【悪魔と愛犬 -side01-】
 
美しく輝く満天の星の下、どこまでも広がる花畑の中で、和己は指先で弦を弾き、音を紡いだ。形は和己が元いた世界のハーブに似ている楽器だが、弦の本数や楽器に使われている素材が異なっていて、音質もかなり違うらしい。だが、あちらの世界にいた頃は、ハーブという楽器があることを知識としては知っていても、実際に弾いたことどころか触れたことすらなかったので、違いを指摘されても和己には分からなかった。
ハーブに限らずあちらの世界では楽器に興味はなかったが、こちらの世界で和己は弦で奏でることを覚えた。『夫』である匡から、一方的に与えられるばかりではなく、和己もなにか匡に贈りたかった。だが、この世界の最高権力者である匡に何を贈ったらいいか検討もつかず、困っていた和己に楽器の弾き方を覚えて、曲を贈ってみてはとアドバイスしたのは、匡の側近の一人であるスィリナだった。匡が長期間、辺境の地へ務めを果たすために赴かねばならず、その間に練習して驚かせようと、スィリナは和己に手ほどきをした。匡を喜ばせたい一心で、和己は必死で覚えた。
同じく匡の側近であるシアとバルヌスは匡と行動を共にしたが、スィリナは王城の留守番役として残されたらしい。スィリナはバルヌスの妹で、華奢で愛らしく優しい容貌の女性だが、匡に評させると『腹黒』だとか。スィリナの控えめな微笑みからは、腹黒さは想像できず、匡にからかわれただけかもしれない。
「あの、いいんですか? スィリナさんも、お忙しいんじゃないんですか??」
「大丈夫ですわ。部下に指示は出していますもの。あの程度のこともいちいち上司の指示を仰がなければならないほど無能な部下は、私の下にはおりませんわ」
「スィリナさんの部下の方は、みなさん、優秀でいらっしゃるんですね」
スィリナの仕事が滞ってしまわないか心配したけど、スィリナは匡がとても信頼しているし、根回し済みというのなら実際にその通りなのだろう。
和己はスィリナの言葉を信用し、ほっとして口元を弛めた。
こちらの世界で100年以上は過ごしていると思うけど、その間、匡が和己に近づくことを許したのは、10の数にも満たないほどの少ない人数だった。そのうちの一人のスィリナは、元妃候補という経緯もあってしきたりに詳しく、『妃』として必要な知識はほとんどスィリナから教わっていた。
美しくて総明で良家の出身で、実際に妃候補でもあったスィリナを羨み嫉妬したこともあったけど、そんな心情を匡に悟られ爆笑されてからは、和己はスィリナを素直に自分の先生のような存在として慕っていた。スィリナも、妃候補に挙がっていたものの王妃になる気はまったくなく、「王妃になってしまったら、人の目が集まるのは避けられませんもの。そうすると私の望みを果たすのにはとても不便ですわ。ですから、私は今の立場をとても気に入っていますの」と、きっぱり言い切っていた。
スィリナの兄であるバルヌスは、表立った舞台で王である匡を補佐し、影の部分で国の秩序を保つために尽力しているのが妹のスィリナだった。スィリナは極度のブラコンで、バルヌスのフォローがしやすい今の地位は、非常に都合がいいらしい。
和己は匡さえいれば満足だけど、それでも兄弟がいない和己は、仲の良い兄妹であるスィリナとバルヌスをみて、羨ましいと思うこともあった。
「和己様、随分上達なさいましたね。私がお教えすることは、もうありませんわ。きっとキースダリア様も喜んでくださいます」
「ありがとうございます!」
スィリナのお墨付きを得ることができて、和己は嬉しかった。
優しいけど厳しい教師でもあるスィリナは、お世辞は言ったりしない。にっこり微笑みながらも、ダメならダメと断じるので、和己はスィリナの評価を信用していた。
そして、匡が帰ってくる日に備えて、和己は『庭』で毎日のように練習をしていた。
この『庭』は和己の私室と直接繋がっていて、和己以外は匡の許可なしに入ることはできない。綺麗に咲き誇る花々も、頬を撫でる風さえも、全てが和己のために匡が用意したものだ。匡が作り出したこの『庭』には害獣も害虫も、もちろん存在しない。空間をずらして造ったから、ここは異空間なのだと説明されたけど、意味はよく分からなかった。
元々はただの人間なので、和己は『力』を持たない。力の弱さと、王妃というその地位の高さはあまりにも不釣合いで、それゆえに政敵に狙われることを危惧した匡は、和己が勝手に部屋から出ることを禁じた。この部屋には強固な防御魔法がかけられていて、害意のある者は近づくことすらできないようになっていた。匡の傍にいられれば不満なかったので、和己は大人しく匡の言いつけに従った。けれど、匡の都合で一ヶ月以上も顔を合わせられないこともあり、仕方がないと納得しているものの会えないのは寂しかった。匡は自分が傍にいられない間、和己の気晴らしになるようにと『庭』を和己に与えたのだ。
……あ。もうすぐ、匡が来る……。
匡の気配を察した和己は、心の中で部屋に戻ることを思い描いた。それだけで、周りの景色が変わり、和己は瞬時に部屋の中に戻っていた。この『庭』に施した、匡の魔法の一つだった。
久々に会う夫のために、和己は体を清め、身だしなみを整えた。髪には匡がプレゼントしてくれた髪飾りをつけてみた。昔は短かったけど、今では和己の髪は、腰まで届くほどになっている。短くしようとしたら匡に止められたので、それ以来、長い髪のままだ。
「ただいま、奥サン」
「おかえりなさいっ!」
待ち望んだ人にようやく会えて、嬉しくて和己は駆け寄って抱きついてしまった。
懐かしい体温と匂いに、とても幸せな気持ちになる。
「相変わらずイヌみたいだな。元気だったか?」
「うんっ! でも匡と会えなかったから、寂しかった……」
「随分と可愛らしいことを言ってくれる」
匡はにやりと笑いながら、しがみつく和己の体をまさぐった。躊躇いもせず、和己の足の間にも手を差し入れてくる。
「あんっ……」
「寂しかったのは、カラダも?」
くすくす笑いながら、匡は容赦なく和己の欲望に指を絡めて愛撫した。
「ぜ、ぜんぶ……。だって、ずっと会えなかったんだもん……」
和己は自分から匡の唇に唇を重ね、おずおずと舌を差し入れた。匡は面白がるように、和己の好きにさせていた。
……寂しかった。ずっと……。
会いたくて。
会いたくて。
会えない間は不安で。
とても、寂しかった。
匡に触れられるのが嬉しい。
匡の存在を感じられるのが嬉しい。
……好き。
誰よりも好き。
誰よりも愛しい。
和己の、大切な人。
和己は繰り返し匡にキスをしながら、匡のモノにもそっと指で触れてみた。軽く撫でただけで顕著な反応を示し、そこは熱く硬くなった。夫の逞しさに触れ、和己は頬を染めた。
自分に欲情してくれていると分かって、恥ずかしいけど、嬉しくて、安心する。
……すごい……大きい……。
和己はどきどきしながら自分で服を脱ぎ捨てた。恥ずかしいけど、もっと匡に近づきたかったから。
「誘ってる?」
「うん。誘ってる」
和己は素直に頷き、裸の体で匡に懐いた。
その気になってくれないかなと思って、抱きつきながらじぃっと下から見上げると、笑われてしまった。
「人妻とは思えぬ無垢な色気にぐっとくるね」
匡は軽々と和己を抱き上げ、ベッドにそっと降ろした。そしてさっさと服を脱ぎ、和己に覆いかぶさってきた。久しぶりに感じる重みに、嬉しくて泣きそうになる。
「長期の単身赴任から帰りたての夫としては、たっぷりと奥さんにサービスすべきだよな」
優しく頬にキスされて、頭を撫でられると、胸が温かいもので満たされてくる。
愛され、求められることの喜び。
すべての幸せは、匡が和己に与えてくれた。
離れようとする右手を引きとめて頬を擦り付けると、小動物のようだと匡は笑った。
「バルヌスもシアも、あいつらいちゃいちゃしやがって。少しは上司に気を使えっつーの。こっちは最愛の妻の顔をなかなか拝めねぇっつーのにな。傷心の俺はプチストライキで、留守中に溜まりに溜まった鬼のような量の仕事を二人に押し付けちゃいましたよ」
匡は話をしながらも愛撫の手を休めず、和己の体を優しく開いていった。
「あんっ……あっ……」
「っつーわけで、三日間は休みがとれた。和己、覚悟しとけよ?」
「んっ……嬉しい……」
三日も一緒にいられると知って、和己はぎゅぅっと匡にしがみついた。匡は忙しくて、二人でゆっくり過ごせる機会はなかなかない。
「ふぅん。お前、後ろ、ヌルヌルじゃん。準備万端でイイ子だねぇ」
「んっ……」
「相変わらず、正確な俺センサーに恐れ入る。愛の力ってカンジ?」
「ああっ……あっ……」
「このまま突っ込んだら裂けそう。処女みたいなキツさだな」
後ろに指を挿入させ、匡は上機嫌で中をかき回した。久しぶりでも匡の指は和己のイイところを覚えていて、巧みに和己を追い上げて行く。和己は甘い声を漏らしながら先端から蜜を零した。
「あっ……イイっ……んっ……」
「膝を立てて、足を開けよ。もっとよくしてやる」
「ん……」
恥じらいながらも、おずおずと和己は匡の言葉に従って、膝を立てた。そしてゆっくりと足を開いた。
……恥ずかしい……。
匡の熱い視線を感じる。羞恥に耐え兼ね、和己は指を噛み締め、目を瞑った。
「素直で可愛い奥さんに、ご褒美をあげなきゃな」
「ああつ! あっ……ダメっ…………」
後ろを刺激しながら、匡は口で和己の欲望の証を口に含んだ。後ろも前も同時に責められ、感じすぎて、和己はボロボロと涙を零してしまった。
……気が……狂いそう……っ!
「やぁっ……な、舐めちゃ、ダメぇっ……」
ダメだといっているのに匡はきく気はないようで、匡は和己を放そうとはしなかった。
和己がイきそうになると動きを止め、焦らされ、和己は達することを許してもらえなかった。
「イジワルしちゃ、やだぁ……」
「ばぁか。イジワルじゃねぇよ。可愛がってんの。ここで出したら後が辛いだろーが」
「ううっ……。だってぇ……」
「泣くなよ。こぉんなに、甲斐性あって床上手な旦那様のどこが不満よ?」
「ひぃっく……。ふ、不満なんか……ないもん……。匡は……全部……完璧だもん……」
「はいはい。いい加減学習しましょうね? そんな目で見られると、男は燃えちゃうよ?」
「……うん」
和己は匡の首に腕を回してすがりつき、匡の唇に舌で触れる。匡ともっと溶け合いたくて、足を匡の腰に絡めた。
「……匡も……一緒に、気持ちよくなって……? 俺ばっかじゃ、ヤだ……」
匡も、もっと夢中になってくれたらいいのに。
……俺ばっかり……溺れてるみたい……。
最奥で匡の情熱を受け止めたくて、和己は匡の熱いモノに触れ、指先で丁寧に高めていった。
「和己ちゃん、こっちは必死で堪えてるっつーのに、煽るんじゃアリマセン。今すぐつっこんだら、痛い思いするぞ?」
「痛くても、いい。早く匡と繋がりたいよ……」
「……ヤベェ。理性が焼き切れた」
匡は苦笑し、和己の右足を自分の肩にかけた。そして和己の望みどおり、匡は猛ったモノを和己の中に埋めていった。
「んっ……イタっ……」
匡の言ったとおり、久しぶりに匡を受け入れる体は、匡の大きさに悲鳴をあげていた。
痛い。
けど、この痛みさえもが、愛しい。
「匡、好き……。大好き……」
大きさに慣れてくると、痛みは遠のき、徐々に快感へと変わっていった。
匡は激しく、それでいて優しく和己を抱いた。和己の快感を極限まで引き出すために動き、和己が望むだけ甘いキスをくれた。
身体の中から溶かされ、和己は幾度も達した。
愛されていることを、心と身体で感じられるのが嬉しかった。
匡の『妻』となって以来、馴染みの深い暖かな幸福感に包まれながら、和己は意識を飛ばしてしまった。
「…………あれ?」
「あれ、じゃねぇよ。ヤってる最中で、旦那様を置いて呑気に寝るなって話ですよ奥さん」
「……っ!! ご、ごめんっ……!」
気がつけば、匡の腕の中にいた。シーツは替えられ、身体は清められ、匡も和己も夜着を身につけていた。
……いつの間に俺、寝ちゃったんだろ……?
後始末まで匡にさせてしまって、和己は身をすくめた。
……怒ってる…かな……?
和己がおそるおそる匡の表情を伺うと、和己の視線に気づいた匡は、和己の額におはようのキスをした。匡は機嫌がいいみたいだった。
安心して和己は、匡の腕の中で微笑んだ。
これが束の間の休息であることは知っているけれど。
愛しい夫と過ごせるこの時間を大切にしたいと、和己は思った。




シアは黙々と書類にペンを走らせながら、うず高く積まれた書類の山をちらりと見上げた。
……処理しても処理しても……終わらない……。
王を補佐することがシアの仕事だ。
王であるキースダリアが王妃である和己と、久々に心休まるひと時を過ごすことに協力することは責務の一部であると心得ているし、なにより不機嫌な上司と二人きりでこの部屋に閉じこもって仕事をするよりは、一人のほうが百倍マシだ。大量の未処理の書類を押し付けられたからといって、上司に文句を言う気はない。
だがそれにしても、終わりの見えない鬼のような仕事量に、いい加減うんざりしてくる。手首も痛くなってきたし、このままでは腱鞘炎になることは確実だ。
……今更、焦っても仕方ないか……。
シアは凝りをほぐすように、立ち上がって簡単なストレッチ運動をした。
王城から遠く離れた地で不穏な動きがあることに気づき、首謀者およびその一派の正体の洗い出しを命じたのが一年前。半年後、ある程度敵の正体を掴めたところで、強行すれば遺恨を生むと、平和的に解決するためキースダリア自らが動くことになった。
もちろん、平和的解決法を望んだのは、キースダリアが平和的な性格をしているからというわけでは絶対になく、謀反を企てている中には有力な貴族も多く、正攻法で戦うとこちらの被害も甚大になると予想してのことだ。一言で言えば「後始末が面倒」。
『魔王』とは、この世界を支える礎。
『世界』を創るもの。
前王のキアセルカもキースダリアも、存在の有り方が他者とは異なる。
『魔王』という地位を求めるということは、『神』となることと同意語だ。
魔王の死は、世界の滅亡。
だが、それを知らない輩は多い。
ゆえにときとして、野心を燃やし波乱を起こそうとした者は、過去に数え切れぬほどいた。
「無知というのは、恐ろしくも羨ましいねぇ」
と、キースダリアは笑っていた。
キースダリアからして見れば、他者の企みなど子供の戯に等しいのだろう。
所詮、対等に争える相手ではないのだ。
そのためか、謀反を起こそうとした者に対しても、キースダリアの処置は寛大だった。
ただし、和己に危険が及ばなければという条件付きになる。実行に移していなくても、和己を害する計画をたてただけで、キースダリアは容赦しなかった。
今回はキースダリアが狙われていただけだったので、キースダリアは力に依らない手段を選んだのだ。キースダリアはシアとバルヌスを隠れ蓑に動き、人心を操り、「アメ」と「ムチ」で一人ずつ陥落させていった。心の裏の裏まで読み、相手の真の望みを探り目の前に餌をちらつかせることで、気がつけば全員がキースダリアに忠誠を誓うようになっていた。
さすがは我が主。
計算し尽くされた振る舞いは、傍から見ていて見事としか言いようがなかった。
「シア、休憩中か?」
ノックの音とともにドアを開けたのは、シアの夫のバルヌスだった。
「ええ、少しだけ。流石に手が疲れてしまいまして……」
「そうか。……それにしても、随分と書類が溜まっているな。スィリナもかなり処理してくれていたらしいが」
「スィリナ様もお忙しくいらっしゃるのに、こちらのフォローまでしていただき申し訳ないです」
シアの言葉に、バルヌスは溜息をついた。
「ずいぶんと他人行儀だな。俺の妹は、お前にとっても家族同然だろう?」
「そんな……。恐れ多いです」
シアは苦笑した。
バルヌスは気にしていないが、シアはバルヌスとの身分の違いは常に気になっていた。そのバルヌス同様、名門出身であるスィリナに、シアは気後れしてしまう。
苦手というわけではなく、むしろシアはスィリナに好意を持っていた。
愛する人の妹だからこそ、なお愛しいと想える。
とくに、バルヌスとスィリナが互いを大切にしている様子は、見ていて微笑ましい。二人を眺めているのは、シアが永遠に失った宝物を思い起こさせ苦しくもあった。だが同時に、妹との優しい思い出も蘇り、懐かしい気持ちにさせられた。
……私は、本当に、あの子のことを愛していた……。
「探して欲しい」と懇願すれば、おそらく主は、妹ユマの魂を探し出してくれるだろう。
ごく普通の、しかも会ったことのない人間の魂を見つけるのは、いかに主とはいえ簡単なことではない。それでも、いろいろな条件を付けられることは確実ではあるが、必ず主は目的を達成するに違いない。今も尚、主はこの世界で絶対的な存在であり続けるために、力を磨き続けている。
けれど、会いたいけど、会うのが恐ろしくて、その願いを口に出すことはできなかった。
居場所を知れば、きっと会うことを我慢できなくなる。
しかし復讐のため「人間」であることを捨てた自分の姿を、妹の前に晒すことが躊躇われた。
「シア、自分の仕事は一段落つけてきたから、こちらの処理を手伝えるぞ」
「ええ、よろしくお願いします」
実際のところ、バルヌスはシアほどキースダリアの職務を把握していないので、任せられる書類はさほどない。だが、一人で書類とにらめっこをしているより、二人のほうがモチベーションは上がる。
再び仕事に戻る前に、シアはバルヌスの唇に唇を重ねた。
優しい口付けを返されながら、バルヌスと出会えて良かったと、シアは幸運に感謝していた。
……もう少し……。あともう少ししたら、きっと……。
愛し、愛される幸せを再びシアに教えてくれた人が傍にいる限り、今はまだ無理でも、いつかきっと勇気が出せると素直に信じることができたのだった。




匡がいない間、和己は『ヴィアーラル』という、この世界独特の楽器の奏で方を覚えたらしい。側近の一人でもあるスィリナに勧められたとか。
スィリナの策略に嵌っているようで若干不快ではあるが、自分を喜ばせようとおそらく必死で練習し高度な技術を身につけた和己が、より一層愛しく思える。
和己が奏でる旋律は、確かに匡の心にも届いていた。
「どうだった? えーと、あんまり上手くなかったと思うけど……」
一曲弾き終えた和己は、自信なさげに匡を見上げた。
幾度も抱き合った後、夫婦水入らずの穏やかなひと時を過ごそうと、二人で「庭」へと移動してきたのだった。
和己には気がつくことはできないだろうが、この「庭」には膨大な数の魔法が施されている。和己が飽きないように恒星を創り衛星を巡らせ、緩やかに四季が流れるこの庭では、花々の変化や煌く朝日、夜の静寂も楽しめるようになっていた。
これが、和己から自由を奪った代償になるとは思ってはいない。
ただ和己の喜ぶ顔が見たかった。
「匡?」
「結構、上手いじゃん。よく頑張りました」
子供にするように、頭をくしゃりと撫でると、和己は嬉しそうに頬を紅潮させて微笑んだ。
和己が幸せそうに笑う度、匡もまた、幸福感に満たされるのだ。
「他にも、弾ける曲あるんだろ? 弾いてみろよ」
「うんっ!」
はりきったようすで和己は楽器を構えた。
そして再び一面の花畑に、和己の優しい旋律が流れ始める。
匡は和己の傍らに寝そべり、目を閉じて音を楽しんだ。
無理やりもぎ取った三日間の休日が終わったら、今頃シアが立ち向かっているであろう膨大な未処理の案件を、自分もまた処理していかなければならない。半年間も遠征していたから、うんざりするほど溜まっていた。
しかし、母から譲り受けたこの地位を守るためには、ときには地道な作業も必要なのだ。こつこつと「魔王」としての役割をこなしていくしかない。
完璧な「魔王」であること。
母を「魔王」という立場から解放すること。
それが、あの男……父の干渉を妨げる最大の手段だった。
父は母を独占したいがゆえに、後継者には手出しできなかった。どれほど気に入らない相手であったとしても。
「努力」という言葉は大嫌いだった。ばかばかしいと思っていた。
だが、和己と過ごすこのひと時のためなら、どんなにばかばかしいと思えることでもやってみせると容易に決意できた。
すべては、最愛の妻とともにあるために……。




おわり
 
 
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