Requiem fur Schicksalskinder 第2話
著者.しあえが
「どうだい、シンジ君。ちょっとデートしないか?」 唐突な加持の軽口にシンジは少し逡巡して「僕、男ですよ」みたいなやり取りはあったが、結局、小さくうなずき返した。このまま、なにをするでもなく待機所でぼーっとしているよりも有意義だと思ったし、なにより誰かに話を聞いて欲しいと思ってるのを、見透かされて助かったと思っていたからだ。 ほじくり返された湿った土の匂いが鼻の奥をくすぐる。土のミネラルと植物油、鉄が混じったような不思議な匂い。ちょっとLCLに似ていて不思議と気持ちが落ち着いた。 黙々と不平不満なく土いじりをするシンジに、逆に意外なものを感じる加持だったが、それでも何も言わずシンジが口を開くまで待ち続けた。やがて……。 「あの、加持さんがちゃんとした大人だって思うから、その……。ちょっと、相談に乗ってもらっていいですか?」 「なんだい? 借金以外の事なら、なんだって相談に乗るよ」 「……加持さん、そういうこと言わないといけないみたいなノルマでもあるんですか? もうちょっと真面目な人かと思ってました」 「おやご機嫌斜めだな。じゃあ、単刀直入に話してごらん」 ちょっと幻滅したが、いやかえって力が抜けて助かったかも。腰を伸ばしながら嘆息する。なんにせよ、話してしまえば少しはこの胸のつかえも解消するかもしれない。 「もう、知ってるかもしれませんけど、最近、その……アスカと、上手くいってないんです」 「……生憎、葛城は君たちのプライベートなことを話さないから、詳細は聞いていない。察しはつくけどな」 土で汚れた顔でじっと目を見てくる。相手が子供で自分が大人だからって上から目線ではない、ちゃんと一人前の人間を見る目で。 (こういう、大人の余裕がある人なら、アスカもあんな風にはならなかったのかもしれない) ミサトとよりを戻したなんて話も聞いている。ミサトさんを受け入れられるくらい、度量のある人なら……。 途切れ途切れに、シンジは凝り固まった淀みを吐露するように話し始めた。 「その、僕たち……2か月前に関係をもってから、毎日、その、あの」 「ああ、そこら辺は省略していいよ。俺も、似たようなことはあったからな」 「は、はい……。それが、先月ぐらいからアスカ、嫌がるようになって……。無理に迫ると本気で怒って」 そこまで言うと、答えを求めるようにシンジはじっと加持の顔を見つめる。 さすがにまだ答えが言えるほど情報ははっきりしていない。無言で加持は続きを促した。 「だけど、甘えてくるわけじゃないのに、添い寝して、抱きしめて、頭撫でろって要求されるんです。『私を見て』とか『好き』って言えとか要求、違う、命令されて……。別にそんな風に命令なんてしなくても、アスカが望むならいくらでもそうするのに。いえ、勿論ムラムラして蛇の生殺し状態が辛くいけど、でもなんだか、すごく余裕がなくなってる感じがして、もしかしたら僕と一緒にいるのが嫌なのかなって。僕って、頼りないんでしょうか?」 よく知らない、と言いはしたが実のところ監査部主任である加持はすべての事情を把握している。 アスカの余裕がなくなった理由、二人の関係がうまくいってないこと、そして最近のアスカの眉を顰める行動についても。 「……そうだな。まず、彼女が余裕をなくしている理由だが、まあ、予想はつく。使徒が来ないからだろうな」 それから加持が続けた言葉は、要約するとアスカはとにかく承認欲求が強い。中でもエヴァのパイロットであることは彼女のレゾンデートルと言っていい。自分の仕事は使徒を倒し、世界を救うこと。本気でそう考えている。 だから使徒と戦い、それに勝つことができない今の状況は、彼女にとって不安で仕方がないのだろう。暇を持て余していると、いろいろ余計な事を考えてしまうものだ。 「余計な事……ですか?」 「そうだな。たとえば、全ての使徒を倒して、もう戦う必要がなくなったら……。使徒のいない世界に自分の居場所は、必要としてくれる人間はいるのか……とかな。君が、自分をもう見てくれなくなる、必要としてくれなくなる……そうなったら、じゃあ誰が自分を見てくれるんだろう、必要としてくれるんだろう……。そんなところかもしれない。君を試してるつもりなのかもな」 「そんなこと……!」 「もちろん、君はそんなことを本気で思ってはいないだろう。だが、彼女にはそれが理解できない、いや理解したくないんだ」 ずっとそんな生き方をしてきたから。 鬱になってる時の思考はマイナス方向に駆け抜けていくものだから。 「抱かせてるから自分に優しくして、抱きしめて好きって言ってくれるのかもしれない。そんな風に思われてるん……でしょうか? 僕、僕そんなつもりはありませんよ! ただ、その、アスカが好き……だから。僕はアスカが、アスカだから僕は」 「だが、彼女にはそれが分からないんだ、損得抜きの関係がね。そういう環境で育ったらしい。……だから君が、レイと仲良くしているところを見て、色々不安を覚えたのかもしれないな」 そんなことあるわけない! と言いかけ、口を閉じる。真面目じゃない大人の代表と普段口にするだけあって、すべて見透かされてる気がする。 冷静に考えて見方を変えると、一番シンジと関係があるのはアスカではなく綾波かもしれない。 お食事会をきっかけに父との距離がちょっと縮まった気がする。その切っ掛けをくれた。 そして、先日屋上で遭遇した謎めいた女性にも、劣情を覚えたことは間違いなくあるのだから。 (だから……なのかな? 浮気するなって言われたけど、それって、もしかして、他の女性の事を一切考えるな。気にもするな、口もきくな正真正銘、私だけを見ていろ……そんな意味合いでアスカは。いや、そもそも僕とアスカは、付き合ってるって……交際してるって言えるのかな?) 外国人であるアスカには、日本人みたいに告白して付き合ったりするって風習はないかもしれない。だが、そうであったとしても、自分はまだ思いの丈をちゃんと伝えていない。もしかしたら、アスカはそれを待ってるのだろうか? もしそうだとしたら、なんて重たいんだろう。あるはずのない重みを肩に感じ、シンジは息をのんだ。 そういったことが見透かされてるのだろうか。シンジにとってはアスカでなくてもいい。アスカにとっても、見てくれるなら、必要としてくれるなら、居場所をくれるなら誰でも良い? なんどもなんども抱きしめて、キスして、好きだって何度も繰り返してるのに。 あれでもまだ足りない? いや、好意を実感できないでいる? そもそも好きって、なんだ? 必要としてされて、居場所になるって、どういう事なんだ? どういえば、どうすればアスカを納得させられる? エヴァのない世界を受け入れさせて。 アスカの居場所は僕で、僕の居場所はアスカだって納得させることができるんだ? 「アスカは……ここに来るまで、どんな生活をしていたんですか? それに、加持さんもミサトさんも、なにかアスカの事で僕に秘密にしていること、ありますよね?」 「それを、俺の口から言うわけにはいかないな。知らない訳じゃないが、俺の口から言うのは違うだろう」 「……話してくれないって事は、僕は信頼されてない。やっぱり、頼りに思われていないって、ことなんでしょうか」 少し加持は考える。彼女も変化している。シンジに過去と生い立ちを知られたくないと思っているはずだ。少なくとも、あのことは。やはり、自分の口から話すべきではない。少なくとも、今はまだ。 しかし、このままだと、この微笑ましくも危ういカップルは悲劇的な結末を迎えることになるだろう。いや、すでにそうなりかけている。 (どうするべき、いやどうあるべきなんだろうな? 一度距離を取って、お互い冷静になってから改めて関係を見直すべきだと思う。だが、シンジ君から別れを切り出せるはずもないし、別れを切り出したらそれこそ彼女は壊れてしまうだろうな) だから答えの代わりにアスカの『噂』について聞いてみる。 「君は……最近、彼女がどうしているか……聞いてるか?」 戸惑い、悲しみ、嫉妬、無力感、寂寥感。色々な感情がないまぜになった瞳が揺れた。 もしかしたらすでに手遅れなのかも……。 ミサトのマンションにもろくに戻らず、制服姿で夜な夜な盛り場をうろついて……。チンピラや酔漢に喧嘩を売って暴れたかと思えば、思わせぶりな表情で年上の男性に思わせぶりな事を囁き、その反応を見てからかったりほくそ笑んだりしている。これはシンジに言うつもりはないが、どうやら既に何人かの男性には頭を撫でさせた上で、キスやペッティングまで許しているようだ。そして散々騒ぎを起こした後は、シンジの所に舞い戻り「抱きしめろ、好きって言え、私を見ろ」そんなことを叫ぶように要求して、不機嫌な表情のままシンジに抱きしめられて眠りにつく。 今のところ、大きな騒動に発展はしていないが、それも時間の問題だろう。ネルフの護衛は保護観察官ではないのだから、アスカ自身が望んでいるなら最終的には彼女の火遊びを止めることはない。 もしアスカが満足できるような包容力のある大人がいて、彼女を受け入れたら……。 「かくいう俺も、彼女のお誘いを受けたことがあるよ。大人をからかうもんじゃない、って受け流したけどな」 「……僕には、アスカが何を考えているのかわかりません」 「彼方の女と書いて彼女だ。結局、他人を理解するのなんて不可能なのかもしれない。だから無理に理解する必要はないんじゃないか。ただまあ、それじゃ解決にはならないよな。ふーむ、もうちょっと考えてみようか」 いつの間にか日が少し陰り始めている。茜色になり染めた陽光が葉っぱの影にあるスイカを照らしているのを、加持はじっと見つめた。横目でシンジを見ると、彼もまたスイカを見ているようだった。 「まだ、最悪の事態にはなっていない。予兆みたいなものさ。良い事も悪い事も、なにがしかまず最初にあるものだ。もしかしたら、彼女は気づいて欲しくて、他の誰でもないシンジ君にどうにかして欲しくて殊更派手に暴れてるのかもしれないな」 「……僕に、気づいて欲しくて? でも、気づいたって僕に何ができるっていうんですか? アスカは僕に何も言ってくれない。言葉にしないと、何も伝わらないのに」 「さっきも言ったが、相手の立場になって考えてみたら良い。自分が彼女だったら、何をどうして欲しいのか。どうすれば満足できるのか。こればっかりは他の誰でもない、君自身が考えるんだ。なに、安心しなよ。アドバイスはしてあげるさ」 (なにを……どうして。アスカが望んでいること。……使徒と戦って勝つこと? いや、それは手段だからたぶん違う。アスカが欲しいのはなんだ? 称賛されること? ほめられること? 誰かに必要とされること? アスカはいつも何を言ってた? なにを僕に要求してた? 私を見てって、好きって言えって。何回も何回も言ったじゃないか。 頼れる人? 大人? 保護者? 僕なら……母さん? いや、アスカがちょっかいかけるのは男の大人だけって話だし、じゃあ、父さん? そういえば、アスカにはお父さんやお母さんって) ハッとした表情になる、とはまさにこういう事なのだろう。 目を見開いたシンジに加持は小さく頷いた。良い目をしてると思った。 (俺みたいになるなよ。後悔に苛まれて生き方を縛られる、そんな呪いのような人生を送るようなことだけは……) シンジがどうにか立ち直り、前に進むことができるようになれば。 それがきっと、加持の目的を果たすための助けになる。真実を知って諦めてしまった、本当の目的を果たすための……。 「加持さん、ありがとうございます! 僕、僕は、何をするべきなのか、わかった気がします。僕は今まで、自分から好きだって言ったこと、ありませんでした。自分から好きって言って、拒絶されたらって、ずっと……逃げてました。でも、逃げちゃダメなんだ」 「気づいたのは君自身だ。俺は切っ掛けを作っただけさ。コーヒー1缶でね」 「言わなきゃ! アスカにちゃんと言わなきゃ!」 「よし、行ってこい。フォローなら任せときな。たしか君の彼女は、友達の女の子と上の街で買い物をしてるらしいぞ」 「はい! ありがとうございます!」 礼もそこそこに駆けだすシンジの背中を加持は、満足そうに見送った。若いっていいなぁ。いや、自分もまだ十分に若いつもりだけど。 こうやって振り返りもせず駆けだしたら、たいてい後悔することになる。走った勢いで、いろんな大切なものがぽろぽろ零れ落ちてしまったのにも気づかない。だけど、それこそが若さというものだ。きっと、これからもシンジは何度も失敗を繰り返すだろう。折れそうになる時もあるかもしれない。でも、そうやって後悔と失敗を繰り返しながらも、前に進めたとき……きっと彼は大きくなる。それこそが成長というものだ。 すでに彼は、碇ゲンドウという怪物をギョッとさせ、恐れさせているのだ。これからもそれができないわけがない。 そしてそれこそが、世界を救う鍵になるかもしれない。 渚司令が言う方法以外に、世界を織りなおす方法はあるかもしれないじゃないか。 「言わなきゃ! アスカに、家族になろうって! 言わなきゃ!」 「……そう、まずは身近にいる親しい女の子の一人くらい救ってみせないとな。自分の弱いところを見せて、彼女が一番欲しい言葉を……んんっ?」 あれ? 遠ざかるシンジが予想よりだいぶ前のめりな言葉を口にしたような気がしたが、もしかして俺やらかしたか? 銀髪の少年の恨みがましい表情と、ここぞとばかりに「やーいやらかしたー。ざまぁw」と高笑いするミサトの顔が一瞬脳裏に浮かんだ。浮かんだけど……。 「まあ、良いか。困るのはどうせ訳アリの大人たちだ。しっかりなシンジ君。ま、後悔の無いように」 不真面目な大人代表は肩をすくめてニヤリと笑った。なんとなくゼーレや、たぶん碇ゲンドウのシナリオの想定外になってるだろうって気がするが、こんな世界が一つくらいあってもいいじゃないか。 司令室でシンジと加持のやり取りをなぜかモニターしていた冬月とゲンドウは無言だった。 いや、無言ではあるが冬月の横眼がジーっと年下の上司の横顔を見つめていて、居心地悪そうにゲンドウは目と顔を反らしている。 「お前の息子だな。思いつめたら周囲も顧みず全力疾走するところはそっくりだよ。たしか、お前がユイ君との結婚を決断したのは、出会って何か月目だったか?」 「……アレと一緒にするな」 ところ変わって……。 「ね、ねぇアスカ」 第三新東京市の某所、ぶっちゃけ中心街の喫茶店にて、おっかなびっくりヒカリがアスカに話しかける。 少し前から、聞かなきゃ聞かなきゃと思っていたことを問いただすため、今は何としても勇気を振り絞らないと。学校に行くたび、級友たちからの無言のブロックサイン……「アスカに何があったか、ぶっちゃけシンジとどういう関係なのか聞け」にさらされるのはさすがにもう嫌だ。私も知りたいし。でも、なんて言えばいいんだろう? (―――最近アスカ、変わったよね?) いやいや。そんなレベルじゃない。 (―――太った?) いやいやいやいや。言い方ー。 たしかに、今アスカの着ている大人っぽい白い服はサイズがあってない訳じゃないが、色々ときつそうな感じはある。胸の所とか布地が張り詰めてパツパツで、色っぽいというより淫らな感じがする。さすがに、シンジと「付き合い始めた?」ぐらいの予想ではできても、一線を越えたとまでは想像できないヒカリは、アスカの変化の理由を予想できず悶々とするしかない。 「どうしたのよヒカリ?」 ニコッと女の子であるヒカリ自身が戸惑いそうな笑顔を向けてきた。 こうしてみると影の欠片もない太陽みたいで完璧すぎてますます気おくれしてしまう。 (が、頑張るのよ私) 「あ、あのねアスカ、その、アスカは碇君と……すごく、仲良いよね?」 「はぁ〜〜〜? 馬鹿シンジと? 私が?」 風ごと空気が凍り付いたような気がした。 一瞬で表情が切り替わって不機嫌さをかくそうともしないアスカの姿に絶句するヒカリ。むしろ、それまでの和やかな気配が雲散霧消して、むしろ敵を見ているような剣呑な眼差しのアスカに言葉が続かない。 「あ、あの、その、あの」 脳裏に過去の出来事が突然浮かび上がり、これが走馬灯と意識することもできず、救いを求めるように目が泳ぐ。 誰か、誰か―――! 葛城さんとか綾波さん、偶然通りがかってくれないかなぁ。 その時、見知った誰かをヒカリの目が捕えた。脳がそれが誰かを理解するより先にヒカリは神に祈った。ああ、もう誰でも良い。トウジや相田君、なんだったらペンペンでも……! って、碇君!? 「あ、シンジ……」 ここまで全力疾走でもしたのだろうか。大きく背中を上下させて、荒い息を吐いている。額に汗を流してちょっと色っぽい。 尋常ではないシンジの様子に、気おくれしたのか目を反らすアスカ。 「なによ? なんか用でもあるの?」 (別れ話かしら。まあ、そうなってもおかしくないよね。嫌われるようなことしてきたんだもん) 自嘲気味にアスカは嘆息する。 随分派手に騒ぎを起こした自覚はあるから。シンジも……たぶん、ある程度は知っているだろう。もしかしたら全部。 ほかの男に肌身を許してはいないけど、随分きわどい事をしたし、あるロマンスグレーのおじさんには、もうちょっとで転んで最後までしちゃいそうになっていた。ほかの男とキスをしたり色々触らせたって知ったら、嫉妬してくれるだろうか。 (ふん。私と別れてもシンジは平気よね。精々、エコヒイキと仲良くすればいいわ) レイと食事会をきっかけに、二人の距離がいろいろ近くなっているのは知っている。認めたくはないが、シンジのために何かするという意味では、自分はレイの二歩も三歩も後ろにいる自覚はある。『あの』碇ゲンドウとシンジの距離を、ほんの僅かであっても縮めることができたのは、間違いなくレイの功績だ。 かといって自分もシンジのためにと、ガムシャラに前に出るのはちょっとできない。 (私なんかより、ずっとお似合いかもしれないわよね。根暗男に陰気女でちょうどいいわ。……似た者同士でお互いを思いあってて) 「アスカ……話したいことがある」 とまれ、この馬鹿は何を言いに来たのだろう? めったに見られない切羽詰まった鬼気迫る表情をして……。シンジのこんな顔は、先の使徒との戦い以来だ。初号機の両腕が弾け飛ぶような痛みを受けながらも、めげずにそれでも天文学的な重量を持つ使徒を支え続けたあの時。ドキン……と心臓が高鳴った。あそこで諦めたら、自分だけでなくレイとアスカ、本部のミサトたちも押しつぶされてしまうから絶対にあきらめるつもりはなかった。そう、言っていた。 あのときあの顔を見たから、あの夜、衝動的にシンジのベッドに忍んだんだ。 「うっ……」 ほんの一瞬、ぼんやりとしてる間にシンジはアスカの間合いに入り込んでいた。気が付けば手まで握りしめられて、逃れようと体をよじっても痛いほどしっかり握られて小動もしない。やむを得ず、睨みつけるような上目遣いでシンジの目を見つめ返す。 「なによ。いきなり手を握ったりして、馴れ馴れしいわよ。……もう! 逃げないから手を放して。言いたい事あるなら聞いてやるからサッサと言いなさいよ馬鹿シンジ!」 以前ならこれだけ言えば、謝りながらも手を放してくれたのに、だが不遜にもシンジは言う事を聞こうとしない。 「アスカ……」 ゴクリ……と喉を鳴らしたのは誰だろう? シンジ? 見守るヒカリ? まさか、自分? 「ゴメン、僕が優柔不断だったからアスカを、大切な人を苦しめてばっかりだった。僕がはっきりしなかったから、綾波と話すだけでもアスカを不安にさせていたんだって気づいたよ。でも、もう、そんなことはしない。僕はもう、逃げない」 ヒカリの顔が真っ赤になって「キャー」と黄色い声を上げる形に開かれるのが見える。うるさい、黙れ。いや、お願いだからやめて、やめてよ。もうそれ以上言わないで。それ以上言われたら、私が言って欲しい事を言われたら……! 今までシンジの方から「一緒にいて」「側にいて」「僕を見て」とか言ったことはない。そんな風に弱いところを見せてくれなかった。頭を撫でるのだって、言わなきゃしてくれなかった。だけど、だけどやっと。 「だから、結婚しよう!」 やっと、やっとやっと。 言わされた「好き」じゃない。シンジの方から好きって、私の事を必要だって言ってくれ……た? いやちょっと待って、結婚? え、何言ってくれてんのこの男は。「好き」どころじゃない凄い事を恥ずかしげもなく! 英語で言えば"Like"や"Love"より凄い事をぉぉぉ! 以前、裸を見られた時より急速に顔が真っ赤になるのがわかる。周囲の視線とかは、まあ、もう今更どうでもいい。でも、でもでもこう叫ばずにはいられない。 「あんた馬鹿ぁ〜〜〜〜〜〜!!!???」 「こんなことふざけて言うわけないだろ本気だよ!」 「いやちょっと待ちなさいよ! エコヒイキは、レイはどうするつもりなのよ! いやそもそも結婚なんてできないわよ! だってお互い子供じゃない!」 「じゃあ婚約でも良いよ!」 「もうやだぁ! 言葉は通じるのに話が通じないぃ! 私は訳ありなのよ! 結婚なんかしても絶対、後でアンタ後悔するわ! だから……! ちょ、待! んんん〜〜〜〜〜っ!!?」 尚も叫び続ける唇を唇で防がれ、目を白黒させる。舌を入れてきて、かなりディープなキスでちょっと気持ち良くて。心臓がそろそろヤバいレベルで鼓動が激しい。あ、こらヒカリ! ガン見するのやめてぇ! やっかいなのは、自分がちっとも嫌がってないことだ。嫌どころか……嬉しくって嬉しくって胸が張り裂けそう。 「ちょっ、んんっ、やっ! もう、んちゅ、ちゅ、んんん〜〜〜〜〜っ! プハ……って、いい加減にしろぉ!」 「いたぁっ!? なにすんだよ!」 「こっちのセリフよ!」 シンジを張り倒し、顔を隠しながら指の隙間からこっちを見つつイヤンイヤンと体をくねらせてるヒカリを一瞥。 クソッ、頼りにならない! 「この馬鹿! バカバカ! 大馬鹿シンジ! ……くうううぅ、ちょっと来なさい!」 シンジの手を取って立ち上がらせ、まだふらついているシンジを見返す。ああ、もうこんなのんびりしたお間抜け野郎なのに! 「行くわよ!」 「……え、どこに?」 「こんな場所に一秒だっていられるかぁっ! 落ち着いて話せるところよ! 誰もいなくて落ち着いて話せるなら、赤い海だってどこだってかまわないわよ」 駆けだすとシンジの手がしっかり握り返してきて、また胸が「キューン」とするのがわかる。 「うううううぅぅぅぅ〜〜〜〜〜〜っ。こんな大騒ぎになったら、もうあのお店いけないじゃない!」 「あ、ご、ゴメン」 「ったく、馬鹿だ馬鹿だと思ってたけど、アンタって本当に私が付いていないとどうしようもない奴ね」 「うん、わかってる」 だめだ、皮肉が効いてない。 まあ良いわ。そう、折角だから最大限に利用させてもらう。人前であんな恥ずかしい事を言った責任は、絶対に、絶対に取ってもらうんだからね。あとで後悔したって絶対許さないんだから。 場所が変わってシンジのマンション。時刻はすでに9時を回っている。 『ミサト。今まで心配させてごめんね。今日は、今日からはもう大丈夫だから。でさ、今日はシンジの部屋にいるから心配しないで』 『ちょっと待ちなさい! アスカ、ちょっとねぇ! 婚約ってどういう』 まだ何か受話器の向こうで叫んでいたけど、無視して切る。やるべきことをやり終えると気分がすっきりする。 「……アスカ、ミサトさんなんて言ってたの?」 「シンジによろしくだって」 そうなんだ、と呟きながら照れくさそうにシンジは笑う。色々言われたけど、ミサトさんも認めてくれたって事かなぁ、なんて事を思ったりする。 リビングには久しぶりにシンジの手料理を堪能出来て、満足極まる笑顔のアスカがいた。すでにシンジの部屋には大量に着替えを持ち込んでいるので、ラフな格好に着替えたアスカは、クッションを胸に抱きしめながら悪戯っぽい表情を浮かべる。 「し〜んじ♪」 「なに、アスカ?」 「お風呂」 「うん。もう沸いてるから先に入りなよ」 「違う! まったく、シンジって本当に」 上機嫌だったのにいきなり怒鳴られてちょっと驚くが、さすがにこれだけ条件がそろっていれば、アスカが何を言わんとしているのかはさすがにわかる。 エプロンを外しながら、まだ照れくさいのか明後日の方を見ながら、でもはっきりと言う。 「……一緒に入る?」 「はい、よくできました」 「あん、あん、あん、ああっ! シンジ、シンジぃ……あうう、気持ち、良い」 無駄に広いバスルームにアスカの艶めかしい嬌声が木霊する。 気のせいかピンク色に染まって見える空気の中、湯気が充満する浴室内でアスカとシンジは火照った体を絡み合わせていた。浴室内にアスカの啼き声が響き、濡れ髪がお互いの体に絡み、イヤらしく張り付く。 一か月ぶりのシンジとの交合は、想像以上に気持ちが良くてアスカは涙を流しながらシンジにしがみついていた。 「良いのぉ。シンジ、好き好き好きぃ!」 「僕も、僕もアスカの事、大好きだよ。愛してる」 シンジが自分の意志で「好き」と言うたびに、アスカの胸がキュンとする。 半身浴状態でお互い向き合う対面座位で二人は体を重ねていた。二人の激しい動きにお湯がチャプチャプと揺れ、浴室に充満する蒸気が揺れ動く。 のぼせた頭を冷やすために「はぁ……」と大きく息を吸い込むアスカ。誘うような唇を貪るようにシンジはキスをする。 「ちゅ、ちゅぷ、チュッチュッ。はぁ、はぁ、はぁ、ちゅ、アスカぁ。ちゅ、くちゅ、ちゅる、んんっ」 「はぁ、はぅ。はぁ……んんっ、ん、んん〜〜〜〜〜〜っ!」 長いキスが終わり、それでも離れるのを惜しむ様に二人の唇が離れる。 二人の間に唾液の糸が橋のようにかかった。 蠱惑的な笑みを浮かべて、アスカがシンジにしがみつく。 「アスカ、もう離さない。好きだよ。だからどこにも行かないで。僕を捨てないで」 「行かない。行くわけない! シンジが私の事見てくれるなら、必要としてくれるなら! 私も、私もシンジのこと見捨てたりしない! シンジのママみたいに、あなたの事を置いてどこにもいかないから!」 「アスカ……ああ、はぁ、はぁ……アスカぁ」 (うう、凄いよぉ。なに、私の体どうなってるの? 1か月ぶりだから? でも、それにしたって気持ち良すぎるのよぉ!) 意識がバチバチとショートしたみたいに火花を散らしている。シンジが突き入れるだけで何度も軽い絶頂を迎え、アスカは艶めかしい悲鳴を上げる。 体をくねらせて無意識の内に「キュッ」と胎内のシンジのシンジを締め付けると、それにこたえるようにシンジも呻き声を漏らして、腰の勢いを激しくする。ただ若さに任せてガムシャラに突き入れるだけでなく、「の」の字を描くように腰をまわし、どの位置をついたときに一番アスカが喜びの声を漏らすのか、測るように丁寧に犯していく。 「ああーっ! あっ、あっ、それダメェ! 気持ち良すぎるのよぉ! 変に、変になるってばぁ! やだぁ、もう」 「本当はやめてほしくないくせに」 「な、何言ってんのよバカシンジ。やめたくないのは、アンタの方でしょ。こんな、こんなの! あ、ああ〜ん」 アスカの胸に手を伸ばすと、弾力を楽しむようにシンジは揉みしだく。一か月ぶりの感触にシンジは薄く笑みを浮かべ……同時に少し怪訝な表情を浮かべた。 (ん、まさか……いや、でも) 「どうしたのよ? ねぇ、なんでそんな顔をしてるのよ? 何、変なところでもあったの?」 「あ、違うよ。そうじゃなくて……その、ちょっと大きくなったかなって」 シンジが言わんとしていることを悟り、たちまち顔を真っ赤にする。 「あ、だ、え……あんたの所為よ!」 「ええっ!?」 「あんたが執拗に、赤ちゃんみたいに胸ばっかりいじくるから!」 そういえば、ブラが合わなくなって幾つか買いなおしたがやっぱりそれって、そういうことなんだろうなぁとアスカは思う。そういえば、男どもの見る目が、明らかに昔に比べて胸とかに集中してくると思ったけど。 別に女らしさなんてどうでも良いと思ってるし、それは今も変わらない。でも、シンジのために変わってるんだ、そう考えるとなんだかとても嬉しくなる。 「ご、ごめ……」 「だから、こういうことで謝るなぁ! もう、ホント馬鹿なんだから。怒ってなんかいないわよ」 「え、う、うん」 「だって、シンジは大きい方が好きなんでしょ。てことはさ、前よりずっと私の事を好きになったって事になるんじゃないの」 だからね。悪戯っぽく笑うとアスカは体勢を変える。 シンジが驚いた顔をするが、それもまた愛おしい。ぐるりと体をまわすと、シンジの顔が見えなくなるけど、今のアスカは気にしない。そこにいるのはわかっているから。 「わたしの胸、両手で好きにしてもいいわよ」 「え……でも、良いの? この姿勢って、アスカあんまり好きじゃないだろ」 「今は平気。シンジになら、背中任せても安心だもん」 シンジに背中を向けて、お尻を突き出す。動物みたいに後ろから犯される後背位。顔も見えないし、一方的になすがまま。自分の弱点を始終相手にさらしてるようなこの体勢は、好き嫌い以前に本能的に拒絶しそうになる。だけど、シンジが大好きだと言ってくれた胸を一杯触ってもらうには、こうして重力に引かれるまま重たく揺らしながら愛撫してもらった方が都合がいい。 「ね……私は大丈夫。だから、両手で触ってよ」 『アスカぁ』と泣きそうな声を漏らしながら、しがみついてくるシンジの体温が背中越しに伝わる。色んな想いが一杯にあふれてきた。 (あ、やばい。私、泣きそう) 変なところがそっくりなカップルは、お互い泣きそうになる。熱い思いが胸いっぱいにあふれてくる。 「あん! や、あんっ!」 両手で胸を包み込むように使われた瞬間、覚悟しても耐えられないくらいの快感が電流のように全身を痺れさせた。 そのままギュッと揉まれて思わず呻き声を漏らし、体をくねらせる。胸を愛撫されるのと同時に、再びシンジが挿入ってくる。 「あっ、ああああっ。胸も、あそこも……シンジ、好き。好きぃ」 もう汗なのかお湯なのかわからない雫がぽたぽたと湯船に落ち、上気しきったアスカは真っ赤な顔をくしゃくしゃに歪めて悲鳴のような声を上げる。 「ふわあああっ、あっ、ああっ! い、イっちゃう! シンジ、シンジ、私、私もう」 「僕も、だよ。アスカ、アスカ、一緒に」 「う、うん。わかって……る。ああ、出して! そのまま、私は、平気だからそのまま出してぇ!」 「ううっ、アスカ、アスカ!」 「ああああああああ! シンジ、シンジぃ! やっ、奥に、出て……ああああ、あ゛あ゛あ゛ああああ―――っ!!」 当然とした表情を浮かべ、ブルッとシンジが体を震わせた瞬間、体内に迸りを感じたアスカは絶叫するように叫んだ。骨が折れそうなくらいアスカの全身が戦慄き、そして稲妻のような官能の疼きが股間から脳天までを貫き通した。 そして絶叫が収まり、数秒間の緊張と痛いほどの静寂の後、やおら全身を弛緩させたアスカはその場に崩れ落ちるように座り込んだ。 「はぁーっ、はぁーっ、はぁーっ。うう、はぁ……はぁ、はっ……はぁ、はぁ」 全身を鞴の様に上下させ、懸命に酸素を求めてアスカは深呼吸を繰り返す。弛緩した下半身に力がはいらず、湯船にシンジの精液が緩く広がり出てくるのを感じる。 (あ……勿体ない。シンジがあふれちゃう。でも……) ニヤァ……とこの世界のアスカがしたことのないような笑みを浮かべると、同じように荒い息を吐くシンジに意味ありげに視線を向ける。まだ続ける理由ができた。だから……。 『続きは、ベッドルームでしましょう』そう、言葉ではなく目で語るアスカだった。 天気は快晴、そよ風が肌に心地よい穏やかな午後。餌を求めてスズメやセキレイなどの小鳥が集団で飛び回り、忙しなく囀っている。 心の迷宮を通り抜けたアスカは久しぶりにシンジが側にいない時間を過ごしていた。以前なら言い知れぬ不安を抱いていたが、今は違う。心に余裕ができれば体や行動にも影響を与える。今の彼女は、文字通り輝いて見えた。 先日とは違う喫茶店でヒカリとお茶を楽しんでいるアスカに、不躾な視線が集中している。目を引く美少女だから、ある意味視線には慣れていると言えば言えるのだが、最近とみに発育が良くなったアスカに絡みつくような、男どもの視線は露骨だった。しかし、普段なら気持ち悪いと切って捨てていただろうその視線を、アスカは余裕を持って受け止めていた。滲みだす余裕はアスカは14歳ではなく、年上の女性と思わせるほどだ。 「ところで……そろそろ聞きたいんだけど」 ほんのりと頬を染め、そばかすとお下げ髪が特徴的なヒカリが、先日の出来事の顛末を根掘り葉掘り確認しようとしている。 先週までの余裕がないアスカだったら、たとえ親友であっても『碇君との関係について聞きたいんだけど』と言われたら、不機嫌に言葉を濁してそのまま答えなかっただろう。だが、優先順位が低くなったとはいえ先日使徒の殲滅に成功し、なによりシンジとの関係も良好となれば、大気圏だって突破できそうなくらいに絶好調。 「まあ、先週あんなことを目の前でやっちゃったら、そりゃー聞きたいわよね」 いきなり目の前でディープキスだもん、当然じゃない。と言いそうになるがヒカリはグッとこら、幻のマイクでも持っているような動きでアスカの眼前に右手を突き出して突っつく。 「そりゃそうよ。ほらほら、さっさと白状なさい」 ワクワクと擬音が聞こえそうなくらいに前のめりになるヒカリにちょっと引きつつ、でも内心自慢したい、誰かにこの幸せを分けてあげたいと思っていたアスカは嬉しさを隠せない。むしろやっと聞いてくれた、いくらでも話してやろうじゃないってな感じだ。でもやっぱりちょっと恥ずかしいので、小声でそっと呟いた。 「えーっと、その、ヒカリがだいたい想像してる通りだけど……」 「うんうん」 「その、わたくし、式波アスカラングレーは、シンジと……お付き合いする関係になりました」 「きゃー♪」 最後の方はか細く、空気に溶けていきそうな感じになりながらもアスカはそう伝え、それっきり黙り込んだ。言ってる途中で全身がチクチクするくらい熱くなって、顔も真っ赤で今にも火が着きそう。 「やっぱりOKしたって事よね! もうアスカったらオマセさんなんだから! いつから、いつから碇君の事を意識するようになったの?」 「う、うーん、えーと。意識するっていうかあいつの事を考えるようになったのは、3か月前くらいに来た、街を血の海状態にした使徒のこと覚えてる? あれを、やっつけた日の……夜、かな」 「碇君が手に包帯巻いて登校してきたときの? え、なになに? 碇君どうしたの?」 ヒカリって思っていた以上にゴシップ好きなんだなぁ、とか思いつつ反芻するようにアスカはあの日の事を思い出す。はたして、あの時の気持ちは好意であってるんだろうか。ちょっと複雑で、素直にあの日あの時から好きだったとは言えないと思うが、でも、切っ掛けとしてはあの日以上のものはないだろうと思う。 守秘義務違反しないよう言葉を選びつつ、要約すると「シンジが格好良かった」「名前で呼ばれた」ことを伝える。イヤンイヤンと体をくねらせるヒカリを姿形だけ同じ別の生き物なんじゃないか、みたいな目で見つつも、気高い少女はこういう日常を守れたことを改めて実感する。 (さすがに肉体関係があることまでは伝えなくても良いか。これ言ったらオーバーヒートしそうだもんね) シンジとの性交は数十を超えいちいち覚えていられない回数になっているが、先週の夜を最後にまったくしていない。キスとハグの回数はすごい事になってるけど。 ミサトが……いい年をした大人が半分泣きそうになりながら『中学生らしい節度を持ったお付き合いをお願いします』と言われたらさすがに無下にするわけにはいかなかった。大人が泣くのってあんなにうっとおしいとは思わなかった。 だが一番の理由はお互いの存在を深く認識しあい、色々満たされたため。 実際、充足感はすごくてこのままキスとハグだけでも、結婚可能年齢の16歳まで我慢できるかも?なんてアスカは思っている。 (距離も時間も無視して、凄くシンジとつながってる感じがある。だから、私はもう大丈夫) あと残っているのは『訳あり』の自分の体の事を、いつ、どう伝えるか。 たぶん、事実を知ったらシンジはショックを受けるだろう。父親に捨てられ、母親がいないシンジはきっと……を誰よりも強く望むはずだから。でも、そうなったとしても別れたり、自分を悲しませるようなことはしないと確信している。 「それで碇君とアスカは今どれくらいの関係に……」 さらにディープに踏み込んだことを聞こうとしてくるヒカリだったが、唐突に言葉を止めた。 長くて濃い栗色の髪をお下げに結び、眼鏡をかけた長身の女性がアスカの背後に立っているのが目に入った。アスカに焦点を合わせていたはずなのに、嫌も応もなく視界に飛び込み自己主張してくる存在感。 かなり派手だがセンスある、なによりよく似合っている衣装に身を包んでいる。自分のスタイルが良い事を自覚し、それを最大限生かせるラフで、それでいて格好いい女性だ。どことなくアスカやレイに似た雰囲気をしていると思った。だがそれ以上に不思議なのはその存在感だろう。スタイルが良く、長身で、美人でこれほど目立つ女性がアスカ以外にもいたのかと思うくらいなのに、直前までそこにいたことにも気がつかないなんて。と、変な事にヒカリは驚く。 (え……? 誰?) 初めて会うはずの女性は、うっすらとからかうような笑みを浮かべてヒカリに視線を向けた。 年のころはよくわからないが、たぶん、ヒカリよりも少し年上。明らかに訳ありらしい彼女に何かを言わなくちゃ、と思うヒカリだったが、それより先に謎の美女はいたずらっぽく口元に人差し指を立ててヒカリを制する。有無を言わせない謎の強制力でヒカリが言いかけた言葉を飲み込むと、女性は異変に気付いて振り返ろうとするアスカに……。 「姫〜〜〜♪ 久しぶりー!」 喜色満面の笑みを浮かべて背後から抱き付いたのだった。 「うわっ、わっ!? げっ、あんたまさかコネメガネ!?」 ネルフ本部。 「遅い昼飯だな。で、結局どうなったんだ?」 「あ、サンキュー。どうなったってなにが〜?」 「そりゃもちろん、シンジ君と第2の少女……二号機パイロットの式波大尉のことさ」 コンビニ飯での昼食後、ぼーっとした表情で天井を見ているミサトに加持が話しかけた。 渡されたコーヒー缶を受け取りはしたが、飲む気がないのか蓋を開けるでもなくそのままテーブルに置く。 「はぁ〜〜〜」 「おいおい」 色々すんごい事になったのは勿論加持も聞いている。粗方の事情は把握しているのだが、やはり当事者の口から聞きたい。 ミサトはというと物憂げというより投げやりな表情で、加持が馴れ馴れしく接近してきても、嫌がるそぶりも見せない。かなり疲れてるな、と察しがついたので加持もからかって余計疲れさせるようなことをせず、大人しくミサトが応えられる状態になるのを待っている。そういった気遣いはミサトもわかったのだろう、邪険にするようなこともせず、気合いがたまるのを待っている。 「ふぅ……ホント、どうしたものかしらね」 二人が既に深い関係じゃなければ、からかいつつ祝福もできたのに。 先日のやり取りを思い出したのか弱弱しい溜息を洩らし、感傷に浸った。 「さすがに婚約とか言われてもねぇ。アスカには結納とか婚約報告をするような保護者なんていないし、シンジ君はあれだし。だいいち中学生のカップルがいきなり婚約なんて言っても、どうしようもないでしょ。裁判してどうこうする様な案件でもないし、子供の口約束よ」 「確かに婚約はただの約束事だから、アレコレどうこう言うようなものではないか。だが葛城らしくないぞ」 「しゃーないじゃない。あの子たち、まだ中学生なのよ。学校とかで問題にならないよう中学生らしい交際をするように念押しして、一応は約束はさせたけどさぁ」 「まあ、いつまでもつか……だな。あの年頃は年上の忠告にやたら反発したくなるものだ」 「所詮、保護者なんて真似事だからあまり強く言えないしね。それに無理に引き離したりして、それで調子落として使徒に勝てなかったら困るのは私達。第一、一番何か言うべき司令が何も言わないんじゃもうどうしようもないじゃない」 懸念は他にもある。不純異性交遊とか倫理とかは別にしても、決して仲が良いとは言えないユーロネルフが詳細を知ったら、どういう嫌味や嫌がらせをしてくるかわかったものじゃない。アスカはただの適格者ではない。変なところで人権意識が強いユーロの連中は、人体実験まがいの事をしてるくせに、平気でそれを棚に上げて文句を言ってくるのだ。特に、ユーロネルフにはチルドレン育成担当の難物がいるのから頭が痛い。 「そうだな。実際、先日の使徒を瞬殺できたのは、二人の関係が良好だったからだろうしな」 「そうなのよね。私たちが他のネルフ支部にアドバンテージを取れてるのは、使徒の襲撃があってそれを撃退できているからってのもあるものね」 使徒への復讐を目的としているミサトにとって、これはいわば聖域だ。絶対に死守しなければならない。 「シンジ!」 「わかってる!」 シンジとアスカが婚約?した翌日、分離・合体をする使徒が現れた。 中学生バカップルで海上迎撃を行ったわけだが、一撃で切り裂いたと思った使徒が分離・復活した戸惑いも一瞬の事。 シンジは分離した使徒にコアが一つずつあることを認めると、瞬きよりも早くアスカをかばうように飛び出し、一体のコアをプログナイフで串刺しにしてしまう。刹那、まるでお互い最初から示し合わせていたように、アスカはもう一体の使徒のコアを、横向きに倒れ込むようにしながらソニックグレイブで切り裂いていた。 着水寸前、初号機は2号機を抱きとめ、ダンスでも踊っているような優雅な動きで引き起こす。 残心しつつ歌舞伎役者のようにそのまま見得をきる二人の目の前で、使徒は十字架状の閃光を噴き上げ、爆発四散したのだった。 戦闘開始からわずか62秒、事実上損害は0。 (せめて、多少の苦戦をしてくれれば言うことなかったんだけどね) 勿論、苦戦なんてしないに越したことはないが、非の付け所のない完勝にミサトも言葉をなくし、二人の行状を改めさせる良い口実が失われたことを、些かなりといえど苦々しく思うのだった。 (たしかにシンジ君とアスカは強くなってる。恐ろしいほど……) しかし、往々にして上手くいっているときこそ気を付けなくてはいけない。 こういう時は揺り返しのように悪い事が起こるものだ。 ほどなく、ネルフ総司令の碇ゲンドウから件の使徒はイレギュラーであり、数として数えないという謎の通達と、エヴァンゲリオン4号機とアメリカネルフ第2支部の消失の報告を受け取りミサトは天を仰ぐことになる。 「なんでアンタいるのよ?」 「ん〜〜〜? 姫、聞いてないのかニャ。仮設5号機が失われて、ユーロにエヴァがなくなったじゃん。ユーロもコストのエヴァを新造するのに二の足踏んでてさ。封印柱の開発にリソース向けるみたいで、私がアッチにいる意味があんまりなくなってさぁ。ほら、私って元々アスカの交代要員だし、だからこっちに来たってわけ。まあ一応非公式って奴だから周りにはなるべく秘密にしておいて欲しいニャ」 露骨に不機嫌そうにするアスカ。 昔っから苦手だったが、今の真希波マリ・イラストリアスを見ていると、なんというか苦手さが増している気がする。そのふざけた態度も気にくわないが、なにか全てを知って見透かしてくるようなあの目が……。 「あんたなんか必要ないわよ。私の代わりに2号機に乗るですって? 天地がひっくり返ってもあり得ないこと言うな」 「つれないなぁ、私はこーんなに姫の事愛してるってのに」 「愛とか気持ち悪いこと言うなっちゅーの」 アスカの視線をニヤニヤ笑いながら受け流し、絵になる動きでマリは給仕に声をかける。 「そこのお姉さーん。えーと、このホットドッグセットを一つ、飲み物をコーヒーで。あとワッフルセットを飲み物はカモミールティー、さらにパンケーキセットを一つ、飲み物をオレンジジュース。をを、和風メニューもあるんだ。じゃあ、更にみたらし団子とほうじ茶セットを大至急シクヨロ〜」 いきなり現れた謎の美女に困惑していたヒカリだが、更に凄まじい注文の仕方に目を白黒させる。 アスカは大雑把にユーロにいたときの同僚と説明していたが……。 「そんなに、食べられるんですか……? えーと、真希波……さん」 「私達にはこれくらいちょろいもんだよ。洞木ヒカリちゃん」 「え、どうして私の名前、まだ言ってないのに」 「そりゃー知ってるさ。お姉さんは姫やワンコくんのことはなーんでも知ってるんだよ。スリーサイズや趣味、当然、二人の共通の友達の事もね」 アスカの目が尋常ではなく危険な光を帯びるが、マリはニヤニヤ笑いを消さずに逆にアスカを見つめ返す。 「相変わらずこの厨二病患者が。あ、ワンコって……まさかシンジの事じゃないでしょうね?」 「ふっふーん、さーて、どうだかねー」 給仕が半分呆れながらマリの注文分をもってきて、所狭しとテーブルに並べ始めたのでアスカとマリの鍔迫り合いは一旦お開きになった。ヒカリに説明するように「なんだかんだいって年上だしね」と嘯くと、マリは優雅に、だがガツガツと獣が貪るような勢いでケーキと飲み物を片付け始めた。 (ほ、本当に食べてる……すごい。あんなに食べてあんなにスタイル良くて、いったいどうなってるの?) 瞬く間に無くなる料理に言葉もなく目を丸くするヒカリと、不機嫌さを隠そうともしないアスカ。ほとんど噛まずに団子を飲み込むと、マリはニコッと笑みを浮かべる。 「何しに来たのよアンタ? 知合い見つけたから話したかったとか、まさか暴食を満たすためだけじゃないでしょ」 「そりゃ勿論。ただその、確認しておきたかったんだ」 「確認?」 アスカの問いに「そ、確認」と応えるとマリは勢いよく席を立った。大きな……最近成長したことを実感するアスカの胸よりさらに二回りは大きな胸が、勢いよくブルんと揺れる。『まさかノーブラなんじゃ』とか思うアスカ。 立ち上がり、いちいち芝居がかった動きでマリはその場でターンする。マリの背が高い事もあるが、背中が一瞬、壁のような威圧感を感じさせ、開きかけた口を閉ざしてしまう。 「気を付けなよ、姫。この世界は私達の世界じゃないみたいだけど、まだ君とワンコ君の世界に収束したわけじゃなさそうだよ」 「だからあんた何言ってるのよ」 マリの謎めいた言い回しが、普段のはぐらかしではなく、何か重大な意味を持っているように思えた。 「忠告だよん」 急に、年齢以上に大人びた表情を見せたマリが頭だけ振り返る。横目でアスカを見つめつつ、小さく笑った。 「……彼だけじゃなく姫の事も好きだからね。気を付けなよーホントに。ミスったらパクっといかれちゃうよ」 そのまま振り返りもせずその場を立ち去るマリに、アスカは困惑を隠せない。歩く後ろ姿だけでも絵になる。ちょっと嫉妬を感じるが、自分だって負けてはいない。 だがそれにしても、だ。あまりというかほぼ全く交流がなかったとはいえ、マリが謎めいている・電波がかった言動をするのは知っていたつもりだった。聞くのと見るのとでは大違い。 (たぶんこれは予兆だ) マリの登場で、なにか厄介なことがこれから起こるのだろう。 初出2021/07/04
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