▼ Notes 2000.4

 http://www.geocities.co.jp/Bookend/1079/note2000_04.html#18
4/18 【作家の値うち】
■いまさらの感もありながら、福田和也の『作家の値うち』(飛鳥新社)を読んだ。 少々文章の粗いところとか、評価に政治的思惑を感じなくもない箇所なんかもあるけれど、「絶賛的紹介/内容のある批評/徹底的な罵倒」を使い分けてどれも (まあ、分量を考えても)ある程度こなしていて、それなりにおもしろい。評価のポイ ントは題名のとおり、おもに作家の「創作への姿勢」にあるようで、それは本書中最高級の評価を与えられている村上春樹への賛辞(=「何よりも特筆すべきは、その作家としての類い希な意欲であり、挑戦する姿勢であろう」(p.214))に、端的なかた ちで示されていると思う。
■ミステリ系の作家でわりと高く評価されている(採点で80点以上を与えられた作品がある)のは、綾辻行人、笠井潔、北方謙三、桐野夏生、島田荘司、花村萬月、宮部みゆき、山口雅也、連城三紀彦、といった面々。逆に世間の評価よりもあからさまに低い点数をつけられているのが、「評価外」の船戸与一をはじめ、藤原伊織、佐々木譲、真保裕一、馳星周など。
■作家評で、個人的に興味深かったものをいくつか挙げてみる。

■高村薫……特徴的なのは、動機の弱さであろう。「動機の薄弱」という現代ミステリーの弱点を象徴する作家が、高村であると言ってもいい。(p.174)

この点はたしかに僕もまえから気になっていたことで、でも従来あまり体系的には指摘されてこなかったのじゃないかと思う。高村の描く主人公たちはたいてい何か反社会的なことに手を染めるわけだけど、人物がその境地へと至ってしまう動機はいつも奇妙に欠落している。というか、一応説明はなされるのだけど(悪い女に惚れたからとか、部落差別がどうのとか)はっきり言ってあまり説得力を感じられない。たぶん作者自身も信じてないのじゃないか、と思わせるくらい。陰影を帯びた魅力的な人物を描く筆力は卓越しているだけに、これはとてもアンバランスな印象を与えるのだ。せっかくの厚みある人物たちに、ふさわしい動機を与えられないのだから。あまりに乖離しているためむしろそのあたりを「なかったこと」にして読み流してしまうこともできたりするのだけれど、少なくとも高村作品を個人的にあまり熱烈には支持できない理由のひとつは、やはりその「動機の弱さ」にあることは否めない。(それゆえに高村をひじょうに現代的な作家と評価することもできるかもしれないけれど)

■馳星周……(作中に氾濫する暴力は)それぞれが凄まじい「暴力」や「悪徳」の 記号として、これでもかという具合に激しく提示されるので、結局読者はテレビゲー ム的な中毒に陥ってしまい、無感覚にならざるをえない。(p.86)

暴力や悪徳の「記号」というのはたしかに同感。馳星周に関しては『不夜城』は構成が巧くて読ませたけれど、その後の作品にはあまり感心しない。ちなみに馳星周になくてジェイムズ・エルロイにあるものはいろいろ挙げられるだろうけど、そのひとつが「ユーモア」じゃないかと個人的には思っている。

■平野啓一郎……作品自体よりも、その意志と発意のほとんど訳のわからなさが何がしかの期待をもたせることは確かである。(p.196)

 ああ、なんか妙にわかる気がする……


 http://www.geocities.co.jp/Bookend/1079/note2000_04.html#15
4/15 【トラウマと責任】
青木みやさんの『永遠の仔』評でこちらの3/28の記述に少し反応があったので、補 足もかねてもう少し書いてみる。
■僕が『永遠の仔』的なトラウマの扱いを好きでないのは、ああいう物語がだいたい「人物<トラウマ」という図式になってしまいがちだからじゃないか、と思う。悲惨な幼児体験の傷がどれだけ深かったとしても、それは結局「人物の個性」を構成する背景要素のひとつにすぎないわけで、構図としては「トラウマ→人物→行動」という流れになるはず。中心にあるべき「人物」をすっとばして直接「トラウマ→行動」みたいに描かれてしまうと、どうも違和感を拭えない。まあ、このあたりの判断は微妙なところかもしれないけれど。
■たとえば個人的には、映画化もされたジェイムズ・エルロイの『LAコンフィデンシャル』に登場する刑事のバド・ホワイト(やはり凄惨な過去の記憶を有していて、女性を虐待する輩を目にすると我を失ってしまう)あたりには、あまりその種の違和感をおぼえなかった。それはやはり「トラウマ」をうわまわる「人物」の濃さがあるからなのかな、という気がする。
■まあ、僕の場合はもともと過去をひきずりすぎる話って基本的にあまり好きではないんだけど。たとえば『スリーパーズ』でも、きらめく少年時代の第1部は最高に良く書けてるのにそのあとがうっとおしいなあ、とか思ったのでした。


 http://www.geocities.co.jp/Bookend/1079/note2000_04.html#11
4/11 【5000と批評】
■5000hit達成の日だったみたい。といってもそのうち1/5くらいは自分で踏んでるんじゃないかって気もする。カウンタは一応の目安のつもりで置いてるだけで、累計数そのものにあんまり意味はないと思うのだけれど、まあなんというか記念ってことで。これまで来訪してくれたかたがたには、どうもありがとうございます。
■本日のひとこと。有里さんの本買い日誌(4/10)から。

何を書いても自分語りになっちゃう人と何書いても同じネタに行きつく人は、基本的に解説を書くのには向いていないと思います。読者は小説と小説の作者についての解説が読みたいんであって、解説者について知りたいわけじゃないんだから。

まあ、何にでも例外はあるだろうけど。
■僕はわりと寛容なつもりで、批評にはいろんな形のものがあっていいと考えるほうなのだけれど、作品論として意味のない批評はまず駄目なんじゃないかな、とは少なくとも思っている。たとえば笠井潔の評論は、作品への具体的な言及部分はなかなか悪くないし、たまに鋭くて感心する場合さえもある。でもその先の、20世紀型小説がうんたら……とか作品を「自分の持論」へ引き込んでその単なる補強材料におとしめてしまう論述は、概してとてもつまらないと思うのだ(しかも長いんだよな)。だから僕はそれなりに注目しながらも彼の文章はだいたい飛ばし読みしてしまうのだけど、そういう状況はいろんな意味で少々もったいないような気もしないではない。
■ついでにいえば笠井潔の評論活動でもうひとつ気になっているのは、とくに例の「大量死」がらみの論議はかえって、似たような論評をほかで書きにくい状況にしてしまったのかもしれない、ということ。たとえば「本格」にかぎらずハードボイルド系でも(ローレンス・ブロックとか)「大量死」的な分析がある程度有効そうな作家・作品というのはたくさんあると思うのだけど、なんかそのあたりの指摘は公の言論であまり目にしたおぼえがない。


 http://www.geocities.co.jp/Bookend/1079/note2000_04.html#05
4/5 【Lock, Stock & Two Smokin' Barrels】
■英国発のクライム・コメディ映画「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」をビデオ鑑賞。
■これは傑作だった。徹底してユーモラスな犯罪劇で、ひねりの効きまくった軽妙な脚本が抜群。登場人物たちがそれぞれ「何らかの事実を知らない」ゆえに話がややこしくなるのだけど、そんな各人の「勘違い」がどれも物語の展開するなかで見事なくらいきっちりと噛み合っていく。次々と場面の切り替わる「三人称」視点(神ならぬ観衆だけがすべてを知っている)が、うまいこと活きている構成。ならず者たちの交錯するはざまを、素人4人組がそうとは知らず軽やかに泳いでいくさまは、天然版『赤い収穫』みたいな趣きがあるようなないような。
■ブラウンがかった映像やロック系のBGMも心地よく、とても小粋な映画だった。人はけっこう死ぬけれども。
■監督で脚本も書いているガイ・リッチーは本作がデビュー作らしいけど、これはかなりの大物なんではなかろうか。(★★★★★)