▼ Book Review 2001.3

『暗黒街のハリー』 ジェイク・アーノット
『四年後の夏』 パトシリア・カーロン
『the TWELVE FORCES』 戸梶圭太
『D-ブリッジ・テープ』 沙藤一樹
『黒い仏』 殊能将之
『転落の道標』 ケント・ハリントン
『斧』 ドナルド・E・ウェストレイク
『サンクチュアリ』 ウィリアム・フォークナー
『そして粛清の扉を』 黒武洋
『午後の死』 シェリイ・スミス
『世界の終わりの物語』 パトリシア・ハイスミス
『ビッグ・タウン』 ダグ・J・スワンソン

※(ごく主観的な)評価は★5段階。

『暗黒街のハリー』 ★★★
ジェイク・アーノット/佐藤耕士訳/早川書房
The Long Firm/Jake Arnott(1999)

■ロンドンの裏社会に生きた架空のギャングをめぐる五編のオムニバス構成。この趣向はジェイムズ・エルロイのLA連作にひとりの「裏主人公」が存在していたのを想起させる。エルロイのまだ描いていない60年代のカウンター・カルチャー時代から語りはじめているのも、それなりの作為を感じなくはない。次作は「70-80年代の警察の腐敗を描いた」小説になるらしくて、さらにエルロイ度が増したりするんだろうか。エルロイの影響を受けた英国の若手作家ということで、『マンチェスター・フラッシュバック』のニコラス・ブリンコウあたりと近いのかなと思った。
■五人の語り手によるそれぞれの挿話は微妙につながっていたりするのだけど、それが果たして物語に多視点の厚みを与えるのに寄与しているかというと難しいところで、結局ただの断片の集合にとどまっている印象が強い。『パルプ・フィクション』的というか。個々の物語が特に上出来なわけでもなく、あまり刺激を受けるところのない小説だった。

(2001.3.31)


『四年後の夏』 ★★★
パトシリア・カーロン/扶桑社ミステリー文庫
The Souvenir/Patricia Carlon(1970)

■「合致しない証言」に焦点を絞ったパズラー的なミステリ。この作家ははじめて読んだのだけど(オーストラリアのサスペンス作家)、風変わりな趣向を手がたくまとめる職人作家のような印象で、ほかのも読んでみたい気になった。ふたりの容疑者の言い分が決定的に食い違う展開を扱ったミステリはたまにあるだろうけど(ヒラリー・ウォー『事件当夜は雨』の終盤などが思い浮かぶ)、このくらい小説全体でそれを押し通した作品は珍しいのではないか。本作はいくつか留保したい点もあったものの(後述)、適度に意外な真相も用意されていて全体的にはよくまとまっている。
■気になったのはまず、どちらの少女の主張が真相に近いのかという物語の焦点が、事実の問題というよりも「どちらの少女が邪悪か」の人格的な問題になりかけていること。この小説では本人の供述のほかには親や教師の証言しか紹介されず、少女の同世代のティーンエイジャーの視点はほとんど問題にされない。そちらの方面の描写に興味も自信もなかったためだろうけど(作者は発表当時50歳くらい)、こういう典型的な「大人から見た若者像」だけで人格を云々するのは少々苦しい。ただ最終的にはそこへ帰着するわけではないから、決定的な問題にはならずにすんでいるけれど。
■もうひとつ、本書の解決はたとえばジル・マゴーンの『騙し絵の檻』みたいなところがあって、意外な逆転劇というよりは、わざと検証をぼかした論点を突いているだけのような釈然としなさも残らないではない。まあ、『騙し絵の檻』みたいにそこを主眼にした構成ではないので、一応許容しうる範囲ではないかと思うところ。

(2001.3.31)


『the TWELVE FORCES』 ★★
戸梶圭太/角川書店(2000)

■この作家の小説を読むのははじめて。むやみな国際性といい唐突な大風呂敷ぶりといい、これは明らかに漫画の文法で書かれている(たとえば「五秒間のあいだに恋の妄想が暴走」てな場面は江川達也の『東京大学物語』からの引用だろう)。僕は一応「少年ジャンプ」世代の端くれなのでそれなりの適応力はあるつもりだったのだけど、その場の勢いだけで何の裏づけもなく突っ走るこの小説の書法にはどうもついていけなかった。次世紀の波にはだいぶ乗り遅れてるのかもしれないけど。
■奔放な筋書きのわりに世界観がけっこう窮屈で躍動感を削いでいるのも気になった。自然破壊で地球が滅びるとか、日本の政治は無策だとか。

(2001.3.24)


『D-ブリッジ・テープ』 ★★
沙藤一樹/角川ホラー文庫(1997)

『X雨』の作者の第一作。結局こけおどしに終始しているようであまりたいした話ではなかったけれど(やたら絶賛している高橋克彦の感動ぶりのほうが怖いくらい)、『X雨』でのメタフィクション指向は「テープの語りを流す」という形式ですでにあらわれている。物語の興味とは別に、このテープを何の目的で流しているのか、とかいったメタ段階の謎が最初から並行して読者をひっぱっていく構造なのもだいたい共通しているところ。ただそこを着地させるだけの発想は感じられなかった。

(2001.3.24)


『黒い仏』 ★★★
殊能将之/講談社ノベルス(2001)

■『ハサミ男』も『美濃牛』もさほど感心しなかったけれど、この作品も「ふうん」という感想で終わり。賛否両論の異色作として話題になったらしいけれども、横溝正史とミノタウロス伝説を貼り合わせた前作『美濃牛』の作風とさして変わりないように思う。あまり違和感をおぼえなかった。ただしこちらが某分野の予備知識を決定的に欠いているせいもあってか、『美濃牛』ほど全体の構成にそのミスマッチ狙いが織り込まれているようには感じられず。断片的なリーダビリティはさすがに備えていると思うけれど。
■ホラー的なガジェットのもとで探偵小説の意匠が無力化される、という発想の話はたまにあるけれど、概して短編向きの一発ネタのような気がする(逆にいえば、これで長編を支えるのはだいぶ工夫しないと苦しい)。この分野の傑作としてまっさきに思い浮かぶのは、山田風太郎の短編「蝋人」で、短編を読んであれだけ感動したのはめったにない体験だった。

(2001.3.24)


『転落の道標』 ★★
ケント・ハリントン/古沢嘉通訳/扶桑社ミステリー文庫
Dark Ride/Kent Harrington(1996)

■米国の地方都市を舞台にした犯罪小説。思いきり俗悪な筆致で、これはほんとにパルプ・ノワールと呼ぶのがふさわしい。冒頭にジム・トンプスンの『残酷な夜』からの引用が掲げてある。パルプ・ノワールの現代版といえそうなクェンティン・タランティーノの犯罪映画やジョン・リドリーの『ネヴァダの犬たち』あたりが、過去のノワールものを記号化したようなパロディ風味だったのとくらべると、この作家の態度はかなり「本気」に近い。それは貴重といえなくはないけれど、だからおもしろくなっているかというと難しいところで、興味深い箇所はあるものの全体的にはただ品がないだけにしか思えなかった。筋書きや文章の安易さも目につく。「夫の隠し財産」「悪役の登場」など、物語の転機になる出来事はどれも唐突でとってつけたようだし、「ジミーは勃起した。いや、これは勃起ではない。とジミーは悟る。それよりもずっと硬いものだ(痛いほど硬い)。鉄棒とコンクリートとワイヤーでできている」(p.70)「時を圧縮することが可能だったかのように過ぎていったこれまでの歳月――一年が三ナノ秒に等しかった」(p.93)などといったやたら陳腐な文章には辟易。ゴールデンボーイだった主人公をとりこにして道を踏み外させたらしいSMセックスの描写もえらく凡庸で、感心しなかった。
■それでも、たとえば主人公たちが病院で老人をだまして保険を契約させる、といったあたりのまったく同情の余地のない「人間の屑」ぶりを何の衒いもなく描写できるところなんかは突出していて、今後うまい題材を掘りおこせれば要注目かもしれない。田村義進訳で第二作も訳出されるようだし。

(2001.3.17)


『斧』 ★★★★
ドナルド・E・ウェストレイク/木村二良訳/文春文庫
The Ax/Donald E. Westlake(1997)

「人員削減ですね?」
「そうです」
「あちこちに広がっていますよ」
「あなたのところでは、そんなことはないでしょう」
彼は笑った。少し照れくさそうに。「ええ。犯罪はね」彼が言った。「成長産業ですからね」
「なぜでしょうね」わたしは言った。
(p.205)

■帯のうたう「パルプ・ノワール」というよりは、フレッド・カサック「連鎖反応」のリストラおやじ再就職版、といったかんじのブラックなクライム・サスペンス。何の特徴もない無個性な人物が次々と凶行を重ねていくという意味では、『シンプル・プラン』みたいな不気味さもある。
■ウェストレイクという作家は、どんな題材でも読者層に合わせて手がたくまとめあげる職人肌の娯楽作家という印象で、良くいえば抜群に器用、悪くいえばどれもさほど心に残らない。この作品も結局そんなかんじで、たとえばジム・トンプスンの犯罪小説みたいに「うわ、こいつやべえよ」ということには全然ならないのだけれど、でもこれはさすがに巧いなあと思った。ただ順番に殺していくだけでは単調な展開になるから、この小説は主人公の家族、妻と息子のどちらかといえば平凡でホームドラマ的な問題を適宜絡めながら進められる。そして、そのどちらの挿話も主人公の隠密行動を露顕させかねないサスペンスを生んでおり、さらに問題の発生した「原因」とそれを解決しようとする主人公の「動機」とが主筋の連続殺人ときっちり対応していて、この主人公のほとんど荒唐無稽な行動への橋渡しみたいな機能を果たしている。こういったサブプロットの扱いがさりげなく巧妙で、下手するとただの思いつきに終わりそうな着想をこれだけ読ませてしまうのは、やっぱり見事な手さばきだなと感心した。

(2001.3.11)


『サンクチュアリ』 ★★★
ウィリアム・フォークナー/加島祥造訳/新潮文庫
Sanctuary/William Faukner(1931)

「法律が君を守ってくれるさ。正義が。文明がね」(p.139)

■実はこれがフォークナー初体験。残念ながら本書はどのあたりがおもしろいのかよくわからなかった。訳文がどうも合わなかったせいかもしれないけれど。人称代名詞が誰を指しているのか追えなくなってしまうことがたびたびあったので。
■興味深かった点がふたつ。まず、この小説は明らかにミステリ的な構造をとっている。読者は起きた事件の経過について断片的な情報しかはじめは与えられず、話が進んでいくにつれてだんだんと全貌が見えてくる。特に、暗闇の場面でほぼ音声しか描写されない「不自由な叙述」があったのにはちょっと驚いた。訳者の解説は何のためらいもなくそのあたりを暴露してしまっていて、小説の構成に敬意を払わず主題の「文学性」のみをうんぬんするこういった態度は好きになれない。
■もうひとつ興味深いと思ったのは、人権・正義・理性の西欧的な文明を背負った弁護士(オクスフォード出身)が南部人民の非理性・暴力のまえにあえなく敗北する、といったような構図になっていること。そういう意味ではハメットやケイン、トンプスンらの粗暴な犯罪小説は、西欧的な価値観を超越した「自然」を題材にした初期の米国文学(『白鯨』とか)の流れを酌んだものといえるのかもしれないと思った。
■ちなみにこの作品はハドリー・チェイスの『ミス・ブランディッシの蘭』(1939)の元ネタではないかと思う。

(2001.3.11)


『そして粛清の扉を』 ★★
黒武洋/新潮社(2001)

■これは読むのがきつかった。諸兄の指摘するように無駄な漢字変換・アラビア数字がいちいちひっかかるせいもむろんあるけれど、全体的にいかにもTVの報道番組を見ながら思いつきました、といったかんじの陳腐な論点の連発でげんなり。地味な中年教師が突如不良少年たちを圧倒する戦闘能力の「ハイパー女教師」に変貌して、TV報道からそのまま抜き出してきたような「いまどきの凶悪な若者」たちを成敗しはじめたとしても、双方ともどうせ何の切実さもない紋切り型の絵空事なんだから、全然どうでもいいんじゃないの。これはカタルシスでもスキャンダルでもなんでもない。それでいて警察の対応や身代金交渉(さすがにいくつか興味深い点もあった)なんかは比較的リアルな路線で進めようとしているのが不釣合いな印象だった。
■たとえばベン・エルトンの『ポップコーン』みたいに、犯罪者がTVの言説の受け売りを連発すること自体が作品世界を象徴したものになっている、という態度の創作もありうるのだけれど、この小説にそのような工夫はほとんど感じられずじまい。あと、(これは単に近頃国産のミステリー/サスペンスをあまり読んでいなかったせいかもしれないけど)行動や描写で伝えるべき情報を地の文で解説しているのがやたら目について、なんだか三人称多視点の小説の書法になっていないのではないかと思えてしまった。

(2001.3.4)


『午後の死』 ★★★
シェリイ・スミス/山本俊子訳/ハヤカワ・ミステリ
An Afternoon to Kill/Shelly Smith(1953)

「こういうことを考えたことがおありかね」と老女はゆっくりと、やはり真剣な面持ちで言った。「言葉では正確に伝えることのできない真理がある、ということを。たとえば、一冊の本の全体を通してはじめて伝えることのできる真理、といったものね」(p.18)

■とても洒落た味わいのミステリ、という以外に紹介のしかたがないような気がする。冒頭と終盤がきちんと対応しているのが素敵。
■作中で語られる物語は、ちょっとフランシス・アイルズの『犯行以前』に似ていると思った。不美人の女がハンサムな青年から不審な求婚をされる筋書きや、はじめから読者に裏が読めるような隙をわざと見せているところなんかは共通している。

(2001.3.4)


『世界の終わりの物語』 ★★★★
パトリシア・ハイスミス/渋谷比佐子訳/扶桑社
Tales of Natural and Unnatural Catastrophes/Patricia Highsmith(1987)

■ハイスミス最後の短編集。解説の若島正も指摘しているように世相を意地悪に皮肉った「諧謔小説」のおもむきで、シニカルというよりは全編がほとんどむきだしの「悪意」に覆われている。世界へむけた放射能のような毒のすさまじさは、正直読んでいるこちらも困惑してしまうくらいで、特に後半の「見えない最期」あたりは、その痛烈なほとばしりがもはや小説の枠組みからもはみだしてしまっている。
■どれも「こんなの書いちゃっていいのか」的な話が揃っているなかで、個人的なベストは「自由万歳! ホワイトハウスでピクニック」になる(もう題名からしてとてもブラックそうだ)。この発想をあっさりと公民権運動の醜悪な戯画へと結びつけてしまう怖いものなしのセンスに脱帽。この短編も含めて、全体的にアメリカ的な思潮を風刺したような作品が多いのは、やっぱりこの人も(おそろしくひねくれた態度ではあれ)何らかのかたちでアメリカについて語らずにはおれない米国作家のひとりではあるのかな。

(2001.3.3)


『ビッグ・タウン』 ★★★
ダグ・J・スワンソン/黒原敏行訳/ハヤカワ文庫HM
Big Town/Doug J. Swanson(1994)

■ダラスを舞台にしたコメディ調のクライムもの。話の軸になる事件そのものは実にせこいのだけれど、そこに絡んでくる人物たちの曲者ぶりとか、それぞれが「何らかの事実を知らない」ために生じる意図のすれちがいだとかで話をややこしくしていく、といった系統の作風。基本的にだいたい好感を持てる路線で注目したいのだけれど、登場人物の突き抜けぶりや多視点構成の技巧なんかはまだ不徹底なかんじで、まあこれが一般的なペイパーバック流なのかな。結末もシリーズ化を見込んでいるせいか、いささか思いきりが足りなかった気がする。
■この作家はやけにキャッチフレーズづくりがうまいみたいで印象に残っている。たとえば冒頭の弁護士事務所の標語、

”まず訴えよ、しかるのち調査せよ”(p.11/H.P.B)

なんて小説全体の雰囲気を見事に代弁していると思うし、終盤で紹介される

”抜け出せない穴は、墓穴だけだ”(p.244)

との前向きな台詞もなかなか素敵だ。
(2001.3.3)


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