改めて『シン・エヴァゲリオン』

  
 ブルーレイ・ディスクが発売された『シン・エヴァンゲリオン』。劇場公開時にも感想を書いたが、何度か見直しての追加でも。なお、当時のと被る内容がきっとあると思うが、私自身何をどこまで書いたかイマイチ覚えていないのでご容赦いただけたらと。

 これは書いたような気がするのだが、見返しても強く感じるということで。『エヴァ』は主人公・碇シンジの成長の物語なのだろうけど、成長した姿が感無量なのはむしろ鈴原トウジの方。「ニア・サードインパクト(以下「ニアサー」)の後、子どものままでは生きていけなった」と語っているその通り、第三村の医者として、一家の大黒柱として立派に成長した姿を見せてくれる。その中でも特に心に刺さるのが「怒りや悲しみを受け止める、それも医者の仕事やと思って続けとる」という言葉だ。『新劇場版』シリーズとりわけ『Q』以降――正確にはニアサー以降の世界では医者と言ってもどの程度“正規”のものかは疑わしく、医療レベルは現実世界の現代と比べるべくもないだろう(一方で汎用人型決戦兵器エヴァンゲリオンを作るような技術力のあった世界だから、秩序が崩壊した後も残された機器類や製薬技術があればそれなりなのかもしれないが)。裏付けのある医療知識や診療技術よりも、こうした心構えの方が大切なのかもしれない。
 そのトウジ、第三村の村民に対してシンジと仮称綾波レイについて何か誤魔化すような様子がある。これ、なんでだろうなあと思っていたのだが、今回3回目4回目と見ていてやっと分かった。シンジはニアサーを引き起こした元凶であり、仮称綾波レイは世界の敵であるネルフからやってきた人間だから。もしかするとヒカリの父親にすらその素性は明かしていないのかもしれない。
 鈴原の妹のサクラ、多分名前は『Q』で初めて出てきたと思う。この「サクラ」というネーミングに今更ながらピンと来た。TV版である『新世紀エヴァンゲリオン』で洞木家三姉妹の名前が判明していた。上から「コダマ」「ヒカリ」「ノゾミ」と新幹線の名称から名前が付けられている(実際に登場するのは二女のヒカリのみだったはず)。『シン』では鈴原トウジと洞木ヒカリが結婚していたことが判明し、そして子どもの名前は「ツバメ」――やはり新幹線が絡んでいる。「サクラ」もまた新幹線の愛称であり、洞木家との関連性を暗示している? 『Q』の時点でトウジとヒカリの結婚が設定されていたということか?

>そもそもエヴァに乗らないで欲しかった
 シンジに無理やりレーションを食べさせながらのアスカの言葉。この「エヴァに乗る」はどのタイミングを差すのだろう? 『Q』のラスト? 『破』のラスト? それとも一番最初? 「そもそも」全部? だけど『Q』のラスト以外はシンジが乗っていなければ使徒に敗北し、サードインパクトにより人類は滅んでいたはず。となると『Q』ラストだが、これはそもそも周囲のケアが下手くそ過ぎたせいでシンジをみすみす連れ去られ、ゲンドウに利用されただけだと思うんだけど……。こういったあたりはとことんシンジに肩入れしちゃうなあ。

>ケンスケ「ニアサーも悪いことばかりじゃない」
 エヴァファン界隈ではアスカとケンスケがくっついた(?)ことに不満を持つ人が多いらしい。このセリフについて「そりゃお前はアスカとくっ付けたからいいだろうよ!」……という意見が出そうなものだが、不思議なことに今のところ聞いたことがない。むしろアスカケンケンカップルに文句のない私がツッコんでるのが不思議だ(笑)

>ニアサー
 ところでそもそもの「ニアサー」って何? 『破』の最後、サードインパクトの始まりとリツコが解説するもののカヲルの乗ったMarkVIが投擲したロンギヌスの槍により止まったはず。
解釈1:初号機は止まったもののサードは完全には止まらず、中途半端な形で進行した。
解釈2:『Q』において『破』の最後のシーンは「なかったこと」になった。
解釈3:『破』とは全く別にサードインパクトが起きかけたが、ネルフスタッフ(後のヴィレ構成員)みんなで止めた。
 ヴィレが結成された経緯なども推測するに、「サードインパクト未遂(『破』ラスト)→その後改めて碇ゲンドウがサードを起こそうとする→(事前にそれを察知していた)ネルフスタッフが反乱(=後にヴィレ結成)→加持リョウジ、命と引き換えにサードインパクトを(途中の段階で)止める」ぐらいなものだと思うのだが……。となると、シンジ君はニアサーの犯人じゃないよね? 初号機を覚醒させたのは遠因ではあるけど、直接の犯人はやっぱりゲンドウだよね? 『Q』ではカヲルがシンジに「君が引き金」とは言ってたけど……。

>北上ミドリ
 BD特典の新規映像『-46h』は実質この人の回想で、そして実質的に「-46h」ではなくニアサー直後の物語となる。彼女に何があって『Q』以降のギャル化があるのだろう……いやまあ、ニアサーのせいであり碇シンジへの怒りなんだろうけど……。というあたりで、他のヴィレスタッフとの温度差の背景がこの新映像なのかもしれない。元ネルフスタッフは加持リョウジや葛城ミサトと旧知の中であり、彼らがシンジのことを可愛がっていたのを知っている。それこそシンジがどんな気持ちでエヴァに乗ったのかも見ていたわけで、「ニアサーの犯人」として悪者扱いすることに徹しきれない。一方でミドリはヴィレに加入する前のことを知らない上に、動機はシンジへの復讐である。そういったあたりが『Q』『シン』では語られていなかったので、追加映像が用意されたのだろう。

>イマジナリーカヲルくん
 ヴンダー出撃前にシンジがカヲルと会話をする?シーンがあるが、これ、イマジナリーフレンドってやつ? しかし冷静に考えると、彼のポジションがよく分からなくなってきた。ラストでは加持が「渚司令」と呼んでいる。「司令」って何? 碇ゲンドウじゃないの? 一説によると「空白の14年間」で後のヴィレスタッフがゲンドウを追放し、渚カヲルを司令としてネルフを動かしていたという話も聞いたが……『Q』ではカヲルはネルフにいて、碇ゲンドウの下で動いていた。考えられるのは、スパイとしてネルフに潜り込んでいたという可能性。もちろんゲンドウもそのことに気付いていたので、だから第13号機に仕掛けをしてカヲルを「存在しないはずの第13使徒」に堕として利用しようとした? それにしてもカヲルは「第1の使徒」とも自称しているし(リョウジもそう言っている)、ゼーレが仕込んでいたような描写もあるし……うーん分からん。ま、究極はシンジに寄り添うのがカヲルという人物で、「ネルフ」も「ヴィレ」も関係ないのかもしれないが。

>ロングヘアー綾波
 裏宇宙の初号機の中で綾波に出会うシンジ。綾波の髪がロングヘアーになっているのが謎だったが、最終決戦前のマリがアスカの髪をカットするシーンでピンと来た。話は単純で、14年経って髪が伸びたということ。初号機の中で綾波はずっと生き続けていたってことでいいのかな。

>シンクロ率無限大
 「0ではなく無限大」というセリフがあったが、おそらく「0」というのは『Q』の冒頭で宇宙空間から初号機を取り戻した直後の話だと思う。その時と『シン』最終盤でシンジの心の持ちようは大きく異なっており、カヲルの言う「現実世界で立ち直っていた」ことがシンクロ率「無限大」に繋がったのではないかな。としても冷静に考えて『Q』冒頭で「0」だったのは不思議。だってあの時点ではシンジはレイを取り戻せたかもしれないという希望があったはず。その後周りから冷たい視線を浴びて、ミサトに「何もしないで」と言われて隔離されて……アスカに殴られかけて14年経っていたと判明してレイもいないままと、どんどんメンタルがボロボロになっていくのだが。となると『Q』冒頭でもやっぱ「無限大」だったのかな?

 『シン』で一番大切なことは、「結局完結はしたものの肝心なことはやっぱり分からないまま」だろうか(笑) ゲームやら小説やらのメディアミックスであれこれの謎については解説されている部分もあるらしいが、分かりやすく1冊にまとめたものが欲しいところ。ざっくりとした結末としては、TVシリーズと『旧劇場版』及び漫画版はシンジが立ち直る物語だったところ、『新劇』はシンジが周りの人間を立ち直らせる、といった感じになるかな? ゲンドウが「大人になったな、シンジ」は『破』の「大人になれ、シンジ」の対になるセリフだが、文字通りシンジは成長し、そして息子に「大人」を説くゲンドウが一番の子どもだったという事実も判明……というか確認できたような気もする。
 空白の14年間は何らかの形でやって欲しいし、やっぱり『破』の予告通りの続きも見てみたい。そういう思いを抱えつつも、BDを(ながら見ではあるが)何度も再生している。世間の評価はそう高くないようだが、私は『シン』のエヴァも好きである。監督の拘りと思しき映像の構成や見せ方、演出は飽きが来ない。普段私がアニメを観ない理由になっている声優の演技も、こと『エヴァ』においては全く気にならない――むしろ本シリーズに関して言えば高評価の一部である。
 最初は「ロボットアニメ」で始まったはずの『エヴァ』は、『シン』では完全に人と人のドラマになってしまった。私が『エヴァ』に惹かれたのは暴走する初号機で、それが故かTV版の最後の2話に戸惑いを覚えた。『旧劇』に期待を高めるも裏切られ、『新劇』も『破』までの盛り上がりの後で『Q』、そして『シン』へと続く。それでも3度目の失望をしなかったのは、ここに来てようやく『エヴァ』のテーマに、監督庵野がやりたかったことに気付いたからか。TV版シリーズから追い続けて来た思い入れによる補正かもしれないし、めちゃくちゃいい方に解釈すると私が劇中で言う「大人」になったからかもしれない。
 「さよなら、すべてのエヴァンゲリオン」というキーワードが示す通り、これで『エヴァ』から卒業すべきなのだろう。その一方でカヲルくんの「また会えるよ」という言葉に、再びエヴァンゲリオンと相まみえるような予感――期待もする。とりあえず今日のところは「さらばエヴァンゲリオン、また会う日まで」としておこうか。

(2023.03.17)
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