004


『山岸マユミですよ』

 自信を持って君は言った。
 君の言葉に目を丸くする警備員に、ざまあみろと心の中で舌を出す。まさかこの俺が彼女と知りあいだなんて思ってもいなかっただろう。そしてこれから更に親しくお突き合いすることも。

 だが、君は誤解をしていた。警備員は君が考えているようなことで目を丸くしていたわけではなかったのだ。

「山岸…マユミ?」

『そうです』

「そんな住人、このマンションにはいませんよ」

 思ってもいなかった言葉に、にやついた笑みを浮かべたまま君は固まった。
 まさかそんなはずはない! 確かに彼女はこのマンションの住人のはずだ!
 どう言うことだ?
 パニックに陥いる寸前、君は思いだした。彼女が山岸ではなく、碇と呼ばれていたことを。彼女は姓が結婚を機に変わっていたのでは…。
 山岸ではなかったのだ。
 気が付いて当然のことに君は気が付かなかった。これも天女の肢体を弄ぶという下劣な妄想に浸っていた君の不明か。だが、今更もう遅い。

「いや、違う間違えた。あの女の名前は碇マユミだ」
「あの女!? あなたは…まさか?
 最近、このへんを変質者が彷徨いているって聞いたが」

 警備員の不信は最高潮に高まっている。ぶっちゃけ変質者を見る目のそれだ。君は作戦の失敗を悟った。
 焦っていたとは言え、「あの女」呼ばわりすればそれも当然だろう。
 これ以上ここにいても何にもならない。いや、警備員はじりじりと右手を横に伸ばしている。ここからでは見えないが、恐らく警報を鳴らすスイッチでもあるのだろう。

「くそっ、もう少しだったのに!」

 負け犬のように罵りながら君は踵を返し、外に飛び出ようとする。

「がっ!」

 一瞬目の前が真っ暗になり、真っ暗な闇の中を星が飛んだ。
 君はまともに鼻からガラスにぶち当たったのだ。先ほど君が難なく通り抜けた自動ドアが、今は固い壁のように君の前に立ちふさがっている。冷たく堅い防弾ガラスは目に見えないにも関わらず、君を決して通さない。
 先ほど警備員は警報を押そうとしていたのではない。既に押していたのだ。
 鼻血を手で押さえながら、窓口に目を向けるが当然のようにシャッターが降りていた。

 行くもならず、退くもならず。

 目の前が真っ暗になっていく。やがて君は駆けつけてきた警官に取り押さえられる。
 最近の不祥事から血気盛んな警官は、過激な取り調べをすることになる。今から言い訳を考えておくべきだろう。
 だが、今のやり取りを見る限り、その言い訳の有効性には疑問があるが…。




 君は失敗した






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