「紗那、遊園地、行こう! 今からっ!!」
美樹原優也は険しい顔をして、唐突にデートのお誘いをしてきた。 むくれた顔をしていても、損なわれない優也の美貌は流石というべきか。 というより、完璧すぎて近寄りがたい姿かたちをしているだけに、すました顔より怒った顔のほうが断然イイ。 ・・・・・・そう思うのも、惚れた欲目というやつだろうか。 「……別に、イイけど」 読んでいた本から顔を上げ、天城紗那は複雑な気持ちでデートの誘いを承知した。 片想いの相手に誘われ否と言えるはずがない。 例え自分がたんなる身代わりであると知っていたとしても。 が、それでもちょっと虚しい想いがしないでもない。 優也は、父親の恋人である。そうと知りつつも、紗那は優也が可愛くて仕方なかった。いわゆる初恋である。 笑ってしまうぐらい不毛な想いだ。父と優也が別れることなど、天と地がひっくり返っても絶対にあり得ない。それほど惚れ合っている二人だ。紗那は間近で、二人がどれほど愛し合っているかを見てきた。最初はそんな二人を純粋に応援できていたのに。優也に惹かれている自分を自覚してから、気持ちは複雑だ。 頭では諦めるしかないと分かっている。それなのに紗那は諦めきれないでいた。文句の付けようのないくらい儚げな美しさを誇る容姿に、その外見にそぐわぬ気の強さがたまらない。「恋」でくくるジャンルの中では、優也以上に自分を惹きつける相手に紗那はまだ出会ったことがない。 優也の恋人が父親の誠司でなければ、もっと悪あがきも出来ただろう。奪い取るぐらいのことは、したかもしれない。しかし誠司も紗那にとっては大切な存在だ。裏切れるはずもなく、紗那にできることといえば、ただ二人の幸せを見守ることだけである。 「オヤジ、仕事だって?」 「…………うん」 優也は憮然とした顔で頷いた。 予想したとおり、優也は誠司にデートをドタキャンされて、代わりに紗那を誘ったのだ。 ……まあ、別にいいんだけどね……。 仕事ばかりで構ってくれない恋人に怒りながらも、そこはかとなく寂しそうな優也の表情に、胸がギュっと掴まれたような気持ちになる。 その顔は反則だ。 なにもかも、許したくなる。 「東京ビービックランドにでも行くか。給料出たばっかだし、奢ってやるよ」 「え? 俺が誘ったんだから、俺が出すよ」 優也は慌てたように言った。紗那は遠慮する優也の頭を軽く撫でた。 「優也はまだ学生だし、無理するなよ。出世払いにしとくから、今日は俺に奢らせろ」 「でも……」 「いいから。……な?」 口元に笑みを浮かべて優也の顔を覗きこむようにして言うと、ようやく優也も納得して頷いた。 「……ごめんね、紗那」 ……くううううっ。カワイイっ!!! 自分の都合に付き合わせることに罪悪感を抱いたのだろうか。優也は紗那に謝った。目にうっすらと涙を溜め、悄然(しょうぜん)としたようすで優也は俯く。その姿は頭からばりばり食べてしまいたくなるほど可愛いかった。 抱きしめたい、と思う気持ちを抑えるのに苦労した。一度たがが外れたら、抱きしめるだけでは済まなくなりそうだ。 寂しさにつけ込めるぐらい、卑怯者になれれば楽だったのかもしれない。しかしそうするには、紗那はまだ若かったし潔癖過ぎた。 「謝る必要なんかない。遊園地なんて久しぶりだ。俺も結構、楽しみにしてるんだぜ?」 「紗那……」 「今日は二人で目一杯楽しもうぜ」 紗那が笑いながら言うと、優也もほっとするように小さく笑った。これぐらいは許されるだろうと、紗那は優也の頬に唇を寄せた。 「ちょ、ちょっと、紗那っ」 「優也ってカワイイよな。優也を可愛がるオヤジの気持ちがよく分かるぜ」 「カワイイって…。もう、紗那ってば、冗談ばっかり!」 冗談ではなく力いっぱい本気なのだが。 しかし困らせるだけだと分かっているので、紗那は冗談と思わせたまま笑って流した。 優也の気持ちが少しは浮上したのもみて、紗那はほっとした。 好きな子には笑っていて欲しい。哀しい顔は、やはり見たくない。自分まで哀しくなってくるから。 「車で行く? それとも電車にするか?」 「え? 紗那、車運転できたんだ?」 優也は心底驚いた顔をした。 そういば、優也を自分が運転する車にまだ乗せたことはなかったことを思い出した。 仕事ではしょっちゅう車を使っているから、運転暦は短くても運転は慣れている。けれど、自宅には自分用の車を置いていないから、優也が知らなかったのも無理はない。 「免許は持ってないけどな」 「……………………………え。そ、それは……」 「・・・・・・冗談だ。本気にするな」 力いっぱい優也が不安そうな顔をしていたので、紗那は免許を見せてやった。 軽い冗談のつもりだったが、本気にされるとは、そんなに無茶をする人間に見えるのだろうか。 ・・・・・・オヤジじゃあるまいし。 自分は遥かに常識人だと思う。あの父親と比べれば。 「わ。すっごーい、紗那。バイクも乗れるんだ? 俺もバイクの免許、欲しいんだよね……」 紗那の免許を見ながら優也は感嘆の声を上げた。優也もバイクの免許が取れる年齢ではあるが、おそらく学校で禁止されているか、父親に反対でもされたのだろう。 ……あの父親、優也のこと、思いっきり過保護にしそうだもんな〜。 優也の父親は、最近になって紗那の双子の姉である恵那と再婚したが、それまでは父一人子一人の家庭だった。それに加え、優也のこの愛らしさを考えれば、過保護にするのも無理はない。 「ねぇ。どこの教習場行ったの? ここの近所?」 「いや、教習場には行かなかったぜ」 「えー?」 「直接技能試験受けてきた」 「へぇー。そういうことも出来るんだ・・・。スゴーイ!」 「まーな」 仕事に便利なので、免許は16歳になってすぐ取った。 実は、16歳になる前からもこっそりと乗っていた。しかしそれは、人気のない道路とか、砂浜とかでのことだ。けして公道ではない。 零を無理やりつき合わせてよく練習したものだ。 自分が優也に甘いのと同様に、零はとにかく自分に甘い。 真冬の海に引っ張り出したときは、さすがに文句を言われたが。それでも時間の許す限りは付き合ってくれた。 優也とはまた違ったタイプの美形である、まるで王子様のような外見の零が、鼻水を垂らしながらぶるぶると寒さに震えている姿はさすがに哀れで、紗那も申し訳ないと思ったのだった。 だからといって、零を自分の趣味につき合わせるのを止めはしなかったが。 ・・・・・・いや、だって、アイツ俺にほんとーに甘いんだもん。だからつい俺も、甘えちゃうんだよなー。 どこからどう見ても青年にしか見えない紗那を、女として愛している零はかなり珍しい存在だ。 紗那にとって零は大切な親友で、優也とは違った意味で愛しいと思っている。けれど、零が紗那に求めているのは恋人としての愛情で、残念ながら現在のところ紗那と零のニーズは一致していないのだった。 「どーせなら俺、車よりバイクの後ろに乗りたい!」 優也はきらきらと目を輝かせて言った。少女と見まがうばかりの容姿だが、それでも優也は男の子だ。バイクに興味があるのだろう。 紗那は少し悩んだ。バイクより車のほうが安全だからだ。 運転のテクニックに自信はあるが、事故の原因が自分の不注意によるものだけだとは限らない。自分がいかに注意深く安全運転をしていても、巻き込まれて……ということだってある。もし、急に車が突っ込んできたら、より大きな被害を受けるのはバイクのほうだ。 酔払い運転や居眠り運転。世の中危険に満ちている。 自分一人だったら、たいがいの事故は回避できる自信がある。 しかし、二人となると少々心もとない。 「……ダメ?」 「………………………………別にいいけど」 優也の、目に負けた。 ……惚れた弱み。逆らえねぇなあ……。 それでも、まあいいかと思う。優也が喜んでくれるのなら。 いざとなったら、命を懸けても守ろうと密かに決意する。 さきほどまで優也の顔に浮かんでいたブルーな影は、最早どこにもなかった。頭の中はバイクのことでいっぱいのようだ。狙ったわけではないが、紗那は優也に誠司のことを忘れさせることに成功したらしい。 そのことは、ちょっとした幸福感を紗那に与えた。 「すっげぇ楽しみ! ありがとね、紗那♪」 にっこり微笑む優也は、それはもうたいへん可愛らしかった。 ……やっぱ、イイよな……。 思わずバカみたいに見惚れてしまった。好きだなあ、と思う。けっして自分のものにはならない相手だけれど……。 いつもの百倍ぐらい注意深く運転して、ようやく目的地に辿り着いた。 遊園地は楽しかった。紗那が遊園地に来たのは今回も含めてたったの二回だ。その一回は、学校の行事の一環としてであった。だからプライベートで来たのは今回だけということになる。 二人とも童心に返り、はしゃぎながら園内を駆け回った。目的の乗り物はすべて制覇した。たまにはこんな場所に来るのも悪くない。 零と遊びに行くときは、スキーとか山登りとかテニスとか、体を動かすものが多い。ときどき嫌がる零を強引に街へひっぱりだし、逆ナンパされてカワイイ女の子たちとカラオケに行って遊んだりすることもあるが、遊園地で・・・というのは今までなかった。 だが、仲の良さそうなカップルが目の前を通り過ぎるたび、優也の表情が暗くなることに紗那は気がついてしまった。自分が愚鈍な人間だったら良かったと思う。 紗那を気遣って、暗い顔を見せまいと必死で楽しそうな顔を見せる優也は健気で可愛かったが可哀相で、胸が痛んだ。 ……やっぱ、俺じゃダメなんだよな。 絶望を押し隠して紗那は優也に微笑みかける。 こんなことで傷つくものか。 覚悟の上での恋なのだから。 「さ、あ、て。もうすぐ閉園だし。最後はやっぱり観覧車で決まり? 夜景がキレイだぜ〜」 「もうこんな時間なんだ! うん。最後の締めで観覧車だ! 今日は力いっぱい遊んだよね。すっげぇ楽しかった!」 楽しんだ、という言葉に嘘はないだろう。 全ての笑顔が無理に作ったものではなかったことは、分かっている。 だから・・・・・・十分だ。 今日、自分といて優也は楽しかったと言ってくれた。 だったらそれで十分だ。 十分だと思わなければ。 「おう。楽しかったな。じゃ、観覧車、乗ってこいよ」 心のどこかで悔しいと思いつつ、けれど愛しい人の幸福を望んで、紗那は笑った。 「……え? 乗ってこいって???」 優也は驚いた顔で紗那を振り返った。紗那は小さく笑って見せた。 「間に合うかどうか、分かんなかったけどな。ぎりぎりセーフってとこ。オヤジが待ってる。行っておいで」 「誠司さんが……!」 心底幸福そうに、優也は笑った。自分ではこんなふうに優也を笑わせてあげることはできなかった。だから、仕方ないと思う。 何度でも確認させられる。優也には誠司でなければいけないのだ。 ……いいさ、別に。そうやって笑っていてくれるなら、さ。 たくさんの幸せをあげたい。その幸せを自分が与えることができないのなら、誰かの手に委ねなければならないことも仕方ないと思う。 その「誰か」が自分の父であったことは、良かったのかもしれない。 優也を幸せにしてくれる存在だと、信じられるから。 「ありがとう、紗那。俺、行ってくる!」 恋人のもとに駆けていく想い人の後姿を、紗那は切ない気持ちで見送ったのだった。 「よう、紗那。奇遇だな」 「零」 気がつけばすぐそばに零がいた。 偶然ではないのだろう。父親の誠司とともにやって来たに違いない。 自分のために。自分がどういう気持ちでいるのかを察して。 わざわざ自分のために、心配してこの場に駆け付けてくれたのだ。 「やっぱ、あのときに殴っとけばよかったな。一発ぐらい。……お前の気持ちを奪っていくんならさ」 「ばーか。んなことしたら、お前、オヤジに半殺しにされるぜ? まさに目に入れても痛くないような可愛がり方だもんな」 「それでも、だよ」 「……ありがとう、零」 紗那はほっとしたように息を吐いた。そして零の肩に、自分の頭を押し付けるようにして寄りかかった。 零はただ黙って紗那の頭を撫でてくれた。 自分にとって零は、必要な存在なのだと思う。気がつけば自分の深い部分にしっかりと根付いていた。 昔の自分は、父の誠司だけを必要としていた。今は違う。いろいろな人間に関わり、いろいろな人間に支えられて生きている。 そのことを自分は実感している。 「零……。俺、そろそろ飛べそう」 「ん?」 「……お前が気づかせてくれたんだぜ」 零は紗那の体を優しく抱き締めた。いつもなら腕の中で暴れまくるところだが、今日は黙って抱かれていた。 こういう存在のことを、おそらく親友と呼ぶのだろう。紗那の恋人に立候補している零にとっては、おそらく不本意な関係ではあるが。 優也が命を賭けてでも守りたいと思う存在なら、零は命を賭してともに戦いたい相手なのだ。 ひょっとしたら恋よりももっと大切な存在……。 完 |