Back Seat

Original text:引き気味


17

闇の中に鮮明に、抜けるような白い肌の裸体が浮かんでいる。
今まさに花開かんとしている蕾の年頃の少女の、惜しげもなく晒された全裸姿だ。

妖精のようにしなやかに伸びる手も足も、だらりと宙に投げ出されている。
腕は、ツンと赤い果実の先端を上向きにさせて膨らむ成熟寸前のバストを隠してはいない。
脚はその太腿の付け根が露となっているのも気に留めぬ様子で、細くくびれた腰からの見事な脚線美をつま先まで一直線に垂らして示している。
なぞるように吸い込まれる視線が、どうしてもそのラインを追い登って、密やかな恥毛の翳りを宿す下腹の丘に向かってしまう。
そこでうっすらと縦に開いた繊細なかたちが周囲のシルクの肌に赤く映えて色付いて、そして何故か一目で男のあの道具から吐き出されたものだと分かる濁りを内から滴らせている―― ショッキングな光景に辿り着く。

何かとても居た堪れない気持ちが沸き起こって目を起こすと、熱にうなされたような潤んだ瞳が、サファイアの色で自分を見つめているのだ。
その少女が自分にとってとても大切な彼女だったと知って、あああと悲鳴を上げる。
そうしてシンジは、これが悪夢の形作った眺めであったと気付くのだった。

「俺って……」

ぽつりと漏らす。最低だ、と。

その類の夢は今日が初めてではなかった。
絶え間ない痛みに全身の神経を直接洗われ続けるような日々、薬の―― それも劇薬だと断られるタイプの―― 力を借りず、眠りの内に逃げ込めること自体が稀となっているのに、シンジはこのところ繰り返しアスカへの罪悪感に駆られる夢をばかり見るのだ。

悪夢のアスカは決まってあられもなく素肌をはだけ、シンジの見る前で誰とも知れぬ男に乳房を揉ませ、秘部をまさぐらせていた。
そして当たり前のごとく行為をエスカレートさせ、生々しく耳に残るおんなの声で悦がってみせる。
彼女の足の間に分け行った男の腰が深く進み、ずっぷりと性器に繋がって動いているのを、悔しさと悲しみに歯軋りしながら身動きが取れないでいる。まるでシンジの体を全身から押さえ付ける拘束具が存在しているかのように。

―― そんな卑猥な夢ばかり。

シンジの両目が赤く血の色そのものに変わり果て、白く色素が抜け落ちた髪の毛は逆に銀色と金属じみた輝きを持ち始めた頃からだっただろうか。
いよいよ彼女や彼を思わせる容貌へと「病」が進行したのと合わせて、闇に呑まれた意識に浮かび上がるビジョンは鮮明さを増していた。

時には卑猥にその身を縄で縛り上げられていたこともある。
彼女は両手を頭の上で人括りに吊るされたSM写真風の出で立ちで、それでもうっとりとした喜悦の貌に唇を歪めているのである。
シンジは自分にそんな趣味は無いと思っていた。ケンスケ達と昔の幸せだった学校生活の頃に回し見たグラビア誌にそんな写真もあったにはあったが、シンジは痛々しいと感じただけで決してそれに劣情を誘われたことは無かった。
だのに、今はしきりにそんな変態じみた姿にアスカを当て嵌め、勝手に夢に見ているのである。
病み崩れた体で鬱々と過す内にそこまで自分はおかしくなってきていたのかと、シンジは深刻な悩みを抱えた。
ベッドの上に身を起こすことさえ難しいと体力は衰えているのに、性欲をばかりおかしな方向に強くしてしまっている。そんな自分はやはり最低であると。

「分かっちゃいるんだよ……」

少なくとも自分ではその精神状態を分析出来ているつもりだった。
今の自分にはアスカの他に頼りと出来る人間がいない。固執しているのだ。
その彼女が美しい少女であることに自分は恥知らずにも性欲を直結させて、汚したいと潜在的に願っている。
特に忙しさが増したからとめっきり見舞いに訪れてくれる間隔が開いてきている寂しさに、ありもしない男の影を空想して、一人相撲の嫉妬心がねじくれた恐怖を映し出している―― それが悪夢の正体であろうと。

「気が、狂いそうだ」

アスカの足が遠のいてしまっている。それは本当はネルフの仕事が忙しいからではなく、彼女が自分を疎んじているからではないのかとの怯え。
この前にアスカとちゃんと話が出来たのはいつだっただろう。一月前? それとも、もっと前のことだった?
シンジはあの日のやりとりを思い出すたびに後悔を強くしていた。
分別無く泣き言を漏らし、拒絶するような言葉のその実、アスカの優しさへ縋り付こうとした。そうしてきっと、不興を買ってしまったのだ。

『はぁい、シンジ。退屈―― 、してなかったかしら……?』
『うん。アスカは……忙しそうだね』
『え、ええ。まぁね』

挨拶もどこかぎこちない。後が続かない。

『ごめんなさいね、中々時間が取れなくって。お見舞い、随分来れないで……。その、』
『いいよ。アスカはネルフで大切な仕事をしてるんだし。僕は大丈夫だから』
『そう……。そう言ってもらえると……』

気が楽だわ、と。そう言い掛けたのだと分かる。
口篭ってみせても、それは以前の共同生活の名残だ。
なんとなく、お互いの口の端に乗せた一言目に続く先は聞かずとも読めるし、あえて口を閉じてしまっても、喉にまで登らせていた言葉で何を言おうとしたのか感じ取れるものがある。
長年を共にしたような察し合う仲を、二人が施されたシンクロ訓練は中途半端にもたらしてくれた。
シンジが本当に知りたいアスカの心の深いところなどは決して便利に見通せることは無いが、今となっては病室の気まずさを加速させてくれるだけには事足りる、厄介さ。

『ごめんなさい。それじゃ、もう行くわ』
『うん。仕事、頑張ってね』
『…………。ええ……』

きびすを返す間際に、一瞬俯いたアスカが背中で残していったもの。
気が付けば口数の少なさに反比例してアスカが繰り返すようになっていた「ごめんなさい」。

(そんなに、辛そうにしなくても良いじゃないか……!)

ぎゅっと噛み殺さなければ、泣き言を叫んでしまいそうだった。
アスカがベッドの周りを囲んだビニール・カーテンを揺らして、そして無菌室独特の厳重なドアが圧搾音を微かにさせて閉まった後には、あまりに惨めで毛布に隠してすすり泣いた。

きっとアスカは僕の情けなさに愛想が尽きたんだ。
あんなにも素敵な女の子なんだもの、ひょっとするともう、学校でもっと立派で相応しい男子生徒を見付けてしまって、付き合うようになっているのかもしれない。だから、僕を邪険に思い始めて……でも、アスカは優しい女の子だから、病気の僕に言い辛そうにして……。

何しろ、嫌われる心当たりだけはいくらでも心当たりがあったから。

そうして、ベッド際にパイプ椅子を寄せたアスカが、会話の跡切れを窓の外の景色に逃がしている隙をちらちらと盗み見て、誰か知らない男の気配を匂わせるものは無いかと探している。
制服の裾から覗くしっとりとしたうなじが窓からの夕陽を浴びて輝くのを、そこに卑劣に夢のアスカを重ね見て―― 僕の他の男が唇を寄せたことがあるのかと、馬鹿げた妬みを滾らせる。
そんな卑屈な性格だからこそ嫌われてしまうのだと自覚はあっても、邪推を止めることは出来なかった。

あばらが浮いて、骨と皮だけのスカスカになってしまった胸の真ん中に、冷たく湛えられた恐れがある。
次に彼女と会う時が、引導を渡されてしまう時。もう来ないと、心を砕かれる時。意識から引き剥がそうとする程にひんやりと纏わり付くその予感が、現実にならないと信じられる強さは今は無い。

―― それでも、アスカが訪れてくれる事を焦がれ望んでいる。もう、自分で会いに行くことは叶わないのだから。



◆ ◆ ◆

エレベーターのドアが『チン』と、控えめに到着を報せる。シンジの病室だけのためにフロアが確保された階だ。
壁に手を付いたままアスカが肩越しに見上げると、老人の赤らんでいた皺顔がスッと離れ、とりすましたものに変わった。

「ぅは……ぁ」

尻穴からアスカの中をくじっていた長い人差し指が引き抜かれていく。
まくれ上がっていたスカートの後ろが、老人の腕のあった場所に元通り腰から垂れ落ちた。
老人が似非紳士の仮面をさっさと回復させ、廊下に降りて歩き出したので、アスカは慌てて膝からショーツを引き上げねばならなかった。

「……んっ、っ」

躊躇ったが、学校から迎えのリムジンに乗った途端入れられたそのままの張り型の底を持ち上げてしまうことは避けられない。
そうしている間にも老人は先へ行ってしまう。諦めて、手早く身嗜みを―― 表面だけでも整えるだけしかなかった。

「ま、待ってください……」

小走りに追う。その一足駆けただけで、ゴツゴツと突起の浮き出した模造ペニスの幹が擦れ、膣粘膜からの望まぬ刺激が尾てい骨を立ち上る。
目の奥に涙が疼いた。
つい鼻に掛かった声が出てしまいそうになった自分が情けなかったのだ。

―― 堪えなきゃダメよ、アスカ!

ハンカチで拭って、とにかくシンジを怪しませてはいけないと自分の演技力に神経を注ぐしかない。
正直、どこまで凌ぎきれるかはアスカの精神力次第というよりも、他のファクターに左右される部分が大きいと予測出来る。
老人がポケットに仕舞っているバイブのリモコンボックスが、気まぐれ次第ではとんでもない粗相のスイッチとなるだろう。

(大丈夫、大丈夫よ……。シンジには知らせないって、契約なんだから)

自分に言い聞かせるのも空しい、どれほど当てに出来たかは分かったものではない約束手形だ。
願わくば、今日の面会を手短に切り上げることが出来ますように。叶うならと、このまま引き返して顔を見せずに帰ってしまいたかった。
そんな事を切実に望まねばならないことはとても悲しい。
シンジを愛しているのに、それなのに与えられた逢瀬の機会に怯えねばならない。

しかし、老人が興が乗った風でいるこの「遊び」に、せめて、今は地下駐車場で待つ同じ境遇の友人―― ヒカリの参加を取りやめると聞き入れてもらえただけで良しとしなければならないだろう。

『……アスカ。碇君のところに会いには行かないの?』
『な、なによ急に……』
『最近、会ってないんでしょう?』

そんなこと―― と、それはアスカの痛いところを強かに突いた難詰の目であったから、『あなたには関係無いでしょう!』と、ついぴしゃりと怒鳴って叩き付けたくなったのがアスカの気質であった。
だが、それが口が裂けても言えない相手がヒカリである。
彼女は、アスカのシンジへのこだわりが故に老人の悪徳に捧げられたも同然なのだから。

ヒカリはその経緯をとっくり愉しげに老人に説明して聞かせられて、それで親友を責めるようなことはなかった優しい心の持ち主であったけれど、シンジへの想いの丈を認めてくれた彼女なればこそ、今のアスカが顔を合わせ辛いとシンジを避ける心理を理解しつつ、許せないのだろう。
そして、彼女が事の元凶とも言えるシンジに向けている感情の色は、アスカにも不分明であった。
彼女自身にとっても最早シンジとは強く意識せざるを得ない相手だ。
今の今まで全く会うことの出来なかったその相手をいざ前にした時、どう感情を揺さぶられるかは分からない。怖いと思ったればこそ、アスカは老人に懇願したのだ。
その分は、老人に引き換えの満足を提供せねばならない。代償としてのより一層の奉仕に励まねばならないのが、少年の病室を前にしても尻肉を差し出し、そして淫具を装着したまま会おうという、この時のアスカだった。

そのドアはもう目の前にある。

(行くわよ、アスカ……)



◆ ◆ ◆

「やぁ、突然押しかけて来てすまなかったね」
「いえ、わざわざ冬月さんにまでお見舞いに来ていただいて……」
「ああ、いいよ。楽にしていて良い。君は体を大切にするのが一番だからね」

チルドレンとしてVIP扱いされていたシンジにとっても、なまじ接する機会が少なかっただけに感覚としてはまさに雲上人。アスカのみならず同伴しての冬月の訪問に驚き、居ずまいを正そうとした少年を、老人は穏やかに押しとどめた。
ポケットに手を入れた、意外に砕けた雰囲気だ。

「この所、アスカ君には無理をしてもらってばかりでねえ。君に会う暇も無いとボヤくのだよ」
「そんな、冬月―― っ、司令……!」

ぎょっとした顔で傍らに立つ老人を見上げるアスカ。
困惑の様子がみるみる頬を赤くしていったから、照れているのだろうかと、久しぶりにシンジは微笑ましい気分になっていた。

「はは、それで侘びの意味も込めて時間を取らせて貰ったというわけだ」
「はぁ、どうもすいません……」

冬月は口元を綻ばせながらアスカとシンジとを交互に好々爺の顔で見ている。
ネルフの総責任者を務めるほどの、しかも祖父ほどに相当する年上の年代とは大して共通する話題も他に無かったから、自然、会話の流れはアスカの事となった。

「すると、アスカの出張って殆ど冬月さんと一緒なんですか?」
「その通りだよ。彼女は今や世界中の人気者だからね。どこに行っても大歓迎される。我々ネルフとしては少々不純な動機ではあるが、アスカ君に顔となってもらって何かとスムーズに運びたいわけだよ」
「ああ、ニュースで良く出てますよね。この間も何かのパーティーで綺麗なドレスを着てて、確か次の日のテレビであのドレスは有名なデザイナーさんの特別仕立てだって、話題になってましたし」
「おお、そうかね。あれは国連総長主催のパーティーだったか……、そうだそうだ、よく覚えているよ。あの夜はまた彼女のおかげで愉しかったものだ。なぁ、アスカ君?」
「え、ええ……」

ニコニコと悪戯っぽい目配せを受けて、アスカは俯いてしまった。
本当に、意外な若々しい印象の人だなとシンジは思う。それに、アスカの反応も予想外のあまり見ないものだった。

「ふふ、そう恥ずかしがることも無いじゃないかね。彼も君あのドレス姿を見ていてくれたというじゃないか。―― アスカ君は綺麗だったろう?」
「あ、はい。その……アスカってやっぱり赤い色が似合うなって思ったし、それに――
「それに?」
「その、凄く大人っぽいデザインだったから……」

話している内にシンジも思い出した。
たしかあれは、ハリウッドかどこかの映画発表会に一流女優達が着てきそうなと思ったシルク生地のピカピカ光るドレスで、はっと目を引くくらいに大胆に肩が開いていた。
テレビ越しに見るしかないシンジには、それこそ映画の中の光景のように煌びやかなパーティーで、自分とかけ離れた世界だと感じたものだった。
……そういえば、あの時もアスカの横にぴったりとくっ付いてエスコートしていたのはこの老人ではなかっただろうか?

―― さて、あまり長居をしてもいけないな」

話をしていた時間はそれほど長くは無かっただろう。
『お暇しようか、アスカ君』 そう言ってすぐに老人はアスカを連れて去って行ったが、それまでをシンジは打って変わってもやもやとした気持ちで過した。

老人の隣にあでやかな緋色のドレス姿で佇み、カクテルグラスを並べていたアスカの姿を―― そこに無理に自分の姿を当て嵌めてみるよりも、よっぽど様になっていると認めてしまったからだ。

(また、馬鹿なことを考えてる……)

アスカに見てしまう影の男に、あの冬月老人をなぞらえるだなんて、と。
一旦気になってしまうと、もう自分の目は駄目だった。何もかもがそんな歪んだレンズに通し見てしまう。

老人とアスカの様子は妙に親しくは無かっただろうか?
そういえば、最初アスカは何と呼びかけようと―― 冬月と、まさか呼び捨てじゃないだろうから、さん付けで呼ぼうとしていたのだろうか?
二人は肩書きでは呼び合わないくらい気安い関係だということなのか?

(いつも一緒に出掛けているというし……、い、いいやっ、そんな馬鹿なことっ。そんなことあるわけない、あるわけないよ! ……あるわけないじゃないかっ!!)

椅子を並べて座っている間も、やけにアスカはもじもじとしていた。
あの人ともう呼ぶしかない加持の事を話していた時のアスカでも、あんな様子は見せたりはしなかった。
ちょっと泣きそうな目の、でも思い出したのが怖かったからという感じではない、どちらかといえぱ凄く恥ずかしがっていたような仕草。

(冬月さんと出掛ける旅行―― そう、旅行、だよな……、それって、そんなに楽しいものだったの?)

何だか思い出していたみたいではあったけれども、真っ赤になってしまっていて、聞こうとしても目を逸らして答えてくれなかった……。

自己嫌悪に苛まれながらも、シンジはつい今の記憶の隅を突付いては、邪な意味付けをせずにはいられなかった。
中でも、帰りがけの冬月老人がアスカの腰を抱くように促していたことには、ついには明確な嫉妬を募らせずにはいられなかった。

(駄目だ……)

頭を抱えこむ。
この次に冬月老人に顔を合わせた時、敵意を抱かずに通す自分でいられるか、どうしても自信は持てなかった。
そうして恐らくはと、夜毎の悪夢にアスカを辱める相手として、あの老人を勝手に出演させてしまうのだろうと察していた。

「はは、ははは……。僕、まるっきり変態じゃないか……」



◆ ◆ ◆

その夜、シンジはやはり夢を見た。

老人の年老いた体の上に自ら跨り、あの真っ赤に頬を染め上げた羞恥の表情に身悶えつつも、どうしようもなく悦んでしまっているらしい華奢な両肩を抱いて、がくがくと丸めた背中を震わせている愛しい少女の声を聞いた。
高く、長く、あえやかに響く悦がり声を聞いた。

「くぁっ、がっ、う、うぁぁあああああああ―― !!」

真っ赤に輝く双眸が開かれると、刹那、暗い室内に黄金色の波紋が広がり、次の瞬間に夜間中「治療」を施す予定でシンジを浸していたLCL水槽が粉々と砕け散った。
ジオフロントの、往時は「E計画」の推進に沿って稼動していた機密施設で発生した異常はただちにMAGIによって検知され、アラートが発せられたが、その情報に触れる唯一の高位資格者がセキュリティに予定された寝室を空けていた為、ついに誰の注意を引くことも無かった。

びしゃりと羊水から生れ落ちた赤子のようにシンジは転げ出し、蹲り、そして立ち上がる。
萎え細った手足であるのに、まるで何処からかふんだんな活力が注ぎ込まれているかの如く、熱く力漲っていた。
その異様には、悪夢の中、観客に甘んじなければならなかったままの激憤が疑問に留めさせず、ただ両脚を前へと突き動かす衝動だけに意識を引きずる。

「アスカ……」

全身にテープで貼られていたセンサーの束をぶつぶつと引き千切り、部屋を後に。
行く手を遮るべき電子ロックのドアとドアと、ドア。それらは全て、朦朧とシンジが辿り着く前に、電子回路を不正常に走り抜けた命令が次々と解除していった。
一直線に導かれるまま夢遊病患者の目付きで進む途中には、そんな不可視の力の及ばぬ昔ながらの重量隔壁も立ち塞がってはいた。
しかし、それらの全てはシンジが通り抜けた後にいびつにこじ開けられた大穴を残して、無残に突破されていた。
拳大の鉄杭で何度も何度も叩き付けて打ち抜いたような、そんな大穴。
それを為したのは紛れも無いシンジの両腕であったが、明白な代償としてシンジの肘から先の半ばほどまでが潰れもげ、失われていた。

「アスぅ―― ガッ、ハッ……!」

正気ならざる足取りが階段を踏み外し、支える手首を無くした小柄の身を側溝へと転がし落とす。
縁に引っ掛け、自身を通路へ持ち上げ戻す指は無い。
転落の衝撃に片足も折れた。

それでも、シンジの頭蓋を打ち鳴らす焦燥は、前進への衝動に全てを塗り潰している。
前へ、前へ、前へ――

「うあっ、はっ、ハ……! ハッ、ハッ、ハゥ……グ、かはぁっ!」

ビキビキと足の肉と腱が軋み動いて、折れた膝が真っ直ぐに立ち上がった。
腕の先のミンチと化した肉と骨は、異様な熱力の集中に湯気を上げながら壊しきっていたかたちを取り戻した。
血みどろの指が側溝の上に伸び、続いて鬼火の赫さで二つ灯る瞳がもたげられた。

強引な再生を遂げた腕は早くも細胞の命を末端から消耗破裂させて、血水を通路に撒いている。
その肉体のおびただしい苦痛も意識の表面に届いた風は無く、幽鬼さながらのシンジは行く。

「アスカ……」

夢の中から持ち帰ったには、あまりに激しい怒りが胸に煮え滾っていた。
そして、守らねばならないという訳も分からず切迫した強迫観念と、その庇護欲の膨らみと表裏を為す悲憤―― 守るべきを守れなかった母親の上げる叫びのような、シンジという少年の心に宿るには巨大過ぎる感情の噴火。
それら全てが、少年を一歩一歩ケイジへと近付けていたのだった。



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