FATAL MIND EVANGELION FANFICTION NOVEL
X-RATE GENESIS EVANGELION
Episode : X-RATE : 02-1
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蝋燭以外の光が部屋に侵入した。
音は伴わず一瞬の光だけ。
それは閃光。
訝しく思っている三人に答えを焦らすかの様に、音は遅れて到着してきた。
その暫く後、雨音と共に再び閃光はやってきた。
「ふふ…ウフフフ……アハハハハハ!」
やはり先にアスカを第一脳神経外科に連れて行った方が正解だったとシンジは今更ながらに後悔する。
だがアスカは遂にプチキレた訳でも無く、本人は至って正常域の中にあるらしい。
「な、な、なかなか洒落た演出じゃないの!怪談にはもってこいね!」
「今しているのはワイ談よ」
一人興奮する、否、興奮を散らすように叫ぶアスカに、間髪入れずに茶々を入れるレイ。レイも別な意味でこの場の雰囲気、炎の魅了によって変えられてしまっているのかもしれない。
「ま、まだするの?」
幾ばくかは落ち着きを取り戻してはいるものの、下着の中身で大変になっているものと、未だ止まらぬ鼻血の所為で、これ以上続けたら確実に貧血でなるだろうと分かってはいるものの、僅かなプライドがそれを許してくれず、結局そこから立ち去れない。
「碇君。怖いの?」
無意味に煽っている言葉だというのは十二分も承知だ。だが反射的に答えてしまう。
「こ、怖い訳無いだろ!?」
怒気を含ませたものの、説得力も覇気も無い。情けなく前屈みになっていれば至極当然である。
「い、い〜ぃ度胸じゃない、ファースト。後で泣きついてきたって知らないからね?」
「…余り甘く見ない事ね」
二人の視線がぶつかると同時に、閃光と轟音が殆ど間隔を無くして響き渡った。外界とを薄く遮断している窓ガラスが微震する。
その二人が暫く睨み合った後、二人同時にシンジの方に向き直った。どうやら勝負を押し進めるらしい。
シンジは少したじろぎ、その視線から逃れる様に目線を落とす。
そこには元調味料の缶。中には御神籤よろしく、王様ゲームと勘違いしそうな、ナンバーの振られたチープな割り箸が入っている。
残り二本。
遅かれ早かれ、その割り箸を手にしない事には、この場は終わらないのかもしれない。
震える手をゆっくりと筒の方へ伸ばす。
二本のどちらを引いても遅いか早いかだけの違いでしかない。そうと理解しつつも、やはり取る瞬間は極度の緊張状態に陥ってしまう。
目を瞑り、缶の中をまさぐりそれらしき感触を得る。
───こっち、否、こっちか
一本、引き上げる。
番号が書かれているであろう部分を二人から見えないように隠し、恐る恐るその箸を目の前に持ってきた。
そして震える手をゆっくりと開き、番号を確認する。
「……3、だ」
アスカは瞬時にその箸をシンジから引ったくり、鑑定するかのように番号を確認する。その後に彼女の口から出てきたのは呪詛の意味を含んだ小さな舌打ちだった。
その箸をシンジに投げ返し、筒を乱暴に持ち上げてひっくり返す。当然の様に出てきたのは、残る一本である「2」と書かれた割り箸だ。
「そう。アタシなのね」
憎々しく言い放つと、諦めたかのように大きく息を吐き、瞑想するかのように押し黙る。
外の雨は徐々に激しさを増し、雷鳴もそれに混じる。
レイは落ち着いている。
シンジは半ば何かを諦めようとしている。
次の瞬間、訪れた雷鳴と共にアスカの目は見開かれた。悟りを開いたのか、何かに取り憑かれたのか、どちらとも言えない表情。
「い、い、イクわよ?」
レイは小さく頷き、シンジは再び戦慄の濁飲で返事をした。
「それはある日、突然訪れる話よ……」
第弐夜・夜艶快談 〜惣流・アスカ・レングレーの場合〜 (前編)
「ごめんなさいごめんさい!赦して下さい!何でもします!だからっ!」
訳が分からなかった。
一ヶ月前に忽然と消え、本部も失踪から一週間経ってからまるで鍋でもひっくり返したかのように騒然となり、調査部を総動員しても消息が掴めなかったシンジが、昨夜、突然本部前に現れ保護されたのだ。
アスカはまだ陽も上ってない早朝に起こされ、半ば強引に本部に連れてこられ、その光景を目の当たりにさせられた。
白い壁。小さな入り口。白い室内灯。椅子すらも無い。
シンジは白いシャツに白い短パン。
これはまるで、否、精神病棟そのままだ。
「何が……あったのよ?」
「見た通りよ」
やや後ろに控えているミサトに小声で聞くが、起こされた時から変わらない険しい表情のまま、ミサトは冷たく答える。
彼女は脇の下辺りに手を入れたまま動かない。そこにスタンガンが潜めてあるのをアスカも知っている。
それだけ、この状況は異常を示しているらしい。
「…シンジ?」
「アスカ、出来るだけ柔らかく。お願い」
怪訝に問いかけようとしているアスカを、静かに、だが険しくミサトは諫める。
膝を抱え頭を埋め、それでも尚隠せない後頭部を守る様に腕で隠している。端から見ても、異常なくらいガタガタと震えているシンジ。
少し及び腰になってしまう。
ほんの一ヶ月前までは、本当にごく普通に、良くも悪くも普通に彼は生活していた筈だ。エヴァのパイロットという非日常的な枷があったとはいえ、その他では学校に行ったりクラスメートと談笑する、極々普通の学生だった筈。
その彼が、目の前で凶人扱いされている。否、アスカの目から見てもとても普通とは見えない。
情けない男、ウジウジしてて、ハッキリしない、どこか甘えている…そうは思っていても、ここまでの反応はしない筈だ。
「…シンジ…、シンジくん?」
ミサトに言われた通り、可能な限り柔らかく呼びかける。
だが彼は震えるばかりで答えない。僅かながら呪詛の様な彼の声が耳に触れる。
───赦して下さい、赦して下さい、赦して下さい…
無限ループのデータの様に繰り返されている言葉。
アスカは恐る恐る近づき、激しく上下している彼の肩に手を置こうとした瞬間、
「うわあああああぁあああああぁぁぁっ!!」
耳を切り裂く叫びと共に、まるで悪魔に追い掛けられているかの如く部屋の四隅に駆け抜け、再びそこに蹲った。
───お願いします、もう止めて下さい、もう止めて…
似た様な呪詛が繰り返される。
「無理矢理起こした理由、分かった?」
ミサトの言葉に、ただ頷くしか出来なかった。
●
「精神的肉体的虐待を長期間受けて居たのは明白ね。ただ不幸中の幸いなのは、麻薬物等使用の痕跡は残ってはいるものの、薬物依存や神経系破損等の影響は少ない様ね。失踪してから発見されるまでの約一ヶ月間、僅かな睡眠以外の約720時間、彼には連続して虐待が為されていた」
「七百……」
途方も無い数字に思える。
リツコは冷静を装ってはいるものの、やはり動揺しているらしい。ポケットに入れた左手は小刻みに震えている。
「左腕打撲、第四左肋骨に罅、同じく左外耳に炎症、両大腿部に無数のすり傷、動揺なものが胸部・腹部・背部にも。それに……」
言い辛そうにリツコは一旦止める。視線はミサトに注がれるが、そのミサトはそれを受けて座って聞いているアスカに向ける。リツコも同じくしてアスカに向けた。
「……いいわよ、続けて」
少しばかり溜息を吐いてから、疲れた様にその続きを伝える。
「口腔内損傷、歯の損傷率は22%。鼻孔内から不明薬品(現在調査中)を染みこませたガーゼルを摘出。肛門裂傷、直腸一部損傷及び部分炎症」
「もういいわ!」
大声でリツコの報告を遮る。
「それで…今は、今はどうなのよ?」
「身体的な部分は、適切では無いけど虐待中も治療していたらしい痕跡があったから、後1週間もすればある程度は何とかなるでしょう。けど…」
「問題は、精神面よね」
リツコの後にミサトが続ける。だが、その後に続ける言葉は無い。
検査するまでも無く、シンジの状態は明白だ。
更にリツコとミサトは、そうなった理由となるものを知っていた。アスカの目の前に置かれたモニターに、それは映し出されようとしている。まだ画面は沈黙したままだ。
「見る見ないは、自由に選択して構わないわ」
「場合に因っては、貴方をも精神汚染される危険もあるの。そこを理解して頂戴」
シンジの状態とリツコの報告。容易くは無いが、何となく何があったのかは想像出来る。
「このビデオはね、シンジ君が保護される時に、彼が左手に持たされていたものだそうよ」
そのまま唾棄するかのような勢いで、ミサトは言う。
正直、見たくは無い。見た所で解決の糸口など無いだろう。ミサトのように唾棄すべきものが写っているに違い無い。
だが、見ないと言う事はこの現実から目を背ける事になる。
「いいわよ、見せて」
なけなしの勇気を空回りの威勢に乗せて、短くそう答えた。
ミサトが少しばかり溜息を吐くと、諦めた様にリモコンのボタンを押した。
モニターが瞬き、
シンジの姿を
写し………
出した…
最初の数分は何とか耐えられた。
だが直ぐに耐えきれず、殆ど空になっている胃の中身を吐瀉する。
更に幾つか場面が切り替わりそれが写ると、
拒絶。
現実の否定。
●
気が付くと、少しだけ見慣れた風景が目に入る。
無味な天井と蛍光灯。
窓からは余り揺れる事の無い木漏れ日。
腕に僅かな痛み。
横に立て掛けてある点滴。
本部内にある病室だ。
「気が付いたのね」
驚きはしたが、まだ身体が上手く反応しない。アスカは気怠そうにその声の主へと向く。
レイは読んでいた本を閉じ、改まる様に脚を揃えて身体ごとアスカの顔の方に向き直った。
「ファースト、アンタも見たの?」
「見たわ」
「……そう」
不本意にも見た内容はまだ覚えている。結局最後まで見る事は無かったものの、記憶に残っている部分を思い出すだけでも気が狂いそうになる。
それをシンジは、現実として体験させられていたのだ。
到底信じられない。映像だけであれば、悪趣味極まり無いと焼き捨ててしまえばそれで終わりだが、シンジのあの反応や身体は、作り物ではない事を嫌な程示している。
「アナタは、どうするの?」
「どうする?」
「そう。これからの事」
「……これから?」
一瞬、レイが何を言っているのかがアスカには理解出来なかった。
「以前の碇君はもう居ない」
「………止めて…」
「碇君はもう元には戻らない」
「…止めて」
「碇君は壊されてしまった」
「止めてよっ!」
起きあがり、レイの制服を鷲掴みして引き寄せる。弾みで点滴針は外れ、チューブごとコトリと床に落ちる。
「アナタはどうするの?」
同じ質問が繰り返される。
レイの表情は何時もと同じだ。その紅い瞳以外。
「アナタがやらなければ、私がやる」
「…何をよ?」
「碇君を助ける」
「……どうやってよ…。あんな風になったシンジをどうやって助けるのよ!?」
「分からない…」
「…」
「でも、アナタも碇君を棄てるなら、私が碇君を助ける」
「アナタも棄てる、ってどういう意味よ?」
「…碇司令は、初号機のコアの書き換えを命令したわ」
意味を飲み込むまで時間が掛かった。
つまり、レイの言う通り、シンジは棄てられるのだ。
───組織に、父親に。
あの様な状態では普通の生活すら望めないだろう。
───日常にも、生活にも、学校の仲間からも。
ミサトも組織の人間だし、場合によっては命令に従わざる得ないだろう。
───ミサトにも…。
「アンタに…」
遣り場の無い怒りが、腕に集中する。
レイの首を締め上げるように彼女の顔を自分に引き寄せた。
「アンタにシンジは渡さないわ」
●
「アスカ…私は…」
「いいわよ、大人の事情ってヤツでしょ。アタシにもそれくらい分かるわ。別に恨んでなんか無いわよ」
だが、その後に続ける筈の「逆に感謝してるくらいよ」と言う言葉は、流石に言えなかった。
ミサトは色々と手を回して環境を整えてくれたし、金銭部分の問題も加持と協力して何とかなる算段を付けてくれた。だから感謝はしている。
だが、結局、シンジを見捨てている事には代わり無い。
最悪はレイと結託して、とも考えたが、レイと司令の親密度の事を考えると、そして何よりアスカ本人の中でそれは“許されない”事でもあった。
結局、守られる物は無くし、不本意にも自分が望んでいた通り、“独りで生きる”嵌めになった。
頼れるのは自分だけ。
この一週間、半ば疎まれながらもリツコに色々と聞き、必要だろうと思われる情報を集め、無駄に理屈ばかり並べている本を読み、結果、得られるものは微塵ではあったが、何も無いよりはマシと言う程度までの準備はしたつもりだ。
理論と実践はイコールでは無い事を知っている。寧ろ、限りなく平行線に近い交わらぬものだ。
シンジを引き取らなければならない理由など、本当は無い。組織と同じ選択をし、彼を見限ってしまっても良かったのだ。
人道的な問題こそあれ、社会的にはミサトの様な選択の方が正しい。人の持つ正義なんてものは、都合の良い様に書き換えられるものだ。
アスカはシンジが、寧ろ嫌いだった。今でもそんなに好きな人では無い。
卑屈で、自閉的で、逃避する事からすら逃げていくような彼を好きにはなれなかった。
その彼を引き取るのは、何も人道的根拠がある訳じゃない。
純粋に許せかった。
何がと言う訳でもなく、どちらかと言うと今となっては何もかもがだ。
復讐すら考える。
だが、今はもうすぐ訪れるだろう困難に立ち向かわなければならない。
「付き添いなんかしないでね」
邪魔者を吹っ切る様に背を向けて歩き出す。
ミサトがどんな表情で自分の背中を見てるのかすら、頭の外に追いやってしまう。
───偽善者
完全に独りになった頃、散々迷った挙げ句、アスカは口の中に堪った唾を道路に投げつけた。
用意されていたのは第三新東京市から少し離れた街、更にその街の外れにある、小さな4階建てマンションだった。聞いた話では管理人も居らず、他の住民も居ないらしい。
そのマンションの前に黒塗りのセダンが止まっている。
車のカラーと同じ服とサングラスのネルフの職員も一緒だ。
「赤木博士からです」
手渡されたジェラルミンケースの中には、数枚の書類と幾つかのアンプル、医療具等が詰められていた。
「“元”初号機パイロットは既に部屋に搬送済みです」
「あっそ」
受け取ったケースを肩に掛け、それ以上黒服を視界に入れる事はせずに、目的の部屋へと向かう。
───人類を守るエヴァパイロットを、今や物扱いとはね。明日に人類が滅びても不思議じゃないわね
ドアの前までは意気込んで来たものの、いざドアを開けるとなるとかなりの勇気を振り絞らねばならなかった。
この指をあと少し前に進め、ボタンを押したらもう後戻り出来ないのだ。
───い、今更、何を
戸惑った所で後戻りは出来ない。だが、この先にあるものは自分にとっても恐怖、もしかしたら狂気の世界かもしれない。自我さえ保てるかどうかも分からないのだ。
下手をすれば、自分自身も気が触れてしまい、今度は自分がより直接的にシンジを棄ててしまう場合もあるかもしれないのだ。
───後は無いのよ…い、今迄だって、そうだったじゃない!
ドアは
開かれた。
だが意気込みは僅かな肩透かしに因って四散してしまう。
どこかで見た様な内装。
否、ミサトの家そのままだった。
そして更には奥の方から、匂いと共に聞き慣れた音がしてくる。
TVの音。何かが焼けるような匂い。食べ物の匂い。何か陶器か金属が合わさるような小さな音。
靴を脱ぎ恐る恐る玄関からダイニングへと足を運ぶ。
───な、何?何なの?
覗きこんだキッチンには、まるで何事も無かったかのようにシンジが料理していた。
思わず荷物を床に落としてしまう。
その音に気付いたのか、シンジは首を傾げながら振り向いた。
「あ、アスカお帰り。ごめん、気が付かなかったよ」
一瞬、本気で時間が巻き戻されたのかとも思った。
シンジは少しだけアスカを見た後、何時もの様に料理へと没頭し始める。
───何よ、これは?
慌ててリビングへと走り、カーテンを開けて外を確認する。
地面は近い。ここはミサトの“本当”のマンションでは無く、“新たに作られた”ミサトのマンションだ。
ミサトの部屋を見てみる。何も無い。
シンジの部屋を見てみる。“本物”と一緒だ。自分の部屋も同じ。
アスカはもう一度荷物の所に戻り、浚う様にそれらを拾い上げると、慌ただしく自分の部屋へと閉じ籠もった。
リツコから預かったケースを乱暴に開き、中にある書類を拾い上げる。
3枚とも処方箋や使用の注意といった事務的なものだった。だが、その書類の間から一枚のメモ書きが膝の上に落ちてきた。
拾い上げてそれを読む。リツコの直筆で書かれたメモだった。
───余計なお世話でしょうけど、いきなりの対応は難しいでしょうから、シンジ君の表層記憶を一時的に“刷り込み”ました。刷り込んだのは貴方達の日常です、ですがそこにはネルフもミサトも居ません。そして、あくまでも一時的なものなので、何かを切っ掛けにしてそれは剥がれ落ちるでしょう。その時までの猶予を有効に使って下さい。医薬品の補給は下記まで。
一気に脱力する。
そして次に沸いてきたのは、僅かな怒りと乾いた笑いだった。
「…何処まで人を弄ぶのかしら。ホント、下らない連中ね」
声に出さずには居られなかった。
だが、僅かばかりリツコに感謝したい気持ちもある。
一応、忠告には従っておこうと思った。
●
目の前にあるオムライスに、ケチャップでは無く自分の涙を塗りたくなる衝動に駆られる。
一時的に封印されたとは言え、酷い目に遭わされたシンジが作ったオムライスの味は、変わらぬままだった。
我慢に我慢を重ねてみたものの、限界を超えた僅かな部分が涙となって出てしまう。
「あ、ごめん、辛かった?味付けにキムチをライスに刻み込んでみたんだけど…少な目にしたんだけどね」
「固まりが入ってたわよ!馬鹿っ!」
出来るだけ一ヶ月前と変わらない返答をしたつもりだ。
実の所は美味かった。何時も食べていた夕食よりも、今日のは狙った様に美味かった。
それだけに、涙が止まらない。
その涙は、食事を終えてシンジが後片付けをしている間に、自分の部屋で枯れるまで出した。
今更ながらにこんなにも自分が泣くとは、自分自身信じられなかった。
自分自身の為にも、もう泣かないと決めていたのに、今はそれを忘れたかの様にボロボロと涙が出てくる。
───キライだった筈なのに、どうして…
何もかも忘れたさっきのシンジの顔が過ぎり…また一絞りの涙。
彼は異常を忘れ、彼女は日常を忘れた。
いざ普段の自分をそのまま再現しようとすると、難しいものがある。日常のその殆どは半ば無意識や勢いのままであり、深く考えてする事では無い。
その気ままな行動を自分自身でトレースするには、僅かに残っている自分の記憶だけが頼りだ。しかもその記憶は所々歪んでいたりもする。
ファッション雑誌に重ねて読んでいる精神医学書の文字を追い掛けてはいるが、さっぱり頭に入らずページが進まない。
シンジは今風呂に入っている。
アスカは風呂から出てきた後の展開予想で頭が一杯になってしまっていた。
普段、シンジはどうしていたか、どういう事を話しかけてきたりしたか……。
当初不本意ではあったが、長くないとは言えシンジと一緒に住んでいた筈である。それなのに彼が普段何をしていたかを思い出そうとしても出てこない。
───アタシ、アイツの事何も知らないじゃないの!
知ろうともしてなかった事は否定出来ない。知らない事は思い出せない。
その時、浴室のカーテンが開けられる音が聞こえてきた。
慌てて読んでいた本をクッションの下に隠し、ファッション雑誌のページを適当にめくる。
出来るだけ平常を装い、振り向かずに背中越しに声を掛けた。
「早かったわね」
「うん、まだちょっと傷が痛むからね」
心臓が跳ね上がる。
「自転車で転んだだけで、こんなになるとは思っても見なかったよ」
「あ、アンタらしいわね……」
思わず雑誌を握りしめる。
理由付けにするならもっとマシなものがあるだろうと、瞬間リツコを恨んだ。言った通りシンジらしいといえばそうだが…。
早鐘を打っている心臓は、またしても肩透かしを喰らい、徐々に落ち着きを取り戻していく。
だが、それも束の間だった。
「ご、ごめん、アスカ…きょ、今日も…」
カーテンから顔を出しているだけのシンジ。どうやらまだ服には着替えて無いらしい。
話掛けるならせめて着替えてからのして欲しいと言う僅かな苛立ちは、シンジの語尾にかかった言葉に気を取られ消えてしまう。
「…今日も?何の事よ」
「えっと…その…昨日と同じなんだけど…」
「昨日?」
当然ながらアスカはシンジの持つ“昨日”は存在しない。アスカ自体にそれは存在していない。アスカにあるのは言い訳がましく何かを言っていたミサトの姿だけだ。
そんなミサトの姿さえも消えるくらいに、シンジが続けた言葉は突拍子も無い事だった。
「ざ、座薬を……」
「座薬ぅ!?」
「そ、そうだよ…ほ、ほら昨日も…まぁ、色々言われたけど、やって貰ったから…」
「アタシが!?」
「う、うん……一人じゃ出来ないし…医者からもそう、言われてるし……」
確かにリツコから、直腸に至るまでの損傷がある事は報告で聞いた覚えがあるし、そう簡単に完治するもでは無い事も何となく分かる。
だが、その処方を自分自身が行うとは思っても見なかった。自分の考えが非常に甘かったとしか言えない事を実感させられる。
例えシンジが一時的に“普通”な状態になっていたとしても、彼は紛いも無く病人である事には違い無い。
自分にあるのは僅かな知識だけ。素人も良い所だ。
急激に自身が薄れていくと同時に、シンジの懇願するような顔に、もう後がないと言う事を知らされる。
「……そ、そう言えば、そ、そうだったわ、ね……。少し待ってなさい」
何とか絞り出せた言葉は、その程度だった。
慌てて自室に戻り、ケースの中身を引っ掻き回す。
理論と実践が異なる事は良く分かっている。そして何事も初めが肝心と言う事もだ。
浴室の電灯を消しても、そこは完全に暗闇にはならない。ダイニングから差し込んでいくる僅かな灯りが、二人の輪郭を薄っすらと浮かび上がらせている。
「な、慣れてないから、す、少し痛くても我慢しなさいよ」
「う、うん……」
手の震えが止まらない。
何も手術をする訳でも無い。そうとうヘマな事をしない限り命に関わる程の事も無いだろう。
この小さなカプセルを直腸へと投薬すればいいのだ。
シンジは既に浴槽の縁に手を掛けて、アスカの方に臀部を晒け出している。アスカもラテックスグローブを装着し、後は処方するだけだ。
普通にやれば、ものの数分も掛からずに終わるだろう。だが、その数分を始める為に、アスカは多大なる勇気を振り絞らなければならなかった。
「い、い、行くわよ」
「待って。それを……」
シンジが指差した先には半透明らしき容器が置かれていた。
「昨日も、それ忘れてたから…」
その容器を拾い上げ、僅かな光の方に翳して中身を見てみる。ラベルも何も無いさほど大きくない液体容器。軽く傾けると中の液体はゆっくりとした速度で傾きに追い掛けていく。
どうやら、処方の部分に書かれていた“ローション”らしい。潤滑液。
アスカは妙に納得し、深呼吸した。
そしてシンジの臀部の前にしゃがみ、ローションを手に落としていく。
もう一方の手で、思ったよりも小振りなシンジの尻にやや驚きつつ、空いている手で恐る恐る触る。
ゴム越しの感触は妙なものだった。シンジも同じなのか、少しだけ身体が微震する。
そして目的の挿入部分を出す為に、ゆっくりと外に広げた。
そのまま震える指で、そこから滴っているローションを肛門へと塗り始める。
「…んっ…!」
シンジの漏れるような声が耳をざわつかせる。
同時に妙な感覚に捕らわれた。まるで自分がシンジを犯そうとしてるかのような。更には性別が逆転しているようなものまで……瞬間的に脳裏に過ぎる。
───違う、これは治療なのよ
そう言い聞かせてみるものの、この妙な興奮じみたものは徐々に増していく。
アスカは作業を急ごうとした。このままではこの妙な感覚に捕らわれてしまうと思ったからだ。
焦りとかなりの躊躇の所為で殆どのローションは垂れ落ちてしまっていた。慌ててローションを足そうと、もう一度容器から零れ落とす。
暗闇で遠近感覚がおかしくなっていたのか、容器を置いて再び肛門に塗ろうと手を上げたら、そこはシンジの下腹部辺りだったらしい。
何かが手に当たる。
「あ、アスカ、そこ違」
「わ、わ、分かってるわよバカ!」
当たった。シンジのものが当たった。何故かそこは鮮明に理解出来た。しかも、それは堅くなっていたというのも分かってしまった。
───ま、まさか、ね
だが否定し難い。自分でさえこの妙な雰囲気に包まれているのだ。されている本人としては、ある程度興奮しても仕方無い事だろう。
もし自分が逆の立場だったなら……。
そこまでで思考を無理矢理停止させた。
───何考えてるのよ、アタシは…
もう一度、出来るだけ柔らかくシンジの臀部を開き、ゆっくりとローションを塗っていく。
ダイニングのテーブルに突っ伏す。そこから暫く動けないくらい脱力した。
後の事はがむしゃらの一言のみで表せる。自分がどうやったのかさえ殆ど覚えていない。
残っているのは、耳に触れる様なシンジの漏らした声だ。
少し痛くさせた事に罪悪感はあるものの、それよりもその痛さで“元のシンジ”に戻らなかった事に安心した。
あの状況で戻られたら、多分対処は出来なかっただろう。
「ごめん、アスカ……」
「悪いと思ったら、早く完治させなさい、よね」
半ば息切れ切れに気怠そうに答える。
取り敢えず、今日の峠は越えたと思いたい。
かなりの疲労もあり、取り敢えずシンジの前から逃げたかった。
「先、寝るわね」
「あ、うん。おやすみ」
ゆっくりと椅子から立ち上がり、足を引きずる様に一歩出た所でアスカは違和感に気付き、シンジに怪訝に思われないくらいの早足で部屋に戻った。
出来るだけ部屋の襖を静かに閉じて、ゆっくりと視線を落とす。
そしてシンジに触れる時と同様に、震える手でゆっくりと自分の下腹部に触れてみた。
───なんで濡れてるのよ、アタシ
EPISODE:X-RATE:02-1 Nightmare Story - Restracted by Asuka
二日目、三日目はさほど問題無く過ごせた。
投薬、問題の座薬挿入、注射も無針注射器のお陰で不慣れながらも一般医療による治療は出来た。僅かながら、アスカにも自信地味たものは付いてきた。
だが、やはり変化は訪れるものだ。恒久的平穏と言うものは、時が存在している間は無いものだろう。
リツコの刷り込みに因るものかどうかは分からないが、シンジは家から外出する事は無かった。食材等は宅配されている。アスカ自身は気分転換に外の空気を吸いに出かけたりしていたのだが、シンジはずっと家に居た。
自主的な軟禁状態だ。
アスカはその部分に何か引っ掛かるものを感じ取ってはいたが、それは明確な形にならず、もやもやと心の中に霧立っているだけだ。
ただ、家に居てもやる事が無い。
特にシンジは無意識にエヴァに乗っていた時の多忙さの裏返しか、時間を持て余していると言うのがあからさまに態度に出ている。
「アスカ、お帰り!さっき宅配食品届いたんだけど、なんか海鮮物が多かったんだ。今日は鍋にしようか?」
確かにTVを見るか本を読むかくらいしか家でする事は無い。アスカ自身も時間の使い方に時折悩む事もあった。
だが、シンジのこの様な態度は時間を持て余しているだけでは無い気がする。
「アスカ、トランプしよっか?」
積極的に話しかけてくるシンジ。以前からは想像すら出来なかった彼の姿。
必要以上の事で会話をする事が皆無だったレイと同じとまでは行かないが、それでも以前のシンジは、基本的に自分から他人に話しかける事は希だった。
「ねぇ、アスカ」
たった一度でも僅かに角度が違えば、それは加速度的に違うものへと変化していく。
「アスカ、何か手伝う事無いかな?」
「ねぇ、アスカ…」
「何でもするから。ねぇ、アスカ」
また、可逆的な事象も、有り得ない。
「じゃぁ……」
それは何の考慮も無く発せられた、質の悪い冗談になる筈だった。
「アタシの足でも舐めてたら?」
まとわりつくようなシンジに戸惑いと苛立ちを感じていた。僅かな違和感は苛立ちに含まれ、勢いとは言え、自分でも馬鹿な事を口走ったと思った。
「……はい」
そのシンジの返事を聞いた瞬間、大きな間違いを犯したと自分でも分かった。
「え?ちょっ!?」
クッションを抱え俯せになって本を読んでいたアスカの足下にシンジはゆっくりと顔を近付け、軽く足首を両手で包むように支えると、恐る恐る親指に舌を当てた。
「ば、馬鹿!止めなさいよ!わ、悪かったわ、冗談よ!?」
シンジは止める事無く、親指の表から裏へと舌の先端で弧を描いてから、摘むように口の中に含んだ。口の中で指の腹を撫でる様に舐ると、一旦口を離し隣りの指へ。
「シンジ!止めて!」
「お願い、させてよ、させて下さい。でなきゃ、狂いそうなんだ……」
思考が凍る。
一体何が彼をこうさせてしまったのかは考えるまでもない。だが、それを目の当たりにしてしまうと、言葉すら出てこなくなる。
最悪にも切っ掛けを作ってしまったのは自分。
まだ完全に“刷り込み”が堕ちてしまった様子では無いらしいが、何の気休めにもならない。その一部が剥がれていき始めたのは明白だ。
アスカは戦慄する。
それはまるで、穴に突き落とされる瞬間、スローモーションになり、自分の背後にある暗闇に飲み込まれるかのような感覚。
その感覚は、足下から別の感覚と共に這い上がってくる。
ふと我に返ると、見なくても自分の足がシンジの唾液に濡らされているのに気付く。
「シンジ!?」
身を捩り、足を離そうとするが、意外にも強い力でシンジに足首を捉えられている。
シンジは無心に、ただひたすらに、大事そうに、アスカの足を舐っている。
その光景にもだが、また別の事でもアスカは呆気に取られる。
足首を今捉えているのは片手だ。もう一方の彼の手は彼自身の一部に伸ばされている。
その手の動きは、彼が何をしているのか、想像するまでもなく明白だ。
「ごめん、ごめんなさい、ごめんなさい……我慢、出来ない、んです…」
言葉だけでなく何もかもを見失う。
足からはくすぐったさとはまた違う感覚が駆け上る。
彼が彼自身をに触れている手の方は影になって見えないが、想像となって脳裏に写る。
シンジの熱い息と唾液が足にまみれる。
浴室で僅かばかりに聞こえていたシンジの零れる声が繰り返し耳に触る。
そして、自分の部屋に戻り焦りながら確認した様に……
───また、濡れてる……
それも、触れるまでも無く分かるくらいに。
興奮している。
自分の足を舐められ、彼の自慰の姿を見て。
欲望がじわじわと自分の下着を穢していく。
震える手が、無意識に下がっていく。
───それは、駄目!
シンジの息が加速度的に荒くなり足にこびりつく。手の動きも早くなっていってる。
アスカの手は、見えない空気の濁流に押されながらも抵抗しているが、確実に、徐々に、下腹部へと近付いていく。
「アスカ、アスカ……」
彼は自分の裸を見ている訳でも無い。自分の恥部を触っている訳でもない。
足を舐っている、ただそれだけで、端からみても異常な程興奮している。
それは逆に、自分の足ですら性器ようになってしまっているように錯覚してしまう。否、性的な快楽の源は、そこから来ている。
もしこれが、今触れるのを躊躇している自分の所だったらどうなるのだろう?
彼は本当に気が狂ってしまうかもしれない。自分ですら、同じ様に気が触れるのでは無いだろうか?
「シン…ジ…」
倒錯している、まったく倒錯している。
だがそれが、一層の興奮を掻き立ててるという証拠が、今また自分の中から溢れ出している。
堪らなく
───気持ち…いい……
彼の姿が狂おしく
───シンジ……
愛らしい。
「アスカ…ぁつぅ!」
声を殺し叫ぶシンジ。
滴の群が絞り出される様な音が明確に聞こえた。
彼は硬直し、震え、アスカの足を縋るように頬に据えている。
やがて脱力し、足首から手が滑り堕ちた。
シンジの息はまだ荒い。整えようとしているのか時折止まる。
アスカは、
何故か泣いていた。
自分でも理由が分からず、涙を零している。
そして逃げた。
自分の部屋に駈けていった。
ベッドに潜り、シーツを頭から被った。
分からない。何もかもが分からなくなった。
今事実としてあるのは、
唾液にまみれた足と、
この熱と疼き。
そこに手を伸ばした瞬間、
溶けた。
欲望に。
自慰をした。
シンジの行いを反芻して。
つづく
中書き
この話を形成するに辺り、参照にさせて頂いた文献があります。
2ちゃんねる内掲示板スレッド、☆☆ エヴァのエロ小説 第六章 ☆☆の418氏、427氏
更にその話題元となった、
サイト「ヱヴァンジェル書院文庫(藁」(※)内コンテンツ「調教記録」(著Crowin氏)
上記二つの情報を参照し、生成されたのが当作品となります。
お三方に多大なる感謝を致します。
ぶっちゃけ、半分以上ネタパクリです。すんまんせん、ごめんなさい…
Writin' by Kanna Touru
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