【アルカロイド -03-】
 
「所長、起こしてくるとか言って二階に行ったっきり、なかなか戻ってこねぇな。優也チャン、そんなに寝ぎたないの?」
「っつーか、寝起き後の運動に突入中ってカンジ? オヤジさまのご立派なモノで、気持ちよ〜くされちゃっている最中でございましょう」
「ほほう。さすが新婚は違いますなあ。……ほんじゃ俺たちも、負けじと気持ちヨクなっちゃわない?」
零は紗那の体を引き寄せ、キスをしようとしてきた。懲りない男に半ば呆れつつも、紗那は手加減せず零の鳩尾に拳をめり込ませた。
「ぐうぅぅぅぅ……」
苦しげに呻いて零は体を折り曲げた。もちろん紗那は同情などしなかった。
「ばぁーか。俺に手ぇ出そうたあ、百億光年はえぇよ」
「……百億光年後にも受け入れる気なんかねぇくせに」
「ったりめーよ」
紗那は零に冷ややかな視線を向けながら、タバコを一本取り出し火をつけた。深く吸い込んでからゆっくりと煙を吐き出す。
「超ファザコンな紗那ちゃんとしては、心境フクザツってか?」
「…………」
「知ってるか? お前がタバコ吸うのは、気持ちがイラついてるときだけだってな」
舌打ちして、紗那は火をつけたばかりのタバコを灰皿に押し付けた。この男の、この何もかもを見透かしているような瞳がキライだと紗那は思う。
「紗那、辛ければ俺を頼れ」
「はん。自分より弱いヤツを頼れって? 俺はお前より強いぜ」
自分の傲慢ないいざまにうんざりしながら紗那は言った。
紗那のほうが零よりも強いというのは嘘ではない。
しかし、零が弱いわけではない。紗那が強すぎるのだ。あの天城誠司を父親に持ち、幼い頃からじきじきの手ほどきを受けているのだ。強くないはずがない。
仕事で零と組まされることが多いが、零はパートナーとしては申し分のない相手だと思う。紗那のサポートを完璧にこなせる人間は、そう多くない。大多数の人間が、紗那の実力についてこられないのだ。
自惚れでなく、紗那は強い。そして周囲は、紗那の桁外れの強さに畏怖の念を覚えた。つわもの揃いの組織の中でも、紗那は周りから浮いていた。
自分程度の強さでこれだ。父親の苦労は推してしかるべきだ。
もっともあの父なら、他人が自分に対してどのような想いを抱いていたとしても、まったく気にはしないだろう。究極のゴーイングマイウェイ男なのだ。
その父が優也に対しては、驚くほど気を使っている。優也から見たら、誠司は傍若無人に振舞っているように思えるかもしれない。しかし、あれでも優也のことは特別に大切に扱っているのだ。紗那が嫉妬し、苛立ちを覚えるほどに。
「確かにお前は強い。唯一の弱点を除いては」
「…………」
「最初は驚いたけどな。風のように自由な心の持ち主のお前が、たった一人の人間にあれほど捕らわれている。そのバランスの悪さに驚いた」
「……黙れ」
「紗那、忘れるな。お前には俺がいる」
零は紗那の髪を一房すくって、いとおしそうに口付けた。今度は紗那は逆らわず、好きにさせておいた。自分を恋人にしたいなどと極めて趣味の悪いことを考えている男を、冷ややかな目で見下ろした。
「相変わらず趣味が悪いな。お前だったら、女はよりどりみどりだろうに」
紗那が皮肉げに笑うと、零はため息をついてぼりぼりと頭をかいた。
「仕方ねぇだろ。惚れちまったんだから」
「いっとっけど、俺とお前だとホモのカップルにしか見えないぜ。諦めて、かーわいい彼女でも作って幸せライフを満喫したら?」
「ホモにしか見えんだろうけど、俺とお前だったら美青年どうしで見目麗しいと思うぜ。俺は諦める気はねぇから、お前こそ諦めろよな」
今回も紗那を口説くのに失敗した零は、ふてくされたような顔をした。零の拗ねた表情が子供っぽくて可愛くて、紗那は思わず笑ってしまった。
「よしよし。おいちーご飯を食べさせてあげまちゅからねー。機嫌、直ちてくだちゃいねー」
「くっそー! 子供を宥めるような口調で言ってんじゃねーっ。頭撫でてんじゃねぇよっ」
よりいっそう零は機嫌を損ねながら、紗那の用意したご飯を綺麗に平らげた。優也も見た目以上によく食べるので驚いたが、零もほっそりとした体格に見合わずよく食べる。見ていて気持ちのいい食べっぷりである。
零と紗那がちょうど夕飯を食べ終わった頃に、優也と誠司が降りてきた。
優也の首筋に誠司の付けた所有の証を見つけて、紗那はそっと目を逸らした。逸らした先で、零と目が合う。零は目だけで、紗那に大丈夫かと問いかけてきた。
紗那は小さく頷き顔を上げた。
「オヤジ、ヤリすぎで優也を壊すなよ? こーんな細腰で、二日連続はキツイんじゃねぇの?」
にたりと笑って優也の腰をわざとゆっくり撫でると、優也は顔を赤くして俯いた。
……綺麗で可愛い優也……。
姿形だけでなく、性格も素直で可愛い。一途に誠司を想うさまは、とても微笑ましいと思っていた。最初、紗那は、ただ純粋に父親と優也がうまくいくことを願っていた。二人の恋を応援していた。
それなのになぜ、今、こんなにも苦しいのだろう。
……俺はまだ、大丈夫だ。
ゆっくりとバランスが崩れていくのを感じながら、紗那は自分の不安な心に蓋をした。
「意地っ張りめ」
誠司と優也に聞こえないように、零が耳元で小さく囁いた。
「そんなとこにも、惚れてるんだろ?」
同じく小声で言い返すと、零は悔しそうな顔をした。
「んじゃ、俺、帰るわ。ごっそーさん、メシ、すげぇうまかった。所長、お邪魔しました。優也ちゃん、まったねー」
零が立ち去り、家に三人で残されたとたん、ほんの少しだけ心細いような気がした。紗那は、自分がそんな気持ちを抱いたことに驚いた。
……なるほど。自分が思っているより俺は、零を頼りにしてるってわけか……。
零のことを、恋人とは思えない。
けれど、唯一無二の親友だ。
「あの、今日は夕飯のしたく手伝わなくてゴメンね。後片付けぐらいは俺がやるし、部屋で休んでていいよ」
「……そう、だな。新婚の邪魔すんのも悪いしな。後は頼むわ」
「えっ。し、新婚だなんて……」
紗那の言葉に優也は恥ずかしそうな、それでいて嬉しそうな表情をした。誠司は柔らかく微笑み、優也の体をごく自然な動作で引き寄せた。優也は甘えるように、誠司に頭をすりつけた。
他者を排除する、二人だけの鮮やかな幸福の図。彼らが必要とするのは互いだけで、他は何もいらないのだ。娘である紗那のことも……。
これ以上、二人とともにいることがいたたまれなくて、紗那は自室に戻ったのだった。



「……かん。紗那教官!」
「……あ?」
「あ、じゃありません! 雨角教官が呼んでおられます」
「……ああ」
紗那の直属の部下である、副官の瀬名亮介に言われて稽古場の入り口に目を向けると、零がにっこり笑いながら手を振っていた。後ろに体格のいい男を一人、ひきつれている。見たことのない顔だ。おそらく新人なのだろう。父親の誠司が、人手不足が深刻なので、中途採用で人を増やすと言っていた。
「零、なんの用だ? 俺は忙しいんだが」
「んだよ。指導もしねぇでぼーっとしてたくせに、忙しいだぁ?」
「余計なお世話だ。いいからとっとと用件を話せ」
紗那は長い髪をかきあげ、不機嫌そうな表情で言った。八つ当たりであることは分かっているが、紗那は自分の感情がコントロールできないでいた。そしてそんな自分の未熟さに、よりいっそう紗那は苛立ちを覚えていた。
自分の感情の捌け口となっている零に、罪悪感がないわけではない。しかし、紗那に八つ当たり気味な態度を取られると、零は嬉しそうな顔をする。
「人当たりがいいっつーか、八方美人のお前がそーゆー態度取るのって、俺にだけだもんな。甘えられてるみたいでウレシイぜ」
だ、そうだ。
事実、自分はいろんな面で、零には甘えているのだろう。零と自分が恋人同士の関係になることは考えられないが、友人としては最高の相手だと思う。
「お察しの通り、新人さん。俺んとこでの研修が終わったから、次はお前んとこで頼むわ」
入社してからしばらくは、新人は研修生活を送ることになる。零と紗那は現役で働きながら、その合間に新人の教育も担当していた。他人の指導など面倒だったのではじめは断ったが、最後には誠司に押し切られてしまった。
零はおもに射撃術のレクチャーをし、紗那は格闘技全般をレクチャーしていた。他に毒物や爆発物についてなど、ひととおり必要な知識を研修中に新人は身に付けさせられることになる。そして研修が終わったのち、適性の合った班に配属される。
「……それだけの用なら、なにもお前がわざわざついてくる必要はないだろう」
紗那が冷ややかな視線を向けると、零は愛想笑いを浮かべた。
「いや〜ん。隙あらば好きな相手に会いたいという俺の気持ち、察してくれなきゃ」
「ふん。給料泥棒め」
零と紗那とのやりとりを黙って聞きながら、新人はとまどったような顔をしていた。
「というわけで、木根司郎さん。今日からこの天城紗那教官の指導を受けてください」
おもむろに真面目な顔をとりつくろい、零は後ろに立っている男に向かっていった。
「はい。……あの、自分は、次の教官は所長のお嬢様だと聞いていたのですが……」
ご子息の間違いでは……と言いたいのだろう。少しでも女らしく見えるようにと髪を腰まで伸ばしているものの、それでも紗那の外観は男にしか見えないのだ。
「木根さん、紗那教官はとても凛々しい顔立ちをしていらっしゃいますが、戸籍上は間違いなく女性です」
零はわざと咎めるような口調で言った。男は恐縮してみせた。
年齢は零のほうが年下であるにもかかわらず、男が心から零に敬意を抱いているのが見てとれた。自分より歳が下の人間を上司として認めるのには、それなりの葛藤があったのだろう。だが研修中にまざまざと零の実力を見せ付けられ、相手が自分より上の存在だと認めざるを得なかったに違いない。射撃の腕だけでいえば、紗那よりも零のほうが数段上だ。さらにそれを上回る実力を誇っているのが、紗那の父親の天城誠司だが。
「天城教官、お世話になります」
男は紗那に向かって頭を下げて見せた。だが、その礼が形だけであることを紗那は分かっていた。
おそらく男は、紗那の地位が父親の七光りによるものだと考えているのだろう。それも無理もないことだと思うので、紗那は特別、腹も立たなかった。紗那の容姿は男にしか見えないが、だからといって強そうに見えるわけでもない。女にしてはごついが、男にしてはほっそりとした体格である。
それにたいして木根司郎と呼ばれた男は、零よりも頭ひとつ分背が高い。しかも、身長だけでなく横幅もある。男と紗那が戦ったとき、百人が百人、男の勝利を疑わないだろう。
「瀬名副官、新人だそうだ」
紗那が呼ぶと、瀬名はすぐによってきた。
「知ってます。天城教官と違って、私は会議のとき寝てませんから」
瀬名は冷たい口調で言った。
……藪蛇だった。
童顔なので瀬名は紗那と同い年ぐらいにしか見えないが、実は紗那より七つ年上である。身長は零と同じぐらいだ。だが零よりも痩せている。筋肉はほどよく付いているが、全体的に繊細そうな雰囲気が漂っている。紗那と同様、どう贔屓目で見ても強いようには見えない。それは仕事上、有利になることが多かった。弱そうな外見のほうが、敵は油断してくれる。紗那も瀬名も、遠慮なく自分の容姿を利用していた。
実際は、紗那の副官を務めるぐらいなので、瀬名にはそれなりの実力は備わっているわけだが。
「零、せっかく来たんだから、俺と組手でもしてかないか?」
「……え」
零は露骨に嫌そうな顔をした。紗那にかなわないと分かっていて戦うのが嫌なのだろう。
「久々だし、いいだろ?」
「……う」
「天城教官、差しつかえなければ、俺とお手合わせ願えませんか?」
口を挟んだのは木根だった。コネだけで自分より上の立場にいる人間の、鼻をあかしてやろうという腹づもりなのだろう。ずいぶんと分かりやすい男だ。紗那は心の中で苦笑した。
「……なかなかイキのいい新人だな。いいぜ。相手をしてやろう」
願ったり叶ったりだ。
もともと零を組手に誘ったのは、新人に紗那の実力を見せ付けてやろうという狙いがあったのだ。初日から年下の小娘にこてんぱんにやられるのはショックが大きいだろうと、間接的に思い知らせてやろうという気遣いだった。だが、本人が希望するのなら構わないだろう。紗那は木根の申し出を受け入れた。
瀬名はもの言いたげな目を紗那に向けたが、紗那はそれを無視した。やがて瀬名は諦めたようなため息をつき、「せっかくの新人だし、怪我させないでくださいよ?」と、紗那だけに聞こえるほどの小声で釘をさした。


「実戦と一緒でどんな手を使ってもいいから、先に相手をノックダウンさせたほうが勝ち。シンプルなルールだろ?」
木根は生真面目な顔で頷いた。
「そんじゃ、瀬名副官。掛け声頼むわ」
瀬名はもう一度、深々とため息をついた。零はさっさと稽古場の隅に陣取り、見物する気満々である。他の所員も練習の手を中断させ、自分たちの教官かつ上司が新人と向かい合っているのを、興味深そうにして見ていた。
「向かい合って、礼! 始め!!」
瀬名の掛け声とともに、木根と紗那は全身から隙を消した。最初に攻撃を仕掛けてきたのは木根だった。紗那は最初の五分間は防御のみに徹した。木根の蹴りや拳を軽々かわしながら、紗那は冷静に観察していた。
……ふぅん。けっこう筋はいいな。ちょっと鍛えれば、瀬名より強くなるかもしんねぇな。ひょっとしたら零よりも……。
だが、今はまだまだ未熟だ。
すでに動きを見切っている紗那は、簡単に木根の攻撃をかいくぐり、顔面に拳を叩き付けた。たった一撃で木根は畳の上に倒れこんだ。鼻からは血を流している。
「ああ、もう、紗那教官ってば。怪我させないでって言ったじゃないですか」
瀬名は木根の顔を心配そうに覗き込んだ。木根は完全に気を失っていた。
「怪我なんかさせてねぇよ。三十分も寝かしとけば目が覚める」
紗那は軽く肩をすくめた。瀬名は自分の膝の上に木根の頭を抱え、紗那に非難の眼差しを向けた。
紗那はその視線をあえて無視する。
「かっこよかったぜ、紗那。勇姿に惚れ直したぜ」
「いいからとっとと自分のテリトリーに帰れよ、零」
「ちぇーっ。もうちっと紗那の顔を眺めてたかったけどな。午後から俺、外で仕事だし。ほいじゃまたな」
未練ありげな口ぶりのわりに、零はあっさりと去っていった。本当は忙しいのだろう。
「すっげー! さすが教官!」
「あの新人もなかなか強かったけどな。教官の敵じゃなかったよな……」
紗那たちの試合を見学していた所員たちはみな、顔を輝かせてヒソヒソと話し合っていた。
一班ごとに、通常は20人前後が所属している。しかし、紗那の下には瀬名を含めて5人しかいない。
18歳の小娘のもとで働いてもいいと思えるほど、寛容な人間はあまり多くない。いくら実力があっても、いや、むしろ紗那が強ければ強いほど、プライドの高い者ほど紗那に反感を抱いた。そういった感情の軋轢が面倒で、紗那は要請があっても積極的に班員を増やさなかった。ここぞとばかりに所長の娘である権力を振りかざし、自分のお眼鏡に叶った人物だけを自分の部下にした。
それこそ入社したての頃は、紗那は完全に周囲から浮いていた。紗那の人間離れした強さを知っても自分を受け入れてくれたのは、父親の誠司と零だけだった。
最近になってようやく少しだけではあるが、副官の瀬名など、紗那を理解してくれる人々が増えてきた。もっとも紗那の部下の5人は、理解者というより信者に近い。全員が紗那より年上であるのにもかかわらず、紗那に絶対的な忠誠を誓っている。自分のどこが彼らを惹き付けるのか、紗那には正直言って謎なのだが。
……5人っつーのも、稽古場広く使えるし、少数精鋭っつー感じで悪くないんだけどさ。もうちっと人数、欲しいかもな……。
一人、もしくは零と二人で請け負う仕事が多いのだが、まれに班まるごとで仕事にあたることもある。紗那の班が接近戦を担当し、零の班が遠距離からの援護射撃を担当するというように、いくつかの班が作戦に加わり、やっと解決できるような大掛かりな仕事がないこともないのだ。
ちらりと気を失ったままの新人に目を向けると、瀬名が丁寧な手つきで木根の鼻血をタオルで拭っていた。そのようすを見てピンと来た。
紗那は瀬名の近くににじりより、耳元でぼそりと呟いた。
「亮介、お前ひょっとして、木根って好みのタイプ?」
「えっ。こ、好みだなんて……」
瀬名は顔をぽっと赤くした。どうやら図星らしい。
実は瀬名はホモだった。紗那が優也に詳しく行為の手順について説明できたのは、瀬名から情報を仕入れていたためだ。
優也のようにど迫力のある美貌ではないが、瀬名もなかなか整った顔立ちをしている。頬を染めて俯くようすは、それなりに可愛かった。
「よし。班長命令。今から木根と休憩室にしけこんでヤってこい」
「……やる? なにをですか?」
「ばか。エッチに決まってるだろ。この男、筋がいい。他の班に取られないように、お前の体で縛り付けとけ」
「お、俺の体って……。無理です!!」
「無理だぁ? お前、上司命令が聞けねぇの?」
「ううう。カンベンしてくださいよ。俺、未経験なんで自信ないです〜」
瀬名は泣きそうな顔で訴えた。
「ああ? 未経験? ウソだろ? あんなに詳しかったじゃん」
「あれは、自分、女の人とできないって分かってたし。それで興味合って、インターネットとか本で調べただけなんで……」
「耳年増ってやつか? 生身でやったことないとは、お前、もてないのか?」
「もてるももてないも、同じ性癖の人なんて滅多にいないんだから仕方ないじゃないですかぁ。今まで俺が好きになった人って、ストレートな人ばっかだったし……。いっつも片想いで終わっちゃいました……」
過去の辛い恋の記憶でも思いだしたのか、瀬名は悲しそうな顔をした。紗那は慰めるように瀬名の頭を撫でてやった。
「お前の知識はかなり正確だぞ。実はつい最近、オヤジに超美少年の恋人が出来たんだが、お前が言ってた通りにヤったら上手くいったみたいだぞ。だから安心してどーんとヤってこい」
「……本当ですか?」
「ああ。本当だ。だからさっさとヤって来い」
「……でも、木根さん、ノーマルだと思うし……」
「上・官・命・令」
にっこり紗那は微笑みながら、瀬名が逆らえなくなるような魔法の呪文を口にした。
「…………」
「今なら気を失ってるし、チャンスだ。プレゼントをやろう。頑張れよ」
紗那は、優也と誠司が愛用している潤滑剤とコンドームを手渡した。ついでに、非合法な方法で入手した催淫剤もオマケにつけてやった。
「……教官、これ、どこで手に入れてきたんですか? ってゆーか、どうして持ち歩いているんですか……?」
「男が細かいこと気にすんじゃねぇよ。……瀬名、生まれて初めての恋人を得る、せっかくのチャンスなんだぜ」
「…………」
「チャンスの神様は前髪しか生えていないんだ。瀬名、自分の幸福を、しっかりその手でつかまえて来い!」
紗那は真剣な眼差をして瀬名に言った。自分が敬愛する上司に説得され、瀬名はだんだんその気になってきた。
そこにはモラルという言葉が入り込む隙はなかった。木根の意志は完全に無視されていた。
「教官、俺、頑張ります!」
瀬名は瞳に闘志をみなぎらせていった。そして自分よりも20kgぐらい体重が重い相手を軽々とお姫様抱っこすると、勇ましい足取りで稽古場を出て行った。
腹心の部下の恋路が上手くいくことを、紗那は心から願ったのだった。


「あ。おかえりなさい、紗那」
「ただいま」
家に帰ると優也が居間で勉強をしていた。つい忘れがちだが優也は高校三年生で、受験生なのだ。紗那はそのことを久しぶりに思い出した。
「今日は、俺、ご飯作っといたよ」
「お。サンキュ。オヤジはまだ仕事が残ってて、帰るの深夜になるってよ」
「そうなんだ。誠司さん、今日も帰り遅いんだ……」
優也は露骨にがっかりした顔をした。美少年の憂い顔というのはなんともそそるものがあり、紗那は思わず見とれた。
男という性別にかかわらず、優也は『姫』なのだ。周囲から守られ、甘やかされ、愛される。父の誠司も、綺麗で可愛い優也をあれほどまでに深く愛している。
……自分とは、正反対の存在……だな。
紗那の中で、憎しみと愛しさが一瞬で溶け合った。
「……紗那?」
優也のとまどったような表情を無視して、紗那は優也の頬を両手で包んだ。
間近で見ても、優也の美貌はわずかのくもりもない。しみひとつない、透き通るほど白い肌。花びらのように繊細で鮮やかな唇。長いまつげに、魅惑的な美しい大きな瞳。
……なんて、綺麗なんだ……。
「あ、あの? 紗那??」
優也は顔を赤くして、焦った声を出した。紗那の意図が分からず困っているのだろう。だが、それでも腕の中から逃げ出さないのは、紗那を信用しているからだ。間近に迫った紗那の顔を熱っぽい瞳で見上げるのは、紗那を通して恋人の姿を見ているからだ。
なぜか紗那は、むしょうに腹が立った。
「…………っ!!」
気が付けば紗那は、自分の唇を優也の唇に重ねていた。呆然とする優也の口中に舌を忍ばせ、ディープなキスを仕掛ける。舌を絡ませながら紗那は優也の体を押し倒した。
「紗那、なに考えてるんだよっ!」
唇を離したとたん、優也は元気よく紗那に文句を付けてきた。本気で怒っているようだが、紗那は怖いとは思わなかった。それどころか、仔猫が毛を逆立てているようで、可愛いとさえ思ってしまった。
「さっさとどけよ、紗那!」
「……残念。俺が男だったら、優也を強姦できたのにな」
「……え?」
真顔で呟かれた紗那の言葉に、優也は驚いた顔をした。優也は大きな目をぱちぱち瞬かせて紗那の顔を凝視した。
「……あの、紗那……?」
不安そうな優也の言葉に、紗那は思わず大笑いしてしまった。紗那の体の下から抜け出した優也は、腹を抱えて床にうずくまり、盛大に笑い続ける紗那を憤慨した顔で見ていた。
「タチ悪いよ、紗那。また俺のこと、からかったね!?」
「いや、もう。優也ちゃんの可愛らしさをたっぷり堪能させていただきました」
笑いすぎで目に涙を浮かべた紗那を、優也は軽く睨んだ。
「ばかなことばっかり言って。ねぇ、さっさとご飯にしようよ。俺、お腹空いちゃった」
「……ああ。そうだな」
優也は床に寝転んだままの紗那を置き去りにし、キッチンに向かった。その後姿を眺めながら、紗那は自分の唇を指でなぞった。
……柔らかかったな……。
ふんわりとしていて、心地よい感触だった。やばかった。
「……マジで、俺が男だったら犯してたな」
だが自分の中の激情が、恋心によるものかどうかは紗那には自信がなかった。複雑すぎる自分の思いをもてあましていた。
「紗那、ご飯の準備できたよ!」
「分かった。すぐ行く」
忘れてはいけない。優也は自分の父親の恋人なのだ。
二人の間に入りこむなど、きっと誰にも出来はしないのだ……。
 
 
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