「……疲れた」
「そうか?」 余裕ありげな誠司の声に、優也はぎょっとする。あれだけたくさんえっちをしたのに、誠司の顔に疲労の影はない。 ……ひぃ〜。ば、化け物っ。 「……まだするのぉ?」 思わず情けない声になってしまった。誠司はくすりと笑って優也の唇に唇で軽く触れた。 「いや。今日はこれぐらいにしておこう」 ……今日は……? もっと自分は、体力をつけるべきかもしれないと優也は思った。一晩中やられっぱなしで優也はよれよれだった。 「つつがなく"初夜"を済ませたと思うが……優也、どうだった?」 「ど、どうって……」 優也は誠司にされたあれこれや自分の痴態を思い出し、顔を赤くした。しかし、誠司が真面目な顔で聞いてくるので、素直に答えることにした。 「すごく良かったデス。……疲れたけど、誠司さんを感じられて、よかった……」 「そうか」 誠司は華やかに笑った。男らしい端正な顔に浮かんだ笑顔に優也は見とれる。 「……誠司さんは、どうだった……?」 あれだけいっぱいしたのだし、悪くなかったとは思う。それでも心配で、優也は怖々と聞いた。 「人生観が変わった」 「……何それ?」 生まれて初めて、男の体を抱いたからということだろうか。言葉の意味を測(はか)りかねて、優也は首をかしげた。 「世の中に、こんな気持ちのイイことがあるとは知らなかった。人生、奥が深いな」 「…………っ」 しみじみとした口調で言われ、優也は顔を赤くした。 「体を洗うか?」 「うん。洗いたい」 汗や精液で体がべとつき気持ちが悪かった。とくに下半身は大変なことになっている。このまま眠ってしまいたい気もしたが、尻の中にたっぷりと注がれた誠司の体液を放っておけない。紗那の話では、中に精液を入れたままにしておくと、腹が痛くなってしまうそうだ。 ……ほんとに、なんであんなに詳しいかな〜。 紗那が帰ってきたら、きっとすぐに自分が誠司に抱かれたことがばれてしまうだろう。目に見える範囲でも、誠司の残した刻印が無数にある。もともと優也は隠し事の苦手な性格をしている。 紗那にからかわれることを、今から覚悟する優也だった。 「風呂の準備をしてくる。ちょっと待っていてくれ」 優也のこめかみに優しいキスを落としてから、誠司は優也から体を離した。萎えた誠司のものが引き抜かれた瞬間、下半身に甘い痺れが走った。 「あんっ……」 思わず漏れた甘い声に、優也は慌てた。両手で口を塞いで誠司の顔を見上げると、案の定、笑われてしまった。 「色っぽい声だな」 「え、えへ」 舌を小さく出して笑って誤魔化すと、大きな手で頭を撫でられた。誠司にこんなふうに甘やかされるのは、悪くない気分だった。 栓を失って優也の後ろから、誠司の放ったものがぼたぼたと滴り落ちてきた。誠司がバスルームに消えたのを見届けてから、優也は指で後ろを探った。 「わっ。すごい……」 優也は寝そべったまま、ぐいぐいと指を穴に突っ込み、中に入ったものを掻き出していった。どれだけの量を注がれたのだろう。優也にもし子宮があって、今日がキケン日だったら絶対に妊娠していたに違いない。 「まだ出てくる……」 出来るだけ奥に指を入れて、中のぬめりを外に出していく。優也はその作業に没頭した。 「……後はお風呂に入って綺麗にしようっと……」 優也はため息をつき、のろのろと起き上がった。体が泥が詰まったように重い。 「うわあああっ」 足元に誠司が立っていることに気が付き、優也は驚いた。ひょっとして、今の行動を見られていたのだろうか。自分で尻の穴を広げ、中を弄っていたところを……。 「絶景だった」 誠司はにやりと笑って言った。 「ばかっ。なんで黙って見てるんだよ」 優也の全身が羞恥で赤く染まった。 「風呂の準備が出来たと呼びに来たのだが……つい見惚れてしまった」 「ばかばかばかばかっ。誠司さんのスケベーっ」 「反論の余地もないな」 軽く笑って誠司は優也の体をひょいっと持ち上げた。 ……やっぱ、すげぇ力あるよな。 優也は誠司の筋肉の付いた逞しい胸をさわさわと撫でた。 「優也、誘っているのか?」 「ひぃーっ。ごめんなさいっ、違います。これ以上やったら、俺、壊れちゃうよっ」 慌てて優也は手を離した。誠司の相手をする気力は一欠けらも残っていない。 「それは残念だ」 本当に残念そうに呟き、誠司は優也を湯が溜まった浴槽の中にそっと降ろした。優也が嫌がるのを無視して、浴槽の外から手を伸ばし、誠司は優也の全身をスポンジで擦った。 「ひゃんっ。ダメ。そこは自分で洗うからいいっ」 誠司の手が股間に伸びてきたとき、優也は身を捩って逃れようとした。 「お願い。今日はいっぱい俺、頑張ったじゃん。許して!」 誠司はしぶしぶ承知した。洗っているところを凝視されるのは恥ずかしかったが、誠司に触られるよりはマシである。うっかり反応してしまったら、後が恐ろしい。 「優也、一緒に入っていいか?」 「うん」 優也は身を寄せて、誠司のためのスペースを作った。優也の視線は、ついつい誠司の股間へと流れていった。 ……萎(しぼ)んでても、デカイよなぁ。 臨戦態勢の誠司はもっと凄かった。よくあんなに大きいモノが入ったものだ。優也は我ながら感心してしまった。最初は苦しかったがしっかり感じたし、あれだけ使われたのに優也の後ろは傷を負っていない。 ……俺ってけっこう凄いかも。 人体の無限の可能性について考えてしまった優也だった。 「シーツを替えてくる」 「うん」 誠司は軽く体を洗い、腰にタオルだけ巻いて先に風呂から出て行った。優也は湯の中でぼんやりと、誠司の背中を見送った。 ベッドの上は、二人が放った体液でどろどろになっている。初めてとは思えないハードなセックスだった。優也は湯の中でうとうととし始めた。 「ん……」 目覚めると、目の前に誠司の顔のドアップがあってびっくりした。いつの間にベッドに運ばれたのだろう。下半身はすっぽんぽんのままだが、上半身には誠司のものらしいぶかぶかのパジャマを着せられていた。 誠司のほうは逆に、上半身は裸で下半身にだけパジャマを身に付けている。当然、優也が着ているものとワンセットだ。 ……うひゃー。は、恥ずかしすぎる……。なんか、超ラブラブっつーか、バカップルっつーか……。新婚ってこんなカンジ……? 起きた優也の気配に気が付いてか、誠司がゆっくりと目を覚ました。すぐ間近の黒々とした美しい瞳に優也はどきりとする。 誠司は魅する男だ。おはようのキスを唇に受けながらも、未だ、これほどの男が自分に欲情したとは優也には信じられない。だが昨夜から夜明けまで続いたあれこれが、本当だったということは優也の下半身に残った鈍痛が証明している。 ……男の人と、えっちしちゃったな。 人生観が変わったと誠司は言っていたが、それは優也も同じである。誠司に出会うまでは、自分はそのうち可愛い女の子を恋人にして、ごくごく平凡な家庭を築き上げることを疑っていなかった。まさか男の人と恋愛して、自分が男に抱かれるとは思いもしなかった。 けれど、誠司とこうなったことを優也は後悔していない。なるべくしてこうなったのだと思う。 初めて出会ったときから、急速に誠司に惹かれていく自分の想いを止められなかった。止める間もなかった。ほとんど躊躇わずにまっすぐに誠司に落ちていった。 まるで、それが昔からの約束事だったかのように。 「誠司さんは俺らがこうなるってこと、最初から分かってたでしょ」 思えば誠司は最初から、迷いなく強引に優也を誘っていた。優也が自分に惹かれることを、きっと誠司は知っていたのだ。 「さあな。ただ、出会ったときから決めていた。もう二度と離さないと」 優也の耳朶を指で弄りながら誠司は言った。誠司の言葉が嬉しくて、優也はにっこりと微笑んだ。 多分、きっと。これが最初で最後の恋になる……。 しばらくベッドの中でいちゃついていた二人だが、優也の腹の虫が騒ぎ出したので、台所へと移動した。誠司は優也を片時も離したくないようで、後ろに誠司を貼りつかせたまま優也は朝食の支度をした。耳元で、あの声で、「愛してる」「可愛い」って何度も囁かれるから恥ずかしいけど、それより幸せで幸せで、優也も誠司と離れたくなかったから好きにさせておいた。 考えてみれば優也も誠司も、昨夜からご飯を食べていない。夕食を採らずに行為になだれ込んでしまった。誠司の口の中でイったことや、誠司が自分の中に潜りこんできた瞬間を思い出し、優也は頬を赤く染めた。 ……俺と誠司さん、正真正銘の恋人同士なんだ……。 優也は地に足がつかないような気分を味わっていた。幸せすぎて、なんだか怖い。 「優也、だいぶ手際が良くなったな」 「うん。紗那に教えて貰ったし」 まだまだ、たどたどしい手つきだし、作れるメニューも多くない。今朝の朝食も、昨日食べ損ねた冷凍食品のグラタンとサラダとパン。それにコーヒーだ。 だがそれでも、優也が初めてこの家に来た頃と比べると、格段の進歩だ。それもすべて、愛の力のおかげかもしれないなどとバカなことを思う。誠司の口に入るものを作る作業はなんだか幸せで、もっともっとレパートリーを増やしたいと、前向きな気持ちでいる優也だった。 「優也、口を開けろ」 「い、いいよ。自分で食べる」 目の前に差し出されたスプーンに、優也は困惑する。 誠司の膝の上に無理やり座らせられ、後ろから誠司にしっかりと抱えられている体勢で、ご飯まで食べさせられるなんて、まるで小さな子供みたいだ。 「いいから」 促されて、羞恥に顔を赤くしながら口を開く。ほどよい暖かさのグラタンを食べさせられる。優也はほとんど咀嚼せずに丸呑みした。 ……うっ。バカップル炸裂ってカンジ…。恥ずかしい。 もし自分が当事者でなければ、はったおしたくなるような行動だ。 誠司が期待するような目でじっと優也を見ている。お返しに食べさせて欲しいということらしい。優也は恥ずかしかったが、自分のグラタンの皿から一すくいして、誠司が火傷をしないようにふうふうと冷ましてから、おそるおそるスプーンを誠司の口に運んだ。 ……ちょっと楽しいかも……。 互いに皿の中が空になるまで食べさせあうという、極めて効率の悪い方法で二人は食事を済ませたのだった。 「……んっ……。ヤダ、変なとこ触んないでよっ。お皿割っちゃうだろ!」 優也が後片付けをしているときも、誠司は優也に纏わりついてきた。後ろからべったりと抱き付いてくるぐらいならいいのだが、尻をぷにぷにと揉まれて優也は誠司を睨んだ。直接ではなく布地の上から触られているとはいえ、さんざん可愛がられた体はあっさり火がつきそうになる。 指先から力が抜け、皿を割ってしまいそうだ。誠司に触られるのは好きだが、この仕事が終わるまでは待っていて欲しい。 「もうっ、誠司さん、邪魔しないでよ。座っててくれる?」 「キスしてくれたら」 「あーもーまったく、しょうがないなぁ」 さらりと恥ずかしい交換条件を出してきた誠司の唇に、優也は目を瞑ってそっと自分の唇を重ねた。優也が離れようとしたとき、すかさず誠司が追ってきて、舌を深く差し込まれる。 「んっ……」 脳髄まで蕩けてしまいそうなキスだった。逃れようとするが、腰に回った誠司の腕に引き止められる。優也は観念して誠司のディープキスに応えた。濡れた手で誠司の肩にすがりつき、舌を絡ませ甘い吐息を貪り合う。 優也が誠司と長々とキスをしていると、途中で大きな物音がした。優也は驚き誠司にしがみついたまま、音のしたほうに顔を向けた。 「…………っ!!!!!!」 あまりの衝撃に、優也は口を開けて固まった。 台所の入り口には困惑顔の紗那と、その隣には真っ青な顔をした四十代前半の男が立っていた。男は優也のよく見知った相手だった。 男の名前は美樹原徹也(みきはらてつや)。 まごうかたなき、優也の父親その人であった……。 「き、貴様っ。俺の息子をたぶらかしやがって! 優也から離れろ! この変態め!!」 「違うよ。俺、たぶらかされてなんかいない。俺の方が先に、誠司さんを好きになったんだ!」 「たぶらかすなんて人聞きの悪い。優也と俺は、愛し合っているんです」 誠司はわざと見せ付けるように、優也の体を抱きしめながらぬけぬけと言った。自分の父親の厚顔ぶりに、紗那は軽い眩暈がした。 ……俺は今、修羅場というやつを見ているのだろうか……。 いきなり自分の愛しい息子と、見知らぬ男とのキスシーンを目撃させられた優也の父親に、紗那は同情した。うっとりと誠司を見上げる優也の色っぽい顔つきを見れば、すぐに同意の上であることが知れた。 紗那が出張から帰ってきて、呼び鈴を鳴らさず鍵を使って家のドアを開けていたところに、優也の父親が登場したのだった。深く考えずに部屋に招き入れてしまったが、どうやらそれは失敗だったらしい。せめて中の二人に知らせるべく、呼び鈴ぐらいは押すべきだった。 紗那はほんのちょっとだけ責任を感じていた。 ……つっても、まーさーか、ここまで二人の仲が進展してるなんて思わなかったしなぁ。 自分の父親の実行力に、紗那はしみじみ感心する。 誠司と優也は、パジャマの上下を二人で分け合うという、いかにも新婚チックな装いをしている。誠司のパジャマは優也には大きいらしく、胸元は大胆にはだけている。覗いた白い胸や鎖骨、首筋には情事の痕がはっきりと残っていて、二人が昨夜、何をしていたかは明白である。 「優也、家に帰るぞ! 大事な息子をこんなところに置いておけるか!!」 「いやっ! 俺、絶対に帰らない! 誠司さんの傍から離れない!!」 ……優也、なんか家出の目的、変わってきてないか……? 優也の父親の顔色は赤くなったり青くなったり、めまぐるしく変わっている。優也も頬を紅潮させて、誠司とは絶対に別れないと主張している。だが誠司だけは当事者であるにもかかわらず、やけに冷静だった。現状を面白がっているフシさえある。誠司が父と息子の言い合いに口を挟むたび、事態はますます収拾が付かない状態になっていく。 紗那は傍観者に徹しながら、いつこの不毛な話し合いが終わるのかを考えていた。 そのとき、軽快に呼び鈴の音が響いた。 やはりこの場合、紗那が出るべきだろう。常識的な判断に基づき、紗那は玄関に向かった。 「はいはーい」 宗教の勧誘ならぶっとばすと思いながらドアを開けると、長い黒髪が美しい、華やかな美人が立っていた。 穂高恵那(ほだかえな)。 離婚したときに母親に引き取られた、紗那の三つ子の姉である。ちなみにもう一人の紗那の兄弟は男で、穂高匡(ほだかたすく)という名前である。 「恵那、どうしたんだ? すげぇ久しぶり」 「やーんっ。紗那ちゃんったら、ますますパパに似ていい男っ!」 恵那は嬉しそうな顔をして、紗那に抱きついてきた。 「いい男って……。まあいいけどよ…ちょっと立て込んでてさ。今、家にはいんないほうがいいぜ?」 「あらん。一体何があったの? 久々にたずねてきた姉を追い返すほどのことなの?」 好奇心いっぱいの顔をして、恵那は紗那に聞いてきた。紗那はちょっと考えたが、別に隠すほどのことでもないかと思い、事情を説明した。 「オヤジが愛人を家に連れ込んだんだけど、その親が出てきちゃって。今、修羅ばっちゃってるってカンジ?」 恵那はしばらく絶句した。 「……それは極めてパパらしくない行動ね。ひょっとして、パパの皮を被った別人じゃなくて?」 紗那は苦笑した。たしかに、かつての誠司らしくない行動だ。紗那が覚えている限り、誠司が特別に誰かに心を動かされるということはなかった。それが今や、すっかり恋する愚かな男に成り下がっている。 恵那が信じられないのも無理はなかった。 「ね、ね。私もパパの愛人見てみたーい。中にい・れ・て?」 「恵那が構わねぇんなら、入れよ。ここは恵那の家でもあるんだからさ」 「ふふ。紗那ちゃんたら、相変わらずいい子。私や匡と兄弟だとは、とても思えないわ」 いそいそと靴を脱ぎ、恵那は家に足を踏み入れた。自分の父親の愛人というもの珍しい生き物を見ようと、うきうきとした足取りである。目は期待で輝いている。 「まあ、すっごい美少年! パパの愛人って男の子だったのね。めちゃめちゃステキー!」 いまだ誠司の腕の中の優也を見て、恵那が感嘆の声を上げた。恵那の豪胆な感想に、紗那はさすが我が姉と感心した。 「あ、愛人だと?」 突如割り込んできた第三者に、優也の父親は怒りのため赤くなった顔を向けた。しかし、恵那の顔を見た瞬間、優也の父親の顔から怒気は完全に消え失せ、驚きの表情に取って代わった。 ……? 紗那の疑問はすぐに解明された。 「あら、徹也さん。奇遇ねぇ」 「え、恵那、どうしてこんなところにいるんだ?」 「どうしてって、ここ、私のパパの家だもん」 「……パパって……まさか……」 徹也は冷や汗をだらだらと流していた。紗那はなんとなく後の展開が飲み込めて、深々とため息をついた。 「そこの人。徹也さんほどじゃないけど、超カッコイイでしょ? で、こっちが三つ子の兄弟の紗那ちゃん」 「……」 徹也は絶句していた。無理もない。 ただ一人事情が飲み込めていない優也は、きょとんとした顔をしていた。 「……どういうこと??」 優也は状況の説明を求めて、誠司の顔を見上げた。 「つまり、お前の父親の再婚相手は、紗那の三つ子の姉であり、俺の娘である恵那だということだ」 優也は一分ほど沈黙した。そして、絶叫した。 「えええええええええええええ――――――――――――――――っつ」 「優也、至近距離で叫ぶな。鼓膜が破れる」 淡々とした口調で誠司は言った。紗那と同様、誠司も恵那が結婚するとは聞いていなかったはずだ。しかもその相手は、恵那よりも二十以上は年上である。優也と誠司よりも歳が離れている。さらに付け加えるなら、恵那が結婚するのは優也の父親でもある人間だ。 にもかかわらず、誠司の顔にまったく驚きは浮かんでいない。 紗那は少しだけ驚いていた。そして少しだけしか驚けないほど非日常に慣れている自分を悲しく思った。これもすべて、非常識大魔王の己の父親のお陰である。 「だってだってだって、紗那の三つ子のお姉ちゃんってことは十八歳でしょ? なんで? どうして?」 「んだよ。優也は自分の父親の再婚相手、知らなかったのかよ?」 「写真で見たけど……でも、小さくてあんまり顔わかんなかったし……年齢まで聞いてないし……」 優也の父親が、故意に自分の再婚相手の年齢を優也に告げなかったのは明らかだった。 優也の父は、気まずそうな顔をしていた。 「今日は、結婚の報告に来たんだけど……結婚相手をパパに紹介できて一石二鳥ぉ? みたいなっ。徹也さんご自慢の息子さんにもやっと対面できて、ラッキー♪」 その自分の再婚相手の愛息子が、自分の父親と愛人関係にあると知っても恵那は平然としている。それどころか嬉しそうですらある。 この場で恵那一人だけがにこにこしていた。誠司と紗那が結婚おめでとうと祝いの言葉を述べると、恵那は綺麗な微笑を見せてありがとうと言った。 「で、結婚の決め手はなんだったんだ?」 「そぉねぇ。私もまだ結婚する気なかったんだけど、お腹の子、ちゃんと産みたかったしぃ……」 「お腹の子っ?」 これには紗那もさすがに驚いた。優也は驚きのあまり、声も出ない様子だ。優也の父親も初耳らしく、激しく驚いた顔をしていた。 「恵那、お前、子供がいるなんて一言も……」 「あらん。だって、子供がいることを理由に結婚OKされても、嫌だったんだもーん。でも、そろそろ教えてあげようかなって思ってたのよ?」 恵那は軽やかに笑って言った。どうやらプロポーズは恵那のほうかららしく、主導権を握っているのも恵那のようだ。 「……」 可哀相なことに優也はそうとうショックだったらしく、蒼白な顔で誠司にもたれかかっている。 ……なるほど。 紗那は、誠司がまったくこの場を収めようとしなかった理由を理解した。 誠司も紗那同様、恵那の結婚話は初耳だと思っていた。だが、誠司ならばいくらでも調べようがあるだろう。 優也の父親と恵那が、今ここでバッティングしたのは絶対に偶然ではない。優也とのキスシーンさえ、手っ取り早く優也と自分との関係を理解させるために、わざと見せたに違いない。 『化け物』と罵られ、『悪魔』と恐れられている男だ。誠司ならばこの程度の策略は朝飯前だろう。 恵那と優也、優也の父親の三人は、これが誠司が仕組んだことだとは微塵も疑っていない。よく出来た偶然だと信じている。 当たり前だ。 紗那でさえ、すぐにそうとは見抜けなかった。生まれたときから誠司の傍にいた紗那だからこそ気が付けた。 ひょっとして恵那と優也の父親との出会いさえ、偶然ではなかったのかも知れないと考え、紗那は胸の奥にどす黒い雲が広がっていくのを感じた。優也は誠司と初めて出会ったのは、紗那の家に連れてこられたあの日だと信じている。だが、本当にそうなのだろうか? 誠司はもっと前から優也のことを知っていて……優也を手に入れるために罠を張っていたのではないだろうか。実の娘さえ利用して、完璧な形で優也を手に入れようとしているのではないだろうか。 ……いや、違う……な。あれだけ欲した優也を、何年も放っておくとは考えられねぇな。 それにいくら誠司でも、姉の恵那を駒として扱ったなどと思いたくはなかった。必要であればいくらでも非情になれる男だというこうことは知っている。だが、肉親の情ぐらいはあると信じていたい。 紗那は優也が思うほど大人ではない。まだ父親の愛情を必要としている自分を知っている。紗那の中で、誠司という存在が占める割合はけっして小さくはないのだ。 だから、あえて深くは考えないことにした。誠司という拠所を失わないために。 目の前では、誠司と優也の父親との交渉が始まっている。すべては誠司の思い通りに進むだろう。 誰かが誠司を、『運命を操る手を持つ男』と評したことがあった。案外、それは本当のことなのかも知れない。誠司の卓越した能力はすでに人類を超えている気がしてならない。 しかし、誠司の正体が宇宙人だろうが神だろうが悪魔だろうが、それは紗那にとっては些細なことである。誠司が紗那の存在を認めてくれている限り、紗那も誠司が何者であろうと、父親として愛し続ける自信があった。 「パパ、好きな人ができたのね」 恵那が紗那にこっそり囁いてきた。珍しく恵那は真面目な顔をしている。 「ああ。そうみたいだ」 「娘としては喜んであげるべきなんだけど……ちょっとママが可哀想ね。あの人、本当にパパのことが好きだったから……」 誠司のことを愛し続けて、だがその想いは報われず、疲れて果てて家を出て行った女。紗那たちの母親。 父と母の間に何があったのか、詳しいことは紗那には分からない。しかし妻の座を手に入れたものの、彼女が望んだものを誠司が与えなかったのは知っている。誠司は彼女を嫌いだったわけではない。だが、特別好きだったわけでもなかった。他の人間と同じようにしか、彼女に愛情を注がなかった。彼女はそれを我慢できなかった。 紗那にとって、彼女は母親ではありえなかった。彼女は父親の誠司に似ている紗那に、深い執着を抱き、憎しみを抱いていた。母親らしい暖かなぬくもりは、彼女からは一片も与えられなかった。離婚が決まったとき、紗那は迷いなく誠司に付いていくことを選んだ。その選択は正しかったと紗那は思う。 時が経つとともに人の群れに馴染めなくなった紗那を、誠司はやすやすと受け止めた。ときどき心底恐ろしいと感じることはあったが、誠司だけが、紗那の親になりえる存在だったのだ。 紗那の予想通り、事態は誠司の都合がいい形で終決した。優也は引き続き天城家に住むことになった。幸い優也の実家はそう遠くない距離だったので、優也は転校しないですんだ。 「紗那に誠司さんの大好物だって聞いて頑張って作ったんだけど……どう? おいしい?」 天城家で花嫁修業を続ける優也が、真剣な面持ちで誠司に尋ねた。最近では、紗那が台所に立つことは滅多にない。 恋人に手料理を食べさせたいという優也の気持ちを、紗那は尊重することにした。 「ああ。もちろんおいしい」 優也が作ったものなら、どんなものでも美味しいと言うに違いない。優也限定の甘い微笑を浮かべて誠司が応えると、優也は嬉しそうに笑った。 ……力いっぱい新婚さんの会話だよな。 優也が家事を完全にマスターしたら、紗那は家を出て一人暮らしをしようと考えている。やはり、恋人同士の邪魔はしてはいけない。 ……この中で誰が一番すごいって……あの天城誠司を相手に、乙女チックな恋心を抱ける優也かも知れないな。 ちょっとからめの大根の煮物を食べながら、紗那は思ったのだった。 ……あともう少し早く出会えていたら。 死に逝く老婆の手を撫でながら、少年は思った。愛しくて愛しくてたまらない人が、少年の目の前から去ろうとしている。やっと探し当てたというのに、彼女の魂は再び自分の腕の中からすり抜けていこうとしている。たった一週間しか一緒にいられなかった。そのうち三日間は、彼女は意識不明だった。 少年は身をかがめて老婆の顔を覗き込んだ。骨に皮が付いただけの、しわくちゃな醜い顔。薬の副作用で髪は抜け落ち、性別すら見ただけでは判別できない。それでも愛しいと思う気持ちに変わりはない。 老婆には身寄りがいなかった。ずっと一人で、見舞い客もないままこの病院に入院していたのだ。彼女の孤独を思うと、少年の胸は痛んだ。 ……もっと早く出会いたかった……。 だがせめて、彼女の死に際に間に合ってよかったと少年は思った。たった一人で逝かせずにすんだのだから。 前回は、タッチの差で間に合わなかった。その前は、彼女は人間でなく蛇だった。そしてそれより前は犬だった。彼女がどんなものでも自分の想いが揺らぐことはないが、相手が畜生だと言葉を交わすことがないので少し寂しい。次回も人間だといいのだが。 少年のほうはいくら転生を繰り返そうとも、同じ姿でこの世に誕生していた。彼女と違って生まれ変わる前の記憶を失わないことと、なにか関係しているのかも知れない。 老婆の目から光が急速に消えていく。とうとう彼女の魂は再び旅立ち、あとには抜け殻だけが残された。少年は彼女の魂を宿していた器に、愛情を込めて口付けた。周りの医者や看護婦が驚いているが気にしない。美しい少年が醜い老婆と唇を重ねる姿は、醜悪でしかないのだろう。しかし周りがどう思おうと、少年には何の関わりもないことだ。 彼女との別れを惜しんで、少年は美しい涙を流した。 早く。 早く見つけなければ。 少しでも長い時間を、愛しい存在と過ごせるように。 少年は青年になり、青年は壮年と呼ばれる年齢になった。 まだ彼女は見つかっていない。ひょっとして今生では会えないかも知れない。次の転生までの時間はランダムで、彼女が死んでから一年後かも知れないし、三〇年後かも知れない。生きているときにどれだけのしがらみを身に付けたかどうかで、魂の浄化にかかる時間が異なるのだ。 ふと立ち寄った公園で、目的の相手を見つけた。心臓が止まるかと思うぐらいに驚いた。まさかこんなところで会えるとは思っていなかったので。 今度は、彼女は男の姿をしていた。しかしそれは自分にとって、問題にもならないことだ。幸運なことに彼女の魂を宿した器は歳若く、しかも人間だ。うまくすればあと数十年は一緒にいられる。 さて。どうやって口説こうか? 記憶のない彼女に前世の話をする気はない。狂人だと思われるのが関の山だろう。 出会えば自分と彼女の魂は、惹かれあうことは分かっている。だが油断は禁物だ。自分は昔、言葉が足りなかったせいで、彼女を傷つけてしまったのだから。きっちりしっかり、自分がどれだけ愛しているかを伝えなければ。 今の世の中では同性同士の恋愛はタブーとされている。それにも気をつけなければならない。阻害因子はすべて取り除き、完全に彼女を手の中に収めたい。 俯いて座っている彼女の前に立ち、さっそく声を掛けてみた。 「家出か?」 驚いた彼女が、ゆっくりと顔を上げる。 今生での彼女は、とても美しい少年の形をしていた……。 第一部完 |