橘雪翼の、侃侃諤諤喧喧囂囂

平成18年7月中旬分

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平成18年7月20日

  久々に画像で侃侃諤諤。
鉄道模型の撮影 カタログ写真風 橘雪翼仕立て
「夜行鈍行」の模型ページの作成もたまにはやんないといけないんだけどね〜。

  PHSの機種変更を検討中であることは前にも述べた。で、近日発売のW-ZERO3 esという、電話というよりは小さなパソコンみたいなの(PDAとかいうのに近い??)があるのだが、それを2方面から勧められた。一人は某西院の人で、一人はスマイリー嬢。っていうかスマイリー嬢からも勧められるとは、某ヨ○バシカメラ恐るべし。ちなみにお二人とも、現行のZERO3をお持ちである。ちなみに格闘ゲームファンがZERO3と言えば某"路上格闘家"だよねぇ(笑)
  で、このZERO3という機種、何が特徴って(私の目で見ての特徴ね)キーボードが付いているのだ。もちろん携帯できるサイズなのでパソコンのキーボードよりは小さいが。それでも「お」を打つのに同じボタンを5回押さなきゃいけない一般的な携帯電話・PHSに比べたら「o」一回で済むので、メールの送信とかこの侃侃諤諤の更新とかはかなり便利になると思われる。という意味では欲しい機種なのだが、これ電話としての使い勝手はどうなのかな? はっきりいって、電話なんて滅多にかかってこない。定期的にかかってくるのは模型屋から「あのですね、カトーのレイアウトボード、また延期になってますわ〜」という商品入荷案内などの用件のみ(笑) まあ、家族からもそこそこかかってくるけど。もちろん、発信もかなり少ない。履歴の一番古いのが2ヶ月前なんてのはザラ(今見たら1ヶ月前だったけど、こんなのは珍しいんだよ!)。ということで、電話としての使いやすさはスポイルしても、メールの作成が楽になるのであれば結果オーライと考えるのもありである。
  ただ、問題がある。この機種アラーム機能はどの程度充実しているのだろう? 現在使用しているやつは、アラームの日時設定が「日付指定」「毎日」「曜日指定」他ある。日付指定は言うに及ばず、曜日指定が私にとってとても便利。というか、今これがないと毎日に相当な緊張が強いられる(笑) まあ、今使っているやつを、機種変後もアラーム専用の時計と思って使えばいいような気もするけどね。

  先日、Yahoo!ニュースの見出しで「子どもの敵は"KO"」という記事を見かけたので読んで見た。ボクサーがどうたらこうたらと書いてあったので最初、「ボクシングのKOシーンは暴力的で、子どもに見せるべきではない」という意味の記事かと思ったら全然違いました(笑) 内容としては、ボクサーがロードワーク中に、子どもの安全を見守るといった感じ。不届きなヤツが子どもに危害を加えようとしたら「KO」するぞ、というそんな意味合いの見出しだったのだ。大抵の子どもに危害を加えようとする不届き者はボクサーに睨まれたらすごすごと逃げ帰るぐらいしかできないでしょう。

  トミックスの新製品発表を見て、かなり模えてます(模え:アキバ系が萌えなら、我々モデラーは模型の模で"模え"だ!とか訳の分からないアイディアを出したら、後輩のセントレア一号車君が甚く気に入ってくれた)。まず、JR西日本の、例の事故車の後継車両である321系が発表されました。カタログで既に製品化発表はされていたのだが、具体的な販売形態や時期(どうせ多少遅れるだろうけど)が発表されたらしい。で、どうやら2種類出る。実車もぱっと見で、パンタグラフが1基のと2基のとがあるのだが、両方出るらしい。1基の方は実車が暫定的な仕様であるせいか、模型は7両をひとまとめにして限定版として売られる。レギュラー品となる2パンタ車両は、3両基本と4両増結。
  ――え?
もちろん両方買いますよ。次に、ゆうトピア和倉、という、普通の人には馴染みのない車両が出る。この車両は……ジョイフルトレインに区別されるのかな?(ジョイフルトレインとは:一般向け説明;お座敷列車に端を発する、イベントや臨時列車専用の車両の総称) 一時期、特急雷鳥号に連結され、途中で切り離されて能登半島の方へ走っていた(私の実車知識及び記憶はあやふやです)。雷鳥ということで、地元系列車ということでもある。よって、これも買うのは決定的。で、これ、もっと重要な点がある。今度マイクロエースから出る、アルファコンチネンタルエクスプレス(略してアルコン)と顔がほぼ一緒なのだ。細部は違うと思うのだが、多分金型を使いまわし出来るのではないかと。ということは、だ。待っていればトミックスからもアルコンが出る可能性があるということだ。マイクロから発表があったとき、北海道好きの私としてはかなり買う方に心が傾いていた。が、これで一旦リセット。リセットというよりは購入には後ろ向きに検討ということになる。後ろ向きに検討すると、買わない可能性が高い。というか、買わないでしょ。トミックスから出るなら、いくらハイグレード仕様値段もハイグレードとはいえ、マイクロよりはずっと費用対効果はいい。まあ、ゆうトピアが出るからといってアルコンが出ることの保証にはならないのだけれど。でも、ゆうトピアみたいな地域限定ネタをこれだけで終わらせないでしょう。ということで、マイクロエースのアルコンは見逃し決定。三振したっていいですよ。アルコンが2セット家にある状況になるよりは何もない方がマシ(おや? コレクターは買って後悔しろ!じゃなかったの? いや、マイクロは後悔しすぎたのでもういいです)。
  で、最後に、ローカル線の再現には欠かせないものが登場する。それは、腕木信号機だ。ええと、説明は難しいけど、古いタイプの信号機。腕木の名前の所以である、アームみたいなのが上下に動くことで各種信号を表示する。これが、アームの可動ギミックを搭載して発売されることになるらしい。欲しい。とりあえず、欲しい。使うかどうかは別にして(笑) 今まで、腕木信号機はあったけど、動くわけないじゃんというのがNゲージ界の常識。そう、常識をブチ破る新製品なんですよ。だから、欲しい。普通の信号機持ってないけど欲しい(笑) トミックスは、"キングオブレール"を目指しているらしいが、どうやらレールに付随させるものでもキングを目指すようだ。というか、そういうのを作らないとキングの称号は得られないだろう。正直、ここまでやってくれるとは驚きだ。賞賛に値する。褒めてあげるから茶色道床のレールも出して(これが言いたい)。
  あと、大変迷うのが500系新幹線リニューアル。500系新幹線ってのは、自己紹介にも書いてあるけど、私が3番目に好きな鉄道車両である。実車のカッコ良さは、FD3S RX-7とタメ張るぐらいである。
  ――分かりにくい表現だな
しかもカッコ良さの系統が若干違うような気がするし。で、実車の、って付けたのはもちろん、模型はちょっちイマイチだからだ。ちょっとぐらいイマイチでも500系新幹線なので、私が持っている模型の中では唯一16両フル編成揃っている。で、それがリニューアルされる。動力にフライホイールが入る。これはいい、すごくいい。次に、今まで省略されていた、車端部の窓のガラス表現が入る。これもいい。まあまあいい。だが……そのために16両買い直すの? これが問題。大問題。せめて、連結器がカッコいいTSカプラーに変わるなら買い直してもいいんだが……値段からするに多分変わらない。やや値上がりしてはいるんだけど……この値上がり幅じゃ搭載されないだろうなぁ。いやもちろん、搭載してこの値段だったら万々歳で買い直すんだけど、無理のような気がするので保留。
  まあしかし、鉄道模型界もネタが尽きませんな。


平成18年7月19日

  福原快投! 巨人のエース・上原に投げ勝ち!
  ということで、今日の伝統の一戦は締まった好ゲームになりました。スコアは1-0、両投手が浴びた安打はそれぞれ2、4とまさしく伝統の一戦に相応しい内容。阪神が挙げた一点も犠牲フライと、タイムリーヒットを許さなかった上原は敵ながら天晴れ。福原が完投したら最高だったのだけれど、球数ちょうど100ということもあったせいか最後は藤川球児。四球で李スンヨプを塁に出すも、その他の打者を全て三振に斬って取るもはやお馴染みの光景。いやぁ、それにしてもいいゲームでした。
  と、勝ったから言えるんですねぇ。逆のスコアで負けてたら今頃布団かぶって寝てますよ!(笑)
  にしてもこの2日間、雨で中止が多い。昨日など、セ・リーグの試合は全滅だ。今日も午前中、関西は雨だったので阪神―巨人戦が潰れそうだった。3連戦全部中止ってのはプロ野球史上初じゃなかろうか、と楽しみにしていたのだが……。3連戦の2つが中止になって、負担の大きい阪神救援陣にはちょっとした連休になった?かもしれない。と思っているが、雨でも練習はやるのかな……(室内練習場があるからね)。で、目下の追い掛ける対象である中日はこの日も中止。ゲーム差は1.5。追いつけるような遠いような1.5ゲーム差である。よくよく考えたら、阪神が逆転優勝したら後輩に焼肉おごらなきゃいけなかったような気がする。でも阪神には連覇して欲しい思いもあるし……。うるさいなぁ、4月の時点では巨人が優勝すると思ってたんだってば!


平成18年7月19日

  雨は嫌いだ。私の髪は癖毛で、湿気に弱い。湿度が高いとじきにくるくるしてきやがる。風呂から上がってドライヤーで乾かした直後はいいのだが、雨の日の夕方ともなるともうぐちゃぐちゃ。前者が夜神月ばりのサラサラヘアだとすると、後者はNate Riverばりのくるくるりん。まあ、表現として使ってるだけで誇張しすぎなのはよ〜く自覚しているけど。
  デスノートのキャラクターにたとえたので思い出したけど、先日の「最後に出てくる女性は誰?」で結論を「ミサ」としたけど、無理があることが判明。というのも、ミサはキラ信者だけれども月のことが好きでもある。もし、捜査本部の人間がミサに「月はキラと刺し違えた」と伝えたとすると……最後にキラ様といって崇拝しているのはちょっとどうか。「月=キラ」と伝えられていたとしても、キラを崇拝する団体に所属するのもおかしい。皆が崇拝している対象が自分の元・恋人というシチュエーションの中には飛び込まないだろう。ということで結論。やっぱり全く関係のない第三者でした、と。

  先日の題名がスイーツの推理小説、秋季限定と冬季限定が出るのだろうか?って書いたけど出ないっぽい……。理由は夏季限定のラストにある。というか、そういう終わり方しないでください……という結末だったのだ。簡単に分かりやすく言うと、主人公がヒロインにフラれて終わるのだ(すげぇ表現)。曰く恋愛関係でも依存関係でもなく互助関係にあったらしいので、フラれたというのは一般的な意味でいくと違うのだが。

  バトルギア4の弩級、通称秋名峠の店舗ランキング、抜かれたので抜き返してきた。そうこうしているうちに全国ランキングも2000位台になった(全28000少し)。現在超初級でイベントレースが行われているのだが、そっちの詰めを先にしないといけないのだが……。一度かなり速くなったのだが、ついつい調子に乗って直線&コーナリング中重視側に振ったら、コーナーに入るときに滑って壁に激突するようになってしまいまして。でもって、セッティング戻そうにもいじりすぎたのでどこを直せばいいのか分からなくなってしまった(笑) まー、適宜頑張るとしますよ。


平成18年7月17日

  先週末ぐらいだったかに、小中学生の学力調査の結果についての記事が新聞に出ていた。相変わらずの学力低下傾向を報じるもので、見出しは「『子孫』は『こまご』?」だったかな? 論理的文章を書く能力が低い、とか書かれているが、こんなもん私が小学校の頃から言われてたんじゃないのか? まあ、私が小学校の頃に言われていたのは単純に「文章を書く」能力だったかもしれないが。とりあえず、ここしばらくの学力低下に対する政策は"外れ"ということが言えそうだ。
  先日、どこかの販売店のミネラルウォーターの広告を見て失笑してしまった。ペーハー値が書かれているのだが、「8.2pH」というように表記されていた。おまけに「pH濃度とは?」なんて解説まで付いていて……誰だよ、この広告作ったのは。非理系人間だったら大人しく文献にあたって正しい言葉と表記を学びなさい! pH(ペーハー)とは、水素イオン濃度指数と呼ばれるそうで(細かいところは自信がなかったので私も調べました)、単位ではない。よって「8.2pH」という表記は間違い(一部化学専門の友人にご意見賜りました)。「pH8.2」が正しい……といおうとしたらそれも間違いらしく「pH=8.2」が正確な表記らしい。ペーハー8.2とかいうのは慣例でそう呼ぶのだそうだ。ともかく、広告にこんな間違いを載せてよくも恥ずかしくないものだと感じた。
  パナソニックから一眼レフデジタルカメラが発売されるらしい。とあるネットショップをうろついていたら、そういう広告を発見した。そこのショップのスタッフがやっているブログに紹介が載っていたので、早速詳細が知りたくて読んだ。すると……文章があまりにも酷い。詳しくは割愛するが、句読点の位置がおかしく、一つの文の長さが異常で、読んでいらいらするものであった。このネットショップは小さな個人経営、というものではなく某大手の量販店のインターネット店舗とでもいうべきものだ。そこの広告塔的存在であるブログの文章がこれか……と思うと情けなくなる。こんな酷い文章を載せているスタッフもスタッフだが、誰か他にチェックする人間がいないのもどうかと。見たところ、パナソニックのカメラの記事だけじゃなく他の文章も似たり寄ったりだった(特に私が最初に見たものが酷かったのだが)。
  話の流れが唐突に変わるように見えるが、私が言いたいのはこういうことである。子どもの学力低下が叫ばれているが、こうした大人の"学力低下"も問題にする必要があるんじゃないか、と。まあ、ペーハーなんてちょっとうっかりすれば忘れるものである。日常生活では通常使わないからね。でも、そういう言葉を使う段階になって、ちょっと不安だから念のため確認しておこう……と文献にあたったりしないのだろうか。それとも自信満々で「pH濃度」とか「8.2pH」とか広告に載せたのだろうか。日常生活に直接関係がない細かいことでどうでもいいこと、と思っているのかもしれないが、そういうことから子どもの学力低下が始まるのだよ。最近どこかで読んだのだが、パッケージにあざらしの絵を採用したお菓子があったらしい。卵から生まれるごまあざらし、という感じのパッケージで、小学生が「あざらしが卵から生まれるのはおかしい」「ごまふあざらしはいるが、ごまあざらしというあざらしはいない」という指摘をして、会社がパッケージと商品名を変えることにしたのだとか。意外とね、子どもは見ているのだよ。それから、言葉は正しく使うべきである。たとえなじみのない専門用語だとしてもね。それが印刷されて無差別に配られるものならなおさら。子どもはそれを見て「pH濃度」だとか「8.2pH」だとか覚えるんだよ。学校でそれは違う、と言われればその子どもたちはどう思うだろうか。文章にしたって、そうである。大人がきちんとした文章を綴ることで、子どもがそれを見て自然と上手な文章を書くようになるのだ。門前の小僧 習わぬ経を読む、だ。親は子どもをしつける時に、きちんと論理立てた説明をしているだろうか? 全てのことにおいて無理であっても、出来る限り理由を説明して"理解させる"よう努力しないといけない。何がなんでも「そういうものだから」では、子どもは全ての事柄において「そういうものだから」と丸暗記のような学び方をしてしまうだろう。
  今流行っている「脳を鍛えるシリーズ」、何を隠そう私もソフトを一本持っている。が、ある面でなるほどなと思う一方で懐疑的に思う部分もある。少なくとも私が持っているシリーズを見ると反射神経的なものが重視されている。あるものを見てぱっと判断する、そういう能力だ。そういうものも「脳年齢」に関係するのだろうけど、もっともっとじっくり考える能力を重視して欲しい。徒然時代だったかにも書いたのだけれど、瞬間的な思考力では難題は解けないのだ。筋肉に赤い筋肉と白い筋肉があるように、思考力にも瞬発力と持久力があるのではなかろうか。確かに、瞬間的な思考力のテストは、その名のとおりすぐに結果が出て面白い。面白く、そして分かりやすい。だから受けるのだろうけど、じっくり型があまりにも軽視されているようで、私は不安だ。自分の分からないことを分かるようにするためには、じっくり系の思考力が必要とされるのだから。同じく脳力系のゲームで「数独」と呼ばれるパズルがあるが、こちらはじっくり型のものである。一応数独もそれなりに人気があるようで、かろうじて持久力系思考力にも注目が集められていると判断していいだろうか。
  子どもに、じっくりと物事を考えさせるのは非常に難しい。子どもとはえして短気で、忍耐力に欠ける部分がある。親が何度何と言おうと、そう簡単には身に付くものでもない。今私が考えているのは、親がじっくりと何かに取り組んでいる姿を子に見せることである。無論、じっくりと取り組んでいる姿を1日や2日見せたってしょうがない。じっくり何かしている姿をじっくりと見せ続けるのだ。正直なところ、幼い頃からゲーム画面を見つめているようでは、じっくり型の力は付くとは到底思えない。コンピューターゲームの多くは、刹那的な楽しみを提供するものだからだ。

  ……と考えていると、どうして自分がこんなにじっくり物事に取り組めるように成長したのか不思議で仕方がない。一つ言えるのは、母親は私にファミコンの類を買い与えなかった、私が泣いて頼んでも買わなかったということである。その意図はどうあれ今はそのことに感謝している。


平成18年7月16日

漫画の話(続き)

  姉の元からDEATH NOTE12巻回収に成功。っていうか、単に俺が忘れてただけなんだけどね。で、12巻でリュークが夜神月の名前をノートに書くところ、勘違いしていた。ルールに「憑り付いた人間が死んだら、ノートにその人間の名前を書かなくてはいけない」というのがあるわけだが、それまで死神は人間に憑り付いてなくちゃいけない。リュークは「そういう掟がある。お前が監禁されたら死ぬまで待たなきゃいけない。それは退屈だ」――だから名前を書いたのだ。掟で書いたんじゃなくて、掟のせいで面倒なことになるからさっさと殺しちゃえ、と。死神っぽい考え方だ(笑) まあ、多分監禁されてから改めて名前書いてもよかったんだろうけど、話の展開としてもあのタイミングがよろしい。
  で、ラストシーンのあの女性……義兄によると「ミサじゃない?」とのこと。夜神粧裕とも見えるのだが(ミサも粧裕も顔のパーツは一緒なので、髪型変えられるとホントわからない)。まあ、髪の色という観点からするとミサっぽいし、ラストで出てくるキャラクターとしてはデスノートに深くかかわった人間であるべきだろうから、ミサかなぁ。あんなにちゃらちゃらしてはっちゃけたキャラクターも変われば変わるものだ(笑) 月が死んだことによって、信心深くなったとしたら納得が行くし、ミサは月=キラでなくても元からキラ派。一方の粧裕だと、キラを崇拝する理由が見当たらない。もし、捜査本部の人間から「月=キラで、そして死んでしまった」と伝えられたら、キラをわざわざ崇拝する理由もないし、兄に祈りを捧げるのならキラ信者と一緒にやることもなかろう。そして、月=キラと伝えられず、例えば「キラと刺し違えて死んでしまった」と言われたのなら、今度はキラはどちらかというと憎い相手になる。粧裕がキラを信奉する理由はなさそう。そういう観点からしても、あの女性はミサである確率が高いだろう。もしくはまったくの別人、だ。
  え? 漫画の話の続きっていう題名は昨日の話の続きに見えるって? そう狙って題名付けましたからね!(笑)

  また積み木が増えた。といっても、例の塗装済みキット。その気になれば1時間で4両が完成する超お手軽積み木……じゃなくてキット。一応インレタ貼ってクリアー吹いて、屋根上機器と床下機器を適宜塗装するので余分に1〜2時間かかるけど。あと、今回は4両じゃなく6両。お手軽に完成するのはいいのだけれど、そろそろ作るのに飽きてきた、という落とし穴が(笑) 環状線で8両、一旦組み立てたのをインレタ貼り及び各種塗装のために分解して、再度組み立て。関西線6両を組み立てで、都合22両分組み立てた気分。簡単なだけにそろそろお腹いっぱい。2ヶ月おきぐらいだったらまだしも、ほぼ毎月だからなぁ……。来月、同様のキットで201系の大阪環状線が出るんですが、どうしよう(笑) どうしようも何も予約済みなのがタチの悪いところだ。9月はもちろん、一番良く使う東海道山陽緩行線仕様を7両フル編成分予約済み。とりあえずそれで完了するのでよしとしよう。
  で、一方の積み木減らし部門だが……なかなか作業が進まない。去年のアレは何だったんだ、という手の止まりよう。いい加減211系5000番台については部品の交換なり別途調達なりをしなければいけない。近鉄特急は、細かいところを作りこみ始めたら面倒になってきた(苦笑) 他にも着手したのがあるけれど、例によって動力ユニットをどうしよう、で手が止まった。仕掛け品多すぎ。さらに仕掛け品を増やそうかどうか検討中。こんなこと言ってる間にあっという間に締め切りがやってくるぞ。

  さて、前回はかなり盛り上げて、最後に盛り下がったが、今度の宮崎アニメはどうするかな。正直なところ前回の「ハウルの動く城」でもうどうでもいいや、と思い始めていたのだけれど、今回は同じ宮崎でも駿じゃなくて吾朗さんらしい(宮崎駿の息子)。当初父は息子が映画作るのに反対だったらしいが、完成に近づいて「反対したけど、いいものが出来て」なんとかかんとか評価しているらしい。穿った見方をすると芝居臭いなぁ、と。世間の関心を引く為の手口っぽく見えてしまうのだよ。「最初父が反対していたのに、その父が褒めている作品、面白そうだ」となるじゃない? まあ、私は見てから評価したいのであえてここでは何とも言わない。言わないけど、見る前の感想としてはなんだか面白そうには見えないぞ、と。何を根拠にそう言っているかは不明だが(笑) 予告編を見たくてサイトを探してみたけれど……この予告編イケてねぇ。私が見たかった予告編は、映画のシーンのダイジェストとともに、出演者のセリフが入っている臨場感のあるもの。公式サイトの予告編は、音声が全部主題歌で構成されている。映像は流れるのだけれど、キャラクターのセリフがないのでイマイチピンとこない。迫力がないというか、登場人物がこのシーンで何をやりたいのか、といった訴えてくるものがない。かなり前になるが、もののけ姫の予告編なんて思わずビデオに撮って何度も再生して見てしまったのに……。だから余計に「面白くなさそう」なのである。当然であるが、映画の良し悪しは予告編では決まらないので、見てみなきゃわかんない。だけれど、「よし見に行こう!」とならないのでつまらない、といっているのだ。多分一応見に行くけど……。
  さて、思案のしどころなのが、前回のハウルみたいに、原作を読んでから見に行くかどうか(笑) 前はこれやって、これのせいかどうか分からないけれど映画をボロクソに批評したんだよなぁ。ま、原作読んでなくてもあんまり変わらなかったように思うけど。今回、原作は……やはり小説で、またハウルと同じく海外作品である。海外作品の場合、翻訳者によってはとんでもない日本語を読まされるので、運が悪いと原作の読破が不可能(笑) まあ、とりあえず1冊買ってみればいいのだけれど(全6巻らしい)。
  しかし、ジブリ映画ってのは絵が変わり映えしないねぇ。変わればいいってものではないのだけれど。むしろここまで変わらないのも芸術的と言えるか?(笑) 絵もそうだけれど、予告編で見る限りキャラクターの動きも変わらない。ナウシカとかカリオストロの城とか、そのあたりと比べても似ている。実は昔にモーションキャプチャーの技術があって、同じのを延々転用してるんじゃないか、ってぐらいだ(笑) もうここまで来ると、セリフもどんな雰囲気か予想が付く。さっきキャラクターの声がないので云々かんぬん申し上げたが、実は脳内で勝手にイメージは作りあげた。どこかわざとらしい、どんなシーンでもどこかに冷静さの漂うジブリヴォイス(ただいま勝手に命名)。声優が変わっているはずなのにジブリ作品のセリフの雰囲気が変わらないのは、監督のカリスマ性によるものか? というか、誰起用しても一緒じゃないの?とさえ思えてしまう(なんだかやっぱボロクソだなぁ)。まあでも今回は、その監督が違う人なのであるいは。
  ま、映画公開までまだ少しあるので、それまでに決めたらいいや。


平成18年7月15日

  今度の月曜日は海の日。ということで、週刊少年ジャンプの来週号が今日発売になったようだ。電車の中でも読んでいる人がいた。さて、今日も鉄研の後輩と遊んで(?)いたのだが、阪大の中にあるコンビニで、レジの横にジャンプが平積みになっていた。ん〜、これってどうなんだろう。一応大学の中なのだから、漫画雑誌を売るのは遠慮したらどうか。もう大学生なんだから、学生が外から漫画を持ち込むことについてはうるさいことを言う時期は過ぎているだろうが、しかし大学の中で漫画雑誌を売るのはそれとは別問題。あくまで大学は学ぶところ。いくら学外の業者が商売してるからって、漫画雑誌置くのは遠慮させろよ。
  ――と思ったけど
よく考えたら、私が現役生の頃から生協で漫画雑誌売ってたような記憶がある(笑)
  ――とはいえ
これはやっぱりどうなのかな、と。俺が大学経営していたら、大学内の販売所では漫画は売らせない。学生が自分の判断で大学内に漫画を持ち込むのは、齢18を過ぎた人間の自分の責任だから何も問わないけど、大学側の人間としては大っぴらにそれを認めるわけにはいかないよ、と。拘って悪いが、仮にも学校と名の付く場所なんだから、守るべき線を越えては欲しくない。
  話は二転三転するが、大学生協では他にも勉学に関係ないものも売られている。生活上必要なものはともかく、それ以外ではCDだとか学術書以外の書籍や雑誌(鉄道雑誌も売っている)、お菓子関係、携帯電話すらあったんじゃないだろうか。漫画だけがどうして悪いのか、と言われると言葉に詰まる。授業中にこっそり漫画を読むけしからんやつがいる、と言ってみても授業中にこっそりiPodを聞くけしからんやつがいるかもしれない。授業中にこっそりポテチ……はないだろうけど、ガム噛んでるやつはいてもおかしくない。音楽は聴きながら勉強できる。食べ物もまた然り。では納得してくれませんよね。頭を使うと体が甘いものを欲するので、多少の糖分を補給しながらの勉強はいいとしても、音楽はちょっとどうかな。まあ、私は高校時代家で音楽聴きながら勉強してたけど。どうしてなんだろ、どうしてなんだろ、どうして漫画に対してこんなに偏見持ってるんだろ。断っておくが、私は漫画が嫌いじゃない――この侃侃諤諤読んでくださっている方なら分かるだろうけど、むしろ大好き。でも大学で売られているのを見るのは否定的。どうしてなんだろうねぇ。
  簡単に結論付けてしまうと、私の価値観が昔のままである、と。音楽を聴く、小説を読む、食べる、これらは文化的活動だけど「漫画を読む」は違う。どちらかというと漫画は退廃的なモノ。今はオタク文化が日本独自の文化として世界で認められるに至っているし、そうでなくても漫画雑誌はありふれたもので誰しも読んでいるものだ。ただ私は言いたい、その本質は変わらない、と。昔は漫画に対して否定的なイメージが強かった、現在はそのイメージが払拭されている。これは事実であろう。だがしかし、漫画を読むということの本質については何ら変化はない。あくまで、周囲の認識が変わっただけである。漫画を読む、ということが精神活動や文化活動の観点においてどうであるかは、周囲の認識に左右されない。そして、時間の経過で認識が正しいものになったのか、それとも悪いものになったのかは分からない。
  私は物事を考えるとき、なるべく両方の観点からの考察を入れることにしている。ある考えを支持するのか、否定するのか。難しいもので、必ず支持、否定ともにそれなりの根拠を持った考察が出来てしまう。ゆえに分からなくなる。自分でも支持していいのか否定していいのか分からない。で、今回は話の流れとして「漫画の認識」について、時代に逆行する方を書いてみる。
  漫画の比較対象として小説を挙げる。漫画と小説、ともに物語である。両者の違いは、文章と絵とどちらを主とするかである。漫画が絵と若干の文字、いくばくかの文章をもってストーリーを構成するのに対し、小説は文字からなる言葉を操り、文章を綴る。文字とは、様々な成り立ちがあるが、原初に遡れば象形文字――絵を簡略して記号化したものが発端となる。つまり、人類は絵から文字を作り出していったと考えられる。そこから文字を組み合わせ、様々な意味を持たせ、時代とともに移り変わり、言葉に「ニュアンス」を含ませていった。小説家は、己の表現したい世界を、取捨選択した言葉に託していく。読み手はそれを紐解き、作者の意図を心の中に再構成しながら物語の筋を追う。場合によっては、いや、多くの場合、登場人物の顔、姿、そして場面は読み手によって大きく変わるだろう。その個々人によって違う描かれた世界が、個々人の個性でもあり、人間ならではの精神的活動ではないか。一方で漫画は、既にイメージがある。作者によって完成されてしまったイメージだ。そんな固定されたイメージがある限り、誰もが一つの作品に対して同じイメージしか描き得ない。そこには読み手のオリジナリティ、個人差のの入り込む余地がない。読み手は、自分ならではの精神活動を成す機会を与えられないまま、作品の物語の流れに身を任せることしか出来ない。
  じゃあ音楽と食い物はどうなんだ、という問題にブチ当たった。しまった、そんな単語最初から入れるんじゃなかった。まあ、とりあえず今日は、漫画とそれ以外の書籍(小説だけだけど)についての差別化は表現できたので、よしとしよう。
  ああ、何度も断っておくけど、漫画好きだよ。でもね……ちょっと昔のことを思い出す。大学ぐらいのときに、友人がこういったんだよ。「サラリーマンが電車の中で少年誌を読んでいる、見ていてこれほど情けない姿もない」――そんな感じのことを言っていた。今、よく分かる。自分自身、仕事帰りのスーツ姿で漫画雑誌を読んでいたこともある。あるが今なら分かる。一歩退いて分かるその姿。自分が定期的に漫画雑誌を買って読んでいた頃は、親近感みたいなものがあったが、買わなくなった今はそれがなくなって真実の姿が見える。こらぁ情けないですわ。何で情けないんだろう。一つ、言えることは、猫背が頂けない。膝にB5版ぐらいのでっかい雑誌を広げ、上から覗き込む。いけませんな。しかも、相手が少年誌だと分が悪い。別に少年誌に載せてる漫画家の程度が低いとか言うつもりはないが、やはり少年向けと謳っている関係かやや内容が薄い。これはとある人の書いたものを読んでなるほど、と感じたことなのだが、少年漫画というのは擬音及び擬態語が多く、見た目に直感的に分かりやすい構成になっている。極端な話、絵本に毛が生えたものをサラリーマンが一生懸命わき目もふらず衆人環視の下で読み耽っていると考えてもらおうか。まあ、その絵本に毛が生えたものをまとめた単行本を私も定期的に買っているのですがね。
  ――うーん、ちょっと反省
人の振り見て我が振り直せってやつだ。やっぱり聡明なる紳士のフリをするなら、背筋を伸ばして右手に小説本を持ち、左手で顎をさすりながらフムフムと落ち着きと冷静さを持って、目的地までのわずかな空き時間を有意義に過ごしているかのように装うことであろう。
  今日の結論。「漫画は家の中で読め」。

  お、来週は"弟子ケン"21巻の発売日だっ!<今日の結論がどこかへすっ飛んだような発言


平成18年7月14日

歴史に残る負けっぷり

  あー、弱いなー。リーグ戦再開後にこのザマかよ。弱すぎる、恐ろしく弱すぎて頭痛が痛くて寝込んでしまいそうだぜ。
  ――え?
我等が弱小阪神タイガースの話ですよ。だって、ほら、巨人は今日で9連敗でしょ? その前は10連敗でしょ? 間で2戦やってるけど、その2戦は相手が阪神タイガースで、2連勝している。ほら、6月18日から今日まで、勝った相手が唯一阪神タイガース。見方を変えると、阪神はそんな勝ててない球団相手に2連敗、カード負け越しを喫しているのだ。なんて弱いんでしょう! ついでにいうと、きっちり巨人を他チーム同様三枚に下ろしていたら、今頃21連敗してるんですよ。ああ、つくずくもったいない。3つ勝ってたら球史に残る連敗をプレゼントできたのに。

  明日、朝からソフトボールしに行く。詳細はまた明日書くけど、"助っ人"として行きます。"助っ人"として参加するからには、チームを優勝に導いてみせます!
  ――え? そんなに風呂敷広げていいのかって?
活躍できたらそれはそれでいいし、活躍できなかったら侃侃諤諤のネタとしておいしいのでよしとしましょう。
  ちなみに、四番遊撃手を希望したら遊撃手の方は通った模様です。打順は当日にならないと分からないって。どうして遊撃手かというと、ボールが飛んできそうで楽しいじゃないですか。上手くこなせるかどうかは二の次ですよ(おいおい)。じゃ、朝が早いので寝ます。明日をお楽しみに。っていうか楽しみで楽しみで仕方がないから寝れるかどうか分かんないよ(笑)


平成18年7月13日

HOW TO USE DEATH NOTE

  最終巻発売の日にネタにしたけど、翌日気が付いたことがあってもう一回ネタにしようとして、でも他に書きたいことがあって先延ばしになっていたDEATH NOTE考察(笑) 最初の方で死神リュークが月にこう言ってたんだよね。
「お前が死んだ時…俺がおまえの名前を俺のノートに書くことになるが」
この後、例の天国にも地獄にも行けない発言が出る。例の、というのは、死神がいたりDEATH NOTEが存在する世界で天国も地獄も存在しないとかいうリアリティをさも当然かのように持ち出すな!と文句を言った件である(笑) で、第11巻のHOW TO USE IT LXIV(64?)にも、死神がノートを渡した人間の死が死んだのを確認した後、その名前をノートに書き込むような決まりがある(厳密に言うと、HOW TO USE ITってノートの性質、使い方であって、この64番は死神界のルールじゃない? 他にもそういうのがあるかもしれないけど、ここでは割愛(笑)) さて、最終巻で夜神月の最期はどうだったか。松田桃太に撃ち殺されたわけでもニアにノートに名前を書かれたからでもウィルス性の心臓病でもない(ウィルス性の心臓病でピンと来た方はすごい)。他ならぬリュークが月の名前を自分のノートに書いたのである。これって、変だよね。いや別に、書いちゃいけない決まりはないんだけど、月の名前を書くときにリュークは、このルールを持ち出している。リュークが1巻で月に説明したルール、11巻のHOU TO USEによれば、あくまで月が死んだときにリュークがノートに夜神月と書く義務が生じる。死んでないのにノートに名前を書いて殺した。ついでに言うと、そうやって殺した後、さらに月の名前をノートに書く必要性がありそうなんだが、そこのあたりはどうなってるんだろう?
  これを説明するのにいい方法がある。これが月やL、ニアとかの発言だったらかなり難解な思考を要するのだけれど、リュークで助かった。つまり、リュークは何か勘違いして月の名前を書くときに、「ノートの所有者が死んだ後、その名前を死神が書かなきゃいけない」ルールを口にしちゃったのだ。何がいいたいのかというと、リュークはそんなに頭が良くない(笑) あ、明日俺が心臓麻痺で死んだらリュークの怒りを買ったということね(笑) だから何か勘違いして、月の名前をノートに書く際に、ノートの所有者が死んだ場合のルールを説明しちゃったってことだ。
  辻褄としてはそれで合うんだけど……物語としてはヘボくないかな? 私はそう思うんだけど。"13冊目"のための伏線なのかもしれないけど、ま、それはないだろうなぁ。

  細かいところで、月の父、夜神総一郎が途中で死んでしまう。その前に死神と目の取引をしていたわけだが……あのタイミングで死ぬ、ということはつまり、元から寿命があまりなかったと言うことになる。目の取引をしていなかったとしても、その後長くないうちに何らかの事情で――月の作戦か事故かは分からないけど――死んでいたということになる。
  ところで、月が死んだ後、彼の家族はどうなったんだろう? 妥当な線では、捜査本部の人間が「月くんはキラと刺し違えて亡くなりました」ぐらいのことを伝えたぐらいだろう。まさか「月くんがキラで死神に殺されました」とは言わないでしょう。ミサは元・第二のキラだけれど、記憶を失っている(と、それぐらいはリュークがニアに説明するだろう)だから無罪放免。当然ミサにも、月=キラだったとは教えないだろう。で、気になるのがラストシーンのキラ崇拝者の女性。最初夜神粧裕かと思ったんだけど……ちょっと違う? キラ崇拝者という考え方をすればミサってのもあり(ミサはノートに関する記憶を失っており、月=キラだとは告げられていないとする)。月の死で性格が大人しくなって髪型を変えたとすれば……っていうか、実はその検証をしたかったのだけれど、姉に12巻貸して、返してもらうのを忘れているから今できないんですよ(笑) まあ、まったく赤の他人という線もある。夜神月の最期が結構みじめだったので、作者の慈悲かと。つまり、夜神月は最期、ちょっと壊れちゃって可哀想にも感じられるけど、月の考えに賛同して祈りを捧げてくれる人がいるんだよ、という。ま、12巻取り返してからもう一度見比べてみよう。あと、"13巻"に何か書かれているかもしれないから忘れずに買おう。


平成18年7月12日

  今年の観戦記録……ええと、5勝1敗かな? 金本が通算350号打ったり、藤川の連続無失点記録が途絶えたり、見所の多い試合だった。今日は広島打線が爆発(え?)。金本2本にシーツ1本ホームラン、これを"広島打線"と呼ばずして何と呼ぼう(笑)
  今日は鉄研の先輩Mさんと観戦していたのだが、Mさんはαマウントのデジカメをお持ちだ。ということで、持ってきてもらった(笑) α-7Digitalを買ってたような気がしたのだが、SweetDigitalだった。残念(笑) サンニッパに界王拳2倍……じゃなかった、テレコン2倍を付けて、APS-CサイズのCCDの分の画角の狭さを考慮すると、35mm版換算で900mmF5.6。超弩級の望遠レンズの出来上がりだ。手ぶれ補正も付いてるし、感度も途中で変えられる。やっぱ便利やなぁ〜。DiMAGE A1用に持ってた512MBのCFカードを持参したのだが、かなりの枚数が撮れる(JPG)。要らん画像消せるから失敗覚悟でいくらでも撮れる。
  ――ってアナタ、それは
デジタル普及の理由であり、好まれている理由であり、フィルムが淘汰されつつある理由であり、それより何より今更何を言ってるんですか。まあ、そんなこと分かってるよ! とうの昔から知ってるんだよ! 昔の徒然見たらそういうことがメリットだって延々と語られてるよ! 欲しいな、まで書いたよ! それでもあえてフィルムに固執してるんだよ! 未だに「デジタル使ってて写真の腕は上達しない」って主張してるんだよ! 「フィルムある限りフィルムで撮る!」宣言してるんだしょ!
  ――血圧上がりすぎたので少々お待ちください
あー、デジタル便利だなぁ。やっぱ欲しくなっちゃったなぁ。買おうかなぁ。でもα100はちょっとなぁ。α-7Digitalどっかに売ってないかなぁ。プレミア付いてそうだなぁ(レンズには付いているらしい)。んー。ま、デジタル買っても甲子園球場限定登板になるんですけどね。それだけ、スポーツ撮る時はデジタルのメリットを大きく感じるよ。そして、それ以外だとデジタルのデメリットが……というかそもそも、それ以外の時にはデジタルの良さを感じない私(笑) プロ野球観戦時限定で10ン万の投資……やっぱり高いよな。

  鉄道模型の近鉄特急製作、先日書いた新たな発見にひるんで手を止めると、また数ヶ月先送りになるので(笑)、意を決してパンタ台の移設作業開始。配管もいじらにゃならんのだが、そこをどうするかで一考。いじるのなら当然、金属線でフルパイピング、になるのだが、他車とのバランスを考えるとそれは"浮いて"しまう。そこで、セミパイピング(たった今出来た造語)を考えている。少し筋彫を入れて、そこに金属線を接着する。普通にパイピングすると、配管が少し浮いた感じになりそこがリアルなのだが、筋彫りしたところに半分埋めることであえてそのメリットを消し、他の車両と揃えるのだ。ただ、そうすると配管止めの表現が難しいしなぁ……うーん。


平成18年7月12日

  今日はとあるお食事会?に参加してました。ええと、またここのURLを知る人が一人増えてしまいました……こんな日は侃侃諤諤するのが非常に緊張します。ちょっとは真面目な話をしようかと思ったり。でも今日はもう原稿が出来てるんですね……遅くなることを考慮して、昼間に草稿仕上げちゃってるんです。どうしようかなぁ……ま、すぐに化けの皮は剥がれるし、そもそも次の日になったらそんなこと忘れていつもの調子で書いちゃうんですけどね!

ハチロク面白え

  今日は車の話です。またそのうち、蒸気機関車のハチロクの話もしまっさ。で、ええと……バトルギア4の話だ。ハチロク(AE86 スプリンタートレノ)のキーを作ったことは話してたかどうか忘れたが、ともかくセントレア1号車君との対戦を約束してた日にキーを忘れたか何かで、またまた作ってしまったのだよ。冷静に考えたら、そういう時はキーなしでプレイしたらいいだけの話のような気もしたんだけどね。で、ハチロクのキーを作った。でも、長いこと放置プレイ(笑) だってハチロク遅いから、ガレージに登録してチューニングしても仕方ないもん。って酷いなぁ。でも、せっかくだから何かしようと、ガレージに登録。でもってチューニング。エンジンをいじろうとして……
  ――ん?
載せ換えエンジンが3種類も用意されている!? 上から順に、5バルブエンジン、ターボエンジン、そして「既にチューン済みのコンプリートエンジン」というやつ。この最後のが怪しい。ぷんぷん匂う。「GR−A」という名前がそれっぽい。これ、豆腐屋のハチロクに載ってるエンジンじゃねぇのか? 早速購入。値段がどれもこれも馬鹿高いが、俺の貯めたポイントはそれ以上に馬鹿だから余裕で買える。買ってなお、あと10台ぐらいフルチューンできるよ(笑) でだ、このエンジン、「1万1千回転まできっちり回せ」(文太談)のエンジンだとそのままでは使えない。そう、追加でタコメーター(回転計)が必要のはず。なのでそちらもぬかりなく準備。そして試走。8000回転でシフトアップすると、予想どおりのもたつき具合(笑) しかしこれ……追加タコメーターの位置がやや見難いなぁ。まあ、バトルギア4の筐体は、エンジンの回転数がレッドゾーンに入ると点滅するランプがあるから、実はタコメーター追加しなくてもこのエンジン使えそうな気がする。でもまあ、やっぱり某頭文字がDの漫画読んでたら追加しないとね(笑) デフォルトの回転計は8000で張り付いたまま超初級コースを3周完走。遅い(笑) まあ、超初級コースはターボエンジンの方が速いでしょう。
  バトルギア3の時代は(やったことないけど)かなり某頭文字がDの漫画を意識していたと思われた。4になってそこのあたりが薄らいだなぁ、と思ったがこのハチロクを見てそんな思いは吹っ飛んだ。
  ――とはいうものの
ホンモノのハチロクって、エンジンの載せ換えがトレンドだったのかもしれない(車についてはド素人です)。だから某頭文字がDの漫画でもエンジンを載せ換えて、バトルギア4でもエンジンの載せ替えが可能、と。もし某頭文字がDの漫画意識してるなら、インテグラに後付けターボ、ランエボにはミスファイアリングシステム、FDにはシングルタービンも用意しとかないといけないよ。そもそも各車種最新型しかない時点でちょっと無理があるよね。

  ところで、近鉄特急車両の製作を再開したはいいが……今日いろいろと資料と模型のパーツをつき合わせていると、またとんでもないことが分かってしまった。キットの12400系や12200系と、改造で作ろうとしている12600系では、中間電動車のパンタグラフの位置が違うではないか! クーラーの大きさとそれに伴うヒューズ箱の位置が違うので、まだ屋根は車体に接着していない。これを幸いと見るか不幸と見るか。接着済みだったら「見なかったこと」にしてごまかせばいいのだが、まだ接着してないので修正できてしまう。パンタの位置を動かすということは、厳密には配管いじってパンタ台ずらしてランボードの場所までずらさなくてはいけない。これがどういうことかを簡潔に述べると、面倒だということに集約される(笑) んー、どうしようかなぁ。ま、頑張るしかないか。


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