深宴 1話
著者.ナーグル
夢を見た。 久しぶりの、ちょっとした同窓会のはずだった。馬鹿騒ぎをして、飲んで騒いで、久しぶりの出会いに過去の思い出を揺さぶられる。そうなるはずだった。 こんなことにさえならなければ…。 残ったのは私一人だ。他のみんなは、どうなってしまったのか。わからない。ある日、この部屋から連れ出されて、それっきり帰ってこなかった。殺されるところを見たわけじゃないし、殺す理由がないからまだ生きていると信じたいけれど、でも…いっそ、ひと思いに殺された方がまだ幸せなんじゃないかって、そんな風にも思う。 もしかしたら、私の方がどこかに連れ出されたのかも知れない。でも、どうでもいい。どっちでもいい。 だって、助けが来る当てなんてないんだから。 もう私も限界だ。この地の底深くに閉じこめられて、あんなおぞましいことをされ続けて。どれくらい時間が過ぎたのかもわからない。あとちょっと、あとほんの少しで、あの子みたいに正気を無くしてしまうだろう。あの子? あの子? あの子って誰だろう? 名前が、思い出せないけど、大切な友達だったはずの人…。 ああ、そうだアスカだわ。あれ。私の名前がアスカじゃなかったのかな。でも、あのプラチナブロンドの子も、アスカ、あれ、私、おかしい。私はクォーターで青い目をしていて、栗色のくせのない長髪で眼鏡をかけていて。そして元戦自の少年兵でエヴァのパイロットで。 自分が誰かもわからなくなってる。でも、嬉しい、もうすぐ、もうすぐ楽になれる。そしてあの子達みたいに、あいつらにされることが、嫌じゃなくなるんだわ。あは、あははは、うふ、うふふ。 早く、早く、私を私を壊して。壊して壊して壊し、こ。 神様なんてクソ食らえ。 私は、なぜか、正気を取り戻した。正直、狂ったままでいたかったのに。もうあんな思いをするのは、嫌だから…。 だから逃げだした。そしたら、怪物達はすっかり油断していて、私の逃走に今頃気づいて大あわてになっている。 でも、こんなこと、今までにも何回もあったんだと思う。手慣れてる。私はまた捕まる。でも、その前に、なんとしてもあそこまで。 私は、全裸で暗闇の中を逃げている。あいつらが追ってきている。 何度も転ぶ私をからかうように追ってきている。この闇の中でも、ほんのちょっと光があれば見えるんだと思う。 捕まったらどうなるの? あいつらが追いつめる手をゆるめた理由がわかった。 囲まれてる。そこかしこに気配を感じる。 あとちょっと、あとちょっとなのに。シンジ…。 目の前にあるのは私たちをこの地獄に引きずり込んだ呪わしい電車…。でも、私にとっては最後の希望。でも、もう動かすだけの時間はない。捕まる。 拾った古いノートに、記憶に残る限りのことを書き連ねてきた。 回収したそれを、連結器の隙間に押し込んだ。 あのノートが誰かに、あいつらの仲間ではない人に拾われることを願う。そして願わくば、これをいたずらや妄想などと思わず、救いの手が伸ばされんことを…。 シンジ、シンジに会いたい…。 「私は悪くないわ」 そう聞こえるように呟きながらレイはそっぽを向いた。見つめる先はトンネルの暗い闇が広がるだけだが、少なくとも怒りに溢れたアスカの顔を見ているよりはマシなんだろう。寒いし眠いしひもじいし、普通ならそんな表情をすれば、どんなに美しくとも台無しになる物なのだが、不思議なことにレイにはそんな素っ気ない態度が似合っていた。 「酒を飲めないなら飲めないって最初に言えば良かったのよ」 そんな彼女の態度が気に入らないのだろう、柳眉を歪めて毒づくのはアスカだ。彼女とレイの不仲は、この場にいる人間には今更名事柄だから、苦笑するしかない。だが、レイの主張はもっともだとマユミは思う。確かに、酩酊したレイを心配して、彼女が覚醒するのに時間を取ってしまったことで終電を逃してしまったのだが――――。 「アスカさん、でも綾波さんだって悪気があってしたわけじゃないんですから」 「マユミは人が良すぎるわ。確かに、電話も通じない地下鉄構内に閉じこめられたのは、レイじゃなく、いい加減な仕事の鉄道職員の所為だろうけど。でもね、そもそも閉じこめられるようなギリギリの行動をしたのは、レイが飲めもしない酒を飲んで寝入ったことが原因でしょうが」 それだけ一息に言ってマユミを黙らせると、アスカは胸を反らせて背中を向ける。 一見したところ、彼女の強い意識を感じさせる行動だったが、中学以来のつき合いのある彼女たち、特に栗毛の女スパイこと霧島マナには彼女の金属メッキの強がりなんて剥き出し同然だ。 「でも綾波さんにお酒勧めてたのはアスカさんじゃん」 「うっさい」 「ほら、図星だからすぐ誤魔化す〜」 こんな状況にも関わらず、マナはどこか楽しそうだ。 冬場の地下鉄構内に、閉じこめられて外に出ることも出来ず虚しく始発を待つしかない。そんな状況すらも楽しめるマナが正直、羨ましいやら妬ましいやら。 「うっさいわね。色々あったのよ。そもそも、レイがこんなに酒に弱いって知ってたら、無理矢理飲ませたりしなかったわよ」 いや、そもそも一気飲みを強要するのがいけないことなんじゃ…と根が真面目なマユミは思う。 本当の意味でメンバーが勢揃いだったら、たぶん、ヒカリがアスカを止めたんだろうけれど。残念ながら、ヒカリは出産が間近に迫っているので参加できなかった。 ああ、そうか。だからアスカさんは無理に勧めて、綾波さんも言われるがままに飲んだんだ。 でも、それは私も同じか…。 「でも綾波さん。飲めないんだったら、無理だって言えば良かったんですよ。それなのに、表情を変えないで何杯も言われるがままに飲んじゃうんだから…」 「面白かったね、いきなり真っ白な顔が真っ赤になって目を開けたまま卒倒するんだから」 その時の光景を思い出してマナがケタケタ笑う。 だがその笑いもどこか無理をしている…? そんな風にマユミは感じる。だが、それは自分もそう。 (シンジさん…) だから何をするにしても投げやりで、間に合わないのが半ばわかっていながら無理矢理プラットホームに飛び込んで。そして閉じこめられて。 「あー、始発まであと3時間か。結構騒いだつもりだったけど、まだ1時間しか経ってないのねー」 マナがケタケタ笑う。 「さっきまで黙り込んでたと思ったら、そうか、携帯が切れたのね」 「わかりやすい人。あ…」 「どうしたんですか?」 珍しい、レイの驚いた声にマユミは首をかしげ、視線の先を追う。すぐにその原因にマユミも気づく。 「灯り、ですね」 「そう。電車…終電は過ぎてるのに」 「回送なんじゃないの」 終電を1時間過ぎた時間に電車が来るはずがない。来たとしても整備用のか、車庫に行く回送電車だ。そう思いつつ、運転手が自分たちに気づいて関係各所に連絡することを期待する一同だったが…。 キキィー 鉄と鉄の擦れあう重苦しい音を立てて電車が止まる。 「止まった」 「止まったわね。回送なのに」 「あ、でも行き先が第三ですよ」 さすがに怪訝に思う一同だったが、最低限の証明しかなくて薄暗い構内に比べると、鮮やかな電車内の灯りは魔女のお菓子の家のように誘う。行き先表示が回送とか聞いたこともない地名でなく、彼女たちの目的地である第三新東京市になっている。運転席か車掌のいるところまで行って尋ねられればいいのだが、だが丁度真ん中にいたことが災いしてそこまで行けるかどうか微妙だ。 『…臨時最終、第三新東京行き普通。魔もなく扉が閉まります』 陰気な抑揚のないアナウンスが響く。気の弱いマユミは硬直するがが、そんなのは平気なマナは電車内を覗き込みながら、おいでおいでと一同に手を振る。 「大丈夫みたいだよ。アナウンスもこう言ってるし。それにほら、私たちだけじゃなくて、他に乗ってる人いるもん」 マナが指さす先には、彼女たち以外の唯一の客らしい泥酔したサラリーマンらしき男が座席を丸ごと占領して寝入っていた。どこが彼の目的地かはわからないが、この分だと車庫が彼の到着地点になりそうだ。 更にだめ押しをするように発車ベルがけたたましく泣き叫び、陰気なアナウンスが聞こえる。 『間もなく、発車いたします。扉に挟まれないようご注意下さい』 「ああもう、乗るわよみんな。他に誰かいるなら、何かの仕込みって事もないでしょ」 「わかったわ」 マナが乗り込んだのにつられるようにアスカが続く。そんなアスカを横目で見ながら、発車がせまっての駆け込み乗車とは思えない、落ち着いたゆっくりとした動作でレイが乗り込む。 「早くしなさい」 「あ、でも、は、はい」 最後までマユミは愚図っていたが、まさか、そんなと心にわき起こる不安を押さえ込むと、転がり込むように車内に入った。同時に、彼女の背後で扉がしまる。 「なにちんたらしてるのよ」 「あ、その…。本で読んだ、嫌な都市伝説を思い出したんです」 「都市伝説ってな〜に?」 「えっと、終電が終わった後に来る電車があって、乗り込んだ人をここでないどこかに連れて行くって…。そして二度と帰ってこれない」 本気で脅えているらしいマユミの額をちょんと、指でつつくとマナは笑った。 その屈託の無さに、マユミはちょっと元気を取り戻したのか小さく頷く。 「マユミってば可愛いんだから。大丈夫よ、この宇宙にだって飛び出す時代にそんなことないってば」 「そう、ですね。まさか、そんな小説みたいな事、ないですよね」 座り込むなり、早速眠りにつくレイ、マナ。喧嘩するたび憎たらしいと思ってた顔が、今は天使の寝顔に見える。目を閉じてすぐに可愛い寝息を立てるのだから、よっぽど疲れていたのだろう。マナは寝不足の方かも知れない。 微笑みながら2人を見ているアスカ達だったが、ガタンガタンと単調な電車の音にやがて彼女たちも眠気を催す。 コタツでうたた寝してるような、異常な心地よさに浸りたい。 (う、ダメだわ。寝たら、寝たら乗り過ごす…でも、寝むい。マユミは、くっ、襲いたくなるような寝顔で…) 垂れ目とか無防備な唇とか少しずれた眼鏡とか。眼鏡っ娘の寝顔は反則だ、とか脳天気なことを思いつつ、ふとアスカは違和感を覚える。何かが変だ。 眠気で自分の判断力が落ちている、それもあるが、それ意外にも何かおかしな事がある。歯の奥に何かが挟まったようなもどかしさ。 (なに、なにが…。あっ) ガラス窓の向こうで通り過ぎる案内板を見た時、その違和感の正体に気がついた。普通電車のはずなのに、この電車はさっきから全く止まる様子がない。 いや、それどころか速度は増していく一方だ。 「なによ、これ」 更に言いかけた言葉が止まる。あり得ない急激な遠心力で背もたれに押さえつけられたからだ。 この路線に、こんな急カーブなんて無かったはずなのに。 「どうしたの?」 異変に気づいたマナが目を覚まし、戸惑ったように首を動かす。既に電車は不気味な振動音をがなり立て、乱暴に揺れて立つことだって出来ない。離れた席で寝入っていた酔っぱらいは転げ落ち、頭を押さえて狼狽している。 「知らないわよ! スピードなんて100キロ以上でてるし、だいたい、こんな妙なカーブはなかったはずよ!」 「あ、アスカさん…」 露骨に脅えた顔でマユミがアスカの腕に縋り付く。普段ならマユミの体とか押しつけられる胸の感触が柔らか〜い、なんてふざけたことを考えたりもするのだが、今は彼女を励ます余裕もない。 「この電車、下ってる…」 さすがに顔色は悪いが、冷静にレイは呟いた。呟きつつ頭を振る。元々、この路線が走っていたのは地下30メートルだ。そこから更に下っている。今頃はどのくらいの深さを走っているのだろう。 「緊急停止よ!」 マナが緊急制動用のレバーの飛びつき、プラスチックカバーを引き開け、意外に軽いレバーを引き絞る。これで、かなり乱暴な停止になるだろうが止まるはずだ。だが、 「止まらない! 止まらないわ! なんでよ!」 「マナ、落ち着きなさい!」 「待って、速度が落ちてる…。止まろうとしてるわ」 レイの言葉にマナもマユミも、さらには遠くの席の酔っぱらいまで動きを止める。動かないまま耳を澄ませば、確かにモーター音は静かになっており、体に感じる震動も徐々に緩やかになっている。やがて外の風景…と言っても、闇の中でたまに小さな灯りが通り過ぎる程度だ…を目で追えるくらいに遅くなり、ゆっくりと電車は止まった。 「どこ、ここ?」 アスカの言葉に応える者はいない。異様に小さく、整備の手も行き届いていないプラットホームに電車は着いていた。寂しく、冷たく、息がつまる。まるで、昭和の時代に廃線になった無人駅を凍らせて、そのまま地下に運び込んだみたいに。そんな風に見えた。 そして今にも線が切れそうな蛍光灯の明かりが一つ、わびしげにプラットホームを照らしている。そして、その下にひっそりと、地獄の幽鬼のように立ちつくす、いくつかの影があった。 「…はぁっ、あ」 なに、あれ? と言おうとしたのだが、喉がかすれたアスカは文字通り声にならなかった。一瞬、脳裏をよぎったのは「もやし」という言葉だ。実際、立ちつくす人影はそんな風に見えた。 頭部には毛が一本もなく、病的なほどに、いや色素がないのか肌はどこまでも白く、薄い皮膚の下の血管が鉛色の網の目を広げて不気味に脈打つ様さえ目に取れる。それだけでなく、日光に当たったこともないのか、垢じみた肌は毛羽だっていて状態が悪い。俯く目はよく見えないが、鈍く、赤く光っている。そこにいるのは背が高いの、それほどでもない者、痩せている者、太っているなど体格はまちまちだったが、いずれも異様に手が長かった。そして、ボロボロになった衣服、というよりカーテンのような布きれを体に撒いていた。 うち一人はゆっくりと首をかしげると、にぃっ…と、耳まではないが、頬まで裂けた口元を歪める。 のぞいた歯は一様に黄色く、そして、肉食動物、いやピラニアのように尖っていた。 「ひぃっ!」 人間じゃ、ない? 手で口元を押さえて悲鳴を必死になって呑み込むマユミ。声を出したら、一斉に襲いかかってくるんじゃないかと、そんな風に思ったからだ。 「なによ、なんだってのよ」 マナの押し殺した呻き声を合図にしたように、電車の扉が開いた。そして謎の一群はゆっくりと電車に乗り込んでくる。降りる、という選択肢はアスカ達にはない。開いた扉はアスカ達の乗っている車両だけであり、怪人物達の横をすり抜ける覚悟も、なによりどこかどうかもわからない駅? で降りる覚悟もない。 「ど、どうするのよ、レイ」 「とりあえず、様子を見ましょう」 離れた席に座る得体の知れない人物達。酔っぱらいの男も、事態の異常さに気がついたのか少しでも彼らから離れようと距離を開ける、つまり、アスカ達の方に逃げ込んでくる。男からするアルコールの臭い。不快な臭いだが、それでも謎の人物達から流れてくる腐敗臭に比べればマシだ。 彼ら?それとも彼女たちはちらり、ちらりとアスカ達を盗み見しながら、お互いにぺちゃくちゃと訳のわからない言葉で囁き会っている。 そうこうするうちに、扉は閉まり、再び電車は走り出した。 相変わらずもの凄い速度で地下深くを走りながら、時折止まり、同様に得体の知れない人物達を乗せていく。その数は徐々に増えていく。そこかしこの席にまばらに座り、探るように美女達の脅える姿を見つめている。 他の車両、先頭車か車掌のいるはずの最後尾に移動しようと思っても、彼らの間を掻き分けていく勇気は、既にアスカにも、レイにさえもない。猛獣に話しかけることの無意味さはわかるのだから。彼らがただの酔漢やちんぴら等ならともかく、いやさ薬物中毒者だって彼らに比べればまだしも人間だ。 (どうしよう…。さっきの駅で、降りてしまえば良かった) いや、それを言うなら最初にマユミが脅えた時に、この電車に乗らなければ良かったのだ。後悔しながらマユミを見ると、シクシクと啜り泣き、そんな彼女をマナがしっかりと抱きしめていた。しかし、いかに格闘技の修練を積んでいるマナでも、この異常な状況を覆せるとは、とても思えなかった。 「一体、この電車はどこに向かっているの?」 ほどなく、答えは出た。 宇宙の闇とて、ここまでは暗くないだろうという闇の中で、静かに電車は止まり、突然全ての灯りを消した。一瞬遅れて、橙色のハザードランプの明かりが車内を照らすのだが、その刹那聞こえた呻き声に、一同は思わず体を震わせる。 「……………っ! あっ、たす…っ」 明滅する明かりの下、酔っぱらいの背後からなだれ打つように男達が、いや得体の知れない怪物達がむしゃぶりついてくる。何か言いかけた男の口は怪物の一体に塞がれ、ほじくり返され、悲鳴にもならない喘ぎ声と共に悶絶する。たちまち、男の口元から胸元にかけて赤黒く染まり、怪物は手にもった肉片を楽しそうに眺める。 「し、舌…」 痛いほど強くマナにしがみついていたマユミの手から、ふっと力が抜けた。気絶した…そう悟る間もなく、マユミの体は崩れ落ち、そして、それを合図にしたように怪物達は一斉にアスカ達に飛びかかってきた。 「くるなっ!」 はね除けようとする。だが、ろくに物が見えない状況では、アスカ達の抵抗など物の数ではなかった。生臭い腕に口元を押さえられ、奇妙な刺激臭を呼吸せざるを得なくなったところで、ふと、アスカ達の意識も遠くなる。まず異様に目眩がし、それから音が聞こえなくなる。そしてとにかく眠くなった。何かの薬物を使われた、それとも暴れすぎて酸欠になったのか。いずれにせよ、もうアスカには為す術がなかった。 ぐったりとしたレイやマナ達が怪物達に抱えられて車外のどこかに運ばれていく。 ちらりと目だけで酔っぱらいがどうなったのかに目を向けるが、もう酔っぱらいの姿はなかった。 少なくともそこに人はいなかった。 声にならない悲鳴を上げながら、文字通り、生きたまま怪物達に細切れに解体されているそれは、もう、人間と呼べるものではなかった。 (これから、私たち、どうな…) 意識に闇が舞い降りた。 初出2005/11/13
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