069



「そうだ。俺は…俺は…。
 こんな事をしてる場合じゃない。ってなんじゃあこれは!?」

 わめき声をあげながら、君は身体中にまとわりつく蚊を手で追い払い、急いで立ち上がった。気がつけば全身火がついたような痒みに襲われている。いったい何ヶ所刺されたのやら…。
 もし、気を変えずこのまま監視に集中していたとしたら…。
 カメラを構えているときはまったく気付かなかった君だ。気がついたときには…。

(き、気が狂いそうだ)

 体が焼けるように熱い。既に痒いを通り越し、一部痛いとまで感じている。
 もう他人の目に見られることなど気にして入られない。
 一刻も早くこの場から立ち去らなくては!

 君はがさがさと大きな音を立てて藪をつききり、日の当たる場所に躍り出た。母親の1人が君に気付いて怪訝な顔をしているが、そんなことに関わってる暇も必要もない。君は乱暴に荷物をまとめると、大急ぎで公園から立ち去った。
 身体中の痒みと背中に刺さる不審の目が辛かった…。

 だが、それよりも熱く燃え立つ物が君にはあった。
 つい数分前まで身を焦がしていた欲望とはまったく異なる…熱い…情熱が。

(そうだ。厳しい生活に疲れて忘れていた。俺には夢があったじゃないか。他人のことをうらやみ、そねむ以前の俺には…3馬鹿と呼ばれていた中でも、俺でないとできない大きな夢が)












− 数年後 −


「おめでとう相田君」
「めでたいなぁ」
「くわっくわっ」


 今、君を囲んで懐かしいかつての友人達が祝福してくれている。いや、かつてという表現は正しくない。君は友情と夢を取り戻したのだから。
 トウジ、ヒカリ、なぜかペンペン。まだ生きてたんだな、おまえ。お兄さん嬉しいよ。
 みな懐かしい。
 そして暖かい。

「そう言えばトウジと洞木は…どうなんだ?」
「やだもう!」

 恥ずかしさと嬉しさで顔を染めたヒカリに思いっきり背中を叩かれた。背骨が軋むような凄まじい一撃だが、当人はまるで気にしていない。内心冷や汗を流しながらも、君はこの痛みも嬉しかった。

「そやな。なぁイインチョ、そろそろ…どやろ?」
「え…あ…う」

 珍しい物を見ることが出来た。
 真顔で洞木に迫るトウジと、トウジに迫られて言葉を無くしてしどろもどろになる洞木の姿だ。無理もない。素っ気ないが今のはまごうことないトウジからのプロポーズなのだから。
 やだもう、とか言いながらまんざらでもないヒカリは、写真はケンスケに…とか色々口走っている。遅まきながら幸せになろうとしている2人に、君は無言で祝福を送った。
 疎開後、まったく疎遠になった2人が再会し、あの時の感情を思い出させてつき合うきっかけになったのはまぎれもなく君自身。
 今度の友情は永遠だろう。

(今の俺が本当の俺だ。俺は闇に呑まれなかった。夢を思いだせたおかげで)

 幸せになるもならないも、それはその人の心がけ次第だ。
 一念発揮して会社に辞表を提出し、夢に生きることを選んだ君。バイトをしながらの苦しい生活。夢は夢のままで終わらせるべきだったんではないのか? 何度もそう思い自棄になりかけた。自殺を考えるまでに思い詰めたこともあった。
 しかし、君は諦めなかった。

 諦めなければ夢はかなう。
 スプーン一杯分の才能と夢を諦めず前に進む気持ちさえあれば。

 そして…今の君は日本中に知れ渡る写真家だ。名のある写真家に認められ、そして彼に指導され…。今の君は戦場の悲惨な現実から、ファッションショーで競い合う女性達の美を、あるいは何気ない日常にかいま見える日本という国の風景をカメラで切り取り世の中の人々に訴える。

 とあるコンテストの応募した写真…かつての自分達を思い出させる中学生達がふざけ会う写真。
 それは大賞こそ逃したがとある写真家の目に触れた。

(あの少年の日々がなければきっと撮ることは出来なかった。シンジが、トウジが、洞木が、惣流が、綾波が、霧島が、山岸がいたあの時がなければ)

 芽が出るまでとても時間がかかったが、それも今となってはよい思い出だ。
 そして今日は君の初の個展だ。
 来賓や旧友達の祝辞を聞きながら、君はある人物を捜した。

(来てないのかな…。いや、その方がありがたいかも知れない。結局何もしなかったとは言え、俺はとんでもないことを考えたんだからな)

 自嘲気味に笑う。そして、ふと何気なく目を前に向けると、そこには…。

「やあケンスケ久しぶり、そしておめでとう」
「おめでとうございます」

 中学の頃とは、比べ物にならないくらいに逞しくなったシンジが、そして彼の隣で優しい笑顔を浮かべているマユミがいた。2人とも、眩しいくらいに幸せそうだ。つい先ほどまで、自分は幸せ極まると思っていたがシンジ達も負けず劣らず幸せそうだ。
 それでいいじゃないか。

「アスカと綾波は仕事の都合で今日は来られなかったけど、伝言はあるよ」
「ん…ああ、ありがとうよシンジ、山岸。いや、今は碇か」

 既に子供までいるというのに、まだ碇と呼ばれることに慣れてないのかマユミは顔を赤くして照れ、シンジはそんなマユミに優しい目を向ける。そして君はほとんど悪態にしか見えないアスカとレイの伝言を見てめまいを起こしかけていた。硬質なメッセージカードが剃刀の刃のように思えてくる。


(あいつら…俺に恨みでもあるのか?)

 あるのかも。
 しかし悪態にしか思えなくても、それでも嬉しかった。あの頃のままの2人を知ることが出来て。かえって丁寧な言葉だったりしたら、誰かに代言でも頼んだんじゃないかと妙な勘ぐりをしたに違いない。

(みんな変わってない…。その本質はどこも。だが明らかに昔の俺達じゃない。
 大人になるってこう言うことなんだろうな。
 見た目も何もかも変わってない奴もいるにはいるが)

「やほーシンジー! ひっさしぶりー!」
「うわっ、マナ!?」
「ま、マナさんシンジさんに抱きつかないで」
「いやん、マユマユ怒っちゃダメよ。それよりシンジ、不倫しない?」
「却下よ却下! 鋼鉄のくせに、私達でさえ我慢してるシンジとの不倫を成そうなんて!」
「そう。碇君とマユミちゃん、2人セットでないとダメなの」
「ってなんで惣流さんと綾波さんが!?」



(今日は俺が主役のはずなんだが)

 勿論、誰も聞いていない。
 台風のような4人の美女のために個展は大失敗になりそうだ。
 しかし…。




(この笑顔を怖そうとしたなんて…。俺は…俺が…。でもそうはならなかった。
 良かった。本当に良かった)

 ボロボロになった会場内、同じくボロボロになったみんなと一緒に記念撮影…。
 一生の宝物を手に入れられたから。




 君は欲望を振り払った。よくやったおめでとう。





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