【DEAL 1  -01-】
 
 ……うう……。なんて……気持ちいいんだ……。
穏やかな快楽の海を漂いながら、木根司郎(きねしろう)はゆっくりと目を覚ました。
快楽の中心である自分の股間に目を向けると、誰かが自分のペニスを口に咥えている。フェラチオされるのは生まれて初めての体験だ。
司郎は、まだ夢を見ているのだと思った。今まで付き合ったことのある相手は……といっても一人しかいないのだが……ベッドの上で、こんなサービスはしてくれなかった。どちらかといえば、司郎が彼女に奉仕していた。
そして、今は司郎には、彼女と呼べる存在はいない。
だからこれは夢なのだと信じ込み、司郎は愛撫に身を任せた。
自分で自分を慰めるだけで、しばらく女を抱いていない。丁寧に舌で舐められ、熱い口の粘膜に絡みつかれ、司郎のモノはビンビンに硬くなっている。巧みな責めに、司郎はひとたまりもなかった。
…………………………イイ………。
夢にしては、やけにリアルな感触だ。
司郎の欲望の証は、今にも爆発してしまいそうだった。
「………………」
快感に浮かされながら、司郎はぼんやりと自分の股の間にいる人物の顔を観察した。
自分のペニスをおいしそうにしゃぶっている人物は、自分の上司と同じ顔をしている。
司郎はひやりとした。
…………………………え………。
……………………………………。
………………夢………じゃない………?
……………………………………………………。
……………………………………………………!!!!!!!!!!
ようやくソレが夢でなく現実の出来事であると気がつき、一気に目が覚めた。
「うわああああああっ。な、な、な、な、何やってるんですか!?????」
司郎の叫び声を聞き、男は司郎を口に含んだまま顔を上げた。
男の名を瀬名亮介(せなりょうすけ)という。司郎より上の上の上の階級にあたる上司だ。
亮介は見れば分かるだろうとばかり、ちらりと司郎の顔を見やってから、そのまま作業を続行した。
「ちょ、ちょ、ちょ、やめ………あっ……くぅっ…………ああっ………!!!!」
巧みな口淫に司郎は追い上げられる。
童貞ではないが女性経験が豊富とは言い難い司郎にとっては、強烈過ぎた。
自分の性器にねっとりと絡みつく舌の感触に、射精の欲求が高まっていく。
……いやっ! 耐えろ、俺! 男の口でイかされた日には、末代までの恥っ!!
…………………………………………………。
…………………………………………………。
…………………………………………………。
…………………………………………………。
…………………………………………………。
………………………………………………あ。
「すごい、いっぱい出したね。ごちそうさま」
躊躇(ためら)いなく精液を飲み込んだ後、にっこり笑って亮介は言った。濡れた唇が恐ろしく卑猥(ひわい)だ。間近で見ても亮介の肌は艶やかで、整った顔立ちは中性的で美しい。だがどれほど綺麗でも、亮介は紛れもなく男だった。
……ひいぃぃぃぃぃっ! 男の口の中でイってしまったああああ!!!!!
司郎はすでに半泣き状態だった。
どうして上司にあんな場所をあんな風に舐められなければいけなかったのか。
司郎にはさっぱり理解できない。
「涙目になってる。カワイイ……」
亮介はうっとりと呟き、司郎にキスをした。自分の精液の味がする口付けに、司郎は耐え切れずに涙を零した。
「な、なんでこんなことをするんですかっ! 嫌がらせですかっ!?」
「嫌がらせ? まさか。好きだからに決まっているじゃないか。一目惚れだったんだ……」
「…………一目、惚れ?」
「うん。好きだよ、木根」
愛の告白を甘い声で囁きながら、亮介は器用に司郎の服を剥いでいく。司郎は貞操の危機を感じた。相手が上司であるがゆえに突っ撥ねることもできず、司郎はじりじりと後退した。だが亮介は司郎が下がった分だけ迫ってきた。結果として、司郎は壁際まで追い詰められることになる。
「…………あの、俺、男なんですけど……」
司郎はおそるおそる、亮介に分かりきっているであろう事実を告げた。
下半身を剥きだしにしているのだから、亮介が司郎を女と間違えて惚れたなんてことはあり得ないのだが、言わずにはいられなかった。
「分かってる。俺、ゲイだし」
にっこりと微笑み、亮介は聞きたくなかったセリフを口にした。司郎は男であるがゆえに、亮介の恋愛対象となりえるということになる。
……………………………………………………あわわわわわわわわわわわ。
司郎は内心慌てたが、蛇に睨まれた蛙状態で、どうすることもできなかった。
「安心していいよ。ちゃんと準備してあるし」
亮介が取り出したのは、コンドームとラブローション。それに、怪しい液体が入っている怪しい形をした小瓶。よく見るとそれには催淫剤と書かれている。
……本気だ。めさめさ本気だ。マジでやる気だ!
司郎のほうが体格ははるかにいいのだが、押さえつける亮介の力は強くて振り払うことが出来ない。亮介のたおやかな肢体のどこにこれほどの力があるのか謎だが、司郎が渾身の力で抗ってもびくりともしない。
……このままでは、ヤられるっ!!!
……間違いなく犯されるうううううっ!!!!!
司郎の背に嫌な汗が伝って流れる。
司郎の鼻からは赤い血がたらりと流れる。
「あ」
鼻血だ。
「可哀想に。紗那教官ってばヒドイよね。新入り相手に無茶をして……」
亮介は少し怒ったような顔をして、司郎の鼻血をタオルで優しく拭った。
「あ。いえ。紗那教官には俺のほうから手合わせして欲しいと頼んだんで……」
天城紗那(あまぎしゃな)は、司郎が今日から研修に入った班の教官だ。今日初めて紗那教官に対面させられたとき、驚いた。あまりにも弱そうに見えたからだ。
司郎が入社したばかりの『SSA社』の業務内容は『守り屋』だ。警備会社かと思ったが、それよりもはるかに、仕事は多岐に渡っている。
『SSA社』が守る対象は、人であったり会社であったり、国そのものであったりする。何から守るのかというのもこれまたバラエティに富んでいて、ストーカーからだったり産業スパイからだったり、過激派テロリストからだったりした。
驚いたことに、研修内容に銃器の取り扱いまで含まれていた。場合によっては、発砲の許可も受けているらしい。練習用の銃だと無造作に拳銃を手渡され、掌に乗せられたずっしりとした物質の存在に、とんでもない会社に転職してしまったことを司郎は悟った。民間の会社と言うよりまるで軍隊のようだ。
それ以外にもハイテク犯罪に対抗するためにコンピューターの研修、自分や仲間が怪我をした場合の応急処置の方法、実践に則(そく)した護身術など、数多くの研修を受けさせられることになっていた。
専門により、『SSA社』の班はいくつかに分かれている。コンピューター班、医療班、射撃班、情報収集班、後部支援班、格闘班、そして紗那教官が率いる特殊処理班。
射撃班での研修を終えた司郎の次の研修先が、特殊処理班だった。
紗那教官は、すらりとした体躯に、凛とした美しい容貌をしていた。綺麗な男だと思った。だが、実は紗那教官は男ではなく女だった。所長の娘なのだそうだ。教官の地位は、親の七光りで手に入れたのだと思った。そうでなければ、まだ二十歳にも満たない小娘が、それほど高い地位に付けるはずがないと思った。
責任の所在をはっきりさせるため、『SSA社』は細かく階級分けをしていた。地位の高さは所長の次に各班の教官、副教官と続いていた。つまり教官と言えば、所長に次ぐ地位の高さと言うことになる。
司郎は自分より四つ年下の娘を完全に侮(あなど)っていた。親のコネだけで自分より上にいる存在を腹立たしく思った。だから鼻っ柱をへし折ってやるつもりで素手での格闘を申し込んだ。
だが、実際に手合わせをして分かった。紗那教官は、その地位に見合うだけの実力の持ち主なのだと。
勝負はすぐについた。惨敗だった。最後に司郎は紗那教官から強烈な一撃を貰い、気絶してしまった。
そして目が覚めたとき、亮介に股間を舐められていたのだ。
「……紗那教官に負けて悔しい?」
「はい。あ、でも、ちょっと嬉しいです。自分の上官が強い人で。指導して貰えるのが楽しみです」
鼻をタオルで抑えられ、くぐもった声で司郎は答えた。
「木根は素直で潔くて男らしいね。ますます好きになったよ」
亮介は優しい笑顔を浮かべ、司郎の髪を細くて長く、形良い指で撫でた。その感触が気持ちよくて、思わず司郎は瞼を閉じた。
……いやいや、待て待て俺っ! 心地よくなってどうするっ!!!
「血が止まらないね。医務室に行ったほうがいい。残念だけど、俺たちの関係をこれ以上深めるのは諦めたほうがいいね。……今日は」
………………………………………………。
………………………………………………。
………………………………………………。
………………………………………………。
………………………………………………。
………………………………………今日は?
司郎が愕然(がくぜん)としている間に亮介は司郎の衣服を整え、亮介より二十キログラム以上は重そうな自分の体を軽々と持ち上げた。
いわゆるお姫様抱っこをされ、司郎は慌てた。
「あのっ! 自分で歩けます! 降ろしてください!!」
心底、このままの体勢で廊下を歩いて欲しくなかった。自分より細身の男に軽々と持ち運ばれる自分の姿は、さぞかし滑稽(こっけい)に違いない。誰かに見られたらと思うと、気が遠くなりそうだった。
「暴れないで。キスするよ」
キスされたくなかったので司郎は暴れるのを止めた。亮介は少し寂しそうな顔をした。
司郎は自分が寝かされていた場所が休憩室だということに気が付いた。部屋には簡易ベッドやシャワー室が備え付けられている。恐ろしいことに、ドアには鍵が掛けられていた。まさにそういうコトをするのに最適な場所だ。
司郎は背筋がぞっとした。
鼻血はまだ止まらない。鼻血サマサマである。
休憩室から医療室まで運ばれている間、司郎は寝たフリを決め込んだ。そうでなければ到底この羞恥に耐えられなかったのだ。
……俺は寝ている俺は寝ている俺は寝ているんだーっ!!!
医療室までの道のりがやけに長かった。
亮介は宝物を扱うような丁寧な手つきで、司郎をベッドの上に降ろした。
「紗那教官には俺から言っておく。ゆっくり休んでなさい」
司郎を見下ろす亮介の眼差しには、愛情がたっぷり込められている。司郎は気恥ずかしいような落ち着かない気分だった。親以外の誰かに、これほどの愛情を湛えた眼差しで見つめられたことが今まであっただろうか。
突然、あんなことをされて驚いた。ほぼ初対面の男に、何故に犯されなければならないのか。男である亮介から告白されても嬉しくないし、はっきり言って困る。
亮介が整った顔をしているせいか、嫌悪感は不思議と涌かなかった。だからといって、生まれてから今まで、ただの一度も同性に興味の惹かれたことがない自分が、亮介のことを好きになれるとは思えない。
今日、出会ったばかりだし、亮介の人となりはよく分からない。しかし、あの紗那教官の副官を勤めるのだから、亮介もさぞかし強いのだろう。
恋愛の対象にはならなくても、尊敬すべき上司の一人にはなりそうだ。突然人のアレを口に含み、迫ってくるなどと言う妙な行動させしなければ。
「瀬名副官」
「なんだい?」
「……ありがとうございました」
セクハラもされたが、亮介が自分の体を心配してくれたのは本当だったので、司郎は礼を言った。自分を強姦しようとした男にまで礼を言うのだから、司郎のお人よしは筋金入りだ。この性格ゆえに、他人から騙されることも多かった。
司郎の礼の言葉に、亮介は花のような綺麗な笑顔を見せた。
控えめではあるが、亮介は整った顔の持ち主だ。無骨な自分と違っていかにも優しげな雰囲気を持つ亮介は、さぞかし女性にモテるだろう。中途採用の司郎でさえ、提示された給与の金額は、同年代のサラリーマンの平均を軽く超えていた。亮介なら年収はさらに上をいっているはずだ。亮介との結婚を望む女性も多いはずだ。
……でもこの人、女性にモテても仕方ないんだよな。ゲイだって言ってたもんな。
亮介は自分をゲイだと言った。
そして司郎のことが好きだと言った。
信じられなかった。
「もしかして……冗談……だったとか?」
男の性器をしゃぶるなんて、随分と過激な冗談だ。だが、亮介が司郎に恋をしているという事実を信じるより、正しい気がした。男子校では互いに右手の代わりをすることもあったと友人から聞いたこともあるし、それの延長線上の出来事なのかもしれない。
司郎には、亮介が自分に本気だとは、どうしても思えなかった。
あんなに貢いだ彼女にもあっさり捨てられたのに、ほとんど初対面の亮介の愛情を、信じられるはずもなかった。


……カイシャ行きたくない……。
自分に愛の告白をした上司の顔を思い浮かべ、司郎は朝から憂鬱な気分になった。顔を洗ったあと、鏡に映った自分の顔を観察する。不細工ではない。だが、特別カッコイイというほどでもない。ごく平凡な男の顔だ。どこに亮介を惹きつけるポイントがあったのだろう。
身体(からだ)だろうか。昔から空手を習っていたおかげで、司郎は贅肉一つない立派な体をしている。アレの大きさも、標準サイズは超えている……と、思う。
「でも、女にだってモテたことないのにな……」
今まで付き合った女は一人だけだ。
色気のある美女で、たまたま入った店で彼女と知り合った。彼女はそこでホステスをしていた。
三ヶ月間、口説きに口説いてやっと落としたと思ったら、付き合って一月もたたないうちに捨てられた。ほんの三週間前の出来事である。
彼女は贅沢を好む女だった。彼女のために使った金額はけっして少なくなく、司郎の貯金の額は0になっていた。しかも気が付けば借金の連帯保証人にされていて、逃げた彼女の代わりに司郎は多額の借金を抱える羽目になってしまった。
不幸なことは続くもので、彼女に振られた翌日に勤めていた会社が倒産した。すぐに再就職先が見つかったことは不幸中の幸いだった。
……この不況下で、あんないい条件で雇ってくれるとこなんて、他にないしな……。けっこう危険な仕事だけど、その分、給料はいいし。問題は、ゲイの上司に求愛されていると言うことだけで。
……なんで、俺、なんだ?
『SSA社』には、自分以上のイイ男など、ごまんといる。先日まで研修を受けていた、射撃班の雨(う)角(すみ)零(れい)教官だって華やかな美貌を持つイイ男だった。
……からかわれただけ、とか?
……いや、でも、やっぱり、ただからかうためだけに、男のアレを口に含めるだろうか……?
……俺にもその気(け)があると、思われた?
……い、いや、断じてないぞ! その気なんて!
例え舐められて、口の中でイってしまったとしても………………………………。
………………………………………………。
………………………………………………。
「……………………用意するか」
借金がある限り、司郎は会社に行くしかないのだ。例えセクハラ上司がいようとも。
司郎はのろのろと出社の準備を始めたのだった。


「よー、木根。紗那様親衛隊はどーよ?」
「……紗那様親衛隊?」
社員食堂で昼食を取っていたら、自分と同時期に途中入社した川島信雄(かわしまのぶお)が声を掛けてきた。川島は司郎の向かいの席に腰掛けた。
「そ。『SSA社』の超エリート、少数精鋭部隊。別名、紗那様親衛隊」
「……はあ」
司郎は気の抜けた返事をした。
「紗那教官に、お前、もう会っただろ?」
「あ、はい。昨日から紗那教官のもとで研修を受けさせていただいていますので」
同期でも川島のほうが年上なので、司郎は敬語を使っていた。川島は歳は三十代後半で、熊のようにずんぐりした巨体をしている。顔も熊に似ていた。
「綺麗で強くて憧れるだろ〜。中性的な美貌がミステリアスで魅惑的。紗那教官は、我が社のアイドルなのだよ!」
川島は何故か偉そうに胸を反らして言った。
「アイドル、ですか」
「社内でもっとも強いのは、天城所長だけどな。NO2は所長のお嬢様でもある紗那様だ」
「……川島さん、詳しいっすね」
自分と同じ時期に入ってきたというのに情報通の川島に、司郎は半分呆れて半分感心していた。
それとも、自分が周りに無関心すぎるのだろうか? プライベートでいろいろあって、今の司郎には精神的にも金銭的にも余裕がない。
「研修後の班への本配属は、普通は本人の希望と研修中での適正結果によって決まるんだが、紗那様の率いる班だけは違うのだ」
「はあ」
「なんと、紗那様のお眼鏡に適った人材しか入れないのだ!」
「……はあ」
「なんだ。気のない返事だな。お前、紗那様の班に所属したいとは思わないのか?」
……あんまり。
なにせ、漏れなくセクハラ上司が付いてきてしまう。司郎に貞操の危機を感じさせたのは、紗那教官の副官を務める亮介だった。
「あの、紗那教官の班の副官を務める瀬名さんは、どういう人なんですか?」
「あの人は、怖い人だ」
「…………………………………………え?」
「実力的にはNO3は雨角教官、NO4が瀬名副官になっているが、実戦においては瀬名副官のほうが上だといわれている。ひょっとしたら、紗那教官よりも上かもしれない」
「な、な、なんでですか?」
紗那教官がどれほど強いのか、自分は身をもって知った。その紗那教官よりも強いとは、聞き捨てならなかった。
自分の言葉に聞き入っている司郎に、川島はニヤリと笑って見せた。
「鬼畜だからだ」
「……………………………………」
「一見人畜無害そうに見えるが、そこが曲者だ。目的のためなら手段は選ばない。ま、それぐらいじゃなくちゃ、紗那教官の副官は務まらんけどな」
「……………………………………」
「どうした? 顔色が悪いぞ?」
「……………………………………平気です。いろいろお話ありがとうございました」
「おう。またなんか知りたいことあったら俺に聞きな。同期のよしみで情報流してやるよ」
「……………………………………川島さん、情報通ですね」
「あ? 俺、だってその腕を見込まれてスカウトされたんだもん。元、フリーの情報屋」
……超納得。
「……………………………………それじゃ、川島さん。また」
「おう。まったなー」
……鬼畜なのか。
ひょっとして、「温厚そうに見えるけど、実は怒らせてはいけない人間」というヤツだろうか。
司郎は自分がイケナイものにどっぷり片足をつっこんでしまったような気がした。
「…………目的のためなら……手段を選ばない……?」
おそらく亮介が本気を出せば、司郎の貞操などひとたまりもないだろう。駆け引きが苦手な司郎を意のままに操ることなど、亮介にとっては容易いことに違いないのだ。
案外、両足までつっこむ日も早く来るかもしれないと、司郎は乾いた笑いを漏らした。
亮介が男性にそういう方面で興味をいただく人間だということが本当だとしよう。
けれど、『SSA社』は海外にも数多くの支店がある大きな企業で、その中でも5本の指にも入るほどのスゴイ人が、自分のことを本気で想ってくれているとは思えない。そもそも、亮介と話をしたのは、昨日が初めてだ。なのにいきなりアレを舐められ、迫られ、なにがなんだかよく分からない。
……遊び……とか……?
思いついた考えに、妙に納得してしまった。
それだったら十分あり得る。
「セクハラかつパワハラってヤツかよ……」
借金のある身では、上司が気に入らないからといって、そう簡単に仕事を辞められない。これほど待遇のいい転職先は、もう二度と巡り合うことはできないだろう。
幸いなことに司郎はまだ研修中の身だ。川島の話によると、基本的に配属は本人の希望で選ぶことができるそうだし、亮介と同じ班で研修を受け終えるまでの辛抱だ。
班が違えば顔を合わせることも滅多になくなり、亮介も他の手ごろな遊び相手を探すだろう。
……それまで……なんとか耐えられれば……。
逃げ切れる自信はなかったが、なんとか頑張って逃げ切ろうと、司郎は拳を握り締めたのだった。

 
 
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