平成18年10月20日
何かね、トミックスがまた大量に新製品発表。いろいろあって……まあ、いろいろあるのはいいんだけど、HOの名鉄モ510はちょっと……何がちょっと、って、欲しいじゃないか! HOなのに! うーん、これ以上HOゲージの車両増やすのはなぁ……。あまり買うと"クセ"になっちゃいそうで怖いし。
というか、今日もあんまり調子が出ない。ネタはあるんだけど、書く気力が……。どうしてか理由を追究してみるとアレだ。模型作成に全身全霊かけてるから文章書くエネルギーが足りないのだ。そこまでして模型作るなよ!と言われると返す言葉もございませんが。残り12日、そのうち鉄研の後輩セントレア一号車君が「レイアウト製作を手伝うように」って言ってる日が何日かあるから、多分10日切ってるんじゃないかと。完成するのかなぁ、現在製作中のイロイロは。
平成18年10月19日
後輩セントレア一号車君が今日も名言を吐いてくれた。先週風邪を引いていたのだが、コメントによると「後輩にうつして治しましたからね」――おいおい、酷い先輩だな。「いやぁ、風邪は天下の回り物ですから」。そうですか、そうなんですか、君はお金も天下の回り物っていいながら使ってませんでしたっけ。金も風邪も天下の回り物なんですね。 で、そのセントレア一号車君から当サイトに苦情があった。「もーっ、かんかんがくがくって言いにくいですよ!」――徒然、と言ったので突っ込みいれたらそう発言された。確かに、「侃侃諤諤」では発音がしにくい。というか略称にしにくい。侃侃諤諤は"侃諤"という略し方があったように思う。同様に喧喧囂囂もしかりで"喧囂"といったはずだ。つまり、侃侃諤諤喧喧囂囂を略すと「侃諤喧囂(かんがくけんごう)」になる。やっぱりあまり言いやすくないので「かんがく」か。でも関西には関学(かんがく)と略される大学がある。むしろ「かんがく」は普通関学の方である。だから「かんがく」という略称はちょっとイマイチ。 少し原点に立ち返ると、私は知り合いにはこう言っていたのだよ。「侃侃諤諤って言いにくかったら徒然でいいよ」と。その割に後輩に突っ込みいれたりしてるんだけどね。で、まあ、考えたのだよ。侃侃諤諤、言い難い。じゃ、長年親しまれた「徒然」に戻すか。でもそれは侃侃諤諤に名前を変えた意味がない。なんてったって、この「橘雪翼の、侃侃諤諤喧喧囂囂」は今後作る予定の(ホントにその気あるのか?)第三のサイト名から取ってきたのである。今さら元には戻せまい。だから、私は折衷案を作った。 ――「橘雪翼の、侃侃諤諤喧喧囂囂 〜徒然なるままに〜」 これでどうだ! え? 長すぎる? でも所詮略したら「徒然」だよ? 一番いい解決策は、「徒然」って言われても私が「うんうん」って聞き流せばいいんだけどね。
「王様のマンゴー」というお菓子がある。今流行のマンゴーがらみの甘味である。この春に京都に行った時、ふらっと立ち寄ったコンビニで売られているのを何となく買ったのだが、これがなかなかいい。ということで、地元のスーパーやコンビニを探したところ、あった。コンビニのは小さなパックだったけど、スーパーで探し当てたのは大き目のパッケージだった。でも、これ、違う。コンビニで買ったのは純粋なグミキャンディー。ところがスーパーで売っているのは、キャンディーの中にグミが入っているタイプ。私はどちらかというとグミキャンディーの方が好きだ。さらに、硬いキャンディーの中に別のものが入っている、というのがどちらかというと嫌いだ。製品名は同じでも、中身は全く違う。好きなものと、どちらかというと嫌いな系統のもの。そして、どうしてもあの純粋にグミキャンディーの「王様のマンゴー」に再びめぐり逢いたくなった。ということで、製品を作っている会社のウェブサイトにアクセス。一応どうやら両者共に生産は続いているようだ。だけれど、そこにわざわざ取扱店一覧なんて載ってない。だからここから先は足で稼ぐしかない。とりあえず、地元のコンビニを全てくまなく探す。ない。次に、大阪の駅付近の売店を探す。ない。さらに、鉄研の集まりに行った時に阪大内のコンビニを探す。ない。行き返りに石橋界隈のコンビニにも立ち寄る。ない。 何で売ってないんだこのやろー!と叫びたい衝動を抑えながら半ば絶望していた。ああ、もう俺は二度とめぐり合えないんだ、と諦めかけていた。ある日、大阪の地下を歩いていた。ドラッグストアがあった。そこの店先に、最近広告してる明治製菓のチョコレートがぶら下がっていた。4枚で100円の大人のチョコである。最近どこでも売ってるなぁ、とちらっと見てそのまま通り過ぎようとした。が、そのチョコのぶら下がっている棚のすぐ裏に何か見えたぞ! 金色のパッケージ! おお、「王様のマンゴー」じゃないか!!! ――でも大きな袋でした やっぱりキャンディータイプの方か!とがっくり来るのは気が早かったようだ。さらにその下に、小さな袋がたくさんぶら下がっている。これぞ俺が探し求めていたグミの方の「王様のマンゴー」。とりあえず2袋引っ掴んでレジへ持って行った。今、一袋食べ終わって、2袋じゃなくて3つか4つ買えばよかったかな、と思わなくもない。もっとも、思い出の味というのは美化されるようで、そこまでおいしいかどうか疑問に感じる部分もある。でもまあ、またついでを作って買いに行ってこよう。
平成18年10月18日
最近スランプ。書いた文章を今日も全消し。ミスとかじゃなくて、面白くないので消しました。ではまた明日、楽しくお会いできることを祈っております。
平成18年10月17日
今日の新聞記事によると、漫画雑誌の売り上げが減っているそうな。単行本の方はそうでもないらしく、何でも単行本が雑誌の売り上げを上回ったとか。これは単行本の売り上げのデーターを取り始めた……ええと、1967年って書いてあったかな?以後初めてということらしい。あまり単行本と雑誌の売り上げの関係について考えたことはなかったので何とも言えないのだが、ちょっと意外な気もする。というのも、私の場合明らかに単行本の方が多いからだ。漫画雑誌を読んでいた頃は、確かに月間20冊以上買っていた(ピーク時)。一冊、週刊誌だと240〜250円で月刊誌は500円?ぐらいだったのでちょっとトータルの値段が出し辛いが、6000円ぐらい。一方、漫画の単行本は10冊程度月に買っていたように思う。こちらは平均450円とすると(400円のと500円のが半々とする)、4500円。 4500円(単行本)<6000円(雑誌) え? あれ? おかしいな? 雑誌の方が出費多いやん! まあ、このデーターはあくまでピーク時の話だからねぇ。中学高校時代は、買っていた雑誌は確か……何買ってたっけ。高校に入ってから週刊少年チャンピオンとビックコミックオリジナルを買っていたような気がする。あと、当時はまだスコラから出ていたコミックバーズ。うーん、月間2000円ぐらい? それ以上単行本は買っていたような気がする。思えば高校時代から派手に金使ってたなぁ。派手に金使って漫画とか雑誌かよ。小者だな。で、大学時代、3回生ぐらいにアホなことを思いついた。火曜日から金曜日まで大学に行く。火曜日にコミックバンチ、水曜日にマガジン、木曜日にチャンピオン、金曜日にヤンジャンを買えば毎日学校行くのが楽しい!(ヤングジャンプは木曜発売だが、敢えて翌日買う) 正真正銘のアホやったなぁ。これを可能にしたのは、発売曜日を金曜日から火曜日に変えたコミックバンチである。これだけで毎月漫画雑誌を16冊以上、これにビックコミックオリジナルや、その頃ソニーマガジンズからの発刊になったコミックバーズ、あとコミックフラッパーなんていうマイナーなのも買っていたので(後ろの方は月刊誌)、間違いなく月に6000円以上雑誌に投入していた。間違いなくアホやったなぁ。でも、日本経済を裏から支えていたんやで! 流石に馬鹿丸出しだったので、多分大学を卒業する頃にやめていたような。それでも、学校の帰り道(教師として学校行ってた頃ね)、生徒にマガジン買うところ目撃されたことがあるのを考えると、まだマガジンは買っていたらしい。チャンピオンとかも買ってたような。去年ぐらいだったかにようやく漫画雑誌から卒業したからね。 ――…… ひょっとして、漫画雑誌の売り上げ落ちたの俺のせい!? 現在は間違いなく「漫画雑誌買う金額<漫画単行本買う金額」である。何せ左辺が原則0なんだからまず間違いない。そうか、俺のせいで漫画雑誌の売り上げが単行本に抜かれてしまったのか! ――と、大真面目にアホなことしゃべるのは置いといて 漫画雑誌の売り上げが落ちると何が困るか。漫画というのは大抵が「雑誌に連載され、その後単行本化される」のである。小説みたいな書き下ろしで丸々一冊というケースはほとんどない。少なくとも私はほとんど知らない。だから、雑誌の売り上げが落ちると……ページ数などが縮小される恐れがある。人気のない作品が途中で打ち切られる可能性が高くなる。いくら人気がなくたって、ひょっとしたら途中で大ブレイクしたりする可能性がないわけではないし、人気がなくてもその漫画が好きな人だっているわけだ(俺の場合の屈辱er大河原上とかね。間違いなく万人受けすることのない漫画だったけど)。作家にとっては門が狭まるわけだし、読者からすれば読める漫画の種類が減ることになる。結果、漫画文化の衰退という結果になりそうだ。漫画文化が衰退して何か困るかというと説明に困るのだが。娯楽が減る、ぐらいにしか書けない自分の発想と文章力の貧困さに困るのだが。 漫画文化が衰退するのが困るなら、微力ながらも雑誌の売り上げに貢献すりゃいいじゃん、って言われそうだけど、今さら漫画雑誌は買えまへん。そもそも何故漫画雑誌を買うのを(私は)やめたのか。その1、経費削減。まあ、あれだけアホほど買ってれば節約しようという気にもなるわな。何か一誌ぐらい残しとけばいいものを、そのとき買っていた2つか3つを一度にやめてしまった。我ながら思い切りがいいなぁ。最初の頃はちょっと寂しかったけど、今では慣れっこ。多分今雑誌買い始めたらしばらくの間こういうだろう。「1話1話がこんなに短いのは許せない!」って。話がずれはじめているので理由その2、1冊買っても読むのは半分以下。これ、大問題ですよ。いくら240円とかそのぐらいの"安い"ものでも、半分しか読まずに捨てるんですからね。ま、回し読みするからのべで考えると1冊分ぐらいは読んでいるのだろうけど。さて、半分しか読まないのは何故か。答えは当然時間がないから……じゃなくて、面白くないからである。さらに言うと、連載されているもので本当に続きが読みたいのはせいぜい2つか3つあればいい方である。一誌あたりの話ね。昔はそれこそ、5つ6つ続きが気になる漫画があったのだけれど、おそらく今はほとんどないだろう。そして、そのせいぜい2つか3つの漫画は、単行本が出たら出たであらためてそれを買って読む。それって無駄じゃない? どうせ捨てる雑誌、半分しか読まない雑誌、よりは買って置いといて全部読む単行本の方が有意義なお金の使い方ではないか。 そんなことを考えて、雑誌を切り捨てることにしたのだ。雑誌を切り捨てることの最大のメリットは、面白い新連載が始まっても気付きにくいことである。最近ではDEATH NOTEかな。でも、DEATH NOTE以外の新連載で面白いのには現時点では出会ってないような気もする。ひょっとしたら、私の好みに合うものが連載されている可能性がないでもないが、足繁く通う本屋のコミックコーナーで単行本の表紙を見る限りは……そういうのはない。あくまで表紙であって中身を見ていないので分からないが。ちょっと立ち読みさせてもらえれば、もっと買ってる漫画増えてそうなんだけどなぁ。新刊だけ1冊見本作ってね。 全く関係ない話。立ち読み、本屋にとってはして欲しくない行為のように見えるのだが、実はそうでないらしい。じゃ、どうして今はコミックスにビニールカバー付けてるのか。立ち読みしてもらうのは全然構わないらしいが、立ち読みを許すと万引きが増えるとか。どういう原理か良く分からないが、本屋の本音はそういうものらしい。考えられる理由の一つは、立ち読み客が増えると死角が増えるんじゃないかな…… で、大阪梅田に行けば、新刊の一部(店員のオススメ?)が立ち読みできる本屋もある。そこで立ち読みして買い始めた漫画も確かに存在したりする。でもね、やっぱのべつまくなしに中身見たいよね! それに関係するのだが、最近の漫画家は画力が低下しているように見受けられる。表紙を見て「あ、これは面白そうだ」と思わせる画力がないのだ。むしろ、「どうしてこの絵の漫画が人気出るのかな」と思ってしまうぐらい。屈辱er大河原上が好きだって言ってる俺が言えたセリフじゃないかもしれないけどね! 画力が低下している……というのはあくまで私の意見だが、これが正しいと仮定して話を進める。編集者は、絵がヘタでも話が面白ければ良しとして作家に描かせているのか。はたまた、絵がヘタでも登用せざるを得ないのか。絵がヘタな漫画でも続いているのがあるのを見ると、前者という可能性もあるが、私はどちらかというと後者じゃないかと勘繰る。理由も根拠もない。学力低下になぞらえて画力も全体に低下しているんじゃかないかと決め付けているだけだ。絵がヘタでもストーリーが面白ければいいじゃん、と思って絵を描く努力を惜しんでそうな、私の偏見がある。そう思ってる作家が多いのなら、日本の漫画の未来は暗い。だってさ、漫画ってのは絵が命なんだよ。ストーリー勝負なら小説書けばいいんだからね。文章もヘタ? 絵がヘタで文章もヘタだったらお手上げですよ。その場合は原作者という形で絵もしくは文章を別の人にやってもらうしかない。ともかく、絵から伝わってくるものが少ない。「俺の漫画は面白いんだぜ!」というパワーが絵になければそもそも、連載中からまともに読んでもらえるはずもなく。 しかしながら、漫画雑誌を買っていて、つまらなく感じた頃はこう考えたものだ。「俺も成長したなぁ。大人になったから若いもんが感じる面白さと俺の感じる面白さにギャップが出始めたんだなぁ」って。違うかもしれないね。単に漫画が絶対的に面白くなくなってるだけかも。名作のリメイクなんかが流行っているのもその証拠かもしれない。新しいものに求心力が出ないから、過去の名作を蘇らせて読者の気を引こうという。ゲームなんかでも似たようなそんな傾向が……。その中ではやはりDEATH NOTEは出色だったよなぁ。後半ちょっとペースダウンしてたけれど。連載終了後に作画の人が警察に捕まってたけど(笑) 今、他にあれだけ話題の漫画ないでしょ。のだかんこと「のだめカンタービレ」? ええとね、昨日買って読んだけど、確かに面白い。面白いけど、爆発的な面白さはないね。DEATH NOTEみたいな読者を惹き付けて惹き付けてひきつけ起こしそうなぐらいなのが。DEATH NOTEとのだめカンタービレを比べるな!と怒られそうだけど。ま、人の好みの問題もあるしね。DEATH NOTEよりはのだめカンタービレの方が万人受けする。そういう意味では名作なのかな? ちなみに、のだめカンタービレを買ってみた理由ってのは、もちろんドラマ化?とかで人気があって話題性があるのもひとつだけれど、どこかでポップに「のだめ かもされました」って書いてあったのを見てずっと気になっていたのですよ。「かもされました」――分かる人には分かるんです。喰いタンの最新刊でも"かもされ"てたしね。某かもすぞ!の漫画にちょっとはまってるからこそ、かもされてる漫画にもちょっと興味が。もっとも、2巻までの時点ではまだかもされてるシーンがなくて(当然か)この後に期待ということになるのだが。どういう風にかもされるのか、1巻を読んだ時点で想像が付いちゃったりしてますが(笑)
平成18年10月16日
トリック合ってた! のはいいけど森博嗣さん、ビリヤードの玉の問題の答え書いてくれてないことない??? 読者が自分で解けって? 参ったなぁ……。 で、この話のメイントリックは見事正解。というか、正解までに辿り着く時間が長くて焦らされました(笑) ええと……詳しい話を書こうとするとまた背景と同色にしないといけないね。実は反転させると色の関係で見づらいんだよな……<気付いているのならなんとかしろ! 見難いという方はお手数ですが、コピー&ペーストでメモ帳にでも写してお読み下さればよいかと…… 〜以下、一応ネタばれ文章〜 プラネタリウムが回転した……というのは実は表現がよろしくなかったのだ。プラネタリウムが回転していると思わせて実は参加者のいるホールが回転した、と書くべきだろうか。とにかく、お空が回るんじゃなくて見ている人間側が回転したと。相変わらず文章の読み込みが甘く、どうやらプラネタリウム上映中にプラネタリウムは回転していたらしい。その際に、回転したのは天井のプラネタリウムの映像ではなくて自分たちだった、と、そういう書き方になっていた。さて、これ、タダのトリックではない。トリックというよりは真理である。天王寺博士に「真理の定義とは?」って突っ込み入れられそうだが(笑) プラネタリウム――天井に映し出された映像が回転するのではなく、参加者が回転する。これ、まんま天動説と地動説じゃないか。普通、プラネタリウムというのは映像が動く。星空が回転する。つまり、いわゆる天動説状態である。ところが、この物語の中での三ツ星館のプラネタリウムは地動説なのだ。すなわち、星空は固定されたまま椅子に座っている参加者のいる床面が回転する。なるほど、ここまで深い意味があったとは私も気が付かなかった。脱帽である。他、いろいろと細々したトリックを成立させるための細かいところがあるのだが、ここでは割愛。ただ一つだけ。霧の出た夜というのは重要な条件だったのだ。ただ単に辺りを見づらくして違いに気付かなくしたというだけではない。霧が晴れていると……星空が見えてしまう。そうすると南北の違いに気付く人間が出てしまう。だって、今しがたプラネタリウムで星空を見ていたばかりなのだから! あと、オリオン像が向いていた位置という要素にも全く気付かなかった。つまり……トリックは分かったものの、実にあやふやな根拠できっとこうなのだろう、という答え方しかしていなかったのだ。まだまだ青いね。
さて、本日はネタがいろいろあるので久々?のダブルタイトル。 本屋に行っても手に入らない屈辱 先日少しだけ話をした「屈辱er大河原上」という漫画、いつ本屋に行ってもうっかり探すのを忘れたのだが、ここしばらく気合を入れて探すようにしている。が、どこに行っても売ってない。まあ屈辱er大河原上だからなぁ、置いてなくても仕方がないか。そのうちにあることに気付いた。ひょっとして出版社が違ったりしてるんじゃないのか? おうちでもう一度検索。ふむふむ……何だか出版社を変えてあらためて1巻2巻と出たらしい。それもちょうど2年ぐらい前に。出版社の名前は三才ブックス。聞いたことないなぁ。調べてみると、一時期ほんの少し話題になった「萌えたん」を出した出版社だ。ロクな出版社じゃない。それはさておき出版社が分かったところであらためてGO! でも、売ってないものは売ってない。仕方がないのでついに、店員に聞いた。「あのー、すみません、『屈辱er大河原上』っていう漫画を探しているのですが……」 店員「え? えーっと、すみませんもう一度」 私「屈辱にerって付けて……」 店員「(メモを取りながら)はい、はい、少々お待ち下さい」 待つこと3分 店員「作者が坂本タクマで、2年ぐらい前の……」 私「はい、そうです(あったのかな?)」 店員「すみませんがうちではちょっと……」 はぁ、やっぱりないのか。おうちに帰って改めて検索。三才ブックスのウェブを見ると……一応まだ出版社に在庫は残っているらしい。かくなる上は通販か!? で、いろいろ検索していて、作者本人のウェブサイトを発見した。そこに屈辱er大河原上単行本刊行の顛末が載っていた。何でも、コミックバンチ(連載してた雑誌)の出版社は、こともあろうにダイジェスト版の第二巻を刊行しようとしたらしい。そりゃまぁ人気なかったもんなぁ。ま、人気がないってのはあくまで推測だが、この漫画が人気あると思う時点でどうかしている。ま、それでも私は読みたいと思ってるんですがね。で、そんなところに"完全版"で刊行しようとする出版社が現れた。それが三才ブックスである。偉い! とても偉い! 前言撤回する!(横線引っ張ってあるでしょ?) 三才ブックスからあらためて1巻2巻が出るにあたり、前に出ていた(私が持っている)1巻との差別化をはかるために、旧1巻よりも収録話数が多いという。ええと……そんなことしなくていいのに。普通に2巻出してくれたら1巻買い直す手間が省けるじゃないか。 ――え? 1巻も買い直すのか、って? 当然だろ? そういう人じゃない限りわざわざ単行本買わないって。
平成18年10月15日
先日、阪急梅田のブックファーストにて「Q.E.D.」の新刊が出ているのを発見。あ、漫画じゃなくて小説の方ね。「おっ、買わなきゃ」と思って手に取ろうとして気が付いた。これは文庫版じゃなくて新書版だ。出版業界の常識で、まずハードカバー版や新書版がでて、それから時間を置いてから文庫版が出る。ごく稀に逆の順序の本もあるのだが、まあ希少すぎるだろう。というわけで、文庫版で揃えようとしている人は作品の発表から読めるようになるまでにタイムラグが発生してしまう。具体的にどれぐらいのタイムラグなのかは知らないけど、1年ぐらいはありそうだ。というのも、小説Q.E.D.は文庫化されてないのが少なくとも2〜3あるようで、おそらくシリーズものの小説の刊行ペースというのは3ヶ月で1冊も出ないだろうから。4ヶ月で1冊として、文庫化されてないのが4つあれば、12ヶ月間が開いている計算になるからね。ひょっとしたら高田崇史が超ウルトラ"速筆"で、2ヶ月に1つ新作を発表したりしている……なんてことが絶対に有り得ないということもないだろうが。でも本当にそんなペースで本を書いているのなら、某超ウルトラ遅筆な夢○○氏は見習って欲しいと思うのである(笑) で、少し時間があったので書店内をウロウロウロウロ。新書版のコーナーなんて滅多に見ないのだが、店頭にディスプレイされていた新書版のQ.E.D.の新刊に触発?されて新書版のコーナーも見てみた。森博嗣の本がたくさんあって、こちらもおそらく文庫化されてない新書版がいくつかあるのだろう……と、手にとってあらすじを見たり。ついつい買っちゃおうか、なんて思ったりもした。でも、森博嗣の作品に関してはまだ読んでないのが山ほどある上にページ数も多く、なおかつ私が一気に読み進めないので当面新刊を待ちわびるようにはならないだろう。でも、Q.E.D.シリーズは……新書版でもいいから早く読みたいという欲求がある。ついでに、先述の夢枕獏の作品も文庫になってないものもあるので、ここらで文庫版から新書版に移行してもいいかななんてことを検討開始。一番の問題は、本棚に文庫本専用スペースがあり、まだ大きな空きが存在し、そしてそこには到底新書版が入りそうにないことである。せっかくの専用スペースだから活用したいしなぁ。さて、どうしようか。 で、現在読んでいる森博嗣の「笑わない数学者」。相変わらず1冊が分厚くて、読み始めてそろそろ1週間は十分に経つのだがまだ6〜7割ぐらいのところ。いわゆる謎解きの部分までは進んでいない。ミステリーらしく殺人事件が起き、もちろん何らかのトリックが使われている。そのトリック以外に、これまたミステリーらしくいろいろと"謎"がある。ビリヤードのボールを5つ円周状に並べ、隣り合ういくつかのボールを抜き取り、そのボールに書かれた数を合計することを考える。合計が1〜21の各数になるような抜き取り方ができる5つのボールの配置を考えよ、という問題もあるのだが、これは紙に書いていろいろ考えないと難しすぎるのでパス(笑) で、もう一つ、大きな謎がある。物語の舞台はオリオン座の三ツ星を模した形状の「三ツ星館」。この洋館は、3つの塔からなり、その南側には巨大なオリオンの像が立っている。そのオリオンの像が一瞬にして消え、そして夜が明けると元に戻っている。洋館の主、天王寺博士のとっておきのマジックで、12年前にも一度"消した"ことがある。その折にも死人が出ている……というようなストーリーだ。さて、このオリオン像を消すトリック、私は一応答えを出した。それが正解かどうかは、今のところそこまで読み進めてないので分からない。早いところ"答え合わせ"をしたいのだが、他にもいろいろと謎があるので先に答えを見るのもどうか、と。とりあえず、ここに私の出した解答を書いておこう。もしこれから小説を読む人がいるとネタバレになってしまうので良くない。例によって背景と同色にするので読まない人は反転させて……小説読まない人はわざわざ私の解答案を読むこともないか。 〜橘雪翼の解答案〜 オリオン像の下には、舞台などで使うエレベーターが仕込まれており、それを下げてオリオン像を隠す。もちろん、"蓋"が横から出て来て穴を隠す仕組みになっている。 ――それはトリックじゃねぇだろ! 本の冒頭に三ツ星館の上面図が用意されている。それを見ると……三ツ星館は、プラネタリウムのある中央の塔を中心とした点対称の配置になっている。天王寺博士は、皆がプラネタリウムに集まっているときにプラネタリウムごと180度回転させてしまい、参加者の方向感覚を狂わせた。もちろん中にいる人間に気付かれぬようゆっくりと。こうして元から何もないコンクリート敷きの館の北側を、昼間にはオリオン像があったはずの場所と思わせたのだ。夜、霧が出ているという条件により、館の南北のちょっとした違いが参加者には分からない。そして、宴が終わったあと参加者が部屋に戻る前に再びプラネタリウムを180度回転させ、"翌朝オリオン像が再び姿を現した"ように見せかけたのだ。物語では殺人事件というハプニングによりもっと早くにオリオン像が"出現"したが。天王寺博士が、ドアのロックにより参加者の行動を制限したのは、むやににプラネタリウムから出入りされてプラネタリウムが回転したことを悟られないようにするためである。扉にわざわざ東西南北を記したのもおそらく、こちらがわが南、ということを思い込ませたかったに違いない。 さぁ、当たっているかな。私の"物語の先読み"というのはしょっちゅう外れるからなぁ。でもこれは、先読みじゃなくてトリック究明だからね。当たることもあるだろう。
さて、侃侃諤諤に書くのを忘れていたが、増えていた積み木が完成して再び借金は0。「何、また懲りもせず買ったのか! これだから橘雪翼は!」とは思わないで欲しい。例の、今年の車両加工数3桁への強力な後押しをしているグリーンマックスの塗装済みキットシリーズである。201系の、ブルー7両編成が完成した。現在まさに東海道山陽緩行線で活躍している車両である。立花駅にやってくる青い通勤型車両である。103系を追い出した憎き車両である。 ――ゴホン 感情論は置いといて。まあ、そういう嫌いな車両であるが、一応普段からお世話になっているし、地元車両だし、国鉄型車両だし、というわけで201系のキットも買って組み立てている。その前にKATOから出ていた完成品もきちんと揃えているしね。地元車両は「あばたもえくぼ」で、見慣れているがために模型で発売されるとついつい買ってしまう。その"ついつい"の理由が私は多数あり、傍目からは何でもかんでも無節操にコレクションを増やしているように見えるのである。 これで今年に入って実に97両も車両が完成した。多けりゃいいってもんじゃないぞ! 現在、手を出していてまもなく完成しそうなのもある。今月中にはモノになりそうなのもある。だから、100両まではあと少し。ほぼ確実に今年も100両を越えそうである。去年大失速した11月12月にもモチベーションを絶やさなければ120両ぐらいになるかもしれない。なお、塗装済みキットシリーズは現状で34両完成させていて、だから塗装済みキットを除いても3桁完成というのにはちょっと遠い。去年にしたって簡単な加工したものを含めての100両オーバーだから、純粋に組み立てたと言えるのはもっと数が減るだろう。純粋に組み立てるというのがどういう意味で、塗装済みキットには価値がないのか、とかそういう議論をし出すといろいろ面倒なのだが。 しかし、デジタルカメラがないと、せっかく完成しても画像で侃侃諤諤のネタにできないのがつらい。デジカメがあっても面倒だからやらないことが多いんだけど(笑) 年末には直っているはずだから、面倒がらずに是非とも「今年完成した車両一覧」みたいな感じで集合写真を撮ってみたいな。いつかやった「所有カメラ機材大集合」のような感じで。あれはもう二度とやらないぞ。何せ出して撮影してまた仕舞うのに合計2時間弱かかったんだから! 模型の方は……100両出すって言っても多分1時間以内に終わるだろうなぁ。カメラのように防湿庫から撮影場所までの距離がない。防湿庫は当時納戸に置いてあり、一番開けたスペースである座敷まで運ぶ必要があったのだ。カメラ機材は一度にせいぜい10ぐらいしか運べず、本体とレンズの合計が100ほどあったので往復だけでも結構面倒な作業だったのだ。加えて精密品だし、それなりに重いし、並べるときに配置を考えたり……。そこへ行くと模型は楽だ。車両ケースにしてたかだか20もない。車両ケースは一度に10は無理でも3往復でいい。それにケースの収納場所と撮影場所はほとんど同じ場所にある。きっと線路の上に並べるからね。線路の上に100両並ぶかどうかは知らんが。まあそれは実際やるとき考えよう。並べたついでに走らせて楽しむという方針もまた良し。並べたやつのうち、お気に入りはしばらく出しっぱなしにして眺めても良し。カメラのときと違ってカビ等を気にしなくていいからすぐになおす必要がないからね。まあ、模型も埃を気にするから出しっぱなしは良くないんだけど……。というわけで、模型大集合はきっと気楽な作業。だから毎年やってもいいね。ついでだから、去年加工した車両大集合というのもやってしまおうか。ごく一部譲渡したから全部は無理だけど。
平成18年10月14日
昨晩は、つくばの友人から電話がかかってきて、3時間ほど話し込んでしまい侃侃諤諤の更新ができなかった(笑) 今日、関西で鉄道コレクションの阪急電鉄限定版が発売された。朝から並ばないと買えないかと危惧していたのだが、いろいろと手を尽くして……尽くす必要もなかったようで、昼前に梅田のサービスセンターで買うことが出来た。裏口ルートで手に入れた2個と、今日買った2個で合計4個。値段にして7200円もかけてしまった(笑) 裏口ルートの方が少し早めに手に入り、家に帰ってじっくり見たところ、通常版である鉄コレ第三弾に比べても出来がいいので、今日追加で買ったのである。クォリティが高いとされる鉄コレ第三弾であるが、それはあくまで「値段に対して」であり、昨今の鉄道模型と比べるとどうしても見劣りする。もちろん、値段帯が異なるからそのまま見比べるのは間違っているのかもしれないが、でも鉄コレ第三弾を手放しで褒める気にはなれない。形がモダンな分、自由形として楽しむ余地が少ないと言う意味では第一弾に劣る。第二弾はその中間点かな。塗装に関しては第三弾になってぐっと良くなったんだけどね。だから、第三弾の流れを汲む……と私が勝手に思っている阪急920系は、出来が思いのほか良かった。流れを汲む、と思った理由は、発売時期と下回りを共用している点である。ボディの形は完全オリジナルなので、阪急も「どうせ発売するなら」の思いがあったのかもしれない。2両1800円は、鉄コレ第三弾よりも高いので、出来がいいのはある程度当たり前なのかもしれない。その値段を考えると、やっぱり通常のNゲージ鉄道模型と比較するとそれなりに、であり、考えようによってはちょっと高いかもしれない。あまりにも細密化した反動で高価な昨今の鉄道模型を敬遠する向きには、こうしたちょっと前のクォリティでお値段も抑え目の鉄コレもいいのかもしれない。まあ私は、この鉄コレに1800円の価値を見出したので4組も手に入れたのだが。気になるところは手を加えればいいわけだし……と分かっていても、手を加えるのはやっぱり面倒そうだなぁ。
今日も鉄研の集まりに遊びに行ってきた。11月頭の大学祭までに、鉄道模型のレイアウトを作ることになって、その製作作業が始まった。正直なところ残り3週間でそのプランは厳しいだろう……と私は思っているのだが、模型係がえらく気合を入れているので無事完成するかもしれない。2年前に駅のセクションを作ったときは、もう少し早めに始めたような気がするんだけどなぁ。丸々1ヶ月と少し。プランに対するイメージも作業開始前に固まっていたし、高架駅部分を私が家で製作して持ってくるという短期完成に有利な点もあった。その分、今回は製作する面積が狭い目なので……どうだろう?? せっかく後輩がやる気出しているんだから、先輩として、模型係の先輩としても全力で手伝うべきという立場に私はいた。なのに、何故か、次に発行しようとしている機関誌「パンタグラフ」の仮原稿の校正作業をやっていた(笑) この原稿のチェック、私は自称鉄ちゃんやめました、というぐらいだから内容に対する突込みがなかなかできない。そもそも私の守備範囲は国鉄・JRが主なのでいくら関西といえど私鉄は……。そこで私のやれることとなると文法や読みやすい文章のチェック、ということになる。私は文章に対してかなりうるさい。「ここの文章は意味が通りにくい」とか「この言葉は話し言葉だから使うな」とか「そこまで詳しくない人のために解説をもう少し加えろ」などなど。もっとも、私が思う読みやすい文章が万人に読みやすい文章ではない。この侃侃諤諤を普段読んで下さっている読者の皆様には説明するまでもないだろう(笑) だから最終的な判断は執筆者に委ねられる。去年、訂正案を出しまくったのにほとんど変わってなかったページもあって非常にがっかりしたものだ(笑) 後輩セントレア一号車君はいいやつなので、「橘先輩、びしばし文章のチェックお願いしますよ〜」なんておだててくれるのだが、おそらく9割と7分8厘ぐらいはお世辞であろう。そのお世辞に乗ってびしばしチェックしたりするので、人間うかつなことを口走るのはあまり良くない事だ。きっと今頃家で後悔しているに違いない。 まあ、そんなこんなでレイアウトの作業はあまり進んでいない(笑) 来週は真面目に手伝うか……。
平成18年10月12日
エルの本名、意外と普通で面白くなかった というわけで(?)明日発売予定なのに今日売られていたDEATH NOTE13巻……と呼んでいいのかどうかわからないけど、限定版を予約もしてなかったのに手に入れてきました。13冊まとめて収納できる特製BOXが欲しかったので限定版を入手したのですよ。そのためにこの値段か……とふと思ってみたり(笑)
ゲームボーイアドバンス版のFFVを入手。DS版のFFIIIはまだ終わってません。というか、今DS本体にセットされてるカードはマリヲカートだったりする。多分FFIIIよりも先にFFVをクリアするでしょう。そして、FFIIIを再開するよりも先にゲームボーイアドバンス版FFVIが発売されるでしょう。そしてFFVIをFFIIIよりも先に……うーん、さすがにそれはないかなぁ。FFVIは作品としてあまり好きじゃないから、それよりは先にFFIIIをクリアしてしまうような。まあ、分からんけどねそこら辺は。積み木が完済したとは言えちょっと油断するとまた借金生活に逆戻りすることは想像に難くないし、そもそも最近ゲームやるより模型のヤスリ掛けしている方が癒される。こら重症だわな。
平成18年10月11日
昨日は何故か夜眠れず、昼間ずっと眠かった。ので、"少し仮眠"の予定が爆睡してしまい、目が覚めてそのことに焦っていたら、暗い家の中で半開きドアに顔面をしたたかに打ち付けてしまった。後で鏡を見ると、眉毛の横〜頬骨のあたりが切れているじゃありませんか! あー、痛ぇ。そしてしんどい。
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