【恋ってね! 十夜編  -01-】
 
――恋って、なんて素晴らしいものなんだろう。


彼を好きになって初めてそれを知った。
生まれて初めての恋だった。
好きな人のちょっとした一言や態度で一喜一憂したりドキドキしたり。
毎日が新鮮で、たまにすごく疲れるけど人生ってスバラシイって本気で思うこともたくさんあったりして。
もっとも、この恋が成就するなんて俺は思ってはいないけど。
だって俺が好きになった相手は、自分と同じ男だったんだ……。



初めての出会いは、学校の廊下だった。
「あの。落ちましたよ?」
自分のそそっかしい性格はよく分かっているから普段から気をつけているけれど、どうやらなにか落し物をしたらしい。
タイミングよく親切な人に気がついてもらって良かったと、俺は感謝の気持ちを抱きつつ、振り返った。
「ありがとう」と礼を言おうとして言葉が止まる。
彼があまりにも……綺麗だったから。
「あの…?」
白い肌、ピンク色の頬、艶やかな唇。
可愛いのに色っぽくて、最初は女の子だと思ったのに彼は俺と同じ制服を着ていて、びっくりした。
「えっと……。この本、先輩のじゃありませんでしたか?」
黙ったままの俺に不安を感じたのか、彼は困った顔をした。
ぼうっと彼に見惚れていたのに気がついて、俺は慌てた。
「あ。ごめん。俺の。今、読みかけで……。どうもありがとう」
なんとか笑顔を取り繕って、俺は彼から読みかけの小説を受け取った。その際に彼の指先と触れ合い、俺はどきどきしてしまった。
「この作者の本、俺も好きです。新作も良かったですよね」
にこっと微笑む彼に、俺は気の利いたセリフ一つ言えず、「ああ。俺も読んだけど、面白かったよ」と当たり障りのない返事をするのが精一杯だった。
もっと彼と話したい……と願ったのは俺だけだったようで、軽く俺に頭を下げてから、彼を呼ぶ声にあっさりと俺から離れていった。



二度目の出会いは放課後の委員会だった
俺は高校に入学して以来、読書が好きっていう単純な理由から、図書委員を務めていた。昼休みや放課後の貸出当番はちょっと面倒だけど、自分が好きな本を司書の先生に頼んで購入リストに加えてもらえたりと特典もあったりする。それになにより、図書委員には俺同様、本好きの人間が多くて、話が合うのが嬉しい。中にはまったく本には興味がないようで、なんで図書委員を選んだのか、分からないような人もいるけど。きっと、彼らのクラスでは、図書委員は人気が無く、ジャンケンで負けたとか、そういうオチなのだろう。
本に興味がない生徒でも、みんな仕事は真面目にしてくれているし、先日行われた本の修理作業……その日は図書室を完全に閉鎖し、傷んだ本を修理するのだ……にも嫌がらずに参加してくれているから、人間関係の揉め事もないし、自分としては仕事の内容だけでなく、委員会の雰囲気も気に入っていた。
だから、一年の終わりに一学年上の先輩から委員長を引き受けてもらえないかと懇願されたとき、引き受けることにした。俺が通う高校は一応、この辺りでは一番の進学校なので、通常、委員会は二年の頭には引き継ぐことになっていた。
「図書委員長の宮城十夜(みやしろ とおや)です」
俺はホワイトボードにはっきりと自分の名前を書き、自己紹介した。ぐるりと出席者の顔を見渡すと、彼……武藤渚(むとう なぎさ)は真剣な眼差しで俺の話を聞いていた。なんと、俺が一目で惹かれた可愛い一年生は、俺と同じ図書委員だったんだ。委員会の日が今まで以上に、楽しみだったりして。公然と武藤に会うことができて、話だってできるのだから。
さらにラッキーなことに、仕事の分担で、俺と武藤は火曜日のカウンター係りをすることになった。けっして委員長としての権力を使ったわけじゃないぞ! 元々、カウンターの当番は、1年生と2年生をペアにして、担当させる予定だったんだ。
で、今日は火曜日で、俺と武藤が一緒にカウンター係をする日。
だから、一週間のうち、俺が一番楽しみにしているのが火曜日。
――武藤、やっぱカワイイなー。
隣に座っている片想いの相手を、俺はこっそりと観察していた。俺が武藤に惚れた理由っていうのは、武藤のカワイイ容姿による部分はけっこうあると思う。自分が面食いだなんて自覚していなかったけど、俺は一目で武藤の可愛さにノックダウンさせられた。
さらさらの色素の薄い髪にぱっちりとした大きな瞳。桜色の唇に、吹き出物一つない美しい肌。そんじゃそこらの女の子じゃ太刀打ちできないほど、武藤は完璧に可愛らしかった。
性格のほうは容姿同様なよなよしているかと思えばそうでもなく、そのギャップがまた俺の心を惹きつけた。
武藤は普段は物静かだが、いざというときは自分の意見をきっぱりと言う。フェミニストな面があって女の子には優しいし、基本的に困った人間を放っておけないという慈悲深い性格の持ち主なのだ。
俺にたいしては「先輩、先輩」とよく懐いてくれて、俺は内心ほくほくだった。
――うう。あのふっくらとした唇に、キスしたいな…。
俺のほうが武藤より十cm高い。キスするのに丁度イイ身長差。
なーんてね。
「あの、宮城先輩」
「ん? なあに?」
邪な内心を押し隠し、ことさら優しい笑顔と声を作って言った。
「実は俺……相談したいことがあるんです。今日の放課後、付き合ってもらっていいですか?」
「うん。いいよ。特に用事ないし」
俺は二つ返事で承知した。
たとえ用事があったとしても、武藤のためなら、俺はその用事のほうをすっぽかしたに違いない。武藤の誘いは俺にとって、これ以上はないほど魅力的なものだった。
それに悩み事を相談してくれるだなんて、甘えられているようでウレシイ。武藤にとって、俺は頼りがいのある先輩なのだ。
「じゃあ、駅前にある喫茶店にでも行こうか? あそこ、うちの高校の生徒は行かないし」
「え。そこって、『W‐MARY(ダブル・マリー)』って名前のお店ですか?」
「うん。そうだけど?」
「すっごいお洒落でステキな雰囲気の店で、入ってみたいけど、なかなか俺らには敷居が高くて……」
「最初は、ちょっと入りづらいかもね。でも、店内も静かな雰囲気で、落ち着けるお店だよ。ファーストフードに比べたら高めだけど、おいしいコーヒーを出してくれるしね」
あっさりと言った俺に、武藤は尊敬の眼差しを向けてきた。
武藤はなぜか俺のことを心から慕ってくれているらしく、ことあるごとに「先輩ってスゴイ!」的な眼差しで俺のことを見つめてくれる。
嬉しいんだけど、ちょっと俺にはプレッシャーだったりする。
「キミが好きだ」
なんて言ったら、『尊敬の眼差し』が『軽蔑の眼差し』に変わっちゃいそうでさ。だから俺は自分の気持ちを隠すしかない。
男同士だもん。
やっぱり、告白なんか出来ない。
せいぜい、俺にできることといえば、こうして先輩風を吹かして相談相手になってあげるぐらいだ。
――あ〜あ。俺って小心者……。
俺は武藤に気が付かれないように、そっと溜息を付いたのだった。



「で、悩み事ってなにかな?」
喫茶店に入ってからも、なかなか武藤は相談事を口にしようとはしなかった。そうとう人に話すことがはばかられる内容らしい。
俺は武藤を安心させるように、にっこりと微笑みかけた。親友の萩原賢司(はぎわら けんじ)に言わせると、俺の笑顔は「天使の微笑」らしい。どんな悪人でも悪事を洗いざらい白状したくなるのだとか……。誉められているのかなんなのかよく分からないけど、親友の言葉を思い出しながら、俺は武藤から言葉を引き出すために、にこにこと笑みを顔に貼り付かせた。俺の笑顔に安心したのか、武藤はぽつりぽつりと自分の悩み事というやつを話し始めた。
「あの、俺……。ヘンなんです……」
「? ……ヘンって? 体の調子でも悪いの?」
「い、いえ。そうじゃなくて。多分、精神的な問題で……」
「精神的?」
一体、武藤は何が言いたいのだろう。想像が付かず、俺は小首を傾げた。再び黙り込んでしまった武藤の言葉を、俺は辛抱強く待った。
……ヘンって……何があったんだろう……。
心配だ。
「実は俺、男のヒトを好きになっちゃったみたいなんです!」
「…………え?」
俺は驚いた。
俺自身、男の武藤を好きになったときにはさんざん悩んだ。
悩んだ挙句、好きだからしょうがないという結論に達した。まさか武藤も同じ悩みを持っていたとは。
男同士ということで諦めていたが、俺は自分の恋を諦めずにすむのかもしれない。武藤が好きな男というのはひょっとして俺のことなのかもなどと、俺は期待で胸を高鳴らせた。
しかし、人生はそこまで甘くはなかった。
「俺、宮城先輩の友達の、萩原先輩のことが好きみたいなんです!!」
「え―――――――――――――っ!!!」
突然出てきた親友の名前に俺は仰天した。同時に激しいショックを受けた。
萩原も、俺ほどではないが意外と読書好きなため、しょっちゅう図書室には出入りしている。武藤が萩原のことを知っていても不思議はない。
俺が当番の時にはカウンターに話をしに来ることもあるから、俺と萩原が親しいことも傍で聞いていて分かっただろう。案外、俺と話している萩原を見て武藤はヤツを好きになったのかも知れない。
しかし、まさか最も親しい友人のせいで、自分が失恋する羽目になろうとは。俺は軽い目眩を感じた。
「き、気持ち悪いですよね。ごめんなさい、先輩。変なこと言ってごめんなさい……」
武藤は顔を赤くして、ぽろぽろと涙を流し始めた。儚げな外見に反して芯の強い武藤が初めて見せる、弱々しい姿に俺は激しく動揺した。
「いや! 気持ち悪いなんてことはないよ! 俺も、俺の好きなヒトも男だから!」
「え?」
俺の言葉に、武藤は驚いた顔をした。あまりにもびっくりして涙も引っ込んでしまったらしい。
「え? 宮城先輩もですか?」
「うん。だから、武藤の気持ちはよく分かるよ。それに萩原は、男の俺から見てもカッコイイしね。惚れちゃうのも仕方ないかな?」
武藤の涙が止まったことにほっとしつつ、武藤の気持ちを宥めるように、俺は言葉を重ねた。
「そう、ですよね! 萩原先輩、すごくカッコイイですよね!」
 武藤は力強く同意した。
認めるのは悔しいが、萩原は野性的な雰囲気を身に纏ったイイ男だ。制服を着ているときならともかく、私服のときはまず高校生には見られない。身長はさほど俺と変わりはないが、俺と違って体には綺麗に筋肉が付いている。水泳の授業のときには萩原の裸の上半身をたっぷり観察し、しみじみその肉体美に見惚れてしまった。
同級生の女子の言葉を借りるなら、萩原には強烈なセックスアピールがあるのだそうだ。漂う危険な香りがたまらないらしい。
ちなみに俺は超安全パイで、二人きりで同じ部屋にいたとしても襲われる心配は0。それどころか、襲いたいと言われてしまった。女の子に襲われそうになる俺って一体……。
女子の考えることはイマイチよく分からない。
「宮城先輩が好きな人って誰ですか? 俺の知っている人?」
俺が好きなのは武藤だ。だが、今この場面でそれが言えるはずもない。
「そう。武藤も知っている人。……ごめん、それ以上は言えない」
「そうですか。……でも、宮城先輩も俺と同じだったんだ……」
武藤はほっとしたように溜息をついた。
「俺、ずっと悩んでいたんです。最初は男の人なんか好きになるはずないし、たんなる憧れだって思ってて。でも、萩原先輩が傍にいるだけでどきどきして。声をかけられるだけですごく舞い上がっちゃって」
うん、うん。すごくよく分かるよ、その気持ち。俺も武藤が傍にいるだけでどきどきした。話をするだけで嬉しかった。
「最初は見ていられるだけで満足だったんです。でもどんどん欲張りになっちゃって。相手にとって自分は、たんなる友人の後輩かと思うとたまらなくて」
そうだね、武藤。俺もたんなる先輩と後輩じゃなくて、別の関係になりたかったよ。たとえば恋人同士、とかさ。
「でも告白する勇気もなくて。俺、男だし。気持ち悪がられるかなって思って」
俺もだよ。とても告白する勇気はなかった。軽蔑されるのが怖かった。
「諦めるしかないなって思っても諦め切れなくて、ずっと辛かった」
辛い。俺も辛いよ。今、すごく辛い……。
でも俺は、泣く代わりににっこりと笑って見せた。せめて、尊敬できる先輩という地位だけは守りたかった。
「けど、宮城先輩に相談して、俺、すっきりしちゃいました。萩原先輩に好きって言います。何もしないで諦めるなんて性に合わない。精一杯のことはします」
「……武藤は、男らしいな」
自分の気持ちを相手に伝える決心をした武藤は、凛々しくてカッコ良かった。やっぱり好きだなと思った。
もう永遠に、告白する機会は失ってしまったけれど。
「武藤の悩みが解決して良かったよ。じゃあ、そろそろ出ようか?」
俺は伝票を片手に立ち上がった。武藤は慌てて、俺の手から伝票を奪おうとした。
「先輩、俺、奢りますよ。相談に乗ってもらったの、俺だし」
「やだな。後輩に奢らせるなんてとんでもないよ。ここは大人しく奢られなさい」
「はい。すみません、先輩……。ごちそうになります。今日はいろいろと、ありがとうございました」
武藤は恐縮してぺこりと頭を下げた。
いいよ、武藤。俺に礼なんて言わなくて。俺は心の中で、武藤が失恋することを祈っているんだから……。



「ひどいじゃないですか、先輩! どうしてあのとき、本当のことを言ってくれなかったんです?」
翌週、図書室で顔を会わせた途端、武藤は激しく俺を詰った。顔を真っ赤にして怒っている。
俺は武藤の怒りの原因が分からず、困惑した。
「え? 本当のこと?」
「そうです! 萩原先輩と宮城先輩、付き合ってるそうじゃないですか!」
「…………………え?」
俺と、萩原が、付き合ってる……?
まったく思いもよらないことを言われ、思わず目が点になってしまった。
俺と萩原は親友だし、仲はかなり良いほうだけど、それは友人としてだし、『付き合ってる』っていうような類の仲じゃない。何がどうなって武藤がそんな考えに思い至ったのか、想像がつかない。
「あの、武藤。それって勘違いだよ。俺にとって萩原は親友だ。恋人じゃない」
俺の前ではいつも武藤はにこにこしていたから、怒られるのなんて初めてだ。武藤の剣幕にちょっとびびっていたけど、俺は平静を装い事実を口にした。
ちゃんと話せば分かってもらえる……と、思うんだけど……。
「でも! 萩原先輩は確かに俺に言いました。『宮城がいるからお前とは付き合えない』って!」
……宮城がいるから??
……ひょっとして萩原、俺の気持ちに気付いていて、それで俺に遠慮して武藤の告白を断ったとか?
……武藤は「宮城がいるから=付き合ってるから」って解釈したけど……俺と萩原が付き合ってるってことは絶対無いわけで……だからそれは勘違いで……「宮城がいるから=宮城が武藤のことを好きだから」……ということなんじゃ……。
武藤は男だけどめちゃくちゃカワイイ。惚れた欲目は多分にあるだろうけど、それでもあっさり武藤が振られたなんて信じられない。
ひょっとして萩原も武藤が好きで、でも俺が武藤を好きだから、それで武藤を受け入れなかったのかも知れない。
恋よりも友情を取ったってやつだ。
なんかすご〜く有り得そうな話じゃないか? 親友に想い人を譲るってさ。
俺と萩原は同い年だけど、入学以来、のんびり屋の俺をしっかり者の萩原が、なにかとフォローしてくれていた。萩原にとって俺って、頼りない弟みたいなものなのかも……。だから、なおさら、自分の気持ちを押し殺してでも、俺の恋の成就を邪魔すまいと思ったんじゃないだろうか。
愛想の無い態度が誤解を生むのか、萩原のことを怖いっていうやつもいたけど、俺は萩原ほど優しい男を知らない。萩原が俺のために身を引くってのは、意外でもなんでもない話だ。
だが、早まるな、萩原。
俺はな、どんなに辛くったって、ちゃーんと友人の幸せを祈れる男なんだよ!
「俺、もう、宮城先輩のこと信じられません! 今まで尊敬してましたけど……あんた、最低だよ。自分のオトコに片想いした俺のこと、内心で嘲笑ってたんだろ?」
 きつい言葉で罵りながら、武藤は目に涙を溜めていた。可哀相で痛々しくて、俺まで胸が痛くなるような思いだった。
「ち、違う! 誤解だ! 俺、今から、萩原とっ捕まえてどういうつもりだか聞いてくるから! 俺は武藤の信頼を裏切るような真似、絶対にしてないよ!!」
だって、俺、武藤のことが好きだ。
内心で嘲笑うなんてこと、絶対に、ない!
俺はまだ疑わしそうな顔をしている武藤を置いて、図書室を飛び出した。
俺のせいで、大好きな二人を不幸にするわけにはいかないから。
きちんと萩原と話をして、俺の気持ちを分かってもらおうと思った。



……萩原のヤツ、どこにいるのかな? あいつ帰宅部だし、この時間なら校内にいない可能性もあるけど……。
俺はまず玄関に行ってあいつの靴があることを確かめた。上履きのまま家に帰る人間は滅多にいないから、萩原はまだ校内にいるのだろう。
俺はふと思いついて自分の教室に向かった。
案の定、萩原はいた。窓際の席に座ってなにか考え事をしているようだった。
萩原の横顔を見ながら、悔しいけどカッコイイなとしばらく見とれた。武藤が萩原を好きになる気持ちもよく分かる。
凛々しい顔立ち。男らしく鍛えられた体躯。ネクタイを緩めて頬杖をつき、ぼんやりと遠くを見つめているさまは、一枚の絵のようにきまっている。着崩した制服姿は、人によってはだらしないだけだけど、萩原だとそういう格好も目を惹くっていうか。下品にならず、むしろワイルドでカッコいいっていうか。ハンサムは得だ……。
「よお。どうした?」
入り口のところに立っていた俺に、声を掛けるより前に萩原が気が付いた。物憂げな表情のまま、視線を投げかけてくる。
萩原の独特の色気と言うか雰囲気に気圧されつつ、俺は萩原を探していた目的を果たすべく、口を開いた。
「どうした、じゃない! お前、武藤の告白、断ったんだって?」
「まーね。その気がないんだから、断るしかないだろ?」
たしかにその気もないのにOKするほうがよほど無責任だ。
だが、本当に、その気がないのだろうか。俺はなんとか萩原の本音を引き出そうと会話を続けた。
「『宮城がいるから付き合えない』って言ったんだって? どうしてそんな言い方するんだよ。おかげで俺、武藤に勘違いされたぞ」
「勘違い?」
「ああ。俺とお前が付き合ってるって……」
「あー。そりゃ、完璧に武藤の勘違いだな」
「だろ? なあ、お前。武藤にちゃんと勘違いだって言ってくれよ。俺が言うよりお前が言ったほうが早いし……」
俺が予想したように、俺が武藤のことを好きなのを知っていて、それで断ったってわけでもなさそうだ。萩原はすでに武藤に告白されたことなど気に掛けていない様子で、どうやら俺の考えすぎだったみたい。本当に萩原は、武藤にそういう気持ちは抱いていないらしい。俺にとって武藤は可愛くてたまらない存在だけど、萩原にとってはそうじゃないんだ。不思議なことに。
……あれ? それじゃあなんで、『宮城がいるから』なわけ??
「分かった。武藤には俺とお前は付き合っているわけじゃないってはっきり言っておく。俺が勝手に片想いしているだけだって」
「………………………………………………え?」
……………………………………………………????
……あれれ? なんか俺、今、すごいことを言われたような……。
……片想い……って……。えええええ?? えーっと。今の萩原の発言ってまるで……。
さらりとした口調で言われたので、聞き逃しそうになった。
けど、今のは、もしかして、まさか……。
「…………なんか、萩原が俺のことを好きって言ってるみたいに聞こえたけど……???」
「そう言ってるんだから、そう聞こえるんだろ」
おそるおそる尋ねる俺に、萩原はどこか投げやりな口調で答えた。
「え? え? ええ――!!!???」
俺は驚いた。この展開はまったく予想していなかった。
俺たちが恋人同士だって武藤が勘違いしているから、その勘違いを正して欲しいと思っただけだったんだけど……。
そして、もし萩原は俺のために武藤の告白を断ったのだとしたら、考え直して欲しいと思っただけだったのに……。
なんで俺、今、親友に告白なんかされちゃってるわけ??
「え。な、なんで? 俺たち、親友だろ? どうして???」
そんな素振りなんて、今までなかった。
 なのにどうして急に、そんなことを言い出すんだ??
 冗談……なのだろうか。けど、萩原の顔は俺をからかっている風でもないし……。
「俺、隠していたつもりなかったぜ。お前鈍すぎ。なんで俺が読書好きでもないのにわざわざ図書室通いしてたと思ってんだよ?」
 俺の反応を見て、萩原は心底がっかりしたようだった。
 俺にとっては突然でも、萩原にとってはそうではなかったらしい。
「ええ?? 読書好き、じゃない? えええええ!!??」
「お前のことが好きだから。お前のことを理解したくて、お前が薦めた本を読んだ。俺って健気だろ? っつーか、女々しいか……」
萩原は自嘲した。いつもは自信に満ちている友人の弱々しい姿に、俺は動揺した。
「女々しいなんてことないよ! 萩原は男らしくてカッコイイよ! 武藤が惚れちゃう気持ちもよく分かるよ!!」
「……じゃあ、宮城。俺と付き合ってくれるか?」
「…………………………………………………え?」
――つ、付き合う? あれれれれれ? 俺と、萩原が?
俺の頭は完全にパニック状態。
だってさ、俺、考えたこともなかった。萩原が俺のことを好きだなんて。
萩原とは一年のときから親友やってるけど、萩原からの熱い視線なんて感じたことなかったぞ。……俺が鈍いから、気が付かなかっただけ? それにしてもびっくりだよ〜。
片想いの相手に振られたと思ったら、俺が振られる『原因』から告白されるなんて……。
考えてもみなかった。
「悪い。忘れてくれ。男からの告白なんか気持ち悪いよな……」
萩原、力いっぱい憂い顔。
う。
やっぱカッコイイ。
なんかさ。女子が言ってたとおり、萩原って男の色気があるんだよねー。羨ましいぜ。
――などと羨んでいる場合じゃない!
「いや、別にっ! 萩原カッコイイし、気持ち悪いなんて、俺、ぜんぜん思ってないし!」
「それなら、俺と付き合ってくれるか?」
「う。そ、それは……」
同性から想われているからといって、気持ち悪いとは思わない。自分の想い人も男なのだ。気持ち悪いと思うはずがない。
でもだからといって、萩原と付き合うわけにはいかない。だって、俺が好きなのは武藤なのだ。武藤は萩原のことが好きで俺は完全な失恋なわけだけど、でも、俺は武藤のことがずーっと好きだったのだ。簡単に思い切れるものでもない。あっちがダメだったらコッチなんてこと、できるはずがない。
それに、萩原にだって失礼だ。けれど問題は、どうやったら上手に萩原からの交際の申込を断れる? 俺は、萩原という親友を失いたくない。けれどここで萩原の申し出を断ったら、気まずくなってしまいそうだ。
――う〜むむむ。俺は武藤のことが好きなんだから。萩原とは付き合えないよ〜。……でも、どうしよう。萩原は大事な友人だし……。
俺はものすご〜く困った。
俺は武藤が好き。
武藤は萩原が好き。
荻原は俺が好き。
一方通行の矢印が作る見事な三角形に、俺は唖然としてしまう。こんな偶然ってホントにあるんだ。
やっぱり荻原にはちゃんと断らなくちゃいけない。大切な友達だからこそ、いい加減な返事はできないと俺は思った。
「あの、さ……」
ごめん、萩原とは付き合えないよ。……という前に、教室に勢いよく武藤が飛び込んできた。
「宮城先輩、すみませんでした!」
武藤は俺に向かって、深々と頭を下げた。
「俺、勝手に勘違いして先輩のことを責めて……恥ずかしい。ごめんなさい、俺、立ち聞きしてました!」
「立ち聞きって……」
萩原とのやりとりを、全て聞かれていたんだろうか?
――だったら、一応、誤解は、解けたのかな?
萩原が俺のこと好きってことは、武藤にとっては俺って邪魔者って気もするけど。
でも、武藤、もう怒ってないみたい。とりあえずは良かった。
萩原と俺が恋人同士で、武藤を影で嘲笑っていたなんていうとんでもない誤解は解けたんだ!
そう安心しかけたところで、武藤がまだまだ力いっぱい勘違いをしていることに俺は気づかされた。
「誤解してあんなこと言っちゃったけど、俺、宮城先輩のこと尊敬してるし。やっぱ、失恋は辛いけど、でもちゃんと萩原先輩との仲、応援していますから!」
「…………………………………………………………………………応援?」
どうして俺が、片想いの相手に応援されなきゃいけないんだ?
武藤、お前はまだなんか勘違いしてないか!?
「宮城先輩の好きな人も、男の人だって言ってましたけど……。萩原先輩のことですよね? よかったですね、宮城先輩。片想いが報われて」
「……………………………………………………………………………え?」
「いいんです! 俺のことは気にしないでください!! こーゆーことって、仕方ないことだってちゃんと分かってるし……。俺、お二人とも大好きなんで、幸せになって欲しいってマジで思ってるし!!」
武藤は気丈にも、目に涙を溜めながらにっこり笑ってそう言った。
――あう〜。やっぱり武藤、カワイイよぅっ。
そうだ! 俺が好きなのは武藤であって、萩原じゃないんだ!
「あの、でも俺、そんな意味で萩原を好きなわけじゃないし……」
「今さら隠さなくてもいいですよ。先輩、この前、萩原先輩はカッコイイから惚れちゃうのも仕方ないって言ってたじゃないですか。……今思えば、あれって自分に対しての言葉だったんですね。どうしてそのときに気がつかなかったんだろう。俺って鈍感……」
――まったくだ、武藤。お前はとんでもない鈍感少年だ。そして勘違い大魔王だーっ!
「本当か、宮城! お前も俺に惚れているって!!」
「え。あの……」
萩原は期待に満ちた目を俺に向けた。
――プ、プレッシャーがっ!
俺はぎこちなく視線を逸らした。
――だから、俺が好きなのは武藤なんだってば。萩原、お前はたしかにカッコイイよ。親友として、俺はお前のことを誇りに思っていたよ。それは絶対ウソじゃない。けどな、俺が好きなのは武藤みたいにカワイイ子なんだよ!
「本当です! 宮城先輩は萩原先輩のことが好きなんです!」
なぜか俺の代わりに武藤が答えた。武藤は、俺が萩原のことを好きだと信じて疑っていなかった。
――…………………………………………………………………………言えない!
この雰囲気で、俺が好きなのは萩原じゃなくて武藤だなんて、言えない!
俺、自分のこーゆーとこってちょっと嫌い。見栄っ張りってゆーか、周囲に期待されると弱いんだよね! 昔から俺は親の言うことを聞くいい子ちゃんだった。俺、両親のこと尊敬してるし好きだし。あえて反抗しようとも思わないけど。でも、さ。事なかれ主義ってゆーか、日和見主義ってゆーか、他人と争うぐらいなら、自分の意見を引っ込めちゃうようなとこ、あるんだよね。俺って。他人と争うのって大っっ嫌い。
だから外見は女の子みたいに可愛いのに、はっきり自分の意見を言える武藤に俺は憧れたんだ。
で、…………………………………………………………………………どうしよう。
「あ、あの、萩原、俺、さ………………」
「お前も俺のことを好きでいてくれたんだな。宮城、好きだ。一年のときから好きだった。絶対に、幸せにする」
武藤の前だというのに、萩原は俺をしっかりと力強く抱き締めた。
――…………ぎえええええええっ。
「じゃ、あの、俺……。邪魔しちゃ悪いんで、これで失礼します」
顔を真っ赤に染めて、武藤は慌てて去って行った。
――ま、待ってくれ、武藤! 違うんだっ!!
しかし萩原にしっかり抱き止められていて、俺は武藤の後を追って誤解を正すことができなかった。
「好きだ、宮城。愛してる……」
熱い想いを耳元で囁かれる。首筋の辺りがぞわぞわした。
――…………………………………………………………………………どうしようっ!!
いつの間にか、俺は萩原と付き合うことになっていた。
萩原のいつになく嬉しそうな表情を前にして、「誤解だ!」とは言えなかった。
――俺は武藤が好きなのに〜っ!!!!!
しかし萩原の熱い抱擁から、俺は逃れることができなかったのだった。
 
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