愛らしく微笑み、再会を喜んでくれた。 実の父のアルザールよりも先に声を掛けてくれたことが、ちょっと嬉しかったりもする。 ……おおーっ。相変わらず、すげぇ美人。目の保養だよな〜。 「会いたかったぞ、紗那」 イーリカは麗しい笑顔を浮べて紗那に抱きついてきた。紗那はもちろんイーリカの体を優しく受け止めた。抱き合いながら、紗那はイーリカの豊満な胸の感触を楽しんでいた。 美しい女性は大好きだ。 美しくて、強ければ最高だ。 イーリカは実はかなり年上ではあるが、それは気にならない。紗那のストライクゾーンは、女性であれば上から下までOKだ。だが男となると、『年下の美少年』限定となる。零がもし年下だったら、ヤバかったかもしれない。 デュアン=デュランを追ってきたはずのリインが、なぜ自分よりも年上なのか疑問だったが、『人間』として生まれ変わるのも、そう簡単なことではないらしい。『母体』との相性もあるらしく、それゆえに数年のズレが生じたのだ。その仕組みについて教えてくれたのは匡だった。匡は『世界』の法則に精通していて、その知識は誠司よりも豊富だ。 「ではイーリカ。後のことは頼んだぞ」 なんとも中途半端な状態のまま、アルザールは無責任にも退場してしまった。 ……でもアノヒトと話してると、ムカツクからまあいいか……。 紗那はあっさりと自分を納得させた。 「父上にも困ったものじゃ。よりによって、あの三人を手助けに付けるとは……。紗那が苦労することは目に見えているではないか」 イーリカは可愛らしく憤慨しながら呟いた。 ……やっぱり可愛いなあ……。 自分のために怒ってくれるイーリカの愛らしい横顔を、紗那はうっとりと眺めた。 美人はイイ。自分に好意をもってくれるなら、なおさら。 「うーん。やっぱ、イーリカちゃんもそう思う?」 「うむ。私が付いていってやりたいのはやまやまなのだが、これでも私は四王の一人。しかも、グレス=ファディル殿と兄上が人間界に行ってしまったので、おかげで今までの三倍の仕事をこなさなくてはならなくなってしまったのだ。今の状況では、長い期間、領地を空けることは出来ぬ。……すまんな、紗那」 「いや……。心配してくれるだけでも嬉しいよ」 アルザールの顔を思い浮かべ、心配するどころか面白がるような男に比べたら、月とすっぽんのようだと紗那は思う。心底申し訳なさそうに眉を顰めるイーリカは、とても可愛い。 「口惜しいことだが私に紗那を手助けできるほどの余力がないので、同じく四王のキーア殿に相談してみた」 「キーア様に? って、イーリカちゃん、会ったことあるの?」 紗那は驚いた。 四王の位にあるのは、『デュアン』の主であるグレス=ファディル王。 そして、アルザールの長子でありイーリカの兄でもあるラザスダグラ王。 三人目はアルザールの長女でもある、今、紗那の目の前にいるイーリカ王。 そして、最後の一人はキーア=サー=ダリア王だ。 紗那はこのキーア王に会ったことがない。キーア王は公式の場にまったく顔を出さず、その正体は謎に包まれている。 同じ四王の一人であるイーリカであれば、顔を合わせたことがあるのだろうか。 「いや。あの方の素顔は隠されたままだ。天界の中で、あの方の姿を知っているのは父上だけだろう。だが連絡する手段がないわけではない。事情をしたためて親書を出したところ、ついさっき返事が返ってきた」 「え。なんて?」 「それが、父上のおっしゃった三人の他にも、頼りになる者を紹介してくれるとかで……。その、紗那さえよければ、連れて行って欲しいと言うことなのだが……」 「へぇ。ラッキーじゃん。キーア王ってば親切〜」 「ううむ。それが……。いや、実際会ったほうが早いな」 イーリカは宙に向かって軽く手を振った。さきほどのアルザールが使った術と同じで、他者を呼び寄せるものだ。親しげな態度で接してくれるから普段は意識しないが、王の一人であるイーリカもまた、ずばぬけて秀でた実力をもっている。 高度は技を易々とやってのけたイーリカに、紗那は苦笑してしまった。 ……さすが、イーリカちゃん。王様の一人だもんねぇ……。 イーリカの術で呼ばれたのは、子供だった。 年齢は7〜9才ぐらいと言ったところか。 子供の年など正確には言い当てられないが、人間界で言えば、小学校の低学年ぐらいの年のように見える。 そして、超がつく美少年だ。 ……うおっ。すげぇ美少年じゃん! イーリカちゃんに負けてないぜ! 美少年は好きだ。大好きだ。年下の美少年なんて、ストライクゾーンだ。紗那は自分が思っていたより、下のラインの許容度は広いことに気づいた。上はからっきしだが。 父の誠司の恋人である優也に片想いをしてから、年下の美少年に目覚めてしまった紗那だった。 けれど喜ぶのも、時と場合による。それぐらいの分別は紗那にもあった。 「……ええと、お子様? って、ひょっとして……」 「ひょっとするのじゃ」 「……………………この子がお手伝いしてくれるってワケね……」 少年はメチャメチャ可愛い。 だがグレス=ファディルの器を探すにあたり、戦力になり得るとは思えなかった。 ……キーア王……。果たして親切なのかそれとも……。 「ん〜……。まあ、そのキーア王様が頼りになるってんなら頼りになるんデショ」 一瞬呆然としたものの、紗那はすぐに立ち直ってあっけらかんと言った。 子供だから、弱いとは限らない。見かけだけで判断するのは紗那の主義に反する。 それに、キーア王の紹介だと言うのなら、それなりの理由があるのだろう。 「あのさ、事情は聞いてる? 俺、グレス=ファディル様の『器』を見つけたいんだけど、手伝って貰っていいかな?」 こちらから頼みごとをするのだ。見下ろしたままでは失礼にあたると、紗那は屈み、子供の顔を下から覗き込むように言った。 子供は無表情のまま、こくりと頷いた。 「あー。俺、紗那って言うんだ。よろしくな。……ええっと、名前、教えてもらっていいか?」 「…………ユラ」 「ユラね。呼び捨てでいいよな? 俺のことも紗那って呼べよ。それじゃ、これからどんぐらい時間かかるか謎だけど、目的が達成するまでの間、よろしく頼むわ」 「…………こちらこそ」 子供はぴくりとも表情を変えずに言った。 目はきつく吊り上っているが、整った顔をしているので笑えば可愛いのにと紗那は思った。 子供の瞳は、グレス=ファディルとよく似た濃紺の瞳をしていた。鮮やかな金色の髪とよく似合っている。悪くない色彩だ。 無愛想な少年ではあるが、憧れの王を思い起こさせる瞳の色をしているというだけで、親しみを覚えずにはいられない。 「んなわけだから、イーリカちゃん。キーア王にお礼言っておいてよ」 「うむ。承知した」 ユラは何故か紗那を気に入ったらしく、紗那の右手に手を絡めてきた。美少年好きな紗那は、にっこり笑って手を握り返した。 ユラはちょっとだけ表情を動かした。多分、嬉しかったのだろう。 「紗那は早速、ユラと仲良くなったようじゃな。なんだか妬けるなあ」 イーリカは冗談でもなさそうな口調で言った。 紗那の右手はユラが占領していたので、イーリカは紗那の左腕に腕を絡めてきた。歩きにくかったが、子供相手に本気で張り合おうというイーリカが可愛かったので放っておいた。 イーリカの態度に、ユラはちょっとむっとしたようだった。今度は、ユラは紗那の腰のあたりにぎゅうっとしがみついてきた。ますます歩きにくかったが、ユラの態度が可愛かったので、やっぱり紗那は放っておいた。 「……こら、ユラ。離れぬか。紗那が歩きにくいではないか」 無口な子供は、お前こそ離れろとでも言うように紗那にしがみつく腕の力を強め、イーリカを睨みつけた。 イーリカはあからさまにむっとした顔をし、紗那の顔を強引に自分のほうに向かせ、唇を深く重ねた。 美人とのキスは心地よいものだったので、紗那は大人しくされるがままになっていた。イーリカの舌が潜り込んできたときも、拒むどころか自分の舌を絡めてしっかり応じていた。 「紗那、短い髪もそなたに似合うな。長い髪もよく似合っていたが」 イーリカはうっとりと、紗那の耳元で囁いた。 「アリガト。イーリカちゃんは、相変わらず美人だね」 紗那はにっこり笑い、今度は自分からイーリカの唇を奪った。 「〜〜〜〜〜〜っ」 イーリカとのキスを終え、気が付くと、ユラは声を殺して泣いていた。 「おい。どうしたんだ? どっか痛くしたか?」 紗那は心配になって屈みこみ、ユラの顔を覗き込んだ。 ユラは泣きながら紗那の唇に唇を押し付けてきた。子供だけあって慣れていないらしく、口付けは歯が当たって痛かった。 紗那は一瞬驚いたが、子供の必死さを感じ取ってくすりと笑った。 どうやら紗那とイーリカの熱烈なラブシーンを見て、哀しくなってしまったらしい。 無口で無表情な子供ではあるが、自分への思慕を感じ、紗那は愛しく思った。 「キスは、こうやるもんだぜ?」 やり方を教えるように、紗那はユラにじっくりとキスをした。もちろん、ディープな口付けである。公平な紗那は、子供だからといって手加減せず、イーリカと同じ口付けをユラにも与えた。 「紗那っ! そんな子供と戯れている場合ではあるまい。 グレス=ファディル殿の『器』を早く見つけなければならぬぞ!」 イーリカは目を吊り上げ、紗那と子供を引き離した。 今度、焼餅を焼いたのはイーリカのほうだった。 「ん。そうだな。……グレス=ファディル様の『器』を、さっさと見つけなきゃな……」 紗那の目が、真剣な色を帯びた。 イーリカの言葉で、紗那の中のスイッチが切り替わった。 自分が唯一の主と決めた、グレス=ファディルの『器』を害そうとするやつらを、自分はけっして許さない。どこにいようが引きずり出して、罪を購(あがな)わせて見せる。 紗那は冷たい顔で笑った。 あの方は自分にとって、全てだった。 あの方は自分にとって、誰よりも大切な人。 誰よりも愛しい人。 敬愛すべき存在。 あの方のためなら、この命さえも惜しくはない。 あの方が望むなら、自分は今すぐだって、自分の胸に刃を突き立てることだってして見せる。 「それじゃあ、イーリカちゃん、連れて行ってくれる? 例の三人のもとにさ」 ラザスダグラに仕える身としては、自分たちに命じられたことに不満を抱いているだろうが。 だが、関係ない。 力づくでも協力してもらう。 あの三人は、有能な『駒』だから。 目的を達成するまでは、せいぜい役に立ってもらう。 冷酷な策士の顔で、紗那はイーリカにお願いした。 「それでは紗那、しっかり私につかまるがよい。転移の術で渡るぞ」 まさに、瞬きするほどの間だった。一瞬にして景色が変わり、紗那はユラとイーリカとともにラザスダグラの城の広間に立っていた。そこにはラザスダグラの側近の三人が待ち構えていた。おそらく最初から、紗那が来ることを知らされていたのだろう。そうでなければ王があちらの世界に行き、残った仕事を代わりに片付けることを余儀なくされた側近たちが、激務の合間に無目的で三人揃って広間にいるなどありえない。 紗那は素早く三人の様子を確認した。 予想通りラザスダグラの側近の二人は、グレス=ファディルの『器』の探索に自分が手を貸さなければならないことが不満のようだった。天主であるアルザールに命じられた手前、大っぴらには反抗できないが、目が、紗那に協力することを拒んでいた。 ……そりゃそうか。 忙しい中、不本意な命令に従わなければならないのだ。不満の一つや二つ、あって当然だ。 だが三人のうちの一人は、不思議なことに紗那に好意的だった。紗那はそのことを意外に思った。 まず、今回の件に不服を抱いていそうな二人の名を、レティとディース。 唯一協力的な様子を見せているのがエリファリド。 性別は三人とも男である。年齢は、『デュアン=デュラン』が子供の頃、すでに彼らはラザスダグラの側近だったので、相当年上ということになる。つまり、紗那のストライクゾーンに入っていない。 レティは武人とは思えぬほど線の細い体をしていて、力よりも技で相手を翻弄することに長けていた。虹色に輝く絹糸のような髪は、今は後ろに一つでくくられている。水色の目に険しい色を浮べているが、微笑めば華のごとく美しいことが予想できた。いや、不機嫌そうな顔も、彼の美貌を妨げる理由にはならない。ただ優しい顔立ちをしているので、笑顔のほうが似合うだろうというだけのことで。 どこぞの貴族が情人に望みそうなほど、妖艶で美しい姿をしているのだが、彼が自分の姿にコンプレックスを持っていることを紗那は知っていた。自分に肉欲を抱く男も、抱かせるような自分の姿も、彼にとっては許しがたいものなのだ。自尊心の高い男である。 ディースはレティとエリファリドに比べればまだ若く、その分、落ち着きのないところがある。正義感が強く熱血漢で悪い男ではないのだが、真面目すぎてとにかく融通がきかない。今回の件も自分が仕える主以外の者のために動くことが、不本意でならないのだろう。 髪は短く切りそろえ、瞳には強い生命力の輝きが宿っている。顔立ちはそう悪くはないのだが、レティと並ぶとどうしても平凡な容姿にしか見えなくなってしまう。 さて、最後の一人だが……。 エリファリド。この男が協力してくれるのなら、ずいぶんと仕事がやりやすくなると紗那は思った。もっとも、好意的なように見せかけて、内心ではまったく逆のことを考えているという可能性がないわけではないのだが……。 レティ、ディース、エリファリドの三人の中では、エリファリドが一番強い。 エリファリドは二m近い身長を誇る巨漢である。太い腕は、細い女性のウエストほどにもある。エリファリドは見た目どおりの怪力だ。しかも、ただ力が強いだけではなく、それに確かな技が伴っている。デュアン=デュランは過去三回エリファリドと対戦したが、一勝一敗一引分である。つまり実力は互角。道連れにいい剣の稽古の相手が出来たと、紗那は呑気に考えていた。 「久しぶりだな、デュアン=デュラン。前も男前だったが、今の姿もずいぶんと男前だな」 にやりと笑って言ったのはエリファリドだ。どうやらアルザールは、デュアン=デュランが人の『器』に魂を移していることを、三人にすでに告げていたようだ。いや、説明しなくても、この三人なら紗那の状況を察しただろう。なんといっても、この城においては王様の次に偉いやつらだ。 「どうもありがとよ。……ところで、グレス=ファディル様の『器』を探すのを手伝って欲しいんだけど……」 「あなた方の尻拭いとはあまりいい気分ではありませんが、アルザール様がお命じになったことですから仕方ありませんね」 つっけんどんな口調で言い放ったのはレティだった。 冷ややかな眼差しが美しいが、残念ながら年上なので、紗那の守備範囲ではない。紗那は冷静にレティを観察した。 ……おおっと。ツン発動中ってかぁ? 昔からだが、相変わらずレティは余裕のない態度だ。それなりの実力者でありながら、彼は己に対するコンプレックスが強すぎた。 「……なんと言っても四王の一人であるグレス=ファディル様の『器』だしな。しかし、気に食わないのはあんたに従わなきゃならないところだ。アルザール様はデュアン=デュランの補佐をするようにおっしゃられたが、それはつまりあんたの下に付けということだろう。以前のデュアン=デュランだったらともかく、満足に『力』を使えない今のあんたに従う気はない」 そして、次に紗那に噛み付いたのはディースだ。 ……さあて、どうやってコイツを手懐けようかな? ディースの一番の不満が自分より弱い相手に付き従うことにあるのなら、話は簡単だ。 自分の実力を見せ付ければいい。 純粋な『力』では、紗那は三人より遥かに劣るだろう。人間の『器』を使っている限り、力は大幅に制約される。 しかし、微弱な力しか使えなかったからこそ、紗那は技を磨くことが出来た。 デュアン=デュランであった頃と比べると、自分は飛躍的に実力を伸ばした。 『天城誠司』のもとで、娘として暮らした二十数年間、怠惰に過ごしていたわけではない。グレス=ファディルから直々に戦う方法を仕込まれ、一流の戦士として鍛えられたのだ。 人間界の管理者を任じられたグレス=ファディルを手助けしながら、実戦経験はたっぷり積んだ。 ぬくぬくと天界で暮らしていたお前たちに、負けるはずがないだろうと言いたい。 負ける可能性があるとすれば、エリファリドぐらいなものだろう。あの男は、グレス=ファディルさえ一目置いていた、一流の戦士だ。どれほど相手が己より力が劣っていたとしても、油断することも手加減することはない。付け入る隙がなくて、遣りづらい相手だ。 「うっ……!」 紗那が悩んでいると、突然、ディースが呻き声を上げて床に崩れ落ちた。 紗那の仕業ではない。 ユラだった。 「紗那を苛めることは許さない」 瞬きするほどの間にディースを床に沈めたユラは、無表情のままそう言い放った。 ユラが、力を使ったことは分かる。そうでなければ10m以上も先にいるディースに攻撃を加えることなど出来ない。 だが、ディースは仮にも四王の一人である、ラザスダグラに仕える側近の一人である。天界ではそれなりに名の知れた武将だ。 それが、こうもあっさり隙を突かれるとは。 ディースほどの武人になれば、常に周囲に防護壁を張っているはずだが、それすらも軽々と打ち破ったことになる。けっして容易いことではないはずなのにユラはそれをやってのけて、息一つ乱していない。 しかも力を放つ瞬間まで、術の発動は感じられなかった。一瞬で気を練って放出したのだ。 ……なるほど、ね。ただの子供じゃないってことか。 「くっ……」 ディースか屈辱に顔を赤くし、唇を噛み締めている。そこに追い討ちをかけるように、ユラが口を開いた。 「貴様、その程度の力で紗那を侮辱したのか。……片腹痛いな」 ……きっつー……。 ユラの言葉はざっくりとディースの心臓に突き刺さったことだろう。 子供なのに……いや、子供だからだろうか。容赦ない。 「これ、ユラ。いきなり攻撃を仕掛けるとは何事だ」 イーリカはユラの行動をたしなめた。だが、ユラはぷいっと顔を背けただけだった。イーリカの額に青筋が走る。 「まあまあ。子供ってのは、ちょっとやんちゃなぐらいがいいんだぜ?」 ユラとイーリカの間で戦争が勃発しそうだったので、紗那はさりげなく二人の間に割り込みながら言った。個人的にユラのこともイーリカのことも気に入っているので、二人が喧嘩をするとどちらに味方をして良いか分からず困る。 「くっくくく……」 エリファリドは肩を震わせて笑っていた。素直な男である。 そんなエリファリドを、レティは睨んだ。 「エリファリド、なにを笑っているんです?」 「くっ……。す、すまない……」 レティに睨まれ、エリファリドはなんとか笑いを治めた。エリファリドがレティの言葉に従うのは、レティがエリファリドより上の身分を持っているからではない。単に、エリファリドのほうが大人なだけだ。 「イーリカ様の仰るとおり、躾のなっていない子供ですね」 レティは今度は、紗那を睨みながら言った。ユラとはさきほど会ったばかりだが、ユラが紗那に懐いているので、ユラと紗那がほぼ初対面だということに思い至らなかったのだろう。ユラを侮辱することで、紗那のことも侮辱したつもりでいるらしい。 ……ばかばかしい。 紗那に不満があるなら、他者を貶めずとも紗那に直接文句を言えばいい。 それに紗那にとっては、ユラは「躾のなっていない子供」ではない。だいたいにして、紗那に最初に絡んできたのはディースのほうだ。 内心、激怒しつつ、紗那はレティの言葉に満面の笑顔を返した。 「その子供に、ディースは負けちゃったんだよねぇ。いや、もう、俺もびっくりしたよ。まさかラザスダグラ様の側近が、ねぇえ?」 笑顔のまま放たれた紗那の嫌味に、レティは鼻白む。 「誇り高き武将であらせられるディースくんは、まさかこのまま負けっぱなしってことはないよね? ユラともう一度戦って、次こそは勝とうって思ってるよね?」 紗那はわざわざ屈みこんでディースの顔を覗き込みながら言った。 「……何が言いたい?」 ディースは憮然とした表情のまま言った。 「ユラとの再度の決闘を望むのなら、俺とともに来るしかない。さあ、どうする?」 答えは聞かなくても最初から分かっていた。ディースは自分の敗北をそのままよしとする男ではない。 それでも紗那はにやにや笑いながら、ディースの答えを待った。 「くっ……。わ、分かった。お前と一緒に行こう」 「おやおや。ディースくんは、自分の立場というものを、理解していないようだね? 『お願いします。どうか私を連れて行ってください』だろぉ? 俺は別に、いいんだぜ? どっちでも。そりゃ俺は今はただの人間ですけどぉ? こうして頼りになるユラちゃんも一緒に『喜んで』着いてきてくれるっていうしぃ?」 紗那はにっこり微笑みながら言った。我ながらうっとりするぐらい容赦のないセリフである。頼りになるといわれ、ユラはわずかに口元を綻ばせた。 ディースは驚き目を見張り、屈辱に唇を震わせ紗那の顔を見上げた。 実に、イイ表情である。 ……なんか俺、性格悪いのうつってるよな〜。 誰からうつったかと言うと、もちろん、人間界では自分の三つ子の兄であり、穂高匡(ほだかたすく)……紗那の人間界での両親は離婚したので、兄弟であっても苗字が違う……と名乗り、その正体は、魔界の皇子リューザ=リカオ=キースダリアである男からである。 恐ろしく根性がひんまがったあの男は人が困る顔を見るのが大好きで、嫌がらせするのに手間隙を惜しまないという厄介なヤツだ。 ……なんかさあ。そこらへん、天主アルザールと似てるよなー。二人とも他人の迷惑を省みないっつーか……。あいつらに比べりゃ、俺の性格は可愛いもんだよな〜。 と心の中で自己弁護しながら、紗那はディースを苛める手を緩めなかった。 ディースは反応が顕著な分、からかうのが面白い。 「連れて行って……下さい……」 絞り出すような声で、ディースは屈辱的な言葉を口にした。 「ええーっ? そんな小さな声じゃ聞こえないなぁ? なんだってー?」 「連れて行ってください、お願いします!……これでいいだろっ!!」 ディースの顔は羞恥と怒りで真っ赤だった。 ……ふっ……。いい加減、許してやるか……。 「仕方ないなぁ。そこまで頼まれちゃったら俺もオニじゃないしねぇ? よし。特別に、連れて行ってあげよう!」 ぎりぎりぎりぎりぎりぎりぎりぎり……。 ディースの歯軋りする音が聞こえる。 紗那はにたりと笑った。 ……さ・あ・て。一人はこれでオちたな。 ディースよりも紗那のほうが上という位置関係が、たった今、決まった。ディースは、アルザールに命じられてしぶしぶ紗那の手伝いをするのではない。動機はなんであろうと、自分の意思で、紗那に従うことを選んだのだ。 「紗那、もっと一緒にいたいのだが、残念なことに私はもう帰らねばならぬ。道中、怪我などないように。御武運を……」 「ん。イーリカちゃん、いろいろアリガトね。この件が片付いたら挨拶に行くからね」 「うむ。楽しみに待っている。……他の四人は、しっかり紗那をサポートして欲しい。なにせグレス=ファディル王の『器』がかかっているからな。悪用される前に、なんとしてでも探し出して欲しい」 「はっ……。畏まりました」 真っ先に膝を付いて頭を下げたのはエリファリドだ。他の二人もそれにならう。 イーリカの身分は王である。ゆえに、ラザスダグラの側近の地位にある三人より、当然上の位だ。 三人はイーリカに対して礼を尽くした。 紗那もグレス=ファディル王の側近という立場であるため、イーリカより下の身分ということになるが、友人のような存在になりつつあるイーリカに跪(ひざまず)くのもおかしな気がして立ったままイーリカを見送った。 ユラは跪(ひざまず)くどころか挨拶すらろくにしなかった。 ……ユラちゃんってば何者なんだ? 分かっているのは、味方だということ。四王の一人が身分を証明しているのだから、その身元は確かだろう。 あとは、ものすごく、強いということ。 ディースに攻撃を加えたとき、『力』の余波がほとんどなかった。それなりに大きな力を使ったというのに、その痕跡をほとんど空間に残さないとは見事なものである。たんに『力』があるというだけではなく、ユラはその『力』の使い方にも熟練していた。 そして……四王の一人であるイーリカに、頭を下げずにすむほどの身分があるということ。 紗那がイーリカに臣下としての礼をとらなかったのは、イーリカ自身もそれを望んでいると思ったからだ。けれどユラは違う。ユラにとってはイーリカは、礼を尽くすべき相手ではないのだ。 ……まあいいか。長い旅路だし、話をする機会もたーんまりあるしね。 紗那は答えを急がなかった。 そしてこの日、一行は、自分たちの使命を果たすために早々とラザスダグラの城を発ったのだった。 |