橘雪翼の、侃侃諤諤喧喧囂囂

平成25年9月上旬分

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平成25年9月10日

ひきわけ

  今季初の観戦試合本塁打、のような気がする(何せ点取ってないからなー)。あ、もちろん打ったほうね。


平成25年9月9日

103系の床下機器:その後の研究

  先日、グリーンマックスエボリューションシリーズの103系キットを組み立てて、床下機器の配置換えを行ったが……クハとサハで、何かのタンク?の位置が違っていた。あの後、そういや大きい103系も持ってたなあと思って裏返して見ると、そのクハ103の床下機器の配置は本に出ていたサハ103とほぼ同じ配置になっていた。サハ103も見比べてみたいところだが、残念ながら大きいほうのサハは持っておらず(聞いた話じゃ予約完売レベルのレアものらしい)、トミックスのHG103系もサハが入ったセットは持ってない(行きつけの店で見せてもらうという裏技も、在庫がないので使えない)。サハに関しては資料となるものが書籍『103系物語』しかないのだが(他の本では詳しい機器配置が判別しにくい)、推測するに製造時期によって機器配置が違っている? 本によると、トミックスHGクハ103とだいたい同じ配置だったクハ103-200は昭和47年製造、一方でサハ103-371(大きなクハ103に似た配置)は昭和49年だ。たった2年違いだが、仕様変更が生まれる余地としては充分すぎる。特に、クハ103-200は非冷房車として生まれた一方、サハ103-371は冷房車として製造されているのだから。というか、むしろ私は新製時の冷房搭載を機に床下機器の配置を変えたのでは、と推測している。トミックスの103系は製造当初は非冷房の車両をモデルとしており、天賞堂は量産冷房車の模型だから、両社共にこの違いを認識して作った可能性も高い。
  私の作ったエボ103系は全車初期タイプで、故にサハも非冷房として誕生した車両だ。ということは、その床下配置は本に出ていたサハではなく、本やHG103系のクハと似せるべきだったんじゃないかと。うーん、ちょっと失敗。でもここで慌てて加工しなおすのは慌て者。おそらく、だが、いずれエボシリーズの103系のバリエーションとして新製冷房車も登場するはず(先日直営店に行ったら、店長から「担当者はやる気満々」とのコメントが聞けた。期待してるぜGM!!!!!)。新製冷房車が出たらそのサハを作る機会もある。ならばそのとき加工するサハ用の下回りを初期車の配置にして、今回作ったのと交換すればいい話。それまではちょっとおかしなサハが走ることになるが……なーに、そんなに気にならないさ。今までは知らなかった部分だしね。
  余談だが、GMの床下機器が微妙にズレてるなと思ったのは、GMが量産冷房車の配置で作っていて、それを初期車の配置と見比べたからではないかと。あまり気にしたことはなかったけど、JR西日本の体質改善車は新製冷房車が多かったのかな?


平成25年9月8日

立法線

  以前からよく書いていることだが、私の一番好きな鉄道車両は103系である。それもスカイブルー(青22号)の低運転台の103系が一番いい。理由は、幼い頃に、鉄道が好きになった頃に地元を走っていた車両だからだろう。電車が好きで青が好きになったのか、青が好きで電車が好きになったのか良く分からないが、好きな色が青というのも無関係ではないと思う。よって、現在阪和線を走っている103系も、和田岬線を走っている103系も、かつて京浜東北線で走っていたと言う103系も好きである。が、しかし、やっぱり地元の、東海道山陽緩行線の、7両編成の青22号に塗られた103系には及ばない。一方で、私の”模”えポイントに「クモハ」がある。クモハというのは、鉄道趣味者には今さら説明するまでもないが、国鉄やJRの車両では制御電動車にあたる。鉄道趣味を本格的に始めるまでは、先頭車両に動力があるもんだと思い込んでいた。多分、普通の人の多くもそうだと思っているはず。ところが実際には、結構な数の「クハ」――運転台は備えるが動力を持たない車両が存在し、動力は「モハ」――動力を持つが運転台のない中間車に任せていることが多い……というのは国鉄新性能電車の話であって、JR化後は再びクモハが増えた気がする。特にJR西日本は、脱線事故以降「全車電動車思想」とでも言えるような型破り?な車両を作り始めた。まあともかく、私は「クハ」という形式の意味を知ったとき、ある種の驚きとある種の落胆を感じた。「動力を持たない先頭車」がかっこ悪く見えたのだと思う。運転台があるのに自走できないのかよ、と。そこで逆に輝いて見えたのが「クモハ」。運転台があり、ちゃんと自車にも動力を備える。これぞ本来のあるべき姿なのではないか、と。まあ実際のところ、例えば103系の場合、クモハ103だけじゃ動かないんだけどねー。後ろにモハ102かクモハ102を繋がないと必要な機械が足りないからねー。まあでも、何もないクハ車よりはカッコ良く思えたのだ。ちなみに、旧型国電の旧モハ、後のクモハは(多分)単体で動くことが出来る。両側に運転台を備えたクモハ40や42であればそのまま営業列車として走ることもできる。カトーのカタログでHOのクモハ40を見て好きになったのは、そういう自己完結性が美しいと思ったからだ(もちろん旧国スタイルとか、そういうのも気に入ったが)。
  さて、ようやく話が前に進められる。クモハが好き。でも、東海道山陽緩行線の編成にクモハ103(ついでにいうとクモハ102も)入っていなかった。両端がクハで、間にモハ4両とサハ1両を挟む構成。幼少の頃からずっと大好きな編成なのだが、欠点がないわけではないのだ。そういうわけだから、模型では是非「クモハ103」入りの編成が欲しい。もちろん青22号(自家調色)のクモハ103だ。手近なもので行くと阪和線の3両、6両編成があるのだが、残念ながら阪和線は少し”遠い”。関西本線だったらギリギリセーフだったかもしれないが、阪和線はあまり利用したことのある路線じゃないのだ。とはいえ、旧国で阪和線の車両を作ったりしているので、守備範囲外というわけでもない。だからまあ、阪和線でいいか……と思った時期もあるのだが、それでもやはり最愛の103系であることを加味すると妥協したくない。あれこれ考えた結果、出てきた結論は「フリーランス」――実車に捉われない鉄道模型である。
  フリーランスといっても様々な形がある。私が時折作る、大きなスケールのアルモデル製品。あれは実車の忠実なスケールダウンではなく、「こういう感じの鉄道車両ってあるでしょ」という雰囲気を楽しむためのモデルだ。そういうイチから想像で作り上げるのが一つの形態。もう少し実車に即したフリーランスも考えられる。例えば、実物は存在するが色は自分の好きな色、というもの。何年か前に阪神電鉄が阪急電鉄に吸収?されるという出来事があったが、阪神も阪急もそれまでと変わらぬ(少なくとも利用者目線では)形で運行している。しかし、「阪急に吸収されたら阪神電車もマルーン一色になるんじゃないの?(笑)」という発想の元、阪急電車の色に塗った阪神電車を作ったモデラーは多分一人や二人ではないだろう。逆に阪急を阪神カラーに塗ってみたりとか……。模型だからこそできるわけで、フリーランスは模型の魅力の一つでもある。時折、フリーランスで作ったものが実車で再現されてしまうなんてことも?(それに近いことを経験したこともある) もっとライトな楽しみ方としては、編成を実車より伸ばしてみるとか、違う組成にしてみたりとか。極端な言い方をすれば「模型だから何をやっても許される、むしろやったもん勝ち」というのがフリーランスの世界である。
  さて、そういうわけだから、最初はクモハモハクハの3両にクモハモハサハクハという4両を繋いで7両にした編成を考えた。東西線開業以後に見られる207系風の編成である。キットもこの編成が組めるように買ってある。ところが、キットのセット内容の関係上、サハは少々貴重品である。エボキットから大阪環状線の8両編成を作る考えがあり、そのためには出来ればサハは残しておきたい。一方でサハを抜くと当然6両に縮まってしまうわけで……というあたりで悩んで、ようやく今日のタイトル「立法線」の出番である。
  元々、旧型国電を作るにあたって出てきた発想である。旧国も今回の103系に関する私の悩み同様、実車に捉われすぎると「一番好きなスタイル」での模型が作りにくいジャンルである。そこで、実車の縛りから抜け出して、自由に作りたくなった。自分の模型だから好きに作ればいいんだけど、そこに何か「舞台設定」が欲しくなった。漫画でも小説でも、まず舞台設定があって主人公たちが活躍する。模型の車両にも同じものを求めたのだ。もちろん、フリーランスだから自由に設定していい。そういうわけで生まれたのが、地元JR立花と第二の地元であるJR法隆寺を結ぶ路線、名付けて「立法線」だ。ハンドルネーム「橘雪翼」の「橘」を使わなかったのは、「立法」という既存の言葉があって冗談ぽいのと、パソコンで変換しやすいからだ。立花〜法隆寺間というと、現実に少し近い路線がある。JR東西線とJRおおさか東線である。尼崎から両線を経由して奈良まで走る列車もあるが、立法線はそれに近い感じになる。尼崎からではなく、立花から出発して、経由地は”現実”と同じ京橋。そこからJRおおさか東線より緩やかな角度で南下して行き、終着が法隆寺という感じ。多分国鉄が作ったんじゃなく、地方鉄道だったものを国鉄が買収したという雰囲気じゃないかな。それこそ、元の鉄道会社の名前は「橘鉄道」でどうだろう。鉄道コレクション第一弾のフリーランス車両を自分好みに改造する計画でいるのだが(立てるだけ立てて全然進んでない計画)、私鉄買収路線ならその舞台としても使える。その他の細かいことはあまり考えていないのだが、必要になったらその時に作ればいいんじゃないかなと思っている。後から付け足しているとそのうち整合性の取れないことが出てきそうだが、そのときは全てパラレルワールドということにして処理する。模型車両優先で、路線はそのためにあるこじつけみたいなものだ。そういうあたりも含めて、自分で好きに出来る世界が「フリーランス」ということにしておこう(笑)
  さっき書いたように青が好きな色で、青い旧国も存在したものの関西じゃないので、じゃあ無理矢理関西に青い旧国が走っていたことにしよう、というのが発端。東海道山陽緩行線の茶色の旧国が青く塗り替えられた……という設定でも良かったのだが、リトルジャパンのクモハ41、クハ55を青く塗りたかったので、編成を7両まで伸ばすのには無理があった(昼間時間帯の短い編成、という手もなくはなかったが……)。そんなわけで「立法線という路線があることにして、かつて走っていた旧国は末期には青く塗られていた」ことにした。青ばかりで作るのも芸がないので、2セットのうち1セット2両は2両は塗り替え前の茶色にして、塗り替え後の青22号の編成と混結して塗り替え過渡期という設定で楽しむつもりだった。ところが、増結用としてクモハも用意しよう、クモハは切妻半流どっちがいいだろう? ……等々考えはじめたら手が止まってしまって現在に至る(笑) この分だと103系に第一号を横取りされそうだが、103系にしたって何両編成にするか迷ってるからいい勝負である(笑) なお、103系も当然青22号(自分で混ぜ直したもの)になるのだが、最初「本線も青なのに紛らわしくないか?」と自問自答していた(自由に出来る、と豪語しながらディティールについ拘ってしまう悪い癖が)。現実世界だと往々にして、「乗客から乗り間違いのクレームが付いて色が変更された」という類の出来事がありそうなのだ。そのために「青くても構わない」理由を作るのが大変だった。まずは、旧国時代の本線が茶色のままだった一方、立法線は末期には青くなっていて客に馴染みがあったという設定。それから、立花駅では別ホームだが、京橋、法隆寺はそれぞれ学研都市線、関西本線と同じホームを使うので、オレンジとウグイス色はそちらで紛らわしい、という設定を作ってみた。後者の理由はカナリアイエローと、実車は常磐線のみのエメラルドグリーンの余地が残るのだが……。それに、同じ青色を使うにしても、誤乗車防止の白線とかが入りそうだが、もちろんそんなの入れたくない。全体が青22号一色じゃないと嫌だ(我侭)。まああれだ、私の空想の世界なので、そういう不都合は起きてないということにしておこう。


平成25年9月7日

買即読

【万能鑑定士Qの事件簿 II】(既刊):☆☆☆☆☆
  3日前に読み終わった第一巻の続き。昨日と一昨日も駅に行ったのでついでに本屋に寄ることも不可能ではなかったのだが、スケジュール管理がなってなくてわずかな時間さえ捻出することが出来なかった。……まあ正直、一巻を読み終えた時点ではそんなに急いてまで続きを読みたいとは思わなかったのだ。今日も5分しか余裕がなかったが、5分あれば充分。目的は決まっているし、前に一巻を買ったから置いてある場所も分かっている。

  ――結果

売ってなくて、だからレジに行く必要すらなく、ハイパー余裕でした。なんか一巻と二巻が欠品。一巻は身に覚えあるけど、二巻買って行ったのはどこの誰?(一巻買うとき既に二巻がなかったのに気付いていないだけの可能性あり)
  というわけで、仕方がないから出先で買うことに。で、帰りの電車で読み始めたのだが、本格的にハマったのは夜ご飯食べ終わった後のさっきの出来事。読み始めたら久々に止まらなくなって、これは最後まで読まなきゃ、という謎の使命感に襲われたというわけである。
  先に、先日からの流れでの話をしておこう。漫画版と一巻についてコメントした事件は、後半の大事件に密接に……とまではいかないまでも、それなりに関連性のある話だった。この物語には基本的に無駄話は一ページも挟まっていない(と言いつつ、後で全く逆のコメントするからここんとこよーく覚えといてね)。小説版の感想で、莉子が余計なことをしたせいで大事(おおごと)に……って書いたけど、最後のほうで実はそれもある種のミスリードであることが判明。そこも含めて、傑作と呼ぶに相応しい大どんでん返しだった。
  Qこと莉子は、ハイパーインフレを引き起こした犯人に迫ろうとするが、地元沖縄に帰るもアテは外れ、推理も外れてしまう。最後の最後に手にした手掛かりを元に再び東京へ舞い戻るも、またしても”思惑が外れていた”ことを知り失意の底に沈む。この時点でページ数は250に近付いており、本のラストページの端をちらっと見た限り残りは30ページほどしかない。中盤、真相に近付きかけていると思わせたエピソードが空振りに終わったあたりから少し心配になっていた。果たして物語が本当にこの二巻で結末を迎えるのか。もはや主人公である莉子に事件を解決する猶予は残されていないように思えた。警察やら国家権力がなんとかしちゃって、結局一民間人である万能鑑定士には大したことはできませんでした、なんてオチまで頭をよぎった。しかし、そこから大逆転劇が訪れる。大学の准教授氷室が持ち込んだ、莉子不在中に半ば莉子の代理で鑑定を請け負った”一等当選”の宝くじが雲行きを変えた。次のページでは、いきなり何の予告もなく真相解明編が始まってしまう。一巻で提示され、解決されずに残ったままの力士シールの謎を解くとともに、日本を陥れたハイパーインフレの正体が明かされてゆく。ミステリー、推理物のパターンの多くは、じわじわと真相が明らかになっていき、それでも最後に残った一番大きな謎を解き明かすシーンがクライマックスに来る。ところが、『Q』の一巻二巻の場合、終盤になるまでほとんどのことが判らなかった。力士シールについては「分からないことが分かった」ぐらいだし、事件関係者と思しき人物を追うわずかな手掛かりからも何も得られなかった。そもそも、事件関係者と思えただけで、二巻の終盤で黒幕とはなんの関係もないことが判明してしまう。莉子が迫った沖縄の”偽札”工場も、申請通りの葬式用のお札を作る工場だった。手掛かりと思えた全てのものは何にも繋がっておらず、事件の真相に迫る手段は何も残されていないかに見えた。そんな何もない状態から物語が一気に結末へ向かうのだから、これはもう著者の構成力の勝利としか言いようがない。というか、途中のページは本当に必要だったのか?と突っ込みすら入れたくなる(笑) 言わば、読者は小説二冊分のほとんどを使って焦らされ続けたわけで、ある種作者は意地が悪い行いをしたとも言える。まあでも、それは全ての物語に言えることかな。起承転があって初めて結が楽しめるのだ。そのパターンがいろいろあるというだけで。過去にあったものと同じようなものじゃ楽しめないから、新しい種類の承転を提供してくれたと考えるべきだろう。ともかく、久々に結末が気になって仕方がない面白いミステリーだった。
  さて、漫画版との繋がりで話をすると……。一巻がつまらなく感じたのは、ひょっとしたらストーリーを漫画で知っていたせい? 漫画を知らなければ、「音のマスキング効果」だったかをもっと純粋に楽しんで読めていた可能性もある。となると、逆に漫画は二巻以降つまらなく感じるということか……。やっぱり人間、最初に見たほうを面白く感じるのかもしれない。まるで卵から孵ったばかりの雛鳥と一緒だね(いや、それは全然違う話だ)。ただ、原作が先に存在する以上、原作が最も早くその作品に触れる方法であり、そうであれば原作至上説が生まれるのも致し方がないのではないか……? つまらない原作がメディアミックスで傑作に生まれ変わる可能性はないではないが、そもそもつまらない原作をわざわざメディアミックスするなよと言いたい。でも、面白い原作をメディアミックスして、原作ファンに怒られるぐらいなら、つまらない原作の方がよりメディアミックスする価値がある……??? 『坂本ですが』が小説化されたら、ちょっと読んでみるのもいいかもしれない(*1)。
  ミステリーはしばしば、まさかこの人が!と思う人が真犯人だったりする。ミステリーではないが、日本ファルコムの『軌跡』シリーズもその傾向が強い(特に『零』と『碧』、あと『軌跡』じゃないけど『イース7』もなかなかの不意打ちだった)。『Q』の二巻のラストも……『軌跡』ばりの「まさか!」だった。いやもう、そろそろ慣れなきゃいけないね、このパターンには。あと、もう一つ気になるのが一巻と二巻の表紙イラスト。共に莉子なのだが、服装と髪の色が違うだけで……コピー? 買うとき、二巻のつもりで隣の一巻を手にとってしまったのかと戸惑ってしまった。三巻は確認してないのだが、まさかシリーズで全部一緒ってことは……ないよな? 二巻の本編の最後のページの次に続刊のお知らせがある。どうやら三巻以降は全て一話完結のよう。一巻二巻のハイパーインフレ騒動のその後の話があるらしく、それは三巻ではなく十巻で語られるらしい。莉子と高校時代の恩師、喜屋武(きやん:一発変換可)先生との再会が五巻で語られるらしい。シリーズ中ベスト3の傑作が六巻、九巻、十一巻らしい――「気になったものからどうぞ」ということである。そして最後は、「シリーズ刊行順にお読みになるには――三巻へどうぞ」。わざわざ言われんでも分かるわ!(笑) なお私は、刊行順に行く予定である。元々そういう派だし、もしも各巻の莉子の顔イラストが一緒だった場合――順番に読み進めないと間違って同じものを買ってしまう恐れがあるからだ! まさかそれを狙ってコピーで済ませることにしたんじゃないだろうな……。

*1 世間一般では評判が高いが、橘雪翼は酷評に酷評を重ねている。今年のワースト漫画ダントツの最有力候補。ちなみにワースト小説の最有力候補は先日のアレである。


平成25年9月6日

カトー、ユニトラム

  そのうち話題にしようと思っていてすっかり忘れていた。先月完成した函館市電8000形の撮影に使った線路、カトーのユニトラムについて。侃侃諤諤では初登場だが、それもそのはず。その前に完成した阪堺161形と函館市電ハイカラ号を線路の上に並べていて、「路面電車用の線路が欲しいなあ」と思って買ったものだからだ。路面電車用の線路はトミックスも発売している。道路部分が一体になったものに加えて、既存のものを路面電車風にするパーツセットもある。うちの線路は基本的にトミックスだから、最初は路面区間もトミックスで揃えるつもりにしていた。発売された頃に買った路面化パーツセットも少しだけどある。しかしながらこの路面化パーツ、後付けパーツだけに「後付け感」がどうしても出てしまい、あまり気に入ってなかった。路面電車専用の線路も発売されているのだが、何かこれじゃないような気がして悩んでいる途中、カトーのユニトラムを思い出した、というよく分からない流れである。
  結論として、出来はとてもいい。軌道区間のパターンも道路部分の印刷もそれっぽい仕上がりで、さらに歩道と建物を置くスペースまでがプレート化されている。いくつ買って放置されていた各種ストラクチャーの出番の予感である。ついでに、買うだけ買って封印に近かったバス・乗用車関連も置き場所が出来てしまった。何より素晴らしいのが、路面電車を線路に置いた時の「スレスレ感」。阪堺やハイカラ号を完成させて、写真を撮っていた時に感じた違和感がこれだった。路面電車は普通の線路の上に置いても映えないんだよね。裾が路面が接触してしまいそうなギリギリ感あって初めて路面電車らしさが出る。ユニトラムを買って来たときはまだ函館市電8000形は完成してなかったので、とりあえず阪堺とハイカラ号を置いてみたんだけど、かなり”模”えた。特にハイカラ号のカウキャッチャーは最高だった。この辺りの感動は、先日の函館市電8000形の写真を見てもらえれば分かってもらえるんじゃないかと(リンクは冒頭参照)。実際問題では、模型であんまりギリギリにしすぎると線路と接触して各種トラブルの元になるんだけどね。
  さて、ユニトラムで期待はずれだったのがプレート部分の接続の弱さ。最初、余っているレイアウトボードに線路を固定して、普段は立てかけておき、路面電車を走らせたいときに「ひょい」と床に置いて走らせるスタイルをイメージしていた。カトーのユニトラムだったら、レイアウトボードなしでそれが出来るんじゃないかと思ったのだが……各プレートの接続はあまりがっちりしたものじゃなかった。製品自体の問題ではないのだが、もう一つ誤算だったこと。とりあえず普通に、床に置いてぐるぐる走らせていたのだが……現在、うちのメインの線路は台の上に設置している。椅子に座った状態で、目線の高さに列車が走る。多分、鉄道模型を始めた人の多くが憧れる運転形態である。それをせっかく手に入れたのに、路面電車だけとは言え床に這いつくばって模型を走らせるのは今更感が強い。HOもそれが嫌で、Nの線路を少しズラして敷設スペースを捻出した。路面電車もやっぱり同じ高さに置いておきたくなった。しかしながら、今度こそどうやってもエンドレス(環状)を置ける場所はない。ユニトラムは複線なので余計に難しい。仮に単線のユニトラムがあったとしても、単線の路面電車はこれまた違和感の塊である。
  ということがあって、現在落ち着いた形はポイント・トゥー・ポイント。両側に終端部があり、行ったり来たりするという本来の鉄道の運行形態に近い路線だ。ただ、これをやると困ったことが二つ。一つは、最初に買った基本セットにはカーブレールが一周分360度付属しているのだが、何と1/4の90度分しか使えないこと。基本セットの値段の半分ぐらいはカーブレールの分だと思うのだが、そのうちの3/4をお蔵入りさせにゃあならんのはちょっと悲しい。まあ、置いておけばそのうち日の目を見るかもしれないのでそれはいいとして、もっと困ったこと。ユニトラムには現状、渡り線路が存在しない。渡り線路というのは、上下線を接続するように組まれた分岐線のことで、折り返し駅で車両の走行する向きが変わるときに渡り線を通過する。エンドレス(周回)線路の場合なくても気にならないが、先ほど書いた「行ったり来たり」の運転のためには必要なものだ。ところが、ユニトラムはエンドレスが基本に考えられているようで、渡り線が少なくとも今はラインナップに上がっていない。カトーの普通の線路に接続する線路は発売されているので、それを併用すれば無理矢理渡り線を作れないこともないのだが、そのためには長めの直線区間が必要で、今余っているスペースでは実現不可能。……まあ、模型だからね。左側走行の実車とは異なるけど、上下線それぞれで行ったり来たりさせればいいんだけどね。でも、いつか渡り線ユニットが発売されることを切に望みます。
  ところで、その他にも二点気になったことが。まずは、妙に値段が高いこと。同じカトーの普通の線路と比べて倍ほどする。トミックスの場合、普通の線路よりも何割か高いだけなのに。まあ、トミックスのより凝ってると言えばそれまでなのだが……。もう一つ。多分バラで買うよりお得なレールセットがあるのだが……これの内容がカタログや公式サイトに載っていない。例えば追加で買った「直線拡張セット」というのが、何ミリの直線が何本入っているのか全く書いてない。販売サイトに詳細が書いてあるところを見つけて、ようやく納得して買うことが出来た(*1)。値段はもう仕方がないにせよ、セットの内容ぐらいはカタログ、公式サイトできっちりと説明しておいて欲しいものだ。普通の線路のセットはちゃんと書いてあるんだけどなあ。
  ポイント・トゥー・ポイント形式の”弱点”は、ある程度長さが稼げないと物足りなく感じるところだろうか。エンドレスだと延々と走らせ続けられるので、その規模が小さくても車両がずっと走っていればそれで楽しい。ポイント・トゥー・ポイントの場合、終端で一旦停車しないといけないので、距離が短いと走り始めてもすぐ止めなければいけなくなるのだ。なので、基本セットに直線拡張セットを足したぐらいの直線では少々短いかなーと感じている。幸い、あと何本か直線を足すスペースはある。HOのヤードも少し後退させられるから、ここでも稼げる。これが普通の電車だとそれでも絶対足りないのだが、モノは路面電車。基本1両での運行だし、スピードも出さないので何とかなる範囲だろう。今はまだ、他にあれこれやっていてあんまり走らせていないのだが、そのうちにもう少し買い足したいと思っている。

*1 余談かもしれないが、某Jはこの記載内容が間違っていた。変な組み合わせだなあと思いつつ別のサイトを見ていたら、”それっぽい”組み合わせのセット内容と共に詳細図面(カトー公式?)が出ていて、そちらを信用して購入。エンドレスを維持しつつ直線部を拡張したいのに、186ミリの線路プレートが1つしか入ってないのはおかしいよね。


平成25年9月5日

『野崎まど劇場』諦読

  「諦読」ってのは、今日この話題のために私が作った言葉。見た目どおり、「読むのを諦めた」という意味で、読み方は「ていどく」でいいんじゃないでしょうか。
  以前、本屋で目に付いて買ってみたライトノベル『なにかのご縁』。表紙に可愛いうさぎが描かれていたので手に取ってみたのだが、なかなかに面白かった。作者の野崎まどのほかの作品を読んでみたくなったので、ネットで評判等を見つつ選んだのが、短編集の『野崎まど劇場』。ところがこれが大はずれ。買ったのは7月後半ぐらいで、8月頭に半分ぐらいまで読んだところで時間を無駄にしていると感じ、読むのをやめてそのまま放置して忘れそうになっていた。このまま忘れると本代が無駄になるので、せめて侃侃諤諤一回分のネタにして元を取らなくては、と思った次第。とにかく、何が面白いのか分からない。買って後悔している。言っちゃあ悪いが「所詮はライトノベルか」。『なにかのご縁』が例外だったと思うより他ない。
  これだけだとただの酷評なので、もう少し詳しく書いてみようと思う。何ていうか、中身がなさすぎる。どちらかというとインターネット世代の表現なのかなあ。ただただ無茶苦茶なだけのストーリー。基本的にギャグに属すると思うのだが、肝心のそのギャグが面白くない。ここが面白ければすべてが許されていた――少なくとも私は許していたのだが、クスリとも笑えない。書評他に「大笑いしました」的なことが書いてあるのだが、これで笑えるならさぞかし人生楽しく送れているに違いない(もしくは楽しいことがなさすぎてこの程度でも笑えるのか?)。ひょっとしたら全国的には笑える部類に入るのかもしれないが、笑いの本場、大阪近辺に住む尼崎人を舐めんなよ。自分で放つギャグはつまらんことこの上ないが、他人のギャグにはめちゃめちゃ厳しいからな。
  繰り返す。買って大失敗だった。でもうさぎさんの続きは読みたいなあ。


平成25年9月4日

『万能鑑定士Qの事件簿I』読了

  というわけで、先日言っていた「漫画を読んでから原作小説を読んでみる」という試みの原作小説のほう。まず結論から言うと、微妙。『I』では、伏線があって大事件?に発展するのだが、「『II』に続く」状態なので評価がしにくい。とりあえず『II』までは読んでみる予定。
  漫画の感想のところに書いた仮定がまるで外れていたので、少々訂正がてら補足を。漫画第一巻と小説一冊目の話の進み具合は大体一緒。主人公小笠原がQに力士シールの鑑定を依頼し、結果は当て外れで、別の事件に首を突っ込み、Qがそれを未然に解決する。但し、小説ではQこと凜田莉子の過去が語られる。漫画ではそこが丸々抜け落ちるので、その分内容の厚みは薄いことに。また、次に訪れる大事件の予兆、断片がなく、読者は最後まで平和な日本における小笠原とQの物語を楽しむことになる。おそらく漫画版の第二巻では、Qの過去が語られ、最後に大事件への導入部があって、第三巻に続くという形かな? 漫画は待ってられないので、ここからは先に小説読んじゃいます(笑) 「原作vsコミカライズ」という観点から話せば、漫画版の魅力は特に感じないかなあ。
  やや特徴的と思えるところに、章分けの細かさがある。第一章、第二章……という具合に番号は振られてないものの、目次を見ると3ページに渡り章タイトルが並んでいる。その数実に23。最近読んだミステリーで700か800ページほどあったものがあるが、『Q』第一巻はその半分にも満たない。その少ないページをたくさんの章に割るので、一章あたり10ページから15ページ、長くても20ページもない。場面が変わるごとにいちいち章で区切っているわけだが、こうした工夫はどちらかというと、ライトノベル的読み味を目指したのかと思わせる。本の帯には「中高生が選んだ第一位」と書かれていたのだが、中高生にはこれぐらいが読みやすいのだろうか(自分の中高時代? 覚えてるけど覚えてないよ)。
  この小説を買ったのは漫画版と同じ日で、先月話をしてから間もなくだった。読み始めたのはその翌日だったかな? 読み終わるまでに多少時間がかかったが、私の標準はだいたいこんなもんである。さっき書いた700〜800ページの本は数ヶ月かけてゆっくり読んだし、『カンナ』シリーズは比較的薄めだが、月初めに買って読み始めても終わるのは月末が近付いた頃。途中で止まらなくなって最後まで一気に、なんて例の方が稀有なのだ。最近であれば『インシテミル』と『何かのご縁』ぐらい……『インシテミル』って何年前だよ。普段、途中で止まらなくなるほどは面白いと思って本を読んでない、ということなのかもしれないが……。今回についてはもう一つ、漫画で話を知っていたので、莉子の過去の話の部分以外は二度読みであまり気が進まなかったせいもある。まあともかく、全ては二巻次第だ。


平成25年9月3日

  今日は血を吸いにきたので2匹ほど叩き潰してやった。というか、家への侵入を許しすぎだな……。もう一匹飛んでるんだが、積極的には接近して来ない。ふらふら飛んでるだけ。昨日からいるのはコイツなのか!?

雨、降りすぎ

  7月から8月にかけてほとんど降らなかったと思ったら、今度は晴れてる日が少ないと言う……。例のマウンドの話だが、レジャーシートをかぶせているから大丈夫、とはならない。先月25日の大雨のときもそうだったが、これだけ降ると周りから染み込んできて雨よけの役目は果たさない。その目的であれば、もう4〜5枚レジャーシートを用意して広範囲を覆う必要がありそうだ。猫の被害を防ぐためだから現状維持でいいのだが。それより困ったことは、シートのお陰である程度の雨が防げる代わりに、一度湿るとなかなか水分が蒸発しない。シートを外して乾かせばいいのだが、そうしている間に猫が来たら? 外している間ずっと監視してるわけにもいかないからね。どの道もうしばらく雨が続くようなので、しばらくは”投球練習”は諦めるしかないようだ。

  あ、ちなみに、プロや高校球児(社会人も?)は雨でも試合、練習したりするけど私はやりません。私は選手じゃなく、趣味で遊んでるだけなのでそこまでする必要ないからね。ボールやバットが濡れるのも嫌だし。


平成25年9月2日

毎年恒例飛蚊症

  血を吸いに来るやつはいいんだ。叩くチャンスがある。微妙な距離を飛ぶだけでふよふよしてるあいつは一体何しにこの家入ってきたの? ずっと飛ばれてたら叩きにくいんだけど? 俺の体止まってくれない? 実はオスなの? やることないならとっとと出てけ!
   ということが毎夏1〜2回はあって、今日も3回ぐらい逃してしまいました。何か腹立つー。


平成25年9月1日

E5 Shinkansen "Hayabusa" bullet train

  欧州型鉄道模型を買うようになって、海外の販売サイトも見るようになった。先日、アメリカの欧州型専門店のサイトのトップページにでかでかと

「KATOのE5系 SHINKANSEN "HAYABUSA"の予約開始したよ!」

みたいな感じの告知が出ているのを見て、何だかちょっと嬉しかった(現在は、予約は受け付けているようだがトップページの告知は消えている)。繰り返すが、その店は欧州型専門店である。E5系は日本の新幹線である。欧州型専門店なのに、日本形の模型が大きな扱いを受けているということにちょっとした感銘を受けたのだ。やはり「SHINKANSEN」の知名度、注目度が高いということなのだろうか。カトーが欧州型の鉄道模型も作っている、というのもあるだろう。普段取引があるから、「Hey! 聞いたよ! 今度HOのSHINKANSEN作るんだって? こっちでも売れそうだから商品回してよ!」みたいなノリで取り扱えるのだろう。あと、HOというのも大きな要素だと思う。欧州、アメリカではNよりHOが主流と聞く。NのE5系をカトーは既に発売しているが、少なくともそのサイトでは販売していない。
  正直なところ、E5系は新幹線の中ではダサいと思うのだが、海外の鉄道ファンの目にはどう映っているのだろうか。もちろんHOのE5系がワールドワイドで売れてくれると嬉しいのだが、カトーは東海道新幹線伝統色の車両も(もちろんHOで)作って世界に広めて欲しい。私はNゲージがあるのでHOはおそらく買いませんが(爆) でも500系出たら欲しいかな。って、500系は伝統色じゃないし。


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