誕生日に触手(1)


Original text:引き気味


2016年12月3日、土曜日。この日のことほど天を呪わしく思ったことは無かったと、彼女達は後に述懐した。
続く4日に至っては思い出すのも忌々しい―― いや、いっそ「じゅうにがつ」という響きさえ言の葉に乗せるを忌むに至って、元一中2年A組の面子が揃う時、自然、12月の話題は禁句となっていったのである。
誰だって、うら若き乙女が突如そこらにのた打ち回り、謎の怪音波を発する(「不潔やぅ」と叫んでいるのだと聞き取った者も若干名存在するが、大多数はただ鼓膜を痛め、やはりのた打ち回った)隣に居合わせたくはないし、黙って眺めていれば取り取りの花にも似て目の保養に相応しい彼女たちが、ヤクザ顔負けの殺気視線を揃って送って寄越す的にはなりたくなかったのだ。

―― つまり、

元一中2年A組の級長、洞木ヒカリの意識には12月は存在しない。
一年の最後は11月の61日だということになっている。

元一中2年A組の専属カメラマン(自称)、相田ケンスケは厳かに沈黙を守る。
彼はこの一件を通して自分の選んだ報道人としての生き方がいかに危険と隣り合わせであるかを学んだらしい。

元一中2年A組への転入生、山岸マユミは、赤面して本の角を振り上げる。
ちなみに彼女の愛読書は広辞苑かと見紛うような分厚いハードカバーが多い。

元一中2年A組への転入生その2、霧島マナは急に口笛を吹いたりしつつ、懐にちらつかせる“先端が筒状で”“鈍く輝く”工業製品に『カチャリ』と語らせる。言葉少なめだが実に雄弁だ。

元一中2年A組の薄幸のヒロイン(一同公認)、碇シンジは、元級長と同じ世界に生きている。

元一中2年A組の番長、惣流・アスカ・ラングレーはただ全身で不満を表現した。主に拳と、拳と、拳と、拳で。
こちらも実に雄弁だ。

元一中2年A組の影番、綾波レイは目付きを遠く、ぼんやりどこかに意識を飛ばしている。
昨晩の献立を反芻しているようにも見える横顔だが、ひょっとすると機嫌が良いのかもしれない。
綾波レイの表情鑑定に秀でた碇シンジ少年にコメントを求めると、何故か常に惣流アスカ嬢が割って入り、拳と拳と拳(以下略)で余計なコメントをくれる。

結局のところその日に何があったのか。
事の元凶は、翌日に誕生日を控えた惣流アスカが教室で調子絶頂の自慢をぶっていたことにあった。



◆ ◆ ◆



セカンドインパクトを知らない世代にはもの珍しい寒さにもそろそろ誰もが飽きてきて、口々に『寒い』だの『熱い夏の方がマシだ。少なくとも女子は薄着だった』等とぼやきながら、日当たりの良い席を取り合っている昼食時間。

「ううう……悔しいです」
「く、くく……。これは涙じゃないわ。そう、汗よ。目から出る汗なのよ!」

教室の一角に固まり、マユミとマナは揃って俯き気味に食事を取っていた。
箸を動かす手元は妙に暴力的で、マナはお弁当箱の中の冷凍ミートボールの味が気に入らなかったのかグリグリと突き刺し、どれもこれも口に運ぶ前にボロボロだ。
そして、普段はシンジが一緒ででも無ければ彼女たちとそう親しくしているわけでもないレイ。

「…………」

彼女は二人と微妙に共通した空気を漂わせつつ、味わいの貧弱さでは軍隊食とタメを張れるネルフ印のコンビニ弁当に黙々と。

校庭向きの窓からは、この季節には恵みとも言える太陽が暖かく輝いていた。
気持ちの良い天気は快晴。

―― だのに、その一角だけは世界は曇り。
どんよりと湿った低気圧が、垂れ込める厚い雲の中にバリバリと鳴り響くものを隠しているような、そんな感じ。
教室の真ん中で、こちらはいつも学校中が眩しく見詰めているアイドル的な美貌を、さらに割り増しで晴れ晴れとさせているアスカとはえらい違い。
まさにムードは正反対。
季節は冬だが、あちらは春。あちらが昼でも、こちらは何故か夜だった。
そこには見えない壁が高く高く存在している。
……主に、この空気に付き合わされてアスカの前に愛想笑いを並べる一方、後々のレイ達の放つ無言のプレッシャーを思ってブルーな、クラス一同の気分的に。

「……でね、でね? オレンジジュースに漬けておいたっていう鶏肉がまた美味しいのよぉ」
「も、もう良いじゃない。恥ずかしいよ、アスカぁ」
「な〜に、言ってンのよ。あんたの数少ない特技なんだから、胸張ってりゃいいでしょう?」

身振り手振りを交えて鼻高々にアスカが語る。
その内容は、翌日の誕生パーティーに同居人のシンジがご馳走を作ってくれるという―― 去年も実に豪勢であった。そしてまた一年の間にたっぷりと料理の(食べる方の)鉄人である自分が指導を付けてやったのだから、明日はさぞや楽しみな出来栄えを披露してくれるだろう。でなければオシオキだ、といったものだった。

要するにノロケだ。
砂を吐きたい気分で一杯の聴衆の皆さん。
しかし彼らにとって、清聴はある種の義務。時にジャイアンチックな暴君であることも躊躇わないできたアスカ嬢の政策は、クラス中を遍く照らしている。
翻って、当のシンジ少年はたいそう奥ゆかしい人柄であったから、アスカ嬢の褒めっぷりにもう真っ赤になってしまっていた。
付け加えるとこのアスカ嬢、普段が家事洗濯を任せて滅多に褒めない同居人であるので、その分の耐性の無さも余計に初々しく赤面の度合いを増加させているかもしれない。
ともあれ、それがまた余計に面白くないマナ、マユミ、レイの三人は、クラス公認でアスカとシンジ少年を奪い合うライバルズなのだった。

鼻高々で“シンジの手料理”の良さを喧伝しているあれはつまり、私たちに対する当て付けですねと、お淑やかで通っている日本人形的な容貌の眉間に、ぎゅっと皺寄せるマユミ。
チラリチラリとこっちに目線くれて嘲笑ってやがる―― 敵ね、やっぱり敵ねとマナは怒りに握力が増してしまう。
戦自下がりのアルミ製弁当箱がベコリ。
そしてレイが『……ご馳走様』とゴミ箱に片付けているコンビニ弁当の殻、さっきまで使っていた割り箸は二つ三つに折られてベキベキだった。
最後にジロリと、前髪の間から赤い瞳をブリザードのように恋敵をねめつけて、

「……ひ、ひぃあっ!? あ、綾波さん……?」

無関係に思わず目を合わせてしまい、胃を痛くしているヒカリが慄然とする中、三人は黙って教室を後にした。
そしてそのまま放課後まで帰ってこなかったのである。



◆ ◆ ◆



「あれ? 綾波……?」
「……大荷物ね。碇くん」
「ははは……。明日の準備があるからね」

シンジとアスカと、二人して下校途中にスーパーに寄った帰りに出くわしたレイ。

「……あの人に料理してあげるのね」
「あ、綾波……?」
「何よ? なんかアタシに文句でもおありなのカシラ、綾波さん?」

ずずいと出てシンジを背中に隠し、『あぁ〜ん?』とアスカはチンピラな対応。
レイが口を微妙に尖らせて、言外に何事かシンジにアピールしているのを目敏く捉えての示威行動だ。
(ちなみに、鈍感王座無敗のシンジは『じ〜……』と見詰められていても戸惑うだけだった)

「……ま、アタシのばぁーすでーの為だものね。誰かさんの食卓みたく、貧相にはいきませんのよ。おほほ」

レイはチラとだけ勝ち誇りモードのアスカに目を向けると、やおらにシンジに向かって、ぶら下げていたビニール袋を突き出した。
袋の中身はなにやらズシリと重い、肉の塊であるらしい。

「……差し入れ。欠食児童を抱えて大変そうだから。お猿さんはお肉が好きなんでしょう?」
「だぁれが、サルよっ」

毎度の如くぷつかりそうな勢いではあったが、『じゃ、さよなら』と渡すだけ渡して、それでレイはさっさと立ち去っていった。
戦友同士でもあり、彼女の取っ付き憎さに慣れた二人もさすがに呆気にとられる、奇矯な振る舞い。

「肉だけ……。読めないやつね、何考えて生きてんのかしら」
「これ、ひょっとして誕生日のプレゼントのつもりだったのかな……」
「アイツも明日はパーティーに食べに来るんでしょう? 自分の食べたいもの持ってきたんじゃないのぉ?」
「……鍋じゃあるまいし。お肉は嫌いだって言ってたから、多分これ、アスカにだよ。……多分だけど」

用事がそれだけであったかららしいが、だからにしても素っ気無い―― それがまた何となくの抗議をされているようでもあり、理由の判然としない後ろめたさを感じていたりするシンジだった。
そして気を取り直した手の中には、更に数と重みを増した食材達が残っていたのである。
ズッシリと。

「えーと、少し持ってくれない、かな……?」
「うんうん、持て成しのキモチは準備の時からよね。大儀だわよ、シンジ。……じゃ!」
「ああっ、待ってよアスカー!」

どたばたと賑やかに足音が去っていく。
誰の目にもじゃれ合っているだけと明らかな二人の声が、遠く聞こえなくなるまで。道を曲がった塀の影で様子を窺っていたレイは無表情に呟くのだった。

「……あなたが悪いのよ。弐号機パイロット」



◆ ◆ ◆



そしてその日の夜、最後まで起きて料理の下ごしらえを済ませたシンジが眠った後、葛城邸のキッチンに忍び込む黒い影があった。
ネルフの仕掛けた厳重な警備装置を、負けずに豪華な戦自印の装備でもって突破したマナは、何を考えてかゴソゴソと一頻り冷蔵庫を漁ると、

「ごめんねシンジ。でも、悪いのはアスカさんだから、恨まないでね……」

ついでにこっそりシンジの部屋に足を伸ばそうとしたところを、窓の外で控えていた協力者の切羽詰った警告で、渋々と引き返して行った。

「(ちょっとっ、騒いだりしてバレたらどうするのよ、ケイタ、ムサシ……!)」
「(だからっ、いくら僕でもあんまり長くはセキュリティー誤魔化してられないから、時間無いって最初に言ったじゃないか!)」
「(そうだっ。用事を済ませたらとっとと撤収するのが鉄則だろう! 大体、基地の地下冷蔵倉庫から何を持ち出してきたんだよ)」
「(まさか毒とか……そーゆーのはヤバイよ! 絶対!)」
「(大丈夫、大丈夫。死にはしないし、痛くもないの選んできたから。……そう、痛くは、ね?)」

にししと邪悪に笑う。

「(ホントなの……?)」
「(それにちゃんと目印もしたし、アタシは避けて食べないから関係無いも〜ん)」
「(うわっ、ひでぇ)」



◆ ◆ ◆



―― 更にまた同じ夜空の下、遅くなっても一向に主が寝床につこうとしない山岸家の二階には、ぼそぼそとマユミの声が響いていた。
机に広げた分厚い本の記述を指先で追い、つっかえつっかえ、唱えるように、歌うように。

「ふんぐるい むぐる……なふ? ええと、くとぅっ、くとぅるう るるいえ……」

それはどこか、いかにも恋心を募らせる少女にありがちな神頼みや願掛け、まじないに向かう健気な後姿にも見えたが――

「……ううっ、自分で借りてきた本だけど、冷静になってみるといかにも嘘臭い……」

そういった事は、我に返れば酷く気恥ずかしいことなのだ。
一度醒めてしまった頭にいい加減それ以上の信心が湧く筈もないマユミだったのだけれども、とりあえず始めてしまった以上、止める踏ん切りも簡単には付けられない。

「いえ、え……うがふなぐるふたぐ、ん、ん? ……それにしてもこれ、本当に頼もしい神様が恋の願いを叶えてくれるお呪いなのかしら……?」

やけに邪悪っぽい気がしますけどと、それでもめげずにぶつぶつと続ける。
明日の予定は結構早かったのにも関わらずだ。
アスカのためのパーティーに出席して欲しいと誘われたに過ぎないにせよ、でも一応は『碇君の家にお呼ばれされたのよ……♪』と言って良い、マユミとしては一大事である。
だからめかし込んでいこうと準備をしていたのだが、マユミの夜はまだまだ遅くなってしまいそうな様子。

そんないじましい努力と関係があるのか、無いのか。山岸家を見下ろす夜空が急にどんより雲って月を隠していたり、お向かいさん家の愛犬君がギャンギャン喚き吠えたかと思えばシッポを丸めて犬小屋に逃げ込んだり。
不穏に気温も低下してきているような―― 『あら? 寒くなってきましたかね?』と、あまり気にしていないマユミの今夜は、やはりまだまだ長い一晩になりそうで、

「今度は変な匂い。魚、かしら? また急にどうして……。それに何か妙な音も聞こえてきてるような……」

どちらかと言えば朝も相当遠くなりそうな、そんな雲行き怪しい気配が立ち込めてきていたのだった。



◆ ◆ ◆



―― そんなこんなで、

「……あ、あんた達のせいかー!!」

アスカは叫んだ。
ヒク、ヒク……とリビングの床に力なく痙攣しているどいつもこいつもな面子、マナ、マユミ、レイは、一斉に『自分が悪いわけじゃない、少なくとも一番というわけでは……!』な反論の声を上げたが、まだ大声を上げられるようなアスカ並の余力は残っていなかったからか、

「むー! むぅうーっ!」
「ひがっ、ひがいまふぅ……」
「……ひはりくんは、んぁっ、ハッ……しんじて……くれる、でしょう……?」

―― と、くぐもった呻きになって出ただけだった。

この場に居合わせたばかりに―― いや、アスカの友人をやっていたのが運の尽きだったかもしれないヒカリは、シンジと共にさめざめと泣いて既に諦めの境地。抗議の声も出てこない。
リビングは既に、適当に飾り付けてそれらしくなっていたパーティー会場の様子を留めてはいなかった。
混沌の発生源と化したテーブルの上を中心に、一面わけの分からない触手や粘液、元は食べ物だった筈の成れの果てが蠢く、阿鼻叫喚の魔界と化している。

アスカはもう一度歯を食い縛って立ち上がろうと藻掻いたが、四肢を縛るように絡み付いた触手に手足それぞれを引き戻され、あえなく元通り絨毯の上に大の字の虜と戻った。

「こんっ……ちくしょーっ!!」

ほんの数分前。宴を始めた、そこから暫くは、多少ばかり出席した女性陣の間に妙な緊迫感が漂っていても、ごく普通のホームパーティーに過ぎなかったのだ。
テーブルの上にはシンジの用意したご馳走が、真ん中に白い生クリームと美味しそうなフルーツをふんだんに使って仕上られたバースディケーキを置いて、ずらずらと並べられていた。
アスカは満面の笑みであれこれ小皿に取っては珍しく手放しで美味い美味いと連発し、その勢いと競うようにガバガバ大口を開けているトウジの横では、ヒカリがそれなりに幸せそうに世話を焼いていた。
マナやレイも、これまた妙な料理への選り好みを見せたりしつつ、基本的にはシンジの料理の腕を褒めることで複雑な感情と健康的に主張する食欲との折り合いを付けていた。

その脇で、欠けたままの席がいくつか。
仕事が詰まっているミサト達大人組は後からの出席の予定だったが、他にマユミがまだ姿を見せていなかったのだ。
律儀な性格の彼女だ。連絡も無しに何事かあったのかとシンジは心配し始めた。
苦労した成果の料理も落ち着いて食べられずにいるのに気を利かせた友人二人、トウジとケンスケがそこまで様子を見に行ってくると席を立ち、そしてドアを開けた音がしたところで―― 驚きと恐怖の声がリビングまで響いたのだった。
何事か……!? 慌てて部屋から駆け出そうとしたシンジの鼻先に、ドアの向こうからぬっとマユミが現われ、そのまま『ごめんなさい……』と涙を流して倒れ込んだ。
胸の中に抱き止めた少女の柔らかさに思わずドギマギとしてしまったのも束の間、

『シンジ! 下っ、下ぁー!!』

必死の声のアスカに言われ足元を見ると、マユミの履いたロングスカートの中から、ズルズルと何本も束になった触手が廊下に引き摺られていた。
まるでマユミが道すがら産み落としながら、そして今尚、何本も何本も同時に産み続けているように―― それらはヌルヌルとうねり、脈打ち、マユミのスカートから伸びた先を太く膨張させて、廊下を埋め尽くしていた。
トウジとケンスケの悲鳴はこの触手に襲われてのものだったのか、ハッと気が付いた時には遅く、シンジもまたタコか何かが獲物を捕まえる時のように飛び付いてきた触手に縛り上げられ、マユミと抱き合う様な形で体の自由を失ったのだった。

『碇くん……!』『シンジ!』

そこはさすがチルドレン。そして戦自のスパイ少女。
触手のおぞましさにたじろぐことなく、少女達は即座に少年を救い出すべく飛び掛かろうとしたのだが――

『……!?』
『な、なにっ……体が……!?』

レイが膝から砕けたように崩れ落ち、続いてアスカも、マナも。

『しぃーむわった! ひょっとして私まで薬を混ぜたお肉食べちゃってたの……!?』
『ちょっと、マナっ! 薬って何よ!』
『あー、なんて言うかさ。その、痺れ薬っぽい……』
『何してやがるのよ、このスカポンタンは! ぽいってのは何よ、ぽいって! はっきり言えー!』

思うようにならない脱力した手足。
アスカの目の前ではシンジとマユミが、見ようによっては熱い抱擁のように一くたになって、うねる触手に絡み取られている。
睨んでギリギリと歯軋りし、尚も追及するアスカに、マナはこちらも触手と格闘しながら気まずそうに答えた。

『どうせアスカさん、シンジとイチャつくのを見せ付けるつもりだろうから―― って、いっそのことそれなら皆の前で羞ずかし〜く恥をかいてもらって、それで鬱憤晴らそうかな、なんて。悪魔がわたしに囁いちゃったのよ』

そこで性懲りも無く、『ちょっぴり魔が差しただけなの、許してシンジ……!』なんぞとのたまってみる。
演技度100%のナイス涙目上目遣いだったが、生憎シンジはシンジで、もっと妖しい雰囲気の顔になってしまっているマユミの潤んだ瞳を、鼻息が掛かる超至近距離に覗き込んでしまって、あわあわとマナの弁解を聞くどころじゃない騒ぎ。
ついでにシンジ自身もこの状況下で意味不明な胸のトキメキだとか、密着したマユミのやわらかさに意識してしまう変なムラムラした感覚だとかに襲われていたり。
『や、山岸さん……』『碇くぅん』と気分を出してしまっていた。

『こらぁ、シンジぃ! 状況分かってんのアンタっ!!』
『うわ、マズー。シンジも効いちゃってんのかしら』
『効いて、って、アンタね……。何をアタシ等に盛ったのよ!』
『その、ネ。ヤラシぃ〜い気持ちになっちゃったり、軽い刺激だけで人前でも簡単に気持ち良くなっちゃうような、そんな効き目のをちょっとだけ、ネ? えへへ』

可愛らしく小首を傾げて誤魔化そうとするが、やっている事はとことんエゲツないマナ。
手段を選ばない凶悪な性格は、戦自の仕込みの行き届きだった。

『何がネっ、かーっ!』
『だぁってぇ、戦自じゃイタズラ向きの罪の無い薬だって……ほんのパーティージョークじゃないのよん』
『……それ、イタズラの意味が違うと思うわ』
『ンなもんシンジにも飲ませて……さてはアンタっ!』
『えへへ、テイクアウトしちゃう予定でした』
『こっ、殺してやる、殺してやる、殺してやるぅっ! 明日の朝日を見る前に、絶対殺してやるからぁ』

シンジ絡みだと殊更沸点の低いアスカを良い根性で茶化す一方、横目で辺りを素早く確認するマナの頬にはでっかい冷や汗が。
『それにしても効き過ぎ……マズいじゃん!』と、自分たちにもまさに時間の問題で迫って来ている触手を前にして、軽口を叩いてはいても彼女も充分焦っていたのだ。

『……ちゅうか、私、肉料理は避けてた筈よね? ひょっとしてこれ……さっきから良い匂いがしてるなーなんて思ってた、香りだけで効き目出してたりしない?』

効果が出てくるのも劇的に過ぎる。これはもう、マナが承知していた範疇を越えて作用してしまっているような……。
おかしくない? 何か、ぜーったいおかしいわよねと。

『…………』

そこであからさまに、気まずげな動揺を見せてしまうレイである。
彼女は後ろめたい事を誤魔化すのが、あまりにとことん下手だった。
そっぽを向いた襟元から覗くうなじが真っ赤っ赤だ。

『あんたはあんたで何をしたのよ、ファースト……。確かこのお肉の大半はあんたが持ってきた物だったわよね?』
『あー、お肉に綾波さんも仕込んでたんだ。んじゃ、これはその複合効果というか、混ざり合って予想外だったってことで……』

その頃にはいよいよ三人ともに足の先に触手が辿り着き、ウネウネ這い上がって来ていた感触に青褪めつつ、マナはやけっぱち気味に結論した。

『うん、わたしだけの責任じゃ無かったってことよね!』

そして、ここぞとばかりにコクコク頷くレイ。

『あんたら、バカぁ!!』

叫んだところで、マユミの連れてきた妖気に感応したのか、既にアスカの意識の中で“素敵なご馳走”の地位から邪な思惑の入り混じりきった“危険指定生ゴミ”にまで落ちぶれていた肉料理の数々が、ドロンと怪しい煙を噴き上げて膨れ上がった。
そしてテーブルから群れとなってぼたぼた床に落ちる妖物達。
半分喰われかけのロブスターは、じっくり火を通されていた筈がやたら元気に生命を取り戻し、ぶくぶくと欠けた腹の中身を再生するのと同時に、図体を数倍に膨れ上がったものに変化させた。

『んげぇ……っ。わ、わたしっスかぁ……?』

顔を引き攣らせるマナに、『先ほどはバクバクようも喰ってくれたのぉ……』と言わんばかりに挟みを振りかざし、襲い掛かる。
その場でただ一人、未だ女の子座りを保ったまま、実は腰が抜けてしまっていたヒカリは、ケーキが破裂したように見えた瞬間の生クリームを顔から洋服からそこら中に浴び、続けて押し寄せた―― 多分、サラダやケーキのイチゴが元になったのだろう、ベジタブルな色合いの触手が急速成長する奔流に押し流され、一気に部屋の隅まで連れて行かれた。
悲鳴を上げ続けていた口もその触手に塞がれたのか、間もなく『うむぅー!』とくぐもって――

見る見る間に自らの誕生パーティーがぶち壊しになる様を、アスカはもう此処まで来ると一種の心神喪失にでもなるしかないと言うような、真っ白けた茫然の顔で受け止めていた。
尚もぶくぶくと膨張を続ける肉料理たちは、元通り一つになろうかと寄り合いねじれ合い、更に這い集まっていた触手の群れとも合流して部屋中を覆わん勢い。

そういや、鉄壁の防御を張れる筈のレイは……と見れば、既に体中を網の目に触手で覆われた有様。
網縄の罠に掛かって持ち上げられたかのように、天井から絡まって垂れ伸びた触手に吊り上げられてしまっていた。
その特異の力を行使する意思の強さをあっさり崩されてしまったらしく、一張羅の制服をドロドロいかがわしげな粘液に汚されてしまった上、早速服の下にも潜り込んだ触手にビリビリと、ところどころから破られていく布音。
刻一刻と露出度を増していく白い手足は、触手網の中から力ない藻掻きに揺れている。

『んっ、あ、……はぁぁ……!』

内側から制服を引き裂かれているのだから、当然素肌も好き勝手に蹂躙されているのだろう。
ブラウスの中では、胸の膨らみのとびきり柔い部分も触手の腹に踏み荒らされて? 下着だって見逃してくれている筈がないし、ひょっとすれば、今千切れたのはレイのショーツの音だったかもしれない。

『だめっ、あ……そこは……ぁ、ああ!』

早くも、誰も聞いたことの無いような拙い喘ぎを上げてしまっていて、

(クスリ、確かに効いてるみたいね……)

アスカの正気も麻痺しきり、出てくる感慨も淡々と。
常識を遥に、そして突然の展開にぶっ千切ってくれた事態に、パニックを起こす余裕も無かったということなのか。
そしてリビングが一通り触手に埋め尽くされ、ギーガー調の異様な風景に変わり果てた中、アスカもまた全身に巻き付き寄せる触手の蠢きによって、内奥からこみ上がる不本意な感覚に呑まれる一方となっていたのである。



◆ ◆ ◆



「ごめんなさい……ごめんなさい、碇君」

シンジの胸に抱きとめられて感極まったのか、マユミの真っ赤に腫れ上がった目元は、決壊したように大粒の涙をこぼれさせた。
謝罪を繰り返しながら、童女のようにしゃくり上げる。

「山岸さん……」

シンジは何が起きているのかをまったく理解できずにいたが、無意識の内にもこの場で己に出来ること唯一のことだけは承知していたらしく、首元に顔を埋めているマユミの頭を、そっと撫でてやったのだった。
何度も何度も。そうしてマユミの艶やかな黒髪を撫で梳き、あやす内、次第に少女の嗚咽も落ち着いたものへと。

「ううっ、い、碇君……」

マユミの怯えた声。
ぎゅっとシャツの胸元にしがみ付いてくる。

―― 大丈夫、もう大丈夫だから。

そう言って安心させてやりたいとシンジは思った。
だが、周囲はまさに魔界と化した有様。
マユミを抱き止めたシンジ自身も、彼女と諸共に綱のような触手がとぐろを巻く内側に捕らえられている。
気休め程度にもそんな台詞を言えたものか。
そしてシンジの胸の裡も恐怖が渦巻いていることに変わりはない。

(怖い、怖いよ、山岸さん。僕だって)

壁も床も、ホラームービーに出てくる怪物の巣に似た臓物じみた装飾に満たされて、たった今まで見慣れたリビングに居たのが嘘かと目を疑う変わりよう。
触手による戒めを受けて振り返ることは出来ないが、背後からはアスカやレイ、マナたちの痛切な叫びが切れ切れに聞こえてくる。
こんな化け物に襲われてしまった自分たちはどうなってしまうのか、恐ろしさで今にも膝から力が抜けてしまいそうだ。
だから、マユミの震える肩を抱き締めるのは、シンジがマユミに縋っている―― その逆の見方に過ぎないのかもしれなかった。
マユミの確かな体温を捕まえていなければ、きっとみっともなく悲鳴を上げてパニックを起こしていただろう。

「……うっ、ぐすっ……ごめんなさい、碇君」
「どうして……どうして謝るの?」
「だって……わ、わたしが連れてきたから。私がっ、へ、変なお呪いなんかに頼って……きっと天罰なんです。天罰だから、私だけ酷い目にあっていれば良かったのに……」
「そんな……!」
「でもっ! でも、そんな……そんな悪い私なのに。わたし、助けて欲しかったんです。碇君に!」

また泣き出したマユミは、シンジの首筋から起こした顔を背けさせていた。
優しくしてもらう資格なんてないからと、そう言っているようだった。

(山岸さん……)

―― 私のことなんて放って置いて下さい。……でも、本当は助けて欲しいんです。

自分に絶望しながら、それでもの希望を求める寂しい心。
そんなマユミの相反する叫びが、シンジには手に取るように分かった。
剥き出しの本音をマユミは醜いと拒絶しただろうが、シンジは愛しいと思った。
他ならぬ自分と同じ弱さを抱えたマユミの等身大を見出して、何故か安心したから。
今までになかった程この少女を、ずっとずっと身近に感じる―― それは気のせいだろうか。

「……あっ」

だから、ぎゅっと抱き締める。

「いかり、く……ん」

戸惑うように、マユミが洩らした響き。
シンジの胸に引き戻されて消える前に、微かに嬉しさを滲ませたのは、きっと聞き間違えではなくて。

「いいよ、山岸さん。僕は……僕は、山岸さんの味方だから」
「あ、あ……嬉しい……」

抱擁がトクトクとお互いの鼓動をすらを感じ取れるまでに静かに深まり、そして二人の体温だけが唯一の世界となっていく――
この悪夢じみた恐ろしさの中で、マユミのやわらかい体だけは確かだった。



◆ ◆ ◆



「なーっ、なーっ! な、何やってんのよ、バカシンジー!」
「……ああっ、マユミちゃん! そこでチューしちゃうのっ!? しちゃ―― ったのね……、って! ちょっとっ、ねぇって! わ、わわっ!? そ、そこまでぇー!?」

すっかり世界を作ってしまっているシンジとマユミは気付いていまいが、イチャイチャとやらかしているのは、アスカもマナも、そしてレイも見ている前。
ヒカリだって、ケーキを乗せた小皿を片手に持ったままなのも忘れたように、顔を真っ赤にしてクラスメイトの繰り広げるラブシーンに見入っている。

「わっ、わっ……。大人のキスよ、アスカ……! 私、初めて見たわ……」
「あんにゃろめが、コンチクショウぅ〜……ッ、も、キーッ!!」
「しどいわ……大人のチューは反則でしょお? 抜け駆け禁止って約束は〜! ね、マユミちゃんってばー!」
「……そう、もうダメなのね……」

バリバリと絨毯に爪を立てる者。友情の素晴らしさを唐突に訴え始める者。何やら期するところのあった予定の頓挫にシクシクと涙する者。
それぞれに赤くなったり青くなったりする真正面で、いよいよ恋人の触れ合いを深めようと、シンジとマユミは諸共に倒れ込んで行く。
―― 触手の編んだベッドの上に。

即席の触手ベッドはマユミに押し倒されたシンジをしなやかに受け止めて、さらにご丁寧に服もスルスル脱がせていく。
冬用の長袖シャツはあっという間に剥がされ、続けて捲り上げられるTシャツの下から、妙に肌理の細かい肌が露に。
身をよじるシンジの腕は頭の上でがっちりホールド。その気が本気であったかどうかはともかく、これで抵抗のしようもなくなった。後はマユミと触手の成すがまま。
さらに上へとTシャツ捲る触手の動きは進み、ついに白い胸にポツンと乗った赤い小粒が二つ、艶かしく照明に照らし出されて――

(うっ……)

思わずグビビッと生唾飲んでしまうアスカ達。
シンジの羞じらう様子を眺め下ろすマユミも、うって変わった見るからにのうっとり笑顔。
『はぁぁ……』と、興奮の吐息のピンク色が視認出来てしまいそうなくらい、ウキウキ気分が全身から滲み出している。
さすがに触手にそこまでは出来ないベルト金具をカチャカチャと外し、そのまま覆い被さってしまえばまるで痴女が美少年を襲うような、そんな体勢。

(ああっ、こんな幸せなことがあるだなんて……!)

感極まってかフルフルと震えていたり。

なにやら随分とマユミに美味しいサービスだが、これがつまり昨晩の神頼みのご利益であるらしい。
お供えも、たっぷり前払いで取られてしまっていたわけであるし。

シンジも目を潤ませて、これから始まる行為に期待を募らせているのは明らかだった。
とことん奥手なその性格にいつもは歯噛みしているものの、今この場のアスカたちは最後の期待を掛けていたのだが―― それも、とうとうマユミによってズボンを脱がされてしまうと、一服盛られた媚薬の効果を確認せざるを得なかった。

―― つまり、私らの墓穴ぅーん、トホホ……」
「アンタ達が余計なことするからー!」

地団太踏んでも、邪魔者にもなれないマナ、アスカ達である。
忘れているようだが彼女らにもお相手がしっかり忍び寄って来ていて、それはすぐにも毒牙を突き立てることが出来る、ほんのそこまでの距離に迫っていたのだ。

そして、マユミはシンジの見上げる前でゆっくりスカートの裾をたくし上げる。
レイは網となって覆い被さった触手群に絡め取られ、マナは妖物として息を吹き返した巨大ロブスターに捕らえらた。
ヒカリはリビングの隅で妖植物の繁茂する下敷きに飲み込まれている。
アスカもパーティーの主賓の筈が料理達から生まれ出た妖触手に全身を巻き取られ、友人達と同様、薬の行き渡った四肢には抵抗のための力の代わり、怖気立つような快感が走っていたのだった。



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From:触手のある風景