俗称モハ42系の4両編成
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「モハ42系」とは鉄道趣味者による後年の分類分けで、当時は「系列」という概念がなかったらしいが、便利なので本サイトでもこの呼称を使用させて頂く。実車は、昭和9年の吹田―須磨間の電化にあたり新製された2扉クロスシート車群。両運転台のモハ42、片運転台のモハ43、付随制御車で半室二等車のクロハ59、同全室三等車のクハ58の他、半室二等車の付随車サロハ46が製造されたが、サロハ46は程なくして全車クロハ59に改造された。
模型では、以前にもモハ42系もしくはその改造車を制作したことはあるが、国鉄の前身の鉄道省時代をプロトタイプとしたのは今回が初めて。作った4両編成は、写真の手前から「モハ43−クハ58−クロハ59−モハ43」。当時は電動車には運転台が付いているのが当たり前で、「クモハ」ではなく「モハ」という車両記号が使われていた。ベースにしたのはグリーンマックスの「クモハ43」及び「クハ47 100」。クハ58形は後にクハ47形に編入されており、GMキットは末期がベースになっているため「クハ47 100」が最も近い製品になる。
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今回作ったのは昭和8年タイプ
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モハ42系は主に昭和8年、9年に製造されたようであるが、今回の4両は全て昭和8年製がプロトタイプ。拘りや方針があったわけではなく、差異をきちんと把握していなかったため全車8年製にせざるを得なかったのである。どこが原因かというと、助手席側の窓。昭和8年製は1段だが昭和9年製は2段になっている。他にもルーバーの有無も違うのだが、そのルーバーを取り付ける段階になって助手席の窓の違いに気付いた。次回制作時には昭和9年製の4両と、余裕があればモハ42を1〜2両組み立てたいと考えている(モハ42は全て昭和8年製)。
今回は珍しく運行窓に運行番号を入れてみた(数字自体は適当)。両端のモハ43はもちろん、2連運転も考慮に入れてクロハ59にもナンバーを転写。クハ58は先頭に出ることを考慮せず黒塗りだけにしたのだが、完成間際になって、「モハ43−クハ58」の運行もあったことを確認(「あったんじゃなかろうか」とは思っていたが、文献には載っていなかったので)。
そのうちに余った数字を転写しておきたい。とは言え、動力は「クロハ59−モハ43」の2両運転を考慮して偶数向きモハ43に搭載。現状では「モハ43−クハ58」の組み合わせでは走らせることが出来ない。
写真は、撮影時にちょっとミスをしてピンぼけしてしまった……気力があったらあとで撮り直すかも。
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一番苦労したクロハ59の二等室部分
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今回最も手間がかかったのは言うまでもなくクロハ59の二等室部分。モハ43やクハ58の車端部とは扉や窓配置が異なっており、もちろんすべて手作業で作り直し。二等室部分の窓が何故か不均等に並んでいるのも神経を使わされるポイントとなった。なお、クロハ59には先述の通り、最初からクロハとして作られたものとサロハから改造された車両があるが、最初からクロハだった車両をチョイス。理由は、サロハは二等室部分が長く、加工箇所が多くなるからである。とは言え、次回昭和9年製シリーズを作るときはサロハ46を入れたいと思っており、加工を頑張らねばならない。
扉脇のリベットは、扉の位置をずらした関係でキットのモールドが使えなかったので、「おゆまる」で型取りして再現。以前やった時は結構上手くできたと記憶しているのだが、何故か今回は苦戦させられ、そして仕上がりが乱れてしまった。リベットの表現は何かいい方法がないか模索したいところだ。
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モハ43先頭部
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その他の加工は“お馴染み”のものとなる。各種ドア交換、前面は窓をHゴム押さえから木枠へ“復元”し、各種モールドを削って時代設定に合ったディティールを付け直している。今回も去ね……いや、一昨年のクモニ83同様、前面に関してのみ手すりを金属パーツで浮かせてある(2枚前の写真参照)。
省電時代ならでは(ひょっとしたら国鉄初期も残っていたかも)なのが、等級表示の「lll」。当時は一等車から三等車まであり、三等車が現在の普通車に相当。私は模型制作時に標記類にはあまり凝らないのだが、今回はこの等級表示を入れる日を楽しみに作業を続けていた。レタリングはグリーンマックスからは発売されておらず、レボリューションファクトリーの製品を使用(もちろん二等標記も同社製)。色んなメーカーからいろんなパーツが出ているのは便利で嬉しいことである。
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シンプルな屋根上
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今回参考にした本は色々あるのだが、その中でも大いに役立たせてもらったのが「とれいん」誌の2004年1月号。今関西Nゲージ界で話題の117系の実車写真が表紙で、そして1/80スケールのモハ42系の作品が載っているのだ。私は特にパンタグラフ周りを参考にさせてもらった。製作された方によると「車両工場によってパンタ周りが異なっていた」とのことだが、私が発見できた写真を見る限り、車両工場ではなく製造年次で分かれているような気がした。よって今回は2両とも同じディティールで、2両ともランボードなしの形態としてある。現在発見できる写真があまりにも少なく、たまたま私が見つけたものがそうだっただけで、実際は製作者の方の言う通りかもしれない。
屋上機器類は、普段は「ねずみ1号」で塗るのだが、コントラストが付きすぎるような気がして今回は「ダークグレー」(GM35番)にしている。屋根の色はいつも旧国で使っている「ジャーマングレー(タミヤ)」と「ダークグレー(GM)」の調色塗料だ。「とれいん」誌上で作例を披露された方の模型は、キャンバスの継ぎ目まで再現されており心動かされるものがあった。真似してみようかとも思ったのだが、塗料のチョイスやサイズの関係もあり断念した。
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等級帯は完成品を参考に調色(右はカトー「かもめ中期編成」のスロ54)
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色の話が出たところでクロハ59に戻る。二等車を示す青帯は、資料を探したが「青○号」という記述が見当たらず、信頼できるカラー写真もなかったためカトー製品やモデモ製品を参考に調色した。既製品では「青22号」が近く(この色をそのまま塗られている方もいるようだ)、私の目にはもう少し明るく感じたため白を適量混ぜてみた。おそらく皆さん一目見てそれより気になっているかと思われるが、等級帯云々の前にぶどう色2号の色味が大きく異なっている(笑)
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TNカプラーはカシオペア用を使い、“広め”の連結面間隔に
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最後に。ヘッドライトは製造当時、屋根上ではなく前面の最上部に取り付けられていた。何年か後には旧国で見慣れた屋根上へ移設されているのだが、「この時代ならでは」の模型にしたかったので前面に設置。ところがこれが災いした。“完成”させて編成を組もうとしたとき、このヘッドライトが干渉して連結できなかったのだ。ボディマウントタイプのTNカプラーは連結面間隔を実車さながらに狭くできるのがメリットだが、今回は裏目に出てしまったというわけだ。仕方がないので連結面間隔の広がる台車カプラーに“戻し”てクリアランスを確保しよう……と思った時に思い出したのが、「E26系カシオペア」用のTNカプラー。詳細は良く知らないのだが、トミックスのカシオペアは通常のTNカプラーより柄の長い専用品が用意されている。オプション品で単体の別売があるので、買って来て交換。ヘッドライト同士が当たることなく、無事連結できるようになった。
ちなみに、戦前に作られた車両のうち平妻型は、妻面から連結器連結面までの寸法が400mmで、半流形や戦後型、新性能電車(JR型も同じ?)の250mmよりも長い(これがおそらく前面下部のディティールの違いを生んでおり、GMの古いキットはそこを見落としている)。その辺りを考慮すると、広めの連結面間隔は「実車通り」であり、さらに言うなら全面的にカシオペア用を採用すべきなのだが……たくさんあるTNカプラーのストックが勿体ないので、今回及び今回同様のケース限定の処置になると思われる。
(2020.01.22)
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