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君はじっくりと腰を落ち着けて情報収集を行う。 人の生活を覗くという行為は、やはり面白い。沸々と全身でそれが感じ取れる。 とある部屋では明らかに不倫とわかる男女が愛し合っていた。もし、何かの縁があればこれをネタに脅しても良い。40絡みで頭髪の薄くなった男はともかく、女は肉感的な美女だ。ちょっとつつけばあの体が君のものに…。 (運が良かったな) 尤も今の君はそれよりも成すべき事があるため彼らを見逃した。 今の君の獲物である、山岸マユミ…いや、碇マユミは彼女以上に美しき獲物なのだから。 (しかし、どこだ?) 監視を続けてから数十分後、君は少々焦れ始めていた。 色々と面白い情報は手に入った。だが肝心のマユミの姿はどこにも見られない。外出しているのか、それとも彼女の部屋は10階よりも上にあるのか。前者ならともかく、後者だった場合、君が危険を冒してこの木に登ったのは無駄骨と言うことになる。 (くそ、どこだ? まさか…) これ以上時間を無駄にするわけにはいかない。 あきらめて木を降りようとしたとき、君は遠くから近づいてくる一台の自動車に気がついた。何の変哲もない乗用車だが…君はあからさまに奇妙なものを感じてその自動車に視線を固定した。 (なんだ、あの車は?) なんというか…異様に遅い。のろのろと亀のようにゆっくりと走ってくる。確かに、人通りがそれなりに多いこの道路の制限速度は時速40kmだ。しかし、だからといって時速30km程度の速さで走る車があるだろうか? 今は他に車がないから良いが、もっと交通量の多いところではさぞや迷惑をかけたことだろう。 (………制限速度を丁寧に守ってるってか?) 内心小馬鹿にしつつも、君は確信のようなものを感じ取っていた。 ただスピードが遅いくらいでは違和感を感じない。 (おい、待てよ。あの車は…) 見覚えがあった。 青く輝くルーフとその独特のフォルムは、彼の過去の記憶と合致する。 「アルビーヌ・ルノー(030)。ミサトさんの愛車だった」 懐かしい名前が口から漏れた。 中学、高校時代になんど右手がお世話になったかわからない、君の憧れの女性の名前だ。 そして懐かしい車とその名前が記憶を鮮烈に刺激する。 この車共々、彼女は眩しいのに手が届くかも知れない憧れだった。電気モーター車に改造されているとは言え、高速で走ることを目的としたスポーツカー。それも限定生産で世の車キチガイを虜にした限定車。 (たしか、ルノーはミサトさんがシンジが大学に入学した記念にプレゼントしたって、そう言っていたな) そうと悟った瞬間、君の瞳は獲物の姿を捕らえていた。 おっかなびっくり、強ばった顔でハンドルを握るマユミの姿を…。 その怯えた表情に君はゴクリと生唾をのみこんだ。 早くあの顔を間近で見たい。 (よし、目的を果たせたわけではないが、幸先が良いぞ) マユミの車が判明した。 留守かどうかは、これで判断が出来る。 ニヤニヤ笑いながら君は木を降りた。 |