平成21年3月20日
今日は 後輩が遊びに来た 。のはいいのだが、実は予定していたうちの2人が来れなくなった。後輩セントレア一号車君は、朝メールがあって「風邪」。彼は何かと風邪をひく。前にも何かで風邪を引いてイベントをキャンセルしたし、気付くと風邪で倒れている。そんな虚弱なようにはとても見えないのだが……。さすが応援している球団なだけあって虚弱な人、略して「虚人」といったところか。もう一人、来る来るって言ってたのに、車の調子が悪いとかで?来なかった。電車で来るって聞いていたのだが……。というわけで今日はちょっと残念だった。
平成21年3月19日
暗証番号に誕生日を使う 電車の広告に、「まだ暗証番号に生年月日を使ってますか?」という文字列が。要するに、生年月日だと容易にバレちゃって危ないからやめましょう、という話だ。でもね、ダメですか生年月日使っちゃ? そう言われると意地でも使いたくなっちゃう。今度暗証番号変えたり新たに設定するときは生年月日を使おう! 例えば織田信長とか。 という話題を姉に振ったら、じゃあアンタは織田信長の生年月日を知っているのかと突っ込まれた。知らないよ。普通の人は誰も知らないだろう。だから尚のこといいんじゃないか! でも気が付いた。生年月日はせいぜい366種類しかない。1月1日を0101として、12月31日の1231まで間がいっぱい飛んで366日分(当然だが0229もあるんだぜ? なあ友人Dよ!(笑))。暗証番号が4桁フルに使えるとするとその種類は1万。実際には0000や7777、1234といった数字は多分使えないようにされているから少し減るけど。でも考えると、暗証番号がせいぜい1万通りにしか設定できないって怖いよね。だってインターネットでの各種パスワードって、英数字が使えて8文字〜12文字ぐらい使えたりするんだぜ。インターネットの接続パスだったらもっと多いかな? その差は実際に計算して体感していただきたい。アルファベットで26文字、これに0〜9の数字と一部の記号が加わる(モノによっては記号は使われないが)。最低でも36の8乗とか12乗とかいう数字になる。1万なんてメじゃない。もっとも、パスワードさえあればなんとでもなるインターネットと違って、キャッシュカードの類はカードそのものが必要になる。だからセキュリティとしては十分なのかな? で、生年月日と暗証番号。ただ単純に生年月日だけじゃあパターンが限られてしまう。ということで、織田信長に加えて豊臣秀吉、それから徳川家康の3人の生年月日を足したものにしよう(生年月日は当然のことながら足せない。生年月日から導き出された数字を足すのである)。これで文句ないだろう……と思ったら文句があった。それは、織田信長と徳川家康はインターネットの検索で誕生日(とされる日)が分かったのだが、予想通り豊臣秀吉が出てこなかった。それもそのはず、他の2人と違って秀吉は農民出身である。その時代の"ただの人"の生年月日が記録として残っているはずがない。今と違って誕生日を祝おうだなんて悠長なことしてなかっただろうしね。数え歳だから1月1日に皆一斉に歳を取るんだよ。ちゅうわけでこの案はダメ。せっかく調べたから書き残しておくと、織田信長は天文3年(1534年)5月12日、徳川家康は天文11年(1542年)12月26日。記録としてはこの時代の人物がギリギリかなあ……? 源義経は……やっぱり分からない。そしてその間の時代の人物の名前を私は知らない。 白兎 「確かセンター日本史58点だったな……」 ま、義経は幼少期がアレだったから特殊として、平清盛行ってみよう。……………………ダメだ、生まれ年が元永元年(1118年)ってのしか分からない。じゃあ少し時代を下って、足利尊氏。嘉元3年(1305年)。新田義貞も分からない。というわけで、やっぱり戦国時代ぐらいからかな? 足利義輝も天文5年(1536年)3月10日とはっきりした記述が。将軍家は強いぜ。ま、このあたりにしておいて……。 織田信長 1534年5月12日 徳川家康 1542年12月26日 1534+512+1542+1226=4814 なんていう暗証番号の決め方はどうだろう? これなら悟られにくいぞ。まあそのためには織田信長と徳川家康の生年月日を"年"から覚えなきゃいけないのだが……っていうか普通に「4814」と覚えた方が楽そうだ。忘れた時は家に帰って織田信長と徳川家康の生年月日を検索する、と。これなら「生年月日を暗証番号に使って」いるけど文句は出るまい。 ま、結論としては「まだ暗証番号に生年月日を使ってますか?」の「生年月日」の前に、「自分の」とか「自分や親しい人の」という文字列を入れるべきだったね。それにしたって使い方によっては問題ないはずだ。私の誕生日は9月25日だが、その数字にちなんでとある関数を9から25まで定積分して出て来た数字を暗証番号にするとかね。これなら誕生日を"使っ"た暗証番号にしても文句あるまい。
平成21年3月18日
にっぽんだいひょう テレビは見てなかったのだが、何となく……弱いときの阪神タイガースにダブって見えた(笑) 初回に点取られてズルズル。打線は繋がらない。見ていてもどかしい。ああ、阪神だけじゃなかったのね。
で、ボーグルソン。昨日は1回2安打無失点だったみたい。疑ってごめんねボギー。でも1イニングに2安打されてたらいつかはやばいよ。
この前言ってた模型、結局まだ完成してない。何だか……製作速度落ちてない? 2年前なら絶対完成させてたような気がする(笑)
平成21年3月17日
ボギー 去年まで阪神タイガースには、ライアン・ボーグルソンという投手がいた。美人の奥さんが甲子園球場のCMにトーマス・オマリーと共に出演していたりで、話題性や人気もあったようだ。本業の方はどうかというと、どちらかというと残念な投球内容の日が多く、解雇されてしまった。今年からはオリックスに移籍したのだが……。 阪神タイガースで任された役割は先発。直球に自信があるようで、確かに調子のいい日はその直球を武器に好投した。が、ストレートだけ良くても通用しないのがプロの世界。アマチュアだって、ど素人の私でさえバッティングセンターの150km/hならなんとかなるのである。プロの世界でなら尚更だろう。ピッチングコーチや矢野が「ボギー(ボーグルソンの愛称)、君のストレートはすごいけど、途中でカーブを混ぜたら打者はさらにお手上げだぜ」なんて説得したらしいが、やっぱり打者2順目3順目にボカスカ打たれていたところを見ると、直球勝負への拘りが捨てきれてなかったのではないか。そのボーグルソンがもう一つ拘っていたのが先発らしい。阪神ではほとんど先発出場だったと思う(1〜2試合ぐらいは中継ぎしたかもしれない)。オリックス入団後、監督が中継ぎでの登用を示唆したところ、監督に先発での起用を直訴したらしい。先発、直球への拘り、プライドの高い男というのがボーグルソンの素顔のようだ。 プロ野球はオープン戦が始まっているが、予想通りというか何と言うか、あまりボーグルソンの成績は芳しいものではないようだ。今日もオリックス―日本ハム戦があったらしく、試合の詳細は分からないもののボーグルソンも登板したようだ。試合は乱打戦で両軍合わせて9本塁打。もっともオリックスの大砲4人全員が一本ずつ打っているので、日ハム側のホームラン数は多くない。けど、思っちゃう。ボーグルソン、また打たれたんじゃないの?って。イニングから言って小谷野の2ランあたりが怪しい……。 野球で一番目立つポジションといえばやっぱり投手だろう。投手が投げなくては試合が始まらない(いや、投げなきゃ審判に怒られるけど)。野球漫画では主人公が投手であることが圧倒的に多い。水○さんの漫画はそうじゃないけど。投手の中でも、やはり人気があるのは先発だろう。カッコいいのは完投完封、果てはノーヒットノーランに完全試合。野球漫画の主人公でも、先発完投型でない投手を探すのは難しい(まあ私が知ってる野球漫画、そんなに多くないけどね)。だが、ボーグルソンを見ているとイライラする。プロ野球の世界では、カッコいいか悪いかの前にお金が稼げるかどうかの問題も出てくるだろう。中継ぎや抑えよりも、勝利投手という形ではっきり成績が出てきやすい先発の方が雇い主にアピールしやすいのかもしれない。が、ボーグルソン、君がいた球団はどこだ? 阪神タイガースだ。12球団いち先発陣が頼りない球団だけれど、その代わり12球団いち救援陣が強固な球団である。勝ちパターンではJFKことジェフ・ウィリアムスに久保田(去年あかんかったけど)、守護神藤川球児。一昨年から成績を残し、去年は先発からJFKへの橋渡し、果ては久保田の代役までこなした渡部。負けていても出てくるピッチャーは江草に阿部と、野球放送の解説が何度も「他球団なら先発ローテ入り」と評価する選手が出てくる。ボーグルソンも、あまり長いイニングを投げて勝利投手の権利を得た回数は多くないはずだ。5回6回に降板しても、リードしていたら上記に名を連ねたピッチャーが点差を守り、チームを勝利に結び付け、そしてボーグルソンの成績の勝ちの数を増やしてくれた。ボーグルソンは見ていたはずである。自分の後にマウンドに上がるピッチャーを、その投球を。なのに何故阪神を追われてまで先発に拘る? しかも入った先はオリックス。去年、監督交代後、チームは最下位から2位にまで成績を上げた。正直誰も予想しなかった快進撃だが、それを支えたのは(記憶があやふやだが)4人の"10勝投手"。もちろん全員先発だ。先発の質が阪神よりもいいかもしれない球団で、阪神にいたころさえ満足に務まらなかった先発がどうしてできるのだろう? そこまで先発に拘る姿勢を見せられると、ボーグルソンは「中継ぎなんてやってられない」と思ってるとしか考えられない。事実中継ぎは大変な割に評価されてないみたいだが……。でも、阪神で2年間過ごしたら、中継ぎに対する敬意の一つぐらい生まれてこないんだろうか? ちょっとやってみようかな、リリーフで自分の名前が告げられた時に聞くファンの期待を込めた大声援も悪くないかな、なんて思わないんだろうか? もう阪神の選手じゃないけど、何だか腹が立つ。パ・リーグでボコスカに打たれてとっとと母国へ帰りやがれ。
平成21年3月16日
今日、警察の世話になりそうになった 白兎 「あーあ、とうとう積年の悪事が露見しそうになったか」
――という冷たい人はほっといて さて、今日、橘雪翼クンは一体何をしでかしたでしょう? (1)ウザいやつと口論の後に乱闘騒ぎ (2)万引きと間違えられた (3)信号無視して渡った先にニコニコ笑顔のお巡りさん (4)ひったくりに遭遇
(5)梅田都心部で迷子になった
正解は分かりますね。じゃ、詳しい事情を。 例の150km/hの梅田のバッティングセンターへ行った。そこで空振りが多い橘クンを野次ったウザいやつに思わず手が出て
――というわけではありません。 その後、マッハ模型に行こうとした。普段はマッハ模型が先のことが多く、バッティングセンターの後にマッハ模型に行くことは少ない。で、私の方向感覚で言うと……マッハ模型からバッティングセンターへの道のりは、北上してからかなり西に歩く。かなりといっても5分も歩かないが。そういうわけだが、私は何度か歩いた道ではなく、とりあえず目の前にある道を南下し始めた。といっても、その道は真っ直ぐ南に向かう道ではなく、南東方向に伸びていた。適当なところで曲がればいいだろう――と思って歩いていたのだが、そのうちに見慣れない建物が視界に入ってきた。その辺から実はあやしいなと思っていたのだけれど、己の勘を信じて直進。すると見慣れぬ学校が。「扇町小学校」――扇町? 知らない地名だな。さらに勘を頼って歩く。病院を横を歩き……角を曲がったところで気が付いた。太陽の見える方向が違う。もっと早く気づけよ俺。東に向かって歩いているつもりだったのだが、明らかに北へ進んでいるではないか! どこでどう間違えたのか分からないが、パニックを起こし、周囲の通行人が不審に思って警察に通報されて――という流れではない。内心穏やかじゃなかったんだけど、冷静を装ってとにかく歩く。公園の横を歩いていたら交番発見! これはチャンス、恥ずかしいけど道を聞こう! と思ったら人がいない……。仕方がないのでさらに歩く。気分はトトロの主題歌だ。多分、東に来過ぎているので西に戻ろう、と太陽の向きを頼りに方向転換。今日が晴天で助かったよ。しばらく歩いていると、「ダイコクドラッグ」の看板が見える。そういやマッハのビルの横にもダイコクドラッグあったよな……でもまさかねえ(苦笑) と思って直進していたら、そのまさかだった。北から降りてくるつもりが、東から到着。やっぱり今度から歩きなれた道を選ぼう。 ところで今、ネットの地図で確認して、私がどこでどう間違えたかを調べた。まず最初の誤解。バッティングセンターの道が真っ直ぐ東西を向いていると思っていた。かなり斜めになっていて、座標平面上のグラフで言うところの「傾き1の直線」ぐらいのもの。だからバッティングセンターの向かいの道も思ったのと全然違う方向を向いていて、私は東南東ぐらいの方向に歩いていた。そして途中、左に曲がったのだが、その道は右に曲がるべきだった。そうしていればごく普通に目的地に辿り着けたのに……。最初の道が「傾き−2」ぐらいのものだと思っていたもんだからもっと東に行かなきゃいけないと勘違いしていたのだ。さらにもう一つ、大きなことが分かった。私が曲がる方角を間違えたポイントをAとおく。そして普段、マッハ模型からバッティングセンターへ行く時、まず北上して大きな道路に当たるまで歩く。そこの交差点で左に曲がるのだが……そこの交差点をBとおく。バッティングセンターのある地点をCとおくと、なんと三角形ABCは角Bを直角とする直角三角形ではなく、どちらかというと正三角形に近い図形を描く。つまり何かと言うと、私はポイントAに於いていつも交差点Bへ向かって歩いていた。が、実はそこから直接C(つまりバッティングセンター)へ向かう道が伸びていたのだ。三角形ABCは正三角形に近いと書いたが、BACと歩く道のりは直接BCと歩く道のりの2倍程度である。回数はそんなに多くはないが……なんて無駄なことをしていたんだーっ! そもそもB地点の曲がり角を90度だと思っていた私は一体? にしても、何度か通っただけの道じゃあ、反対側から歩いた時に気付かないんだね。でもまあ、今日の失敗で近道が一つ分かった。前向きに捉えるなら、転んでもタダじゃ起きない――いや、失敗は成功の母というべきか?
平成21年3月15日
寝台特急「富士・はやぶさ」の最終列車が走ったのは昨日のこと(出発は2日前)。さらばブルートレインということでニュースにもなっていたからご存知の方も多いだろう。あくまで消滅したのは東京発九州方面のブルートレインだが。で、その「富士・はやぶさ」東京行きに使われた車両は九州へと回送されている。ちょうど今日の昼頃、大阪を出発して東海道線を西へ。後輩が走る時間を教えてくれたので、せっかくだからと撮りに行って来た。あまり場所が思いつかなかったので、自転車で武庫川まで走ったのだが……30分以上前に着いたにも拘らず鉄道マニアがたくさんいた。ここもひょっとすると有名な撮影地なのかねえ……。 カメラはα-9 、レンズはAF APO TELE ZOOM 70-200mm F2.8 G SSM 、フィルムはFUJI CHROME RDPIII 、といういつもの組み合わせ。動いている列車を撮るのは久々なので、新快速で練習してみたり。で、実は昨日、風呂に入りながらぼーっと考えててふと感じたこと。それは――デジタルカメラで写真撮ってるやつは寝台列車の廃止を惜しむ資格がない――んじゃないか? まあこれはカメラマニアの考え方だが。寝台列車が何故廃止されるかとういと、合理化の波にさわらわれた形になる。新幹線や飛行機に高速バス、安い宿などなど、旅情よりも便利であること安価であることを多くの人が選択した結果である。このままで行けば同じように、便利でランニングコストが安いデジタルカメラはフィルムカメラを駆逐するであろう。そのデジタルカメラで去り行く寝台列車を撮影する、大変に矛盾した行動ではないか。 別に全ての鉄道マニアがカメラマニアを兼ねているわけでもないのだが。それに、意外なことに私が確認しただけで私以外にフィルムユーザーは3人"も"いた。全部で20人もいなかっただろうから、割合としては1割以上の人がフィルムだったことになる。ひょっとしたら普段デジタルで、今日は寝台列車(に使う車両の回送)だったからと私と似たようなことを考えてフィルムカメラを持ち出した人もいるかもしれないが(いないって?)。彼らが何故デジタルに移行してないかは知らないが、フィルムは寝台列車よりも長く生き残りそうである。 去年の年末ぐらいに、フィルムとデジタルカメラの2000万画素機との比較記事がカメラ雑誌に載っていた。曰くデジタル完勝?ぐらいのものだった。が、先日カメラ屋で話をしていると、フジフィルムは「ウチのベルビアは6500万画素相当です」みたいなことを言ったらしい。確かデジタルカメラが300万画素あたりをウロウロしていた頃は「フィルムは1000万画素相当」と言われていたはずだが……? ひょっとしたら感度400のネガが1000万画素で、感度100のリバーサルが6500万画素なんだろうか?(笑) 画素数戦争をやってもフィルムに分が悪いのは目に見えている。最近画素数アップの速度は遅くなっているように感じる物の、科学者にも意地があるだろうから「ベルビアが6500万画素」と言われれば、35ミリサイズのCMOSの画素数をそれ以上にしてくるであろう。もっともそこまで細かくなるとレンズの絞りによる回折現象が大問題になるだろうけど……そこからはソフトウェアの領域で、回折現象もソフトで無理やり補正してしまう時代が来るのではないかと思う。大体、フィルム時代にそんなに問題にされてなかった回折現象が気になる時点で、デジタルカメラの解像度はフィルムを越えているような気がする。って、フィルム派なのにこんなこと書いてていいのか?(笑) 話はブルートレインに戻る。Nゲージ鉄道模型界ではここ数年、トミックスがブルートレイン廃止の度に「さよなら○○○」(○○○は廃止された列車の名前)というセットが発売されている(一部さよならセットが出てないのもあるが)。最終日に使われた車両を徹底リサーチし、出来うる限り模型に再現して発売する限定アイテムである。で、私は……ブルートレインのさよならセットはまだ1つも買っていない。ブルートレインの廃止ラッシュの前に廃止された「白鳥」の"さよならセット"は買ったが。何故ブルートレインを買わないのか……というと、理由が2つ。1つはブルートレインの模型自体は持っていて、別にさよならセットを買う意味はないじゃないかと。もう1つは、私が愛してやまない?日本海がまださよならしてないから。もう一つ複数回の乗車経験のある「彗星」は、廃止の際に「さよなら彗星」として模型が発売されなかった。理由はおそらく、当時「彗星・あかつき」という形で走っており、廃止されたのは「彗星」のみ。その後しばらく「なは・あかつき」として走り、それも去年の今頃に廃止(そして今月末ぐらいに"さよならセット"が発売される予定)された。「彗星」は、僚友が生き残ったためにさよならセットが発売されなかったのである。というわけで、思い入れのある列車のさよならセットが現段階で存在しないので、だから買っていないのである。厳密に言うと「白鳥」には乗ったことがほとんどないのだが、「白鳥」の写真は幾度となく撮影し、そして「さよなら白鳥」の写真も撮りに行ったので模型も欲しかったのである。で、「富士・はやぶさ」は……乗ったことがない。東京と九州を結ぶ列車なので……無理をすれば大阪1時過ぎの発車なので乗れないこともなかったが。乗ったことがないので、仮に明日明後日ぐらいにトミックスから製品化が予告されても見送るつもりであった。あったが、写真撮りに行ったら欲しくなったじゃないか(笑) どうしてくれるセントレア一号車君!(笑)←情報提供者
平成21年3月14日
今日はJRグループダイヤ改正の日。JR西日本では、終電時刻が早くなると言うトピックスが。何でも運転手の負担軽減とのことだが……? さて私にどう影響するかというと、なんと終電の時刻は遅くなる! 大阪から立花へ向かう列車は、それまでの0時27分から0時28分が終電に――ってたったの1分かよ! かなり前に見たときは終電時刻0時半だったはずなので、いつの間にか早くされていたらしい。ま、もっとも、そんな時間の電車に乗ることは稀。京都の友人と遅くまで遊んでいて、京阪の終電(出町柳から京橋へ向かう列車の最終)には乗ったことがあるが、大阪での時間には多少の余裕があった。また、この1月2日に難波で飲み会があった日も遅かったが、それでも終電の2本前の列車だった。そんな時間の列車に乗ることは1年に1度あるかないかの話なので、1分早くなったり遅くなったりしても大して変わりない。と、油断していたらある日……? JR大阪駅は今工事をしていて、大きな駅ビル?が2011年だったかに完成する予定らしい。そのビル完成と共に、JR西日本が誇る高速列車である「新快速」が全列車12両編成化される(姫路―米原間)。現在の新快速は12両と8両と2通りの両数がある。東京圏では15両編成の列車がひっきりなしに走っているが、関西ではそんなに人は多くない。とは言え、12両の新快速でもなかなか座れない程度には混雑している。8両の新快速が12両化されるのは多くの利用者にとってプラスだろう。かつてはその新快速も6両編成で走っていた時期があった。朝や夕のラッシュ時は6両を2つ繋げて12両で走らせていたみたい。新快速の前身の「急電」が、私が随分前に模型で作ったことがある列車で、最初は4両だったのが5両になり、実はあまり詳しい資料はないのだが5両編成を2つ繋げた10両編成がラッシュ時に走っていたらしい??? 国鉄時代に製造された急行型電車で153系というものがあるのだが、これを新快速用として使っていた時期もある。これの模型がカトーから発売されたことがある。先頭車両の形状により2種類あったのだが、もちろん?私は2種類とも揃えている。そして最近ふと思ったのだが、かつての関西急電時代も5両編成を2つ繋げて、JR化前後の時期にも6両編成を2つ繋げて、というような形でラッシュ時に対応していた。じゃあ、153系の新快速もひょっとしたら朝夕は2つ繋げて12両で走っていたのでは? カトーの模型の153系は、先頭車両の運転台側は連結に考慮した仕様になっていない。設計が古いのが一つの理由で、一応オプションパーツを買ってくれば繋げることも可能。ただし、現在の水準から見れば一歩劣ることは否めない。というわけで私は、トミックスから発売されている連結器のパーツを使って先頭車運転台側の連結を可能にしようと画策中。ただ、153系新快速が12両で走っていたかどうか、については確証がない。加工したはいいが「153系の時代には12両運転はありませんでした」なんて事実が発覚するとゲンナリしてしまう。まあ、多分、走っていたと考えるのが自然な気が……するんだけど、なあ?(かなり気が弱い) もちろん、実物は実物、模型は模型なので、模型を12両で走らせて何か悪いことがあるわけでもない。私が12両で爆走させるのがカッコいいと思ってやるのであれば誰も何も口を挟めまい。というわけで現在思考中。で、考えているそのうちに忘れるに10000点。
平成21年3月13日
ところであれから「丸ノ内線」用のパーツがどうなったのか。実はあっさり発見。「こんな箱に入ってるわけないよな〜」と思った箱に貼ってあった、「丸ノ内線余りパーツ」って自分の筆跡で書いたシールが。偉いぞ2年前の俺! 箱には他にもグリーンマックスのキット(未開封)なんかも入っていて、そして見覚えのある某通販ショップの小さなダンボール箱が出て来た。そこの店で丸ノ内線用のパーツを買い込み、送られてきた箱をそのまま丸ノ内線用に使っていたのを思い出した。思っていたものが全てそこに入っており、製作に向けて青信号が再点灯。 で、それとは関係のないお話。 ARGENTOを試してみる
平成21年3月12日
WBC 世界タイトルマッチがあったので、テレビで観戦(ただ、試合開始は17時でテレビは19時からだったから、生じゃなくて録画だね)。テレビはまず、フェザー級のタイトルマッチ、粟生がラリオスに挑戦する一戦から。試合展開も4回、8回に公開された採点も一方的に粟生が有利。でもボクシングはK.O.があるから試合終了まで分からない。野球と一緒。で、粟生も倒しに行ってたと思うんだけど、結局12回判定となった。で、粟生が勝利、新チャンピオンに。印象的だったのは大泣きしていたところ。インタビュー中も始終涙を拭いていたし、スタッフの人に「テレビに映ってるんだぞ」とか「チャンピオンだから胸張れ」とか言われてた(笑) 途中落ち着いてきたんだけど、最後、ファンやジムの人にお礼を言うあたりからまた崩れてきて、「お父さんお母さんありがとうございます!」と言う頃にはもうお前子どもか!ってなぐらいに顔がめちゃくちゃだった(笑) やっぱり一度負けた相手だし、嬉しかったんだろうなあ。何はともあれ、おめでとう! で、12回判定となると約1時間。前に書いたけど、私が見るテレビというのは模型を製作する部屋に置いてあるテレビで、大抵模型をいじりながらテレビを視聴することになる(音だけ聞いてほとんど見てないという説も)。久々のヤスリ掛けと久々のテレビ視聴に疲れて、長谷川選手の試合まで見る気がしなかった(苦笑) ま、ほずみんはどうせ負けないだろうし……と思ってたのもあるが。で、パソコンに電源入れてニュースサイト見たら1ラウンドK.O.かよ! だったらテレビもう少し見ておくんだった。痛恨すぎる。
平成21年3月11日
これぞ橘雪翼クオリティ 「丸ノ内線最後の3両」を17日頃までに完成させる、これを阻む敵が見つかった。それは「見つからない」である。 白兎 「……雪翼? ついにボケたか?」
最初、側板が付いたランナーが簡単に見つかったので気にしていなかったのだが、それでも心の隅に刺さった棘はあった。前回18両組み立てたとき、下回りの部品も一緒に組み立てて塗ったのだ。上回りはいくつかの仕様が考えられ、実際に組み立てるまで部品の選択ができないが、下回りは何を作っても一緒である。まあある程度"凝る"余地は残されていたのだが、前の24両がある以上仕様変更する意図は起きないだろう、そういう考えの元一緒に処理してしまったのだ。その下回りが見つからない。そして"サインカーブ"を表現するためのインレタが見つからない。今日、部屋中のありそうな場所を探したのだが、出て来たのは部品の余りを収めた箱のみ。完成させるにあたって何が何でも必要な部品は、最初に開けた箱に入っていた上回りの分だけである。さあ困ったぞ。模型のパーツを収めた箱は無数に、というのは大げさでも、かなりある。全部引っぺがしてもいいのだが、まだ手をつけてないキット以上に積んであり、しかも手をつけてないキットと違って外見だけでは中身が分からない。しかも部屋中の至るところに"収納"という名目の元"隠蔽"されているため、とりあえず何か入っていそうな箱を探す手順が含まれる。箱を開けて模型の余り部品が入っていればまだいいが、全く別の物が入っていてガックリなんてこともある。何よりこういう時間は、模型を作るモチベーションを50%増しで削って行ってくれる。モチベーションが消えれば、自ずと「模型作るよりもマリヲカートでもやるかあ」なんてことになって(以下略)。 ま、整理がてらどこに何かあるかの再確認の意味も込めて箱を開け閉めするしかないか。
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