【プロンプター -03-】
 
『天城誠司』という人の体に縛られている限り、『グレス=ファディル』の持つ力の十分の一も使うことが出来ない。それは大きなハンディだ。
しかし誠司には、それを補って余りあるだけの技量は身に付けてきたという自負がある。無為に二千年の時を人として過ごしたわけではない。『彼女』を探しながら技を磨くことに費やした。効率よく力を使う方法を学び、知識と技術を自分の中に蓄積させていった。
どれほど強い男だと呼ばれようが、安心など出来なかった。かつて己の未熟さが原因で、自分は彼女を失った。
あんなに、愛していたのに。
自分にとって、どれほど大切な存在か分かっていたのに。
臆病で愚かだった自分は、彼女を傷つけ追い詰めた。
グレス=ファディルの上に立つ唯一の男、アルザールの嘲(あざけ)る声が、今も耳に残っている。
「愚か者」と。ただ一言、アルザールは笑いながら言った。
あのとき自分は、言い訳の言葉もなくただ俯いた。
だが、いつまでも愚かでいるわけではない。
もう二度と自分は間違えない。
大切な者を失わないために。
今、最愛の者は、この手の中にあるのだから。
「この程度で俺を殺す気か?」
誠司はわざと酷薄そうな笑みを浮かべて言った。
挑発的な言葉と態度で相手の怒りを誘う。単純な心理戦。勝負において、敵のペースを乱せば有利に立てる。
小細工など弄(ろう)さなくても、自分は目の前の女に負けはしない。使える力は自分より大きくても、技でははるかに自分より劣る。実戦経験が乏しいのだろう。
だが、それでも誠司は油断しない。自分のすべてで敵に挑む。
女は簡単に誠司の罠にかかってきた。
「くっ……。貴様……っ!」
女が怒りに顔を赤くして誠司に切りかかってきた。整然としていた女の技が乱れた瞬間を、誠司はもちろん見逃さない。女の足元に向けて鞭を振るう。女の体のバランスが崩れる。素早い動きで誠司は相手の懐(ふところ)に入る。容赦なく女の鳩尾(みぞおち)を肘で打つ。女が地面に蹲(うずくま)る。
誠司はすかさず鞭で女の体を拘束し、地面に寝転がした。
「……たわいないな」
「殺せ!」
体の自由を奪われた女は、芋虫のような無様な姿で叫んだ。
誠司は冷笑した。この程度の腕で自分に刃を向け、死を口にする女が滑稽だった。
「私は主の期待に応えることが出来なかった。殺せ!」
「イーリカ姫は、お前が俺を殺せるとは最初から思っていない」
イーリカが望んだのは、たんなる時間稼ぎにすぎない。もし本気で自分を殺せると思っていたとしたら、しばらく会わないうちにずいぶんと愚かになったものだ。
誠司は女の前に片膝をつき、顎に手をかけ顔をあげさせた。
「そんなに死にたければ、勝手に死ね。俺が手を下すと面倒だ」
「面倒だと? 私には殺す価値すらないとでも言いたいのか!」
「弱い上に頭が悪いな」
「なっ!」
「お前を殺せばイーリカ姫が黙っていない。あれは自分の部下を殺されて、大人しくしているような女じゃない」
「…………」
自分の主の名を聞き、女は誠司の顔を食い入るように見つめた。
「必然的に、俺はイーリカ姫と戦うことになる。イーリカ姫は俺には勝てない。……お前は自分の短慮で、自分の主を殺す気か?」
「……貴様ごときに、我が主が……」
「殺せないと思うか?」
誠司を取り巻く殺伐とした気配に気が付き、女は怯えたように口を噤(つぐ)んだ。
立ち上がり、誠司は紗那のほうに目を向けた。戦いは拮抗(きっこう)しているように見える。だが、わずかに紗那が優勢だ。それに楽しそうな紗那の顔を見れば、手助けが不要なことが分かる。
誠司は娘を信頼することにした。
優也が待っている。
急がなければ。
自分が地面に這わせた女のことは、すでに誠司の頭にはなかった。




……恐ろしい。
手足を拘束され、なすすべもなく地面に転がりながら、ウルアは怯えた。
……恐ろしい。あれがグレス=ファディル王か。
ウルアは自分の体が恐怖のため震えていることに気が付いた。よくもあの恐ろしい男に立ち向かっていけたものだ。年端の行かぬ子供が猛獣に挑むようなものだった。
もし再び敵対することがあったら、自分はみっともなく敵前逃亡してしまいそうだ。それほどグレス=ファディルの強さは圧倒的なものだった。人の器を持つがゆえに力は制限されていたはずだ。それなのに手も足も出なかった。
……きっと、叶わない。イーリカ様でさえ叶わない。
イーリカも四王のうちの一人である。身分で言えば、二千年前のグレス=ファディル王と同等だ。だが実力は……。
実子であるイーリカやラザスダグラではなく、なぜアルザールがグレス=ファディルを跡継ぎに選んだのか、その理由をウルアは理解した。
……イーリカ様が劣っているわけではないのだ。あの男は化物だ。
ウルアは自由を取り戻そうともがいた。あの男が向かった先には自分の主がいる。イーリカを守らなければ。
だが、ウルアの焦る気持ちとは裏腹に、縛(いまし)めは緩まない。ひょっとしたら、特殊な術でもかけられているのかも知れない。自分がすぐに後を追えないように。
ウルアは何も出来ない弱い自分が情けなくて、静かに涙を零したのだった。





……すげぇ。もう決着ついてるし。
誠司がすでに戦線を離脱していることに気が付き、紗那は唖然とした。戦いが始まってから五分も経っていないのに、誠司の姿はすでになかった。
今、自分が戦っているエノアも、誠司が戦っていた相手も、実力的に差はほとんどないはずだ。ゆえに戦闘に要する時間は、そのまま誠司と紗那の力の違いである。
……あー。やっぱまだまだ追い越せねー。
自分の父親が、まだまだ自分より数段上の位置にいることに安心する。
自分の恋敵が、はるかに自分よりも強いことに悔しさを感じる。
……フクザツだぜ。
「なにを考えている!」
エノアが怒った顔で切りかかってきた。
「怒った顔も美人だな」
「……戯言を」
紗那はエノアの攻撃を軽く受け流す。純粋に力の強さだけを言えばエノアが上なので、まともにぶつからないように気をつける。紗那は小手先の技でじりじりとエノアの体力を奪っていく。
誠司は生け捕りにしろと言った。殺せといわれるよりも難しい。紗那は慎重に戦った。戦略を間違えればこちらが殺される。
死を間近に感じて紗那の血が沸き立つ。自分の中で、凶暴な獣が目を覚ますのを感じる。
……さあてと、そろそろこちらも決着つけますか。
紗那はこの戦いを、自分が楽しんでいることを認めないわけにはいかなかった。




「さあユリナ、天へ帰るぞ。あの男が戻ってくる前にな」
……帰る? 天に?
……イヤ。あの人から離れるのはイヤだ。
……でも怖い。会うのが怖い。
……会えなくなるほうが、もっと怖い!
『ユリナ』と『優也』の意識の間で混乱する。
「おいで、ユリナ。帰ろう」
「……ダメ。俺は誠司さんのそばから離れない」
優也の意識がわずかに勝って、イーリカの誘惑を撥ね退ける。優也の答えなど最初から分かっていたとでも言うように、イーリカは笑った。そして口の中でなにかを呟いた。優也は自分の体の自由が奪われたことに気が付いた。手足も動かせず、声も出せない。どうやら優也に術を施(ほどこ)したらしい。優也は怯えた顔でイーリカの顔を見上げた。
「よい顔じゃ。ほんにそなたは愛らしい」
イーリカは声をたてて笑い、懐から一振りの剣を取り出した。
「今からこの剣でそなたの心臓を突く。『美樹原優也』の存在は、この世から消える。肉体が死ねば、魂は解放される」
……この人、俺を殺す気だ。
……誠司さん、助けて!
「すまんな、そなたの肉体をも連れて渡れるほど、私は力が強くないのじゃ」
ほんの少しだけすまなさそうな顔をして、イーリカは刃を振りかざした。
すまないと謝るぐらいなら、やめて欲しい。あんなもので刺されたら痛いじゃないか。
逃げなければと思うのに、どうしても体が動かない。なすすべもなく優也は刃を見つめていた。
絶体絶命の状況だった。
だが、優也の胸に刃が届こうとした瞬間、イーリカの手から武器が飛んだ。何か見えない力に弾き飛ばされたようだった。
……誠司さん?
とっさに、誠司が助けに来てくれたのだと優也は思った。
「誰じゃ?」
イーリカは険しい顔をして振り返った。
「ソレ、俺の父親の恋人なんだよね。勝手にテイクアウトされても困るんだけど?」
緊迫した場面だというのに、飄々とした顔で現れたのは、穂高匡(ほだかたすく)だった。
匡は誠司の息子で、紗那の三つ子の兄弟だ。優也は一度だけ会ったことがあった。
……匡? どうしてここに?
安堵するよりも、ここに匡が現れたことを疑問に思う。
会ったのは一度だけでも、匡のひねくれた性格は知っているので、素直に自分を助けるためにここにいるとは思えなかった。
それに、この状況を目にしながら、なんら動揺していないことも不気味だ。自分の命を救ってくれた相手だというのに、ついつい優也は匡を胡乱な目で見てしまう。
助けに来てくれたのが誠司でなかったことにも、優也はいささかがっかりしていた。助けてもらっておきながら、我ながら失礼だとも思うのだが。
「お前……。ただの人間じゃないね。何者だ?」
鋭い声でイーリカは言った。
自分の思いを遂げる寸前で邪魔され、苛立っているようだった。
……匡が、人間じゃない?
二人のやりとりを聞きながら、ますます優也の疑問は深まっていく。
……匡……何者なの……?
「聞かないほうが幸せだと思うよ? どうせあんた、俺に勝てないし。尻尾丸めて帰ったら?」
「……無礼者め」
イーリカは射殺しそうな目で匡を睨んだ。匡は莫迦(ばか)にしたような顔でイーリカを見ている。
「弱いくせに、余計なちょっかい出さないでくれる? ま、暇つぶしにはなっていいけど」
「貴様っ……」
……すげー。怒りの炎に油を注ぎまくってる……。
よくもこれほどの美女を相手に、これだけ暴言を吐けるものだと優也は妙なところで感心してしまった。
……こいつの神経、アマゾン川なみに太いよな。まともな神経ならとても相手に出来ないよね。イーリカお姉様、可哀想……。
自分を殺しかけた相手に、優也は思わず同情した。
……でも、イーリカお姉様を……弱いって……。
四王の一人でもあり、アルザールの血を引くだけあって、イーリカもそれなりに強い力を持っている。そのイーリカを「弱い」と言ってしまえるのだから、匡の正体は一体何なのだろう。
……もしかして……悪魔……?
それなら超納得。ただの人にしては、あの性格は悪すぎるから。
「お前ね。自分を助けに来た人間に、なんちゅー無礼なこと考えるんだ」
優也の心の中の呟きが、何故か匡には聞こえていたようだ。
匡は優也の頭をぽかりと殴った。
痛い。
今ので脳細胞がたくさん死んだ。
匡に文句を言いたかったが、体の自由を奪われているのでそれも出来ない。優也は心の中でジタバタした。
「せっかく術、解いてやろーかと思ったけど、お前、かわいくねーからやめた」
……なんだとぉ? とっとと術を解けーっ! 意識はあるけど体の自由が利かないって、辛いんだぞ。苦しいんだぞー!!!
優也は心の中で絶叫した。
「ダメ。罰。命の恩人に感謝もしないとは、人としてどーよ?」
……するっ。しますっ。どーもありがとーございます、匡さまっ。だからなんとかしてー!!!
「ふっ。仕方ねぇなあ。貸しにしといてやる」
匡は恩着せがましい言い方をしてから、優也の戒めを解いてくれた。
「……で、匡、あんた何者?」
自由を取り戻して最初に優也は、匡が何者であるか質問した。
イーリカは天主であるアルザールの血をひくだけあって、天界において五指には入る実力者だ。そのイーリカを、匡は完全に自分の格下として見ている。
普通の人間であるはずがない。
「こっちでは『穂高匡』っつー、一介のひ弱な人間。で、その正体は、『リューザ=リカオ=キースダリア』という長ったらしい覚える人のことをまったく考えていない思いやりのない名前をした魔界の女王キアセルカの後継者」
匡は一息で自分が何者かを明かした。優也は瞬時に理解することが出来なかった。
一拍遅れて、驚きに目を見張る。
……え? え? えええ? 魔界の女王の、後継者??
魔界の女王の後継者、ということは紛れもなく王族だ。そしてその地位は、女王に次いで第二位ということになる。天界でいえば、グレス=ファディルと同等ということになる。
「リューザ=リカオ=キースダリア……?」
長々とした匡のもう一つの名を聞いて、イーリカは驚愕した。イーリカには匡の正体が分かったらしい。
「ふうん。俺の名前知ってんなら、わりと中心に近いところにはいるわけか。……そうだな。その気性と容姿から察するに、天界の主、アルザールの娘、イーリカ姫だな」
「そのとおりじゃ」
憮然とした顔でイーリカは頷いた。大人しくなったイーリカを見て、ひょっとして匡ってすごい人? と、優也は思った。
魔界は天界の『裏』にある世界だ。二つの世界は一蓮托生の関係にあるらしく、天界が滅べば魔界も滅ぶ。逆もまた然(しか)り。
「で、魔界の王子が、どうして人界にいるのじゃ?」
「暇つぶし」
匡はあっさりと言った。
「そうか」
イーリカはあっさりと納得した。
……おいおいおいおい……。それでイイわけ??
匡もイーリカも結構いい加減だ。
「優也、あんたの旦那が帰ってきたぜ」
「! 誠司さん!」
「優也、無事でよかった」
誠司は安堵した顔で笑い、優也の体をきつく抱き締めた。誠司の匂いと体温に、優也は息の詰まりそうなほどの愛しさが湧き上がってくるのを感じる。
……やっぱり、離れられない。傍にいたい!
「久しいな、グレス=ファディル王」
「イーリカ姫。人の妻に妙なちょっかいを出さないでいただきたいものだな」
優也をしっかり抱きながら、誠司は冷ややかな声で言った。
自分の計画が完全に崩れたのを知って、イーリカは拗ねた顔をした。美しくて可愛らしい女性だと優也は思った。魅力的な女性が誠司のそばにいることが不安で、優也はますます強く誠司にしがみついた。
……この人は俺の旦那さんなんだから。誰にも渡さないんだから!
「グレス=ファディル王、そなたがユリナの夫を名乗る資格があるのか? ユリナの魂が二千年もの間、人界を彷徨(さまよ)わなければならなくなったのは、そなたのせいじゃ」
イーリカは誠司を糾弾する口調で言った。ユリナのことを、本当に大切に想ってくれていたのだろう。だからこそ、妹姫を傷つけたグレス=ファディルをイーリカは許せないでいたのだ。
イーリカの言葉に、誠司は傷ついた顔をした。
グレス=ファディルもまた、ユリナを追い詰めたのは自分が原因だと、自分で自分を許せないでいたのだ……。
「違う! そうじゃない!」
自分の中で、急激に『ユリナ』の意識が膨れ上がるのを感じる。
……グレス=ファディル様。誰よりも愛しい私の王。
……私の愚かさが原因で、グレス=ファディル様が責を負うなど、けして許せないこと……!
「違います、お姉さま。グレス=ファディル様のせいではありません。私が愚かだったのです。私がこの方を巻き込んだ!」
自分のせいで最愛の人が責められるのは、耐えられないことだった。『ユリナ』は『優也』の意識を押しのけ、自分の夫を庇った。
「すべて、私が悪いのです……」
「そのとーり。全部、お前が悪い」
匡は優也をビシリと指差し、きっぱりとした口調で言った。
「俺は泣くだけで自分が幸せになるためになんの努力もしない頭の悪い女は大嫌いだ。『優也』は気に入っているが、俺は『ユリナ』は嫌いだね。ぐずぐずといじけている暇があったら頭を使え」
……認めるのはシャクだけど、匡の言うことにも一理あるかも。
ユリナは自分からは何もしなかった。何もせず、ただ現状が辛くて逃げ出した。自分の行動で、大切な人が傷つくことなど思いもせずに。残された者がどれだけ傷つくのか、考えもせずに。
……でも、俺は逃げたりしない!
大切な人と一緒にいたい。だから、逃げたくない。
優也は凛とした目でユリナの「傷」を見つめる。
ユリナ自身がグレス=ファディルに愛されていたことを納得しなければ、ユリナの魂は哀しみから開放されないのだ。そしてそれができるのは、優也だけだ。
「誠司さん……ううん、『グレス=ファディル』。どうして『初夜』のとき、ユリナを抱かなかったの? 俺は誠司さんに愛されていることを知っている。でも、俺の中のユリナは、自分は愛されなかったと思い込んでいる。『グレス=ファディル』。あなたには答える義務がある。『ユリナ』を手に入れたいと思うのなら」
優也は目に強い光を湛えて言った。優也にはユリナが愛されていなかったとは思えなかった。
だから、理由が知りたかった。グレス=ファディルは結婚式のあった夜、ユリナを抱かなかった理由を。
初夜の寝室で自分に背を向けるグレス=ファディルを見て、ユリナは自分が愛されていないことを確信したのだ。
もともとグレス=ファディルがなぜ自分を選んでくれたのか分からず、ユリナは苦しんでいた。妻に選ばれ、最初はただ嬉しいだけだった。しかしすぐに不安になった。
……どうして私を選んで下さったのかしら? あの方にはもっと相応しい女性がいくらでもいるのではないかしら?
ある日、グレス=ファディルが自分を選んだ理由を、ユリナは侍女たちのお喋りを偶然耳にして聞いてしまった。すなわち、グレス=ファディルがユリナを選んだのは、アルザールの血によるものだと。アルザールの後継者としての地位を確立するため、アルザールの娘を妻にしたのだ。
愛しい人のそばにいられるのなら、それでも構わないと思った。利用してもらえるだけの価値が自分にあるというのなら、自分が役に立てるのなら、それは喜ばしいことなのだと思おうとした。
ほんの一欠片(ひとかけら)でも愛情を自分に与えてくれるなら、それで満足しようと思った。
だが、初めて閨を共にした日、グレス=ファディルはユリナに触れようとはしなかった。グレス=ファディルにとって、自分はそれほどまで魅力のない相手だと思い知らされた。
ユリナは傷ついた。
これ以上、グレス=ファディルのそばにいることに、耐えられないと思った。
そして、この世界に逃げてきたのだ……。
ユリナとしての意識が目覚めてから、優也はずっと苦しかった。この苦しみから解放されたかった。ユリナは逃げることしかしなかった。だが優也は違う。向き合って戦うことを知っていた。
「答えて。ここで、決着をつけよう」
「……二千年のときは、そなたの心を強くするためにあったのかもしれないな。あの男……アルザールは、そこまで見越していたのか……」
優也の頭を撫でながら、誠司はポツリと言った。
いや、これは誠司ではなく、誠司のなかの『グレス=ファディル』の言葉だ。
「よかろう。『グレス=ファディル』が何を思って何を考えていたが、『ユリナ』が満足するまで語ろう」
そして誠司は『グレス=ファディル』が『ユリナ』と初めて出会ったときからの心境を語り始めた。




正直、最初に彼女に出会ったとき、その凡庸(ぼんよう)さに驚いた。
あまりにも普通だったのだ。
アルザールの娘にしては。
くすんだ金の髪と水色の瞳は印象が薄く、強烈な美貌を持つ他の兄弟とは大違いだった。力のあり方も内包的で、アルザールの血を引いているとは信じられなかった。
何より驚かされたのが、その気性の素直さだ。彼女は臆病なくせに、人を疑うということを知らない娘だった。
彼女は初対面の私に穏やかな笑みを見せ、自分のお茶会に誘ってくれた。彼女とお茶を飲み、話をしながら、彼女とともにいて安らぎを感じている自分に気が付いた。思えばあのときから彼女に惹かれていたのだろう。
だが、私は自分が彼女に恋をしていることを、認めなかった。なぜなら彼女はまだ、たった13歳の子供だったのだ。
ああ、違うな。私をためらわせたのは彼女の年齢のせいではないな。私は自分が彼女を愛し始めていたことを知っていたが、あえて知らないふりをした。彼女は夢のように儚げで清らかで、とても自分が彼女に相応しい男だとは思えなかったのだ。私は無骨な男だったから。そして……私の手は穢れていたから。私は過去、何人もの罪のない人間を、殺めたことがある。あの場所ではそれが普通だったから、罪であるとは気がつかなかった。
だがやがて、私は理解した。自分がどれだけの罪を背負っているのかを。自分がなにをしてしまったのか……。
けれど国に帰った後も、彼女のことがどうしても忘れられなかった。
そばにいて欲しいと願ってしまった。
「だから私は、卑怯な手を使ったのだ」
「卑怯な手?」
「ああ。アルザールの誘いに乗った」
あの男は、すぐに私の気持ちに気が付いたのだろう。私に取引を持ちかけた。
「グレス、私の後を継いでくれるなら、ユリナをそなたに嫁がせてやるぞ」
悪魔の心を持つ男は、天使の微笑を見せて言った。
私の気持ちなどとっくに見抜いていたアルザールは、さっそく自分の娘を交渉材料に使ってきた。
私は最初断った。彼女を取引の道具に使った男を許せなかった。
だが、なおも男は追い討ちをかけるように言った。
「ふーん。断る気なんだ。じゃ、ユリナは他の男に嫁がす。海王はたしかまだ独身だったなあ。……ユリナは父の言うことには逆らわんぞ。そういう娘だ。そなたも知っているだろう?」
「……ユリナ姫は自分の父親の正体を知らないからな」
「そうだ! あの娘は、私を偉大なる神と尊敬しているからな。さあ、グレス。あの娘を他の男のものにしたくなければ、私の条件を飲め」
私はしぶしぶ条件を飲んだ。天主の位を継ぐなど面倒なこと、他の者に押し付けてしまいたかった。だがそれよりも、彼女が他の男の妻になることに耐えられなかったのだ。
「……なんか、ユリナが思ってた話と違うし。それにアルザールって、ユリナの父親って……性格、悪くない……?」
「それはもう」
誠司は力強く頷いた。
「我が父ながら、恐ろしいほどの我が儘っぷりじゃ。なまじ力がある分、始末が悪い。誰も諌(いさ)める者がいないのだからな」
「あの男に比べれば、俺って天使ちゃん? って思うよ。家族の情ってヤツも一応、俺はあるしね」
イーリカも匡も、口々にアルザールの性格が悪いことに同意した。
……そうか。そんなに性格が悪かったのか。……それほど性格が悪い人が世界の頂点にいるってちょっとイヤかも……。
ユリナは父を尊敬していた。偉大な父の娘でありながら、みすぼらしい自分を恥じていた。
……なんか、価値観変わったな。
「そして結婚の儀を迎えた。式はつつがなく終わった」
そして、問題の夜が来た。
「彼女はひどく怯えていた。青ざめた顔で、必死で涙を堪えている姿が哀れだった」
そのときになって間抜けなことに、私はようやく気付いたのだ。彼女が自分と結婚することにたいし、どう思っているか聞いたことがなかったことに。
「そのとき聞けばよかったじゃん!」
ユリナはただ、憧れの人とともに迎える初夜に緊張していただけで、けして嫌がってなどなかったのに・・・。
「……私も傷ついていたのだよ。彼女の顔はどう控えめに解釈しても……」
「強姦魔を見る乙女の顔だった」
匡の言葉に、誠司はため息をつきながら頷いた。
「好きでもない男と初夜を迎えなければいけない彼女が可哀想になった。恐怖に震える彼女を無理矢理抱くような真似は、私には出来なかった。……大切にしたかったのだ」
「……なんか俺、どーして誠司さんがいっつも強引なのか、よく分かったよ……」
ユリナもグレス=ファディルも、二人とも臆病であまりにも不器用だった。どちらか一方でも自分の想いを打ち明けていたら、ここまでややこしいことにはならなかっただろう。
二人とも、あと一歩が足らなかった。
「据え膳を食わなかった挙句、妻に逃げられたのか」
匡がボソリと言った。
「ユリナがグレス=ファディルに恋焦がれていたことなど、傍(はた)から見ていた私でも気づいたぞ。グレス=ファディル……鈍いな」
イーリカは呆れたように呟いた。
「そうだな。私は彼女の気持ちに気付いてやることが出来なかった。……彼女がいなくなった後、ユリナの侍女の口から真実を聞いて私は悔やんだよ」
そしてグレス=ファディルはユリナの後を追った。今度こそ自分の妻を捕まえるために……。
 
 
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