「匡……? どぉ、したの……?」
情事の最中だというのに、別のことに気をとられている夫を、和己は不安そうな顔で見上げた。久しぶりの逢瀬だというのに気もそぞろな夫に、怒るのではなく「俺に飽きたの?」と、心配して怯える姿が愛らしい。末の妹姫であれば、同じシチュエーションなら怒り狂うに違いない。 いつまでも従順で一途な妻が、可愛くてたまらなかった。 匡は和己の唇に唇を重ねながら、最奥まで己の欲望を一気に埋めた。何度も匡を受け入れている体は悦び、いやらしく匡のモノに絡みついてくる。天使のような清らかな雰囲気はそのままなのに、何度も男を知った体は淫らだ。そのギャップがたまらない。 自分以外の男を知らないというのが、またそそる。 「んんっ……」 和己は甘い声を漏らし、夫の背にしがみついた。先端からは快楽の証がとめどなく溢れている。 「わりぃ。お前のカラダに、飽きたってワケじゃないんだけどね? まだまだ、楽しみ尽くしてないしぃ?」 匡はクスクスと楽しげに笑いながら、さんざん和己を喘がせた。和己の弱いポイントは熟知している。「飽きていない」ことを証明するためか、和己の体力が尽きるまでせめたて、幾度も和己の中で欲望を解放した。 疲れ果てた和己が、眠そうな様子で甘えるように頭を擦り付けてくると、匡は優しく和己の髪を撫でてこめかみにキスを落とした。 「さっき、なに、考えていたの……?」 飽きられていないことに一応は納得したものの、それでも和己はおずおずと匡に尋ねた。 「んー。考えてたっつーか、始まったなーと思ってさ。さすがに遠く離れているから詳細は分からないけどな。あの男はいろいろ面倒だからな、いささか同情を禁じえないわけよ」 「……? あの男って……匡の、お父さんのこと……?」 「そ。あの我儘で身勝手で、しょーもないオヤジのこと。自分の奥さんと二人っきりで、思う存分イチャイチャしたいっつー理由で定年前に退職してニートになろうってんだから、子供としては多大な迷惑を被っていてね」 「……?」 「和己、お前さ、紗那って覚えてる? 向こうにいたときの、俺の妹」 「うん、覚えてる。優しい人。匡、紗那ちゃんのこと、気に入ってたもんねぇ」 和己は懐かしそうに、にこにこと微笑みながら言った。 「まーね。まあ、わりと、気に入っていたかな。からかうと面白いし」 始めは関わる気はなかったが、最近は政敵の不穏な動きも見られないし、少しぐらい手を貸してやってもいいかもしれない。ようするに、ただの暇つぶしと気まぐれだが、あの男には今までさんざん迷惑を掛けられてきた者としては、まるっきり他人事とも思えない。 「……とはいえ、せっかくハニーと過ごせる時間をつぶすのもねぇ」 匡は和己をぎゅっと両腕で抱きしめた。妹は可愛い。しかしそれ以上に、比べ物にならないくらい、和己が可愛い。 結論として「夫婦の時間に影響がない程度」「ほんの少しだけ」手を貸すことにする。 ものごとには優先順位があり、それが匡にとっての許容ラインだった。 「どうだ? 何か見つかったか?」 先に戻っていたエリファリドたちに尋ねてみるが、その答えは聞くまでもなかった。彼らの表情で一目瞭然だ。予想通りのことだったので、とりたて落胆することはない。 「残念ながら。そちらはどうだ?」 「同じく」 紗那たち5人は、デュアン=デュランの私室に集まり、これからの指針を話し合った。 「じゃーまー次は、オーソドックスに聞き込み調査といきますか」 「城の者から事情を聞いたところで、今更、新しい事実が出てくるとは限りませんが?」 紗那の意見に、レティは即反論した。 「お前、単に里帰りしたかっただけじゃないのか? 城中をふらふら歩き回ってちやほやされるのを喜んでいたようだが、俺たちにそんな暇はないんだぞ!?」 レティに同意し、ディースは目に非難の色を浮かべて言い放った。 「お忙しいお二人に、せっかくここまで付き合ってもらったのに、ごめんごめん」 紗那はへらりと笑い、軽く謝った。 苛立ちをぶつけられているというのに、紗那は不快ではなかった。大切な人たちのことを侮辱されたのなら話は別だが、自分にあたられる分にはどうということもない。 むしろ、ストレートに感情を露にする二人は、見知らぬ侵入者にキャンキャンと吼えながらまとわりつく小型犬みたいで、わりと可愛い。なんに例えられているかを知れば、二人とも激怒することは明らかだが。 だが実際、怖いのは考えていることを表に出さないヤツだ。 例えば、レティとディースの後ろに控える、エリファリドとか。 「んー。じゃあ、エリファリドさんはどう思われますぅ?」 紗那は微笑を浮かべながら、エリファリドに意見を促した。ユラは「紗那を苛めるな」といわんばかりに、紗那の服の裾をにぎりしめながら、三人を睨んでいた。 「そうだな……。これ以上、この城で調査を進めても、意味はないだろう。それよりも、動機のある人物から考えていくほうが早いかもしれんな」 「動機、ね」 動機から考えていくと、グレス=ファディルに反目していた人物といえば、真っ先に思いつくのはラザスダグラだ。だが、それは以前までのこと。ラザスダグラは今、あちらの世界にとどまっているし、野心的な人物でないことも人となりを知って分かっている。なにより、ラザスダグラはグレス=ファディル(天城誠司)に友情を抱いているようだし、こんな手を使ってグレス=ファディルを害そうとしているとは考えにくい。仮に、グレス=ファディルから天主の座を奪おうとしたとしても、正攻法でいくだろう。こんな卑怯な真似は、あの高潔な男は絶対にしない。 それにラザスダグラの今の一番の望みは、グレス=ファディルを退けて天主の位を継ぐことではなく、間違いなく、恋人との仲を進展させることだ。 だとすれば、次に怪しいのはラザスダグラ本人ではなく、ラザスダグラの信望者、ということになる。ようするに、目の前の三人だ。アルザールが犯人探しをさせるために選んだ三人だったから、無意識に容疑者から外していた。だが、わざわざこの三人を選んだ、ということが怪しいとも言える。グレス=ファディルが天主に就くことを不満に思っている三人を紗那の協力者に選んだのは、ただの嫌がらせだと思っていたが、なにかしらの意図があると考えられなくもない。 とはいっても、レティやディースの二人からは、なにか謀をしているようなやましさは感じない。「謀をしています」と、わざわざ宣言する人などいないから、隠している可能性もあるが、経験上、あの二人は違う。そういうタイプじゃない。仕事柄、それなりに人を見る目は養ってきたつもりだ。 嘘を上手につけるとしたら…… 「まあ、動機って点から考えたら、最も怪しいのは俺かもしれないが」 紗那の思考を読んだように、エリファリドはニヤリと笑いながら言った。 ……やましいことがないからこそ、自分が怪しいと申告した可能性もあるが、疑いの目を晴らすために、あえての発言かもしれない……。 現時点では白か黒か決めかねて、紗那は内心を押し隠してにかっと笑った。 「はは。そーかもネ。でも、グレス=ファディル様の熱烈なファンが持っていったのかもしれないしー? あ、ってことは、一番怪しいのは俺だったりしてね〜」 エリファリドと顔を合わせて笑いながら、次に打つべき手を紗那は考えていた。 「んん〜……」 「おっと。こっちのボウヤはもう限界のようだな。今日はここまでにして、続きは明日にするか」 眠りかけた状態で紗那にもたれかかるユラの頭を撫で、エリファリドは立ち上がった。エリファリドは案外、子供好きのようだ。「子供好きに悪いヤツはいない」という言葉が頭を過ったが、いいヤツだろうが悪いやつだろうが、エリファリドは目的のためなら手段は選ばないだろう。そういう男だ。ユラに接する態度だけで、シロとも言い切れない。 解散を言い出したのが紗那だったら不平不満の声も上がっただろうが、リーダー格のエリファリドに言われ、レティもディースも不承不承頷き、部屋をでていった。 「ユラ、ちゃんと布団かぶって眠りなさいね?」 「ん〜。紗那も、一緒〜……」 「あー。はい、はい」 寝るにはえらく早い時間だが、可愛く頼まれると無下に断れず、紗那も一緒にベッドにもぐった。最初はこんな早い時間に眠れないと思っていたが、抱きしめた子供の温かい体温に、徐々に眠気を誘われる。……子供の体温って、気持ちいいよな……。 こんな姿を見られたら、「行過ぎた子供好きはヤメロよな!」と親友にどん引きされそうだと思いつつ、紗那はうとうととし始めた。 「……?」 しばらくしてから、夜中に何かの気配を感じ、紗那はゆっくりと瞼を開けた。 そして、目に入ってきた光景に、声にならない悲鳴をあげた。 「〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!!! っ!!!!!」 危うく大声で叫びだしそうだった。 半透明な男が、天井から逆さまにぶら下がり、紗那を見下ろしていたのだ。部屋は真っ暗なのに、何故かその男の姿は見えた。 …………幽霊かっ!? 突然のことに心臓が止まりそうなほど驚いた紗那だったが、30秒で己を建て直し、まじまじと「幽霊」を観察した。半透明な「幽霊」は、心底驚きをあらわにした紗那を、面白がるような顔で見下ろしている。 恐ろしく整った顔をした男だ。それゆえ、暗闇で見るとなお更迫力がある。 ハイスペック・ハイクオリティーな男には見慣れているが、この男も相当のレベルの高さだ。これほど目立つ男なら、以前見かけたことがあれば覚えているだろう。だが、見覚えはない。けれど、その底意地の悪そうな表情は、紗那の記憶を刺激する。 「……まさか、匡……?」 「正解」 匡はニヤリと笑い、ふわりと降りてきて、紗那のベッドの傍らに腰掛けた。 紗那も話しやすいようにと、ユラを起こさないように気をつけながら、上体を起こした。 「お前さぁ、ビビらせんなよ。心臓が危うく止まるところだったじゃねぇか!」 小声で文句を言う紗那を、匡はばかにするように鼻先で笑った。 ……相変わらず、感じの悪い男だ。 だが、その感じの悪さが、懐かしい。 ……やべ……。嬉しいと、思っちゃってるよ。 相変わらずいけ好かない男だが、久々に会えたのが嬉しい。 わざわざ会いに来てくれたのが嬉しい。 匡が今、どのような立場なのか知っていたから、もう一生会えないかもしれないと思っていた。 「……悔しいけどさぁ……会えて、嬉しいよ」 「紗那、お前……」 素直に喜びを口にする紗那に、匡は驚いた顔をした。 「子供の頃、さんざん苛めてやったのに……。お前、マゾか……?」 「そういうことじゃねぇよっ!!!!!」 引き気味に言う匡に、紗那は器用に小声で怒鳴った。 「冗談はさておき、優しいお兄様が、手を貸してやろうと思ってわざわざ来てやったわけ」 動揺する紗那の様子を楽しみつつ、匡はさらりと援助を申し出た。 あっさりと手を貸してくれるという匡の行動を今まで見掛けたことがなかった紗那は、警戒の眼差しを向けた。こういうときは大抵、裏がある。 「……てめぇ、なんか企んでるんじゃねぇだろうな……」 「いやいや。真実、これはただの厚意ですヨ? あの男が絡んでるんじゃ、面倒だと思ってね。実の妹から疑われたら、お兄ちゃん、泣いちゃうよん?」 ツラだけは美しいが、相変わらずの匡節に、紗那は脱力した。 「……泣くようなタマかよ。って、あの男が絡んでるって、知ってるのか?」 あの男、とはアルザールのことを言っているのだろう。今回のことが匡にまで伝わっているとは意外だった。 「まあね。これでも一応、次代の王だし? あの男は、実の父親だしぃ?」 「ふーん、あっそう……って、え!? ち、父親?」 「そ。父親。知らなかった?」 「う。し、知らなかった……」 アルザールが匡の父……? では、キアセルカ王が、あの男の妻だったことがある……? 言われてみれば、アルザールと匡は、容姿はともかく、性格は似ている。そういえばラザスダグラス、イーリカ、ユリナ、そしてリィン。4人兄弟……実際は5人兄弟だったわけだが……の、母親の姿を見たものは誰もいない。体が丈夫ではなく、アルザールが王宮深くに匿っているとか、各地にアルザールの愛人たちの住居があり、アルザールはそこに通って子をもうけた等、様々な噂は飛び交っていたが、面と向かってアルザール本人に訊ける者などいるはずもなく、真相は誰も知らなかった。 突然のことであっても、アルザールが赤子を連れてきて、皆の前で「我が子である」と宣言すれば、周囲の者たちは従うしかなかった。リィンのときだけは宣言はなされず、アルザールからラザスダグラに預けられたのだが、今のあの二人の状況を考えれば、正しい判断だったわけだ。 兄弟同士だからとか、同性同士だからというタブー意識は、こちらの世界ではあまりない。 ……でもこれって、一介の戦士の俺がきいちゃって言いワケ!? 秘密なんじゃないのか?? 「あー……。それって俺が知っちゃって、いいわけ?」 「とくに、秘密というほどでも。ただ、面倒だろう? だから、一般には広まっていないっつーだけ」 「め、面倒……。そ、そうかぁ……?」 面倒の一言で片付けていいものなのだろうか。 今まで、ラザスダグラがアルザールの長子だと信じて疑いもしなかった。そう信じているのは、デュアン=デュランだけではなかったはずだ。だからこそ、グレス=ファディルよりもラザスダグラが次の天主に相応しいと主張する連中がいるわけで。匡が長子となれば、また、話は変わってくる。 そんな周囲の思惑など気にせず、面倒という理由で長子の存在を隠すアルザールは、心底自分本意な男だと思う。しかしそれぐらいでないと、長きに渡り「天主」なんてものはやっていられないのかもしれない。いちいち周囲の意見に耳を傾けていたら、精神が持たないだろう。 「……えーっと、じゃあ、ラザスダグラ様やイーリカちゃん達は、匡と、腹違いの兄弟……?」 5人の顔を思い浮かべ、それぞれがあまり似ていないので、母親は違うのかもしれないと紗那は考えたが、「いいや? 父も母も一緒だぜ」と、匡は紗那の言葉をあっさり否定した。 「あの男は、己の妻にしか興味がないからな。他者の存在は、アレにとってなんの意味も無い。対等な相手と認め、求めるのは、唯一母だけだ。ラザスダグラやイーリカのことは、多少気に入っているようだが、それも己の子だからではなく「母に似たところがあるから」という理由に過ぎない。まったく母に似たところがない俺は、むしろ嫌われているな。だが残念、あちらの世界を継ぐことが決まっている俺に、あの男は手出しできないってワケ。母と一緒に引退して、妻と一緒に呑気な老後(?)を過ごすことが、あの男の夢だからな」 「あ〜……う〜……。なんかさぁ……嫌な予感がするんですけどぉ……。もしかしてさ、それって、コレの件と、無関係じゃないよな……」 「正解」 匡は聞きたくなかった答えを、爽やかな笑顔とともに答えた。 ……なにが、「グレス=ファディル」の器を探せだ! テメェーが主犯じゃねぇかっ!! しかしアルザールがなにかしら絡んでいる気は最初からしていたので、さほど驚きはしなかったが。 「けど、さぁ。なんで『俺』? あの男の跡を継ぐのはグレス=ファディル様って決まってるわけだろ? 俺、関係なくね?」 紗那の言葉に、一瞬匡は考え込んだ。どうやら、思い当たることはあるが、それを紗那に伝えるべきか悩んでいるようだった。 「匡、お前、何か知ってるだろ?」 「いやぁ、まぁ、ねぇ。ただそれ言っちゃうと、ルール違反っつーか」 「……ルール違反??」 「まだ定まっていない未来に、影響を与えるわけにはいかないし」 「……未来……???」 「恨むんなら己のタラシ体質を恨みなさいね?」 「……はぁっ????」 「わりぃ、そろそろ俺、帰るわ。久々のオフだしぃ。早く奥さんとこ戻って、ラブラブしたいしぃ」 「久々のオフって、お前は売れっ子芸能人かっ!!」 滅多に会うことがない妹より、いつでも会える和己との時間を優先させる兄の姿に傷つきつつも、夫婦仲良くでよろしいことだと、紗那は湧き上がる怒りをなんとか宥めた。 「まぁまぁ。道中、困らないように手助けしてやるからさ」 匡はポンと、軽く紗那の頭を右の手のひらで叩いた。 これ以上は情報を引き出すのは無理だと紗那は判断し、溜息をついた。この兄は、紗那が何を言おうが自分の意思を通すだろう。普段はへらりとしているが、その実、頑固者だ。家族として暮らしてきたことのある紗那には、そのことがよく分かっていた。 「魔法の杖を振るってやるから、目を綴じな」 「……12時になったら、馬車がかぼちゃに戻らねぇだろうな?」 「安心しな。願い事を叶えるために、声を奪ったりもしませんし?」 なんだかんだいいつつ、匡の実力を信用している紗那は、匡の言うとおり目を瞑った。その途端、体中に一瞬、熱が駆け巡った。 「あ……。すげぇ……」 そして、今まで蓋をされていた力が、体の中心から沸きあがってくるのを感じた。感覚も鋭敏になり、何かを隔てて眺めていた世界が、一気にクリアになった。 自分の力が解放されると同時に、匡の力量も推し量れるようになる。 ……さすが……王様。 悔しいという気も起きないほどの、圧倒的な力の差。 世界を治めるにはこれほどの力が必要なのだ。 「匡、ありがとう。助かる」 「おう。じゃあ、またな」 妹との別れを惜しむこともなく、匡はあっさりと去っていった。 また当分会うことはないだろう。 けれどいつか会えるような気が、紗那はしていた。 |