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『トレント最後の事件』現代的解説
Trent's Last Case/Edmand Clerihew Bentry(1913)
これが探偵小説というより、むしろ探偵小説を揶揄した
ものであることは、あまり気づかれなかったようだ。
―― E.C.Bentry "Those Days"
■たまには古典的な探偵小説でも読んでやるか、なんて気をおこしたとき、もしもこの『トレント最後の事件』を未読だったら、ぜひとも手にとってみてほしい。ただ歴史的に評価の高い作品だから(1)というのではなく、いま読まれても充分に愉しめるような射程の広い作品だと思うから。
■作者エドマンド・クレリヒュー・ベントリーはもともとジャーナリストで探偵作家は本業でなく、この一作だけが突出して有名ないわば「一発屋」に近い存在だ。けれども、ほとんどその実績だけで、いわゆる黄金時代にさきがけた「現代探偵小説の父」と讃えられるまでになった(2)。つまりそれくらい画期的な探偵小説だったようで、そのあたりの事情は集英社文庫版の新保博久解説にまとめてある。従来は短編が主流だった謎解きの物語(シャーロック・ホームズ譚が代表的)を長編のかたちで、しかも単なる無内容な引き延ばし策を用いずにきちんと成立させてみせた、というような論旨。まあ、たぶんそのとおりなのだろう。ただしそういった歴史的価値を抜きにしても、この作品はたいへん興味深く読める異色作だと思う。
(1)瀬戸川猛資『夜明けの睡魔』(創元ライブラリ)によれば、『トレント最後の事件』はハワード・ヘイクラフト、ジェイムズ・サンドゥ、W・B・スティーヴンソン、F・シーモア・スミスの有名な4つの〈名作表〉すべてに挙げられているのだそうで、海外における評価の高さをうかがわせる。4つ全部に選定されているのはほかに、『矢の家』『アクロイド殺し』『マルタの鷹』の3作品だけらしい。(個人的には、あとのふたつはこの作家の最高作ではないような気もするけど)
(2)ハワード・ヘイクラフトの有名な評論『娯楽としての殺人』(国書刊行会)での評価を参考にした。ずいぶん絶賛している。
【これよりさき『トレント最後の事件』の物語展開にふれてしまうので、未読のかたはご注意を(警報レベル:中)】
■なにしろ『トレント最後の事件』と、まず題名からしてなかなか人を食っている。探偵フィリップ・トレントは初登場なのにいきなり「最後の事件」を迎えさせられてしまう。この皮肉な展開にはシャーロック・ホームズ(「最後の事件」といえば、やはりこの人)をはじめとする超人的な「名探偵」物語の陥っていたパターン化への揶揄を読みとることができる(3)。現代風にいえば一種の「メタ・ミステリ」ということになるだろうか。
■いちばん象徴的なのはもちろん〈トレントが「参りました」と探偵稼業からの引退を宣言する〉幕切れの場面になるけれども、物語のはじめから微妙にひねくれた予感は漂っている。探偵役のトレントは典型的な「名探偵」と見せかけながらも、気さくでしゃべりすぎるくらいに饒舌、身なりは結構だらしない、といかにも「素朴な好青年」ふうに登場して、期待される神秘的な人物像からはいささかかけはなれている。また事件の捜査に出動するスコットランド・ヤードのマーチ警部も、ありがちな「やられ役のまぬけ警官」にとどまらず、それなりに実力のある好敵手として語られる。
■作者ベントリー自身も「探偵が人間らしく描かれている探偵小説を書くことも、できるのではないかと考えた」と創作意図を語っているように、あえて普通っぽい探偵役を登場させて従来の定型を外してみることが狙いだったらしい。探偵作家を本業としない作者ならではのこうした諧謔は、だんだんと物語の筋書きにもあらわれてくる。探偵トレントの推論は早くも物語の中盤で示されてしまい(この推理じたいも前半のトレントの捜査方針を納得させるもので、それなりに良くできてはいる)、あとからそれをうわまわる真相がしだいに明かされる。探偵は物語のなかで翻弄されるばかり、というかんじ。
■トレントが事件の関係者に恋をして悩む、という有名な物語展開も、このような「皮肉」の一環として読まれるべきだろう。と同時にこの恋愛は、トレントが結局みずからの推論を公表せず伏せる道を選ぶ理由にもなり、また読者に事件が途中で終わりかける展開をさほど不審に感じさせない(このあとは恋愛話で進めるのかな、と思わせる)ための、一種のミスディレクションとしても機能している。そんなわけでプロットにうまいこと絡んでいるとは思うのだけれど、そんな「探偵と恋愛の有機的結合」ばかりを、代名詞的に喧伝するのはどうなんだろうか。そのために少なからぬ誤解を生んでいるような気もする(4)。「恋愛」の描かれかたじたいは、ひとめぼれからラブコメディめいた展開をするだけで(ジョン・ディクスン・カーの物語みたいな)、べつに大したことはないから。
■それよりも物語の意図は、明らかに探偵小説への風刺に重きをおいている。この作品の斬新さが「黄金時代」の先駆として歴史的に高く評価されてきたのは、それこそ皮肉なことではないかと思う。
(3)ちなみに作中、事件の真相をめぐる仮説として「米国から海を渡ってきた復讐」説が披露されるけれど、これはコナン・ドイルの『緋色の研究』や『恐怖の谷』(とくに後者)を意識したパロディではないかと思う。
(4)この物語の筋はたまに「さしもの探偵も恋に目がくらんで推理を誤った」なんて要約されていることがあるけれど、推理が外れたことと恋愛とはどう読んでも因果関係をもって描かれてはいない。というより時系列的に推理をするほうが先で、恋愛はそのあと。
【これよりさき『トレント最後の事件』の結末にまで構わずふれてしまうので、未読のかたはほんとにご注意を(警報レベル:高)】
■本書の醍醐味はやはり、見事などんでん返しの施された終盤の2章にある。とりわけ、一度真相をひっくり返したうえで一件落着の雰囲気に読者を油断させておいてから、不意に次なる真相が語られる、最終章のぬけぬけとした展開は本当にすばらしい。
■ここで明かされる事件の真相は、次の3つの要素を同時に達成しているのではないかと思う。
1.事件の合理的な説明。
2.探偵小説への痛烈な皮肉。
3.完璧なハッピーエンド。
■以下この線に沿って述べていくと、まず「合理的な説明」から。最終章の手前で英国人秘書マーロウの語る話はかなり意外だし信用もできそうなのだけれど、読んでいていくつか疑問も湧いてくる。ひとつは、被害者の実業家マンダースンが「自分で自分を撃った」のでないことは一応科学捜査で証明されたのでは、ということ。あと、そもそも〈他人を陥れるために自殺する〉なんて計略はいくらなんでもありそうにない(5)。けれども最終章に入って〈撃ったのはカプルズ老人〉とわかり、しかも〈死ぬつもりまではなかったのじゃないか〉と説明され、さきの疑問はあっさりと氷解する。欠けていたピースがぴたりとはまる、とてもあざやかな展開だ。
■この結末はそれだけでなく、むろん「探偵小説への皮肉」の意図も含んでいる。マンダースンの常軌を逸した奸計に、そこをカプルズ氏と出くわしてしまう偶然、そして秘書マーロウのやたら手の込んだ偽装工作。三人の別々の意図がたまたま交錯した結果「探偵小説らしい謎のある事件」の外観ができあがってしまった。世の中はなべてそういう複雑な意図が絡みあってできているもので、だからひとりの「探偵」がすべてを見通してしまうことなんてありえないのではないか、ということ。「探偵が推理して解決する」物語形式への風刺に満ちた結末で、ゆえに青年トレントは最終的に「完全に参りました」と降参して探偵を辞める宣言をするに至ってしまう。
■ただしそんな皮肉な幕切れにもかかわらず、本書の読後感はなぜだかとてもさわやかだ。これはきっと「完璧なハッピーエンド」を達成しているせいではないだろうか。物語の主要な登場人物は、誰もが事件のおこる前より実は幸せになっている。秘書のマーロウは幸せに結婚したし、メイベル・マンダースンは不幸な結婚から解放されてかわりにいい相手を見つけた。推理に敗れたトレントにしてもしょせん本業ではないし、恋の成就のほうがむしろ大事。こうしたずうずうしいくらい円満な図式はもちろん、死んだ米国人富豪マンダースンを徹底して吊るし上げることで可能になっている(6)。死人に口なし、にもほどがあるような扱いだけれど、やはり結末がきれいすぎるせいかほとんど反感をおぼえない。
■そもそも探偵小説は犯罪を扱うのだから、悲劇になりやすい物語形式なのは間違いないだろう。悲劇の起こったわけを説明するためにまた昔の悲劇をこしらえたりと、悲劇の芋蔓式増殖さえもひんぱんに起こる。そんなことを考えあわせると本書のきわめて幸福な結末には、これまた批評めいた視座を感じないでもない。
■というわけで、最終章はいわば「理知」「諧謔」「感情」をいちどに満足させる、きわめてあざやかな展開になっている。皮肉としかいいようのない物語にもかかわらずとても読後感がさわやかなのは、このよく練られた美しい構造によるものだろう。この作品にかぎらず、ひねくれた諧謔を連発しながらも最後は幸福な結末できっちりと締める、というのは英国の娯楽小説に脈々と受け継がれてきた系譜のような気がする。たとえば、めくるめく皮肉の果てになんとなく安堵の結末へと着地するアントニイ・バークリーの傑作『試行錯誤』(創元推理文庫)はその典型だし、近くは「フロスト警部」物語なんかにも、その流れに通じるような精神を感じる。
■超絶の傑作というよりは上出来の佳作といったおもむきの『トレント最後の事件』が、これまでいろんなところで高く評価されてきたのも、結局はそのあたりの健全な英国的精神ゆえなのではないだろうか。
(5)レイモンド・チャンドラーは有名なエッセイ「簡単な殺人法」で、この点に文句をつけてリアリティのない探偵小説の一例として槍玉に挙げているけれど、これは無意味な批判。こんな訳のわからないこともあるのだからすべてを見通すことなんてできないよね、という皮肉なのだ、この展開は。
(6)本書をマンダースン中心に要約するなら、俗物のヤンキーが田舎成金の分際で洗練された英国人の仲間入りをしようとしてうまくいかず勝手に自滅する、とあからさまに反米・愛国主義的な物語なのだけれど、そんな作品が諸々の事情から最初に米国での出版が決まるという経緯をたどったのは、これまた結構な皮肉のような気もしないではない。
(2000.4.1)
『トレント最後の事件』大久保康雄訳(創元推理文庫)/大西央士訳(集英社文庫)
※大西訳のほうが新しいけれど、あまり良くないという話もちらほらと聞いた(僕は未読)。大久保訳は無難、でも古いので誤訳は多そう。
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