【恋ってね! 飛鳥編  -01-】
 
目を開けると、目の前に穏やかに眠っている恋人の顔があった。
……珍しい。
どうやら情事の後、二人揃って寝てしまったらしい。毛布の下は二人ともまだ裸のままだった。
自分の場合、眠ったというより、感じ過ぎて気を失ってしまったのだけれど。
「……渚(なぎさ)?」
小さな声で、恋人の名を呼んでみる。
けれど、わずかも反応が無いから、相当深く寝入っているみたいだ。
体液で濡れたシーツが気持ち悪かったが、恋人を起こすのが忍びなくて、我慢することにした。それに、こんな機会滅多にない。思わずじっくりと恋人の寝顔を観察してしまう。いつもは思う存分に欲望を果たしたら、恋人はさっさと身づくろいして家に帰ってしまう。いくら自分が頼んでも、そのまま泊まっていってくれたのはほんの数回だ。恋人が自分ほどには想ってくれていないことを思い知り、そのたびに哀しくなった。
俺はいつだってずっと一緒にいたいのに。
武藤渚(むとう なぎさ)。それが俺、東雲飛鳥(しののめ あすか)の、最愛の人の名前。一年生の頃からの付き合いで、一応は恋人と呼ばれる存在なのに、未だに俺は彼を手に入れた気がしない。いつまでも、片想いしているみたいだ。
一人で起きているとなんだか寂しくて泣きたくなって、俺はそっと手を伸ばして恋人の頬に触れた。白くて滑らかな肌。長い睫。すっきりとして高い鼻。色素の薄い髪。形良い唇に、整った輪郭。恋人は、とても綺麗な顔をしている。でもけして女には見えない。一年生の頃は美少女にしか見えなかったのに、恋人は年を経て『男』としての美しさを身につけていた。身長も以前は俺とさほど変わらなかったのに、今ではおそらく180cmちょっとある。俺は結局、170cm弱で身長が止まってしまった。
背が高いだけでなく、受験生になってからも週に一度は合気道の道場に通い体を鍛えている恋人は、ほどよく筋肉をつけた逞しい体格をしている。着やせするタイプなので大柄というイメージは無いが、生まれたままの姿で抱き合ってみれば、男らしい体躯にくらくらさせられる。
運動だけでなく、恋人は頭もいい。俺たちが通っている学校は進学校だというのに、恋人は毎回、テストでは学年で5番以内には必ず入っていた。まさに文武両道。性格だって、面倒見が良くてしっかりしているから、同じ学年の生徒からも頼りにされ、男女問わず人気がある。
代々、人気のある生徒にはあだ名がつくのだけれど、校内のファンから恋人は『氷の王子』と呼ばれていた。それを初めて聞いたとき、なるほどと納得してしまった。品のある容姿と、何事にも動じないクールな性格の恋人には良く似合っている。校内におけるファンの数は、今年卒業した『帝王』こと萩原健司先輩や、『天使』こと宮城十夜先輩と張り合うほどだ。
魅力的な恋人を誇らしいと思う以上に、俺は不安だった。恋人の心を、誰かに盗られてしまわないかと。恋人が素晴らしい人であればあるほど、なんの取り得も無い自分が、恋人の心をいつまでも惹き付けておけるか自信が無いからだ。
こんなことを口にしようものなら、「俺のことがそんなに信じられない?」と、恋人は冷ややかに怒るだろう。でも、そうじゃない。渚のことを信用していないんじゃない。だって、これは仕方ないことなんだ。俺より渚に相応しい人間はいっぱいいるから。いつか渚が他の人間に心移りすることは、仕方の無いことなんだ……。
「……ん。飛鳥……?」
「……ぐっすり眠ってたね。疲れてる?」
「まあね。一応は受験生だしね」
起きたばかりだというのに渚は眠気を感じさせない声で言い、俺の肩を抱き寄せた。そして、唇を深く合わせてくる。もちろん逆らう理由なんて無いから、俺も舌を絡めて口付けに応えた。
……渚。好き……。
はっきりと進路は訊いていないけど、渚は頭がイイし、きっとレベルの高い大学へ進むに違いない。
俺は、中学時代はそれなりに成績が良かったけど、無理して入った高校では授業についていけず、今ではすっかりおちこぼれだ。追試は毎回受けさせられている。渚とは大違い。
俺はどうやら、勉強があまり好きではないらしい。なので進学はせず、専門学校で手に職をつけようと考えていた。つまり、二人の道はここで別れることになる。
離れた場所で、渚は新しい生活を始める。そしてそのうち、高校時代の恋人のことなど忘れてしまうのだろう。……同性の恋人がいたなんて、汚点以外のなにものでもないのだから。
いずれは、ちゃんとした可愛い女の子と付き合って、いわゆる一流企業に就職して、結婚して、家庭を作って、子供を育てて。そんな『完璧』と言えるような人生が、優秀な恋人には似合っている。自分とともに、堕ちていい人ではないのだ……。
「……なに、考えてるの?」
「いたっ……」
俺が集中していないことに気がついたのだろう。渚は焦れて、俺の乳首をきつく摘んだ。
前から思っていたけど、渚はちょっとS入っていると思う。さすがに鞭で打たれたことは無いけど、目隠しされて手首を縛られたままバックから犯されたこともあるし、さんざん焦らしてなかなか挿れてくれなくて挿れて欲しかったらエッチなこと言えとか強要するし。この前は目の前で一人エッチさせられたし、裸エプロンでおしりの中にエッチな玩具を挿れられたこともあったし、メイド服で奉仕させられたりもあったし。
ストイックな王子様が実はこんなにエッチだって知ったら、騒いでいる女の子たちは渚に幻滅してくれるかな? だったらいいけど。
「あっ………ああっ…っ!!」
いきなり強い力で腰を押し付けられ、一気に奥まで突き上げられて、思わずのけぞった。目には涙が浮かんでくる。今日受け入れるのは二度目だし、痛くは無いけど、それでもひどい圧迫感だ。
「や、やだっ。そんな、乱暴に……」
「どうせ、すぐ良くなるくせに」
くすりと笑って、渚は腰を回すように動かし始めた。
そして俺の反応を見ながら動きを変え、今度は小刻みに入口の付近で出し入れする。
俺がイイところを……全て、知られてる……。
「あっ……イイっ……!」
快楽の波に流され渚の下で身悶えると、渚は俺の乱れる姿を見て、嬉しそうに笑った。
……む、むかつくっ。
自分がいっぱいいっぱいなのに、余裕ありげな恋人の様子に、俺は腹を立てる。でも、さらに深い快楽に突き落とされ、そんなことを考える余裕もなくなる。
もっと深くまで渚が欲しくて、俺はうつぶせになって尻を突き出した。
「……渚ぁ……」
ねだるように腰を振ると、渚はすぐに望みのものを与えてくれた。
再び奥まで突き入れ、そして荒々しい動きで俺を犯す。
自分のオトコの逞しさに、陶然としながら俺は喘いだ。
「あ……イイ……あっ……!」
前を触られてもいないのに、俺は後ろだけの刺激でイってしまった。
今まで渚以外の男に惹かれたことなんてないから、性的嗜好がまるっきり同性愛者じゃないのかもしれないけど、こんな体で女の子なんてきっと抱けない。渚はいつか他の人を選ぶかもしれないけど、俺には渚だけだ。渚以外の誰にも、触れられたくなんてない。
渚を締め付けながら白濁した体液をシーツの上に飛ばすと、少し遅れて体内でどくんと脈打つのを感じた。渚もイったみたいだ。体の中が、生暖かい液で満たされる。
「可愛かったよ、飛鳥」
萎えたものを抜かずに繋がったまま、渚は俺に唇を寄せてきた。優しいキス。さきほどの猛々しさが嘘みたいだ。
……嬉しい。
「ごめん、中で出しちゃった。綺麗にしてあげるから、ちょっと足広げて」
「……うん」
恥ずかしいけれど、渚が優しくしてくれるのは嬉しいから、俺は頷いた。
セックスするのは、好きだ。渚がまだ俺に関心を持っているって実感できるから。
心が伴っているかまでは分からないけど、体だけでも求めてくれるのなら、嬉しいと思ってしまう。
濡れたタオルで拭かれる感触に身を任せながら、俺はいつの間にか眠ってしまった。
今度は目覚めたら朝だった。
「おはよう、飛鳥」
一瞬、夢か現実か区別が付かなかった。
渚はすでにきっちりと服を着込み、飛鳥の勉強机を使って問題集を解いていた。
……そういえば渚は昨日、珍しくうちに泊まっていったんだった……。
「おはよ……」
どんよりと重い頭を持ち上げて、ベッドの傍に置かれたテーブルの上に手を伸ばす。目覚まし時計を引き寄せ時間を確認すると、まだ朝の5時だった。
時間を知って起きる気が萎え、思わず枕に突っ伏す。
「俺、今日予備校で模試があるから一度家に帰るけど。飛鳥は今日予定ないでしょ。ゆっくり寝てたら」
「ん。んー。……起きる」
……渚を見送ってから二度寝すればいいや。
だって渚は受験勉強が忙しくて、最近はあまり俺のことを構ってくれない。
俺の家族が、たまたま全員昨夜いなかったからだと思うけど、渚が泊まっていってくれるなんて珍しいことだ。ぎりぎりまで一緒にいたい。
気力を掻き集めて起き上がり、眠気覚ましに顔をばちばちと手のひらで叩く。
「渚、朝ごはんどうする? 卵とベーコン、焼こうか?」
「家で食べるからいらないよ。コーヒーだけ淹れてくれる?」
「ん。分かった」
高校一年生の頃は、料理なんてまったく出来なかった。母親からも手伝えなんて言われたこと無かったし、興味も無かったから、包丁を握ったことすらほとんどなかった。せいぜい、調理実習のときぐらい。
それが今では簡単な料理ぐらいなら作れるようになった。
料理を覚えたきっかけは、渚が女の子から弁当を受け取ったこと。
同級生の女の子から告白とともに弁当を手渡され、告白は恋人がいるからと断ったものの、せめて弁当だけでも食べて欲しいと泣きながら懇願され、告白してきた女子は友達の彼女の友達というまったくの無関係でもないような微妙な関係で、あまり無下にも出来ずに渚は結局、手作りの弁当を受け取ったのだ。
「浮気モノ!」と渚を詰ったら、思いっきり冷ややかに見返され、頭をはたかれた。
俺は学食のうどんを食べながら、彩りも美しいおいしそうな弁当を食べる渚の姿を見て、心底悔しいって思った。俺はあんなふうに、渚に弁当を作ってあげられない。女の子には叶わない……。
悔しくて、悔しくて。
俺にも料理が出来たらってソファーの上で胡坐をかきながら愚痴ってたら、じゃあ教えてあげるわよと母に言われた。
母のその言葉を聞き、目が覚めるような思いだった。
出来ないことが悔しいなら、出来るように努力すればいい。そもそもなんで、女の子じゃなきゃ料理が出来ないなんて思い込んでいたんだろう。東雲家では父も兄も料理はまったくしない人だけど、料理人は男の人のほうが多いじゃないか。
「あの女の子に負けたくない!」「料理の腕を研いて、渚にお弁当を作りたい!」という一心で、俺は母に弟子入りすることを決意した。
最初は失敗ばかりで、包丁の使い方から覚えなきゃいけなかったから、とにかく苦労した。もともと器用なほうじゃないし、手も傷だらけになってしまった。生まれて初めて作った弁当は、料理というより得体の知れない異様な物体になってしまい、こんなもの食べさせられないと泣きながら捨てたこともあった。
母は手助けしてくれようとしたけど自分で作らないと意味がないと思って、何度も繰り返し練習した。
卵はちょっと焦げすぎだったけど、やっとの思いで「それなり」の弁当を作れたときは、感無量だった。
……でも渚、あんまり喜んでくれなかったんだよね……。
コーヒーを豆から挽いて淹れながら、渚に初めて弁当を手渡したときのことを思い出していた。
俺が弁当を差し出すと、渚は驚いた顔をした。そりゃそうだろう。料理の特訓をしていることはずっと内緒にしてたし、渚が俺の家にきたときも、お茶一ついれたことなかった。全部、母親とお手伝いさんに任せきりで。
渚は驚いた顔で俺が差し出した弁当を見つめ、そして盛大な溜息をついた。
……えええっ! なにその反応っ!! そりゃー、俺が勝手に作っただけだけど……。
……そのあからさまに呆れた表情は何っ!?
「……迷惑、だった……?」
渚は冷ややかな顔で、俺を無言のまま見下ろした。
俺はもう泣きそうだった。どうして渚が不機嫌なのか、検討もつかない。
「……渚……?」
半泣き状態で名前を呼ぶと、渚はもう一度、盛大な溜息をついた。
「別に、飛鳥に怒ってるわけじゃないから。十分予想できることだったのに予測し切れなかった自分に腹を立ててるだけだから」
「え?」
「気にしないで。なんでもないから。お弁当、ありがとう」
「あ、うん……」
渚は嬉しそうではなかったけど、一応、俺が作った弁当を綺麗に食べてくれた。
……で、その日の夜、約束してくれたんだっけ……。
「あっ……!」
放課後、渚の部屋に連れ込まれたと思ったら、いきなりベッドに押し倒された。器用な手つきであっという間に裸に剥かれる。嫌じゃなかったけど、こんなに性急に求められたのは久々だったから驚いた。
「な、渚……?」
戸惑う俺にはお構いなしで、渚はコトを進めていく。他の人のことなんて知らないけど、渚はえっちが上手いと思う。だって……いつもすぐ気持ちよくなっちゃって、脳みそまで甘く溶かされちゃってる感じだ。
じっくりと攻め立てられ、思う存分啼かされ、俺は意識が飛びそうだった。
前から貫かれ、オスの証で中を掻き回されて、とろとろに溶かされ強い快楽に犯される。頭がおかしくなってしまいそうだ。
「……飛鳥の指が失くならなくて、良かった」
「や……ん……」
入れられたままの体勢で、手をとられて指先を舌で愛撫され、俺は背を震わせた。
こんなところにも、性感帯はあるのだ。
「嬉しかったけど、ね。どれだけ痛々しかったか、分かってる? 料理するときは、一人でするなよ?」
「んっ……あんっ……。……だ、だってぇ……。渚に、弁当、作りたかったんだもん……」
「飛鳥はホントに、俺のことが好きだよね」
「うん……。好きっ……。俺には、渚だけだから……。渚が傍にいてくれるなら、なんでもするから……」
「ばか。飛鳥、可愛すぎ」
「ああっ!」
強い律動で体を揺らされ、一気に頂点まで駆け上がった。達したのは、二人ほとんど同時だった。繋がったままの状態で脱力した渚が、俺にのしかかってくる。そしてぎゅっと強い力で抱きしめられた。
「他のコから、二度と弁当受け取ったりしない。約束するよ」
「う…ん……」
その言葉に、なんだか泣きそうになってしまった。
渚は怒っていたんじゃなくて、心配してくれていたんだって分かったから。
「俺も、約束する。一人じゃ料理はしないって」
俺の言葉に渚はくすりと笑い、ご褒美とでも言うように、俺の額に優しいキスを落とした。
渚は冷たいようで、ときどきすごく優しいから困る。
ますます好きになってしまうから、困る。
愛しさは増すばかり。もう引き返せないほど……。
「渚、コーヒーお待たせ」
「ん。ありがとう」
新聞の一面を読みながら、渚はコーヒーをブラックのまま飲んだ。
俺は紅茶党で、コーヒーはどちらかと言えば苦手だ。飲むときは必ず、ミルクをたっぷりと、スティックシュガー一本を淹れていた。でないと、苦くて飲めないのだ。俺はブラックコーヒーを味わいながら飲む渚に、ちょっと見惚れてしまった。
ブラックコーヒーが飲めるって、大人っぽくてカッコイイ。
「じゃあ、飛鳥。そろそろ行くから」
「あ、うん」
寂しいなと思いつつ、女々しいと思われたくなくて引き止めることも出来ず、でもなるべく一緒にいたくて俺は玄関まで見送りにいった。
「今日の模試、頑張って」
「ありがとう」
渚は玄関先で、俺の唇に軽く唇で触れた。
行ってきます、のキスにまるで新婚みたいだと照れていたら、「新婚みたいだね」と渚に言われて、ますます恥ずかしくなってしまった。
嬉しいけど、照れる。
「じゃあまた、学校で」
「うん」
立ち去る渚の背を見ながら、寂しいなあって思った。
将来、渚と一緒に暮らせればいいのに。
けれどそれは、叶うはずのない願いだということはよく分かっている。
渚はいずれ、俺から離れていく人だから。どれほど傍にいたいと想っても、『俺』という存在が、渚を引き止めてはいけないのだ。
二人の関係が、世間一般的に認められるようなものではないことは、今ではよく分かっている。一年の頃はただ、盲目的に渚を手に入れることに必死になっていた。けれど将来のことに目を向ければ、このまま続けていける関係ではないことを思い知る。
最初に渚を巻き込んだのは、俺だった。だからもうすぐ、渚を俺から解放してあげなければいけない。俺は、渚の足手まといにはなりたくなかった。俺が想うほど、渚は俺を想ってくれてはいないことは知っている。だからきっと別れることになっても、渚は俺ほどには傷つかないに違いない。その事実は、安心すると同時に寂しくもあったけど。
好きだから。
愛しているから。
誰よりも大切だから。
渚にとって俺が害にしかならないのなら、俺が自分の『望み』を諦めることも、それは仕方のないことなのだ。
「……あ、やば。なんか泣きそう……」
俺は慌てて目元をこすり、部屋に戻った。
せめて高校生の間だけ、一緒にいさせてもらおう。
渚との想い出を、いっぱい心の中に溜めておこう。
抱いてくれた。この体を愛してくれた。恋人として、優しくしてくれた。
それでもう、十分じゃないか。
俺はこの先、想い出だけで、一人で生きていく。
愛しい人と愛し愛された、この世で一番幸福な記憶を胸に抱いて……。
 
 
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