【番外編 -誠司×優也-】
 
遥か遠い過去のことなのに、今でもときおり思い出す。
そしてそのたびに幾度も、昔の自分に引き戻される。
寄せては返す波のように、遠ざかっては近づく記憶。
結局、『自分』からは逃れることなど出来ないのだと、苦い気持ちで思い知る。
今でも瞼の裏に浮かぶ、果てしなく続く荒涼とした大地。
人々は飢え治安は悪く、欺瞞と殺戮に満ちた良いことなど一つもない場所だった。
子供がたった一人で生き抜くことは難しく、生き残るため物心ついた頃には手にした刃はあたかも、己の生来の牙のように手に馴染んでいた。
ただ生存の本能に身を任せ、その日の糧を得るために、ときには人を殺したこともあったが、罪悪感など抱かなかった。
油断すれば殺される。世界には敵と、自分しかいなかった。
お互い様だと、人を傷つけることをわずかも躊躇ったことなどなかった。いずれ自分の番がくるまで、他人の血を啜って生きていくのだと、当たり前のように思っていた。
毎日生きることで精一杯で、喜びも哀しみも感じなかった。
空ろな、醜い、獣。そんな生き物であったと思う。
そしてその本質は、永遠に変わることなどないのだ。
誰が気づかなくても、自分だけは分かっている。
自分の中で今もなお息づく醜い獣を・・・・・・。





「俺、絶対に、生まないから!」
テーブルを強く拳で叩き、優也は怒りながら言った。
怒りのため頬は高潮してうっすらとあかく染まり、瞳はきらきらと輝いている。激昂しているときでさえ、その顔は美しい。
美樹原優也は、いついかなるときも、文句なしの美少年であった。
「なぜだ?」
すっかり興奮している優也とは対照的に、天城誠司はいたって冷静な口調で言った。誠司は幸か不幸か、その態度がさらに優也の怒りを煽るということに、まったく気が付いていない。
おそらく誠司は、優也が何故怒っているかをいぶかるよりも、怒っている優也も可愛いと、なかば称賛にも似た気持ちで恋人の顔を見つめているに違いないのだ。
その証拠に誠司が優也に向ける瞳は、怒り狂う恋人に対しての困惑よりも、ただひたすら愛しさを滲ませている。
「なぜ? なぜだって!? こっちこそ聞きたいよ。なんで俺が子供なんか生まなきゃいけないわけ!? 俺、男だよ? 男は子供なんて生まないものなんだよ??」
優也はキレていた。
それを言うなら、そもそも男は妊娠しないものでは? と、天城紗那は心のうちだけで思っていた。だが、ここで口を挟むほど、紗那は愚かではない。夫婦喧嘩に巻き込まれるのはカンベンして欲しい。
……でもまあ、どうせ優也はオヤジの言うとおりにしちゃうんだろうな。なんだかんだ言って、優也はオヤジにベタ惚れだもんな。
それにしても、夕飯の席で言い争うのは止めて欲しい。久しぶりに三人一緒で食事が取れたと思ったらこれだ。こんなことなら、零からの夕飯の誘いを断るんじゃなかった。
・・・・・・あ〜・・・・・・。でもあっちは新婚になりたてっつーか、なりそうっつーか。邪魔したくなかったしな。微妙な時期なだけに、下手に刺激しちゃいかんと思ったのよ。俺も・・・・・・。
親友の零は、元・愛人関係だった男と同棲している。同棲しているというと「同居だっ!」と零はむきになって否定するが、時間の問題だろう。
情の深い零は、男の熱烈なアプローチに絆されかけている。というか、絆されている。認めていないのは当の本人だけだ。なにがそこまで零を意固地にさせているのか分からないでもないが、あとは二人の問題だと紗那は余計な口は挟まないようにしていた。
とくに、零は紗那に片想いをしていたという経緯があるだけに、あの男・・・・・・雨角奨(ラザスダグラ)・・・・・・も、紗那が零のそばに近づきすぎれば心穏やかではいられないだろう。
零からは最近付き合いが悪いと文句を言われているが、零が奨と上手くまとまるまでは、二人の時間を作ってやるためにも一定の距離を置いて付き合おうとしている紗那だった。
そして、今まで零と過ごしていた時間が空白になると、親友の幸せを祈りつつも寂しいという気持ちも否めなくて、慰めを求めて家に帰ってきたものの、家の中は大荒れの嵐だった。
・・・・・・ちっとも癒されねぇ。
こんなことなら、三つ子の姉の恵那のところにでも遊びに行くんだった。あっちも新婚は新婚だが、ここよりは喧しくはないはずだ。
本当にただの偶然であったかどうかは謎だが、姉の恵那は優也の実の父親と結婚していた。おかげで優也の父親は、愛息子が男の恋人の家に同居していても、文句が言えないのだ。心底納得はしていないものの、なにせ愛しい妻の父親である。思いつく限りの罵詈雑言を、相手にあびせかけることもできず、ただ耐えるしかない。
哀れ。
恵那は父の誠司を尊敬し信頼もしていて、なによりも深く愛していたので、自分の夫が父と不仲になることなど、間違いなく許さないだろう。
姉の恵那は綺麗で強くて、そして、脆い女だから。
優也の父は彼女のために、自分の望よりも恵那の望みを優先せざるを得なかったはずだ。まさに親子ほどの歳が離れた夫婦だが、姉はいい夫を捕まえたものである。恵那が大切であるほど、その実父を責めることなど出来るはずがないのだ。
なにより、当の優也が誠司の傍で幸せそうなので・・・・・・今のところは黙認という小康状態を保っている。
頭の中で現実逃避気味に姉夫婦のことを考えつつ、この場から一刻も早く離れたくて、紗那は黙々とご飯を口に運んだ。
「そもそも誠司さんが悪いんだから! ちゃんと避妊してくれなかったから、悪いんだから!」
・・・・・・避妊、ですか。明るい家族計画ってヤツですね・・・・・・。
今日の夕飯は、優也の自信作の肉ジャガだったが、じっくり味わえるほど紗那の神経は図太くなかった。聞きたくもないのに聞かされる二人の夜の性生活事情に眩暈がしそうだ。
優也は目を潤ませながら、誠司を睨んだ。
だが、涙目で睨んでみても、少しも怖くない。可愛くて、可愛そうなだけである。
「だが優也。俺たちも一緒になってそろそろ三年だし、子供がいてもおかしくないと思うのだが……」
誠司の答えはとことんピントがずれていた。
優也の怒りの炎はますます燃え上がるばかりである。
「おかしいよ! めちゃめちゃおかしいよ!! あんたに常識を求めた俺がバカだったよ! このくそったれの宇宙人ヤロウっ!! 俺は絶対絶対生まないからな!!!!」
「どうしてだ?」
誠司は表情を変えずに言った。
・・・・・・どうしても、こうしても。
ようやく夕飯を完食。
・・・・・・頑張った。俺。
紗那は自分で自分を誉めた。
そして後の展開が分かる気がして紗那は席を立ち、自室に戻ろうとした。いずれはラブシーンに突入しそうな気配濃厚の夫婦喧嘩に、これ以上付き合ってられない。
階段を上がろうとする直前に、ダイニングルームから優也が誠司の頬を平手で殴る音が聞こえた。拳じゃないあたりが『愛』である。
……あ〜あ……。
「すっげぇむかつく! あんたとはしばらく口利かないからっ!!」
紗那を追い越し、優也は乱暴な足取りで階段を駆け上がっていった。そして誠司と優也の部屋に戻り、大きな音を立ててドアを閉めた。ちなみに、二人の寝室には鍵がない。
……本当にあの子には絶交する気、あんのかよ……。
目の前で行われた犬も食わない痴話喧嘩に紗那は脱力した。
「ううむ。どうして優也はあんなに怒ったんだろう??」
父親の誠司は打たれた頬を軽く手で押さえ、ダイニングルームで首を傾げていた。
紗那はなんと言ったらいいのか分からなかった。
この父には何を言っても無駄だとも思っていた。
どうせ自分が何もしなくても、あの二人は収まるところに収まるのだ。
傍観しよう。
心配するだけばかばかしい。
紗那はそう結論付け、今度こそ自分の部屋へと戻った。
「それにしても、まさか子供、とはね……」
苦い笑いを口元に浮べて紗那は呟いた。
優也が懐妊を告げられたとき、その場に紗那もいた。会社の廊下で気分を悪くし、蹲(うずくま)っていた優也を、たまたま通りかかって医務室まで連れて行ったのが紗那だった。
吐きそう、と青い顔をして俯き、ハンカチを口にあてている優也を、そっと支えて医務室に向かった。幸い、医務室は同じ階のすぐ近くの部屋だった。
「先生、気分悪いみたいなんだけど、診てやってくれない?」
「分かりました。患者をその椅子に座らせてください」
まだ若い女医は聴診器を優也の胸に当てて、生真面目な顔で診察していた。ネームプレートには『森屋 祥子』と書いてあった。
会ったのは今日が初めてだったが、紗那はその女医の名前は知っていた。誠司がつい最近、他の病院から引き抜いてきたばかりの医者だ。
腕は確からしいので、紗那は安心して任せることが出来た。誠司がわざわざスカウトしてきたのだから、名医であることは疑うべくもない。
こんなときでなければ食事に誘いたいぐらいの美人医師だったが、さすがに優也のことが心配で、それどころではなかった。
聴診器を耳から外して女医は言った。
「超音波検査をしましょう」
「え!? ちょ、超音波検査? 先生、俺、そんなに体悪いの?」
優也は心配そうな顔で女医の顔を見上げた。
「念のためです。すぐに済みますから」
安心させるように、女医はにっこりと優しく優也に微笑みかけた。母親を早くに亡くし父と子一人で暮らしていた優也は、年上の女性には弱い。それに、負けず嫌いなところのある優也はきつく言われると反発するが、逆に優しくされると、なかなかNOとは言えない性格だった。
優也は、女医の判断に大人しく従った。
健康診断に必要な検査器具は、どうやら一通り揃っているらしい。
仕事が暇なわけではなかったが、心配だったので検査が終わるまで紗那は待っていた。誠司にも連絡しようと思ったが、自分以上に忙しい父のスケジュールを思い出して連絡することをひかえた。優也の具合が悪いと知れば、誠司はどこからだってすぐに駆けつけてくるだろう。例えそれが、某王国の国王と面談しているときでさえ。
誠司は、今日の午前中は珍しく事務所にいるようだが、午後から某国の国王と会う約束があったはずだ。とりあえず優也の診断結果を聞いてから、誠司に連絡するか否か判断することにした。
超音波検査を終えた後、女医はその顔に微塵も驚きの色を浮かべずに衝撃の事実を言い放った。
「つわりですね。妊娠三ヶ月です」
「…………」
優也は女医の言葉に声もなく固まった。それは紗那も同じだった。
……つわり? 妊娠??
意味がよく分からない。
「ご懐妊です。おめでとうございます」
混乱する優也と紗那に、美しい女医は微笑みながら祝福の言葉を口にした。
「あ、あの、でも、俺、男なんですけど……」
「先生、マジ? いや、あの、やっぱさあ、男はあんまり妊娠しないもんなんじゃねぇの?」
あんまり、というか、全然しないものなのだが……。
どうやらこのとき紗那もそうとう動揺していたらしい。
「間違いありません。確かに妊娠しています」
この場で女医だけが冷静だった。妊娠したのが男であっても、動揺しているようには見えなかった。
父の誠司がわざわざスカウトして来た気持ちが分からないでもない。確かに優秀な医者なのだろう。そら恐ろしいほど。
医者という職業は、むやみやたらに慌ててはいけない職業なのだ。内心はどうであれ、落ち着いた物腰を崩してはいけない。患者が不安がるからだ。
その点、この女医は満点であった。
「…………」
優也は女医に反論することも出来ず、ただ呆然としていた。
可愛そうに。
目がどっか別世界にイっちゃっているようだ。
「お子さんの父親は、所長ですね」
女医は確認というより断定の口調で言った。
優也が所長である父の恋人であることは、誠司本人の策略により、社員全員に知られるところになっていた。女医は入社したばかりではあるが、きっと誰かが耳に入れたのだろう。
もしかしたら、誠司が自分の口から告げたのかもしれない。自分の恋人だからよろしく頼む、とか。優也の『体』について、説明済みの可能性もある。だから女医はすぐに優也の気分が悪い原因が、妊娠にあると気が付いたのかもしれない。
優也は生まれたときの性別はれっきとした男だったが、天界で女体だったことが影響し、二年前から男性生殖器だけでなく女性生殖器も所有する体になっていた。
……女性生殖器があんなら、妊娠してもおかしくないのか? けど、優也、生理はないっつってたぞ。俺もだけどよ。だったら妊娠しねぇよな? 謎は深まるばかりだぜ……。
誠司は優也に関してだけは、所長としての特権を使うことをしぶらない。部下への態度が公平なだけに、優也への特別扱いは非常に目立つ。
そうすると優也への風当たりが強くなりそうなものだが、「あの天城誠司を操縦できる唯一の人間」として、社内で優也は一目置かれていた。周囲の者が妬みではなく、羨望の思いを抱いたのも、誠司の思惑通りだった気がしてならないが。
「連絡します」
優也が返事をする前に女医はその場で内線電話の受話器を挙げ、所長室に回線を繋げた。
医務室から所長室まで、普通なら歩いて10分はかかる距離であるにもかかわらず、それから30秒後に誠司は医務室に現れた。
「優也、よくやった!」
……いや、だからオヤジ……。もうちょっと他のリアクションをして欲しいと思うのは、俺のワガママなのか……??
優也と誠司が普通の夫婦だったら、まともな反応ではあるのだが。いかんせん、二人は男同士である。少しでもいいから驚いて欲しいと思う紗那だった。
誠司は優也の懐妊を心から喜び、優也の体をしっかりと抱きしめた。
優也はまだ呆然としている。
「所長、妊夫の心得のプリントです」
女医は淡々としたようすで誠司に一枚の紙を渡した。
「今はまだ安定していませんので、セックスは控えてください。安定期に入ったらコンドームを必ず着用して腹部を圧迫しない体位で行ってください。ただし、あまり深く挿しすぎると流産の危険性もありますので気をつけてください。少しでも異常があったらすぐに診察を受けさせるようにしてください。臨月になったら控えてください」
照れもせず、夜の生活についてまで淡々と詳しく説明してくれる。なんと親切な女医なのだろう。
しかし、もっと他に言うことがあるんじゃないか? と、紗那は思った。
「俺、生まないから!」
魂の抜けた状態で誠司の腕の中にいた優也が叫んだ。誠司は初めて驚いた顔をした。
「優也?」
「生まない。生まない。生まないっ。ぜーったい生まないからっ!」
「優也……」
なおも優也を腕の中に閉じ込めたまま、誠司は困った顔をした。
そこで、紗那の携帯が鳴った。部下の瀬名亮介からだった。すぐ戻ってきて欲しいと言われ、気にはなったが女医に挨拶をしてから医務室を後にした。
あの後も二人の間でやり取りがあったと思われるが、さきほど二人が言い争っていた(というより、優也が一方的に怒っていたのだが)ようすを見ると、どうやら話し合いに決着は付いていないらしい。
時間の問題だと思うが。
「優也がオヤジの子を産むっつーことは、兄弟が出来るわけか。楽しみだよな」
二人の子供なら、さぞかし可愛いに違いない。驚きが過ぎれば紗那は新しい家族が増えることが楽しみになった。
「これでやっと……俺も、諦められるな」
紗那は優也が好きだった。
叶う恋だなんて思っていなかった。優也は誠司の恋人だ。
だが、諦めるきっかけがなかなか掴めなかった。
しかし今回の妊娠騒動は、どうやら『きっかけ』になったらしい。
紗那はようやく長い片想いに終止符を打つことが出来たのだった。
そしてこの日の某王国の国王との面談は、誠司以外の者が代理で行ったことは言うまでもない・・・・・・。





「誠司さんのバカっ! バカバカバカバカっ!!」
優也は妊娠するきっかけになった三ヶ月前の出来事を良く覚えていた。
忘れたくても忘れられない。あのときのことはしっかりと優也の記憶に焼き付いている。激しく、悪い思い出として。
あの日、誠司は酔っ払っていた。珍しく酒を飲みすぎたらしい。酔いというのはときとして、人から理性を奪う。天城誠司にしてもそれは例外ではなかった。
「んっ……なに?」
眠っていたところに息苦しさを感じて目を覚ますと、背後から誠司が圧し掛かっていた。寝ていたところを無理やり起こされそのままえっちに突入なんてことは、誠司と優也の間ではあまり珍しくもない。
だからこのときも優也は、またかよーと思っただけだった。
さらに言えば、仕事で一週間ばかり誠司が家を留守にしていたので、まあいっかなーとわりと乗り気だったりもした。これから訪れるはずの快感に、すでに優也の体は期待で疼いている。
眠いなーと思いながらも優也の下半身は熱を持ちつつあった。もちろん、押し付けられた誠司の腰は、ばりばり常夏状態である。優也以上に誠司はやる気満々だ。
誠司が服を脱がしているときも抵抗なんてしない。なかば寝ぼけた状態で誠司の首に腕を回し、されるがままに全裸になった。
ここまではいい。
優也のほうもその気だったわけだから、間違いなく合意だったと言えよう。
真夜中に起こされてものすご〜く眠かったけど、気遣われてそのまま朝まで寝かされて、全然えっち出来ないほうが寂しいって思うだろうし。最愛の恋人と気持ちイイことをするのは好きだし。
が、その後がよろしくなかった。
いくら誠司に甘い優也と言えども「これだけはイヤ!」ということが、ないこともないのだ。
「えっ! やだっ!!」
ふわふわした気分から、優也はいきなり冷水を浴びせられた気分になった。優也の前のほうの穴に、誠司は前戯もなにもなしにいきなり突き入れてきたのだ。まだ十分に潤っていないソコは、軋んで痛みを訴えた。
ただでさえ優也は前の穴を使っての性交が好きではない。快感がないわけではないが、自分の体の変化をまじまじと感じてしまい、心で受け入れることができずにいた。
女でもなく。
男でもない、不完全な自分。
まるでこの世界から拒まれているようで、哀しくて寂しかった。
同じように前世からの影響で、女に生まれながら第二次性徴を迎えることはなく、いまだ生理もないという紗那も、同じ気持ちを抱いているに違いない。
自分が異端であることを思い知らされるのは・・・・・・辛い。
なのに誠司は、ソコに優也の許可なく侵入してきたのだ。
「やだっ! やめろ! 抜けよ!!」
誠司の体の下で優也は暴れた。
生理的に受け入れられず、優也の肌に鳥肌が立った。
気持ちが悪い。
吐きそうだ。
それでも慣れた体は反応し、内部は濡れ始めて優也の股間のモノは固くなりつつある。
気持ちは許してないのに体が誠司を受け入れ始めていることが悔しい。
「いやだ! 離せ!」
優也は叫んだ。だが、誠司が上からどく気配はない。それどころか腰を動かし優也の内部を固い棒で掻き回し始める。乱暴な動きに、激痛が優也の体を襲った。
いつもだったら、女性器に挿入するときは、細心の注意を払って、優しく抱いてくれるのに・・・・・・。
体がばらばらになってしまいそうだった。
「いやっ……だ。お願い……やめて……」
優也の怒り声はいつの間にかすすり泣きに変わった。
普段の誠司なら、優也が本気で嫌がれば、絶対にやめてくれるはずだ。いつだって誠司は優也の気持ちを大切にしてくれた。だが今日の誠司は優也が暴れても泣いて懇願しても、けっして許してはくれなかった。
・・・・・・怖い。
恐怖が優也の心臓を締め付ける。
言葉もなく、荒い呼吸で自分の体を犯すこの男は、誰だ?
欲望のまま、雄の証で自分を貫くこの男は・・・・・・?
コレは、自分の、知らない男・・・・・・。
怖い、と思った。
力づくで四肢を押さえつけられ、体中を乱暴に愛撫され、好き勝手に蹂躙(じゅうりん)される。理不尽な暴力。この行為に自分の意思が入り込む隙間は微塵もなく、自分の体はただ誠司の欲望を満たすためだけのものでしかなかった。『優也』という人格は無視され、ただの性処理の道具として扱われる。
愛情なんて欠けらも感じられない。
「ひぃっく……ひっ……や、やだぁ……」
助けてと、心の中で救いを求める。
だが優也を救ってくれるはずの人物が、今、優也を犯しているのだ。
優也は両目から大量の涙を溢れさせた。
ここでなにか誠司から一言でもあったら違ったかもしれない。しかし誠司は荒い呼吸をしながら、ただ無言で優也の上で動き続けるだけだった。誠司の息は酒臭かった。酔いに任せて誠司は優也を陵辱(りょうじょく)しているのだ。
壊れた人形のように手足をベッドの上に投げ出し、優也は諦めの気持ちで誠司に体を好きにさせた。優也は虚ろな目で天井を見上げる。一刻も早く、この時間が過ぎ去ることだけを願って。
これは恋人同士のセックスなんかじゃない。
レイプだ。
優也は自分の心が壊れていくのを感じた。
内部が生暖かい液で満たされた。誠司がイったのだ。
優也はその感触に吐きそうになった。
中で出されたのは、初めてソコの純潔を誠司に捧げたときのみだった。それ以降は絶対に許さず、挿入するときはゴムを付けるか直前で引き抜いて外で出してもらっていた。
二人の間で決められたそんなルールも無視して、誠司は繰り返し優也を突き上げ、何度もソコの中に精液を注ぎこんだ。下肢からはくちゃくちゃと濡れた淫らな音が聞こえる。
優也はぼろぼろと泣いた。
哀しかった。
どうして愛しい人と、こんな形で体を繋げなければならないのだろう?
気持ちのない、体だけの交わり。
惨めだ。
誠司にとって自分は、こんな酷いことが平気で出来てしまう、その程度の存在だったのだ。
「うっ……ひっく……うっ……」
痛い。
心も体も。
ようやく誠司の動きは止まったが、優也の涙は止まらなかった。
「こんなの……ひ、ひどい……どうして……?」
優也は泣きながら誠司の体の下から抜け出し、震える体を自分で抱きしめた。まるで、誠司から自分の身を守るように。
自分の内股に誠司の放った精液と血がこびり付いているのを見て、優也はまた泣いた。
好きな人間に強姦されたことがショックだった。
誠司はようやく酔いが覚めたらしく、自分がしでかしてしまったことに、優也以上に衝撃を受けているようだった。
「……すまない、優也」
苦痛に満ちた誠司の声。
『優也の大好きな恋人』に、ようやく誠司は戻ってくれた。
優也はぐずぐずと泣きながら、誠司の胸に抱きついた。誠司は戸惑いながらも優也の体をしっかり抱き返した。
「俺、俺、すごく怖かった……」
「……すまない」
「止めてって言ったのに、誠司さん、何度も俺のこと……」
「すまない。……まさか俺がこんなふうに優也を泣かせてしまうなんて……。言い訳のしようもない。どうやって俺は償えばいいんだ?」
「愛してるって、言って」
優也は涙混じりの声で言った。
この一言さえあれば、自分はどんな仕打ちにでも耐えられたのに……。
「愛してる、優也。こんなことをしでかしておいて言えた義理じゃないが、俺のことを見捨てないでくれ。愛しているんだ」
「優しくキスして……」
誠司は優也が満足するまで、繰り返しキスをくれた。誠司の唇の優しい感触に、心が癒されていくのを感じる。
優也の心を傷つけることが出来るのが誠司なら、癒すことが出来るのも誠司なのだ。
「怖かったんだから。本当に、怖かったんだから……」
さきほどの恐怖を思い出して優也は涙を流し、拗ねた顔で誠司を見上げた。誠司は優也の顔中にキスを降らせながら謝罪した。
本当はもう、この時点で優也はほとんど誠司を許していた。
あんなことをされたけど、許さずにはいられない。
優也は誠司を愛していたから。
どんな目に合わされても、愛していたから。
しかし誠司の気は済んでいなかった。
翌日、誠司はけじめだといって頭を剃った。
あまりにも似合ってなくて、失礼にも優也はげらげら笑ってしまった。思いっきり笑ったら、ちょっと気持ちがすっきりした。『SSA社』の社員のみなさんは、笑いたくても笑えないようで可愛そうだった。紗那は誠司の頭を見て顔を引き攣らせていた。
今ではおかしくない程度に髪は伸びてきたが、元の長さになるにはもう少し掛かりそうだ。
誠司は禁酒も誓っていた。
よほど優也を傷つけてしまったことがショックだったらしい。
自分も大好きな誠司に乱暴されたことはショックだったので、もう二度とあんなことをしてし欲しくないって思った。





けれど・・・・・・本当は気がついている。
あのとき恋人を裏切ったのは、誠司ではなく、優也のほうだ。
愛しい恋人を、恐怖心に負けて拒絶したのだ。
誠司も気がついているはずだ。
愛しているとささやきながら、何度も口付けを交わしたのに。何度も体を繋げたのに。
なんて薄っぺらな、自分の想い。恋。愛。
自己嫌悪。
・・・・・・呆れられたって、仕方ない。
愛していると言いながら、誠司が常と違う面を見せただけで、自分は逃げようとしたのだから。酔いのせいだと気持ちを誤魔化したが、あれもまた、誠司の真実の姿なのだ。
自分は誠司のすべてを、受け入れることができなかった。
自分で自分が心底情けない。
先に誠司が謝ってくれたから。
逃げ道を作ってくれたから、それに甘えた。
二人の関係が変わるのが怖くて。誠司の心が離れていくのが怖くて。
なんて臆病な、自分。
卑怯な、自分。
最初は好きな男に犯されたことが哀しかった。
けれど本当に傷ついたのは、好きな男のすべてを包み込むように愛することができない、子供のような自分の想いにだ。
そして自信がなくなった。果たして自分は、誠司にふさわしい人間なのかと。
「……俺が子供生みたくないって、そーゆー事情のせいもあるんだよね」
その後、優也は女性生殖器を一度も性交に使わせなかった。反省した誠司は大人しく優也の言葉に従った。これまで以上に丁寧に、優也の体を扱うようになった。
だから妊娠したとすればあのときしたセックスで身ごもったわけで、でもあのときのあれは、とうてい二人の気持ちが重なっていたと言えるものではなくて・・・・・・。
そう思うと複雑だった。
もしいつも通りの愛情溢れる交わりによって出来た子なら、自分はここまで悩まなかっただろう。
ただでさえ、出産は、怖い。
その恐怖に打ち勝つ自信が今の自分にはない。
「……俺だってさあ、好きな人の子供、欲しくないわけじゃないんだよ?」
誠司との間に出来た子供だと思うと、中絶することに躊躇いがある。
だが、男である自分が生んだ子が、本当に普通の人間として生まれてくるか分からず怖かった。
もしとんでもない化け物が生まれてきたら?
優也は自分で自分の考えにぞっとした。
……怖い。
ベッドに突っ伏し、優也はしくしくと泣いた。いつの間にか誠司がやってきて、優也の頭を優しく撫でた。
「誠司さん……」
「なんだ?」
「俺……怖い」
「……そうか」
「お願い。ぎゅっと抱きしめて……」
誠司は優也の願いどおり、優也の体を抱きしめてくれた。ベッドの上に二人で抱き合って寝転がる。
愛しい人のぬくもりに、優也は気持ちが落ち着いていくのを感じた。
「……誠司さん、そんなに俺に、生んで貰いたい?」
優也は密やかな声で誠司に尋ねた。
「ああ」
「あの、さあ。俺の体ってやっぱりヘンだし。どんな子が生まれてくるか分からないよ?」
「どんな子でも優也の子供だったら間違いなく可愛い。優也、愛してる」
「うん。俺も。俺も愛してる・・・・・・」
誠司の指先が、優也の頬を撫でる。
……この人のこと、俺、本当に好きなんだよね。だからそんな風に言われたら、俺……。
「誠司さん、前、お酒飲んだとき、俺のことを目茶目茶に犯したよね」
「う……ああ」
誠司にとっても悪い思い出らしく、珍しく歯切れが悪かった。
「あのとき、誠司さんからの愛情を全然感じられなくて、哀しかった……。きっと、そのときに出来た子だよ。だから、俺……」
思い出して、優也の目に涙が滲んだ。誠司の愛情が失われたら、自分はきっと死ぬ。
まだ成熟しきれていない自分の愛が誠司に釣り合うのかと不安でたまらない。
けれど誠司が甘やかすから、自分こそが許して欲しいと思いながら、誠司を詰る。
あのときの裏切りを、許して欲しいと思いながら・・・・・・。
優也の泣きそうな顔を見て、誠司は慌てふためいた。
誠司がここまで動揺を表に出すことが珍しく面白かったから、優也はさらに誠司を責めてみた。
「本当にすまなかった。怯える優也の顔が可愛くて、こう、むらむらむら〜っと……。いつもなら自制できるんだが、あのときは本能のままに突っ走ってしまった。反省している」
「一回じゃ終わらなくて、俺の中にいっぱい出したよね……。すげぇショックだった……」
優也は恨みがましい目で誠司を見つめた。
誠司はだらだらと冷や汗を流していた。蛇に睨まれた蛙同然である。
そして、誠司の反応に安心する。
怒る自分の態度に慌ててくれるなら、まだ自分を愛してくれているのだと。
「ごめん。自分でも最低だという自覚はあるんだが……。泣き叫ぶ優也に嗜虐心をそそられ、自分を止められなかった。もちろん普段の優也も可愛いのだが……。シチュエーションに燃えたというか……。いや、もう、最高に優也の中は気持ちが良くて、つい」
「……つい、で人のことあんな目に合わせたわけ!? ……誠司さん、ほんとにサイテイ」
冷ややかな声で優也は言い捨てた。
本当は怒ってなどいないけど。
二人がこの先も一緒にいるための、儀式のようなやり取り。
「ごめんなさい」
誠司はしゅんとしたようすで謝った。
「だが、これだけは信じれくれ。相手が優也だったからこそ、俺は我を忘れて夢中になってしまった。俺が抱きたいと思うのは優也だけだ」
必死の面持ちで、誠司は優也に訴えた。恋人の怒りをなんとかして宥めたいと思っているようだった。
「俺だけ? 本当に?」
「本当だ。他の人間を抱けといわれても、俺は非常に困るぞ。勃起しないからな」
誠司は力強い声で断言した。
優也は深々とため息をつく。
結論なんて、最初から出ていた。
「あーもー。……しょうがないから生んであげる。俺だって誠司さんの子供は欲しいもの。でも、子供が生まれるまでえっちはなしね」
「……え?」
誠司は顔を硬直させた。
「いや、だが、16〜28週目の中期であれば、気をつけてやればいいと……」
「うん。でも、一応。俺ってふつーの女の人の体とは違うし。それに誠司さんの自制が利かなくて、突っ走られちゃったら困るし?」
前科のある誠司は言葉に詰まった。
「七ヶ月間の辛抱だから!」
誠司の情けない顔に小気味よさを覚えながら、優也はにっこり微笑みながら言った。
ここはしっかり、釘を刺しておかないと。
「優也〜〜〜〜」
「はいはい。その間、口でやってあげるから、それで我慢しなさいね。浮気したら容赦しないからね」
「浮気なんて出来ない。こんなに可愛くて綺麗で愛しい恋人がいるのに……」
真剣な顔で誠司は言った。優也はくすくす笑って誠司の背に回した手に力を込めた。
もっとたくさん愛の言葉を注いで欲しい。
もっとたくさん抱きしめて欲しい。
自分の愛がもっと大きく育つように。
「でもさ、生まれた子供の戸籍、どうしよっか?」
現実的なことを考え、優也は不安そうに眉をひそめた。
普通は男は子供を生まない。
ということは、子供が生まれたときに、どうやって届け出ればいいのだろう?
生まれた子供は、本当にこの世界で幸せに生きていけるのだろうか?
考え始めたらきりがなかった。
「大丈夫だ、任せておけ」
誠司は自信満々に言い切った。
「……うん。任せる」
いろいろ不安なこともあるけれど、誠司ならきっとなんとかしてくれると、優也は安心して目を閉じた。





「すまない・・・・・・」
優也の寝顔を眺め、指先で滑らかな頬の感触を楽しみながら、誠司は謝罪の言葉を口にする。
無理やり恋人の体を奪ったことを悔やむ、フリ。
愛しい恋人を引き止めるために、手放さないために、それぐらいのことはいくらでもできる。謝れば優しい恋人は許してくれると知っていて、打算で実のない言葉を繰り返した。
けれど、本心から悔恨の想いを抱くことが出来ない自分を知っている。
それほど上等な生き物なんかじゃない。
欲しい“オンナ”を力づくで奪う。
それが当たり前の世界に、自分はいた。まだ世界が一つだったころ。
「・・・・・・あの程度の酒で酔うものか」
あのとき抱けば、子を宿すことは分かっていた。本能で知っていた。だから何度も執拗に、あの体に精を注いだ。
繋ぎ止める足枷は、多ければ多いほうがいい。自分の本性を垣間見ただけで拒もうとする恋人に焦り苛立ちをぶつけるように、華奢な体に欲望を注いだ。
股の間を自分が放った精液でぐちゃぐちゃに濡らし、怯えて涙を流す恋人の姿に、感じたのは悔恨ではなかった。
暗い愉悦。
思わず口元に笑みが浮かんだ。
「これでお前は、俺から逃げられないな・・・・・・」
普段は上手に隠していても、ときおり縛る鎖を引きちぎり、暴れだす獣の存在を昔から知っていた。飼いならしたつもりでも、いまだコントロールが効かないときがある。
だからこそ、グレス=ファディルはユリナを妻にすることをためらった。
自分に、彼女と結ばれる資格があるのかと。
自分が酷い男だということは、誰よりも知っていた。
けれど、一度手に入れてしまったから。二度と手放せるはずがないのだ。いかなる手段を使っても。
その白い翼を引きちぎって、自分の傍に縛り付ける。
けしてどこにも行けないように。





「可愛そうな、姫君」
闇の中で、獣は哂う。
獣に犯され、獣の子を孕む。
可愛そうな姫君。
逃げたければ逃げるがいい。
何度でも捕まえる。
けして逃がしはしないから。
けれど願わくば・・・・・・望んで傍らに居て欲しい。
それゆえに獣は鋭い刃を隠し、爪を隠す。
獣の本性を隠し、理想の王子の仮面を被り、微笑んでみせる。
一生、欺き続けてあげよう。
ただ愛しいあなたのために。






民法が改正され、同性同士であっても婚姻を認められるという法案が成立したというニュースが流れたのは、それから数ヶ月後のことだった。
「あ、あの、誠司さん……」
優也はテレビを見ながら引き攣った笑みを浮べた。
朝、時間を確認しようとテレビを付けたら、いきなり衝撃的なニュースが耳に飛び込んできたのだ。
「に、日本の法律が変わったみたいだけど……。まさか、まさか、だよねぇえ??」
「いつまでも恋人気分も悪くないが、いざというときのことも考えて、そろそろ俺たちも籍を入れたほうがいいと思ってな」
「…………」
「少々面倒だったが、法律が俺たちのニーズに合っていなかったから仕方がない」
「仕方ないって……」
「お腹の子のためにも、もう少し修正を加えておく必要があるな」
誠司は淡々とした口調で言った。冗談ではなく、誠司は本気のようだった。
……法律って、国会じゃないと立法できないんじゃ……。
しかしこの人だったら日本国憲法をも捻じ曲げるぐらいやすやすとやってのけるだろうと優也も納得出来てしまい、そら恐ろしい気持ちになった。
……いいのかよー。こんな簡単に法律を変えて!
「それじゃあそろそろ出かけるか。優也は今日から産休に入って貰って構わないが、定期的に診察を受けたほうがいいな。これまで通り、森屋祥子女医にお願いするとしよう」
……それって職権乱用なんじゃ……。
だが自分の事情のために日本の法律まで変えてしまった誠司に、職権乱用について説いても無駄な気がする。いや、気がする、じゃない。はっきりきっぱり無駄なのだ。
「……ニーズに合ってないって……たしかにそうなんだけど……」
……でもだからって、俺たちの事情に日本国民全員を巻き込んでいいのかよ……。
底知れぬ恋人の実力に、優也は頼もしさと同時に恐ろしさを感じ、複雑な表情でため息をついたのだった……。





 
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